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2007年10月31日 (水)

澁澤龍彦全目次

[エピクロスの肋骨] 撲滅の賦 エピクロスの肋骨 錬金術的コント

サド復活
  1
 暗黒のユーモア あるいは文学的テロル
 暴力と表現 あるいは自由の塔
 権力意思と悪 あるいは倫理の夜
 薔薇の帝国 あるいはユートピア
 母性憎悪 あるいは思想の牢獄
  2
 サド復活 デッサン・ビオグラフィック
 文明否定から新しき神話へ 詩とフロイディズム
 非合理の表現 映画と悪
 
補遺 一九五四-五九年
 ジャン・コクトオ『大胯びらき』あとがき
 マルキ・ド・サドについて(『恋の駈引』解説)
 文章家コクトー 『大胯びらき』をひいて
 ジャン・コクトーのアカデミー・フランセーズ入会演説 抜萃
 『ジュスチイヌ』についての覚書(彰考書院版『マルキ・ド・サド選集』第一巻あとがき)
 サドをめぐる星座(彰考書院版『マルキ・ド・サド選集』第二巻あとがき)
 デカダンス再生の”毒” サドの現代性
 『世界風流文学全集』第五巻解説
 サド(『世界大百科事典』)
 彰考書院版『マルキ・ド・サド選集』第三巻 訳者ノート
 汚辱と栄光(彰考書院版『マルキ・ド・サド選集』第三巻あとがき)
 アンリ・トロワイヤ『共同墓地』あとがき
 ペトリュス・ボレル『解剖学者ドン・ベサリウス』解説
 エロチシズムの本質的構造(ロベール・デスノス『エロチシズム』解説)
 ジャン・フェリイ『支那の占星学者』『サド侯爵』解説
 ジャン・コクトー(「作家と作品」)
 サド復活について
 多田智満子さんの詩
 『不敵な男』(映画評)
 吉行淳之介『男と女の子』(書評)
 ジャン・コクトー『オイディプース王』(『コクトー戯曲全集』第一巻解説)
 若さの反抗
 悪徳革命論 『現代不作法読本』および『不道徳教育講座』をめぐって
 作家は悪を引受ける
 マルキ・ド・サド略歴
 ポオ(「古典案内」)
 異端者の美学
 ジョルジュ・バタイユ『文学と悪』(書評)
 フランス暗黒小説の系譜(『世界恐怖小説全集』第9巻解説)
 ジャン・ジュネ(「作家と作品」)
 『サド復活』(「わが著書を語る」)
 藤井経三郎詩集『襟裳岬』序
 
黒魔術の手帖
 序 ヤコブスの豚 カバラ的宇宙 薔薇十字の象徴 夜行妖鬼篇
 古代カルタの謎 サバト幻景 黒ミサ玄義 自然魔法もろもろ
 星位と予言 ホムンクルス誕生 蝋人形の呪い
 聖女と青髯男爵 ジル・ド・レエ侯の肖像1
 水銀伝説の城 ジル・ド・レエ侯の肖像2
 地獄譜 ジル・ド・レエ侯の肖像3
 幼児殺戮者 ジル・ド・レエ侯の肖像4
 
神聖受胎
  1
 ユートピアの恐怖と魅惑
 狂帝ヘリオガバルス あるいはデカダンスの一考察
  2
 テロオルについて
 反社会性とは何か
 危機と死の弁証法
 ワイセツ妄想について
 檻のなかのエロス
 神聖受胎 あるいはペシミストの精神
 スリルの社会的効用について あるいは偽強姦論
 国語改革者はエセ進歩主義者である
 生産性の倫理をぶちこわせ
  3
 恐怖の詩情
 前衛とスキャンダル
 仮面について 現代ミステリー映画論
 「好色」と「エロティシズム」 西鶴と西欧文学
 査証のない惑星
 知性の血痕 ブルトンとトロツキー
 十八世紀の暗黒小説
 銅版画の天使・加納光於
 燔祭の舞踏家・土方巽
 「鉄の処女」 あるいは春日井建の歌
  4
 発禁よ、こんにちは サドと私
 裁判を前にして
 第一回公判における意見陳述
 不快指数八〇

 補遺 一九六〇-六一年
 『鏡子の家』あるいは一つの中世 三島由紀夫についての対話
 神聖受胎 あるいはスキャンダルの精神
 久野昭『神と悪魔――実存倫理の視界』(書評)
 神山圭介『盗賊論』(書評)
 パラケルススの剣
 マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』普及版 訳者のことば
 ラクロ『危険な関係』(『翻訳研究室』)
 瀧口修造編『エルンスト』(書評)
 推理小説月旦 一九六〇年十月-六一年三月
 推理小説とオカルティズム 小栗虫太郎を中心に
 ミステリーにふける A L'ESSENCE,AH!(本質を求めよ)
 サディズム(「術語の手引き」)
 「フランスにおけるサド裁判記録・資料」はじめに
 『マクベス』と妖術について
 双葉が負ケタ!
 『悪徳の栄え』(「発禁翻訳本」)
 マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』新装版 
雪の記憶

