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2006年7月11日 (火)

銀座は海だった

徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年(慶長8年)には、銀座はまだ海だった。
江戸に城はあったものの、城の東側は利根川水系の作る低湿地で、葦(あし)が繁っていた。
江戸の西側には、関東ローム層からなる武蔵野台地が広がっていた。
武蔵野台地の東側には、いくつもの谷が深く切れ込み、坂や崖を作っていた。
現在の東京都心の高台は、こうした台地の先端部分に当たる。
上野、本郷、小石川、四谷、赤坂、白金などいわゆる山の手を形成する高台だ。

江戸城も、こうした台地の先端に築かれていた。
江戸城から見ると、現在の日比谷あたりは浅い海の入江。
日比谷の海を隔てて、日本橋から半島のように砂州が出ている。
これを江戸前島といい、前島の付け根の部分に、江戸湊(みなと)が築かれた。
幕府が最初に埋め立てたのが、日比谷の入江だった。
江戸城の目の前まで入り込んでいた入江だけに、船で攻め込まれる危険があったからだ。
加えて、武士たちを住まわせる屋敷も必要だった。
そこで埋め立て工事に拍車がかかり、江戸城から前島にかけて、新しい陸地が造られた。

日比谷の埋め立てに先立って、江戸城と江戸湊を結ぶ堀が造られた。
道三堀というこの運河は、現在は姿を消しているが、江戸城へ物資を運ぶ幹線運河だった。
川の多い江戸では、水上交通が便利であることに、幕府はいち早く気がついた。
武士、町人にとっても同じこと。
猪牙(ちょき)舟で行ける所まで行き、降りてから歩くのが普通だった。
ヴェネツィアの水上タクシーと同じ様に、猪牙舟はお江戸の人たちの足だったわけだ。
水をたたえた堀と猪牙舟の実物は、「江東区立深川江戸資料館」に再現されている。

江東区深川江戸資料館最新情報
http://homepage3.nifty.com/l-koto/sisetu/sisetu_edo110/sisetu_edo110.html http://homepage3.nifty.com/l-koto/topics/edo/topic_edo.html

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