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燐寸図案

  • 実用燐寸
    実用燐寸レッテルには様々な図案があります。 ここにはコレクション300種類以上の中から、抜粋して100種類ほど公開する予定。 主に明治、大正、昭和初期時代の燐寸レッテルの図案。

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。
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[美學校発 ガロ経由 ガンダム行: アニメ芸術の誕生と未来] 浜津 守 (著)

[美學校発 ガロ経由 ガンダム行: アニメ芸術の誕生と未来] 浜津 守 (著)

『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』にアニメーターとして参加後、『巨神ゴーグ』から演出家に。
代表作は『To-y』『鎧伝サムライトルーパー』『アルスラーン戦記』『B't X』『アソボット戦記』『ルパン三世 生きていた魔術師』『ガラスの仮面』など。
大手前大学メディア・芸術学部教授として後進の指導にもあたった著者の自叙伝。そしてアニメ業界を目指す若者たちへの貴重なアドバイス。
[美學校発 ガロ経由 ガンダム行: アニメ芸術の誕生と未来] 
https://www.amazon.co.jp/dp/B0GR8Z2ZPS
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https://koinu2005.seesaa.net/article/520369997.html
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 『美學校発-ガロ経由-ガンダム-~アニメ芸術の誕生と未来~』浜津守(七夕社)
【本書内容】
現代アートへの関心
インタビュー●美學校
教師には向いてない美術家・赤瀬川原平/菊畑茂久馬 松山俊太郎/木村恒久/美學校の出身者たち
コラム【トマソン】
インタビュー●『ガロ』編集 コラム【長井勝一さんと『ガロ』について】
コラム【現代詩について】
インタビュー●アニメの世界へ
スタジオムサシ/スタジオコクピット サンライズ/ガンダム班
コラム【記号化しないアニメの登場】
インタビュー● メモ【一九七八年頃】
アニメーターからアニメ演出家に
【著者紹介】『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』にアニメーターとして参加後、『巨神ゴーグ』から演出家に。代表作は『To-y』『鎧伝サムライトルーパー』『アルスラーン戦記』『ガラスの仮面』など。
大手前大学メディア・芸術学部教授として後進の指導にもあたった著者の自叙伝。
そしてアニメ業界を目指す若者たちへアドバイスと、アニメーションについての可能性を様々なメディアから語る。
新しい表現として、アニメーションをとらえたい人には、映像としての広がりを体現されていただきたい。
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【Amazonサイトから】
https://amzn.asia/d/0d82XAen
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E5%AD%B8%E6%A0%A1%E7%99%BA-%E3%82%AC%E3%83%AD%E7%B5%8C%E7%94%B1-%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0%E8%A1%8C-%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E8%8A%B8%E8%A1%93%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%A8%E6%9C%AA%E6%9D%A5-%E6%B5%9C%E6%B4%A5-%E5%AE%88/dp/B0GRF81YNM

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【あとがき改稿】

もう一年以上のインタビューで、詳細なことは忘れてしまいました。

印刷された文字から、揶揄されてるメディアには深く関わる体質に気がつきました。

美学校、ガロ、ガンダムは当初は、不可解なことを深く綿密にしてました。

それらを南伸坊さんは、分かりやすく面白くされた功績は誰にも出来ないことなされております。

そんなメディアについての想いを、大学教室では噛み砕いて伝達しました。

アニメ界にも天象義館のようなアングラに関わって、偉業を成し遂げた脚本家たちがおります。

そこでハマツは変なことをする演出家だと、わかってしまうのです。それが企画のもとになっているいるようです。それは本当にありがたい。

印刷物としての未知の可能性を編集体現して、それはもっと映像と音楽でもヤレるのではと盲信してました。

どうやら日本の神さまが、アニメーションを大好きなようで、奇跡的に世界配信となっているようです。ミラクルな体験をさせていただき感謝しております。

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2026年5月21日 (木)

