2009年11月 8日 (日)

印度の巨大魚は億劫なそうねん

ティミtimiという巨大魚の話をインド哲学者から聞いたことがある。
印度にはティミという鯨よりも巨大魚が海の向こうにいるという。

さらに大きい海の向こうにはティミ呑みこむほどのティミ・ギラという大きい魚がいて、さらに大きい海の向こうではティミンギラはさらにでかいティミンギラギラに食われてしまうのだ。

そうしてティミンギラギラギラギラギラギラ…と果てしなく続いて、世界が成り立つという印度らしい逸話。

多分これは宇宙の仕組みを、億カルパ単位あたりで霊視すると浮かび上がってくる魂のパターンなのかも知れない。億劫おっくうなことでんがなぁ。

ところで億劫(kalpa)とは http://www.ne.jp/asahi/hindu/vedanta/foot_note/kalpa.html

Kalpavriksha

ティミンギラギラギラギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギラは大きすぎて形として認識されないだけのことで存在を想念することは勝手な億劫そうねん。

Kalpabox

人智外の想念はインドでは栄えたそうねん。
億劫の語源はそんな果てしない世界のなごりというお話であった。

2009年11月 7日 (土)

改革された哲学

Mylius 'Philosophia Reformata' 1622年
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Emblem1 Emblem 1.


2つの山の間にある深い谷では、ムーンチャイルドを看護している太陽が乳房を与えている。太陽の体は地球の大地に包まれ、湖の水を集めている山間に立つ。 左端の山の上には燃えさかる火の中にはサンショウウオが吠えて、右端の丘の上には鳥の巣があり、鳥が座っている間にもう一羽は 空へ飛び立とうとしている。これら自然界にある四要素 「火」「水」「地」「空気」に囲まれて、ガイアは姿を現そうとしていた。

Emblem2 Emblem 2.
4つのシンボルの上に大地母神がバランスを保っている。
左から右へと、地、水、空気、火とならんで、四要素の女神の頭上にはフラスコが燃えていた。
各シンボルを示すフラスコ内部には、自然界とも化学反応をして姿をみせている。
大地に種をまく人、水は種子発芽させる、空へ翼を広げたて気をはく鳥、百獣の王ライオンの頭は火を示している。
水の女神は左手を地球の大地指差して、「化学との結婚」の始まりを意味している様子だ。

Emblem3 Emblem 3.
晴れやかな光の数字の上には、太陽と月は背中合わせに座っている。 太陽に向かって右手で図を保持する二重のフラスコがある。上部にはセプターとなる王が在任中して、下部には黒い鳥(カラス)がいる 。月に向かって女性が左手に保有してるフラスコには、最上位圏のものが含まれる。白い白鳥のに対して、下位には孔雀が羽をひろげている。
これら太陽と月に見守られた四つの要因は 三つの光を求める神獣とともに、七つの世界を形成している。左にはえた木の切り株の再生には、新しい葉をいくつしか見せて、右には完全に成熟した大樹へと育っている。

Emblem10 Emblem23Derolatyrannyoftheexternalfire Derolabirdsfly179

【Emblem28までつづく】http://koinu2005.seesaa.net/article/73127205.html

「改革された哲学」はEmblem28まで展開されて、叡智のシンボリズムによって視覚的にも導かれて理解をうながすものである。これらの図版には「3」「7」「9」といった奇数の数には、自然界を示すものだと推移させるバリエーションが反芻して描かれている。
ラッキーな数というより自然数ととらえると、Philosophia Reformataの図版の物語のナゾは解けてくるようだ。ペンギンタロットの次はEmblem図版 28枚の解析と翻案にとりくみたいと思う。 「改革されたペンギン哲学」ということになるのか。

師匠の種村季弘さんは「改革された哲学」の図版を紹介されただけで、それ以上は何もされていないうちに他界してしまった。近代化されない異端や香具師の世界を神秘からは程遠い地平より、とことん愉しんでおられた笑顔が忘れられないなぁ。