犬狼都市(キュノポリス) 犬狼都市 陽物神譚 マドンナの真珠
 
毒薬の手帖
 序 古代人は知っていた 血みどろのロオマ宮廷 マンドラゴラの幻想
 ボルジア家の天才 聖パルテルミイの夜 不思議な解毒剤
 ブランヴィリエ侯爵夫人 黒ミサと毒薬 毒草園から近代化学へ
 砒素に関する学者の論争 さまざまな毒殺事件 巧妙な医者の犯罪
 集団殺戮の時代
 
 科学小説・エロティック革命 二十一世紀の架空日記
 東野芳明『パスポートNO.328309』(書評)
 伊達男とズボン その性誇張
 エロティシズム断章 1
 諸神混淆について エロティシズム断章 2
 異端について エロティシズム断章 3
 ルネサンス・アラベスク エロティシズム断章 5
 ルネサンス・アラベスク エロティシズム断章 6
 ユートピアとは「探す」ものか?
 ハダカの芸術家
 J・K・ユイスマン『さかしま』初版 あとがき
 マゾヒズム(「術語の手引き」)
 ピエール・ボエチュオ『不可思議物語』(「ふる本発掘」)
 空間恐怖について
 サド裁判に無罪となって
 彼女は虚無の返事を怖れる
 プロゼルピーナの地獄について
 人形塚
 桃源社版『マルキ・ド・サド選集』発刊にあたって
 桃源社版『マルキ・ド・サド選集』第一巻あとがき
 桃源社版『マルキ・ド・サド選集』第三巻あとがき
 奇怪な日本語
 空想のアンソロジー フランス幻想文学の系譜
 ナルシストの結合
 加藤郁乎の握手と写楽
 R・レヴィンゾーン『心臓――この未知なるもの』(書評)
 悪魔の復権のために
 ルドンの「聖アントワヌスの誘惑」
 東京感傷生活 ふたたび焼跡の思想を
 わたしの夢
 ユートピア あるいは遊びのすすめ

世界悪女物語
 ルクレチア・ボルジア エルゼベエト・バートリ ブランヴィリエ侯爵夫人 エリザベス女王 メアリ・スチュアート カトリーヌ・ド・メディチ マリー・アントワネット アグリッピナ クレオパトラ フレデゴンドとブリュヌオー 則天武后 マグダ・ゲッベルス
 
夢の宇宙誌 コスモグラフィア・ファンタスティカ
 玩具について 天使について 
アンドロギュヌスについて 世界の終りについて
   

サド侯爵の生涯
 第一章 誕生より結婚まで 一七四〇-一七六三年
 第二章 リベルタンの出発 一七六三-一七六七年
 第三章 アルクイユ事件の周辺 一七六八-一七七二年
 第四章 マルセイユ事件の周辺 一七七二-一七七三年
 第五章 ラ・コストの城にて 一七七三-一七七八年
 第六章 ヴァンセンヌの鐘楽 一七七八-一七八四年
 第七章 自由の塔 一七八四-一七八九年
 第八章 革命とともに 一七八九-一七九二年
 第九章 恐怖時代に生きる 一七九二-一八〇〇年
 第十章 精神病院の晩年 一八〇一-一八一三年
 第十一章 死 一八一四年

 エディプスの告白 映画「フロイト伝」に寄せて
   パリに見るサド侯爵の遺産
 血みどろな軍歌
 『ラディゲ全集』(書評)
 大江健三郎『日常生活の冒険』(書評)
 「なるしす」を演出するナルシス
 『眺望論』のために
 石原慎太郎『行為と死』(書評)
 ゲルマン伝説の世界 魔女や妖精や侏儒たち

快楽主義の哲学
   第一章 幸福より、快楽を
 第二章 快楽を拒む、けちくさい思想
 第三章 快楽主義とは、何か
 第四章 性的快楽の研究
 第五章 快楽主義の巨人たち
 第六章 あなたも、快楽主義者になれる

エロスの解剖
 女神の帯について オルガスムについて 性とは何か コンプレックスについて 近親相姦について 愛の詩について 優雅な屍体について サド=マゾヒズムについて ホモ・ビオロギクス(生物学的人間) オナンの末裔たち 乳房について ドン・ジュアンの顔 エロティック図書館めぐり ピエール・アンジェリック『エドワルダ夫人』について
 玩具考 マンドラゴラについて
 
秘密結社の手帖
 秘密結社の輪郭 原始民族の結社とその名残 古代における宗教儀式
 グノーシス派の流れ 薔薇十字団 フリー・メーソン
 さまざまな政治的秘密結社 クー・クラックス・クランその他
 犯罪的結社その他 悪魔礼拝と魔術のサークル
 アジアの秘密結社 イスラム教の秘密結社