恋愛曲線 小酒井不木

恋愛曲線

小酒井不木




 親愛なるA君!
 君の一代の
盛典せいてんを祝するために、僕は今、僕の心からなる記念品として、「恋愛曲線」なるものを送ろうとして居る。かような贈り物は、結婚の際は勿論のこと、その他は如何なる場合に於ても、日本はおろか、支那でも、西洋でも、いな、世界開闢かいびゃく以来、いまかつ何人なんぴとによっても試みられなかったであろうと、僕はおおいに得意を感ぜざるを得ない。貧乏な一介の医学者たる僕が、たといおのれの全財産を傾けて買った品であっても、百万長者の長男たる君には、決して満足を与え得ないだろうと信じた僕は、熟考に熟考を重ねた結果、この恋愛曲線を思いつき、これならば十二分に君の心を動かすことが出来るだろうと予想して、この手紙を書きながらも、僕は、生れてから始めて経験するほどの、胸の高鳴りを覚えつゝあるのだ。君が結婚しようとする雪江さんは、僕もまんざら知らぬ仲ではないから、君たちの永遠の幸福を祈ってやまぬ僕は、こゝに君に向ってうや/\しく恋愛曲線を捧げ、以て微意を表したいと思うのである。君は、僕のような武骨一点張りの科学者が、恋愛などという文字を使用することにすら、滑稽を覚えるかも知れぬが、しかし僕は君の考えて居るほど「冷血」ではなく、多少の温かい血は流れて居るつもりだ。流れて居ればこそ、君の結婚に対して無関心では居られなくなり、頭脳を搾って、縁起のよかるべき名をもった、この贈り物を考え出したのである。
 明日に迫った君の結婚に、今夜差迫って手紙を書くということは甚だ礼を欠いているかも知れないが、恋愛曲線の製造が今夜でなくては行い得ないものだから、気を揉みながらも、やっと明日の朝、君の手許に届けることになってしまった。
さだめし君は、多忙を極めて居るであろうが、然し僕は、君がどんなに多忙な中でも、僕のこの手紙を終りまで読んでくれるであろうと堅く信じて居る。だから僕は、御迷惑ついでに、恋愛曲線の何ものであるかということを十分説明して置きたいと思うのだ。一口に言えば、恋愛の極致を曲線として表現したものであるが、開闢以来誰にも試みられなかったであろう贈り物の由来を物語って置かぬということは、君も物足らなかろうし、僕もすこぶる心残りがするから煩雑ながら、我慢して読んでくれたまえ。
 この恋愛曲線の由来を最も明暸に理解して貰うためには、先ず一通り、君の結婚に対する僕の心持を述べて置かねばならぬ。君を最後に見てから約半ヶ年、その間、絶えて音沙汰をしなかった僕が、突然、君に、世にも珍しいこの贈物をするに就ては、何か深い
理由わけがあるだろうと、早くも君は察するであろう。いや、聡明な君は、一歩進んで、その理由が何であるかをも或は知り抜いて居るであろう。
 君の
所謂いわゆる「冷たい血しか流れて居らぬ」僕が恋の敗北者であるということを、君は百も承知の筈である。だから、僕に対して恋の勝利者である君は、僕の贈り物が、一面に於て如何に悲しい思い出をもってみたされて居るかをも十分認めてくれるであろう。尤も君は多くの女に失恋させた経験こそあれ自身には失恋の痛苦を味わったことがなかろうから、或は同情心を起してくれぬかもしれない。全く君は女に対して不思議な力を持った男である。君の眼から見たら、たった一人の女を奪われて、失恋の淵に沈む僕のような男の存在はむしろ奇怪に思われるであろう。然し、何と思われたってかまわない。僕はやっぱり君のその不思議な力がうらやましくてならぬ。ことに君の金力に至っては、羨ましいのを通り越してうらめしい。その金力の前に、先ず雪江さんの両親がぬかずき、ついで雪江さんも額ずくことを余儀なくされたのだ。……いや、こういう言葉を使うのは如何にも僕が君に対して恐しい敵意を持って居るかのように見えるかもしれぬが、僕は元来意志の弱い人間で、人に敵意を持てないのだ。若し真に敵意を持って居るならば、こうした贈り物はしない筈である。君に対してすこぶる礼を失するかも知れぬが、現になお雪江さんに対して、強い愛着の念を持って居る僕が、雪江さんの良人となる君に、どうして敵意をさしはさむことが出来よう。僕は、この手紙を書きながらもやはり君たち二人の真の幸福について考えつゝあるのだ。
 半ヶ年前に、失恋の痛手を負った僕は、その後世間の交渉を絶って、研究室に閉じこもり、ひたすら生理学的研究に従事した。それからというものは、研究そのものが僕の生命であり、又恋人であった。時には、雨の日の前に古い肋膜炎の跡が痛み出すように、心の古傷も
うずき出すことがあったが、何事も過去のことゝ諦めて、研究に邁進し、やっと近頃悲しい記憶を下積にすることが出来、君たちの結婚の日取までうっかり忘れるところであったが、先日はからずも、ある人から、君がいよいよ明日結婚するという手紙を貰い、それがため、下積みにされた記憶が、非常ないきおいうかみ上り、遂に今回の贈り物を計画するに至ったのである。
 君は実業家であるから、科学者なるものがどんな生活を営み、どんなことを考え、どんな研究を行って居るかということを恐らくは知るまいと思う。外見上では、科学者の生活はいかにも冷たいものであり、又その研究事項はいかにも殺風景極まるものであるが、真の科学者は常に人類同胞を念頭に置き、人類に対する至上の愛を以て活動しつゝあるのであって、従って、真の科学者には――
似而非えせ科学者はいざ知らず……恐らく、誰よりも温かい血が流れて居るべき筈である。実際誰よりも温い血が流れて居なくては真の科学者たることは出来ないのだ。
 さて僕が、失恋の痛苦を味ってから選んだ研究題目は何であるかというに、君よ、笑うなかれ、心臓の生理学的研究だ。然し僕は、ブロークン・ハートに
ちなんで、この題目を選んだ訳では決して無い。それほどの茶気は僕には無いのだ。破れた心臓の修理を行うために、先ず心臓の研究に取りかゝったと言えばすこぶる小説的であるが、僕はたゞ、学生時代から心臓の機能に非常に興味を持って居たから、好きな題目を選んだのに過ぎない。ところがこの偶然選んだ研究題目がはからずも役に立って、君の一生に最も目出度かるべき儀式に、恋愛曲線を贈り得るに至ったのである。
 恋愛曲線! これから
いよいよ恋愛曲線の説明に移ろうと思うが、その前に一言、心臓が普通どんな方法で研究されて居るかを述べて置かねばならない。心臓の機能を完全に知るためには、心臓を体外へ切り出して検査するのが最もよい方法である。心臓は、たといこれを体外へ切り出しても、適当な条件を与うれば、平気で搏動を続けるものだ。単に下等な動物の心臓ばかりでなく、一般温血動物から人間に至るまで、その心臓は身体を離れても独立に、拡張、収縮の二運動を繰り返すのだ。心臓を切り出せばその個体は死ぬ、個体は死んでも心臓は動き続ける! 何と不思議な現象ではないか。試みに今、君の心臓を取り出してたせて見たら、どんな状態ありさまだろうか、又、試みに今、雪江さんの心臓を切り出して搏たせて見たら、どんな状態だろうか。更に君の心臓と雪江さんの心臓とを並べ搏たせたならば、どんな現象が見らるゝだろうか。君! 手足や胴体をそなえた人間には兎角とかく偽りが多いが心臓は文字通り赤裸々だから、たれはゞからぬ搏ち方をするにちがいない、結婚を目の前に控えた君たちの心臓を思って、このような愚にもつかぬ想像をめぐらせながら、僕は今、この手紙を書きつゝあるのだ。
 思わずも記述がわき道へはいったが、動物は勿論人間の心臓も、その個体が死んだ後でさえ、これを切り出して適当な条件の下に置けば再び動き出すものだ。クリアブコという人は、死後二十時間を経た人間の死体から、心臓を切り出して、これを動かして見たところが約一時間、たしかに動き続けたということだ。人間が死んでも、心臓だけが、二十時間も余計に生きて居るということは
見様みようによって、如何に心臓が生に対する執着の強いものだかということを知るに足ろう。むかしの人が恋愛のシムボルとしてハートを選んだのも、偶然でないような気がする。だから、考え様によっては、心臓にこそ、人生のあらゆる神秘が蔵せられて居るといってよいかも知れない。かくて、人生の神秘を探ろうと思った僕が、心臓を研究の対象としたのも、故無きに非ずと言えるだろう。
 恋愛曲線の由来を語るには、如何にして心臓を切り出し、如何なる方法で心臓を搏たせるかということをも一応述べて置かねばならぬ。君の多忙であるということは重々御察しするが、手紙を書きつつある僕も、この手紙を書き終ると共に恋愛曲線を製造しなければならぬから、可なり心が
くのだ。然し、僕は繰返して言うとおり、君に十分理解してほしく、出来るなら、君の心臓の表面に、この手紙の文句を刻みつけたいと思うほどだから、暫らく我慢して読んでくれたまえ。
 始め僕は蛙の心臓を切り出して研究したけれども、医学は言う迄もなく人間を対象とする学問であるから、なるべく人間に近い動物を選びたいと思い、後には主として、兎の心臓について研究を進めた。然し、蛙の心臓よりも、兎の心臓の方が、その取り扱い方は遙に複雑であるから、可なり熟練を要する仕事であり、はじめは助手を要するほどであったが、後には一人で何事も出来るようになった。先ず兎を、
家兎かと固定器に仰向けにしばりつけてエーテル麻酔をかける。兎が十分麻酔した時機を見はからって、メスと鋏とを以て、胸壁の心臓部を出来るだけ広く切り取り、然る後心臓嚢を切り開くと、そこに、盛んに活動しつゝある心臓があらわれる。胸中深くひそめられた心臓は、外気にさらされても、何喰わぬ顔して動き続けて居る。君! 全く心臓は曲物くせものだよ。「ハートはままにされない」と誰かゞ言ったが、全くその通りだ。愈よ心臓があらわれると、今度はそれを切り取るのだが、そのまゝメスをあてゝは出血のために手術が出来なくなるから、大静脈、大動脈、肺静脈、肺動脈等の大血管をこと/″\く糸をもってしばり、然る後にメスを以てそれ等の大血管を切り離すのだ。
 切り出した心臓は、すぐさま、一旦摂氏三十七度内外に温めたロック氏液を盛った皿の中に入れるのだ。栗の実ほどの大きさをした兎の心臓は、さすがにぐったりして一時搏動を中止する。そこで、手早く、肺動脈と肺静脈の切り口をしばり、大動脈と大静脈の切り口にガラス管を結びつけ、更に取り出して特別に設けられた一尺立方ほどの箱の中の、適当な場所にガラス管を結びつけ、摂氏三十七度に温めたロック氏液を通ずると、心臓はみごとに搏ち出すのだ。このロック氏液というのは一プロセントの
塩化えんかナトリウム、〇・二プロセントの塩化カルシウム、〇・二プロセントの塩化カリウム、〇・一プロセントの重炭酸ナトリウムの水溶液であって、ほゞ血液中の塩類成分の量に一致して居るから、心臓は血液を送りこまれて居ると同じ状態になって、その搏動を続けるのだ。然し、たゞこの液を通ずるだけでは、心臓も遂には疲れて来る。いかに生に執着の強い心臓でも、外からエネルギーを仰がなければ、動き続けることは出来ない。卑近な言葉で言えば、食物が欠乏しては動けない。そこで通常この液の中へ、エネルギーのもと即ち心臓の食物として、少量の血清アルブミンか又は葡萄糖を加えると、心臓は長い間搏動を続けるのである。一番よいのは、ロック氏液の代りに血液を通過せしめることであるが、通常の実験にはロック氏液だけで十分だ。なお心臓を自由に活動せしめるには酸素を必要とするから、通常ロック氏液に酸素を含ませて通過せしめるのだ。
 心臓を働かせる箱の中の空気の温度も、やはり摂氏三十七度内外にしてある。そうしてロック氏液は箱の上から流すようになって居り、心臓を通過した液は箱の下へ落ち去るようになって居る。箱の中で、心臓だけが働いて居る光景は、到底君には想像も及ばぬ程、厳粛な感じを与えるものだ。切出された心臓は立派な一個の生物だ。薔薇のような紅い地色に黄の小菊の花弁を散らしたような肉体を持つ魔性の生物は、渚に泳ぎ寄る
水母くらげのように、収縮と拡張の二運動を律動的に繰返すのだ。又、じっとその運動を眺めて居ると、心臓はあたかも自分の自由意志をもって動いて居るかのように思われる。ある時はその心臓に小さな目鼻が出来て、母体から切り離されたことを恨んで居るかのように見え、ある時は又浮世の空気に触れたことを喜ぶかのように見え、更にある時は、心臓だけを切り出して生物本来の心臓機能を研究しようとする科学者の愚を笑って居るかのようにも見える、然し、これはただ僕の幻覚に過ぎぬのであって、元来心臓は体内にあっても体外に切り出されても、その全力を尽して働くもので all or nothing(かいしからずんば)の法則が厳然として行われつゝあるのだ。即ち心臓は、一旦働らこうと決心したならば全力を尽して働くのだ。いわば心臓ほど忠実な働き工合をするのは、めったに見られないのだ。この点がまた、恋愛のシムボルたるに最も適して居ると僕は思う。即ち、どんな刺戟が来ても、刺戟の多寡によって搏ち方をちがえるということをせず、搏つならば全力を尽して搏ち、搏たぬ時は決して搏たぬという心臓の性質は、ちょうど金力やその他の外力にはびくともせぬ真の恋愛の性質に比較すべきであろうと思う。真に恋する同志には、たといどんな障碍物がその間によこたわってろうとも、かのラジオの電波が通うように、その心臓の搏動の波は互に通い合うと思う。実際、君は知って居るかどうかは知らぬが、心臓は、動く度毎に電気を発生するもので、その電気を研究するために、電気心働計なるものが考案されて居る。そうしてこの電気心働計こそは僕の所謂恋愛曲線の製造元なのだ。
 だが、電気心働計の説明にうつる前に、以上の如く切り出した心臓の運動を、如何にして分析し研究するかということを語って置かねばならない。たゞ肉眼で観察したゞけでは、精確な比較研究をすることが出来ぬから、どうしてもその運動を適当に記録しなければならない。その運動を記録したものが即ち「曲線」なのだ。従って恋愛曲線なる語は、恋愛運動の記録ということを意味するのだ。君は、地震が地震計によって曲線として記録されることを聞いたであろう。今、
すゝを塗った紙を円筒に巻きつけて、それを規則的に廻転せしめ、運動する物体から突出した細い挺子てこの先をその紙に触れしめると、その物体の運動するに従って、特殊な曲線が白くあらわれる。心臓の運動もこれと同じ方法によって煤紙に書かせることが出来るのであるけれど、僕は特に心臓の発生する電気に興味を持ったので、主として前記の電気心働計を使って、研究の歩を進めたのだ。