九つの扉

    666
6+6+6=18
  1 - 8
  1+8=9

扉は誰にでも開くわけではない。
それぞれの扉に二つの鍵がある。
時に言葉や鍵は二つの意味を持つ。

111 はギリシア語では「鍵」を意味する
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-19eb.html

小川のほとりの木で鳥がさえずる
人が考えることなど全てあやふやなものだと囁いている
時として言葉には二つの意味があるんだとも聞こえる
http://koinu2005.seesaa.net/article/131832827.html

分かちがたく結ばれた二羽の鳥が、同じ木に住まっている。
一羽は甘い木の実を食べ、もう一羽は友を眺めつつ食べようとしない。
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/jmg-2880.html

2009年11月 6日 (金)

捕喝国/ブハラ

◇Bukhara/Bukhoro/Buhoroの動画画像くんたち
ペンギンのことが大好きな仔犬くんのアデリーなページ PENGUIN TARO
Bukharaの動画画像 http://hello.ap.teacup.com/applet/koinu/20091103/archive

Bukhara__panorama

○(1)(Bukhoro Wiloyat)⇒ぶはらしゅう(ブハラ州)
○(2)中央アジア、ウズベキスタン共和国中南部のブハラ州の州都。
ゼラフシャン川(the Zeravshan River)下流部のオアシスに位置し、
シャフルド運河(the Shkhrud irrigation canal system)に面する。
 北緯39.77°、東経64.42°の地。中央アジアのイスラム教聖地。
 「ボハラ(Bokhara)」,「ブカラ」とも呼ぶ。
〈人口〉 1979(昭和54)18万5,000人。1987(昭和62)22万人。1989(平成元)22万4,000人。1991(平成 3)24万9,600人。2003(平成15)27万2,400人。
◎隋・唐では「安国」として知られる。
  709(和銅 2)イスラム帝国領。
 9世紀、サーマーン朝(the Samanid state)の首都となり、イスラム文化が栄える。
 1220(承久 2)モンゴル軍が占領。
 1370(<南>正平25,<北>応安 3)ティムール軍が占領。
 16世紀、ブハラ・ハン国(Bukhara Khan)の首都。
 1868(明治元)帝政ロシアの保護国。
 1920~1924(大正 9~大正13)ブハラ人民共和国(the Bukhara People's Republic)の首都。
 1993(平成 5)旧市街地が世界遺産の文化遺産に登録。
◎ロシア文字は"Бухара"。

関連記事
◆ササン朝ペルシア(Sassanid)サーサーン朝 
http://koinu2005.seesaa.net/article/80224912.html

◆マニ教(Manichaeism)
http://koinu2005.seesaa.net/article/80715483.html

◆ハウス・オブ・ウイズダム(知恵の家)Bayt al-Hikmah が教えること
http://koinu2005.seesaa.net/article/80363976.html
映画マトリックスは現実にあった叡智対戦であった。懐かしいけれども、追い求めるものには分かり合える世界の構図なんだわ。

「捕喝国」 ミステリィー

シルクロード国々のスパイス料理を提供する、神戸の老舗レストラン「ぶはら」。
エキゾチックな香辛料の薫りただよう店内には、香辛料の見本やスパイス挽く臼など飾られている。
元来「ぶはら」は香辛料の卸業だったそうで、その頃の香辛料が偶然にも台所の引出し奥深くにあった。都内の香辛料専門店で十年くらい前、エスニック料理に関心あって購入して忘れていたものだ。そこには以下の記載。P1000290 

捕喝国 buhara
○「スパイスの道は、そのままシルクロードと重なって、東西文明の交流に大きな役割を果たしてきた。
店名はそのシルクロードの主要な交易地だったブハラという地名である。」
○「料理はインドから中央アジアにかけての各地料理で、味つけもできるかぎり現地のまま。トルコ料理、イラン料理、アフガニスタン料理などスパイシーなシルクロードの味の旅が楽しめる。」