 磯田光一『殉教の美学』(書評)
 「廃墟の欲望」(映画評)
 みずからを語らず
 桃源社版『新マルキ・ド・サド選集』第二巻 あとがき
 大岡信『眼・ことば・ヨーロッパ』(書評)
 官能の美しさと苦さ
 マルキ・ド・サド『新ジュスチーヌあるいは美徳の不幸』解説
 アントニオ・ベッカデルリ『アルダを讚える』me´mo
 鉱物・植物・動物 あるいは鎌倉風物誌
 快楽図書館(書評)
  フランク・ハリス『わが生と愛』
  山名正太郎『ひげ』
  遠藤周作『狐狸庵閑話』
  モーリス・ズメード『愛の作法』
  ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』
  吉行淳之介『浮気のすすめ』
  佐野洋『透明受胎』
  河原淳『男性センス学』
  倉橋由美子『聖少女』
  ジョルジュ・ランジュラン『蝿』
  樋口清之『恋文から見た日本女性史』
  シュルマン『ハーロー――その異常な愛と性』
  城市郎『続・発禁本』
  野坂昭如『弱者の悪知恵』
  堀口大學詩集『エロチック』
  柴田錬三郎『毒婦奇伝』
  宇能鴻一郎『楽欲(ぎょうよく)』
  ドンレヴィー『赤毛の男』
  L・スレーター『世界一のプレイボーイ――アリー・カーンの生涯』
  円山雅也『SEXどこまでが罪か』
  竹中労『美空ひばり――民衆の心を歌って二十年』
  佐久間英『珍性奇名』
  北杜夫『どくとるマンボウ途中下車』
 「鎖陰」(映画評)
 中原弓彦『汚れた土地』(書評)

狂王

異端の肖像
 二十世紀の魔術師 生きていたシャルリュス男爵 
バベルの塔の隠遁者 幼児殺戮者 恐怖の大天使
 
ホモ・エロティクス
  1
 ホモ・エロティクス ナルシシズムと死について
 エロティック文学史のための序説
 映画におけるエロティック・シンボリズムについて
 エロティックの少数派
 アラジンのランプ 『千一夜物語』について
 ドラキュラはなぜこわい? 恐怖についての試論
 現代の悪について ニヒリズムの病理学
 科学を超えるもの 真の文明とは何か
  2
 わたしのボオドレエル像
 クロワッセの隠者 フローベール私見
 アンドレ・ブルトンの鍵
 ジャン・ジュネについて
 天使のジャンよ、瞑すべし
 ユイスマン『さかしま』のあとがき
 レアージュ『オー嬢の物語』のあとがき
 女だけの女の芝居 三島由紀夫『サド侯爵夫人』を見て
 言葉の殺戮者 加藤郁乎試論
 高橋睦郎第三詩集に寄せて
 「状況劇場」のために
 日常性のドラマ 池田満寿夫の個展に寄せて
 純白のプラトニズム 野中ユリについて
 インク壺のなかの悪魔
 華麗なメタモルフォシス 宇野亜喜良のイラストレーション
  3
 『アレキサンドリア四重奏』頌
 『黒い本』『ブラック・ブック』ローレンス・ダレル著
 『ハドリアヌス帝の回想』マルグリット・ユルスナル著
 『山猫』ランペドゥーサ著
 『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ著
 『ジェラード・ソーム氏の性の日記』コーリン・ウィルソン著
 『エロスの涙』ジョルジュ・バタイユ著
 『ロベルトは今夜』ピエール・クロソウスキー著
 再説『ロベルトは今夜』
 『マンク(破戒僧)』マシュー・G・ルイス著
 『ユビュ王』アルフレッド・ジャリ著
 『大いなる自由』ジュリアン・グラック著
 『千夜一夜の世界』リチャード・F・バートン著
 『西洋古典好色文学入門』フォルベルク著
 『性の社会学』
 『心の話』ジョン・R・ウィルソン著
 『転身物語』オウィディウス著
 『美学入門』ジャン・パウル著
 『ラモーの甥』ディドロ著
 『武装せる予言者トロツキー』ドイッチャー著
 『芸術家の運命』エレンブルグ著
 『銀河鉄道の夜』宮澤賢治著
 『瘋癲老人日記』谷崎潤一郎著
 『夷斎遊戯』石川淳著
 『安西冬衛全詩集』
 『花田清輝著作集』に寄せて
 『午後の曳航』三島由紀夫著
 『美の襲撃』三島由紀夫著
 『形而上学』加藤郁乎著
  4
 ルイス・ブニュエルの汎性欲主義
 ベイルマン、この禁欲的精神
 非社会的映画のすすめ W・ワイラー「コレクター」を見て
 カリガリ博士 あるいは精神分析のイロニー
 恐怖映画への誘い
 怪奇映画の季節 ドラキュラの夢よ、いまいずこ
 ショックについて
 デパートのなかの夢魔 「白日夢」のノスタルジアについて
 エロス的風俗に関する対話
 階級闘争か生物学主義か 大島渚「忍者武芸帳」を見て
  5
 わたしの処女崇拝
 エロスとフローラ
 貝殻頌
 現代悪書論
 「地獄」棚の魅力
 私の推薦する悪書10選
 「異端の文学」のすすめ
 セックス・アッピール 見られるための存在
 殺人狂時代
 自分の死を自分の手に
 

