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2007年6月29日 (金)

世界の存在理由と同じ存在理由をもって

El_belga

「霊感を受けた状態になると、思考は陳腐であることをやめ、特別になり、常軌を逸し、すばらしいものになる。思考は、世界が差し出してくれるものとの類似を備えつつ、そして思考が受け取るものの神秘を喚起しつつ、世界と似る。神秘は不変である。それは素朴な解釈や、訳知りの解釈とは絶対に無縁だ。神秘は喚起されるしかないものだ…」Magrittemots_et_image

2007年6月27日 (水)

あの晩の夢判断をするには、私の持っている腕時計と私との妙な因果関係を分析しなければならないだろう。

 私の腕時計は腕に巻いていると時刻は正確にうごくが、腕からはずすと止ってしまうのだ。私は毎晩寝る時は腕からはずして枕許に置くので、針は止って、朝起きて腕につけると針はうごきだすのだ。だから、
「この腕時計は、俺が寝ると俺と一緒に寝てしまうよ」
  と私は言って、なんとなく愛着を感じていたのだった。これは腕時計が故障しているので時計の役目をしないことになるのだが、それでも私は不便は感じなかった。私と同居しているミツヒトという甥は機械類が好きで、時計も高級なウエストミンスターの大型置時計を置いてあるからだった。
  数ヵ月前のことだった。
「そんな役に立たない腕時計は」修繕した方がいいじゃァないか」
  と弟にすすめられて、弟の知りあいの時計屋さんに持って行ったことがあった。
「分解掃除をするんですねえ」
  そう言って時計屋さんは中を開いて、
「アッ、こいつは凄い時計ですよ」
  と、眼を見はった。
「そんなにいい時計だったですか?」
  と覗き込んだ弟も、「アッ!」と叫んだ。時計の中は歯車もゼンマイも部分品は燦然と輝く金製品だった。
「金ですか?」
  と弟が念を押した。
「純金ですよ、こんな時計は見たことがないから」
  と言われて、私は(そうでしょう/\)と思っていた。手を合わせておがまれるように頼まれて買わされた時計だったが、(あゝ、掘りだしものだったなぁ)と嬉しくなった。時計屋さんは5分間ばかり調べてくれたが、
「どこも故障などしてないですねえ」
  と言って、それから、
「こんないい時計に、こんなバンドでは時計が泣きますよ、このくらいのをつけなければ」
  と千五百円の金張りのバンドをつけてくれた。
(そうでしょう/\)
  と払は千五百円支払って、帰りがけに、
「あの、夜中に止ってしまうのですが」
  ときくと、
「それはネジを巻かなかったでしょう」
  と言われた。ネジを巻いても止ってしまうのだが、相手がそう言うのでこれ以上しつこく言うことが出来なくなっでしまった。それで、そのまま帰って来てしまったが、少したって、デパートの時計部へ持って行って見て貰ったら、
「これは、タイヘンな、インチキ時計ですねえ、スイス製のマークだが、こんな時計は、なかの部分品は、これは、トタンのメッキみたいなものですね、バンドだけは金張りでこんな時計につけては勿体ないですよ」
  と言うので(そうでしょう、やっぱり)と思いながら聞いていた。この時計は友人から3千円で買ったのだった。その友人は帰国するアメリカ婦人から捨値で5千円で買ったのだそうである。その友人は
「母キトク」の電報がきた時に、
「買ってくれ、捨値でも5千円するのだが、3千円でいいから」
  とすすめてくれて私が買ったのだが、アメリカ婦人の捨値ということも本当だかどうか疑わしいし、「すごい、いい時計だ」とほめてくれた時計屋さんもバンドを売りつけるためのお世辞だったらしい。そんな不愉快なことがあったりしたが、なんとなく私は愛着があって、
「俺が眠ると、俺と一緒に眠ってしまう」と言って、私は手離す気になれなかったのだった。
  あの晩、私が家に帰ったのは夜おそく私の腕時計は1時30分だった。腕から時計をはずして寝たのだが、私の意識していた時刻はウエストミンスターの針は1時50分をさしていて、その時は私の腕時計も1時50分だった。それから私は眠ってしまってあの夢を見たのだった。
  その夢は私が井の頭線の渋谷行に乗っているところからだった。朝のラッシュアワーらしく乗客は満員だった。客達はなんとなく騒いでいて「今、都内の中心地は暴動が起っている」とラジオのニュースで聞いたとかと話しあっていて、私の耳にも聞えていて、私もそれを承知しているのだった。渋谷の駅で降りて私は八重洲口行のバスに乗ろうとするのだが、何の用事で私は八重洲口に行くのか知らないのだ。これは、夢というものはそんなことまで考えてはいないものだ。バスの乗り場の大盛堂書店の前へ行くと、バスを待っている人がずーっと道玄坂の上まで並んでいてしまいはどこだかわからないのである。どうしたことか私はその一番先頭へ立ってしまったのだった。私が、変だと思うのはこんな秩序を乱すようなことをふだん私はしないのに、そんなことをして、また、まわりの人達も文句を言わないのはどうしたことだろう。そこで私は立っている間にまわりで騒いでいる話を聞いていると、都内に暴動が起っているのではなく、革命の様なことが始っているらしいのだ。

つづく ↓

http://takamatsu.cool.ne.jp/azure2003/s_hukazawa/huryumutan.htm

2007年6月26日 (火)

rockin’on CD Track List

ロッキング・オン付録CD 曲目リスト

[ rockin’on CD vol.1 Track List ] 2005.4

01 BLOC PARTY / Banquet
02 BRIGHT EYES / Take It Easy(Love Nothing)
03 THE FUTUREHEADS / Decent Days And Nights
04 MAXIMO PARK / Apply Some Pressure
05 GOLDIE LOOKIN CHAIN / Your Mother’s Got A Penis
06 THE DEPARTURE / Just Like TV
07 ROOSTER / Come Get Some
08 BRITISH SEA POWER / Please Stand Up
09 SCISSOR SISTERS / Tits On The Radio
10 NEON / Hit Me Again

[ rockin’on CD vol.2 Track List ] 2005.10

01 H.I.M./Wings Of A BUtterfly
02 THE RAKES/Work, Work, Work(Pub, Club, Sleep)
03 HER SPACE HOLIDAY/Forever And A Day
04 SIGUR ROS/Glosoli
05 BULLET FOR MY VALENTINE/Suffocating Under The Words Of Sorrow(What Can I Do)
06 HARD-FI/Hard To Beat
07 JUNIOR SENIOR/Take My Time
08 BLACK REBEL MOTORCYCLE CLUB/Ain’t No Easy Way
09 GANG OF FOUR/Damaged Dogs

[ rockin’on CD vol.3 Track List ]2006.5

1. Morningwood / Nth Degree
2. Delays / Valentine
3. Clap Your Hands Say Yeah / Is this Love?[Single Edit]
4. Editors / Munich
5. The Streets / War Of The Sexes
6. The Dresden Dolls / Sing
7. The Velvet Teen / Gyzmkid
8. Living Things / Bom Bom Bom
9. Jack's Mannequin / The Mixed Tape
10. Mystery Jets / You Can't Fool Me Dennis [Single Version]
11.Soft / Gold ("Higher"の予定がマスタリング時の不備により収録)

[ rockin’on CD vol.4 Track List ] 2006.10

1.SHE'S GOT STANDARDS / THE RIFLES
2.NOT ANYMORE / THE KBC
3.MONA LISA'S CHILD / KEITH
4.HOUSE PARTY AT BOOTHY'S / LITTLE MAN TATE
5.THE SAD WALTZES OF PIETRO CRESPI / OWEN
6.SMILE / LILY ALLEN
7.BAILING OUT / LITTLE BARRIE
8.I'M SO SICK / FLYLEAF

[ rockin’on CD vol..5 Track List ] 2007.5

1.The Holloways / Generator
2.Hopewell / Beautiful Targets
3.Earl Greyhound  / S.O.S.
4.Switches / Drama Queen
5.1990s / See YOU At The Lights
6.The Enemy / 40 Days And 40 Nights
7.Simian Mobile Disco  / Hustler
8.Justice / Phantom
9.Walking Ashland / Drought Of 2001

雑誌「ロッキング・オン(rockin'on)」 2005年より半年ごとに付録となっているCD。
アルバムカバーもないために、Track List データー作成した。
いずれ[ rockin’on CD  Track List ] サイトは望まれるだろう。
rockin’on CD vol.6 発行までに加筆予定。

東京都渋谷区桜丘町20-1 渋谷インフォスタワー19F 株式会社ロッキング・オン
http://www.rock-net.jp/

2007年6月25日 (月)

肉をくわえたイヌ

 その犬の口には、大きな骨付きの肉が銜えられていました。
ついさっきまでの自分の勇猛果敢な振る舞いを思い出し、ニヤニヤしながら川へ向かって歩いていました。
 沢山の犬が街にいましたが、彼の腕力にかなう犬はいませんでした。その口にくわえられていました肉も、ついさっき、よそ者の犬から力づくで奪い取ったご馳走でした。
 よそ者の犬は、若くて立派な体格をしていましたが、その犬が従えた沢山の子分に囲まれて震えていました。
「これは友だちへの大事な土産なんだ。あんたにはあげられないよ」
 よそ者の犬がそう言おうとする隙も与えず、飛びかかると、いっきに喉笛へ噛みつきました。よそ者の犬は、大事な肉をくわえていましたので、噛みつき返すこともできず、あっけなく負けてしまいました。
 肉を奪った犬は、無残に倒れたよそ者犬の亡骸を思い出しては、にたにた笑っていました。そして、おいしい肉をだれにも取られない所で食べようと、子分を従え、街はずれの川へ向かって歩いていました。
 川まで来ると、流れはいつになく静かでした。いつもは気にせず通り過ぎてしまう丸太でできた一本橋でした。流れが静かだったので、橋下の水面に、その橋の影が映っていました。それを見た犬は欲張り、得意げに子分に向かって言いました。
「立派な俺様には、上の橋がふさわしい」
 橋の中ほどにさしかかると、下の橋にうまそうな肉をくわえたよそ者の犬が歩いている事に気が付きました。体格は良く鋭い目つきをした怖そうな犬でしたが、よく見ると、小刻みに足が震えているではありませんか。
「しめしめ、臆病な奴だぞ。あいつの肉も脅かして取り上げてやろう」
 欲張り犬は、更に鋭い目つきをして力の限りに吠えました。ワン、その途端、ポチャン、くわえていた肉が、川へ落ちていきました。 (了)

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/cicada/preface.html
ヘロドトスの「歴史」によると、紀元前6世紀に奴隷のアイソポスが作ったとされているが、すべてがアイソポスの創作ではなく、それ以前から伝えられていた寓話、後世に創作された寓話、アイソポスの出身地(小アジアのどこかといわれる)の民話を基にしたものも多数含まれていると見られる。ギリシア語の原典は失われており、現存するのは古代及び中世にバブリウス、ファエドルス、アヴィアヌス、ル・ピュイのアデマールなどによってまとめられたラテン語のものである。

2007年6月24日 (日)

普段目にかからない珍しい・いろんな意味で異常な漢字

おおいちざたいとimgki1624.gifimggurihamashiro24.gifimgyoukekkaku24.gifimgbixian24.gifimg15.gifimg12824.gifimgmaho24.gifimg13.gifimgtaofu-.gifimghonokoji24.gif

沈魚落雁閉月羞花 http://www.geocities.jp/f9305710/

下の六枚のトランプから 一枚記憶してください。

そして私が、あなたの記憶した1枚を取り除きます。

では残りの5枚をめくります。

2007年6月23日 (土)

万葉集とピタゴラス数

「三方」という文字は、三平方の定理を連想さる。ところが、万葉集では、

--------|
1 2 3 |   (三方沙弥)
----|  |
1 2| 4 |   人皆は今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも (娘子)
   |  |
1 2| 5 |   (三方沙弥)   の3首の歌がセットになっている。

いうまでもなく、この3個の番号の1位の数(3,4,5)はピタゴラス数である。

そこで、上記の番号の9個の数字を碁石に置き換えて、3番目の4角数3^2と見れば
【逆L字形】に並ぶ【1,2,3,4,5=2X3-1】に注目することによって、

2^2+2X3-1=3^2   を意識する。

このことは、一般化すれば  (N-1)^2+2N-1=N^2  となる。

よって、2N-1=K^2(Kは自然数)が成立する場合、(K,N-1,N ) はピタゴラス数となる。

具体的には、、2N-1=3^2,5^2,7^2,…… すなわち、N=5,13,25,……とすれば、
ピタゴラス数(3,4,5)、(5,12,13)、(7,24,25)……が得らる。

『口遊(くちずさみ)』の数学」偽為典よりの抜粋 http://www.geocities.jp/yasuko8787/6-s1.htm

与えられた円と等しい面積をもつ正方形を定規とコンパスで求める円正方化問題は、
1882年、リンデマンが作図不能であることを証明した。これに対し、『日本古代遺跡の謎と驚異』の著者太田明氏は、近似式√π=(√6/√5)(1+√5)/2
を用いた作図法が、生石(おうしこ)神社の御神体を取り込むいくつかの古代遺跡によって示されているという。

兵庫県高砂市にある生石神社の御神体は、採石場の一角の地山の三方を深く削りとり、
地盤を直方体状(倒れた家形?)にした重量が500トンもあろうかといわれる巨大な石造物である。

生石は、地球を意識させるために、地盤から切り離していない石を意味する、と考えられなくもないが、その神社の縁起に、万葉集355番の生石村主(すぐり)真人の歌が引用されている。ところが、万葉集には、その名に「村主・人」が付く歌人として、この他にもう1人、クラ作村主益人がおり、2首の歌を残している。問題はその歌の番号が、311と1004だということである。

なぜなら、311を113の逆数とみなし、8桁の電卓で355/113の値を求めると、3.1415929が得られるからだ。

なお、万葉集の歌は4500首以上ある。そこで、参考までに、4500本の中に1等が1本、2等が4本あるくじを2本引いて、1等と2等とが当る確率を求めてみると、その確率は250万分の1以下になる。 だから、生石村主真人の歌の番号355とクラ作村主益人の歌の番号311とは、偶然の産物ではないのかもしれない。

ヨーロッパでは、この円周率の近似値355/113の発見者はアンドリアン・メティウス(1527~1607)とされているが、中国では、それより1000年以上も前に、祖沖之(そちゅうし 429~500)が発見している。したがって、ヨーロッパ人には不可解でも、中国文化を盛んに取り入れた過去の日本では、万葉集の歌番号で円周率355/113が示されるようになっていてもおかしくないのである。

円周率を3と教える現代の日本においては、この事実はどのように受け止められるであろうか。

升目7X7の正方形に「たゐに」を7段書きし、8字「をほとものやかもち(大伴家持)」に目印をつけると、全体を市松模様に塗り分けた場合の、同色の升目のみに片寄ることになる。しかも、その8字は下3段には現れないので、全体を上下に2分することを思いつく。

さらに姓と名を区別するために「ヲホトmoノyakamoti」としてみると、「へ」字型に並ぶ4字分「yakamoti」
がヒントになって、全体を左右に2分することを思いつく。↓
----------------------------------------------------------------------------------
     「たゐに」7段書き
|―――――――――――――|  正方形ふけyaひ=A^2、正方形さおつて=B^2 とおけば
|ふ  ら  ノ  ひ| め  む  た|
|          |        |  長方形めあいた=長方形ぬ○ろま=AB
|ね  mo  う  ゆ| す  わ  ゐ|
|          |        |  「対角線いめ」による分割
|ka  は  t i  く| ト  れ  に|  長方形めあいた → 直角三角形めあい+直角三角形めたい
|          |        |
|け  ホ  ゑ  ya| あ  ヲ  い|  「対角線ま○」による分割
|―――――――――――――|  長方形ぬ○ろま → 直角三角形まぬ○+直角三角形まろ○
|ぬ  せ  へ  ま| さ  そ  て|
|          |        |  「直角三角形めあい」の直角をはさむ2辺の2乗の和=A^2+B^2
|○  よ  る  し | り  き  な|   =(A+B)^2-2AB
|          |        |
|○  え  こ  ろ | お  み  つ|
|―――――――――――――|
----------------------------------------------------------------------------------
直角三角形めあい→左下角、直角三角形まぬ○→左上角、直角三角形めたい→右上角、
直角三角形まろ○→右下角、と移動すれば、各直角三角形の斜辺の2乗=(A+B)^2-2AB

よって、直角三角形の直角をはさむ2辺をA 、B 、斜辺を C とすれば、A^2+B^2=C^2

この証明の意義は、万葉集に4回使われている「射目(いめ)」によって明らかになる。

2007年6月22日 (金)

朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か

スフィンクス(Sphinx、ギリシャ語で「絞め殺す者」の意) は、ギリシャ神話に登場する、ライオンの身体、人間の女性の顔、鷲の翼を持った存在。高い知性を持っており、なぞ解きやゲームを好む。 オイディプスの神話によれば、フェキオン山に住んでいたスフィンクスは、美しい顔と乳房のある胸、ライオンの身体と翼を持っていた。旅人を捕らえて謎を出し、答えられぬ者を食べていた。

Morea
この謎は「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。 その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」というものであった。この謎が解かれた時スフィンクスの災いから解放されるであろう という神託をテーバイ人達は得ていた為、この謎を解くべく知恵を絞ったが 何人も解く事は出来ず、多くの者がスフィンクスに殺された。身体は獣だが美しい女性の上半身を持つスフィンクス。今まで何人もの人間を食してきたにもかかわらず、オイディプスも憐れむような優しくて悲しい目。 

テーバイに来たオイディプスはこの謎を解き、スフィンクスに言った。 答えは人間である。
何となれば人間は幼年期には四つ足で歩き、青年期には二本足で歩き、 老いては杖をついて三つ足で歩くからである。このなぞなぞでの「朝」「昼」「夜」は人間の一生を一日に例えた比喩的表現である。一部の間では「朝も昼も夜も赤ん坊は4本足、その後は2本足、その後は3本足」という解釈も出てきている。一部のなぞなぞでは「最初は4本、次は2本、最後は3本」と変えられている場合もある。謎を解かれたスフィンクスは自ら城山より身を投じて死んだ。 これは謎が解かれた場合死ぬであろうという予言があったためである。
もうひとつの解釈として、スフィンクスの謎かけの答えは「オイディプス」であるとも言われる。初めは立派な人間(=二つ足)であったが、母と交わるという獣の行いを犯し(=四つ足)、最後は盲目となって杖をついて(=三つ足)国を出て行くという以下のオイディプスの数奇な運命を表すものである。王となったオイディプスは国に災いをもたらした先王殺人の犯人を追及するが、それが実は自分であり、更に産みの母と交わって子を儲けていたことを知るに至って自ら目を潰して王位を退くのだった。

ソポクレス 「オイディプス王」 物語 あらすじ

  1. そもそもは、 オイディプスの父王ライオスが、おのれの情欲に負け、再三にわたるアポロンの神託を無視して、 妻イオカステとの間に一子を設けたことに始まる。 この結婚には、生まれた子供が父を殺す、という呪いがかけられていた。 呪いは、ライオスが若い頃、放浪の身を寄せた王家の美少年に邪恋し、ついにこれをさらって 殺してしまった罪による。
  2. 王ライオスは、生まれた男児についての呪われた神託を恐れ生まれるとすぐ、嬰児の両かかとをピンで刺し貫いた上で、山奥に捨てさせた。  しかし嬰児は、じつは捨てられず、子の無いコリントス王家の手に渡って、 コリントスの王子として育てられ、見事に成人する。 この王子の名、オイディプスとは、貰われた時のかかとの腫れゆえにここでつけられた 「腫れ足」という意味の名前である。
  3. みずからの出生を知らぬまま成長したオイディプスは、自分がコリントス王の実子にあらずとの噂に悩み、アポロンの神託に答えを求めデルポイに赴く。しかし、そこで得た神託は求める答えではなく、 「もし故郷に帰れば、汝は父王を殺し、母と褥(しとね)を共にすることになるであろう」 という予言であった。
  4. コリントスをみずからの故郷と、まだ固く信じるオイディプスは、この神託を恐れコリントスには戻らずにそのまま旅の途につくが、 旅の途中、狭い三叉路で、二頭立て馬車に乗る老人と従者の一行と出会い押しのけ合いから争いとなって、これらを殺してしまう。 やがて、テバイの都にまで辿りついたところ、都は大混乱の真っ最中だった。 ただ一人逃げ帰った従者の話では、王の一行が山賊に出会い、皆殺しにされたと言う。 オイディプスはまだ知らないが、彼が殺した老人こそ、彼の実父、ライオスであった。
  5. しかもその上、テバイ郊外の丘には怪物スフィンクスが現れて、人々を悩ませていた。 下を通る者に、誰にも分からない謎をかけ、解き得ないと捕って食う。 神託はこの謎を解けば、スフィンクスの災いはおのずから除かれるであろう、という。
  6. 王を失ったテバイでは、妃イオカステの弟クレオーンが摂政に立ち、 スフィンクスの謎を解いてこれを退治した者を、イオカステの夫としテバイの王とすると、ふれを出していた。
  7. スフィンクスが出す謎とは、  「一つの声を持ち、二つ足にして四つ足にして三つ足なるものが、地上にいる。」
   「それが最も多くの足に支えられて歩くとき、その肢体の力は最も弱く、その速さは最も遅い。」というもの。
  8. オイディプスは、スフィンクス退治の役を買って出て、その謎の答えを「人間」と解く。
 謎を解かれたスフィンクスは谷に身を投じて死に、オイディプスは約束どおり王位について、イオカステを妻とした。
 こうして、予言は全て成就した。
  9. オイディプス王は、イオカステによって二男二女を設けるが、 やがて、テバイには凶作が続くようになり、さらに悪疫が流行し、国運が傾き始める。
10. これの原因をたずねて得た神託は、こうであった。
    「この国には、一つの穢れが巣くっている。
    されば、これを国土より追いはらい、決してこのままその穢れを培って不治の病根としてしまってはならぬ。
     その穢れの因、国内にいるライオス殺しの犯人を突き止め、これを追放せよ。もしくは殺して罰せよ。」
11. 王オイディプスは、熱心に探索をはじめるが、 やがて、まさにみずからが、その恐ろしくも忌まわしい穢れの元であることを知る。
12. 真相を知った母イオカステは、みずから首を吊って死に、高潔なオイディプス王は、激しい心の苦しみの果てに、みずから両目を突きつぶして放浪の旅に出た。

以上のプロットは限りなく応用の効く物語の力がある。

古代ギリシャ演劇を新たな解釈で映画化したのが、監督 ・脚本 ピエル・パオロ・パゾリーニの「アポロンの地獄 Edipo Re」である。  
http://hello.ap.teacup.com/applet/koinu/20070622/archive

2007年6月21日 (木)

数字の意味を語る アホウドリ

神祀る愛する大地は 鞍馬山 レムリアへ    
嗚呼 婆裟羅 点透視 デザイン  
聖徳太子未来記によると 命は無常なりきシステム 
数字の意味を語る アホウドリ  ひとつ泣きて飛び立つ
しかし時に言葉はふたつの意味を放つものだ

ファウスト博士から  マイナスゼロ -魔術数式
数字の意味  数字の意味  数字の意味 
数字の意味  数字の意味  数字の意味 
数字の意味  数字の意味  数字の意味とは 

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2007年6月20日 (水)