 すべて筋肉が運動する際には、必ず多少の電気が発生する。所謂動物電気なるものがこれであるが心臓も筋肉で出来た臓器であるから搏動ごとに電気が発生する訳だ。そうしてその電気の発生の有様を、曲線であらわそうとする器械が電気心働計なるものだ。この器械を最初に発明した人はオランダのアイントーウェンという人だ。曲線といっても、前に述べたような簡単なものではなく、その原理は
いさゝか複雑である。心臓から出る電気を一定の方法によって導き、それを蜘蛛の糸よりも細い、白金プラチナ鍍金めっきした石英糸に通過せしめ、糸の両側に電磁石を置くと、糸を通過する電流の多寡によって、その糸が左右に振れるから、その糸をアーク燈で照すと、糸の影が左右に大きく振れ、それを細い隙間をとおして、写真用の感光紙に直接感ぜしめ、然る後現像すれば、心臓の電気の消長を示す曲線が、白くあらわれる訳である。感光紙は活動写真のフィルムのように巻きつけて具えられてあるから、二十分、三十分間の心臓運動の模様も、自由に連続的に曲線としてあらわすことが出来るのである。僕が君に送らんとする恋愛曲線も、この感光紙にあらわれた曲線に外ならない。
 さて、僕は先ず、僕の研究の準備として、切り出した心臓について、諸種の薬物の作用を研究したのだ。即ち、最初にロック氏液を心臓に通じて、常態の曲線を写真に撮り、然る後試験しようと思う薬品をロック氏液に混じて通じ、そのときに起る心臓の変化を曲線として撮影するのである。肉眼で見て居るだけでは、あまり変化がないようであるけれども、曲線を比較して見ると、明かな変化を認め、それによって、その薬物が心臓に如何なる風に作用したかを知ることが出来るのだ。ジギタリス剤、アトロピン、ムスカリン等の猛毒からアドレナリン、カンフル、カフェイン等の薬剤に至るまで心臓に作用する毒物薬物の殆どすべてにわたって、僕は一々の曲線を作り上げたのだ。然し、これだけのことは、別に新らしい研究ではなく、すでに多くの人によって試みられた所であって、要するに僕の本研究の対照試験に過ぎなかった。
 然らば僕の本研究は何物であるかというに、一口にいえば、各種の情緒と心臓機能との関係だ。即ち俗にいう喜怒哀楽の諸情が発現したとき、心臓はその電気発生の状態に如何なる変化を来すかということだ。誰しも経験するとおり、驚いた時や怒ったときには、心臓の鼓動が変化する。僕はそれを切り出した心臓について、
所謂いわゆる客観的に観察したいと思ったのだ。恐怖の際に血中にアドレナリンが増加するという事実は既に他の学者の認めたところであるから、恐怖の際の血液を、切り出した心臓に通じたならば、アドレナリンを通じたときと、同じ変化が曲線の上にあらわれるべき筈だ。この事実から類推するときは、恐怖以外の他の諸情緒の際にも、血液に何等かの変化があるべき筈で、従って、動物に喜怒哀楽の諸情を起さしめ、その時の血液を、切り出した心臓に通じて、電気心働計によって曲線を撮ったならば、各種の情緒発現の際、血液中にどういう性質の物質があらわれるかを推定することが出来る訳である。
 然し、このような研究には、言う迄もなく幾多の困難が伴うものだ。理想的に言えば、心臓を切り出した同じ動物を怒らせたり、苦しませたりして、その血液を通じなくてはならぬが、それは出来ない相談だ。で、致し方がないから、甲の兎の心臓、乙の兎の種々の情緒発現時に於ける血液を採って、それを通じて研究することにした。次になお一層困難なことは、兎を怒らせたり、悲しませたりすることだ。兎は元来無表情に見える動物であるから、その顔付から、喜怒哀楽の情を認めることは出来ず、従って、怒らせたつもりでも兎は案外怒っても居らず、又楽しませたつもりでも、兎は案外楽しんで居らぬかも知れぬのには、はたと当惑せざるを得なかった。
 そこで、僕は兎の実験を中止して、犬について
って見ることにした。即ち甲の犬の心臓を切り出して、然る後乙の犬を怒らせ又は楽しませて、その血液を採って通過せしめたのだ。それによって曲線を作ることは出来たけれど、やっぱり、理想的ではないのだ。というのは、折角犬を楽しませてもいざ血を採るとなると大いにいかるので、結局怒りの曲線に近いものが出来、それかといって犬を麻酔せしむれば、無情緒の曲線しか取れない訳で、たゞ憤怒ふんぬの際、又は恐怖の際の曲線だけが比較的理想に近いものとなった訳である。
 こういう訳であるから、諸種の情緒発現の際の血液が心臓に及ぼす影響を理想的に曲線に描かしめるためには、人間について実験するより外はないのである。人間ならば、怒った時の血液、悲しい時の血液、嬉しい時の血液が比較的容易に採取し得られるからだ。さり
ながら、人間の実験で困ることは人間の心臓が容易に手にり難いことだ。死んだ人の心臓でも滅多めったに手に入り難いのであるから、いわんや生きた人の心臓をやだ。で、むを得ないから僕は兎の心臓で実験することにした。又、血液の点に就て言っても、誰も喜んで血液を提供してくれるものはないから、僕は自分自身の血液で実験することにした。即ち僕は、色々な小説を読んで或は悲しみ、或はいきどおり、或は嬉しい思いをして、その度毎に注射しんをもって、左の腕の静脈から五グラムずつの血液を取って、実験をしたのだ。兎の場合でも犬の場合でもそうだが、すべて血液を採るときは、凝固を防ぐために、注射針の中へ、一定量の蓚酸しゅうさんナトリームを入れて置くのだ。
 かくて得た曲線を研究して見ると、嬉しい時、悲しい時、苦しい時などによって、その曲線に明かに差異が認められた。恐怖の時の曲線は、やはりアドレナリンを流した時の曲線に類似し、快楽の時の曲線はモルヒネを流した時の曲線に類似して居たが、それはたゞ類似して居るというに過ぎないのであって、微細な点に至っては、それ/″\特殊な差異が認められるのであった。そうして、後に、僕は練習によって、どれが恐怖の曲線か、どれが愉快の曲線か、どれがアドレナリンの曲線か、どれがモルヒネの曲線かということを、曲線を見たゞけで区別することが出来るようになった。なお又、この曲線は兎の心臓を用いても、犬の心臓を用いても、又新たに羊の心臓を用いても、同じような変化を来すものであることを経験したのである。
 然し君、学問研究に従事するものは、誰しも研究上の欲が深くなるもので、兎と犬と羊とについて同じような結果が出たならば、それで満足すべきであるのに、僕は一歩進んで何とかして人間の心臓について実験を試みたいと思うようになったのだ。前に書いたとおり、人間の心臓は、死後二十時間を経ても、なお且つ搏動せしめることが出来るから、せめて死体の心臓でもよいから手に入れたいものだと、病理解剖の教室や、臨床科の教室の人に頼んで置いたのである。
 するとこゝに、運よくも、ある女の心臓を一個手に入れることが出来た。その女は十九歳の結核患者であった。彼女は、恋する男に捨てられて、絶望のあまり健康を害し、内科に入院して不帰の客となったのだが、生前彼女の口癖のように、「私の心臓にはきっと大きなひびが入って居ます。どうか、死んだら、くれ/″\も心臓を解剖して医学の参考にして下さい」と言ったそうだ。ちょうど僕の友人がその受持だったので、彼女の遺言に従って、僕がその心臓を貰ったのだ。
 いま迄、兎や犬や羊の心臓を切り出すことに馴れて居た僕も、たとい死体であるとはいえ、その女の蝋のように冷たく
かつ白い皮膚に手を触れてメスをあてた時は、一種異様の戦慄が、指先の神経から全身の神経に伝播でんぱんした。然し、薄い脂肪の層、いやに紅い筋肉層、肋骨と、順次に切り進んで胸廓きょうかくを開き、心嚢しんのうを破って心臓を出した時分には、僕はやはりいつもの冷静に立ち帰って居た。もとより彼女の心臓にひゞは入って居なかったけれども、心臓は著しく痩せて居た。これ迄、動物の生きた心臓のみを目撃して来た僕にとっては、はじめ、心臓らしい気さえ起らなかった。死後十五時間を経て居たが、異様にひやりとしたので、僕は切り出した心臓を手につかんだまゝ暫らくぼんやりした。はっと我に返って、暖かいロック氏液の中へ入れてよく洗い、次で箱の中へ装置して、ロック氏液を流すと、はじめ心臓はあたかも眠って居るかのようであったが、暫くしてぱくり/\と動き出し、間もなく、威勢よく搏ち出した。予期したことではあるが、僕にはその女が蘇生したように思われ、何ともいえぬ荘厳な感に打たれて、僕はいつの間にか実験ということを忘れて、その微妙な運動を見つめた。そうして、その心臓の持主について考えた。失恋! 何という悲しい運命であろう。僕はその時、人ごとならず思ったよ。僕も同じく失恋の苦しみを味う人間ではないか。かつてこの持主の生きて居た時分この心臓はいかにはげしく、又、いかに悲しく搏ったことであろう。その古い、苦しい記憶も、今はロック氏液によって洗い去られたと見え、何のこだわりもなく収縮、拡張の二運動を繰返して居る。恐らく彼女の失恋以後、一日として、この心臓は平静な搏ち方をしなかったであろう。搏て! 搏て! ロック氏液はいくらでもあるから、搏って、搏って搏ちつくすがよい。
 ふと、気がついて見ると、心臓は著しくその力を弱めた。無理もない。搏ちかけてから
およそ一時間を経て居たのだ。思わぬ空想に時を費して、情緒研究を忘れて居た僕は、科学者としての冷静を失ったことを恥じつゝ、折角貴重な材料を得ながら、これを無駄にするのは勿体ないと考えた。そうして、咄嗟とっさの間に思いついたのが、失恋の情緒の研究だ。失恋をした人の心臓へ、失恋をした僕の血液を通じて曲線をとったならば、それこそ理想的な失恋曲線が得られるのではないか。
 僕は手早く、例によって、左の腕より血液を取り、それをこの心臓の中へ流しこんで、電気心働計を働かせた。だん/\弱って来た心臓は、僕の血液に触れるなり、急に
いきおいを増して、およそ三十回ほどはげしく搏動したが、又たちまち力を弱めて、今度はぱったりやんでしまった。即ち、心臓は死んだのである。永久に死んだのである。でも、曲線だけは、鮮かに現像され、分析研究して見たところ、悲哀とも、苦痛とも、憤怒とも、恐怖とも、どれにも類しない。又、どれにも類して居るような性質を持って居た。
 さて、失恋曲線を作った僕は、失恋の反対の情緒たる恋愛曲線を得たいものだと思うに至った。
けだし、くことを知らぬ科学者の欲望である。然し、かつては恋愛を感じても、今は失恋をしか感じない僕が、どうして恋愛曲線を作ることが出来よう。これは及びもつかぬことである。こう考えて諦めようとすればする程、いよいよ作って見たくて仕様がなくなった。そうして、後にはこれが一種の強迫観念になってしまった。といって、君に対してはなはだ失礼な言葉ではあるが、君とはちがって雪江さん以外に、何人にも恋を感じなかった僕が、今更いまさら、誰に真実の恋を感ずることが出来よう。実際、僕は、真実の恋を雪江さん以外の人には感じ得ないのだ。して見れば、到底恋愛曲線は得られない訳だ。と思っても、やはり一旦強迫観念となったものは容易に去らない。で、致し方がないから、失恋を転じて恋愛となすべき方法はないものかと、僕はしきりにかんがえをめぐらしたよ。そうして、考えて、考えて、僕は一時発狂するかと思うほど考えたのである。
 ところが、はからずも、先日、ある人から、君と雪江さんとが、
いよいよ結婚するという通知を受取ったのである。すると、あたかも焼けぐいに火のついたように、失恋の悲しみは、僕の体内で猛然として燃え出した。いわば、僕は失恋の絶頂に達したのである。と、その時、僕はこの絶頂に達した失恋をそのまま応用して、恋愛曲線を書くことが出来るという信念を得たのである。
 君は数学で、マイナスとマイナスとを乗ずるとプラスになるということを習ったであろう。僕はこの原理を応用して、失恋を恋愛に変えようと思ったのだ。即ち、失恋の絶頂に達した僕の血液を、失恋の絶頂に達した女の心臓に通過せしめたならば、その時に描いた曲線こそは、恋愛の極致をあらわすものだと僕は考えたのだ。こういうと君は、失恋の絶頂に達した女を
何処どこから連れて来るかと訊ねるであろう。然し、その心配は無用である。何となれば、僕が以上の如き原理を考え出したのも、実は失恋の絶頂に達した女を見つけたが為であって、その女こそは、外ならぬ、君と雪江さんとの結婚を知らせて来た手紙の主なのである。
 君は定めし思い当ることがあるであろう。その手紙の主こそ、君の結婚によって、失恋の極致に達したのだ。君は多くの女を愛したことがあるから、女の気持も多少わかって居るだろうが、その女も僕が雪江さん一人を思って居るように、一人の男にしか真実の恋を感じないので、君たちの結婚によって失恋の絶頂に達したのだ。同じく君たちの結婚によって失恋を感じた僕とその女とが一つの曲線を作り上げたら、それこそ、前に述べた原理によって、まさしく恋愛曲線ではなかろうか。
しかも、その女は絶望のあまり死のうとして居るのだ。君よ、死にまさる強さが世にあろうか。僕はその女の決心をきいて僕の失恋の度のむしろ弱かったことを恥じた。僕はその女のために非常に勇気づけられた。そうして今夜その女に直接逢って、彼女の決心をきゝ、僕の胸中を述べると女は、喜んで死にくから、是非、心臓を切り出して、僕の血液をとおし、出来た曲線を記念として君の許に送ってくれといってやまない。そこで僕も決心して、いよいよ恋愛曲線の製造に取かゝろうとしたのだ。
 君! 僕は今この手紙を、研究室の電気心働計の側に置かれた机の上で
したゝめつゝあるのだ。まさか生理学研究室で、深夜恋愛曲線の製造が行われようと思うものはあるまいから、誰にも妨げられずに計画を遂行することが出来るのだ。夜は森閑として更けて行く。実験用に飼ってある犬が、庭の一隅で先刻さっき二声三声吠えた後は、冬近い夜の風が、研究室のガラス窓にかすかな音を立てゝ居るだけだ。僕に心臓を提供した女は、今、僕の足許に深い眠に陥って居る。先刻さっき、僕が恋愛曲線製造の順序と計画を語り終ると、彼女は喜び勇んで、多量のモルヒネをんだのだ。彼女は再び生き返らない。彼女がモルヒネをむなり、僕はロック氏液の加温を始め、電気心働計の用意を終り、それから、この手紙を書きにかゝったのだ。モルヒネをんでから、彼女はうれしそうに、僕の準備する姿を見て居たが、この手紙を書きにかゝる頃、遂に眠りに陥ちた。何という美しい死に方だろう。今彼女は軽い息をして居るが、もう二度と彼女の声を聞くことが出来ぬかと思うと、手紙書く手がしきりに顫える。僕は定めし、取りとめのないことを書いたであろうが、今それを読み返して居る暇がない。僕はこれから、彼女の心臓を切り出さねばならないから。

