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2007年9月 3日 (月)

ゼロ年代の想像力

■『SFマガジン』連載「ゼロ年代の想像力」において宇野常寛は、「引きこもり」思想と継承した「セカイ系」という物語ムーブメントを「90年代の古い想像力」であるという。ゼロ年代の今を突き進む想像力を「決断主義」で、来るべき10年代をリードするための新しい想像力を評論において展開すると宣言する。

「セカイ系」とは何か。東浩紀の著作『ゲーム的リアリズムの誕生』(2007)によれば、「主人公と恋愛相手の小さく感情的な人間関係(「きみとぼく」)を、社会や国家のような中間項の描写を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」といった大きな存在論的な物語に直結させる想像力」である。・・・地下鉄サリン事件のような「まるでマンガみたいな」事件が起こり、確固たる現実感覚が失われる。「世の中がおかしい」という感覚は若者の社会的自己実現への信頼を減退させ、「自己(の内面)」にばかり関心が向かうようになり、心理主義が横行する。そんな「気分」の反映こそが、信頼できなくなった「社会」「歴史」といった中間項を抜きに「自己の内面」と「世界」が直結するのが「セカイ系」。

90年代代の作品というのは、「引きこもり」の想像力、要するに「世の中がおかしいが故に、正しいことが何なのか分からないから、社会から撤退して自分の内面と向き合う」という、そんな想像力に基づいてサブカルチャー作品が生み出された時代だった。
想像力の例として「新世紀エヴァンゲリオン」桜井亜美・田口ランディなどの小説、浜崎あゆみのアダルトチルドレン的歌詞、「ポスト・エヴァ=セカイ系」アニメ。
2000年代に突入すると、そういう想像力では計れない、新しい作品が出てきた。『バトル・ロワイヤル』、『女王の教室』、『野ブタ。をプロデュース』、『DEATH NOTE』、『コードギアス 反逆のルルーシュ』などの作品は「確かに社会は壊れて、正しいことは分からないけど、でもだからといって引きこもっていたら殺されてしまうので、自分が立ちあがり社会の正しいルールを作っていかなくてはならない」という風に考える。

■セカイ系以前 教室はあくまでも社会へと向かう通過点。教室は社会の中に位置づけられる。
物語の帰結(正)成長を果たし、無事社会へと進出する(例:『起動戦士ガンダム』)。
物語の帰結(反)社会を否定し、破壊する(例:『新世紀エヴァンゲリオン』)。
■セカイ系 教室は社会と切り離され、生徒たちは幸せな関係を築く。永遠のモラトリアム。物語の帰結(正)小さな諍いがありつつも最終的には生徒みんなが幸せに暮らす。
物語の帰結(反)致命的な諍いによってバラバラになる。
■ポスト・セカイ系(=決断主義)教室内部に社会が形成。スクールカーストが形成され、バトルロワイヤル状態に。
物語の帰結(正)バトルロワイヤルに勝利し、スクールカーストの頂点に立つ(例:『DEATH NOTE』)。物語の帰結(反)バトルロワイヤルを強要するこの擬似社会を否定し、破壊する。
■その後 教室内部に互いに無関心な価値共同体が作られ、読者のみがそれらを俯瞰できる。
各共同体内部でのみコミュニケーションが回復する。その共同体の価値観を否定することなく。そして他の共同体からはそのコミュニケーションはあくまでも「理解できない」「興味を持てない」まま(例:『Fate/Zero』の一部)。

■セカイ系以前 「黙示録的想像力」とおそらく重なる時代。教室はあくまでも社会へと繋がる道の通過点。いつか出る場所。教室の中の生徒たちはみな社会へと出ることを当然の道と考えていて、社会に憧れている。社会への反発などをたまに行いつつも最終的には社会に従い、社会へと出る成長を物語として描く。たまに社会に反抗し続ける主人公(=特殊)もいるが大体において失敗に終る。 世界観モデル:世界観が機能する。非日常は日常と完全に切り離されて存在。
■セカイ系 社会が失墜し、価値を失い、教室と社会が切り離される。教室は理想の世界と化し、生徒たちは永遠のモラトリアムの中で幸せな関係を築く。あるいは、一般化の装置としての社会が価値を失ったことで、特殊はむしろカリスマ化する。 
世界観モデル:世界観が失墜する。日常の中に非日常が隣り合わせで存在する状況。
■ポスト・セカイ系 現実の社会への信頼は潰えたままだが、社会的なシステム自体は復権する(永遠のモラトリアムなどやはり幻想にすぎなかったという反省)。よって、教室の中に擬似的な社会が形成される。特殊はやはり疎外され、スクールカーストが完成。あるいは戦争状態(=バトルロワイヤル)が発生。 
世界観モデル:世界観は復権するがそれはあくまでも擬似的なニセモノ。非日常の日常化。
■その後 教室の中に互いに無関心を装う小さな社会がいくつも形成される。ある生徒たちはケータイ小説にハマっているが、別のある生徒たちは2ちゃんねるのVIPスレにハマるような状況。そして、互いが互いに「理解できない」とか「興味を持てない」といった無関心・消極的な排斥を行う程度。物語としての条件は、それぞれの共同体を俯瞰できるという視線。よって、物語は必然的に群像劇化。 特殊の理想としての社会はもう完全な相対化を迎える。特殊は特殊でそのコミュニティを形成するため、カリスマ化も起きない。というか、特殊という概念が消滅。特殊はイコール孤独ではなくなってしまう。 かつて特殊であった価値観も含めすべての価値観が共同体を作るが、物語としてのゴールはすべての共同体がつながることではない。各共同体の内部でのコミュニケーションの回復が図られる。特殊は孤独が常だったのが、このような状況ではかつての特殊すら共同体を作るため、その中で仲間を見つけ、コミュニケーションを回復できる。かつての倫理においてどれだけ異常な価値観でも、そのコミュニケーションの回復を通して、読者が感動することも可能。
世界観モデル:小さな世界観が互いに非干渉のまま存在。読者は小さな世界観すべてを俯瞰可能。非日常は日常と切り離されるが、ひとつの物語の内部でそのどちらもが存在。読者は俯瞰可能。

「大きな物語」が人間にとって必需品であるのではなく、「承認」こそが必需品であるということ。そして、近代は、その必需品である「承認」が、「大きな物語」によってしか得られない、そんなメカニズムを作ることによって、「大きな物語」が人間にとって必需品であることを捏造したということを示す。その段階においては、『ゼロ年代の想像力』は、その捏造を強化するための言説装置として分析される。つまり、社会のメカニズムから目を背けさせることによって、「大きな物語」の崩壊が即セカイ系的アパシー、あるいは決断主義的アノミーに繋がることを自明視させる、そういう罠として、『ゼロ年代の想像力』は捉えなおされる。

東浩紀「ゼロ年代の想像力」について http://blog.moura.jp/geetstate/2007/07/post_406f.html

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