誰も歴史を作らない、それを見る者もいない

「黄色くそれから瞬きひとつするあいだだけ黒くそれからまたもや黄色く。 つまりひろげた翼太陽と眼とのあいだに迅速な弓の形  顔の上に一瞬ビロードのような闇  一瞬手がひとつ  闇それから光  というよりむしろ想起(告知だろうか?)
下から上へすさまじい速度でわき出して行く触知できる闇の行なう記憶の呼びもどし すなわちつぎつぎに顎口鼻額は闇を感じとることができ しかもその闇の一握りの黒い土のような墓穴めいた湿っぽい臭いを嗅覚的に感じとることさえでき  同時にまた絹の裂けるような音つまり空気がこすれるのを聞きとり  あるいはことによるとそれは聞きとれたのでも近くされたのでもなく想像されただけかもしれぬ 
鳥 矢は的を攻め敵を打ってすでに姿を消し 矢羽根は唸りを発し 死をもたらす矢の射かけあいは交錯しあいシュウシュウと鋭い音をあげる円弧を描きだしてちょうどあの絵のようだがあの絵はどこで見たのだろうか? 
波額をたて棘をはやしたような黒っぽい藍色の海上でヴェネチア軍とジェノヴァ軍との海戦そして一艘のガリー船から別のガリー船へ羽根をつけた矢のアーチ形が暗い空に唸りをあげ  そのうちの一本は彼が件をかざし兵士たちを先導して突進していったとき彼の開いた口のなかに突きいり彼を貫き咽喉の奥で叫び声を抑えつけ サフラン色の背光に飾られた暗色の鳩」

クロード・シモン『ファルサロスの戦い』(白水社) 冒頭の書出しは絵画やカラーイラストの描写手法がとられている。この作家は映像による物語が世界へ浸透することを半世紀以前にすでに気ずいていた、それが文章による描写の方法を鍛え上げ実験的な方向性をめざしたことへ繋がった。

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《写真と映画がわれわれのおのおのが世界を把握する仕方を徹底的に変えて しまったことは確かである。…空間の中で[たとえば描かれる情景に対する視野・ 距離・動き]、あるいは、お望みの場合は、別の言語において[たとえば見る角度 およそのプラン、平均的、パノラマ的なプラン、旅行のプランなど]、ひとり ないし複数の話者が占める様々な位置を絶えず明確にすることによってのみ 私は小説を書くことができる》とクロード・シモンが語っていたのは印象的なことである。音楽においても映像や絵画描写の方法が、作曲へ応用されてもイイという時代なのだと思う。もしも「その方法を展開させてゆくという活用」の面白さを知っていれば、錬金術と均しい化学反応が期待される。

彼が知っている二軒は(いまは彼には、時々そこへ行ったのも彼の生涯の ファンタスチックなくらい遠い昔―というかむしろ別の人生、いわば先の世の 人生だったような気がし、なにか(場所も―当然おなじ場所だし―人間も― やはりおなじ人間たちだったが、そこで、その人間たちにまじって生きてきた ことを覚えてはいるものの)どことなく非現実的で、浮薄で、ちぐはぐなものと 思われたもので)閉まっていた。(クロード・シモン『アカシア』)
http://www3.azaq.net/bbs/820/koinu/index.html

Bateau_livre_couleur Bateau_livre_couleur

「誰も歴史を作らない、それを見る者もいない、ちょうど草が成長するのが 見えないように」でも彼女(あのひと)にはなにもないし、だれもいない、そしてだれもあのひとのことで泣きはしない(それに泣くひとがいない死がなんだろう?)たぶんあのひとの弟をのぞいて、あのもう一人の老人を、それにきっとあのひと自身だって自分のことで泣きはしないだろうし、つまり自分のことで泣くなんて許さないだろうし、考えもしないでしょう、そうするのが慎ましいとか、ふさわしいとか……
『たしかにあのひとはあなたにはなんでもない。』
『そうなの』とルイーズはいった。
『そうなの、彼女はすなおに繰返した。しかし前方の、彼には見ることのできない何かを見つめつづけていた。
『それでなにも』と彼女はいった(相変わらず木々や、牧場や、九月の静かな平野のかなたの、この彼には見ることができない何かを見つめながら)。
なにもない、あのひとは一度も結婚しなかった。たぶん一度も思ったことすらないの、自分にもできるとか、その権利があるとか――
十五歳年下の弟がいたから、この弟をあの人たちは育てた(あのひととすでに亡くなった姉とで)、そしてうまくいった
(一着の服を、最初に使われた服地の横糸まで擦り切れてしまうのにかかる時間のほぼ三倍ながく着られる一番いい方法をさんざ考えたおかげで)医学部の教授にすることができた、
やっと文字が読めるような、もしかしたらぜんぜん読めないかもしれないような父母をもったあの二人の女教師(せんせい)にしてみれば、きっとそれは一人の女がごくあたりまえに権利をもちたいと願うそんないっさいを諦めてでもやり甲斐のあることに見えたのにちがいない(クロード・シモン『草』より)

2007年6月19日 (火)

詩人の描いた絵

1b 2b

ものごとをまだ種のうちに見抜けるなら、それを天才という 4b

ベルギー生まれのフランス詩人アンリ・ミショーは、記号とも生物ともつかない不思議な形態によるドローイングを1930年代から半世紀にわたって描き続けました。サボテンから抽出される幻覚剤メスカリンの実験的服用によってイメージが発生する地点を探求するなど、きわめて独特な制作活動を展開し、現代の画家の多くに影響を与えた存在です。彼の作品は常に、流れるような運動感を帯び、エネルギーの奔流に満ちています。そこには頻繁に無数の人間の姿が浮かび上がってくるのです。
一気呵成に、駆け抜けるようにして描き上げられた彼の画面の中に、わき上がるように生まれ出、動き回るひとのかたちには、長く人間を描いてきた絵画という営みを今一度原点から問い直させるような原初的な力が秘められています。

2007年6月17日 (日)

ラテン文字(Latin alphabet)

紀元前 7 世紀に、フェニキア文字やギリシア文字を元にするエトルリア文字を基に創られた。もととなったエトルリア 26 文字のうち 21 字をローマが採用した。初期のラテン文字は A, B, C (/k/ と /g/ の両方を表した), D, E, F, Z (ギリシア文字の Ζ), H, I (/i/ と /j/ を表した), K, L, M, N, O, P, Q, R (長い間Pのように書かれた), S, T, V (/u/, /w/ を表した), X。

後に Z が除かれ、この位置には新しく C から分化した G が入った。

その後、紀元前 1 世紀にギリシア文字ΥとΖが末位に加えられ、長らくこの 23 字が使われた。元来は大文字だけが使われたが、中世になって筆記を容易にするため小文字が使用されるようになった。

1300 年頃、母音 /u/ と半母音 /w/ を書き分けるために V から W が作られた。同じく 16 世紀に母音 /i/ と半母音 /j/ を書き分けるために I と J が分かれた。最後に V と U の書き分けが確立したのは 18 世紀になってからである。

ラテン文字基本26字の一覧(大文字/小文字)

英語は、基本26字のすべてを使い、またそのほかの文字や記号を付した文字を(外来語をのぞき)使わない言語である。

A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y Z
a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z

[ 上記に加えて使われる文字の例]

アキュート
アクセント
グレイヴ
アクセント
サーカム
フレックス
ウムラウト/トレマ
Á É Í Ó Ú Ý À È Ì Ò Ù Â Ê Î Ô Û Ä Ë Ï Ö Ü Ÿ
á é í ó ú ý à è ì ò ù â ê î ô û ä ë ï ö ü ÿ
セディーユ ティルデ オゴネク 合字 ルーン文字
Ç Ş Ã Õ Ñ Ą Ę Į Ų Æ Œ Ø IJ Þ
ç ş ã õ ñ ą ę į ų æ œ ø ij ß Þ
 

ローマ文字、ローマ字(Roman alphabet)とも言い、フランス語、イタリア語、ドイツ語、英語など多くの言語で使用される表音文字である。これを並べることで単語を表記し、単語を区切って並べることで文章を構成する。
ラテン文字はアルファベットの一種であるが、日本語においては専らラテン文字を指して「アルファベット」という呼称を用いるという混同が見られる。

「ギャル文字(ギャルもじ)」  

携帯電話のメールなどで文字を分解・変形させて文字を表現する遊び・手法、またそれらの文字そのものの呼称。
「へた文字」とも呼ばれる。 変形対象となるのは主にひらがなやカタカナであるが、一部の漢字も偏と旁を分解して表記したり、ラテンアルファベットも変換するなど、その表現は多岐に渡る。

手書き文字にも角ばった独特の筆跡で書くことが流行っているが、このような字をギャル文字という場合もある。かなり丸いのも、それにはいる。

元の文字とは意味・字形の異なるカタカナや、ロシア文字・ギリシャ文字などの記号・特殊文字などを組み合わせ、ひらがなやカタカナなどの字形に見立てて扱う遊びである。 下手な手書き文字のように見えるところから視覚的な面白さ・かわいらしさを表現する手段としてギャルを中心とする女子中高生の間の携帯電話メールのやりとりで使われ始め、やがて男子中高生や20代・30代にも広がっていった。 感情の「やわらかさ」など通常の文章では伝えにくいニュアンスを見た目によって再現しようとする手法としては、顔文字(≧∀≦)(≧U≦)(´艸`)(≧ω≦)(≧д≦)(・ω・)…等の延長線上にある文化と見ることができる。


[代表例]
かな文字
おはよう: 才(よчoぅ



あ: ぁ・ァ・了
い: ぃ・ィ・レヽ・レ丶・レ)・レ`・L丶・L1
う: ぅ・ゥ・宀・ヴ
え: ぇ・ェ・之・工・ヱ
お: ぉ・ォ・才・汚



か: カゝ・カ丶・カヽ・カ`・カゞ【が】
き: (キ・(≠・L≠・‡
く: <・〈・勹
け: ヶ・(ナ・レ†・レナ・|ナ・l+・Iナ
こ: 〓・=・]・⊃・⊇



さ: 廾・±・(十・L+
し: ι・∪・U
す: £
せ: 世
そ: ξ・ζ・`ノ・丶/・ヽ丿



た: ナ=・+=・†ニ・ナニ・十こ・†こ
ち: 干・千・于
つ: っ・ッ・⊃
て: τ・〒
と: ┠・┝・┣・├・`⊂



な: ナょ・十ょ・†ょ・ナg
に: (ニ・|=・ノニ・L=・I=・
ぬ: йu
ね: йё
の: /・丿・σ



は: ハ〃【バ】・ハo【パ】・'`・八・l£・(£・ノ|・ノl・レ£
ひ: ヒ〃【ビ】・ヒo【ピ】・匕
ふ: フ〃【ブ】・フo【プ】・ヴ・,ζ,
へ: ヘ〃【べ】・ヘo【ペ】・~・∧
ほ: ホ〃【ボ】・ホo【ポ】・朮・レま



ま: ма・мα
み: 彡・ゐ
む: £′・厶
め: ×・x・χ・乂
も: м○・мσ



や: ゃ・ャ
ゆ: ゅ・ュ
よ: ょ・ョ・∋・чo



ら: яа・ζ
り: L|・l)・レ」・レ)・┗』・└丿・v)
る: ゐ・ゑ・儿・lレ・」レ
れ: яё
ろ: з・З・□・回



わ: ゎ・ヮ・wα
を: щo
ん: ω・冫・w・h
ー: →・⇒



ふしぎな民族の文字である。
平仮名の発展系なのだろうか。
以下に到っては、絵文字時代の発想にも思える。





[漢字]
私: 禾ム
叶: ○+
役: 〒殳
例: イ歹リ
近: え斤
健: イ廴聿
有: ナ月
名: タο
氷: ⊃i⊂・ラ|<
天: 无
本: 夲(夲の字は本の異体字)
神: ネ申
超: 走召
林: 木木
仲良し:人㊥ょU・イ㊥夜タヒ
謝: 言身寸
終: 糸冬
対: 文寸
便所: イ更戸斤
大: 因
人: 囚
木: 困
巻: 圏
口: 回
文字の割り当てには明確な定義がなく、また「携帯電話のメール」の特性から、思いつきで作られた文字がすぐに伝播するため、様々なバリエーションがある。 しかしそれを逆手に取って、自由に新しい文字を作り、それを解読して楽しむことができるのも、ギャル文字の大きな特徴である。

ギャル文字の正確な成立年代は不明(後述)だが、非当事者側に認知されだしたのはマスコミによって取り上げられ始めた2002年頃からである。 これらメディア(特に、中高年男性向けの週刊誌)による報道では当事者側の一般認識とは違い、「会話内容が(親を含む)他人にばれない」「オトナには分からない仲間内だけの世界を作ることができる」など、思春期心理特有の発想として解釈しているのが特徴的である。 このような分析が一般化している理由ははっきりしない。

このようなメディアではまた、女子高生たちにとってはこれを用いて解読できないメールを書くことがステイタスであると報道することが多く、バラエティ番組などでもしばしば「呆れた文化」として採り上げられる。

しかし、度の越えたギャル文字が日常的に読み書きを行っている者以外にとって非常に読みにくいのは事実であり、携帯電話向けの電子掲示板などではその使用者と嫌悪者との間でしばしばトラブルを引き起こす。 一番ギャル文字に慣れ親しんでいる層であるはずの中高生においても評価は分かれており、ブームのピークから数年が経過した2006年においては(世代の交代もあって)誰彼構わずギャル文字でメールを送信する中高生はもはや少数派となってきている。 そのため、今でもギャル文字を使ってる若者などは、"パ"または"パギャル"(中途半端の略)と呼ばれて非難されることが多くなっている。

また、助詞の「は」を「ゎ」と表記する手法(これはそもそもギャル文字独自の表現というわけではなく、この程度の軽微な遊びはギャル文字の成立以前から性別・世代を問わず、くだけた文脈などにおいて稀に用いられてきた)や「ぉはょぅ」など単に小書き文字を多用する手法(由来は同じだがギャル文字とは区別される)も物議をかもすことがあり、正確に日本語の使用としての認識ができていない者も多い。 (例:アルバイトの履歴書にギャル文字や小書き文字を多用するなど)ギャル文字はまた、一部カラオケ機器の歌詞表示にも採用された。

ギャル文字がマスコミによって採り上げられ、話題となって社会的に認知されたのが2002年頃であることから、成立はこれ以前の比較的近い時期であると考えられている。

その一方で、ギャル文字に類似したものとして既にインターネット上のアンダーグラウンドな掲示板で1990年代末頃から使用されていたクサチュー語などがあるが、そもそもギャル文字がクサチュー語等に由来する・あるいは影響を受けたものか、全く独自に発案されたものなのかについてははっきりとした研究がなく、不明である。

また電子掲示板や電子メール等の媒体において、本来の文字を意味や形状を読み替える遊びや顔文字などの遊びはギャル文字・クサチュー語の成立以前から存在しており、1990年代に女子中高生の間で普及したポケットベルによるベル番遊びなども含め、これらの文化的な土台、ルーツとされている。 顔文字や読み替えなどの遊びは、1980年代のパソコン通信、さらに古くは紙面の同人誌などの媒体にまで遡ることができ、これらの”文字遊び文化”は世代を超え、形を変えつつも連綿と連なっているものと考えられる。

一切の物語がない小説描写

『心変わり』 M.ビュトール/清水 徹:訳 ( 岩波文庫 ) 

都市あるいは街、風景あるいは光景という現象を言語によって記述することはどこまで可能で限界なのか。日常という出来事は一体何かという描写によって探究する試みである。
「あなた」にあたる二人称を用いることで、小説の中に引き込んだ人称による実験的手法は発表当時には非常に話題となった。
1950年から1960年代頃においてフランスでは、小説に極限までの手法の実験がなされるムーブメントがあった。ロブ=グリエ『消しゴム』M.ビュトール『時間割』ナタリー・サロトー『プラネタリウム』フリップ・ソレルス『ドラマ』などはアンチロマンと呼ばれて、物語性や心理描写を意識的に欠落させて独自の小説空間を示した。

ストリィは一つの筋が通っていても、順序バラバラで時間軸パズルのような作品。平行し逆行している筋、「過去」から流れてくるもの「未来」を流れるもの「現在」この3本の筋が、後半では交差し絡み合う。
「風景もまた空間に刻みこまれたテクストである。それは人間の実践の痕跡によって編まれ、人間の実践を包囲する、巨大な一冊の書物である」
ビュトールの作品は事物や出来事が名詞表現で引用と挿入されることがある。固有名詞にしても普通名詞にしても、そのあり方を現象単位として描写する。 対象との距離の相対化の試みであり、映像的な探究追求の手法を言葉の世界で構築展開させる。物体なり対象なりの現象が名詞表現を通して表出することは、小説の空間へ映画の方法を持込んだとも観れる。ヌーヴォー ロマンともいわれた文芸活動は、ゴダールやトリィフォーたちのヌーベルヴァーグ映画創作へも影響を及した。

「観察すること相手を対象化してこれを「読む」行為には、まず対象との距離が相手をものとして見る視線が大前提であるということだ。世界から疎外されていればいるだけ、従って世界を細密に読むことができる」

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   『消しゴム』アラン・ロブ=グリエ(河出書房新社) 

拳銃の一発と死との間へ流れる24時間を、倒錯した街を彷徨する視点で描く、スリラー小説とも形而上物語とも読めるヌーボーロマンの代表作。

事物や人存在を理想的な自由を夢見ることが出来ない堅牢で綿密な世界の構成分子として捉え、ロブ=グリエはそれをさらに細密に描写するという近代絵画が試みた空間への関与へ似ている。
小説は人の周囲の経験とはなるが、人が発見する客観的環境へ近接するために、心理学、形而上学、心理分析などを利用することはできない。視力以外の他の力を持たずに、都市の中を眼に見える地平だけで歩くという表現は古典的小説の描写への崩壊を意味する。
おそらく想像力や空想力のエントロピーが高揚していないと、『消しゴム』のような小説は読まれることはないと思う。幾とおりの読み方が可能であって、風変わりな推理小説あるいはそのパロディ、エディポスの神話を下敷きにした象徴寓話、主人公ワラス(エディポス酔っぱらい=スフィンクスの公式)の無意味な行為をとおして人存在の不条理の文学でもある。

「ここで問題になるのは、簡明で具体的で本質的な一事件、つまり一人の男の死である。
これは探偵的な性格を持つ事件だ。つまり犯人と探偵と被害者がいるわけだ。ある意味では彼等の役割は尊重さえされている。犯人は被害者に発砲し、探偵は疑問を解決し、被害者は死ぬ。
だが彼等を結び会わせる関係は、最後の章が終るまで、単純ではない。
何故なら本書は正しく拳銃の一発と死との間へ流れる24時間に流れる24時間の、弾丸が3、4メートル走るのに要した時間の---[余分の24時間]の---物語であるからだ。」

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『小説ドラマ』フィリップ・ソレルス(新潮社)    

知覚されることのない変貌のなかに凝固したひとつの世界全体が、地下の層域を作りだしている。のそれら層域をひとしく支配する沈黙は、あたかも広大なしかも覆いかくされた公式であるなのようだ。
同時にこの沈黙はあらゆる語法の完成をあらわすものであり、溶かし直され歪められたひとつの連続のなかに圧縮されている。そこではあらゆる言葉が消滅して死点になり終っている。全く音をたてない工場でのように、際限もなく喋りまくるアートミュージアムが変貌をとげるのだ。なんらのイメージも残さず掻き消された冒険の、根本的な生きた証しを残すだけのヴィジョンが組織化される。

言葉もなくひそかに彼等は生きている。細かいことではあるが好奇心を楚々るのをやめない。次々に生起する事象や情況や景色や合図などがつめこまれすぎている絵だと永遠に信じこむかも知れないからだ。

分ちがたく結びついた二羽の鳥が、同じ枝に住んでいる。一方はその木の実を食べて、もう一方は食べもせず眺めてすごしている。原因であると同時に結果であり、デッサンであると同時に色彩でもあると思えてくる、人生全体が収縮し風化しつつある薄っぺらな表面を占めているだけだと。そして彼が眼を閉じれば、同時に町が崩れ落ちる。自分が誰なのかを述べるべき声なき言葉、断切られた沈黙の円環の中で起ったのだ。何ひとつとして始まることも終ることもない場所で、その声なき声へ耳を傾けるのだ。

(小説『ドラマ』というのではないのが、テルケル派といわれたフィリップ・ソレルスらしい、一切の物語がないドラマである)

時として言葉には二つの意味がある 

ヌーヴォー・ロマン(Nouveau roman、「新しい小説」の意)
第二次大戦後のフランスで発表された前衛的な小説作品群を形容した呼称で、アンチ・ロマン(Anti Roman、「反小説」の意)と呼ばれることもある。1957年5月22日、ルモンド誌上の論評においてÉmile Henriotが用いた造語。 実際には、明確な組織・マニフェスト・運動があったわけではなく、従来の近代小説的な枠組に逆らって書いた同時代の作家達を総称するためのジャーナリスティックな呼称であるが、1963年には「新新フランス評論」誌などでのアラン・ロブ=グリエによる論争的評論が『新しい小説のために』(Pour un Nouveau roman)としてまとめられている。 上記のロブ=グリエをはじめ、クロード・シモンやナタリー・サロート、ミシェル・ビュトール等が代表的な作家とされ、広くはサミュエル・ベケット、マルグリット・デュラス等を含むこともある。上記作家の小説作品の多くがミニュイ社Éditions de Minuitから刊行されていることは単なる偶然ではない。

作者の世界観を読者に「押しつける」伝統的小説ではなく、プロットの一貫性や心理描写が抜け落ちた、ある種の実験的な小説で、言語の冒険とよんでいい。その技法は「意識の流れの叙述」(ナタリー・サロート)や「二人称小説」(ミシェル・ビュトール)、「客観的な事物描写の徹底」(ロブ=グリエ)など様々だが、読者は、与えられた「テクスト」を自分で組み合わせて、推理しながら物語や主題を構築していかざるを得ない。サルトルやバルトらに擁護された面もある。

1960年代後期以降はヌーヴォー・ロマン(アンチ・ロマン)の動向をより批判的に発展させた、フィリップ・ソレルスを中心とするテル・ケル派(文学理論雑誌Tel Quelを基軸に活動したことからこう呼ばれた)に活動が継承された。しかし、1970年代入るとフィリップ・ソレルスがマオイズムに傾倒し、テル・ケル派も政治的な色合いが濃厚になり文芸活動としての側面は次第に薄れていった。

そして書店からヌーヴォー・ロマンは消えていった。

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時として言葉には二つの意味がある 遅かれ早かれ、私たちが皆、一つに帰って来るか、または文字通り、場所に、霊的、感情的または心理学的に、それは私たちを形成することにおける役割を持っていました。
ある日、それを知らないで、私たちはそこにいます。
私たちは私たちへ私たちがなったことにした力に立ち向かいます。
そして私たちは円を完成します。      Lewis Spence -

2007年6月16日 (土)

La Guerre 『戦争』J.M.G.ル・クレジオ(1969)

太陽の諸文明は終わろうとしている。それらが永続きすることはできなかったのだ。
あらゆる石の塊、寺院、階段などの数々も水の前進を堰き止めることはできなかったのだ。石は脆いものであり、埃になっていく。山々は雲よりも高いわけではない。眼は星ではなく、消えていくランプなのだ。思考は光のようにまっすぐに進んでゆきはしない。思考は唾のひと吐きなのである。

今日は古代史のほんの始まりにすぎない。地上にはいくつもの大いなる動きがある。誕生の大いなる動きが、痙攣が、矛盾がいくつもある。生命は絶えずその全ての壁から外に出ようと努めており、大気のほうへととその道を掘り進んでいる。
永遠なビルの数々。永遠な道路の数々。永遠な空港の数々。千世紀のあいだ燃える焔。白い空には嵐の響きをたてる大きな鳥たちが速くよぎる。実にたくさんの形がある。美は地上に均衡を保っており、その透明なハーケンの数々を打ち立てている。
いかつい山々は歩く人達の足元にその深淵をうがとうと望んでいる。道路は絶えまなく轢かれ押し潰されることを欲している。海は気管を突破ることを求めている。そして宇宙空間のなかには星々に空虚の螺子をしめつけ物質の点滅を窒息させようという恐るべき意思がある。
ネオンの稲妻が娘の顔の周りできらめく。やがて彼女の皮膚の穴を穿つ、やさしい目鼻立ちをした顔を灼く。動物のものであるその長い髪を縮まらせるのだ。きつい光線が電球から絶えず迸る。ガラス球の中では白熱したフィラメントが輝いている。そいつは戦争の眼差し、情け容赦もない目であって、部屋のもろもろの表面を眩く光らせ、映像を不透明な看板の上に定着する。

すべてはリズムである。美を理解すること、それは自分固有のリズムを自然のリズムと一致させるのに成功することである。一つ一つの物、一つ一つの存在は個別的な指標を持っている。みずからのうちにその歌を宿しているのだ。その歌と和して、渾然一体となるまでにいたらなければならぬ。そしてそのことは個人的知性の為すところではありえず、普遍的知性のそれなのだ。他者たちに到達し、彼等の中に殺到し、彼等の内に回帰すること。ことは擬態を実行することなのだ。まず最初自己であり、自己を自己として知ること、つぎにあなたのまわりにあるものを模倣することだ。

リズムは必ずしも文明の中にはない。世界への回帰は原始主義への回帰ではない。人間が自分のために創りだした世界もまた[自然]なのである。
精神の崇高な表現の数々、主導的と称される概念や観念の数々、そんなものより千倍も重要な理解や表現があるのだ。例えば人という種族が始まって以来、十万年間に為したことだ。彼の精神を一体に保っている理由の数々、本質的で深く、腺の分泌物にも似ているに違いない。
われわれの危うさは抽象的なものだ。だがわれわれの台座ときたら、なんと見事な巌(いわお)だろう!
われわれの精神のはじめての身震いのうちにはなんという不透明な厚み、なんという力強さ、なんという秩序があることか、そこでは思考はいまだ器官に混じり合っている。まるで遠くから読みとられることになるしるし、手で触られるしるしのように。

ル・クレジオ「アマミ、黒い声、裏からの声 」2006

http://koinu2005.seesaa.net/article/17096928.html
ル・クレジオ特別寄稿「アマミ、黒い声、裏からの声」は、39年ぶりの来日の際に訪れた奄美群島の日常や聖なる木々、岩山、そして闇の深い陰影の気配などに感応して描いた作品。彼はそこに、「本土」の破壊的な力に抗してみずから均衡を保つのに必要な力を、大地から木々から汲み上げる「ひとつの世界」を見出す。

死の霊が島々の上を漂い、超越的な光で浸す。
それは始まりの思考、いまだに誕生の閃光が滲んだ生きて震える思考だ。
それは千の蝶の羽のように漂う。幾千の浦に、渓谷に、塚に宿る。

木々の霊は泉に似て、大地より空へとほとばしる。
それは人間たちの思考に先立つ。
それは時に家族の小さな守護霊の気まぐれで、ぐずぐずしている人達の髪をひく住処になっている。

魔女めいた夜の霊ではなく、太陽と命の霊だ。
たわわに実った田圃のうえを通り過ぎる、風の波の霊、果物の霊だ。

東京、横浜、調布、死が訪れることなどないと信じ込むことができた街。
しかし死はそこにも忍び足で入ってくる、病室という病室へ、そして養老院という養老院へ。

わたしたちはみな、樹の力を感じている。
わたしたちはみな、ノロの霊の力を感じている。
それは自然なことであって、超自然などではない。
大地の結び目を、幾多の泉を、心を信じている。
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ル・クレジオ「大洪水」「物質的恍惚」「巨人たち」について考察ページ
http://koinu2005.seesaa.net/archives/200508.html

円熟を迎えた作家の原点と、照らし合わせて読み比べるのも一興であるだろう。特に詩人の吉増剛造との言葉と魂について、向きあい方と表し方、遍歴の共通することが多くあるように思う。

吉増剛造『黄金詩編』抜粋
http://koinu2005.seesaa.net/article/6630506.html

Jean-Marie Gustave Le Clézio

Jean-Marie Gustave Le Clézio (souvent abrégé J.M.G. Le Clézio) est un écrivain français né le 13 avril 1940 à Nice.