 四十分かゝった。やっと今彼女の心臓を切り出して箱の中に結びつけ、ロック氏液をとおしつゝあるのだ。手術の際、彼女の心臓はなお搏動を続けて居た。これは彼女の生前の希望に従ったのである。彼女は恋愛曲線を完全ならしめるために、心臓のまだ動いて居るときに切り出してくれと希望したのだ。メスを当てるとき、若しや彼女が、眼を覚しはしないかと思ったが、心臓を切り出されるまで、彼女は安らかな眠りを続けて居た。いまもまだ軽く息をして居るのではないかと思われる程だ。電燈の光に照された彼女の死の姿は、たゞ/\美しいというより外はない。
 心臓は今、さも/\快げに動いて居る。早く僕の血を通してくれといわんばかりに動いて居る。さあ、
いよいよこれから、僕の血液を採る順序であるが、恋愛曲線を完成させたいのと彼女の悲壮な希望を満足させるために、僕も、いまかつて試みなかった血液流通法を試みようと思うのだ。今までは注射しんを以て左の腕の静脈から血を採って居たが、今回だけは、僕の左の橈骨とうこつ動脈にガラス管をさしこみ、そのまゝゴムかんでつないで、僕の動脈から、僕の血液が直接彼女の心臓の中に流れこむようにしようと思うのだ。彼女が生きた心臓を提供してくれた厚意に対しこれだけのことをするのはあたりまえのことだ。なお又、恋愛曲線を完成するためにも必要なことだ。