 幸福は永遠に女だけのものだ
 ヤクザ作家の出現
 澁澤喜作について
 競馬 群衆の中の孤独
 カルタとり 優雅な遊び
 威勢のわるい発言
 『岩田宏詩集』(書評)
 マルセル・シュオブ『エムペドクレス』me´mo
 女性と論理
 栗田勇のデーモン
 衣裳交換について
 英国に甦った”魔女の秘儀”
 飯島耕一『アポリネール』(書評)
 麗人・金子國義
 スキャンダル、芸術家たち
 一角獣のメロディー
 わたしの愛する怪獣たち(「わたしの博物記」)
 『異端の肖像』(「わが著書を語る」)
 『ジャン・ジュネ全集』第二巻 解説
 純日本的な情念
 怨恨の血
 異常性愛論
 ラディゲ『肉体の悪魔』 ロマネスクな心理の空間
 横浜で見つけた鏡

サド研究
  第一部 評論・エッセイ
 サド侯爵の真の顔 三島由紀夫『サド侯爵夫人』について
 サド映画私見
  第二部 作品解説
 『美徳の不幸』について
 『新ジュスチイヌ』について
 『悪徳の栄え』について
 『閨房哲学』について
 『ソドム百二十日』について
 『恋の罪』について
 『末期の対話』について
 『食人国旅行記』について
 偽作『ゾロエ』について
  第三部 サド裁判をめぐって
 サドは無罪か 裁判を終えて
 
エロティシズム
 セクシュアルな世界とエロティックな世界
 眼の欲望
 エロスの運動
 女のエロティシズム
 存在の不安
 同性愛と文学について
 十人の性科学者
 異常と正常
 処女の哲学
 胎内回帰願望について
 性のユートピア
 女性不完全論
 反自然の性愛技巧
 自己破壊の欲求
 エロティック・シンボリズムについて
 性の恐怖と不能
 アダムの裸体について
 愛は可能か
 セックス開放論
 近代文学における黒いエロス
 童話のエロティシズム
 
幻想の画廊から
  1
 空間恐怖と魔術 スワンベルクとブロオネル
 女の王国 デルヴォーとベルメエル
 イメージの解剖学 ふたたびベルメエル
 卵・仮面・スフィンクス レオノール・フィニーの世界
 夢みる少女 バルテュスの場合
 混沌から生成へ タンギーの世界
 マグリットの冷たい夢 終末の青空
 神の香具師ゾンネンシュターン 月の精の画家
 サルバドール・ダリの両極性 堅いものと軟らかいもの
 光り輝くルネサンスの幻影 ダリ展を見て
 『百頭の女』と『スナーク狩』 マックス・エルンスト
 ピカビアと機械崇拝 あるダダイスト
 存在し得ない空間 M・C・エッシャー
  2
 ボマルツォの「聖なる森」
 崩壊の画家モンス・デシデリオ
 だまし絵・ひずみ絵 ホルバインその他
 メタモルフォシス アルチンボルドを中心に
 一角獣と貴婦人の物語
 北欧の詩と夢 ベックリンとクリンガー
 密封された神話の宇宙 ギュスターヴ・モロオ展を見て
 幻想の城 ルドヴィヒ二世と郵便屋シュバル
 人形愛 あるいはデカルト・コンプレックス
 仮面のファンタジア
 
NUDEのカクテル
 序章
 第一章 セミヌードの時代
 第二章 ヌード・プロフェショナル
 第三章 紅毛・碧眼の美女たち
 第四章 オンナ・部分の追究
 第五章 昭和元禄の若いハダカ
補遺 一九六八年
 「美神の館」への招待
 愛の文学と女流作家のシチュエイション
 拳玉考
 『砂の上の植物群』に描かれた性について 吉行淳之介論
 足穂頌
 CLITORIS
 西洋の妖怪 フランケンシュタイン、オオカミ男、ドラキュラ
 オーブリー・ビアズレー『美神の館』 解題
 異常性愛論
 『栗田勇著作集』(推薦文)
 時代の子、カザノヴァ
 ピエール・モリオン『閉ざされた城の中で描かれたイギリス人』 解説
 血と薔薇コレクション ポール・デルヴォー
 血と薔薇コレクション クロヴィス・トルイユ ネクロフィリアの画家
 血と薔薇コレクション ピエール・モリニエ 夢魔の画家
 ないないづくし わが青春記