Le Clézio est originaire d'une famille de Bretagne émigrée à l'île Maurice au XVIIIe siècle (son père était chirurgien dans l'armée britannique en Afrique). Il a poursuivi des études au Collège littéraire universitaire de Nice puis est devenu enseignant aux États-Unis.

Malgré de nombreux voyages, J.M.G. Le Clézio n'a jamais cessé d'écrire depuis l'âge de sept ou huit ans. Il devint célèbre lorsque parut le Procès-Verbal, pour lequel il reçut le Prix Renaudot en 1963, après avoir manqué de peu le Prix Goncourt.

Depuis, il a publié plus de trente livres : contes, romans, essais, nouvelles, deux traductions de mythologie indienne, ainsi que d'innombrables préfaces et articles et quelques contributions à des ouvrages collectifs. Dans son œuvre, on peut distinguer assez nettement deux périodes.

De 1963 à 1975, les romans et essais de Le Clézio explorent les thêmes de la folie, du langage, de l'écriture, avec la volonté d'explorer certaines possibilités formelles et typographique, dans la lignée d'autres écrivains de son époque (Georges Pérec ou Michel Butor). Le Clézio a alors une image d'écrivain novateur et révolté qui lui vaut l'admiration de Michel Foucault ou Gilles Deleuze.

À la fin des années 1970, Le Clézio opère un changement dans son style d'écriture et publie des livres plus apaisés, à l'écriture plus sereine, où les thèmes de l'enfance, de la minorité, du voyage, passent au premier plan. Cette manière nouvelle séduit le grand public. En 1980, Le Clézio fut le premier à recevoir le Prix Paul Morand, décerné par l'Académie française, pour son ouvrage Désert.

Plus tard, en 1994, il fut élu plus grand écrivain vivant de langue française.[1]

Il est aussi un amoureux de la culture Coréenne.[2]

  [ Bibliographie]
Le Procès-verbal, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1963, 250 p. Prix Renaudot
Le jour où Beaumont fit connaissance avec sa douleur, Mercure de France, L'écharpe d'Iris, Paris, 1964, [n.p.]
La Fièvre, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1965, 237 p.
Le Déluge, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1966, 288 p.
L'Extase matérielle, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1967, 229 p.
Terra Amata, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1967, 248 p.
Le Livre des fuites, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1969, 290 p.
La Guerre, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1970, 295 p.
1970 : Lullaby
Haï, Skira, « Les Sentiers de la création », Genève, 1971, 170 p.
Mydriase, illustrations de Vladimir Velickovic, Fata Morgana, St-Clément-la-Rivière, 1973
Éd. définitive, 1993, 62 p. (ISBN 2-85194-071-6)
Les Géants, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1973, 320 p.
Voyages de l'autre côté, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1975, 308 p.
Les Prophéties du Chilam Balam, version et présentation de J.M.G. Le Clézio, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1976, 201 p.
Vers les icebergs, Éditions Fata Morgana, « Explorations », Montpellier, 1978, 52 p. (Contient le texte d'"Iniji", par Henri Michaux)
Mondo et autres histoires, Gallimard, Paris, 1978, 278 p.
L'Inconnu sur la Terre, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1978, 325 p.
Voyage au pays des arbres, dessiné par Henri Galeron, Gallimard, « Enfantimages », Paris, 1978, 27 p.
Désert, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1980, 410 p.
Trois villes saintes, Gallimard, Paris, 1980, 81 p.
La Ronde et autres faits divers : nouvelles, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1982, 235 p. (ISBN 2-07-021395-1)
Relation de Michoacan, version et présentation de J. M. G. Le Clézio, Gallimard, « Tradition », Paris, 1984, 315 p.-[10] p. de pl. (ISBN 2-07-070042-9)
Le Chercheur d'Or, Gallimard, Paris, 1985, 332 p. (ISBN 2-07-070247-2)
Voyage à Rodrigues, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1986
Le Rêve mexicain ou la pensée interrompue, Gallimard, « NRF Essais », Paris, 1988, 248 p. (ISBN 2-07-071389-X)
Printemps et autres saisons, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1989, 203 p. (ISBN 2-07-071364-4)
Sirandanes, Seghers, 1990, 93 p. (ISBN 2-232-10327-7)
Onitsha : roman, Gallimard, Paris, 1991, 250 p. (ISBN 2-07-072230-9)
Étoile errante, Gallimard, Paris, 1992, 339 p. (ISBN 2-07-072650-9)
Pawana, Gallimard, Paris, 1992, 54 p. (ISBN 2-07-072806-4)
Diego et Frida, Stock, « Échanges », Paris, 1993, 237 p.-[12] p. de pl. (ISBN 2-234-02617-2)
La Quarantaine : roman, Gallimard, Paris, 1995, 464 p. (ISBN 2-07-0743187)
Le Poisson d'or
Gens des nuages
La Fête chantée
Hasard (suivi d'Angoli Mala) : romans, Gallimard, Paris, 1999, 290 p. (ISBN 2-07-075537-1)
Cœur Brûle et autres romances, Gallimard, Paris, 2000, 187 p. (ISBN 2-07-075980-6)
"Révolutions" : roman, Gallimard, Paris, 2003, 554 p. (ISBN 2-07-076853-8)
L'Africain, Mercure de France, « Traits et portraits », Paris, 2004, 103 p. (ISBN 2-7152-2470-2)
Ourania : roman, Gallimard, « Collection Blanche », Paris, 2005, 297 p. (ISBN 2-07-077703-0)
Raga : approche du continent invisible, Éditions du Seuil, « Peuples de l'eau », Paris, 2006, 135 p. (ISBN 2-02-089909-4)
Ballaciner, Gallimard, 2007. (ISBN 978-2070784844)

   [Notes et références]
↑ «Le Clézio no1 , 1994, 22s. A la question «Quel est le plus grand écrivain vivant de langue française?», 13% des lecteurs du magazine Lire ont répondu Le Clézio.
http://world.kbs.co.kr/french/town/town_people_detail.htm
J.M.G. Le Clézio errances et mythologies, in Le Magazine littéraire, n° 362, février 1998

   [Liens externes]
« Le Clézio et l'Inde » http://revue.ressources.org/article.php3?id_article=796
« La faille identitaire chez les personnages de Le Clézio » http://revue.ressources.org/article.php3?id_article=801

ル・クレジオ初期作品の研究ページ
http://koinu2005.seesaa.net/archives/200508.html

Kyojinntach

ル・クレジオの装丁作品は、それ事体が高松次郎の概念美術作品として観賞できる。
数あるル・クレジオ書物装丁の中でも異彩を放つ、巨大な体系に考えに及ぼすところまでの概念が込められた、印刷物としてのオブジェアートとも言える作品群だ。これらのアートとしてのル・クレジオ解釈の実践は、瀧口修造の詩的実験にも低辺が通じるオブジェとしての言語の捉えかたに想えた。
高松次郎「この七つの文字」1970 61x25.5cm シルクスクリーン ed.100
http://www.kgs-tokyo.jp/human/2000/000201/05.htm
世界拡大計画
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4891764902.html

4891764902

高松次郎[タカマツジロウ]
1936年、東京に生まれ、98年、東京に没した。東京芸術大学卒業。61年『読売アンデパンダン展』に出品、63年、赤瀬川原平、中西夏之と「ハイレッド・センター」を結成し、「反芸術」の先鋒として活動、“影”の絵画、“遠近法”“波”“弛み”“複合体”“単体”といった多様な概念的作品を発表し、六〇年代以降の現代美術を代表する美術家の一人とみなされる。東京画廊での個展のほか、67年、第五回『パリ青年ビエンナーレ』、テアドラン財団賞、68年、第三十四回『ヴェネツィア・ビエンナーレ』、カルロ・カルダッツオ賞などを受賞

2007年6月15日 (金)

消滅した記録

1 [名前]  : 飛鳥とナスカどこか似ている

飛鳥には酒船石や太古の巨石奇石が残っている。
ナスカには有名な地上絵があり、ナスカの近くにはカワチという古代の遺跡もある。飛ぶ鳥と書く飛鳥から近くに河内があるし、 環太平洋にはアスカからキスカ、アラスカを始めナスカまで数多くの「スカ」という地名が残っているようだ。
ナスカ(Naska)は非アスカ(No Aska) の意で「都」に適さない荒地を示すとされた。
大昔に人類がアジアより日本列島、アラスカ経由 インド東方にあったアスカ帝国が天災地変で消滅して、その子孫達が世界 あちこちに散ってその地は「シベリアスカ」「カムチアスカ」「アラスカ」「 ナスカ」などの名前で今も呼ばれている。 スペインのバスク地方、イスラエルのアゼカ、フランスのラスコーもその系列となる。古代インドを統一したマウリア朝のアショカ王の「Asaak」は幸福や愛という意味を持って「アスカ」の発音と深い関係がある。全世界にAska (アスカ)から派生した土地の名「楽園」も意味する。
ところでアショカー王ときわめてよく似た政治を行った、聖徳太子も飛鳥地方に住んでいた。
http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/kame6.htm
 

3 [名前]  : 『板東千年王国』
[URL]  : http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/index.htm
[コメント]  : 坂東は「東(あずま)の国」という。それは「西国」という場合のように漠然とした東方の国々という 意味ではなく、政治的・社会的な一まとまりの世界であった。
東征した景行記のヤマトタケルは相模国の足柄の坂下でアズマの国 と名づけたとある。『常陸国風土記』にも、古は足柄の岳坂より東の諸県のすべてを「我姫(あずま) の国」 といったとある。景行紀のヤマトタケルは場所を上野国の西の碓日坂とし、山の東の諸国を アズマの国と号したとある。
坂東太郎--利根川の東側の聖地、二荒山には古来から出雲神の大己貴命・妃神の田心姫命・ 御子神の味鋤高彦根神の三神を祭る。二荒山の二荒山神社とどちらが古来からの本社かと議論の ある宇都宮市内の二荒山神社の祭神も、大物主命・事代主命を相殿に豊城入彦命を主神とする。
紀国には別に紀ノ川の河口に名草戸畔なる者がいて、神武東征の折りに殺されたと記紀にある。 国造荒河刀辧は 種々の系譜や系図を照合してみると大名草比古命とほぼ同世代にあたるから、国造の地位は荒河刀辧 の系から大名草比古命の系の子孫に移ったと見なすことができる。
 
4 [名前]  : 僕のみた秩序
[URL]  : http://www.dfnt.net
[コメント]  : エッセイ日記と写真イラストが楽しいWEB「僕のみた秩序」があった。
僕秩は子供にも優しいバカ(横線)サイトです と、トップページに記されている。

 
5 [名前]  : "666"は獣の数字に非ず
[URL]  : http://x51.org/x/05/05/0327.php
[コメント]  : この度行われた新約聖書の研究によると、"獣の数字"とされてきた666が、正確には616だったことが判明した。Number of the beastと呼ばれる"666"は、黙示録に記されるアンチ・キリストを指し示す象徴的な数字として、これまで神学者や宗教学者、果ては悪魔を礼賛するヘヴィ・メタル・ロックバンドなどに親しまれてきた数字である。
しかし今回、かつてエジプトはオクシリンクスの遺跡から発見された、ギリシャ語による最古の(三世紀頃)ヨハネの黙示録の紙片を新たな写真技術で解析研究した結果、実際には"616"と書かれていたことが明らかになった。
http://x51.org/x/05/05/0327.php
http://library666.seesaa.net/article/3449121.html

 
7 [名前]  : ”金は如何に世界の歴史を作ったのか”

[コメント]  : 手元の金をじっと見つめてみよう。
もしかすると、その金は古代エジプトのファラオの時代に遡るかもしれない。またはアレクサンダー大王が、アケメネス・ペルシャ帝国の首都、ペルセポリスを陥れた時の証人かもしれない。
ペルシャは世界の金を独占していた。あれほどローマが執拗にペルシャに攻め込もうとしていた事実が証明している。しかしその一部は、ギリシャ時代に中国へ流出した。それが再びササン朝の時代にペルシャに戻ってきたという構図とは何を意味するのか。
http://homepage3.nifty.com/sekiokas/Topfile/History/History.html

9 [名前]  : MSGの市場規模
[URL]  : http://www.ajinomoto.co.jp/press/2001_08_06.html
[コメント]  : ある微生物が、必要なビタミンの1種の投与量を調節すると、グルタミン酸をどんどんつくって体の外へ出し始めることを発見し、1956年、世界ではじめて微生物を利用した代謝制御発酵法によるグルタミン酸ナトリウムの生産技術を開発した。
http://www.kyowa.co.jp/bioworld/yutakana3.htm

ここで、グルタミン酸とはグルタミン酸ナトリウムという物質が、化学式の似た違うものであることに気をつけたい。
(COOH)CH2CH2CH(COOH)NH2 グルタミン酸
(COONa)CH2CH2CH(COOH)NH2 グルタミン酸ナトリウム
アジアサンドローム
http://www.gulf.or.jp/~houki/essay/zatugaku/whytravel/glutamine.html
科学調味料の怪
http://www.asyura.com/fromnet/ajinomoto2.htm
注目を集めるインドネシア味の素事件
http://www.jakartashimbun.com/pages/ajinomoto.html
発明・発見 のリスト
http://www.internet-patent.com/patent.net/inventions/invention_list.html

 
10 [名前]  : 暗黒の火曜日:イスラマバードから
[URL]  : http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/hoodbhoy/index-
[コメント]  : 奇怪な新しい世界がわれわれを待ち受けている。 そこでは、社会的、政治的な行動についての古い規範は崩れ去り、新しい規範は未だ定められていない。 一連の事件の圧倒的な力によって暗闇と恐怖にみちた状況へと投げ落とされてしまった以上、理性をもった人間として、われわれは早急に何らかの対応を練りあげなくてはならない。 権力や実用性に根ざしたものではなく、道義的な対応を。 そのためには、「全人類の根本的な平等性」という明解に定義された道義的な前提から出発する必要がある。 さらに、入れ替えの効かない明確な順序にしたがって行動する必要もある。
(全文は以下のページへ)
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/hoodbhoy/index-j.html
 
11 [名前]  : A.D.クラーク
[URL]  : ttp://www.clarkefoundation.org/
[コメント]  : スリランカでは大津波からの復旧作業が続けられるなか、ある事実が現地の野生動物保護員達を驚かせている。2万二千人もの死亡者を出したこの大惨事にもかかわらず、野生動物の死骸が一匹も見つからない。

今回の大津波でスリランカ最大の野生動物保護区であるヤラ国立公園は3kmにわたり浸食した。野生動物保護員が動物の救出に向かったところ、そこには動物の死体ひとつも見あたらなかった。

「全く驚いたことに、動物の死骸がひとつとして見つからないのです。象の死骸もなければ、ウサギの死骸ひとつすら見つからないのです。動物達は災害を予知したのでしょうね。彼らには第六感があり、何かが起こるかのを感じとっていたのではないでしょうか」(野生保護局)

今回の大津波はインド洋にて発生した大地震が引き金となり、スリランカ南部、東部、北部に甚大に被害をもたらしたのだ。津波は高さは5mにおよび、近隣の町や村、ホテルなど広範囲に被害が及んだ。

http://www.alertnet.org/thenews/newsdesk/COL136356.htm

 
12 [名前]  : 磁気嵐を呼ぶ男
[URL]  : http://sohowww.nascom

[コメント]  : 太陽フレア・磁気嵐・オーロラ活動など、宇宙天気の最新情報をお知らせするページです。
太陽黒点を毎日観測できるページです。
http://sohowww.nascom.nasa.gov/data/realtime-images.html
どんな映画やテレビよりも、凄いことが起き続けている。
 
13 [名前]  : 【我々の太陽系は変化している】
[コメント]  : 惑星の磁場と光度も変化してきている。太陽系の惑星は見かけの光度がかなり変化している。例えば金星は明らかに明るさを増しているのがわかるだろう。木星などは強力に充電されているようで、木星の衛星イオとの間には実際に目視できるイオン化された放射チューブが形成されいるのが観察できる。
http://www.asyura2.com/0403/jisin11/msg/200.html

 

15 [名前]  : πの部屋
[URL]  : http://www1.coralnet.or.jp/kusuto/PI/
[コメント]  : 誰でも知ってる円周率(π)には音楽が隠されていたのです。ご存じだったでしょうか?
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/haselic/pi/pai.htm
 

16 [名前]  : ツァラトゥストラ
[URL]  : http://www.ne.jp/asahi/fuse/abraham/west-asia/iran
[コメント]  : ササン朝ペルシアには、様々な文化がこの極東の島国にまで辿り着いている。飛鳥にある拝火教の装置としての石物には時空を超えてしまうほどの想いが全身へよぎった。http://www01.vaio.ne.jp/EDEN/sevens_heaven/zoroastrianism.html

 

『愛する大地(テラ・アマーダ)』J.M.G.ル・クレジオ (1968)  

太陽は大地の固い地殻を見下ろして、奇妙に動かない深淵のように照りつける。大気の青白い諸層のうしろに押込められ弛緩して燃える眼で凝視している。何事も理解せず何事も裁かない。ただ固定して厳しく同心円状の環の数々を大地へ送ってくるが、温度計の赤い柱は30という数字のあたりまで昇る。熱はそれから由来し空の隅々へ拡がり、砂の雨のごとくこぼれんばかりにを満たす。 猛烈にエネルギーは窪んだところなら何処へでも、その種子を詰込み、すり減らし削り取り皮を剥ぐ。太陽の眼差しは重厚であり、また一つの名前が永続するようにと与えられたかのようだ。書物に書込まれ、石碑に刻み込まれ、電信電波やケーブル線の中を走り回る名前、永遠の痕跡を乾からびさせてゆく丸禿のアロエの葉に突刺された名だ。
微小で厳粛な生命と卵と幼虫と、食べ物と排泄物がある。隙をうかがう死の危険があり、密閉された甲皮の奥の心臓を震えさせている。勝手知った小径が、狩や愛の行為の場所が、花々が、小石の山がある。そっと審美的に彼等のその名を呼ばねばならぬ。
植物もあり他の動物たちもいる。そして草のひとつひとつにも固有の名前があり、風に撓む一つ一つの繊維に刻印されているのだ。一筋の毛のように土に植わっている草の1本1本がそれなりの沈黙の生活を送っている。これら木の一つ一つに石や水溜りの一つ一つに、忘れてしまわぬよう名前をつけねばならぬ。

絶え間なく太陽が凝視して涯てしない景色の上で、一つ一つの名はすべて眼に見えない糸で互いに結びつけられているのだ。あらゆる話が冒険が数限り無く、何百もの小ドラマを何千億もの小悲喜劇を奏でている。サスペンス、闘牛、対抗、戦争、祭りの行列であって、1本1本の小枝、一つ一つの小石が役目を持っているのだ。大地のただ中ににある岩の上にこそ、恐らく座るべきなのだ。あるいはまた密生した草の上に寝そべって、世界の物語を記すべきなのだ。

   たまたま地上に ぼくは生まれた 
   生ける人間として ぼくは大きくなった
   デッサンの中に閉じこもって 
   日々が過ぎた 夜々が過ぎた
   ぼくはああした遊びをみなやってみた 
   愛された 幸せだった
   ぼくはこうした言葉をみな話してみた 
   身ぶりを入れ わけのわからぬ語を口にして 
   それとも無遠慮な質問をして
   地獄にそっくりな地帯で 
   ぼくは大地に生み殖やした
   沈黙にうち克つために 
   真実のすべてを言いつくすために
   ぼくは涯てしない意識のうちに生きた 
   ぼくは逃げた そしてぼくは老いた
   ぼくは死んで 埋葬された

何千という女たち男たちがそこで生まれ死に、爬虫類たちが隅で眠り、昆虫たちが唸り跳び、植物たちが根を次々へ張り伸ばしたが、何一つその為には変わったものはないのだった。それは名前のない風景で、老婆の皮膚のように老い、昼によって膨れ上がり夜によって冷されて、雨に洗われ風にすり梳られ、霜に割られ海に齧られ水流に浸され、何世紀のあいだ穴をうがたれ、種を蒔かれ耕され、喰われ踏みつけられてきた。
時折、地震がその表面を走って、新たな峰を聳えさせ、新たな深淵に口を開けさせた。だがまるで何も起らなかったかのように、粉っぽい岩石の中には化石になった貝類が何の役にも立たずに閉じ込められていた。

P1060727

『調書』『発熱』『愛する大地(テラ・アマーダ)』『大洪水』『物質的恍惚』『逃亡の書』『巨人たち』といったル・クレジオの著作には、過剰なほどの変貌彷徨が急速度で描かれる。現在の品行方正な格調高い、透明純粋な文体よりも、ロートレアモンを彷彿させる鋭い眼差にあったクレジオへ関心いだく読者も多いだろう。