期限切れで捨てようと添付地図をみると、生田筋とトアロードと表記。
稲垣足穂のメルヘン宇宙に描かれていた通り道に「ぶはらbuhara」はあったようだ。
一年前ならば生田ロードもトアロードも、全く知らない遠い阪神世界であった。
しかし今は通勤で頻繁に通るストリートとなっているミステリィー。三宮神社の近くから岡本へ移転したという、今は通勤で頻繁に通って途中下車する駅にあったミステリィー。偶然の多い「捕喝国」にはゾロアスターが栄えていたササン朝ペルシャなど、今までに作品の中で描いてきたシルクロード国々のスパイス料理が盛り沢山であるミステリィー。グルメというより路上観測の謎に分類されるジャンルとなるミステリィーだな。偶然ではなく必然の運命だろうか。

P1000289

シルクロード料理「ぶはら」
アジア・エスニック料理、カレー(その他)
【ランチ】11:30~14:00(LO)
【ディナー】17:00~20:30(LO)
定休日 火曜日、水曜日
兵庫県神戸市東灘区岡本1-4-5 マナ岡本ビル 2F
TEL 078-452-5577
ホームページ http://gourmet.yahoo.co.jp/0002375186/P006976/

2226871

盲目のシャンソン歌手、長谷川きよしのサイトにお気に入りの店としてリンクが張ってある。
ぶはら(兵庫県神戸市)http://www.kiyoshi-hasegawa.net/main/link/index.htm
今までに出会った店の中でも確実に5本の指に入る大発見の店です(長谷川きよし)

◇サンスクリット語で「僧院」を意味するブハラには、6世紀まで仏教寺院が存在した跡がある。その後は、数々の栄枯盛衰の歴史があり、1220年には、モンゴル軍の来襲で灰燼に帰してしまうが、16世紀になって再びよみがえる。
玄奘三蔵が捕喝国に立ち寄ったことには何かある。サマルカンドから200kmも離れていてサマルカンドまで戻っているからだ。霊感。

◇捕喝国は周囲が千六、七百里で、東西が長く、南北が短い。物産。風俗は颯秣建国と同じである。この国より西へ行くこと四百余里で伐地国に至る。
と記されている。(水谷真成訳 大唐西域記 平凡社から引用)

2009年11月 5日 (木)

異人館を散策する心はミステリィー

P1000159 P1000176P1000162 

六甲山の登山道に入ろうかという麓に、白鶴美術館が建っている。
その対岸の丘には、雑木林の中に崩れかけた石造りの洋館があった。

その屋敷からは、阪神間の街並や大阪湾が一望できる。対岸の大阪も見えただろう。住民は、ヘルマン屋敷と呼んでいた。ドイツの兵器会社・シーメンスの極東支配人、ビクトル・ヘルマンが大正期にこの館に住んでいた。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~akimitsu/heruman.htm

P1000181

海軍の黒い霧、シーメンス事件
http://meiji.sakanouenokumo.jp/blog/archives/2007/01/post_420.html

桜島の噴火とともにシーメンス事件起こる(大正精神史事件編1)
http://www.hb-arts.co.jp/090510/safe.htm

P1000160

(ベルリン来電)先に電気製品商シーメンスエンドシュツケル商会東京事務所にタイプライター係たりしカール・リヒテルなる者、今回同事務所より重要文書を窃取し之を脅喝取材の目的に使用せんと試みたる廉にて懲役に処せられたり。証言の示す所に依れば右のリヒテルは日本海軍の注文に関係ある文書を窃取し之を二千五百磅(ポンド)にて同商会に売らんと申込みたり、然るに商会は之を拒みリヒテルを就縛せしめ罪人引渡の手続を経て当地にて裁判を見たりしなり、被告リヒテルは同商会が高位置に在る日本の官吏に賄賂を行使したる事を陳述せるが法廷は判決に際し「同商会の不正当なる操縦は或程度に於て被告の犯罪を誘致したるものあるを以て此情状を酌量して刑を軽減す」と宣明せり。

シーメンス事件:バイエルン企業の汚職(英エコノミスト誌 2008年12月20/27日号)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/387
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/387?page=2

Ulokonoie

鼠短檠の仕組み

45d6ns1
灯明皿とネズミのお腹は柱の中の管でつながれ、皿の油が燃えて減ると空気圧により鼠の口から油が滴って灯明皿の油を補給する一種のからくり仕掛け。ネズミの容器には200mlの灯油が入り、約30時間連続して灯すことができる。