エルンスト
 マックス・エルンスト
 図版解説
澁澤龍彦集成 第1巻
 あとがき
澁澤龍彦集成 第2巻
  サド裁判をめぐって
 サドは裁かれたのか サド裁判と六〇年代の精神分析
  サド復活
 『サド=マラー』について
 犯罪文学者考
 あとがき
澁澤龍彦集成 第3巻
  ホモ・エロティクス
 エロス、性を超えるもの
 現代のエロス
 苦痛と快楽 拷問について
 もう一つの死刑反対論
 ジャン・ジュネ論
 文学的ポルノグラフィー A・P・マンディアルグの匿名作品について
 造詣美術とエロティシズム
 現代日本文学における「性の追求」
 絶対と超越のエロティシズム
 黒魔術考
 悪魔のエロトロギア 西欧美術史の背景
 ジャン・ジュネ断章
 「血と薔薇」宣言
  エロティシズム
 エロティシズムを生きた女性たち
 あとがき
澁澤龍彦集成 第4巻
  美術論の周辺
 魔的なものの復活
 からくりの形而上学
 A・キルヒャーと遊戯機械の発明
 妖怪および悪魔について
 ヨーロッパの妖怪
 密室の画家
 画家と死神
 浮世絵と私
 見る欲望
  画家と舞踏家と写真家と
 パウル・クレー展を見て
 ロメーン・ブルックス アンドロギュヌスに憑かれた世紀末
 ジル・ランボオ あるいは永遠の裸体について
 つねに遠のいてゆく風景 中村宏のために
 花咲く乙女たちのスキャンダル 金子國義について
 太陽はどこに…… 高松潤一郎について
 『絵金 幕末土佐の芝居絵』評
 責め絵の画家・伊藤晴雨
 泳ぐ悲劇役者 大野一雄頌
 肉体のなかの危機 土方巽の舞踊について
 踊る『形而情学』
 梨頭 石井満隆について
 渇望のアンドロギュヌス 笠井叡のために
 悪魔憑きと悪魔祓い 細江英公『鎌鼬』評
 「死の谷」のスフィンクス 篠山紀信『NUDE』評
 あとがき
澁澤龍彦集成 第5巻
 あとがき
澁澤龍彦集成 第6巻
 あとがき

 ヒグラシとテントウムシ
 魔女について
 魔界入り難し
 女びらいの異端の王さま ルドヴィヒ二世
 バルザック『セラフィータ』 天使についての神学の書
 著作集刊行を予定(「近況」)
 マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』 解説
 貞操帯の効能
 マルキ・ド・サド『ジュスチイヌ(美徳の不幸)』 あとがき
 ロマネスクの香気
 ジャン・コクトオ『ポトマック』 あとがき
 デカダンスとカトリーヌ・ドヌーヴ
 古いシャンソン みゅうじっくたいむ1
 流行歌あれこれ みゅうじっくたいむ2
 クラシック音楽談義 みゅうじっくたいむ3
 マルキ・ド・サド『閨房哲学』 あとがき
 ダニエル・ゲラン『エロスの革命』(書評)
 [フランス短編名作]解説
  シャルル・ペロー「赤頭巾ちゃん」
  レオノラ・カリントン「最初の舞踏会」
  シャルル・ペロー「仙女たち」
  シャルル・ペロー「捲き毛のリケ」
  アルフォンス・アレ「奇妙な死」
  シャルル・ペロー「サンドリヨンあるいは小さなガラスの上靴」
  シャルル・ペロー「猫の親方あるいは長靴をはいた猫」
  フランシス・ジャム「パイプ」
  ジェラール・ド・ネルヴァル「緑色の怪物」
  グザヴィエ・フォルヌレ「草叢のダイヤモンド」
 堂本正樹『男色演劇史』(推薦文)
 マルキ・ド・サド『美徳の不幸』 解説
 『佐伯俊男画集』(推薦文)
 モーリス・ブランショ『ロートレアモンとサド』(書評)
 遊びと労働の一致
 ジルベール・レリー『サド侯爵――その生涯と作品の研究』 あとがき
 インテルメッツォ 悪魔のいる文学史 その四
 ジュール・シュペルヴィエル『ひとさらい』 あとがき
澁澤龍彦集成 第7巻
  ユートピア・終末論・デカダンス
 ユートピアと千年王国の逆説
 バビロンの架空園 失われし庭を求めて
 もう一つの世紀末
 万博を嫌悪する あるいは「遠人愛」のすすめ
 ミューゼアム・オブ・カタクリズム
 ヨーロッパのデカダンス
 幻想文学について
 幻想動物学
 メタモルフォーシス考
  作家論・評論・解説
 詩人における女のイメージ アンドレ・ブルトン
 『黒いユーモア選集』について アンドレ・ブルトン
 黒いユーモア シュルレアリスムと文学
 ジュネについての覚えがき
 フランス怪奇小説の系譜
 地震と病気 谷崎文学の本質
 タルホ星頌
 卵形の夢 瀧口修造私論
 輪廻と転生のロマン『春の雪』および『奔馬』について
 三島由紀夫『音楽』 解説
 サドと三島文学
 セバスティアン・コンプレックスについて 三島戯曲の庭にあるもの
 野坂昭如『エロ事師たち』
 種村季弘について
 乱歩文学の本質 玩具愛好とユートピア
 『久生十蘭全集』第二巻の解説
 スタイリスト・十蘭
 夢野久作の不思議
 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』 解説
 橘外男『青白き裸女群像・他』 解説
  書評
 『マダム・エドワルダ』ジョルジュ・バタイユ著
 『有罪者』ジョルジュ・バタイユ著
 『ブリキの太鼓』ギュンター・グラス著
 『四運動の理論』フーリエ著
 『ネロ』ジェラール・ヴァルテル著
 『象徴主義と世紀末芸術』H・H・ホーフシュテッター著
 『少年愛の美学』稲垣足穂著
 『僕のユリーカ』『東京遁走曲』稲垣足穂著
 『ヒコーキ野郎たち』稲垣足穂著
 『夢野久作全集』第一巻
 『骨餓身峠死人葛』野坂昭如著
 『ルネサンスの女たち』塩野七生著
 『魔女と科学者』平田寛著
  映画評
 『昼顔』 あるいは黒眼鏡の効用について
 『バーバレラ』 あるいは未来像の逆説
 現代の寓話 パゾリーニ『テオラマ』を見て
 ナチスをめぐる相反感情
 愛の形而上学と死刑 大島渚『絞死刑』論
  エッセイ・雑文
 もう一つの文学史
 土着の「薔薇」を探る 『血と薔薇』批判に答えて
 西洋人名の表記について
 詩を殺すということ
 私の一九六九年
 情死とニルヴァーナ原則
 もう一つの意見
 女性、この批判し得ぬもの
 乳房、たまゆらの幻影
 エロティシズムと女性のプロポーションについて
 ハート(心臓)の話
 噴水綺談
 