JMG.Le Clezio フランスのサイト http://www.multi.fi/~fredw/

『大洪水』 J.M.G.ルクレジオ (河出書房新社1970)

初めに雲があった。風に追いたてられながらも、山脈によって水平線にすがりつく、暗雲の群れがあった。あらゆるものは重く佇み、残光を散らせたりしながら、メタリックな薄い鱗のように整然と覆われていた。近づきつつある事件の異常さに圧倒され、やがて戦いを挑まなくてはならぬ者との対比の中で、おかしげに弱々しく煌めき始めた。運動はわずかずつされる転調の様式をやめない。大地を微少に蝕み、腐敗させ、活動の内部へ染みこんで、かつて多種多様に確立されてきた調和を破壊し、物質の核心に生命の起源まで無力してゆく。永遠に継続される固定化や、全体的な凍結を遅らせるために消耗してしまう。繊細な薄い影は、景色を覆いながら眩い光の形を無数に紡ぎ出す。歩道沿いにタンクローリーが潰していった硝子の破片は、太陽をいくつか合わせた激しさで、辺り一面の空間へ百光年のエネルギーを反射しているかのようであった。
          A A A A
          A A A A
          A A A A
          A A A A
すべての物体、すべての原子は A と書かれている。あらゆる出来事、あらゆる構造が、そこでは魔術的な四角形を描いている。(本書導入部より)

Jean Marie Gustave Le Clezio
1940.4.13- 1940年,地中海岸のニース生まれ.父方はブルターニュからインド洋モーリシャス島に移住した家系で,19世紀 初めに同島が英領となったとき英国籍に.母も同様の家系だが,パリ出身.両親はいとこ同士で,父親が医学を 学んでいたロンドンで出会った.ニースで生まれたのは偶然だが,戦時下の幼時,米独双方によるこの町の破壊 に強い印象をうけて育つ.ニース大学およびイギリスのブリストル大学で学ぶ.
1963年,『調書』で作家としてデビュー.『発熱』(65年),『洪水』(66年),『物質的恍惚』(67年)など の初期作品群を次々に発表し,ヌーヴォー・ロマン全盛期の首都からは距離を置いた独自の作家的地位を築く. ロートレアモン,アルトーやミショーへの関心からわかるとおり,当初は言語実験的色彩が濃厚だったが,文体 はやがて簡素・平明に.むきだしの土地,陽光,砂漠,水,動植物がおりなす物質的世界に対する異様なまでに 鋭敏な感受性に加えて,アメリカ先住民世界への深い共感を際立った特徴としている.
70年から74年にかけてパナマの密林に住むエンベラ族と暮らす.この経験から生まれた傑作エッセー『悪魔祓い』 (71年)につづいて,70年代後半からはメキシコへの傾倒を深め,ミチョアカン大学や,プエブロ・インディア ンの土地であるアメリカのニューメキシコ大学で客員教授を務めつつ,ヨーロッパによる先住アメリカ文明に対 する侵略と強奪という,人類史上もっとも大規模で残虐な破壊の歴史を考察.「チラム・バラムの書」『ミチョ アカン報告』のフランス語訳(76年,84年)を試みる一方,『メキシコの夢』(88年)に結実するエッセーを書 き継いだ.

http://www.diplomatie.gouv.fr/label_france/FRANCE/LETTRES/clezio/page.html
http://www.foiredulivre.com/2003/FDL_infos_presse_visuels_ambiance.htm
http://www.scuole.prato.it/copernico/arianna/due/saggi/clezio/sommaire.htm
http://webpages.ull.es/users/joliver/LiterFran2/XX.htm 

詩作や小説を超えた書物は、形式機能を覚醒させ問いただす行為となった。
ロゴスによって支配されていないインディオの文化を体感した若きル・クレジオは、その後マヤ文明の著作物を翻訳して向こう側の存在を意識することとなる。彼が奄美を訪れたのは当然の帰結ともうけとれる。

ル・クレジオ初期作品の研究ページ
http://koinu2005.seesaa.net/archives/200508.html 

『巨人たち』 ル・クレジオ (新潮社1973)

巨大な影が飛行機のような迅さで、地上を奔ってゆく。その影は大地を這って、禿鷹の羽みたいな広い翼で空間を遮ってゆく。その下をいくら動悸をはずませて走っていっても、なんにもならない。常にあなたの鼓動よりり早く進んでゆく。もう待つのはやめなさい。過ぎてゆく一秒一秒が新しい縺れをつくり、毎日新しい壁ができ、新しい窓が作られ、閉ざされる。ぼくはそれを知らなかった。どんな物でも、往復運動のように、偶然の去来するものと信じていた。あらゆる道路、あらゆる扉が見えるがゆえに、自由に選ぶことができると考えていた。密林の中を歩いているように、ある方向、ある前進存在し、一叢の草、一枚の葉は、それ自身で完成して何かを告げていると思っていた。だが人間達が身の周りの草むらを引き抜き、木の葉を毟るのはそのためなのだ。彼らは自然の活動を欲しないからだ。彼らの欲するのは人間自身の活動、人間自身の森、眼や鼻や口を持っている無数の木の葉、つまり社会と呼ばれるものなのだ。

 突然、人間たちは眼覚め、夢が真実であり、その恐ろしい物語が何を意味しているのかに気がつく。瞼を開くと何かの中にいることを知る。一瞬たりとも外部に出ることはない。誰もがそれを解ろうと欲して、懸命になっていたが無駄だった。なぜなら彼らは夢を見ていたのだから。映されるモニターの内部にいたのだから、しかもそのことに誰もが気ずくことなく。
 遊びのためにつくられた些細なこと、意識、選択、死、不条理、ユーモアを信じていた。そして大切なことと真実は隠されていた。それは微睡みの向こう側にあって、どうすればそれらを知ることができよう。遮るカーテンから解放されたまえ。突き抜けて物の向こう側を、今こそ視ることができる時が。
 他人の力である記号、あらゆる従順な細胞にとっての記号、盲人たちの記号、同じことをして、同じことをいっている、同じような虫螻たちにとっての記号。一瞬立ち止まって、周囲を眺める人にとって、突如、世界は暗闇になる。しばらくの間、一定の空間の中で、彼は終りなき建築しか視ていない。
 さて広場、地下室、路地、計算機には多くの暴力、美、情熱が存在している。コンクリートやガラスの内部から生まれた、理解できぬ法則、世界の親方たちが予知しなかった法則、運動がある。自由の力は無敵で恐ろしい。それゆえに、解放されたまえ。あなたのその視線で、視線の親方である奴らを殺してしまえ。 (本書より)

Lc

J.-M. G. Le Clezio, 《Tresor》[in]Petra, le dit des pierre, textes reunis par Philippe Cardinal, Actes Sud

http://susuzuki.dip.jp/jica/report1/ptra1.htm
「宝物殿」『焼けつく心、その他のロマンス』(2001)所収の叙情詩の域に到達した世界と読み比べると興味深い。

2007年6月14日 (木)

『物質的恍惚』 ル・クレジオ、豊崎光一訳 (新潮社1971)

精神の崇高な表現の数々、主導的と称される概念や観念の数々、そんなものより千倍も重要な理解や表現があるのだ。例えば人という種族が始まって以来、十万年間に為したことだ。彼の精神を一体に保っている理由の数々、本質的で深く、腺の分泌物にも似ているに違いない。
われわれの危うさは抽象的なものだ。だがわれわれの台座ときたら、なんと見事な巌(いわお)だろう!
われわれの精神のはじめての身震いのうちにはなんという不透明な厚み、なんという力強さ、なんという秩序があることか、そこでは思考はいまだ器官に混じり合っている。なるで遠くから読みとられることになるしるし、手で触られるしるしのように。

◆分かちがたく結ばれた二羽の鳥が、同じ木に住まっている。一羽は甘い木の実を食べ、もう一羽は友を眺めつつ食べようとしない。
だが、この世界は過去のものではない。この現実は、ぼくが生まれていなかったとき通用していた現実なのだ。この沈黙は遠いものではない。この空虚は無縁のものではない。ぼくがそこでは不可能だった大地は、なおも続いている。それこそは、ぼくが手で触れているものであり、そして突如としてゼロから現出したこの物質(マチエール)はぼくの躰とぼくの精神とを形作っている材質(マチエール)なのだ。
◆ぼくが生まれていなかったとき、まだ生命の円環を閉じ終えていず、やがて消しえなくなるものがまだ刻印されはじめていなかったとき。存在するいかなるもにも属していなかったとき、孕まれてさえいず、考えうるものでもなかったとき。過去のものでもなく、現在のものでもなく、とりわけ未来のものではなかったとき。ぼくが存在することができなかったとき。眼にもとまらぬ細部、種子の中に混じり合った種子、ほんの些細なことで道から逸らされてしまうに足りる単なる可能性だったとき。ぼくか、それとも他者たち。男か、女か、それとも馬、それとも樅の木、それとも金色の葡萄状球菌。ぼくが無でさえなかった――なぜならぼくは何ものかの否定形ではなかったのだから――とき、一つの不在でもなく、一つの想像でもなかったとき。
◆ゆっくりと、伸び伸びと、力強く、無縁の生命はその凸部を膨らませて、空間を満たしていた。まるで烈火の先端で燃える焔のように、だがそれはけっして同じ焔であることがなく、在るべき所のものは即座に、かつ完全無欠に在るのだった。存在の数々は生まれ、そして消えていった。絶えず分割され、空虚を満たし、時を満たし、味わい、そして味わわれていた。何百万もの眼、何百万もの口、何百万もの神経、触覚、大顎、触手、偽足、眉毛、吸盤、触知管が世界中にひらかれて、物質の甘美な発散物の入ってくるにまかせていた。いたるところにあるのはただ、戦慄、波動、振動の数々だけ。だかそれでも、ぼくにとっては、それは沈黙であり、不動であり、夜だった。麻酔だった。なぜならぼくの真実が住まっていたのは、このはかない伝達の中にではなかったからだ。この光の中、この夜の中にではなく、生命に向かって顕現されていた何ものでもなかったからだ、他者たちの生命は、ぼくの生命と同様、瞬間の数々に過ぎなかった。世界をそれに返す力のない、束の間の瞬間の数々に過ぎなかった。世界はその手前にあり、包みこむもの、現実のものだし、些細なものにあたって溶け去るとらえがたい堅固さ、感覚することの不可能な、愛したり理解することの不可能な物質、充溢した永い物質であって、その正当性は外的なものではなく、内的なものでもなくて、それ自身なのだった。
◆外側にある世界、覆すことはけっしてできまい世界、まるで巨大な縁日さながらに。夜、コンクリートでできた宮殿の穹隆の下で、ネオンの冷たい光りの数々は独立しているひらいいた口が隠れている土地の一片一片から混沌としたわめき声が立ち昇ってきて、反響し合い、また撥ねかえり、また干渉しあう。・・・もうすでに、観客でいることはできなくなっている。この黒さの中、この白さの中、すべてが混じり合い、すべてが滑り込み、すべてが交叉するそこでは、もはや選択し区別することはできない。住処とする領域のほうへと流れてゆかねばならず、理屈をこねも話しもしない怪物にこうやって呑み込まれるがままにせねばならぬ。自分の皮膚、魂、国語を棄て、そしてまだ生まれていない者にふたたびならねばならぬ。
◆この呪いには打ち勝ちえない。それは生命よりも強いのだ。生きた細片の一つ一つの裏側には、じつに広大な砂漠と放棄とがあって、それらを忘れ去ることは不可能である。それはまるで夢の思い出のようなのだが、それを生み出した夜は終わってはいない。
◆ぼくが死んでしまうとき、知り合いだったあれら物体はぼくを憎むのをやめろだろう。命の火がぼくのうちで消えてしまうとき、与えられていたあの統一をぼくがついに四散させてしまうとき、渦動の中心はぼくとは別のものとなり、世界はみずからの存在の還るだう。・・・・もはや何ものも残らないことだろう。ぼくがあっただろうところのものの彼方に運ぶような傷跡一つ、思い出一つ残りはしないだろう。
そして・・・いつの日か(その日は必ず来るのだが)世界からは人間の姿が見えなくなるだろう。人間の文明や征服の数々は人間と共に滅びてしまっているだろう。人間の信仰、疑惑、発明などの数々は消え失せていて、もはや人間のものは何一つ残っていまい。他のたくさんの事物が生まれ、そして死んでゆくだろう。他の生命形体の数々が姿を現わし、他の考えの数々が流通することだろう。 そして、そのあと無定形の存在の共同体のうちにふたたび統合されてゆくのだ。それでも世界はつねに存在するだろう。それでもつねに何ものかがあることだろう。およそ考えうるかぎり遠い時間と空間との奥にも、なおも物質、消えることのない全的物質の現存があるだろう。

ル・クレジオ初期作品の研究ページ
http://koinu2005.seesaa.net/archives/200508.html

JMG.Le Clezio フランスのサイト
http://www.multi.fi/~fredw/

2007年6月13日 (水)

超芸術トマソン そして路上観察

1972年、赤瀬川原平、南伸坊、松田哲夫が四谷の道を歩いていると、上り下りするだけで上った先には特に何もない階段を発見した。翌年、赤瀬川原平が、江古田の駅である窓口を発見した。ベニヤ板で塞いである使われなくなった窓口である。そのベニヤ板が、必要以上に律儀に、微妙な曲線に合わせて切断されていた。また、南伸坊が、お茶の水の病院で、塞がれてしまったがきわめて堂々とした門を発見する。これら「四谷の純粋階段」「江古田の無用窓口」「お茶の水の無用門」は、芸術に似た相貌を持ちながら作り手が無意識であること、したがって発見されることで初めてそれとして現前するという点で芸術と区別され、「超芸術」と呼ばれる。

赤瀬川原平が講師をしていた美学校の生徒たちによるトマソン採集、白夜書房の雑誌『写真時代』での連載を経て、「トマソン」の概念が一般に広まる。創作意図の存在しない、視る側による芸術作品。 トマソンの由来は元・読売ジャイアンツの外国人選手、ゲイリー・トマソン氏からきている。 彼は三振ばかりでボールに当らないバッターとして機能しないバッターであった。その見事なまでの空振りの連続により、トマソンの名は赤瀬川らが発見した「不動産に付着して美しく保存されている」無用物の呼び名として転用された。

そのころ藤森照信らの建築探偵(古い市井の建物の観察・分析・コレクション)、林丈二のマンホールその他路上のもろもろの蒐集、南伸坊のハリガミ採集分析、一木努の建築破片収集などの路上にまつわるコレクションの活動とブッキングされて、筑摩書房から路上観察学入門という本が出版された。ウィリアム・ギブスンの小説にも「超芸術トマソン」の出てくるものがあると書かれたトマソン選手の項目のある合衆国の野球選手名鑑のサイトも存在している。またトマソンのような要素をデザインとして最初から引用し織り込んだ建築も散見されるようになったので今日においてトマソンを探す際には気をつけなければいけない。

人工物については、キッチュや超芸術トマソンのように、制作者の意図や芸術家としての技能とはまったく無関係に人工美価値が発生する場合がある。なお、美的価値という普遍的な見方からすれば、「作者が不在」であるトマソンをあえて「芸術」と呼ばなくても、その面白さが減るわけではない。芸術と呼ばなければ価値を認めることができないというのは、卑屈な見方かもしれない。また、美的価値は経済的価値と相関関係にあるわけではない。一粒の水滴に無限ともいえる美的価値を見いだすこともある。そこに作者はいない。それは芸術ではないし、芸術と呼ぶ必要もない。しかし、その美的価値は確かに存在するものである。

[ トマソンの分類]
無用階段  純粋階段ともいわれる。上って下りるだけの階段。
無用門    塞がれてしまってもいまだ門としての威厳を保っている門。
ヒサシ   庇。無用庇ともいう。下にあった窓や扉が無くなってしまったにもかかわらず、雨を防いでいる庇のこと。
無用窓  塞がれた窓。塞ぎ方に念が入っているものが美しい。
ヌリカベ  無用門や無用窓と重なる。塞いだ窓や門の跡。コンクリートで塗り込めても完全には隠しきれていない領域。周囲との微妙な差異を楽しむ。
原爆タイプ  平面状のトマソン。建物などの痕跡が、壁にシルエット状に残っている物件。
高所 物体そのものは正常だが、普段ある場所よりも高いところに存在しているために違和感をもたらす構造物。二階にある取っ手付のドアなど。
でべそ 塗り込めた壁からわずかに飛び出た、ドアノブや蛇口などの小さい突起物。
ウヤマ  看板や標識の文字が一部消えているもの。最初の物件が「?はウヤマ/卯山?店」というものだったのでこの名前が付いた。
カステラ  壁面から飛び出した直方体状の部分。出窓の塗りつぶしなどで発生する。また、逆に引っ込んでいる部分は「逆カステラ」と呼ばれる。
アタゴ  道路脇にある意味不明の突起物。車の駐車禁止のため役に立っている可能性もある。
生き埋め 路上の物件の一部がコンクリートなどで埋められているもの。
地層  地面に断層が形成されたもの。同一箇所を複数回工事したときなどに見られる。
境界 ガードレール、柵、塀など、境界を表示する物件で、意味が即座に理解しがたいもの。
ねじれ 通常、まっすぐ直角に作られている建築物のなかにおいて、微妙なねじれを有する物件。
阿部定 途中で切られた電信柱の跡。命名は阿部定事件より。
もの喰う木 木が、柵やワイヤーなどを飲み込みながら成長している様子。
無用橋 埋め立てられた川に架かる橋など、無用となっている橋。
純粋タイプ  分類不能で、実用的意味が考えられないもの。空けると壁面の「純粋シャッター」など。
蒸発  看板の退色や、記念碑の一部損壊などで、もともとの意味がわかりにくくなっているもの。

超芸術トマソンのアルバム http://mytownmycycle.web.infoseek.co.jp/matikado/tomason/tomason.html
~無用だが生き続けるモノしかしそれは時として「芸術品」になる~ http://www.shimataka.net/thomason/00.htm

[参考文献]
赤瀬川原平編 『超芸術トマソン』 筑摩書房、1987年
赤瀬川原平・南伸坊・藤森照信 共編『路上観察學入門』 筑摩書房、
赤瀬川原平編 『トマソン大図鑑・無の巻』 筑摩書房、1996年
赤瀬川原平編 『トマソン大図鑑・空の巻』 筑摩書房、1996年

トマソン・リンク http://www.st.rim.or.jp/~tokyo/thomalink/

2007年6月12日 (火)

言葉に奇抜な跳躍を教えこむのは手品師であって詩人ではない

星になろうとして思い切りそり立った山もありますが、
そのかわり、裾野を飾る美しい緑の衣装をまとうことはできません。

深遠な知恵のつまった書物には、
信頼にたる人たちのみた夢が数え切れないくらいでてきます。

悟性を欠いた感激は無益で危険だ。
詩人は、奇蹟に驚いているうちは、奇蹟をおこなうことなどおぼつかない。

歴史家にとって戦いの時代こそ注目すべきで、
その記述は魅力的でやりがいのある仕事となる。
詩人はそういう時代に生まれることが多いのだ。

言葉に奇抜な跳躍を教えこむのは手品師であって詩人ではない。

音楽家や画家もわれわれから詩の自立性を、また詩と創作に、
というより真の芸術作品に宿る内なる精神を
ありがたく学びとることがあるだろう。
彼らはより詩的に、われわれはより音楽的、絵画的にならなくてはいけない。

素材は芸術の目的ではない。素材を練り上げることが目的だ。

献身のなかにこそ愛がある。
愛とは、ぼくたちの謎にみていてかけがえのない存在が
このうえなく神秘に溶け合うことなんだ

もしも時がこれほどいがみ合っていないで、
未来と現在が、未来と過去が結び合い、
春が秋と、夏が冬と結婚し、青春と老いがひとつになって、
戯れる厳かさを生み出すのでしたら、
愛しいお方、そのときには苦しみの泉は涸れ、
愛する心は、あらゆる願いをかなえられていることでしょう

苦痛を避ける者には、愛する意志がかけている。

外的な状況がそのままぼくたちの
本当の幸福や不幸だということはありえない。
幸福も不幸も、内なる未知の霊の恣意的な言語記号にすぎず、
その霊のそばにいるか、離れているかによって、
幸福や不幸の微妙な差異が決まるのである。

まずは、不安な考えが考えにすぎないことを知ることだ。
熱心に祈り、志を確かにもてば、多くのことができる。

ノヴァーリス,Werke, Novalis(1772-1801)
ドイツ・ロマン派を代表する幻想文学作家。詩人。
自然科学一般、化学、鉱物学、物理学、数学にも関心をよせた。当時の最先端であったガルバーニ電気、ラヴォアジェの化学、ブラウン医学についても熱心に学んでいる。プロティノスの新プラトン主義、パラケルスス、ヴァン・ヘルモント、ロバート・フラッド、メスメルの動物磁気説などにも関心を示した。
 彼によると人間は、「身体」と「魂」の2つの感覚システムから成るという。「身体」は、「外なる世界」ないし「自然」という「外的刺戟」に従属している。それに対し、「魂」は「霊(ガイスト)」という「内的刺激」に従属している。両者は連合し関連しあっており、普段は身体システムによって刺戟を受ける。しかし、魂システムの方が身体システムに刺戟を与えることもある。いわば、両者は「完全な相互関係」になければならないのである。両者は調和しなければならない。しかし、調和を得るには調整の過程として、不調和を経験することも必要である。この過程において、身体システムが魂システムに従属することも必要になってくる。その技術こそが「魔術」であるという。普段の我々は身体システムが魂システムを従属させている。魔術は、その関係を逆転させてしまう行為なのだ。それによって、人間は物質的な「感覚世界」の優位がひっくり返され、霊や精神世界の力を強めることが出来ると言う。創作活動を行うにあたって、膨大な研究と取材を行い、凄まじい量の暗喩、シンボルを作中に散りばめる。 29歳の若さで夭折。

自然数と零について

自然数は「ものを数える言葉」を起源とし、1から始まる正の数であったと推定されている。

抽象化における最初の大きな進歩は数を表すための記数法の使用であった。これによって大きな数値を記録することが出来るようになったのである。例えば、バビロニア人は1と10に対応する数字を用いた60進の位取り記数法を開発していた(バビロニアの記数法(en:Babylonian numerals))。

古代エジプト人は1から百万までの10の累乗それぞれに異なるヒエログリフを割り当てる記数法を用いていた。カルナックから出土して、現在はパリのルーヴル美術館にある、紀元前1500年頃のものとされる石の彫刻には276という数値が二つの百と七つの十と六つの一として表記されていた。また、4,622という数についても同様であった。

抽象化における更なる進歩は、固有の数字を用いた数としての零という概念である。 バビロニア人は紀元前700年までには位取り記数法において零を表す桁というものを用いてはいたが、それは決して最終桁には用いられなかった。 オルメカとマヤの文明では紀元前1世紀までには、数字を離して表記することで零を表す方法が独立に用いられていたが、それらがメソアメリカの外に出ることはなかった。 現代的な概念は628年のインド人数学者ブラーマグプタにさかのぼる。 全ての中世の暦算家(イースターの計算者)たちはディオニュシウス・エクシグウスが 525年に始めて以来、零を数として用いたものの、それを表すローマ数字は使われなかった。その代わりに「無」を表すラテン語の nullae が使われた。抽象的な概念としての数の体系的な最初の研究は通常、古代ギリシアの哲学者、ピュタゴラスとアルキメデスに帰せられる。しかしながら、独立した研究が同時にインド、中国、メソアメリカにおいてなされている。

この10番目の数字である零は鳥の卵の形に由来していると言われていて、中世インドにおける10個の数字の形は今日使われている形とかなりかけ離れてはいたけれども、記数法の原理はインドで確立されたと言われています。しかし一般にインド方式と呼ばれているこの新しい記数法は、すべて古くからあった3つの基本原理1. 10という基数2.位取り記数法3. 10個の数字のそれぞれに対応する記号のたんなる新しい組み合わせにすぎない。これら3つの原理はどれももとを正せばインド人に帰せられるものではなかったが、現代記数法の形成のためにそれらを最初に繋ぎ合わせたのは多分インド人であったのだろう。このインドで生まれた算用数字の特徴は、一つ桁があがっても、新しい記号を導入しない点にある。零を数として扱ったことにインド人の大きな功績がある。