鼠短檠の使い方
[1]タンク(ネズミ)を逆さにして注入管から油を入れる(150mlくらい)。
[2]油皿に少し油を入れておく。
[3]タンクに油を入れたら、空気が入らないようネズミの口を手で押さえて本体に差し、ネズミの口から手をはなす。
[4]ネズミの口から油が数滴垂れて止まり、これで準備OK。
[5]灯芯に点火し、その後油皿の油が燃えて減った分だけネズミの口から油滴がたれる。
[6]油が固まることがあるので、長時間使わない時は全部掃除しておくと使い勝手がよい。45d6nsb

■鼠短檠
 短檠とは、箱形の台に柱を立て柱の中途に油皿をつけて灯油(菜種油)を灯す丈の低い灯火具。「鼠短檠」は、灯明皿とネズミのお腹が柱の中の管でつながれ、皿の油が燃えて減ると空気圧により鼠の口から油が滴って灯明皿の油を補給する仕組みで、中国からこの原理が伝わったとの説も。茶の湯が隆盛した桃山時代から江戸時代にかけて、主に夜の茶席(夜咄)に風趣を添える道具として上級武家や富裕な商人などに愛用された。優れた職人の手でさまざまに意匠を凝らした鼠短檠が造られたが、美術工芸品ともいえるこれらの作品は現在数点が残るのみで、貴重な文化遺産となっている。 
■夜咄
 茶道で、炉の季節(冬至の頃から立春まで)に夕暮れ時から行う夜の茶席を、夜会あるいは裏千家などでは「夜咄」という。夜会では、比較的弱い灯りの短檠が茶室内の照明に使われ、お手前(道具)の拝見のときのみ光の明るい手燭を使った。特殊な茶席のため、花飾りや掛け物などの座敷の拵えをはじめ、いくつもの複雑な作法があり、千宗旦が「茶の湯は夜咄にてあがり申す」というほど、最も難しいものとされている。 
■短檠と「檠爪」
 茶席では、炉の炭火の上に三つ爪の五徳を据え、釜を置いて湯を沸かすが、短檠を使って「夜咄」を催すとき、裏千家などでは特別に、五徳の三つの爪のうち「檠爪」と呼ばれる爪を、短檠が置かれている方向に向けて炉に据えるのが決まりになっている。

■暦で日、月、火、水、木、金、土というのが残っているように一連のものがあって人類を形成していた
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_e30d.html

2009年11月 4日 (水)

神戸らんぷミュージアム

P1000571

人類史上、最も重要なものの一つが、「火」の発見です。
自然の営みである落雷や火山の噴火や森林の樹木の摩擦などによって、人々は「火」の存在を知り発火方法を発見します。その「あかり」を持続させるために様々な工夫を凝らすようになりました。

松脂などから発達した「篝火」。
蝋燭を使った灯火器「燭台」「吊燭台」「提灯」。
らんぷミュージアムには「火」と「あかり」の道具としての歴史が、発火器やマッチラベルにいたるまで大変なコレクションの量で処狭しと展示されてます。

Ehagaki

江戸時代に発明されたユニークな形で知られる「ねずみ短檠」は見ものです。
明治維新の文明開化の波とともに、文字撮り輝かしい彩りを添えて登場した「石油ランプ」。
ランプとともに登場したガス灯、そしていよいよ電気によるあかりが登場します。

Lanmp2009

神戸らんぷミュージアム
人々は「火」の発見によって、「食」と闇を照らす「あかり」を手に入れました。
そして長い時を経る中で、松明や篝火からランプ、ガス灯、そして現代の電気の「あかり」に至るまで、「あかり」は常に人々の生活と共にあり、人々の暮らしと未来を明るく照らし出してきました。
「篝火」「ひでばち」「松明」「燭台」「吊燭台」「提灯」 「ガス灯」「電笠」「電球」
ここではそんな「あかり」の移り変わりを散策して観ることができます。