妖人奇人館
 地獄の火クラブの主宰者
 女装した外交官
 殺し屋ダンディ
 ラスプーチンとその娘
 切り裂きジャックの正体
 ノストラダムスの予言
 錬金術師カリオストロ
 哲学者と魔女
 放浪の医者パラケルスス
 不死の人サン・ジェルマン伯
 人肉嗜食魔たち
 古代石器殺人事件
 倒錯の性
 
暗黒のメルヘン
 編集後記
黄金時代
 時間の死滅について
 ジョルジュ・バタイユ 比喩としての畸形
 あとがき(初版)
 あとがき(新装版)
 あとがき(文庫版)
補遺 一九七一年
 杉田總『龍神淵の少年』 序
 ヘラクレスの睾丸 幻想庭園散歩1
 太古の植物 幻想庭園散歩4
 貝殻について 幻想庭園散歩5
 ピエール・ド・マンディアルグ『大理石』 あとがき
 ピエール・ド・マンディアルグ『ボマルツォの怪物』 あとがき
 散歩みち
 イクヤ歌留多のために(推薦文)
 酒井潔『悪魔学大全』 解説
 郁乎との神話的な交遊
 ぼんやり、ぶらぶら、やがて寝る
 狂王とノイシュヴァンシュタインの城
 ゴヤと魔女の世界
 よいお酒とよい葉巻さえあれば

女のエピソード
 マリー・アントワネット ベアトリーチェ・チェンチ ジョルジュ・サンド アグリッピーナ ローラ・モンテス 和泉式部 サッフォー ジャンヌ・ダルク エリザベス女王 シャルロット・コルデー サロメ エロイーズ 細川ガラシア夫人 ルネ・ペラジー ワンダ・リューメリン 聖母マリア 金髪のイゾルデ マリリン・モンロー 建礼門院平徳子 ド・ブランヴィリエ侯爵夫人 ポンパドゥール夫人 王昭君 マグダラのマリア ヴィーナス
 
偏愛的作家論
 石川淳 評伝的解説
 石川淳 石川淳と坂口安吾 あるいは道化の宿命について
 三島由紀夫 三島由紀夫氏を悼む
 三島由紀夫 絶対を垣間見んとして……
 三島由紀夫 『天人五衰』
 三島由紀夫 サロメの時代
 三島由紀夫 三島由紀夫とデカダンス 個人的な思い出を中心に
 林達夫 エピキュリアン・リヴレスク
 埴谷雄嵩 あの頃の埴谷さん
 吉行淳之介 終戦後三年目……
 鷲巣繁男 形而上学のカテドラルのために……
 泉鏡花 吉村博任『泉鏡花――芸術と病理』
 谷崎潤一郎 谷崎潤一郎とマゾヒズム
 堀辰雄 堀辰雄とコクトー
 堀辰雄 海彼の本をめでにけるかも
 火夏耿之介 錬金の幻夢にこがれ……
 南方熊楠 悦ばしき知恵 あるいは南方熊楠について
 
変身のロマン
 編集後記
悪魔のいる文学史 神秘家と狂詩人
 エリファス・レヴィ 神秘思想と社会変革
 グザヴィエ・フォルヌレ 黒いユーモア
 ペトリュス・ボレル 叛逆の狂詩人
 ピエール・フランソワ・ラスネール 殺人と文学
 小ロマン派群像 挫折した詩人たち
 エルヴェ・ド・サン・ドニ侯爵 夢の実践家
 シャルル・クロス 詩と発明
 ジョゼファン・ペラダンとスタニスラス・ド・ガイタ侯爵
 モンフォコン・ド・ヴィラール 精霊と人間の交渉について
 シニストラリ・ダメノ 男性および女性の夢魔について
 サド侯爵 その生涯の最後の恋
 ザッヘル・マゾッホ あるエピソード
 アンドレ・ブルトン シュルレアリスムと錬金術の伝統
 :
幻妖 日本文学における美と情念の流れ
 幻妖のコスモロジー

 変身する四谷シモン
 『大坪砂男全集』第一巻 解説
 アンドレ・ブルトン「ルイス・キャロル」 あとがき
 マルキ・ド・サド『悲惨物語』 あとがき
 『女のエピソード』(「わが著書を語る」)
 ローラン・トポール『マゾヒストたち』 あとがき
 高橋英夫『詩人の館』(推薦文)
 証言席の中村さん
 贅沢について
 モンロー神話の分析
 音楽家と狂王