零を数として扱ったインドの数学者達は、数としての零の性質を完全に定式化した。
例えば、スリッド・ハラ(9-10世紀)とアリアブハッタ(10世紀)2世が次の法則を述べている。
a ± 0 = a, 0 + a = a, a − a = 0a × 0 = 0 × a = 0, 0 ÷ a = 01.4

無限という概念零でない数を零で割ることははじめは不可能と考えられていたが、その後零で割ることは無限大になるという考えに近づいていった。
バスカラ2世(1114-1185?)は a0(a ̸= 0) のような値はこれに何か加えても、またこれから何を引いても変わらないと述べている。
クリシュナ(1600年頃)は、一般に被乗数が小さくなればなるほど積は小さくなる。被乗数がきわめて小さければ積も同様に小さくなり、その値は無限に小さくなって零になっていくから、a × 0 = 0であると書いている。同様に等式0 × a = 0を説明し、同じやり方により零で割った商が無限大になることを述べている。零を零で割ることについての問題では、インドの学者たちははっきりした結論を出すことができなかった。

19世紀、自然数の集合論的な定義がなされた。この定義によれば零(空集合に対応する)を自然数に含める方がより便利である。他の数学、特に数論などの分野では0を自然数には含めない流儀が好まれることが多い。とくに混乱を避けたい場合には0から始まる自然数を指すために非負整数という用語を用いることもよくある。

2007年6月10日 (日)

数は世界万物の根源であり、数字の一つひとつには、それぞれの意味がある・・・ピュタゴラス★

自然界を肉眼で眺めると、動植物、昆虫、海、山などの自然の風景、建物など人工の構造物がある。
道具として顕微鏡などを使って眺めると、植物や動物の細かな構造が花粉、赤血球、白血球などの細胞を眺めることができる。
望遠鏡を使えばいろいろな天体を眺めることができる。天体観測にいたってはハッブル望遠鏡をはじめ宇宙空間にまで観測機器を持ち出して映像として見せてくれる。

まずは人間の身長は1m~2m、これの1/100が1cmになりますが、このあたりにさまざまな昆虫などがいる。さらに大きさを1cmの1/10000(1μm)にすると細菌などの大きさになる。だいたい光を使って見えるのがこのあたりまで。大きさの段階をさらに下がるとDNAなどの分子さらに下がると原子などになり。最近ではこの分子やある特定の原子も電子顕微鏡で捉えられている。
逆に大きな方を見ると、1mの100倍のあたりに人工物である建物や橋、飛行機、船などがあります。さらに登っていくと地球の大きさ(約1千万m)に、この地球の大きさの100倍以上のところに太陽があり、そしてこの太陽を取り巻く星たちは太陽系を構成してその大きさは約10の12乗m程。さらに行くとすぐ隣の恒星までの距離、われわれの銀河系の大きさ、銀河系からアンドロメダ星雲までの距離、そして最後にわれわれの宇宙全体の大きさとなる。これが極大の世界。素粒子の大きさを10のマイナス18乗mとして、宇宙の大きさを10の26乗mとすると、宇宙は素粒子の大きさの10の44乗倍。この44桁の間に広がる領域が研究対象となる自然界である。

地上の物体の運動も、天上の星の運動も「重力」によって支配されている。これにより、星は太陽系をつくり銀河系をつくり、人は地球の表面にへばりつけさせられている。これに対して、「電磁力」というのがあり、わたしたちの身の回りのものがこうしてバラバラにならずにまとまっていられる。さらにこの力はいろいろな化学反応をつかさどり、生命を支えている。大きさの階段を下りて原子核をつくっている「強い力」や原子核を壊す「弱い力」が現れる。そして不思議なことに、原子核の構成要素である陽子や中性子よりももっと小さな領域においては、重力が再び支配する世界が開ける。10のマイナス18乗m以下という素粒子と、10の26乗mという巨大な宇宙が、同じ重力という力によって支配されているということは興味深い。素粒子の研究は宇宙の誕生といった壮大な数にも関わって意味をなすかもしれない。

『数は万事万物の根源であって、如何なるものも数の支配を免れることはできません。日月星辰の大も、細菌微粒の小も、木石金土、鳥獣虫魚は勿論、目に見えぬ電気も、大空を充つる空気も、皆悉く数の定律に基づいた元素の離合集散の結果に過ぎないのです。
数は一より九に至るまでが基本となって、十数の盈数に尽きるものですが、幾億幾百千万の多きを算するも、この基数の集積に過ぎないのです。宇宙の万有は、悉く九と九の交差八十一数の論理中に、包容せられてしまいます。』

2007年6月 9日 (土)

巨きな神の(神の?)指紋

Volumeat

 1

わたしは誰? 誰? 誰? だれなの?
そして ここ ここはどこ?
どこなの?

わたしは 旅から旅をして ここに来た
わたしの琺瑯質の眼には
たくさんの たくさんの物が映り
次から次へと 流れ そして流れた  
 (それは 例へば 
  長大な角ふり立てて北天を移動する
  水色の甲殻類の大集団)
 (金属の葉叢にひそむ骸骨蛾)
 (鳥籠に封じ込まれた土妖精[グノーム])
わたしの露はな胸郭の一隅に巣食ふ金色の蛆が
かすかな蠕動を繰り返し
誰かが わたしの最も軟質の部分に紅を差す
斜めに落ちかかる陽光のモアレ模様は
まるで熱湯かなにかのやうだ
わたしの 半分壊れた顔面……
しかし 仮に あらゆる部分をとり除かれても
それでも わたしは在る 在らざるを得ぬ
わたしの造り主の<彼>
<彼>が居るかぎりは……

わたしは誰? 誰? 誰? だれなの?
そして ここ ここはどこ?

動くべくして動かぬ木製の歯車の苦い笑ひは
宇宙の無限性(夢幻性?)へのわたし(彼?)なりの挑戦で
布目ある石膏の肌は今日 印刷文字で埋められ
わづかな空所も片端から金剛砂で磨き立てられる
石綿[アスベスト]製の脳の中心に嵌まつた白金の梟が二声叫び
すべてが ここでは古めかしく しかも新しい
見積書の向うにありありと透けて見える白い柩
遠心分離された人狼[ガルー]のスペクトル
端のはうから乾からびていく島宇宙大のパレットの
何といふ重さ
わたしの肋骨の内部に鈴なりに配置された非常警鐘
わたしの肝臓は 亜炭の飴玉
わたしの心臓も 睾丸もまた 亜炭の飴玉
そして 薄緑の皮膚をかぶせて秘匿された再々変換装置
わたしの上の上の天空を
またしても 金剛砂の嵐が軋音をたてて西へ渡つていく

 2

わたしは誰? 誰? 誰? だれなの?
そして ここ ここはどこ?
どこなの?

わたしたちは 脆く壊れやすい一生を授けられて
ここに集ふ
火の鎌 石の膝 金属性の大蜘蛛
飾りガラスで張りつめられた堂宇の内陣では
逆三角形の愛と夢とが 焼き菓子のやうに
ぼろぼろと崩れ 崩れては空気に融ける
真つ赤に灼けた青銅の円柱から
熱く乾いた風がひとしきり吹きつけ
 (千哩の距離を隔てて それぞれに首を吊つた
  詐欺師と熾天使
  ……木の鎖 粗布の上膊 泥の関節)

いま 人肌色の巨大な尾がするすると宙にのびて――
のびきつて――
想像力の水平線に
猛烈な勢ひで打下ろされる
あたかも 何者かへの
<復讐>ででもあるかのごとくに

 3

わたしは誰? 誰? 誰? だれなの?
そして ここ ここはどこ?
どこなの? どこなの?

遠い旅のあげくに
わたしは わたしたちは いま ここに立つ
木製のリブと真鍮製のリブとが危ふい連繋を
辛うじて保ち
声のない絶叫は大聖堂に満ち
仲間を求める白い手首が青い手首に向つて
蟹のやうに
ひたむきに這ひ寄つていく
わたしは誰? 誰? 誰? だれなの?
そして あなた
わたしを わたしたちを造つたあなた
創つて かく在らしめたあなた
あなたは誰?

誰も答へない 誰も――

空漠たる天の砂漠の一隅
磨き上げられた天河石板の碑の表面に
いつたんは押捺され
徐々に薄れていく巨きな巨きな神の(神の?)指紋

入沢康夫「旅するわたし――四谷シモン展に寄せて」より   

2007年6月 8日 (金)

THE HEART OF THE SPRING 芥川龍之介訳

春の心臓

ウィリアム・バトラー・イエーツ William Butler Yeats

 一人の老人が瞑想に耽りながら、岩の多い岸に坐つてゐる。顔には鳥の脚のやうに肉がない。処はジル湖の大部を占める、榛(はしばみ)の林に掩はれた、平な島の岸である、其傍には顔の赭(あか)い十七歳の少年が、蠅を追つて静な水の面をかすめる燕(つばくら)の群を見守りながら坐つてゐる。老人は古びた青天鵞絨を、少年は青い帽子に粗羅紗(フリイズ)の上衣をきて、頸には青い珠の珠数をかけてゐる。二人のうしろには、半ば木の間にかくれた、小さな修道院がある。女王に党(くみ)した涜神な人たちが、此僧院を一炬(いつきよ)に附したのは、遠い昔の事である。今は此少年が再び燈心草の屋根を葺いて、老人の残年を安らかにすごすべきたよりとした。僧院の周囲にある庭園には、少年の鋤の入らなかつた為であらう。僧人の植ゑのこした百合と薔薇とが、一面にひろがつて、今では四方から此廃園を侵して来る羊歯(しだ)と一つになりながら、百合も薔薇も入り交つて、うつくしく咲いてゐるのである。百合と薔薇との彼方には、爪立つて歩む子供の姿さへ隠れんばかりに、羊歯が深く茂つてゐる。羊歯を越えると榛と小さな(かしわ)の木の林になる。
 少年が云ふ、「御師匠様、此長い間の断食と、日が暮れてから秦皮樹(とねりこ)の杖で、山の中や、榛ととの中に住む物を御招きになる戒行とは、あなたの御力には及ばない事でござります。暫くそのやうな勤行はおやめになさいまし。何故と申しますと、あなたの御手は何時よりも重く、私の肩にかかつて居りますし、あなたのおみ足は何時もより確でないやうでございます。人の話すのを聞きますと、あなたは鷲よりも年をとつてゐらつしやると申すではございませんか。それでもあなたは、老年にはつきものになつて居る休息と云ふものを、お求めなさらないのでございます。」
 少年は熱心に情に激したやうに云ふ。恰も其心を瞬刻の言と思とにこめたやうに云ふのである。老人は遅々として迫らぬ如く答へる。恰も其心を遠き日と遠き行とに奪はれた如く答へるのである。
「己はお前に、己の休息する事の出来ない訣を話して聞かせよう。何も隠す必要はない。お前は此五年有余の年月を、忠実に、時には愛情を以て己に仕へてくれた。己は其おかげで、何時の世にも賢哲を苦める落莫の情を、僅なりとも慰める事が出来たのだ。其上己の戒行の終と心願の成就とも、今は目の前に迫つてゐる。それ故お前は一層此訣を知る必要があるのだ。」
「御師匠様、私があなたにおたづね申したいやうに思召して下さいますな。火をおこして置きますのも、雨の洩らぬやうに茅葺を緊(かた)くして置きますのも、遠い林の中へ風に吹飛されませぬやうに茅葺きを丈夫にして置きますのも、皆私の勤でございます。重い本を棚から下しますのも、精霊の名を連ねた大きな画巻を其隅から擡(もた)げますのも、其間は純一な敬虔な心になつて居りますのも、亦皆私の勤でございます。それは神様が其無量の智慧をありとあらゆる生き物にお分ちなさいましたのを、私はよく存じて居るからでございます。そしてそのやうな事を致しますのが、私の智慧なのでございます。」
「お前は恐れてゐるな。」老人の眼はかう云つた。さうしてその眼は一瞬の怒に煌いた。
「時によりますと夜、あなたが秦皮樹の杖を持つて、本をよんでお出になりますと、私は戸の外に不思議な物を見ることがございます。灰色の巨人(おほびと)が榛の間に豕(ゐのこ)を駆つて行くかと思ひますと、大ぜいの矮人(こびと)が紅い帽子をかぶつて、小さな白い牝牛を、其前に逐つて参ります。私は灰色の人ほど、矮人を怖くは思ひませぬ。それは矮人が此家に近づきますと、牛の乳を搾つて其泡立つた乳を飲み、それから踊りをはじめるからでございます。私は踊の好きな者の心には、邪(よこしま)のないのをよく知つて居ります。けれども私は矢張矮人が恐しうございます。それから私は、あの空から現れて、静に其処此処をさまよひ歩く、丈の高い、腕の白い、女子(をなご)たちも怖うございます。あの女子たちは百合や薔薇をつんで、花冠に致します。そしてあの魂のある髪の毛を左右に振つてゐるのでございます。其女子たちの互に話すのをききますと、その髪は女子たちの心が、動きますままに、或は四方に乱れたり、或は頭の上に集つたりするのだと申します。あの女子たちはやさしい、美しい顔をして居りますが、エンガスよ、フオビスの子よ、私はすべてあのやうな物が怖いのでございます。私は精霊の国の人が怖いのでございます。私はあのやうな物をひきよせる、秘術が怖いのでございます。」
「お前は古の神々を恐れるのか。あの神々が、戦のある毎に、お前の祖先の槍を強うしてくれたのだぞ。お前はあの矮人たちを恐れるのか。あの矮人たちも昔は夜になると、湖の底から出て来て、お前の祖先の炉の上で、蟋蟀と共に唄つたのだぞ。此末世になつても、猶彼等は地上の美しさを守つてゐるのだ。が、己は先づ他人が老年の眠に沈む時に、己一人断食もすれば戒行もつとめて来た。其訳をお前に話して聞かさなければならぬ。それは今一度お前の扶(たすけ)を待たなくては、己の断食も戒行も成就する事が出来ないからだ。お前が己の為に此最後の事を為遂げたなら、お前は此処を去つて、お前の小屋を作り、お前の畑を耕し、誰なりとも妻を迎へて、あの神々を忘れてしまふがよい。己は伯爵や騎士や扈従(こしやう)から贈られた金貨と銀貨とを悉く貯へて置いた。それは己が彼等を蠱眼(イヴイルアイ)や恋に誘はうとする魔女共の呪咀から、守つてやつた為に贈られたのだ。己は伯爵や騎士や扈従の妻から贈られた金貨と銀貨とを悉、貯へて置いた。それは己が精霊の国の人たちが彼等の飼つてゐる家畜の乳房を干上らしてしまはぬやうに、彼等の攪乳器(チヤアン)の中から牛酪を盗んでしまはぬやうに、守つてゐてやつたら贈られたのだ。己は又之を己の仕事の終る日の為に貯へた。其終も間近くなつたからは、お前の家の棟木を強うする為にも、お前の窖(あなぐら)や火食房(ラアダア)を充たす為にも、お前は金貨や銀貨に不足する事はない。己は、己の全生涯を通じて、生命の秘密を見出さうとしたのだ。己は己の若い日を幸福に暮さなかつた。それは己が、老年の来ると云ふ事を知つてゐたからであつた。この様にして己は青年と壮年と老年とを通じて、この大いなる秘密を求むる為に一身を捧げたのだ。己は数世紀に亘るべき悠久なる生命にあこがれて、八十春秋に終る人生を侮蔑したのだ。己は此国の古の神々の如くにならうと思つた。――いや己は今もならうと思つてゐる。己は若い時に己が西班牙(スペイン)の修道院で発見した希伯来(ヘブライ)の文書を読んで、かう云ふ事を知つた。太陽が白羊宮に入つた後、獅子宮を過ぎる前に、不死の霊たちの歌を以て震へ動く一瞬間がある。そして誰でも此瞬間を見出して、其歌に耳を傾けた者は必、不死の霊たちとひとしくなる事が出来る。己は愛蘭土(アイルランド)にかへつてから、多くの精霊使ひと牛医とに此瞬刻が何時であるかと云ふことを尋ねた。彼等は皆之を聞いてゐた。けれども砂時計の上に、其瞬刻を見出し得る者は一人もなかつた。其故に己は一身を魔術に捧げて、神々と精霊との扶けを得んが為に生涯を断食と戒行とに費した。そして今の精霊の一人は遂に其瞬刻の来らんとしてゐる事を己に告げてくれた。それは紅帽子を冠つて、新らしい乳の泡で唇を白くしてゐる精霊が、己の耳に囁いてくれたのだ。明日黎明後の第一時間が終る少し前に、己は其瞬間を見出すのだ。それから、己は南の国へ行つて、橙の樹の間に大理石の宮殿を築き、勇士と麗人とに囲まれて、其処にわが永遠なる青春の王国に入らうと思ふ。けれど己が其歌を悉、聞くために、お前は多くの青葉の枝を運んで来て、それを己の室の戸口と窓とにつみ上げなければならぬ。――これは唇に新しい乳の泡をつけてゐる矮人が己に話してくれたのだ。――お前は又新らしい緑の燈心草を床に敷き、更に卓子と燈心草とを、僧人たちの薔薇と百合とで掩はなければならぬ。お前は之を今夜のうちにしなければならぬ。そして夜が明けたら、黎明後の第一時間の終に此処へ来て己に逢はなければならぬ。」
「其時にはすつかり若くなつてお出になりませうか。」
「己は其時になればお前のやうに若くなつてゐるつもりだ。けれども今は、まだ年をとつてもゐれば疲れてもゐる。お前は己を己の椅子と本との所へ、つれて行つてくれなければならぬ。」
 少年はフオビスの子エンガスを其室に残して、其魔術師の工夫した、異花の馨(かをり)のやうなにほひを放つ燈火に火を点じると、直に森に行つて、榛からは青葉の枝を切り、小さな岩がなだらかな砂と粘土とに移つてゐる島の西岸からは、燈心草の大きな束を刈り始めた。要(い)るほどのものを切つた時には、もう日が暮れてゐた。そして、最後の束を家の中に運んで、再び薔薇と百合とをとりに返つて来た時には、既に夜半に近かつた。それはすべての物が宝石を刻んだ如くに見える、温な、美しい夜の一つであつた。スルウスの森は遠く南に至るまで緑柱石を刻んだ如くに見え、それを映す水は亦青ざめた蛋白石(たんぱくせき)の如く輝いてゐた。少年の集めてゐる薔薇は燦めく紅宝石(ルビー)の如く、百合はさながら真珠の鈍い光りを帯びてゐた。あらゆるものが其上に不死なる何物かの姿を止めてゐるのである。ただかすかな炎を、影の中に絶えずともしてゐる蛍のみが、生きてゐるやうに思はれる。人間の望みの如く何時かは死する如く思はれる。
 少年は薔薇と百合とを両腕に抱へきれぬほど集めた。そして蛍をも其真珠と紅宝石との中に押し入れて、それを老人のまどろんでゐる室の中へ運んで来た。少年は一抱へづつ薔薇と百合とを床の上と卓子の上とに置いた。それから静に戸を閉ぢて、燈心草の床の上に横になつた。彼は此床の上に、傍に其選んだ妻を持ち、耳にその子供たちの笑ひ声を聞き、平和な壮年の時代を夢みようとするのである。黎明に少年は起きて、砂時計を携へながら湖の岸に下りた。彼は小舟の中へパンと一瓶の葡萄酒とを入れた。それは彼の主人が悠久の途に上るのに際して、食物に不足しない為であつた。それから彼は坐つて其第一時間が黎明を去るのを待つてゐた。次第に鳥が唄ひはじめた。かくて砂時計の最後の砂が落ちてゐた時に、忽ちすべてのものは其音楽を以て溢るゝやうに見えた。これは其年の中の最も美しい、最も生命に満ちた時期であつた。そして今や何人も其中に鼓動する春の心臓に耳を傾けることが出来たのである。少年は立つて、其主人を見に行つた。青葉の枝が戸口を塞いでゐる。彼はそれを押しのけて、はいらなければならなかつた。彼が室に入つた時に、日の光は環をなしてゆらめきながら、床の上や壁の上に、落ちてゐた。あらゆる物が柔な緑の影に満たされてゐるのである。
 けれ共、老人は薔薇と百合との束を、緊く抱きながら坐つてゐた。頭は胸の上に低れてゐる。左手の卓子の上に、金貨と銀貨とに満ちた皮袋ののつてゐるのは、旅に上る為であらう。右手には長い杖があつた。少年は老人にさはつてみた。けれ共彼は動かなかつた。またその手を上げて見た。けれ共それは冷かつた。そして又力なく垂れてしまつた。
「御師匠様は外の人のやうに、珠数を算へたり祈祷を唱へたりして、いらつしやればよかつたのだ。御師匠様のお尋ねなすつた物は、御心次第で御行状や御一生の中にも見当つたものを。それを不死の霊たちなどの中に、お探しなさらなければよかつたのだ。ああ、さうだ。祈祷をなすつたり、珠数に接吻したりしていらつしやればよかつたのだ。」
 少年は老人の古びた青天鵞絨を見た。そしてそれが薔薇と百合との花粉に掩はれてゐるのを見た。そして彼がそれを見てゐるうちに、窓につみ上げてある青葉の枝に止つてゐた一羽の鶫(つぐみ)が唄ひ始めた。

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初出:「新思潮」第一巻第五号  1914(大正3)年6月1日発行
※初出時の表題 「春の心臓――W.B.Yeats――」 William Butler Yeats

ウィリアム・バトラー・イエーツ 春の心臓 

A short story by William Butler Yeats
The Heart Of The Spring

A very old man, whose face was almost as fleshless as the foot of a
bird, sat meditating upon the rocky shore of the flat and hazel-
covered isle which fills the widest part of the Lough Gill. A russet-
faced boy of seventeen years sat by his side, watching the swallows
dipping for flies in the still water. The old man was dressed in
threadbare blue velvet, and the boy wore a frieze coat and a blue
cap, and had about his neck a rosary of blue beads. Behind the two,
and half hidden by trees, was a little monastery. It had been burned
down a long while before by sacrilegious men of the Queen's party,
but had been roofed anew with rushes by the boy, that the old man
might find shelter in his last days. He had not set his spade,
however, into the garden about it, and the lilies and the roses of
the monks had spread out until their confused luxuriancy met and
mingled with the narrowing circle of the fern. Beyond the lilies and
the roses the ferns were so deep that a child walking among them
would be hidden from sight, even though he stood upon his toes; and
beyond the fern rose many hazels and small oak trees.

'Master,' said the boy, 'this long fasting, and the labour of
beckoning after nightfall with your rod of quicken wood to the beings
who dwell in the waters and among the hazels and oak-trees, is too
much for your strength. Rest from all this labour for a little, for
your hand seemed more heavy upon my shoulder and your feet less
steady under you to-day than I have known them. Men say that you are
older than the eagles, and yet you will not seek the rest that
belongs to age.' He spoke in an eager, impulsive way, as though his
heart were in the words and thoughts of the moment; and the old man
answered slowly and deliberately, as though his heart were in distant
days and distant deeds.

'I will tell you why I have not been able to rest,' he said. 'It is
right that you should know, for you have served me faithfully these
five years and more, and even with affection, taking away thereby a
little of the doom of loneliness which always falls upon the wise.
Now, too, that the end of my labour and the triumph of my hopes is at
hand, it is the more needful for you to have this knowledge.'

'Master, do not think that I would question you. It is for me to keep
the fire alight, and the thatch close against the rain, and strong,
lest the wind blow it among the trees; and it is for me to take the
heavy books from the shelves, and to lift from its corner the great
painted roll with the names of the Sidhe, and to possess the while an
incurious and reverent heart, for right well I know that God has made
out of His abundance a separate wisdom for everything which lives,
and to do these things is my wisdom.'

'You are afraid,' said the old man, and his eyes shone with a
momentary anger.