神戸市中央区京町80番 クリエイト神戸2・3F TEL.078-333-5310
開館時間/午前10:00~午後5:00 休館日/月曜日
http://www.kobe-lamp.com/

P1000574

★「火」に真の理をみつめた アフラ・マズダー (Ahura Mazdā)
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/ahura-mazd-9489.html

★人類に「火」を伝えた プロメーテウス(Προμηθεύς, Promētheus)
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/promtheus-4225.html

神戸港

P1000135

六甲山(六甲山系)の連なる山々から大阪湾に至る急峻な地形によって水深が急激に深くなる特徴から「天然の良港」として知られる日本を代表する国際貿易港である。港則法・関税法上は、大阪港・尼崎西宮芦屋港とあわせて阪神港と称される(港則法上は特定港に指定されている)。

その歴史は大輪田泊(おおわだのとまり)や兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれた兵庫港に始まり、かつての都であった奈良や京都と、日本国内の東西航路や大陸との交易の拠点として古代から栄えてきた。また、商業や工業が集積する大阪に近いこともあり、近代以降も国際貿易の拠点として規模を拡充した結果、1970年代には阪神工業地帯の輸出港としてコンテナの取扱個数が世界一になるなど世界有数の港として知られている。

P1000130

日本の物流機能に対する役割を担うために、オーバーパナマックス船への対応をした国内初の大水深高規格コンテナバースの供用の開始や1980年以降に行われたポートアイランド(当時、世界最大の人工島)の建設やメリケンパーク、神戸ハーバーランドといった観光や商業施設の開発、沖合いに神戸空港を開港するなど、日本のウォーターフロント開発の先駆けとなるものも多く、各地に与えた影響は少なくない。

これらの開発と明治時代に外国人居留地として整備されたエキゾチックな市街地の雰囲気とをあわせ、観光地としても人気が高い地域となっている。

(Wikipedia)P1000129

2009年11月 3日 (火)