ヨーロッパの乳房
  1
 バロック抄 ボマルツォ紀行
 昔と今のプラハ
 マジョーレ湖の姉妹
 狂王の城
 バーゼル日記
 エル・エスコリアル訪問
 骸骨寺と修道院
 奇怪な偶像
 優雅なスペイン、優雅なゴヤ
 神話の国を訪ねて
 イスパハンの昼と夜 アストロラーブについて
 砂漠に日は落ちて……
  2
 遠近法・静物画・鏡 トロンプ・ルイユについて
 ゴヤ あるいは肉体の牢獄
 シンメトリーの画家 谷川晃一のために
 三人の異色画家
  セバスティアン・シュトスコップフ
  アントワヌ・ヴィールツ
  ロメロ・デ・トレス
 紋章について
 日時計について
 洞窟について
 理想の庭園
 巨木のイメージ
 パリ食物誌
 鏡について
 匂いのアラベスク
 フローラ幻想
 
エロティシズム
 
夢のある部屋
  1
 飾るということ
 楽器について
 豪華な白
 額縁のなかの春
 振り子の音
 窓
 ガラスの魅力
 鏡の魔法
 夜を演出する
 階段あれこれ
 扉をたたく
 暖炉のある暮らし
  2
 ミステリアスな女性について
 遊びの哲学
 愛のエッセイ
 アダムとイヴの匂い
 ナイルの魔女、クレオパトラ
 貞操帯あれこれ
 フランス文学に現れた吝嗇家
 北鎌倉の歳時記
 土筆の味
 合歓木と海ネコ
 あとがき
地獄絵
 地獄絵と地獄観念
 図版解説
人形愛序説
  1
 少女コレクション序説
 人形愛の形而上学
 ベルメールの人形哲学
 ファンム・アンファンの楽園
 アリス あるいはナルシシストの心のレンズ
 犠牲と変身 ストリップ・ティーズの哲学
 幻想文学の異端性について
 東西春画考
 セーラー服と四畳半
 インセスト、わがユートピア
 セックスと文化
  2
 アイオロスの竪琴 省察と追憶
 空想の詩画集
  上田秋成と銅版画
  日本の装飾主義とマニエリスム
  お伽草子と鏡男
  東と西の裸体像
 今日の映像
  映像とイメージ
  原点の探索
  怪獣とエロティシズム
 現代犯科帳
  自由としての犯罪
  ポルノと麻薬
  二つの小平事件
  盗みのディアレクティーク
 ある生物学者について
 私のエリアーデ
 翻訳について
 怪獣について
 わが夢想のお洒落
 幼児体験について
 体験ぎらい
 ギリシアの蛙
 終末論 あるいは宇宙のコロンブス
  3
 『錬金術』R・ベルヌーリ著 『薔薇十字の魔法』種村季弘著
 『文学におけるマニエリスム』G・R・ホッケ著
 『魔術師』J・ファウルズ著
 『ザ・ヌード』ケネス・クラーク著
 『大鴉』E・A・ポオ詩 G・ドレ画 日夏耿之介訳
 アントナン・アルトー全集のために
 『迷宮としての人間』中野美代子著 の序
 『天使論』笠井叡著
 『ヨーロッパ歴史紀行』堀米庸三著
 池田満寿夫・全版画作品集のために
 ロイヤル・シェークスピア劇団を見て
 「マラー/サド」劇について
 パリ・オペラ座のバレエを見て
 笠井叡舞踏会を見て
 吉岡実の断章
 
補遺 一九七三年
 変身
 黒いダイヤモンドのごとく……
 愛の南下運動を記念して……
 ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』 訳者あとがき
 バタイユを翻訳(「近況」)
 昔と今の鎌倉
 J・K・ユイスマンス『さかしま』第三版 あとがき
 鳥獣蟲魚
 ボリショイ・バレエ「スパルタクス」
 内田愃詩集『航海』 跋
 シャルル・ペロー『長靴をはいた猫』 あとがき
 マルキ・ド・サド『恋のかけひき』 解説
 わが酒はタイムマシーン
 澁澤龍彦 自作年譜
 ”劇作家”大庭みな子
 カナブンブンと青空 大駱駝艦公演「陽物神譚」拝見
 『新マルキ・ド・サド選集』再版のためのあとがき