'Sometimes at night,' said the boy, 'when you are reading, with the
rod of quicken wood in your hand, I look out of the door and see, now
a great grey man driving swine among the hazels, and now many little
people in red caps who come out of the lake driving little white cows
before them. I do not fear these little people so much as the grey
man; for, when they come near the house, they milk the cows, and they
drink the frothing milk, and begin to dance; and I know there is good
in the heart that loves dancing; but I fear them for all that. And I
fear the tall white-armed ladies who come out of the air, and move
slowly hither and thither, crowning themselves with the roses or with
the lilies, and shaking about their living hair, which moves, for so
I have heard them tell each other, with the motion of their thoughts,
now spreading out and now gathering close to their heads. They have
mild, beautiful faces, but, Aengus, son of Forbis, I fear all these
beings, I fear the people of Sidhe, and I fear the art which draws
them about us.'

'Why,' said the old man, 'do you fear the ancient gods who made the
spears of your father's fathers to be stout in battle, and the little
people who came at night from the depth of the lakes and sang among
the crickets upon their hearths? And in our evil day they still watch
over the loveliness of the earth. But I must tell you why I have
fasted and laboured when others would sink into the sleep of age, for
without your help once more I shall have fasted and laboured to no
good end. When you have done for me this last thing, you may go and
build your cottage and till your fields, and take some girl to wife,
and forget the ancient gods. I have saved all the gold and silver
pieces that were given to me by earls and knights and squires for
keeping them from the evil eye and from the love-weaving enchantments
of witches, and by earls' and knights' and squires' ladies for
keeping the people of the Sidhe from making the udders of their
cattle fall dry, and taking the butter from their churns. I have
saved it all for the day when my work should be at an end, and now
that the end is at hand you shall not lack for gold and silver pieces
enough to make strong the roof-tree of your cottage and to keep
cellar and larder full. I have sought through all my life to find the
secret of life. I was not happy in my youth, for I knew that it would
pass; and I was not happy in my manhood, for I knew that age was
coming; and so I gave myself, in youth and manhood and age, to the
search for the Great Secret. I longed for a life whose abundance
would fill centuries, I scorned the life of fourscore winters. I
would be--nay, I _will_ be!--like the Ancient Gods of the land.
I read in my youth, in a Hebrew manuscript I found in a Spanish
monastery, that there is a moment after the Sun has entered the Ram
and before he has passed the Lion, which trembles with the Song of
the Immortal Powers, and that whosoever finds this moment and listens
to the Song shall become like the Immortal Powers themselves; I came
back to Ireland and asked the fairy men, and the cow-doctors, if they
knew when this moment was; but though all had heard of it, there was
none could find the moment upon the hour-glass. So I gave myself to
magic, and spent my life in fasting and in labour that I might bring
the Gods and the Fairies to my side; and now at last one of the
Fairies has told me that the moment is at hand. One, who wore a red
cap and whose lips were white with the froth of the new milk,
whispered it into my ear. Tomorrow, a little before the close of the
first hour after dawn, I shall find the moment, and then I will go
away to a southern land and build myself a palace of white marble
amid orange trees, and gather the brave and the beautiful about me,
and enter into the eternal kingdom of my youth. But, that I may hear
the whole Song, I was told by the little fellow with the froth of the
new milk on his lips, that you must bring great masses of green
boughs and pile them about the door and the window of my room; and
you must put fresh green rushes upon the floor, and cover the table
and the rushes with the roses and the lilies of the monks. You must
do this to-night, and in the morning at the end of the first hour
after dawn, you must come and find me.'

'Will you be quite young then?' said the boy.

'I will be as young then as you are, but now I am still old and
tired, and you must help me to my chair and to my books.'

When the boy had left Aengus son of Forbis in his room, and had
lighted the lamp which, by some contrivance of the wizard's, gave
forth a sweet odour as of strange flowers, he went into the wood and
began cutting green boughs from the hazels, and great bundles of
rushes from the western border of the isle, where the small rocks
gave place to gently sloping sand and clay. It was nightfall before
he had cut enough for his purpose, and well-nigh midnight before he
had carried the last bundle to its place, and gone back for the roses
and the lilies. It was one of those warm, beautiful nights when
everything seems carved of precious stones. Sleuth Wood away to the
south looked as though cut out of green beryl, and the waters that
mirrored them shone like pale opal. The roses he was gathering were
like glowing rubies, and the lilies had the dull lustre of pearl.
Everything had taken upon itself the look of something imperishable,
except a glow-worm, whose faint flame burnt on steadily among the
shadows, moving slowly hither and thither, the only thing that seemed
alive, the only thing that seemed perishable as mortal hope. The boy
gathered a great armful of roses and lilies, and thrusting the glow-
worm among their pearl and ruby, carried them into the room, where
the old man sat in a half-slumber. He laid armful after armful upon
the floor and above the table, and then, gently closing the door,
threw himself upon his bed of rushes, to dream of a peaceful manhood
with his chosen wife at his side, and the laughter of children in his
ears. At dawn he rose, and went down to the edge of the lake, taking
the hour-glass with him. He put some bread and a flask of wine in the
boat, that his master might not lack food at the outset of his
journey, and then sat down to wait until the hour from dawn had gone
by. Gradually the birds began to sing, and when the last grains of
sand were falling, everything suddenly seemed to overflow with their
music. It was the most beautiful and living moment of the year; one
could listen to the spring's heart beating in it. He got up and went
to find his master. The green boughs filled the door, and he had to
make a way through them. When he entered the room the sunlight was
falling in flickering circles on floor and walls and table, and
everything was full of soft green shadows. But the old man sat
clasping a mass of roses and lilies in his arms, and with his head
sunk upon his breast. On the table, at his left hand, was a leathern
wallet full of gold and silver pieces, as for a journey, and at his
right hand was a long staff. The boy touched him and he did not move.
He lifted the hands but they were quite cold, and they fell heavily.

'It were better for him,' said the lad, 'to have told his beads and
said his prayers like another, and not to have spent his days in
seeking amongst the Immortal Powers what he could have found in his
own deeds and days had he willed. Ah, yes, it were better to have
said his prayers and kissed his beads!' He looked at the threadbare
blue velvet, and he saw it was covered with the pollen of the
flowers, and while he was looking at it a thrush, who had alighted
among the boughs that were piled against the window, began to sing.

-THE END-
William Butler Yeats' short story: The Heart Of The Spring

ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats, 1865年6月13日 - 1939年1月28日)は、アイルランドの詩人、劇作家。イギリスの神秘主義秘密結社黄金の暁教団(The Hermetic Order of the Golden Dawn)のメンバーでもある。ダブリン郊外、サンディマウント出身。神秘主義的思想をテーマにした作品を描き、アイルランド文芸復興を促した。日本の能の影響を受けたことでも知られる。

2007年6月 7日 (木)

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632年10月31日-1675年12月15日)

17世紀にオランダで活躍した風俗画家である。レンブラントと並び17世紀のオランダ美術を代表する画家とされる。生涯のほとんどを故郷デルフトですごした。最も初期の作品の一つ「マリアとマルタの家のキリスト」(1654-55頃)にみられるように、彼ははじめ物語画家として出発したが、やがて1656年の年記のある「取り持ち女」の頃から風俗画家へと転向していく。 静謐で写実的な迫真性のある画面は、綿密な空間構成と巧みな光と質感の表現に支えられている。

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現存する作品点数は、研究者によって異同はあるものの33~36点と少ない。このほか記録にのみ残っている作品が少なくとも10点はあるが、記録に残っていない作品を勘案しても22年の画歴に比してやはり寡作というべきだろう。

人物など作品の中心をなす部分は精密に書き込まれた濃厚な描写になっているのに対し、周辺の事物はあっさりとした描写になっており、生々しい筆のタッチを見ることができる。この対比によって、見る者の視点を主題に集中させ、画面に緊張感を与えている。「レースを編む女」の糸屑のかたまり、「ヴァージナルの前に立つ女」の床の模様などが典型的な例として挙げられる。

フェルメールは、描画の参考とするため「カメラオブスキュラ」という一種のピンホールカメラを用いていたらしい。これにより、正確な遠近法を可能にしている。少女の髪や耳飾が窓から差し込む光を反射して輝くところを明るい絵具の点で表現している。 この技法はポワンティエ(pointillé)と呼ばれ、フェルメールの作品における特徴の1つに挙げられる。また、フェルメールの絵に見られる鮮やかな青は、「フェルメール・ブルー」とも呼ばれる。この青は、天然「ウルトラマリンブルー」という絵の具で、「ラピスラズリ」という非常に貴重な鉱石を原材料としている。ラピスラズリは、17世紀には金よりも貴重であったといわれ、「天空の破片」とも呼ばれた。ラピスラズリを非常に細かく砕き、乳鉢ですりつぶして粉末状にしたものを溶液に溶かし、上澄みを捨てて純化し、それを植物油脂でとくことによって「ウルトラマリンブルー」は生成される。ウルトラマリンブルーは通常の青い絵の具の百倍の値段がついたとされ、通常の画家はマリアのマントなどの限られた部分にしか使わない貴重な絵の具であった。しかしフェルメールはこのウルトラマリンブルーをふんだんに使った。彼はなんと、ウルトラマリンブルーをドレスの下地に使うという、当時の常識としては考えられない使用法を用いた。フェルメールが亡くなったときに多額の借金があったといわれるが、あるいはこのような高価な画材でさえも躊躇なく使ったそのこだわりが借金の原因の一つだったのかもしれない。

1632年10月31日にデルフトに生まれる。絹織物職人として活動するかたわら宿屋を営んでいた父は、ヨハネス誕生の前年に画家中心のギルドである聖ルカ組合に加入している。10年後の1642年にはフェルメールの家として知られる「メーヘレン」に転居した。
1653年にカタリーナ・ボルネスと結婚したフェルメールは、同年末に聖ルカ組合に加入している。従ってこれ以前に画家としての本格的な修行を積んだことになるが、デルフト以外の場所でのことだったようだ。

1662年と1670年の2度にわたって画家の組合である聖ルカ組合の理事に選出されており、生前から画家として高い評価を受けていたことが伺われる。

1675年にデルフトで没。享年43であった。同郷同年同月生まれの織物商であり博物学者としても知られるレーウェンフックが死後の遺産管財人となった。

[主な作品] 
牛乳を注ぐ女 (1658年-1660年)別項「フェルメールの作品」

「マリアとマルタの家のキリスト」(1654-55頃) - スコットランド国立美術館
「取り持ち女」(1656) - ドレスデン美術館
「牛乳を注ぐ女」(1658-60頃) - アムステルダム国立美術館
「ぶどう酒のグラス」(1658頃) - ベルリン国立美術館
「兵士と笑う女」(1658頃) - フリック・コレクション、ニューヨーク
「小路」(1658頃) - アムステルダム国立美術館
「デルフト眺望」(1660-61頃) - マウリッツハイス美術館, ハーグ
「二人の紳士と女」(1660頃) - アントン・ウルリッヒ美術館
「音楽の稽古」(1662-65頃) - 王室コレクション, バッキンガム宮殿
「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」(1665年頃) - マウリッツハイス美術館, ハーグ
「手紙を書く女」(1665-66頃) - ナショナル・ギャラリー (ワシントン)
「絵画芸術の寓意」(1666-67頃) - 美術史美術館, ウィーン
「女と召使」(1667頃) - フリックコレクション、ニューヨーク
「地理学者」(1669頃) - シュテーデル美術館、フランクフルト
「レースを編む女」(1669-70頃) - ルーブル美術館, パリ
「手紙を書く女と召使」(1670) - アイルランド国立美術館
「ヴァージナルの前に立つ女」(1673-75頃) - ナショナルギャラリー (ロンドン)
「ヴァージナルの前に座る女」(1673-75頃) - ナショナル・ギャラリー, ロンドン
「窓辺で手紙を読む若い女」-(1659頃)-ドレスデン美術館

[ 「忘れられた画家」と再発見]
聖ルカ組合の理事に選出されていたことからも明らかなように、生前は画家として高い評価を得ていたらしい。しかしながら、死後フェルメールの名は急速に忘れられてしまう。

1866年にフランス人トレ・ビュルガーが著した論文が、フェルメールに関する初の本格的なモノグラフである。当時フェルメールに関する文献資料は少なく、トレ・ビュルガーは自らをフェルメールの「発見者」として位置付けた。しかし、実際にはフェルメールの評価は生前から高く、決して「忘れられた画家」だったわけではない。トレは研究者であっただけでなくコレクターで画商であったため、フェルメール「再発見」のシナリオによって利益を得ようとしたのではないかという研究者もいる。

その後、マルセル・プルーストやポール・クローデルといった文学者などから高い評価を得たこともあり、再び脚光を浴びることとなる。

[贋作事件]
トレ・ビュルガーがフェルメールの作品として認定した絵画は70点以上にのぼる。これらの作品の多くは、その後の研究によって別人の作であることが明らかになり、次々と作品リストから取り除かれていった。20世紀に入ると、このような動きと逆行するようにフェルメールの贋作が現れてくる。中でも最大のスキャンダルといわれるのがハン・ファン・メーヘレンによる一連の贋作事件である。

この事件は1945年ナチス・ドイツの国家元帥ヘルマン・ゲーリングの妻の居城からフェルメールの贋作「キリストと悔恨の女」が押収されたことに端を発する。売却経路の追及によって、メーヘレンが逮捕された。オランダの至宝を敵国に売り渡した売国奴としてである。ところが、メーヘレンはこの作品は自らが描いた贋作であると告白したのである。さらに多数のフェルメールの贋作を世に送り出しており、その中には「エマオのキリスト」も含まれているというのである。「エマオのキリスト」は1938年にロッテルダムのボイマンス美術館が購入したものであり、購入額の54万ギルダーはオランダ絵画としては過去最高額であった。当初メーヘレンの告白が受け入れられなかったため、彼は法廷で衆人環視の中、贋作を作ってみせたという。「エマオのキリスト」は、現在でもボイマンス美術館の一画に展示されている。

[フェルメールとダリ]
シュルレアリストとして有名な画家サルバドール・ダリ(Salvador Dali, 1904年 - 1989年)は、フェルメールを絶賛しており、自ら「テーブルとして使われるフェルメールの亡霊」(1934年,ダリ美術館)、「フェルメールの<レースを編む女>に関する偏執狂的=批判的秀作」(1955年,グッゲンハイム美術館)など、フェルメールをモチーフにした作品を描いている。

[盗難] 1971年、アムステルダム国立美術館所蔵の「恋文」が、ブリュッセルで行われた展覧会への貸し出し中に盗難された。程なく犯人は逮捕されたが、盗難の際に木枠からカンバスをナイフで切り出し、丸めて持ち歩いたため、周辺部の絵具が剥離してしまい、作品は深刻なダメージを蒙った。

1974年2月23日、「ギターを弾く女」がロンドンの美術館であるケンウッド・ハウスから盗難されている。この作品と引き換えに、無期懲役刑に処せられているIRA暫定派のテロリスト、プライス姉妹をロンドンの刑務所から北アイルランドの刑務所に移送せよとの要求が犯人から突きつけられた。

さらに5週間後の4月26日には、ダブリン郊外の私邸ラスボロー・ハウスからフェルメールの「手紙を書く女と召使」を始めとした19点の絵画が盗難された。こちらの犯人からは、同じくプライス姉妹の北アイルランド移送と、50万ポンドの身代金の要求があった。

イギリス政府はいずれの要求にも屈せず、テロには譲歩しないという態度を堅持し続けた。翌1975年1月、別件で逮捕されたIRAメンバーの宿泊先からケンウッド・ハウスから盗難された絵画が無事保護された。さらにその翌々日、スコットランド・ヤードに対し、「恋文」はロンドン市内の墓地に置かれているという匿名の電話があり、「恋文」も無事保護された。

ラスボロー・ハウスの『手紙を書く女と召使』は1986年にも盗難されたが、7年後の1993年に、囮捜査によって犯人グループが逮捕され、作品はとりもどされている。

1990年3月18日の深夜1時過ぎ、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館にボストン市警を名乗る2人組が現れて美術館警備員を拘束し、フェルメールの「合奏」を始め、レンブラントの「ガラリヤの海の嵐」、ドガ、マネの作品など計13点が盗難された。被害総額は当時の価値で2億ドルとも3億ドルともいわれ、史上最大の美術品盗難事件となってしまった。これらの絵画は依然として発見されていない(2007年5月現在)。
Young Woman Seated at the Virginals, thought to have been painted in about 1670, will now become the first Vermeer to be auctioned in more than 80 years. It is expected to fetch over £3m at London auction house Sotheby's in July. Researchers spent more than 10 years studying the painting by the artist - known for more than 30 works including Girl With A Pearl Earring.                  30 March, 2004 BBC NEWSより

フェルメール美術館
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2007年6月 6日 (水)

ヨーロッパ美術館のホームページ

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ジョルジュ・ポンピドー・センター パリ http://www.cnac-gp.fr/Pompidou/Accueil.nsf/Document/HomePage?OpenDocument&sessionM=1&L=2
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レンバッハ美術館 ミューヘン http://www.lenbachhaus.de/

オーストリア
アルベルティーナ美術館 ウィーン http://www.albertina.at/index_d_fl.html
MUMOK近代美術館 ウィーン http://www.mumok.at/index.htm
ウィーン美術史美術館 ウィーン http://www.khm.at/
オーストリア美術館(ベルベデーレ宮殿) ウィーン http://www.belvedere.at/

スイス
オスカー・ラインハルト コレクション ヴィンターツール http://www.kultur-schweiz.admin.ch/sor/
チューリッヒ美術館 チューリッヒ http://www.kunsthaus.ch/
バーゼル市立美術館 バーゼル http://www.kunstmuseumbasel.ch/de/
ビュールレ コレクション チューリッヒ http://www.buehrle.ch/
ベルン美術館 ベルン http://www.kunstmuseumbern.ch/

イギリス
アイルランド国立美術館 ダブリン http://www.nationalgallery.ie/
ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館 ロンドン http://www.vam.ac.uk/
ウォーレス・コレクション ロンドン http://www.the-wallace-collection.org.uk/
王立美術館 ロンドン http://www.royalacademy.org.uk/
ロンドン大学コートールド研究所美術館 ロンドン http://www.courtauld.ac.uk/?
スコットランド国立近代美術館 エジンバラ http://www.nationalgalleries.org/index.asp?centre=html/2-galleries/2-indGalleryFS.asp?gallery=4-a
スコットランド国立美術館 エジンバラ http://www.natgalscot.ac.uk/
テート・ギャラリー(ブリテン、モダン、リバプール) ロンドン http://www.tate.org.uk/
ナショナル ポートレート ギャラリー ロンドン http://www.npg.org.uk/
ナショナルギャラリー ロンドン http://www.nationalgallery.org.uk/

ベルギー
アントワープ王立美術館 アントワープ http://museum.antwerpen.be/kmska/
ゲント美術館 ゲント http://www.mskgent.be/
ベルギー王立美術館
ブリュッセル http://www.fine-arts-museum.be/
メイヤー・ヴァン・デン・ヴェルグ美術館ビ アントワープ http://museum.antwerpen.be/mayervandenbergh/
ルーベンス・ハウス アントワープ http://www.dma.be/cultuur/rubenshuis/

オランダ
アムステルダム国立美術館 アムステルダム http://www.rijksmuseum.nl/
アムステルダム市立近代美術館 アムステルダム http://www.stedelijk.nl/
クレラー・ミュラー美術館 オッテルロー http://www.kmm.nl/
ゴッホ美術館 アムステルダム http://www.vangoghmuseum.nl/
ハーグ市立美術館 デン・ハーグ http://www.gemeentemuseum.nl/
ボイマンス-ファン・ブーニンヘン美術館 ロッテルダム http://boijmans.kennisnet.nl/
マウリッツハイス美術館 デン・ハーグ http://www.mauritshuis.nl/

スペイン
カタルーニャ美術館 バルセロナ http://www.mnac.es/
グッゲンハイム美術館 ビルバオ http://www.guggenheim-bilbao.es/idioma.htm
ダリ劇場美術館 フィラゲス http://www.salvador-dali.org/eng/teatre.htm
ティッセンボルネミッサ美術館 マドリッド http://www.museothyssen.org/conflash.htm
ピカソ美術館 バルセロナ http://www.museupicasso.bcn.es/
プラド美術館 マドリッド http://museoprado.mcu.es/
ミロ美術館 バルセロナ http://www.bcn.fjmiro.es/
ソフィア王妃アートセンター マドリッド http://museoreinasofia.mcu.es/
ポルトガル
グルベンキアン美術館 リスボン http://www.museu.gulbenkian.pt/
スウェーデン
ストックホルム近代美術館 スットクホルム http://www.modernamuseet.se/
ストックホルム国立美術館 スットクホルム http://www.nationalmuseum.se/
ノルウェー
オスロ国立美術館 オスロ http://www.museumsnett.no/nasjonalgalleriet/
ムンク美術館 オスロ http://www.museumsnett.no/munchmuseet/
フィンランド
国立アテニウム美術館 ヘルシンキ http://www.ateneum.fi/
デンマーク
ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館 コペンハーゲン http://www.glyptoteket.dk/
ルイジアナ美術館 フムルベック http://www.louisiana.dk/

2007年6月 5日 (火)

世界革命戦争宣言

   ブルジョアジー諸君!
   我々は君達を世界中で革命戦争の場に叩き込んで一掃するために、ここ
   に公然と宣戦を布告するものである。
 
   ブルジョアジー諸君!
   君達がたとえ米軍、NATO軍、安保軍、ベトナム連合軍等々全世界の
   警察を総動員しようとも、君達が骨抜きにし変質させたソ連―ワルシャ
   ワ軍までをも動員したとしても、我々は全世界のプロレタリア人民の力
   を世界党―世界赤軍―世界革命戦線の下に結集し必ずや叩きのめしてし
   まうことを通告する。
 
   君達の歴史的罪状は、もうわかりすぎているのだ。君達の歴史は血塗ら
   れた歴史である。
   
   第一次大戦、第二次大戦、君達同士の間での世界的強盗戦争のために、
   我々の仲間をだまして動員し、互いに殺し合わせ、あげくの果ては、が
   っぽりともうけているのだ。
 
   君達は植民地を略奪するために我々の仲間を殺した。仲間をそそのかし、
   植民地を略奪したらそのわけまえをやると言って、更進国の仲間を、君
   達がそそのかした仲間をつかって殺させたのだ。それだけではない。そ
   うやって略奪した植民地を君達同士で奪い合う強盗戦争にも、同じよう
   に仲間をそそのかし殺し合わせたのだ。
 
   我が日本ブルジョアジー諸君!
   君達にも嘘とは言わせない。「富国強兵」のスローガンのもと、日清、
   日露、第一次、第二次の強盗戦争をやって来たではないか。
 
   我々はもう、そそのかされ、だまされはしない。否、そそのかされ、だ
   まされないだけではない。我々は過去のうらみを持って君達をのろうと
   共に、またまた君達のやろうとすることに対し、今度は我々の側には用
   意がある。
 
   君達にベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、我々にも君
   達を好き勝手に殺す権利がある。君達にブラック・パンサーの同志を殺
   害しゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、我々にも、ニクソ
   ン、佐藤、キージンガ―、ドゴールを殺し、ペンタゴン、防衛庁、警視
   庁、君達の家々を爆弾で爆破する権利がある。君達に、沖縄の同志を銃
   剣で突き刺す権利があるのなら、我々にも君達を銃剣で突き刺す権利が
   ある。君達が朝鮮で再び戦争をやるために、自衛隊を増やし、ファーカ
   ス・レチナや、三矢作戦をやり、朴独裁三選のため、それに反対する任
   君を逮捕し、死刑にする権利があるのなら、我々にも赤軍を建軍し革命
   宣戦を作り、君達を逮捕し、死刑にする権利がある。
 
   アメリカのブルジョアジー諸君!
   君達は第二次大戦後、朝鮮でコンゴで、ベトナムで、不断に仲間を殺し
   続けて来てくれた。日本のブルジョアジー諸君!君達は、自衛隊、機動
   隊を増やし、今ベトナムに協力し、朝鮮に将来派兵しようとしている。
   西独のブルジョアジー諸君!国防軍を強化しフランスを牽制し、チェコ
   や東欧や中近東に目を光らせて何をしようというのだ。  
 