対話させる術

岸田國士

 その国の一時代の文学が、外国文学の影響を受けたことに於て、明治以後の日本文学ぐらゐ著しい例はあるまい。
 処で、その影響が、単に思想的内容や、表現の形式に止まらず、文学の本質的審美観念にまで浸潤して、殆ど模倣より脱却し、日本現代文学の一様式として存在の価値を認め得るものに短篇小説がある。
 これに反して、文学の他の部門、殊に戯曲に至つては(詩の方面は暫く問題外とする)外国劇の影響から殆ど本質的な何物をも摂取することができなかつた。日本現代の戯曲は、誇張なく、文学的表現の原始時代にある。
 このことは、本誌(演劇新潮)の問にも答へておいたことであるが、舞台の言葉としての戯曲の文体、劇的本質としての「生命の韻律」は、少数の先天的劇作家を除いて、多くの日本現代作家がこれを理解してゐると認めることはできない。而も今日、戯曲を書かうとするもので、意識的にも無意識的にも、泰西作家の作品にその範を取らないものが一人でもあらうか。
 シェイクスピイヤは早く我が国に伝へられた。イプセンやマアテルランクもとくに読まれてゐる。ストリンドベリイ熱、チェホフ熱も盛んであつた。ハウプトマン、ブリュウ、シュニッツレル、ゴオルキイも紹介された。アイルランド劇も多くの共鳴者をもつた。最近また独逸表現派劇や、ピランデルロ等の異色ある作品も若い作家の胸を躍らせた。
 これら目まぐるしい外国劇侵入時代に、わが劇作家は何をしてゐたか。なるほど、一時はイプセン張り、マアテルランク張り、チェホフ張りの作品も目についたやうである。が、流行が変るといつの間にか影をひそめて了ふ。結局、各作家は、外国作家一人一人の、どうにもならない「物の観方」を取つて以て、自分の作品を捏ね上げようとした。イプセン色のものを書いた後、チェホフ色のものを書かうとすると、初めから出直さなければならない。初め書いたものが後のものを書く時に役立たない。いつまで経つても「自分のもの」ができない。上手にならない。「ほんもの」にならない。
 外国劇を勉強するのもいいが、そこから、何かかう特別な「作劇術」とか、思想的背景とかいふやうなものばかりを探し出さうとして、それらの戯曲が、「戯曲として傑れてゐる所以のもの」を嗅ぎ出すことができなかつたことは、慥かに日本の現代劇を本質的に発達させなかつた唯一の理由であるやうに思はれる。
 成る程、シェイクスピイヤなり、イプセンなりは、学問的には相当に研究もされ、理解もされたらうが、劇作家として、殊にそれらの戯曲がもつ「劇的美」そのものについて、一度でも解剖的に、主題と結構と文体とを、それぞれの有機的関係から分離して、論断した者があるか。また、わが国の劇作家が、個人としてさういふ点まで熟読味到したか。これは疑はしい。なぜ疑はしいかと云へば、さうすることによつて、古来の才能ある戯曲家が、共通に具備してゐるところのある「呼吸」に触れ、その「呼吸」が、日本現代劇を通じて、多少とも現はれて来なければならないからである。
 結局、なんと云つても才能の問題であつて、現代日本の劇作家が、それならば、大部分は才能なき劇作家であるといふ結論になる訳であるが、どうもこれは弁護の余地がなささうである。強ひて遁辞を設ければ、前に述べたやうに、外国劇から形ばかりの影響をしか受けなかつたといふことになる。