二十分かゝった。
やっと、僕の動脈血を彼女の心臓の中に送りこむことが出来た。血液は威勢よく走り出るので、少しも凝固を起さず、実験は
間然かんぜんするところが無い。心臓は勇ましく躍る。その躍る姿を眺めて居ると、左手に少しの痛みをも覚えない。左手の傷から少しずつ血がにじむ。その血をぬぐうためペンをいて、ガーゼでかねばならぬ。おや、紙を血でよごした。許してくれ。彼女の心臓へぎこまれる血は再び帰って来ない。僕の血液は刻一刻減って行く。頭脳がはっきりして来た。暫らく、ペンを休めて、彼女の心臓を観察し、懐旧のおもいふけろう。

十分間過ぎた。
全身に汗が滲み出た。貧血の為だろう。さあ、これからスイッチを
ひねってアーク燈をつけ、感光紙を廻転せしめよう。僕は居ながらにしてスイッチのひねれるように準備して置いたのだ。電燈がついて居ても曲線製造には差支さしつかえない。

電気心働計が働いて居る。心働計の音以外に、耳に妙な音が聞える。これも貧血の為だ!
曲線は今作られつゝある。君に捧ぐべき恋愛曲線が今作られつゝあるのだ。然し僕は、その曲線を現像することが出来ない。何となれば、僕はこのまゝ僕の全身の血液を注ぎ尽すつもりだから。血液が出尽したとき、僕がたおれると、アーク燈や、写真装置や、室内電燈スイッチが皆
こと/″\く切れるようにしてあるから、間もなく二人の死体は闇に包まれるであろう。

ペンを持つ手が
はなはだしく顫える。眼のさきが暗くなりかけた。で、僕は、最後の勇をふるって、君に最後の一言を呈する。実はこの手紙を書く前に、教室主任と同僚にあてゝ手紙を書いたから、これが僕の最後の遺書となる訳だ。恋愛曲線は、明朝同僚の手で現像されて、君の許に送られるから、永久に保存してくれたまえ。
 君は
最早もはや、僕に心臓を提供した女が何人であるかを推知して居るであろう。僕は今無限の喜びを感じて居る。自分で曲線を見ることこそ出来ぬが、真の恋愛曲線の出来つゝあることを僕はかたく信じて疑わない。僕の血が尽きたときは彼女の心臓は停止するのだ。これが恋愛の極致でなくて何であろう。
......おや、僕の血が少くなったと見え、彼女の心臓は今、まさに停止しようとして居る。君! 君との、愛なき金力結婚を厭い、彼女の真の恋人だった僕のところへ走って来た雪江さんの心臓は今、まさに停止しようとしている……
(〈新青年〉大正十五年一月号発表)





底本:「日本探偵小説全集1 黒岩涙香 小酒井不木 甲賀三郎 集」創元推理文庫、東京創元社
1984(昭和59)年12月21日初版発行

夢野 久作(1889年〈明治22年〉1月4日- 1936年〈昭和11年〉3月11日)

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夢野 久作(ゆめの きゅうさく、1889年〈明治22年〉1月4日[1] - 1936年〈昭和11年〉3月11日)は、日本の小説家。陸軍少尉、禅僧、新聞記者、郵便局長という経歴も持つ。幼名は直樹、出家名は杉山泰道(すぎやまやすみち)、号は萠圓、柳号は三八。

三大奇書の一つ『ドグラ・マグラ』をはじめ、田舎の風土を醸したホラー、怪奇幻想の色濃い作風で名高い。詩や短歌に長け『白髪小僧』中の神話、『猟奇歌』などに代表される。絵もよくし、初期には『九州日報』で童話や今でいう一コマ漫画を描いた。

父は政界の黒幕と呼ばれた玄洋社の杉山茂丸。長男はインド緑化の父と言われる杉山龍丸。三男は詩人の杉山参緑。「夢野久作と杉山三代研究会」の杉山満丸は孫[2][リンク切れ]。

1936年(昭和11年)3月11日脳溢血で死亡、享年47。

生涯
1889年(明治22年)1月4日、杉山茂丸、ホトリ(旧姓: 高橋)夫妻の長男として福岡県福岡市小姓町に生まれる[1]。祖父杉山三郎平から、弘道館記述義、四書五経[3]、謡曲と仕舞[4]を学ぶ[注釈 1]。1892年(明治25年)元黒田藩能楽師範、喜多流の梅津只圓の下、能楽修業に入門。

大名尋常小学校(現福岡市立大名小学校)、尋常高等小学校を卒業。福岡県立中学修猷館(現福岡県立修猷館高等学校)に入学[5]、宗教、文学、音楽、美術に凝り、テニスに夢中になる[3]。

1908年(明治40年)修猷館卒業。同年、茂丸が福岡の祖母と母を東京に呼ぶことを条件に徴兵検査を受け、一年志願兵として近衛歩兵第一聯隊に配属される[3]。

1909年、一年志願兵の訓練を終える。杉山農園創立[5][注釈 2]。

除隊後、文学と絵画・美術への興味から1911年(明治44年)に慶應義塾大学部予科文学科に入学し、歴史を専攻[6]。翌1912年(明治45年)在学中に見習士官としての将校教育を受け、陸軍歩兵少尉に任官[7]。

1913年(大正2年)、文弱を嫌う父茂丸の命により、慶應義塾大学部を中退し、福岡に帰り数名で杉山農園を営むものの失敗に終わったが、後の創作に影響を与えることになる[要出典]。その後、1915年(大正4年)東京市文京区本郷の喜福寺にて出家し「杉山泰道」と改名し、法号を萠圓とする[7]。

1916年、奈良や京都で修行し、吉野山や大台ケ原山に入る。しかし、2年ほどで僧名泰道のまま還俗し、1917年に農園経営に戻る。同年ごろより、父杉山茂丸門下生が創刊した雑誌『黒白』などにエッセイなどを書くようになる[7]。

1918年(大正7年)、鎌田クラ(福岡市荒戸町)と結婚、鎌倉長谷の杉山家で式を挙げる(4月25日、入籍は4月18日)[8]。喜多流教授となる[7]。

1920年、父が社主を務めたこともある九州日報社(現『西日本新聞』)の新聞記者となる[9]。同紙にルポルタージュや童話を掲載するようになる[10]。

1922年「きのこ会議」を『九州日報』に発表[11]。同年、杉山萠圓の筆名で童話『白髪小僧』を誠文堂から刊行した[9]。

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で築地の杉山茂丸の自宅が炎上、九州日報社特派記者として上京、多くのスケッチを残す[9]。1924年3月1日、九州日報社を退社。

1926年(大正15年)、5月11日の日記に「終日精神生理学の原稿を書く」とあるように、『ドグラ・マグラ』の原型となるものの執筆が始まったが構想などはより以前からあったと考えられる。同年3月16日には日本で初めて切絵を使った童話『ルルとミミ』を九州日報夕刊に発表する。さらに同年には九州日報社が経営困難となり、東京で父、頭山満、内田良平らと共に資金集めに奔走した[要出典]。同年5月上浣「あやかしの鼓」を雑誌『新青年』の懸賞に発表して同率二等に入選し、文壇入りを果たす。「夢野久作」の筆名は、息子の作品を読んだ父茂丸が「夢の久作の書いたごたる小説じゃねー」と評したことから、それをそのまま筆名としたものである[13]。「夢の久作」とは昔の博多の方言で「夢想家」のことである。以後、本格的に『新青年』や『ぷろふいる』などの雑誌に投稿するようになり、童話は書かなくなる。

1930年(昭和5年)5月1日に福岡市黒門三等郵便局長を拝命する。

1933年(昭和8年)『新青年』に『氷の涯』を発表。

1934年、「骸骨の黒穂」を『オール讀物』に発表。

構想、執筆に10年以上をかけた代表作『ドグラ・マグラ』が、1935年(昭和10年)1月に松柏館書店から刊行され、出版記念会が東京(1月26日)と福岡(5月4日)で催された。同年7月19日、父杉山茂丸が脳溢血のため、東京麹町三年町の自宅で死去[注釈 4]。

翌1936年3月11日朝、渋谷区南平台町の自宅で死去[17][注釈 5]。

死後は父と同じ墓、福岡市の一行寺に葬られ、久作自身が生前刻んだ墓標がある。戒名は悟真院吟園泰道居士。

なお、代表作『ドグラ・マグラ』は、1988年(昭和63年)、桂枝雀主演で映画化された。

少年探偵団員『怪人二十面相』

少年探偵団の誕生
シリーズ第一作目『怪人二十面相』において、怪人二十面相は資産家である羽柴壮太郎の所有するロマノフ王朝の宝冠についていたダイヤを狙っていた。少年探偵団の結成を提案したのは、この羽柴家の次男羽柴壮二である。『怪人二十面相』の終盤で、名探偵明智小五郎が怪人二十面相にさらわれてしまう。明智がさらわれてから三日目、明智の弟子である小林芳雄少年が不安な気持ちで明智の帰りを待っていると、そこに羽柴少年が現われる。そして羽柴少年は明智を救うため、少年だけからなる探偵団『少年探偵団』を結成する。

