千の声をききわける耳
厩戸皇子、厩戸王、豊聡耳、上宮王 などとも呼ばれた「聖徳太子」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90
574(敏達3)年、父、用明天皇、母、穴穂部間人皇后の皇子(厩戸皇子)として生誕しました。用明天皇の母・堅塩媛、穴穂部間人皇后の母・小姉君は、ともに蘇我稲目の娘で、蘇我馬子とは兄妹でした。また、妃の一人、刀自古郎女は、蘇我馬子の娘でした。
593年、推古天皇が即位し、甥の厩戸皇子を皇太子に立て(聖徳太子)、摂政 に任じ、国政を委ねましが、事実上は、太子と馬子との共同執政といわれます。
601(推古9)年には、聖徳太子は斑鳩宮を造営し、政治の基調に仏教を採用し、文化の向上と仏教の興隆を目指し、
* 冠位十二階 や憲法十七条の制定
* 遣隋使 ・小野妹子を派遣、国書を煬帝に奉呈
* 天皇記、国記 の記録
* 勝鬘経義疏、維摩経義疏、法華経義疏の撰
などを行いました。
飛鳥時代の遺構を伝える法隆寺は、金堂に安置されている薬師如来の光背銘によると、用明天皇が自らの病気平癒を祈って薬師像と寺の建立を発願したが、その完成を待たずに崩御し、その遺命を受けた推古天皇と聖徳太子が607(推古15)年に完成したとあります。
岩波書店「日本古典文学大系」より
{飛鳥とナスカについての考察}
http://koinu2005.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%94%F2%92%B9
「聖徳太子」飛鳥ツアー
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/tv_taisi.htm
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