 これはつまり、劇作家が、自分の仕事のために外国劇を研究する以上、もつと、本気になつて、つまらない愛国心や、大和魂など振り廻さずに、しつかり外国語でも勉強し、「なるほど、ここが戯曲の戯曲たる所以だな」と思ひあたるやうな、さういふものを外国の傑れた作品の中から発見し、さういふものを自分の作品に盛らうと努めなければうそである。それから後は、実際才能の問題で、どうにもしやうがない。つまらない戯曲をいつまでも書いてゐれば、人から馬鹿にされるだけの話である。――今だからこそ大きな顔をしてゐられるが。
 そこで、僕がかういふことを云ひ出したのは、決して現代多数の劇作家を激励鞭撻して、将来の不幸を未然に防いでやらうなどと思ふわけではなく、それよりも――ここに書く目的が、第一さうでないが――これから戯曲を書かうとする青年(令嬢でも可なり)が、「なあに、戯曲なんていふものは、いい加減なもので、喋舌る通り書けばいいんぢやないか」などと、大胆にも、「人物」「時代」などと、通(つう)をきめ込まないやうに、それからまた、生来芝居に反感を抱いてゐるわけではないが、「現代劇」だけは御免だ、金を呉れても行きたくないなどと頑張る「吾党の士」に、「いや、今の日本現代劇がまだほんとの現代劇になつてゐないので、詰り西洋で古典劇と区別される近代劇、その区別されるところだけを、日本在来の芝居に取つて附けたやうなもので、西洋では古典劇から近代劇を通じて、ある一貫した伝統――劇的伝統がある。その伝統をわれわれは残して来てゐるから、いつまでも日本芝居の伝統から離れた新しい芝居が生れないのだ。まあ見てゐ給へ、そのうちには西洋劇がそのまま、完全な姿で、日本の現代劇になるよ。勿論、それと同時に、日本劇の伝統から、新しい現代劇が生れるかもしれない。なほまた、日本劇の伝統と西洋劇の伝統と、二つの伝統がうまく融合統一されて、第三の日本劇が出て来るかもしれない。さうなつたら、見ものだぜ。どうだい」と、いふやうなつもりで、こんなことを云ひ出したのである。
 どうも、同じことを方々に書く恐れがあるが、従つて外のことは何にも問題にしないやうに思はれる恐れがあるが、今のうちは、そんなことぐらゐ我慢する。
 要するに、外国劇の研究をもう一度し直す必要がある。それには、もうそれぞれの作家、それぞれの作品の、文学史的考察や、思想的傾向の吟味や、所謂、独逸流演劇学者の作劇術より見たる戯曲構成の論議や、そんな風なことはどうでもいい。ほんとに、もうどうでもいいのである。われわれ芸術家並びに芸術愛好者にとつては。それよりも、一人の作家の一つの作品を、頭のいいものなら十度、頭の悪いものなら十五度(その差大ならず)ばかり読み返すんです。勿論原書でさ。翻訳などは当てにならない。ただ読まないよりはましくらゐなところだ。そこで、原書を読む。人物の心理に細心の注意を払ひながら、その心理的波動の韻律に耳を澄ましながら、そして、その舞台の雰囲気に敏感な神経を働かせながら、自らその人物に扮した気持で台詞を云つてみるのである。その時、諸君は気がつくであらう。ただ一つの、例へば「いいえ」といふ言葉が、如何に「言はる」べきか、如何に「言ふ」べく書かれてあるか、如何に云ふことによつて、その人物の心理が最も鮮やかに、前後の関係に於て、最も美しく、諸君の耳に、心に、生命全体に響いて来るかといふことが。試みに今この「いいえ」といふ言葉の「言ひ方」が幾通りあるか思ひつくままを挙げてみよう。調子を表はす符号はないから、その調子を出すために他の言葉をつけ加へてみよう。