少年探偵団の団員
結成時は 10 人だった少年探偵団の団員も、後の『少年探偵』のころには、約二倍の23人に膨れ上がっている。少年探偵団の提案者である羽柴壮二少年は、『少年探偵団』に再度出て以降現われていない。シリーズ中、団長の小林少年以外でよく登場する団員は井上一郎少年と野呂一平少年(ノロちゃん)である。活発な少年で力も強い「井上君」と、小さくて臆病な性格の「ノロちゃん」の対比が際立つ。また井上君やノロちゃんは『天空の魔人』で大活躍をする。

主な団員
小林芳雄
大友久
花崎マユミ
羽柴壮二
桂正一
篠崎始
野呂一平
井上一郎
ポケット小僧
小林少年
少年探偵団の団長。本名は小林芳雄。『吸血鬼』で明智小五郎の弟子として初登場。作中ではすでに弟子となっており、出会ったいきさつは不明。当初は顔見せ程度であったが、雑誌「少年倶楽部」に江戸川乱歩が少年向け探偵小説を掲載することになり、その際に少年探偵団の団長とした。このことで一躍有名になり、明智小五郎と小林芳雄のコンビで親しまれている。そして、少年探偵団では、団長として大活躍をした。

作中で小林少年は11~13歳の少年として設定されているが、活躍する時代は満州事変(1931年~)のころから、東京タワー落成(1958年)以降まで幅広い。初期は「りんごのような顔の少年」、後期は「中学生の団長」と僅かに成長していることが描かれている。

実家は新聞販売店だが、両親は他界している。また小林少年には少なくとも二人従兄弟がいる。

子供ではあるが、明智から拳銃の撃ち方を習っており、自動車の運転まで行う。

その最も有名な特技は変装術、特に女装であって、二十面相やその部下たちを尾行するために繰り返し用いた。

乱歩は作中人物の名前を自分の知り合いから取ることが多かったため、乱歩の親戚に当たる松村喜雄は、小林少年の「芳雄」という名前の由来が自分ではないかという想像を楽しんだという(『乱歩おじさん』より)。実際小林少年初登場時、松村は小林少年と同世代であるが、松村は真偽を乱歩に確認しなかったので、事実かどうかは分からない(同書)。なお『二銭銅貨』や『一枚の切符』には「松村」という人物が登場している。

戦後も年を取らないため憶測をよんでいる。北村想の『続・怪人二十面相・伝』では戦後二代目明智小五郎となった小林芳雄が浮浪児を小林家の養子にして芳雄と名乗らせた。平山雄一の『明智小五郎回顧談』では初代小林少年は一寸法師に登場した明智小五郎の友人小林紋三の息子。戦後の二代目はその従弟。三代目は二代目の弟。

花崎マユミ
「少年」探偵団という名前ではあるが、女性の団員もいる。『妖人ゴング』で、明智の姪である花崎はなざきマユミが初の女性団員として加わった。マユミは世田谷にある三千平方メートルの大豪邸に住んでいる。父の花崎俊夫は検事で、昔法廷で二十面相を手ひどい目にあわせたことがある(このため『妖人ゴング』で二十面相から仕返しを受ける)。兄弟には弟の俊一がいる。

マユミは「小さいときから探偵がすきだった」ので高校卒業後、大学へ進学せず、明智のところで住み込みで働くことにした。多少法医学の知識もある。

マユミに関する乱歩の記述には幾つか矛盾点がある。まず『妖人ゴング』ではマユミは「高校卒業後」明智の事務所に住み込むことになったはずなのに、『夜光人間』によると、住み込むようになって一年後に17歳になったとある。また、彼女は明智の姪にあたるはずだが、『魔術師』によると明智の妻文代には姉妹がいない。

推理作家芦辺拓は、自身のパスティーシュの中で、「花崎マユミ」は小林少年の女装だったのではないかという説を提示している。

チンピラ別働隊
少年探偵団の団員たちは普通の少年であるため、その活動は余暇を利用してのみに限られ、夜間帯・危険な活動は不可能。この不都合を補うため、小林少年が、彼を“兄貴”と慕う、上野公園に寝泊りする浮浪児たちを糾合して結成したのがチンピラ別働隊である。隊名は“浮浪児を仲間にすると、良家の坊ちゃんの集まりである探偵団員たちから不興を買う”という理由から、別の機関にしておく必要があったため(『青銅の魔人』より)

“「チンピラ」などという名前は嫌だ”という者もいたが、小林少年が“シャーロック・ホームズが「パン屋通りのごろつき隊」というのを、やはりキミらと同様な者を纏めて作っている、だから誇りを持て”と説得して納得させた。

よく登場する団員は、曲芸団出身で潜入任務を得意とするポケット小僧(本名不明)。『怪人と少年探偵』の記述では小学五年生ぐらい。チンピラ別働隊の活動は小林少年を介したものばかりで、少年探偵団の団員とのつながりは弱い。中には浮浪児という経済的弱みにつけこまれ、二十面相から賄賂を受け取り嘘の証言をでっち上げ、小林少年から激しく非難される団員もいた。始めは20人以上いたが、社会の安定とともに人数は減り、『妖人ゴング』のころには5人となった。

七つ道具とBDバッジ
少年探偵団の団員はBDバッジという鉛製の団員徽章の他、七つ道具を持っているが七つ道具として何を持っているのかは作品によって異なる。『怪人二十面相』によれば少年探偵団の団員は、万年筆型懐中電灯、「のこぎり、はさみ、きりなどさまざまな刃物類がおりたたみになっている」小型の万能ナイフ、「じょうぶな絹ひもでつくった」縄梯子、万年筆型望遠鏡、時計、磁石、小型の手帳と鉛筆、小型ピストル(レミントン・デリンジャー若しくはコルト・ベスト・ポケット)の七つを携帯している。

この他『鉄塔の怪人』では小型写真機、指紋を調べる道具、万能鍵たば(どんな錠でも合う鍵が1本必ず含まれている)をあげている。他にも呼子笛、黒い糸(小穴を空けたブリキ缶にコールタールを入れたもの。犬を使った追跡に使える。明智が『人間豹』で発明)がある。また小林少年専用の道具として「どんなかぎ穴にも当てはまる針金」、手品師の使う魔法の杖、伝書鳩の「ピッポちゃん」などがある。

作品リスト

怪人二十面相(『少年倶楽部』1936年1月 - 12月)
少年探偵団(『少年倶楽部』1937年1月 - 12月)
妖怪博士(『少年倶楽部』1938年1月 - 12月)
大金塊(『少年倶楽部』1939年1月 - 1940年2月)
青銅の魔人(『少年』1949年1月 - 12月)
虎の牙 (『少年』1950年1月 - 12月) *別題『地底の魔術王』
透明怪人(『少年』1951年1月 - 12月)
怪奇四十面相(『少年』1952年1月 - 12月)
宇宙怪人(『少年』1953年1月 - 12月)
鉄塔の怪人(『少年』1954年1月 - 12月) *別題『鉄塔王国の恐怖』
黄金の虎(『読売新聞』1955年1月 - 12月) *『探偵少年』改題
灰色の巨人(『少年クラブ』1955年1月 - 12月)
海底の魔術師(『少年』1955年1月 - 12月)
黄金豹(『少年クラブ』1956年1月 - 12月)
魔法博士(『少年』1956年1月 - 12月)
天空の魔人(『少年クラブ増刊』1956年1月15日)
サーカスの怪人(『少年クラブ』1957年1月 - 12月)
妖人ゴング(『少年』1957年1月 - 12月) *別題『魔人ゴング』
魔法人形(『少女クラブ』1957年1月 - 12月) *別題『悪魔人形』
まほうやしき(『たのしい三年生』1957年1月 - 3月) ☆
赤いかぶとむし(『たのしい三年生』1957年4月 - 1958年3月) ☆
奇面城の秘密(『少年クラブ』1958年1月 - 12月)
夜光人間(『少年』1958年1月 - 12月)
塔上の奇術師(『少女クラブ』1958年1月 - 12月)
鉄人Q(『小学四年生』1958年4月 - 1959年3月、『小学五年生』1959年4月 - 1960年3月)
ふしぎな人(『たのしい二年生』1958年8月 - 1959年3月) → 名たんていと二十めんそう(『たのしい三年生』1959年4月 - 12月) *連載途中で改題 ☆
仮面の恐怖王(『少年』1959年1月 - 12月)
かいじん二十めんそう(『たのしい二年生』1959年10月 - 1960年3月) ☆
かいじん二十めんそう(『たのしい一年生』1959年11月 - 1960年3月、『たのしい二年生』1960年4月 - 12月) *上記とは別作品 ☆
電人M(『少年』1960年1月 - 12月)
おれは二十面相だ!!(『小学六年生』1960年4月 - 1961年3月) *別題『二十面相の呪い』
怪人と少年探偵(『こども家の光』1960年9月 - 1961年9月) *総集編的作品 ☆
妖星人R(『少年』1961年1月 - 12月) - 別題『空飛ぶ二十面相』
超人ニコラ(『少年』1962年1月 - 12月) *別題『黄金の怪獣』

