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2006年9月22日 (金)

世界は「水」や「息」や「無限定なもの」たった一つの元素である。

世界は何らかの永遠の昔から存在するものによってできている。
「あるものは常にあり」「無からはなにも生まれない」ミレトスの三人の哲学者たちは言った。
「世界のおおもとの素材はわかった。しかしこの素材はどのようにして変化し、別のもになるのか」
アナクシメネスの水は如何にして石になるのか。

その「変化の問題」あるいは「生成の問題」、または「存在と生成の問題」に取り組んだのは、南イタリアにあったギリシア人植民地エレアに住んでいた紀元前500年ごろの哲学者たちだった。
「エレア学派」創設者パルメニデス(Parmenides, B.C.540-480)は、「無からはなにものも生じない」が、水とか空気などの何らかの元素が変化して別のものになることを否定した。
変化とは、いまあるものがなくなって、別のものになるということ。「あるものは常にある」から、なくなることはない。「いま、あるものがなくなって別のものになること(変化すること)」はないと考えた。

水は水であって、氷にはならないという。
人は存在するものについてだけ考えることができ、存在しないものについては考えることはできない。
「水が氷になる」という変化の過程を細かく分析すると、
変化の過程には、 水は別のもになって、もとの水は存在しなくなる。
氷は、はじめ存在しなかったが、存在するようになった 。
という二つのプロセスが含まれていることがわかる。
水の存在⇒水の非存在
氷の非存在⇒氷の存在

しかし「人間の理性は、存在するものについてだけ考えることができる」とパルメニデスは考えて、人は「存在しないものについては考えることはできない」。人は水のことを考えている限り、存在しなくなった水、つまり水の非存在を考えることはできないという。水が存在しないとは言えず、水は常に水として存在するとしか言えない。水の存在⇒水の非存在という変化の過程を考えることはできず、水は変化しないと結論される。同じく氷の非存在から氷の存在の過程も考えることはできない。存在するものについてしか考えないから、氷の非存在は考えることができず、氷の非存在⇒氷の存在という生成の過程は考えられない。
パルメニデスによれば、氷はあくまでも氷として存在し続けなければならない。


なぜなら思惟することと有ること(存在すること)とは同一であるから。
[生成・変化の否定]
ただ、有るものはある・・・なぜなら有らぬものが有るということは、言うことも考えることもできないから。有るものはある。有らぬものは有らぬ(ないものはない)。それはまったく有るか、まったく有らぬかのどちらかである。・・・思惟(no,hsij)と「それが有る」という思想(no,hma)とは同一である。


パルメニデスによれば、「水は常に水であって」、水が何か別のものになって、もとの水が存在しなくなるということは考えられない。なぜなら非存在は考えることができない。
そして彼は「あるものは常にある」という前提から、元素の変化を否定したばかりか、運動そのものも否定して、万物は一見すると生成消滅と運動を繰り返しているが、絶対の静止の状態にあるとしています。

「人間は存在するものについてだけ考えることができる」(存在と思惟の同一視)という前提からこのような結論を導き出し、物事を理性的に考える場合に従う思考の法則、つまり同一律と矛盾律という論理学の法則を厳格に適応していた。
同一律→「AはAである」
矛盾律→「AがAであると同時にB(非A)であることはできない」
この二つの法則を水にて適応してみると、水は常に水である(同一律)、そして水は、水以外のもの(非水)には決してならない(矛盾律)ということなる。

パルメニデスの主張は、「あるものはある」→探求の道(矛盾律・同一律) と、「変化や運動は見せかけ」→死すべきものたちの曖昧な考えとすることであった。
しかし自然は変化している。植物の種は変化して、芽を出して葉や花や木や森になるし、動物は子を孕むし死ねば、原形をとどめずに腐敗して元素に解体されるか蒸発する。生き物に永遠の貌は与えられていない。
パルメニデスも自然は変化することを知っていたが、それは死すべきものたちの「曖昧な考え」(臆見)と言っている。自然の変化は、目や耳や触覚などの私たちの感覚に由来するものだと言う。物を感知する人間の感覚をあまり信用せず、物事を考えるときに使う「理性」を信用していた。

「理性」=論理法則を使って永遠不変なものを捉える能力(客観的)
理性とは、感情を抜きにして(矛盾律と同一律を使って)何かを理論的に計算する能力で、何か恒常不変なもの・永遠不変なもの(存在)を捉える力。「三角形の内角の和は180度である」という数学上の真理は、時がたてば変わってしまうようなものではなく、いついかなる場合でも成り立つ。これは「感覚」では捉えることができず「理性」によってしか捉えることができない。

「感覚」=変化するものだけを捉える能力(主観的)
ところが「感覚」は目の前の自然界などの変化するものしか捉えるられない。目の前に見ているものは永遠に存在することは絶対にありえない。人には大きく分けて五つの感覚がある。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚。これらによる感覚の対象となる自然界は、変化するのが常である。
パルメニデスによると、人の五感は世界のまやかしの像を伝えているに過ぎないと言う。
人間は五感まかせにせず、理性を働かせて「理」が語りかけることに耳を傾けれればいい。

感覚の対象⇒生成変化・生成消滅
理性の対象⇒永遠不変な存在
矛盾律と同一律という理性の法則のフィルターを通過することができるものだけが存在する。そのフィルターを通ることのできない感覚的なものを死すべき人の錯覚とした。パルメニデスによれば、理の語ることだけが本当の意味で存在する。論理学の法則に合うものだけが存在する。理性に絶対的な信頼を寄せ、すべてを理性の立場から判断する考え方は、「合理主義」(rationalism)と呼ばれています。パルメニデスは、理性の要求(同一律と矛盾律)を厳格に守り、物事の変化を否定した点において、古代における合理主義の代表者の一人として引き合いに出される。

感覚の対象としての変わるもの 、一時的存在、理性の対象としての変わらないもの 、永遠の存在 。
西洋哲学の歴史は、感覚と理性という二つの項の対立の歴史。
目の前の現実を直視し、それを真理と認めるか、それとも目の前にない何か永遠不変なものを真理として認めるかという対立。自然の変化を否定する思想には、当然すぐ反対者が現れた。小アジアのエフェソスにいたヘラクレイトスという人物だった。
ディオニソス的 なるものとアポロン的 なるものとの対立する思考は、ニーチェによっても語られて、今も先端部では対立する思考となっている。

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