   ブルジョアジー諸君!
   いつまでも君達の思い通りになると思っていたら大まちがいだ。我々は
   過去、封建領主のもとでは家畜のように領土のおりの中に縛りつけられ
   た農奴だった。君達は、この身分の枠を破り、我々を君達の自由にする
   ために、「自由、平等、博愛」のスローガンの下、領主たちと闘った。
   だが今や、我々は君達の好き勝手にされることを公然ときっぱりと拒否
   することを宣言する。君達の時代は終りなのだ。
 
   我々は地球上から階級戦争をなくすための最後の戦争のために、即ち世
   界革命戦争の勝利のために、君達をこの世から抹殺するために、最後ま
   で戦い抜く。
 
   我々は、自衛隊、機動隊、米軍諸君に、公然と銃をむける。君達は殺さ
   れるのがいやならその銃を後ろに向けたまえ! 君達をそそのかし、後
   ろであやつっているブルジョアジーに向けて。
 
   我々、世界プロレタリアートの解放の事業を邪魔するやつは、だれでも、
   ようしゃなく革命戦争の真ただ中で抹殺するだろう。
 
   万国のプロレタリア団結せよ! 世界革命戦争宣言をここに発する。
      
       (共産主義者同盟赤軍派 日本委員会 上野勝輝)1969年9月3日

ブッシュ大統領家と直接的、もしくは間接的に関わっていた世界のいい人達

国際テロ組織アルカイダ首領:ウサマ・ビン・ラディンとビン・ラディン一族、サウジ出身の世界最大の兵器商:アドナン・カショーギ、麻薬銀行BCCIの大株主:ハリド・ビン=マフーズ、コントラ事件において、イランへ大量の武器密輸を行った、死を運ぶ悪魔:マヌケル・ゴルバニファー、パナマの麻薬王で独裁者のマニュエル・ノリエガ、世界のコカイン市場の8割を支配した、コロンビアのコカイン・マフィア、メデジン・カルテル首領:パブロ・エスコバルと、メデジン・カルテル支配家族:オチョア家、アメリカの特殊部隊デルタ・フォースと組んで、ライバルの麻薬カルテル、メデジン・カルテル首領のパブロ・エスコバル追いやった、カリ・カルテル支配者のオレフエラ兄弟、イラクを支配した、謎に満ちた悪魔の人形、独裁者:サダム・フセイン、シオニズムで動悪非道のイスラエルの虐殺者:アリエル・シャロン、イスラエル最大の兵器商:アドルフ・シュウィンマー、イスラエルの大手武器商人:ヤコブ・ニムロディ、コントラ事件に関与したイスラエルのテロ殺人集団、世界最凶の諜報機関モサド幹部:マイク・ハラリ、ユダヤ人600万人、非ユダヤ人500万人の、計1100万人にも登る、何の罪も無い一般市民を、人種差別で虐殺したナチス党首:アドルフ・ヒトラー、 ナチス最大のパトロン:フリッツ・ティッセン男爵、ナチス戦犯で“リヨンの虐殺者”の異名を取るクラウス・バルビー、秘密警察SAVAKを使って、 民衆を弾圧したイランの独裁者:パフラヴィー国王、イランの武器商人:アルバート・ハキム、世界中の独裁者と犯罪者から、血に染まった金をかき集めて栄葉を誇る、スイス金融界支配者:エッシャー家、地球を地獄に変えるアメリカ兵器財閥:デュポン家、世界の麻薬密輸流通ルートを支配した、アメリカのラ・コーザ・ノストラ支配者:チャールズ・ルチアーノ、アメリカ・シカゴの暗黒街帝王:アルフォンス・カポネ、モンロー暗殺のシカゴ・マフィア:サム・ジアンカーナ、ケネディ暗殺実行犯:リー・ハーヴェイ・オズワルド、アメリカ伝説のギャングスター:メイヤー・ランスキー、マイアミ・マフィアの大物:サントス・トラフィカンテとその息子のギャングスターで、CIAの下請けとなって、キューバのカストロ暗殺計画や、東南アジアの麻薬密輸に参加したマフィア:サントス・トラフィカンテJr.、マイアミの麻薬商人:ジョージ・モラレス、アメリカの大物麻薬業者:バリー・シール、マリファナ密売人、マイケル・パーマー、イラン・コントラ事件の主役、オリバー・ローレンス・ノース米国海兵隊中佐、CIAの補佐官で、全米ライフル協会設立者の孫のホレーショ・ロイド、アメリカの傀儡的政権を作り出してインドネシアを長年、軍事支配した独裁者:スハルト大統領、スハルト政権と癒着し、アメリカ軍需産業の代理人として私腹を肥やしてきた悪徳華僑財閥:スドノ・サリム、拷問を『お家芸』として、民衆を苦しめ続けたフィリピンの独裁者、フェルディナンド・マルコスと、貧困に苦しむ国民を無視して、贅沢三昧な生活をした世紀の悪女、大統領夫人:イメルダ・マルコス、日本3大ヤクザの一角とし て、日本の歴代内閣総理大臣を操ってきた裏社会の首領、稲川会総裁:稲川聖城と、稲川会会長:石井進、第二次世界大戦後の日本政財界最大の黒幕、超大物右翼:児玉誉士夫、日本の政財界を腐敗させた悪の元凶:田中角栄、100億円もの不正貯蓄した腐敗政治屋:金丸信、イタリア国民を震撼させた悪と恐怖の秘密結社、フリーメーソン・プロパガンダ・2頭目:リチオ・ジェッリ、シシリー島のマフィア、ラ・コーザ・ノストラと癒着し、政敵のアルド・モロ首相を暗殺した、イタリア政財界最大の黒幕政治家:ジュリオ・アンドレオッティ首相、イタリアを暴力で支配する恐怖のシシリーマフィア、ラ・コーザ・ノストラ首領:サルバトーレ・リイナ、チリに絶望的と言える程の貧富の差を作り出した独裁者:アウグスト・ピノチェト、100万人の民衆を虐殺したカンボジアのクメール・ルー ジュ:ポル・ポト、ブッシュ父に「アフリカにおける、我々の最良の友」とまで言われたコンゴの独裁者:モブツ・セセ・セコ、2000人を虐殺した韓国の軍事独裁者:全斗煥、ニカラグアのゲリラ組織“コントラ”に資金援助をした、韓国のカルト教団、統一協会の教祖:文鮮明、麻薬ゴールデントライアングルのビルマに君臨した邪悪な阿片王:クン・サと阿片王:ロー・シンハン、イラクに大量の武器・兵器を送り込み、ブッシュ家と共に、中東を混乱と恐怖に導いたフランス死の商人、兵器商:ダッソー一族と兵器商:ブレゲ一族、ホンジャラスの麻薬ゴッドファーザー:アラン・ハイド、コントラ事件にも関与し、ホンジャラス大統領暗殺計画で有罪となった男:ホセ・ブエソ・ロサ将軍、CIAと繋がっていたオーストラリアの麻薬取引銀行設立者:フランシス・ナガンとマイケル・ハンド、ペルーのアルベルト・フジモリ大統領の側近として院政を行い、武器取引とスイスへの不正貯蓄に現を抜かしてき男:ブラディミロ・モンテシノス、天安門事件において、人民解放軍を使って、人民を無差別大量虐殺した中国の独裁者。
「3代に渡って独裁的な支配を続けたソモサ一族、ニカラグアの麻薬業者:ノルウィン・メネセス・カンタレロ、略奪や強姦、そして殺人に明け暮れたアフガニスタン・ゲリラのムジャヒディーン:アハマド・シャー・マスード将軍、ハイチを支配した悪の独裁家族:デュバリエ一族、ハイチの麻薬王:ジョセフ・ミッシェル・フランソワ、スカル&ボーンズ、ナチス、CIA、モサド、MI6、フリーメーソン、ネオコン、シオニスト、諜報機関、独裁者、兵器商、秘密結社、カルト教団。
以上の組織資金や援助をうけて、イベントや文化活動を営む全ての者たち。
いい人仮面の宣伝マンは一般人をまきこんで罪が重い。

消えた950億円

年金時効特例法案の衆院審議では、推計ながらも初めて「被害」の実像が明らかになった。しかし、5000万件の「宙に浮いた年金記録」は推計対象には含まれない。照合されて年金統合が進めば、さらに「被害」が広がることは確実だ。

01年度から06年度までの6年間で年金額が訂正された人は約22万人。社保庁は、そこから1000人のサンプルを抽出して、訂正内容を分析した。5年の時効に引っかかって本来もらえる年金を全額もらえなかったのは、平均寿命などを加味して「25万人」と算出。さらに内訳別に、加入期間の訂正で534億円、受給権発生時期の変更で393億円、保険料算定の基礎となる賞与・月額報酬の訂正で17億円など950億円の「受給漏れ」をはじき出した。そのうち国庫負担分は、基礎年金の国庫負担割合(3分の1)などから60億円と計算した。

 ただ、この25万人は、すでに年金番号が統合されている受給者だけ。安倍首相が「1年以内に全部を突合(とつごう)(照合)する」と表明した5000万件のうち受給年齢に達している2880万件の統合が進めば、救済対象はさらに広がる。追加支給額も、950億円からどこまで増えるのかは未知数だ。

①5000万件のデータ。
②3000万人の年金受給者。
③2880万人だか件だかのデータを1年で洗いなおす。
④950億円
⑤5年で時効を撤廃し、過去まで遡る
⑥国が年金を支払うべき人数
⑦その年金支払い者⑥への総支払額
⑧年金を国へ支払う(預金する)べき人数
⑨年金の単年度当りの総収入額(⑧の預金総額)
⑩年金を管理・運営するための総費用

③-A 2880万人とした場合、③-B 2880万件とした場合の歩たちに別けられる。普通、③-Bの場合は、年金制度が始まってから、そのすべての件数だと考えるのが常套だろう。一方の③ーAであると、年金を納め初めてからのことだと思われる。このへんの事を曖昧にして、はたして議論ができるのだろうか?確かに議員の先生方は有り余る知力に加え、そうとうな努力と勉強を重ね、勝つ有能な秘書を数人雇ってらっしゃるのだから、こんなことは確認しなくても、分かりきったことかもしれないが、年金預金者である国民には、あいにくそんな秘書などないし、コンピュータすら触ったこともない方だっていらっしゃる。さらに、触ろうにもすでに他界なさってる方も多いに違いないのだ。

安倍首相は1年で洗いなおすと宣言した。
③-Bのほうがデータ数としては少ない。ここから計算してみようか。洗いなおすということは、2880万件のデータを全て見直すということなのだろう。一番重要と思われるのは同一人物なのに、全くの別人として扱われているケースである。日本語なので音読みや訓読みと、その読み方はさまざまであるし、名前となるとまったく違うのだ。
各時代のコンピュータへの人語入力の差である。社保庁のコンピュータのソフトがいくつ名前を記憶していたかは、各自大のコンピュータの性能で違うし、そのデータ構成を考えたエンジニアや現場の意見によって大きく左右される。読み方だけではなく、誕生日の間違いだってあるだろう。
プログラムを組み始めた頃には、一人に1台などコンピュータはなかったので、コーディング用紙に書いたプログラムをパンチ屋さんに渡した。1行数円から20円とか、数字、英字、カタカナなどでその金額は違ったのである。ここでパンチやさんにはパンチャーと呼ばれる職業の方々が、媒体にデータとして落とす。 
「ベリファイ」といって、一人目A子が打ったら、そのまま次のB子がパンチ専用機で打つのである。すると、2人のどちらかが打ち間違えていると、アラームが点くなり鳴るなりして、うち間違いを教えるのだ。そうして、媒体となったものがコンピュータへと移される。こんな事をして、プログラムを組んだり、データを積み上げてきたのである。これは、まだベルリンに壁がある頃の話、20年以上も前である。
年代が違うと、データの形式が違うので、コンピュータに任せるには、データフォーマットを変換し、間違いをみつ家だすプログラムが必要になるのである。それも、同じような名前、会社だったら、同じ人だと判別する。たぶん金額も同じはずだ。また、いくつも会社を転々とした人は、誕生日が近い人となるのだろうか。少なくとも今年でいえば、4月と5月のデータから年金額を算出するのだから、なんらかの方法はある。

1件が   10円かかるとして    28800万円である。( 2億8800万円)
1件が   50円かかるとして   144000万円である。(14億4000万円)
1件が  100円かかるとして   288000万円である。(28億8000万円)
1件が  500円かかるとして 1440000万円である。(144億0000万円)

これは、単年度であるから、仮に30年分とした場合、それぞれ30倍程度の金額がかかるということのなる。ここでの最高は4.5兆円ほどになるのだ。これは、あくまでもデータを洗いなおすだけの費用。国民が年金として利息をつけて返してもらう年金とは質が違うモノ。社会保険庁を含む、今の与党のみならず、過去、年金が始まってからすべての国会議員、社会保険庁に勤めた公務員たちが犯した罪なのだ。総額いくらになるのだろうか、小子化だ、欧米か!だのといってる場合ではない。
小子化だから年金がもらえないと言う前に、政府はとんでもない金額を、おそらく国家予算の数年分を何かに使ってしまっている可能性が高いのである。
都道府県や、先年行われた市町村合併によって、データはどうなっているのか分からないのだ。さらに、5年分ほどのデータはもう要らないからと焼却処分にしたという、定年退職か、現役か、各地方で貴重なデータを破棄しているという情報もあるのだ。

国民年金や厚生年金の収益率が若い世代ほど低くなり、若い世代ではマイナスに転じていることに根本的な原因がある。賦課方式という公的年金の財政方式は基本的にはねずみ講であり、ねずみ講は少子高齢化で破綻を来す。ねずみ講では会員の増加にしたがって新規加入者の獲得が困難になるため、ねずみ講で得をするのは新規加入者が見つけやすかった創設者周辺のみで、後から加入したものほど損失を被る。それと全く同じことが、人口減少という新規加入者数の減少の形で日本の公的年金制度すべてに生じている。
国民年金では1970年生まれ以前の世代は、年金加入によって得をするが、それより若い世代は損をする。ねずみ講方式の年金制度では年金受給額が固定されていると、保険料の未納者の増加は、保険料引き上げにつながる。つまり、強制的に保険料を徴収される厚生年金加入者やまじめな国民年金保険料納付者は本来未納者が負担すべき分まで負担させられることになる。だから、国民年金未納が問題なのである。しかし、未納者に対する罰則を強化することは根本的な解決にはならない。問題の本質は、生まれたタイミングによって公的年金の収益率が大幅に異なるという不合理なねずみ講型の公的年金制度にある。
団塊の世代以上の年齢層の人々の既得権を崩さないかぎり年金改革は不可能である。既得権を崩すことを政治に頼れない若者は、フリーターになって国民年金を未納にして公的年金破綻の時期を早めるだろう。破綻する以前に年金は消えているのだから、 不合理なねずみ講型の公的年金制度に加担もできなくなる人々は加速的に増えていくだろう。

何処の闇へ公的基金950億円が消えたと、考えると犯罪的に恐ろしいことが浮かび上がる。

2007年6月 4日 (月)

30年後の未来から来た男

2000年11月2日、電子掲示板に、2036年からやってきたと自称する男性が書き込みを行った。彼は John Titor (ジョン・タイター)と名乗り、未来からやってきたという証拠を提示していった。自身が搭乗してきたというタイムマシンや、その操縦マニュアルの写真、タイムマシンの原理図などである。また、2036年までに起こるという主な出来事や、タイムマシンの物理学についても明らかにした。なお彼は、最初の書き込みから約4か月後の2001年3月に「予定の任務を完了した」との言葉を残し、現在は消息を絶っている。タイムマシンに関する委細で筋が通った説明や、近未来に起きると予告した出来事の的中などから、現在もその正体については議論が交わされている。

Timetraveler11
[タイムマシンについて] タイターの説明によると、タイムマシンによるタイムトラベルは以下に示す手順で行うという。
タイムマシンに目的の年月日時刻の座標を入力し、始動させる。
重力場が形成され、搭乗者の身体を包む。搭乗者はエレベーターの上昇中のような感覚が継続する。
装置が加速するにつれて周囲の光が屈曲し、一定まで達すると紫外線が爆発する。
その後、周囲が次第に暗くなっていき、完全に真っ暗になる。
景色が元に戻り、タイムトラベルが完了する。
なお、フルパワー駆動で約10年間飛ぶのに、およそ1時間程かかるとされる。

タイムマシン自体は、2034年に欧州原子核研究機構 (CERN) から試作1号機が実用化されたという。実際に CERN は現在、実験室内にミニブラックホールを創成する方法について研究中であると発表している。
タイムトラベルの結果に生じる矛盾は、パラレルワールドによって解決できるという。例えば、過去にやってきたタイムトラベラーが自分の親を殺したとしても、自分がいた世界とは別の世界に分岐して異なる未来ができるだけで、現在の自分の存在が消滅することはない。また、そもそもタイムトラベラーが過去にやってきた時点で、その世界の未来には、自分がいた未来とは別の世界ができあがるという。
タイターの書き込みによると、過去にタイムトラベルしてきたタイムトラベラーが、もとの自分がいた未来に戻るには、一度自分がやってきた時点・地点に戻る必要があるという。前項の通り、タイムトラベルしてやってきた過去の世界の未来は、自分がいた未来とは異なる世界になっているためである。タイターの場合は、まず2036年から1975年にタイムトラベルし、そこから自分が生まれた1998年を訪れてから、2000年に飛んできたという。そのため、タイターが自分のいた未来へ帰るには、一度 1975年に戻ってから、やってきた世界線に沿って時空をさかのぼる必要があるということになる。

Timemachine_2

奇想天外なタイムトラベラーの出現が一過性的な話題に終わらなかったのには一つの理由があった。それは、タイターがこの世界を後にしてから2年ほどたった2003年1月に、 彼の両親だと名乗る若い夫婦がフロリダのラリー・ヘーパーという弁護士事務所に現れ彼の存在を証言したことであった。その時、夫婦は5歳になる幼子を連れていたが、その子こそ幼年期のタイター本人だというのだ。つまり、問題のタイターはこの子の未来の姿であるという わけである。匿名の夫婦が語る驚くべき話を要約すると次のようになる。タイターは2036年の未来から、ある目的で先ず1975年の世界に舞い戻って祖父(匿名夫婦の父親の親)に会い、それから時間を下って1998年の夏に彼らの家に現れると、若い夫婦と生まれて間もない赤ん坊(時間をさかのぼった時のタイ ター自身)と奇妙な4人暮らしを2年間ほど過ごすこととなった。同じ人間が同時に存在するのだから驚きである。因みに、インターネットで交わされた質疑応答の中で、私が生まれたのは1988年の春と述べているから、98年の夏に両親の家に現れたときに会ったもう一人の自分は、生まれてまだ2ヶ月の赤子であったということになる。最初に現れた時にタイターが乗って来た1967年型のシボレーには黒い直方体の箱が載せられており、それがタイムマシーン本体だと聞かされた。しかし夫婦が見たのはそれ一度きりで 、その後はタイターがどこかに隠してしまい二度と見せることはなかった。

そんな打ち明け話をした後、夫婦はインターネットで交わされたタイターと質問者たちとの質疑応答の全記録と、タイターの話を裏付ける証拠物件をヘーバー弁護士に預託し、自分たちはこれ以上この件に関わりたくないからと言って立ち去ってしまった。ヘーバー弁護士はそれらの託された資料類を 『 時間旅行者タイターの物語 』(JOHN TITOR A TIME TRAVELERS  TALE)と題する本にまとめ出版し、真偽のほどは読者に判断してもらうことにした。 なおこのへーバー氏はフロリダのエンターテイメントでは名の知れた民事弁護士で、多くの俳優や芸能人に信頼されている人物だという。

[タイターが残した近未来予言] タイターは掲示板上に、自分の目で見たという近未来に起こる主な出来事を書き込んでいる。そして、現段階でそのいくつかを的中させている。なおタイターは、自分が予言を書き込んだ時点で未来が変わってしまうために、自身が見てきたものとズレが生じると発言している。実際に、的中させた予言についても、微妙に外している部分があることが確認されている。

[通過した予言]
イラクが核兵器を隠しているという理由で、「第2次湾岸戦争」が勃発する。
的中している。イラク戦争が勃発する。 アメリカ国内でも狂牛病が発生する。
中国人が宇宙に進出する。 初の有人宇宙船・「神舟号」の打ち上げに成功する。
新しいローマ教皇が誕生する。 ヨハネ・パウロ2世が死去、ベネディクト16世新教皇が誕生する。
世界オリンピックは2004年度の大会が最後となり、2040年度にようやく復活する。 2006年にトリノオリンピックが開催されている。これに対しては、中国の暴動の予言などを含めて考えれば冬季オリンピックは含まない数え方ではないかとする見方がある(トリノ五輪は冬季オリンピックである)。その見方が正しければ、2008年の北京オリンピックは開催されないことになる。
2005年にアメリカが内戦状態に入る。
[ これからの予言]
タイターの予言内容の記録が定かではないため、特に第三次世界大戦の勝敗については様々な説が存在する。
中国の内陸部にて暴動が起こり、軍が治安出動する。このため、北京オリンピックは中止になる。
アメリカ都市部で急激に警察国家化が進み、都市内部と都市外部で内部抗争が発生する。このときに起きた暴動が原因で、合衆国は政府の手に負えなくなる。それからアメリカが5つに分裂し、それぞれで内戦へと発展、2008年に全面化する。 その翌年、アメリカ初の女性大統領が誕生する。 中東の国同士で、大量破壊兵器が使用される。
2011年、内戦が原因でアメリカ合衆国が解体されるが、翌年にはアメリカ連邦帝国が建国する。
2015年、ロシアが反乱部隊の援助という名目で、アメリカに核爆弾を投下する。これにより都市内部が完全に崩壊、内戦が多少緩和される。 しかし、アメリカの外交権麻痺に乗じて、中国は覇権主義を強め、台湾、日本、韓国を強引に併合する。これにより、アメリカの同盟国は条約で保障されていた「核の傘」から外れ、軍事侵攻される。 その後、オーストラリアが中国を撃退するが、ロシアの攻撃により半壊滅状態になる。ヨーロッパ諸国もロシアによりほぼ同様に壊滅するが、アメリカはロシアを撃退、ロシア連邦が崩壊する。 30億人近くが死に、世界の人口は半減する。
2020年、アメリカ都市部の敗北により内戦はほぼ終結、新たな連邦政府が成立するが、地方区分は現在の州ではなく、分裂したときと同じく5勢力になり、社会主義国家に近くなる。アメリカ内戦後の生存者は図書館や大学の周りに集結してコミュニティを結成している。連邦政府は首都をオマハ(旧ネブラスカ州)に置いている。

[2036年の主な状況] タイターのいた2036年は、以下のような状況だという。
テレビと電話はインターネットのウェブにより提供されている。 無線のインターネット接続がどこででも可能になっている。
現代のような巨大企業は存在しない。タイターが2001年に来たときに新聞などで見た企業(デル、グーグル、マイクロソフトなど)は、そのどれもが存在していない。 一般的にデジタルカメラが主流で、フィルムカメラは主に専門家などが使用している。
宇宙人は見つかっていない。 飲料水や淡水の確保が大きな問題となっている。 地球温暖化は、さほど問題になっていない。
出生率は低い。 エイズと癌の治療薬は発見されていない。 核戦争による汚染がひどい。
核戦争の後、人類は戦争に疲れ果て、それぞれの国が孤立化した状態になる。現在のような活発な外交関係は無くなる。海外への航空便などは存在するが、本数は今よりも格段に少なくなる。しかし、核兵器や大量破壊兵器が完全に消滅したわけではなく、世界中にはまだ多数の兵器が存在している。
人間の平均寿命が60歳に満たなくなる。また、警察国家を信奉する勢力を壊滅させたとはいえ、完全に消滅したわけではない。そうした勢力が、彼らの住むコミュニティ外に密かに存在している。そうした集団との戦争は続いている。
過去のアメリカ崩壊の原因が、人々の「身勝手さ」に起因したとの歴史観が大勢を占めるようになり、コミュニティの存続に危険と判断された上、そこに移住を許されないそうした「身勝手」と烙印を押された者は、容赦なく殺害されている。