【Wikipedia】

「金魚」 鈴木三重吉(岩波書店)

金魚

鈴木三重吉




 町に金魚を賣る五月の、かうした青い長雨ながあめの頃になると、しみ/″\おふさのことが思ひ出される。今日も外にはしと/\と蜘蛛の糸のやうな小雨が降る。金魚の色ばかりを思ひ浮べても物淋しい。おふさを思へばうら悲しい。
 二人はあの青山の裏町の、下二たと二階一と間だけの小さいうちに住んでゐた。
 はじめて世に出す作にかゝつてゐた私は毎晩夜學へ講義に行く外は、晝はいちんち二階に籠つて一字/\に血も黒くなるやうな思ひをして、一つところを消したり直したりばかりして、狂人のやうになつて書いてゐた。おふさはその間下でたつた一人、悄んぼりと、下手な手習ひなぞをして坐つてゐた。今から思へばそれも半分は體の惡いせゐだつたのだらうけれど、おふさはその頃は所つ中はき/\しない顏ばかりして、欝ぎ込んでゐた。
 私にはおふさのさういふ心持も解つてゐた。おふさが私のところへ來てゐることが母親の方へ知れてからは、絶えず手紙で以てしつつこく責められて、一ん日も延び/\した心持がしないらしいといふことは私もさつしてゐた。それでも私はあれの母親が何と言つて來ても、おふさには手紙を出させなかつた。しまひには母親は私へ當てゝさま/″\の事を言つて來る。そんなものはおふさには見せはしないけれど、母親からの手紙だと見れば、何が書いてあるかはおふさにも解る。そんな事で、私に對してもすまない/\といふ念が、おふさの心を痛めてゐるといふことも解つてゐた。けれども私は書かうとする事が甘く書けないと無暗にいら/\して、そんな事に思ひやりもなく、罪もないおふさに當り散らすことが度々であつた。くさ/\して下へ下りて來てもおふさがたゞ自身のことばかりを考へ入つてゐるやうに、涙ぐんだ目もとを伏せて、火のない火鉢の傍に坐つてしよんぼりしてゐるのを見ると、私は、おふさが、私と私の事業とに何の同情も持たないで、自分勝手のことばかりにくよ/\してゐでもするやうに思はれて、一人土の中にでもゐるやうな、ゐたゝまれない寂しさにいら/\して、おふさの沈んだ頸足えりあしに髮のほつれのさがつてゐるのをかこつけに、ものゝたしなみのない、自墮落な女だと言つて八釜しく叱りつけたりした。私がかれこれ半歳も入院したあとだつたので、行李の中の二人のものが一つもなくなつてゐるやうな貧しさも、私にひがみを起させた。或時はおふさの態度を曲解して、そんなに貧乏がつらいくらゐなら、こんなところにゐないで出て行つてしまへと言つて、夜遲くおふさを突き出さうとしたこともあつた。
 そのほかに、いろんなことで隨分無理を言つてがみ/″\叱りつけたのも、今から思へばみんな私が惡いのだけれど、その時には、一途におふさを惡んで當り散らした。それでもおふさはすべてが自身の罪のやうに、どんなことをされても言はれても、たゞ默つて怺へてゐた。時には私も、おふさをひどく叱りつけた直ぐあとで、自分が無理だつた事を悔いて、おふさが涙を隱しながら、かひ/″\しく使ひなぞに出て行つたあとに、私は先刻さつきまで彼女が仕かけてゐた乏しいほぐし物が束ねてあるのを寂しく見守りながら、自分のやうな男の妻になつた彼女の運命を、憫れと思ふ事も度々あつた。
 けれどもその時分の私は、遂に自分自身よりより多く憫れなものを知らなかつた。私はせんの女についておふさに打ち明ける事の出來ない或深い苦痛を抱いてゐた。しかもそんな中で、一行/\に血を吸ひ取られるやうな思ひをして、苦しい作を續けなければならなかつた。私はおふさを叱り附けたりした後に、いきなりおふさの手を取つて、一人とめどなき涙に暮れることもあつた。私が泣けばおふさも譯を知らないなりに私のために涙ぐんだ。おふさは、自分より外にはだれ一人私がたよりにするものがないのを知つてゐた。私がどんな事をしても、どのやうな事を言つても、おふさはそれが當然のことのやうに默つて受け入れてゐた。
 併し、私だつてたゞ苛々いら/\した心持ばかりで生きてゐた譯でもない。二人はやつぱり年若い夫と妻とであつた。おふさは今でも、私のために辛かつた事は忘れ盡して、たゞ、女として與へられたいろ/\の享樂をのみ考へて眠つてゐてくれるやうな氣がする。それだけ私は、彼の女に對して一つも夫らしい仕向けをしてやらなかつたかのやうに、おふさに與へた苦勞ばかりを追憶して、いぢらしいあの女の不仕合せな命數を憫れに思ふ。何が彼女の得た享樂ぞ。物蔭に置かれた黒ずんだ鉢に、咲いて萎れた、質素な花のやうに寂しいあの女よ。
 不仕合せなおふさは、私の作がやう/\出來上らうとする時分になると、或日どこがどう惡いともなくふら/\と床についた。私が作に浸つてゐた長い間のいろんな氣苦勞に疲れたのだらうと私は憫れに思つて、何もくよ/\しないで當分じつと寢てゐて見るがいゝと言つて、やさしく介抱してやつた。おふさは牛乳は厭、何は厭だと言つて、何をも食べようとしない。何にも欲しくはありません、たゞかうしてじつとしてゐさせて戴けばその内には直りませう、あなたは私のことなぞに心配をなさらないで、序に早く書き上げて下さいと言ひながら、無理に起きて出て、私の食事の世話をしてくれたりする。或ときはもうすつかりよくなつたやうな氣がすると言つて、床を疊んでつれ/″\の編み物なぞをして坐つてゐた。
 それは丁度かういふ青い小雨の續く或日であつた。私は朝から二階に閉ぢ籠つて書いてゐた。外を見ると、窓のぢき前の、黒ぼけた屋根に張つた蜘蛛の巣に、まばらに溜る程の小雨が、絶え間もなくじめ/″\降り頻つた。
 それが、午後になつて不圖氣が附くと、いつの間にか、空の眞つ青い雨上りとなつて、久しぶりで、黄色い生々いき/\した日影が、窓に迫つた屋根瓦の、黒い濕り氣の上に射してゐた。
 見ると、そこには、下から覗いた桐の梢の、潤ひ重なつた青葉の蔭に、雀の子が一匹、珍らしく探し當てた日向を嬉しむやうに、枝から枝に飛び移つて餘念もなく戲れてゐる。
 すると下からおふさあがつて來て、雨が晴れて氣分がからりとなつたから、そこらあたりまで出て、買物をして來たいといふ。私が勢のいゝ返事をすると、おふさは子供のやうな笑顏をしてりて行つたが、それから大分つても容易に門口かどぐちりんの音がせぬ。もう出かけたのか知らと、息休め旁下りて見ると、一つしかない不斷着の帶を、着換へたネルの着物の上に結んだおふさは、小暗い三疊の鏡臺の前にうつ伏して泣いてゐる。どうしたのかと聞けば、おふさは涙によごれた顏を上げて、髮が澤山拔けるから悲しいといふ。こんなに、いくらでも拔けるんですのと言ひながら、油みた櫛に引つかゝつた拔け毛を見せる。片方の手にも、拔けたのを溜めて持つてゐる。私は、そんな下らない事に泣く奴があるものかと、わざと作り笑ひをして言ひながら、行くなら早く行けよと勵まして出したけれど、さうして出て行くうしろ影を格子越しに見送つて、おふさが前と較べて、くつきりと力なげに痩せたのを見て、それがみんな自分のした事のやうに、濟まないやうな憫れな心持がした。いつもは見馴れてなんとも思はないでゐたけれど、今氣が附いて見ると、いかにも脆い姿になつてゐる。何を買ひに行くのだか私もそこらまで附いて行つてやらうかと思ふ。けれどもその内におふさは露路を出てしまつた。
 私は再び二階へ上つたけれど、おふさが歸るまでは何だか落ちつかれなかつた。書きかけてもペンが動かないので、紙の上へ意味のない惡戲書いたづらがきをしてゐる内に、いつしか、憫れなあの女の、私についての長い苦勞のあとが、考へるともなく考へ浮べられた。
 どこまで行つたものか、いつまでもおふさは歸らない。もう屋根に當る日足も段々と夕方に近く蔭ばみになるのにまだ歸つて來ない。私は氣になるから表通りまで出て、傘屋の店先に立つて、通りの兩方を見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)はした。
 すると丁度向うからおふさがとぼ/\と歸つて來る。金魚を買つて來たらしい。硝子の入れものを糸でげて、悄んぼりと歸つて來る。私は二人がより早く近づき得るために、こちらからも歩いて行つた。
 どこまで行つたのかと聞くと、あたしどうしたんですか、歸る途中で急に息が苦しくなつて歩けなくなつたものですから、どうしたらいゝかと思つて、少らくあそこのところで休んでゐました、すみませんがこれを持つて下さいませんか、と金魚の入れものを渡すのであつた。眞つ蒼い苦しさうな顏をしてゐる。なんならこの足で直ぐ醫者へつらつて行つて、見て貰つて來ようぢやないかと、私は氣を引き立てるやうにさう言つたが、それよりも早くうちへ歸つて横になりたい、醫者へ行かなければならないやうなら、明日あすにでも行けば濟む事だからと言つて、おふさはその儘一緒にうちへ歸つた。
 おい、大丈夫か、しつかりしろと、私は障子につかまつて上るおふさにさう言ひながら、押入れから蒲團を出して敷いてやると、おふさは、おや、すみません、あなたにそんな事をして頂いてはと、そのまゝ崩れるやうに蒲團の上にせつたかと思ふと、不意にがぶりと敷蒲團の上に血を吐き出した。
 その時の私の愕きを、私は今でもたつた昨夜の事のやうに目に浮べ得る。じつとしてゐよ、かもふものか蒲團ぐらゐ、もう吐きたくはないか、いゝのか、と言つたきり、自分も涙ぐんで、おふさうつ伏した背中を抱くやうにしてゐた。おふさはおろ/\と泣いて、私はもうどうなつてもいゝけれど、私が寢附けばあなたのお仕事がと、僅かにさう言つて、絶え入るやうに泣き崩れた。
 その夜、私はじつとおふさの枕元に坐つたまゝ、おふさが力のない目を閉ぢて、やう/\と微かな寢息になつた蒼ざめた眠りを見護つた。私は夜中過までまんじりともしずに、夜が更けると、おふさはかうして何日かの後にたうと亡くなつてしまふのではあるまいかと考へた。枕もとには、夕方おふさが買つて來た金魚が、夜つぴて藥壜と共に並べて置いてあつた。
 金魚の色はいつ思ひ出してもうら悲しい。おふさを思へばうら悲しい。
(明治四十四年六月)