いいえ、違ひます。(さうぢやありません)
いいえ、わたしは知りませんよ。なにかのお間違ひでせう。
いいえ、なかなか、それどころの騒ぎぢやないんです。
いいえ、さうぢやないんですつたら。
いいえ、さうに違ひありません。
いいえ、どう致しまして。さう仰しやられると却つて恐縮です。
いいえ、何んでもないんです。
いいえ、断じてさういふことは出来ません。

 一寸思ひついただけでもこれだけ。ト書や説明がなくつても、これくらゐの区別はできる。あとへかういふ言葉を附け加へる場合もある。附け加へない方が、簡潔で、暗示的で一層韻律的な効果を副へる場合が多い。戯曲を読む時には、この効果に敏感であることが第一。次に、この効果を次の白に伝へて、次の白を更に効果的にする想像力が必要である。
 真の劇作家は、かういふニュアンスから無意識的に微妙な心理的韻律を造り出してゐるのである。似而非劇作家は、これを意識的にやつても、それだけの結果を生み得ない。従つて「死んだ会話」になる。
 これは、一篇の戯曲を論じる場合に、甚だ些末な問題として取扱はれるかもしれないが、それは、些未の如くにして実際は、戯曲の戯曲たる「生命」を決定する問題なのである。戯曲を書く以上は、もうこんなことは問題にならない。それはさうあつて欲しい。然し、戯曲が書けるか書けないかの問題なのである。堂々一篇の戯曲と銘打つて公表された作品に対して、この問題に触れた批評をすることは、作家に対して聊か非礼であるとさへ云はなければならない。それだけ、問題にならない問題なのである。つまり、あまり本質的な、根本的な問題なのである。日本現代劇は、悲しいかな、この問題にならない問題、西洋ではもう誰も問題にしない問題を、更めて問題にしなければならない状態なのである。
 いろいろやかましい説明をすれば説明できないこともないが、この「演劇の本質」といふ問題は、われわれをどこまでも引張つて行く。度々引合ひに出して恐縮であるが、日本現代劇作家の大部、その中には人生の奥義を究めた思想家もあり、稀代の文学的才能を具へた人もあり、豊富な詩心を恵まれた人もあり、古今東西の学に秀でた識者もあり、革命家的気魄に満ちた志士もありはするが、ただ、それらの人の書く戯曲は、戯曲の本質といふ一点で、ただその一点で、西洋の凡庸な劇作家の作品にさへ及ばないのである。考へて見るとつまらないことである。
 日本の読者にもお馴染のゾラ――自然主義の巨頭、例の『ナナ』の作者ゾラが、大いに自然主義演劇を唱道して、自分でも劇作に手を染めた。勿論、劃時代的作品を書いたつもりであつたらう。ところが、時の鑑識ある劇評家から頭ごなしにやつつけられた。やつつけられるならまだいいが、「ふん」と云つて横を向かれてしまつた。
 なぜかと云へば、それは「戯曲になつてゐない」からだ。ゾラの戯曲を評して異口同音に使はれる言葉は、曰く、「彼は対話させる術を知らない」。
 これを別の言葉で云へば、即ちコポオがエルヴィユウの戯曲を評して、「作者が人物の対話に耳を傾けてゐない」と云つたそれである。ゾラは兎も角、モオパッサンの文章は実に名文でもあり、その小説の会話の部分を見ても、寸分の隙はないやうにみえるが、彼にしてなほ、戯曲を書けば、「対話させる術」一科目で落第するのである。
 どうもこれが先天的に劇作家であるかどうかが分れるところであると見えて、モオパッサンの小説、殊に、短篇などと来ては、そのまま好個の一幕物になりさうなものばかりであるのに、それが小説である時にさうなので、戯曲を書くと誠にだらしがなくなる。変にぎごちなくなつて彼独特の魅力が、どこへやら行つてしまふのである。これに頗る似た例が現代日本の作家中にもあるやうである。
「対話させる術」――なんでもない術のやうであるが、そして、外に何等の才能を持ち合せてゐないものが、これだけで劇作家の仲間入をしてゐるやうなのがあるにはあるが、これがつまり、「戯曲が書けるか書けないか」の免許状みたいなものになるわけであるらしい。
「佳い戯曲が書けるか書けないか」といふ第二の免許状は、また別である。そこをくれぐれも弁へてゐてほしい。
 ひねくれた物言ひをするわけではない。事実、現代の日本に求むべきものは、「佳い戯曲」とまでは行かない、「戯曲になつてゐるもの」なのである。
 そんなら、これはどうだ、あれはどうだと一々突きつけられては事面倒になるが、ある標準以下のものは問題外にしようではないか。それがある標準から見て、たとへ、「戯曲になつてゐて」も、多少とも、われわれの文学的好奇心を刺激し、美的快感を喚起しないやうなもの、芸術的作品として数多き古今の名篇佳作と、同列は愚か、その末席を汚すことさへゆるされないやうなものは、ここで問題にする必要はあるまい。
 で、前に述べた如く、日本には作劇第一免許状を持つてゐない自称劇作家が多い。多すぎる。これは無免許運転手と同様、危険千万である。つまり、読者や見物の方が、油断なくよけて歩かないと、とんだ憂き目に遇ふからである。
 このことは、所謂新劇俳優にも通用する。此の方は免許状が実際に要るさうであるが、それは警察の方で知つたことで、こつちの知つたことではない。俳優の第一免許状と云へば、「台詞が言へるか言へないか」といふ免許状である。「対話させる術」に対して、これを「対話する術」と名づけよう。対話のできない人間といふものは嘗て聞かないが、その術を心得てゐる人間は、これまた日本には少ないのである。少ないのはいいが、それを心得ずして俳優を志すことは無謀も甚だしい。
「対話する術」とは何かと云へば、「言ふこと」のただ一つの「言ひ方」を捉へることである。「語られる言葉」の心理的効果に敏速な判断を加へ、一方、その効果の表示に適切な機会を与へることである。少々固苦しい言ひ草であるが、これを詳論する暇はない。
 さきに、戯曲の読み方のところでも云つたことは、俳優の場合に最も必要で、一々の言葉、一々の文句、一々の台詞に決定的な表現を与へる基礎的素質、つまり「語られる言葉」に対する感性だけは、どんな俳優でも有つてゐなければならない。
 俳優の素質については、後日詳論する機会があると思ふ。
 これでまづ、「我等の劇場」が要求する演劇の根本条件について、戯曲の本質、舞台の言葉なる意義並びにその研究法について、概略の説明を終つたつもりである。(一九二五・四)

初出:「演劇新潮 第二年第四号」
   1925(大正14)年4月1日発行
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岸田 國士(きしだ くにお、明治23年(1890年)11月2日 - 昭和29年(1954年)3月5日)
劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家。
戯曲『牛山ホテル』、『チロルの秋』、小説『暖流』、『双面神』、映画脚本「ゼンマイの戯れ」など。
妹の勝伸枝は作家で、翻訳家・延原謙の妻。長女は童話作家の岸田衿子、次女は女優の岸田今日子、甥に俳優の岸田森。

岸田 国士:作家別作品リスト(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1154.html

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