[タイターの使命] ジョン・タイターは、過去へ来た理由について、核戦争後の荒廃世界のインターネット再構築に不可欠な初期コンピュータ機器を入手することが目的であると語っている。具体的にはIBM5100というコンピュータで、マニュアルには載っていないコンピュータ言語の翻訳機能が備わっており、そのロストテクノロジーを入手することが目的であったという。実際に IBM5100 には、マニュアルに載っていないスペック外の機能が存在する事が明らかになっている(本機で、APL や BASIC 以前の IBM 独自仕様の特殊なコンピュータ言語をデバッグすることが可能)。
未来は、確定した一つの世界があるわけではなく、複数の未来が存在する。人々の努力しだいで未来を変えることができる。全面核戦争も防ぐことができるかもしれない。

謎の「タイムトラベラー」 http://www.y-asakawa.com/message/time-traveler-1.htm 
ジョン・タイターのサイト http://www.johntitor.com/
http://www.anomalies.net/time_travel/john.html

タイムマシンTVドキメントYOUTUBE
http://www.youtube.com/watch?v=hxlpZIfCH7E

2007年6月 1日 (金)

ネットでのドラえもんの最終話

 ドラえもんの最終話 
その1

この内容は「週刊女性」(主婦と生活社発行)の98年8月4日号で「大人気マンガ『ドラえもん』の衝撃最終回をスッパ抜く」という題で発表されたものです。その一週間後に週刊ポストとフォーカスにも発表されました。愛知県の学生が作った物らしいのですがネットでチェーンメール化して、藤子・F・不二雄先生が生前考えていたものとして出回ったものです。実際記事にも藤子・F・不二雄先生が作ったものとして載っていました。

のび太とドラえもんに別れの時が訪れます。
それは、なんともあっさりと・・・・。 のび太はいつものように、宿題をせずに学校で叱られたり、はたまたジャイアンにいじめられたり、時にはスネ夫の自慢話を聞かされたり、未来のお嫁さんであるはずのしずかちゃんが出来杉との約束を優先してまうなどとまぁ, 小学生にとってはそれがすべての世界であり、一番パターン化されてますが、ママに叱られたのかもしれません。
とにかく、いつものようにあの雲が青い空に浮かんでいた、天気のいい日であることは間違いないことでしょう。そんないつもの風景で・・・・

ドラえもんが動かなくなっていた・・・・。

当然、のび太にはその理由は解りません。喋りかけたり、叩いたり、蹴ったり、しっぽを引っ張ってみたりしたでしょう。
なんの反応も示さないドラえもんを見てのび太はだんだん不安なってしまいます。
付き合いも長く、そして固い友情で結ばれている彼ら、そしてのび太には動かなくなったドラえもんがどういう状態にあるか、小学生ながらに理解するのです。
その晩、のび太は枕を濡らします。

ちょこんと柱を背にして座っているドラえもん

のび太は眠りにつくことができません。泣き疲れて、ただぼんやりしています。
無駄と分かりつつ、いろいろことをしました。
できうることのすべてをやったのでしょう. それでも何の反応を示さないドラえもん。泣くことをやめ、何かしらの反応をただただ、黙って見つめ続ける少年のび太。当然ですがポケットに手を入れてみたり、スペアポケットなんてのもやりましたが動作しないのです。
そして、なんで今まで気付かなかったのか、のび太の引き出し、そう、タイムマシンの存在に気がつくのです。ろくすっぽ着替えず、のび太はパジャマのまま22世紀へとタイムマシンに乗り込みます。

これですべてが解決するはずが・・・・。

のび太は、なんとかドラミちゃんに連絡を取り付けました。しかし、のび太はドラミちゃんでもどうにもならない問題が発生していることに、この時点では気が付いていませんでした。
いえ、ドラミちゃんでさえも思いもしなかったことでしょう。
「ドラえもんが治る!」のび太はうれしかったでしょう。
せかすのび太と状況を完全に把握できないドラミちゃんはともにかくにも20世紀へ。
お兄ちゃんを見て、ドラミちゃんはすぐにお兄ちゃんの故障の原因が解りました。
正確には、故障ではなく電池切れでした。
そして電池を交換する、その時、ドラミちゃんはその問題に気が付きました。

予備電池がない・・・。

のび太には、なんのことか解りません。早く早くとせがむのび太にドラミちゃんは静かにのび太に伝えます。

「のび太さん、お兄ちゃんとの思い出がが消えちゃってもいい?」

当然、のび太は理解できません。なんと、旧式ネコ型ロボットの耳には電池交換時の予備電源が内蔵されており、電池交換時にデータを保持いておく役割があったのです。
そして、そうです、 ドラえもんには耳がない・・・。

のび太もやっと理解しました。そして、ドラえもんとの思い出が甦ってきました。
初めてドラえもんに会った日、数々の未来道具、過去へ行ったり、未来に行ったり、恐竜を育てたり、海底で遊んだり、宇宙で戦争もしました。鏡の世界にも行きました。
どれも映画になりそうなくらいの思い出です。

ある決断を迫られます。

ドラミちゃんは、いろいろ説明しました。
ややこしい規約でのび太は理解に苦しみましたが、電池を交換することでドラえもん自身はのび太との思い出が消えてしまうこと、今のままの状態ではデータは消えないこと、ドラえもんの設計者は設計者の意向で明かされていない(超重要秘密事項)ので連絡して助けてもらうことは不可能であるという、これはとっても不思議で特異な規約でありました。
ただ修理及び改造は自由であることもこの規約に記されていました。

のび太、人生最大の決断をします。

のび太はドラミちゃんにお礼を言います。そしてのびたは
「ドラえもんはこのままでよい」
と一言告げただけです。ドラミちゃんは後ろ髪引かれる想いですが、何も言わずにタイムマシンに乗り、去っていきました。

あれから、数年後・・・。

のび太の何か大きく謎めいた魅力、そして力強い意志、どこか淋しげな目、眼鏡を触る仕草、黄色のシャツと紺色の短パン、しずかちゃんが惚れるのに時間は要りませんでした。
外国留学から帰国した青年のび太は、最先端の技術をもつ企業に就職し、そしてまた、しずかちゃんとめでたく結婚した。
そして、それはそれは暖かな家庭を築いていきました。
ドラミちゃんが去ってからのび太はドラえもんは未来に帰ったとみんなに告げていました。 そしていつしか誰も「ドラえもん」のことは口にしなくなっていました。
しかし、のび太の家の押入には「ドラえもん」が眠っています。あの時のまま・・・。

のび太は技術者として、今、「ドラえもん」の前にいるのです。

小学生の頃、成績が悪かったのび太ですが彼なりに必死に勉強しました。
そして中学、高校、大学と進学しかつ確実に力をつけていきました。
企業でも順調に、ある程度の成功もしました。
そしてもっとも権威のある大学に招かれるチャンスがあり、のび太はそれを見事にパスしていきます。そうです、「ドラえもん」を治したい、その一心でした。
人間とはある時、突然変わるものなのです。それがのび太にとっては「ドラえもんの電池切れ」だったのです。修理が可能であるならば、それが小学6年生ののび太の原動力となったようでした。

自宅の研究室にて・・・。

あれからどれくらいの時間が経ったのでしょう。しずかちゃんが研究室に呼ばれました。絶対に入ることを禁じていた研究室でした。中に入ると夫であるのび太は微笑んでいました。そして机の上にあるそれをみて、しずかちゃんは言いました。
「ドラちゃん・・・?」
のび太は言いました。「しずか、こっちに来てご覧、今、ドラえもんのスイッチを入れるから」

頬をつたう一筋の涙・・・。

しずかちゃんは黙って、のび太の顔を見ています。この瞬間のため、まさにこのためにのび太は技術者になったのでした。
なぜだか失敗の不安はありませんでした。こんなに落ち着いているのが変だと思うくらいのび太は、静かに、静かに、そして丁重に、何かを確認するようにスイッチを入れました。 ほんの少しの静寂の後、長い長い時が繁がりました。

「のび太くん、宿題は済んだのかい?」

ドラえもんの設計者が謎であった理由が明らかになった瞬間でもありました。
まさか、のび太自身が「ドラえもん」の設計者だとは知らず、ただひたすら「ドラえもん」を治すことだけを垣間見た人生。 あの時と同じように、空には白い雲が浮かんでいました。

Fin

ドラえもんの最終話
その2

この内容は以前、小学生の間で流行していたといわれている「ドラえもんの最終話」です。

・・・・こんな事いいな出来たらいいな・・・・・・
いつものテーマソング、そしていつもの、時間。
「のび太!いつまで寝ているの!早く起きなさい」
のび太は布団の中でもぞもぞ、眼をさましました。
「今日は日曜日だよー」
まだ眠そうに眼をこすりながら のび太は押入の方を見やりました。襖が開きドラエモンが眼をこすりながら、
「フアー ねむいよ」
お母さん「何言ってるの!もう9時ですよ あなた達 今日9時に何か約束があったんじゃないの?」
のび太「あっ、そうだ!のび太くん 早くおきなくっちゃ」
のび太くんは、まだ寝むそうに布団の中でゴソゴソ・・・。
ドラえもん「のび太くん!!のび太くん!!!」
のび太「うるさいなー」
ドラえもん「もう知らないからね!今日、ジャイアン達と約束あったんじゃないの?」
急にのび太は布団から飛び起きました。
「あーーーー」
「どうしようーーー」「ドラエモンのばか!!!」
「どうして早く起こしてくれなかったんだよ」
相変わらずあきれたのび太くんは、いち早く起きて顔も洗わず家を飛び出しました。いつも通りののび太くんの日曜日が始まりました。いつもの公園に着くとジャイアンとスネオとしずかちゃんが待っていました。ジャイアンは不機嫌そうに腕を組みながら待っていました。
「のび太!・・遅刻じゃないかよ」
げんこつを振り上げて言いました。
「ごめん ごめん」
しずかちゃん「いいじゃない、私たちも今来たところなのよ」
スネオ「今日は 特別な日だからゆるしてやれよ」
ジャイアン「そうか、じゃゆるしてやるか」
今日は、みんなのルーツをたどる日なのです。
ジャイアン「俺の生まれた時は、かわいかったんだろうなあ」
スネオが小声で「ごりらの子供みたいじゃないの」
「なんだよ、聞こえたぞ」「ゴツ!」
まず、しずかちゃんからいこう!ドラエモン 出して!
「ルーツ探検機!!・・・・」
これは探検したい人に近づけると、その人の生まれた時から今現在までを早回しで探索出来る機械なのです。「オギャー、オギャー」しずかちゃんが生まれた瞬間です。
「かわいい」「しずかちゃんって、生まれた時からかわいいんだね」
「はずかしい、みないで」
しずかちゃんが自分の顔を手でふさいでいいました。生まれたばかりなので、素裸だったからです。
しずかちゃんの10年間が終わり次はジャイアンの番です。
「オギャー、オギャー」「はははーーー」
のび太もスネオもしずかちゃんも笑いました。ごりらの子供そっくりだからです。
「ゴツ!」「なんで 笑うんだよ」
今度はのび太が殴られました。
「しかたないだろ、そっくりなんだも・・・」
「ばかやろ 次は すねおの番だ」「ドラエモン早くしろよ」
「わかった わかった」「オギャー、オギャー」「はははーーーーー」
みんな笑いました。
「なんで笑うんだよ」
「ゴツ!」スネオがジャイアンに殴られました。
「なんでジャイアンに殴られなければ、いけないんだよ!?」
涙めでスネオが言いました。「キツネの子供みたいでおもしろすぎなんだよ」「そんなーー」スネオはお母さんに、あまやかされ 何でも買ってもらっている10年間でした。そのたびにジャイアンに殴られていました。
「こんなの あるかよ みなきゃよかった」
さあ次はのび太の番です。ドラエモンのび太くん、知らないよ」「いいもん! ぼくはうらやましがられる事 何もないから」ドラエモンは、のび太くんに機械を近づけました。「オギャー、オギャー」「はははーーーーー」
みんな笑いました。やがて、のび太の10年は終わりました。「あれ」みんなが言いました。
「なんでのび太の時いったん真っ黒になったんだ?」
「そういえば、そうだね」
「ドラエモン、どうして?」ドラエモンは、急にそわそわして、
「いいの!それは」
みんなは「どうして!どうして!」としつこく聞きました。
ジャイアンが言いました。「あ!わかった、のび太が寝小便たれたんだ、だからドラエモンがわざと隠したんだ」
のび太は「ちがうよ」「ドラエモンちがうよね」
ドラエモンは「ちがうよ ちがうよ」
と言いました。
「それじゃ、みせろよ」
ジャイアンとスネオが言いました。あまりのしつこさにドラエモンが言いました。
「ちがうよ。これはのび太くんと僕の秘密なんだ。みんなにはみせられないんだ。これを見せれば僕とのび太くんがもう会えなくなって、しまうんだ」
そんな秘密があるなんて今まで知らなかったのび太たちは「そんなの聞いてないよ」
「会えなくなるのなら、私たちだって こまるから、みるの やめようよ」としずかちゃん
「僕のつごう悪い事なの?」「いや、そうじゃないけど」
「じゃ 見せてよ」「ドラエモンのばか!今みせてくれなきゃ、一生ジャイアンにいわれてしまうじゃないか」「ドラエモンなんか嫌いだ!」
「もうドラエモンなんかいなくていい」
泣きながらのび太は言い続けました。ドラエモンは悲しい顔で言いました。
「そうだね、のび太くんにとって、良いことなんだからね。本当に見たい?、本当に見たい?」
「僕に良いことだったら見たいに決まってるじゃないか!!会えなくなってもいいから見させてよ」
のび太の心には、見てもドラエモンに会えないはずは無いと信じていたからです。
「・・・ん・・・本当にいいんだね」
「いいよ」
「わかった見よう」
ドラエモンはもう一度のび太の体に機械をつけようとしました。
「本当に、いいんだね、いいんだね」
ドラエモンは何度も言いました。
「ドラエモンしつこいよ」
「ドラエモンしつこいぞ」とジャイアントスネオ
「のび太さん、本当にいいの?」
「いいんだよ」のび太がそう言うとドラエモンはのび太の体に機械をつけました。そのとき 近くの交差点のブロック塀の陰から、のび太のお母さんとお父さんがのぞいているのが のび太の眼にうつりました。
お父さんとお母さんは「ドラちゃん・・いままで ありがとう」・・・・・・・と言っているようにのび太には感じました。
「やめよう、いままでどうりでいいよ、ばかにされてもいいよ。やめよう」「のび太くん遅いよ、のび太くん遅いよ」
ドラエモンの眼から大粒の涙がこぼれていましたその涙は止まる事はありません。
「さようなら、さようなら、さようなら」のび太の眼からも、訳がわからず 涙がこぼれ落ちました。
「やだよーーーー」「やだよーーーー」「やだよーーーー」ドラエモンの姿がどんどん薄くなっていきました。のび太は流れる涙のせいだと思いました
「アーーードラちゃんが消えていく」
「ほんとうだ、ドラエモンが消えていく」「ドラエモンーーーー」
「やだよーーードラエモン」「やだよーーードラエモン」
「やだよーーードラエモン」「やだよーーードラエモン」
真っ黒い空白の一日がみえ始めました。真っ青に晴れた せみの無く 普通の一日です。
「いってきますー」
のび太は元気に学校に出かける風景です、あいかわらず 分厚いめがねにパットしない顔の 野比のび太は大好きな、ねこ型ロボットのおもちゃを鞄に入れて出かけました。あいかわらず朝寝坊ののび太は、「今日も、遅刻だよ」と言って走って出かけました。口には朝ご飯のパンをくわえて、玄関でお母さんが
「のび太―ー、気をつけて 行きなさいよ」
「わかってるって」・・・
ちょうど交差点を曲がろうとしたとき、猛スピードでダンプカーがきました。あっというまに、のび太はダンプカーに、はねられてしまいました。救急車で運ばれたのび太は危篤状態でした。体が“ピクリ”ともしません。周りでは病院の先生たちが、一生懸命手当をしていました。廊下で、学校の先生、のび太の、お母さん、お父さん、スネオ、ジャイアン、しずかちゃん、みんな心配そうにしています。お父さんとお母さんは泣いていました。ベットに横たわるのび太の手には大好きなねこ型ロボットがしっかりと握りしめられていました。のび太がゆっくりと眼をさましました、
「ドラエモンは?」
のび太はよわよわしい声で言いました。最初に見えたのは、二人のおじさんと一人のおばさんでした、それとなにやら入り口の方で泣いているおじいさんとおばあさんでした。一人のおじさんが言いました。
「のび太―ー」
おばさんが言いました。
「のび太さんーーー」
のび太は怪訝そうに言いました。どことなく二人のおじさんは、ジャイアンとスネオに似ていたからです。もう一人のおばさんは、しずかちゃん。入り口の横で泣いているおじいさんとおばあさんは、お母さんとお父さんに、似ていたからです。のび太は言いました。
「どうしたの?僕は、あなたは?」
「のび太、俺だよ。ジャイアンとスネオだよ。しずかちゃんもいるよ。そして、お母さんとお父さんだろ、そうだよな、おまえは、あの事故以来25年もたったからな、おまえは、交通事故でダンプカ―にぶつかって植物人間になってしまって、あれ以来すっと寝っぱなしだったからな。俺たちはもう35歳になったよ、俺(ジャイアン)は結婚して子供も二人いるよ。かわいいぜ」
スネオが言った。
「僕も、結婚して子供は一人いるよ」
何がなんだか分からなかったのび太はだんだん、その状況を分かってきた。
「ドラエモンは?」
しずかちゃんが言った。
「のび太さん、今、握りしめているそのねこ型ロボットの事?そのロボット、“ドラエモン”って言うの?」
そばで、お母さんとお父さんが「のび太、よく戻って来てくれたな!」
のび太は言った。
「ドラエモンが ドラエモンが」・・・・・
「なんだか、分からないけどおまえのドラエモンがおまえをいきかえらせてくれたのか」
のび太はやっと分かりかけてきた。どうりで何年たっても小学生から成長しなかった訳だ。「僕はいったい何歳なんだ、そうか、ジャイアン、スネオと一緒だから35歳なんだ」お母さんにいった「お母さん、歳をとったね。お父さん、心配かけたね、白髪だらけになって・・・・でも僕は楽しかったよ」横からしずかちゃんがいった。
「あなた、本当にお帰りなさい、これから二人で幸せになろうね」
「え・・・・???」
「のび太さんとは、10年前に結婚したの。あなたが必ず眼をさますことを信じて、10年前に、私は天の声を聞いて。そして、のび太さんと結婚する夢をみたわ。天の声は変な丸い顔をした、たぬきみたいな、動物なの、その動物を信じてみようと思ったの。」

空はいつものとうり、真っ青な晴天で、ベットの周りからは笑い声がしはじめた。手に握りしめた、ネコ型ロボットは25年もたってうすよごれていたけど、なぜかいつものドラエモンのようなやさしい顔をして、のび太に話かけているようだった。
「のび太くん・・・・・勉強しなきゃだめじゃないか」
のび太は誰にも聞こえないような小声で
「ありがとう・・・ドラエモン」

ーーーーーおわりーーーーーー

ドラえもんの最終話  
その3
この作品はネットで噂になった。のび太が植物人間だったという内容の一つです。詳細はわかりませんが友達がメールで送ってくれたものです

いつものようにのび太は学校にいた。それはいつものような晴れた一日の始まりでもある。学校ではおなじみのジャイアンがいる。そして、自慢好きのスネ夫、おしとやかなしずかちゃん。いつもどおりの風景だった。
そして、この日もおなじみのメンバーからストーリーが始まろうしていた。
ジャイアンにのび太がいじめられ、それをドラえもんが助けてくれる。周知の展開だ。案の定、学校でのび太がジャイアンにいじめられた。
何をやっても泣くだけののび太。けっして、自分では解決しようとしない。そして、いつものようにドラえもんにすがろうとする。
いつもの光景、いつもの展開。
それは見ている者だけでなく、のび太自身そう感じていた。

『このままでいいのか。』ドラえもんに頼りきっている自分自身に苛立ちを隠せない。そして、家に着く頃にはジャイアンに仕返しをしようとしていた感情が、いつのまにか消えていた。
『ドラえもんがいなけりゃ何もできない。』のびたはそれを認たくなかった。誰に言われた訳でもない。でも、誰もが考えてる事実だった。
『今日からは自分のことは自分で解決する。』新たなのび太の決意である。
そう思いながら家に帰り着いた。しかし部屋の雰囲気がいつもと違う・・・
ドラえもんがいないのだ・・・

のびたは不安に駆られる。どこかで、道に迷っているのかもしれない。
しっかりしているようで、頼りない一面を持つドラえもん。
のび太が一番良く知っている。

辺りは暗くなってきた。不安はさらに大きく募る。
その時『のび太、ごはんですよ。』ママの声がした。
『そうだ、ママに聞こう。』不安に駆られるのび太、じっとしてはいられなかった。
ただ、妙な不安だけが募る。
『ママ、ドラえもんはどこへ行ったの?』のび太が聞く。
『・・・のびちゃん?どうしたの?ドラえもんって何?』血の気が引く。
のび太にはママの言っている意味がわからない。
『ドラえもんだよ、ドラえもん。いつもいるじゃない。どうしちゃったの、ママ?』
『のびちゃん、そんな冗談はママ嫌いです。早くご飯を食べなさい。』
のびたは愕然としている。
『そんなはずはない。』のびたは家を飛び出した。
のびたはしずかちゃんの家に行った。もしかしたらドラえもんがいるかもしれない、
そう思ったのだ。『ドラえもん来てない?』しずかちゃんに聞いた。
『何それ?ドラえもんって何かしら?』話にならない。
スネ夫の家に行く。ジャイアンの家に行く。
『ドラえもん来てない?』『ドラえもん来てない?』のびたは至る所を探した。
公園、学校、商店街・・・。だが、誰ひとりとしてドラえもんのことを知らない。

どら焼き屋さんさえ知らない。のびたは泣きながら家へ帰った。

のびたはご飯も食べずに、部屋で一人になっていた。
『誰もドラえもんのことを知らない・・。』ただ、それだけが気になって仕方がない。
みんなドラえもんのことを忘れたのだろうか。
それとも、自分が幻覚を見ていたのだろうか。
もしかすると、別の世界に来たのかもしれない。色々な考えが浮かぶ。
『そうだ、机の引き出しを見ればいいんだ。』そこにはタイムマシンがある。
思えば全てはここから始まった。ドラえもんはここから現れたのだ。
この引き出しを開けると全てがわかる。のび太は引き出しに手をかけた。
そして、引き出しを一気に引く。・・・・・。
引き出しの中には本が詰まっていた。タイムマシンなんてものは無い。
のびたの望むものは何ひとつなかった。

ピッピッピッピッピッピ。静かな空間にデジタル音が鳴り響く。
電子機器の音である。真白な風景。白いカーテンからもれる光。
そして、それを照らす白い壁。何もかもが白い。
ピッピッピッピッピッピ。電子音が鳴り響く。緑色をした波形がモニタに映っている。
心拍数、脈拍が小刻みに緑の山谷をつくる。

・・・あれは何年前だろう。
子供の頃、買ったばかりの自転車。自転車がふらついた
自転車に乗った子供がトラックに跳ねられた。
道沿いの花壇がクッションとなり、その子は運良く助かった。
でも、その子は植物人間として人生を過ごしている。

ピッピッピッピッピッピ。電子音が鳴り響く。
ふと、その空間に別の音が紛れ込む。白い服を着た女性が部屋に入ってきたためだ。
『今日は良い天気ですね。カーテンを開ッておきますよ。』白い光が流れ込む。
その光は年老いた1体の体を照らし出した。
老人はその光にも動じず、ただ一点を見詰めている。ただ白い天井を見つめている。
いつもと同じ風景、同じスタイル・・・。
その老人はいつも同じ生活を演じなければならない。

おしまい

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羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
フォト

22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

オンライン状態

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。