底本:「鈴木三重吉全集 第二巻」岩波書店
   1938(昭和13)年5月15日第1刷発行

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90 『背徳の詩集』森村誠一: 零画報
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91 古畑任三郎30周年記念一挙放送、1話と2話: 零画報
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92 にこにこ助六: 零画報
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93 まんが日本昔ばなし「一休さん」: 零画報
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94 シャウエッセン: 零画報
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95 ETV特集 追悼 大江健三郎さん ノーベル賞の旅(1995年放送): 零画報
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96 ダイジェスト 喜歌劇「天国と地獄」: 零画報
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97 夜明けの景色が美しい: 零画報
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98 南極恐竜・知られざる命の物語「古代生物たちの興亡/繁栄と滅亡 そして進化...
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99 白木みのる「銭$ソング~マンダム親子のテーマ」: 零画報
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100 クマちゃんポテト: 零画報
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2026年5月20日 (水)

月夜行路 (講談社文庫) 秋吉理香子 (著) 形式: Kindle版

月夜行路 (講談社文庫) 秋吉理香子 (著) 形式: Kindle版

45歳の誕生日、家族を捨てた。

冷えきった夫との関係や子どもとの生活に孤独感を募らせていた沢辻涼子は、我慢の糸が切れたある日、家出を決行する。飛び出した夜の街で出会ったのは、怜悧で美しい文学オタクのバーのママ、野宮ルナ。
ルナに自分が抱える報われなさの正体が「大学時代の元彼」であることを言い当てられた涼子は、彼女と二人で元彼を探すため大阪へ旅に出ることに……。元彼探しが難航する中、次々と事件に巻き込まれる二人は、無事に想い人と再会できるのか――。

家庭に居場所をなくした主婦×文学オタクのバーのママ
異色なバディが人生を取り戻す旅へ!
名作文学×ミステリー、感動のロードノベル。
仕掛けに騙され泣かされる、圧巻のサプライズエンディング!

特別掌編2編のほか、ドラマ主演を務める波瑠・麻生久美子と、著者の秋吉理香子による鼎談を豪華収録。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

『月夜行路 ―答えは名作の中に―』連続ドラマ化!

主演 波瑠 麻生久美子
日本テレビ系 4月8日スタート
毎週水曜よる10時放送

 

月夜行路 Returns Kindle版

あなたのことを、もっと知りたい。
夫と子どもたちとの生活のなかで孤独感を募らせ、家を飛び出した沢辻涼子は、洞察力と推理力に優れた美しいBARのママ、野宮ルナと出会い、共に大阪の街を巡った。人生を変える旅から東京へ戻った涼子が、ためらいながらも再びルナに会いたいと彼女の店を訪ねたちょうどそのとき、ルナのもとに古い型のノートパソコンが届けられる。
開こうとするとパスワードに阻まれるが、ルナはパスワードを知らず、送り主にそれを聞くこともできないという。いったい誰が、何のために送ってきたものなのか。
わからないまま涼子は、大阪で自分を助けてくれたルナのために、パスワード探しを手伝うことに。ヒントは、パスワード入力画面に設定された1冊の本ーー『吾輩は猫である』。
手掛かりの本を発端に行く先々で事件に巻き込まれながら、パスワードを試していく二人。ここにたどり着いてほしいーー願いを込めた仕掛けに挑めるチャンスは、5回。

人生の旅、子供らに語る ジャン・レノ、一人芝居「らくだ」

映画「レオン」などで知られるフランスの俳優ジャン・レノ(77)が、作・出演を務める一人芝居「らくだ」が日本で上演中だ。自らの原点という演劇を通して「人生の旅」を振り返る。

「向かいの歩道を歩くあの青年が、将来どうなるかわかる?」。東京芸術劇場シアターウエストの小さな舞台上で、長身の老優が語りかける。フランス語の声は、母親を思い出すかのように温かい。当時7歳、昼食後のバルコニーで家の前の通りを眺める。
モロッコ・カサブランカに生まれ、フランス、アメリカと世界を渡り歩きながら数多の人生の重みを背負ってきたジャン・レノ。自ら「僕の人生はらくだのようだ」と語る彼の歩みを辿る本作では、彼の人生に深い影響を刻んだ出会いや出来事を、出演映画の記憶と重ね合わせながら音楽と物語で鮮やかに描き出す。

スクリーンでは決して触れることのできない、俳優ジャン・レノと彼が出会ってきた人々との精神の交歓の軌跡。演技のみならず歌声までも披露され、ジャン・レノの芸術的真価を体感できる特別な舞台となる。

演出を務めるのは、2024年に名作『レ・ミゼラブル』をシャトレ座で演出し、2025年のモリエール賞(ミュージカル部門)を受賞するなど、フランス演劇界を牽引している気鋭の演出家ラディスラス・ショラー。日本でもフロリアン・ゼレール作の『Le P?re 父』『Le Fils 息子』『La M?re 母』や『飛び立つ前に』の演出で高い評価を得ている。

また、自身の俳優人生を作品として紡ぐジャン・レノと共にステージに立つのは、パリを拠点に活動し、現代的で柔軟な音楽表現として高く評価される音楽家パブロ・ランティ。彼のピアノ演奏が、ジャン・レノの歌や語りを支える。

ジャン・レノ コメント
ジャン・レノ
若き日より、私は世界という大きな織物の中を旅してきました。
スペインの血を受けて生まれ、フランスに育ち、英国のミューズを伴侶とし、いま、アメリカを故郷としています。
私は長年、自身の人生の旅路を紡ぐ舞台作品??「航海(ヴォヤージュ)」を創り上げることを夢見てきました。
舞台は、物語と歌、映像のキャンバスとなり、観客を、ひとつの旅路へと導きます。人生という唯一無二の美は、それぞれに異なりながらも、普遍の歩みを抱いています。悲しみも、喜びも、それはすべての人に共通するものなのです。

ストーリー
わが生(あ)が拍子(ひょうし)は
砂(いさご) 越ゆる
駱駝(らくだ)の歩みの
しらべなり

モロッコに生まれ
世をめぐり
こころ帰する地を
日本と呼ぶ

この地(つち)にて
名も誉(ほまれ)も脱ぎ
出会ひと記憶(きおく)を
語りて残す

影は映画となり
声は歌となる
生(なま)のピアノに
身をあずけ

名優にあらず
ただひとつ
ひとりの魂として
ここに立つ

かけがえなき
ひと夜(よ) かぎりの
しらべ
―――――ひとりの男の物語

«■『リボーン』、突き落とし犯の手は“華奢”だった…それが伝わる場面 ついにコロナ禍に突入。 前世の通りなら、もうすぐあかり商店街の買収計画が始動してしまう――

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