胡桃の中の世界
 石の夢
 プラトン立体
 螺旋について
 『ポリュフィルス狂恋夢』
 幾何学とエロス
 宇宙卵について
 動物誌への愛
 紋章について
 ギリシアの独楽
 怪物について
 ユートピアとしての時計
 東西庭園譚
 胡桃の中の世界
 あとがき
 あとがき(文庫版)
貝殻と頭蓋骨
  1
 ビザンティンの薄明 あるいはギュスターヴ・モローの偏執
 キリコ、反近代主義の亡霊
 幻想美術とは何か
  2
 千夜一夜物語紀行
 フランスのサロン
 オカルティズムについて
 シェイクスピアと魔術
 「エクソシスト」 あるいは映画憑きと映画祓い
 毒薬と一角獣
 絵本について
 聖母子像について
 過ぎにしかた恋しきもの
 雪の記憶
 読書遍歴
  3
 岡本かの子 あるいは女のナルシシズム
 魔道の学匠 日夏耿之介
 琥珀の虫 三島由紀夫
 花田清輝頌
 藤綱と中也 唐十郎について
 未来と過去のイヴ 四谷シモン個展
 金井美恵子『兎』 書評
 中井英夫『悪夢の骨牌』 書評
 江戸川乱歩『パノラマ島奇談』 解説
 「小栗虫太郎・木々高太郎集」 解説
 唐十郎『盲導犬』 解説
 アルティストとアルティザン 池田満寿夫について
 あとがき
幻想の肖像
 シモネッタ・ヴェスプッチの肖像 ピエロ・ディ・コシモ
 若い女の肖像 ベトルス・クリストゥス
 二人の娼婦 ヴィットーレ・カルパッチオ
 マグダラのマリア カルフォ・クリヴェルリ
 アンテアの肖像
 毒薬天使に囲まれた聖母子 コスメ・トゥーラ
 ヴェネツィアの少女 アルブレヒト・デューラー
 ユディット ルーカス・クラナッハ
 婦人像 ヤコポ・カルッチ・ポントルモ
 アレゴリー ジョヴァンニ・ベルリーニ
 受胎告知 シモーネ・マルティーニ
 大天使 ピエトロ・カヴァルリーニ
 三美神 ハンス・バルドゥンク・グリーン
 春(プリマヴェーラ) サンドロ・ボッティチェルリ
 死せる恋人 グリュネワルト
 悦楽の園 ヒエロニムス・ボッス
 虚栄 ハンス・メムリンク
 鏡の前のウェヌス ディエゴ・ベラスケス
 スザンナと老人たち グイド・レーニ
 地獄堕ち ルカ・シニョレルリ
 魔女キルケー ドッソ・ドッシ
 珊瑚採り ヤコポ・ツッキ
 魔女の夜宴 フランシスコ・ゴヤ
 女友達 グスタフ・クリムト
 泉を守る女 レオノール・フィニー
 花嫁の衣裳 マックス・エルンスト
 黄金の階段 バーン・ジョーンズ
 シャルロット・コルデー フェリックス・ラビッス
 奇妙な仮面 ジェイムス・アンソール
 キューレボルンがウンディーネを漁師のところへ連れてくる ハインリヒ・フュスリ
 一つ眼巨人 オディロン・ルドン
 みずからの純潔性に姦淫された若い処女 サルバドール・ダリ
 トルコ風呂 アングル
 あとがき
補遺 一九七四-七五年
 タロスの花 川井昭一展
 エロティックな函 土井典子人形展
 わたし自身へのラブレター
 日本古典文庫を推薦する(現代思潮社版『新撰日本古典文庫』)
 木間瀬精三『死の舞踏』(書評)
 レオノール・フィニーの世界
 努力には目標が必要である
 近影を語る
 カトリーヌ・ドヌーヴ
 ベスト十八 日本映画・彫刻・西洋絵画
 ダンディズムとフランス料理(『日影丈吉未完短篇集成』)
 しらける余裕など
 目で見る暗黒小説
 魔術
 ジャン・コクトオ『大胯びらき』あとがき
 リス・ゴーティの歌う「パリ祭」
 横向きの動物たち 谷川晃一展
 「サド侯爵の手紙」 解説
 「サド侯爵の手紙」 付記
 北方への誘惑
 『O嬢の物語』 新版のためのあとがき

旅のモザイク
 ペトラとフローラ 南イタリア紀行
 日本列島南から北へ
  珊瑚礁
  火の山
  風と光と影
  流水
 あとがき
マックス・ワルター・スワーンベリ
 女の楽園
 「メディオム」について シュルレアリスムへの参画
 「イリュミナシオン」について
 舞台装置・衣裳・真珠モザイク・ゴブラン織
 コラージュ
幻想の彼方へ
  1
 レオノール・フィニー、魔女から女祭司まで
 マックス・ワルター・スワンベルク、女に憑かれて
 ゾンネンシュターン、色鉛筆の預言者
 ポール・デルヴォー、夢のなかの裸体
 ハンス・ベルメール、肉体の迷宮
 バルテュス、危険な伝統主義者
  2
 ルネ・マグリットの世界
 ルドンの黒
 あとがき
思考の紋章学
 ランプの廻転
 夢について
 幻鳥譚
 姉の力
 付喪神
 時間のパラドックスについて
 オドラデク
 ウィタ・セクスアリス
 悪魔の想像
 黄金虫
 円環の渇き
 愛の植物学
 あとがき
補遺 一九七六年
 今月の10冊の本
 マルキ・ド・サド『悲惨物語』 あとがき
 土方巽と暗黒舞踏派について
 中井英夫について(推薦文)
 下降の水路をたどるゴンドラ
 トラツグミの鳴き声(「今年の発見」)
 『マドンナの真珠』(限定版) あとがき
 ルネ・マリル・アルベレス『二十一世紀への文学』(書評)

東西不思議物語
 前口上
 1 鬼神を使う魔法博士のこと
 2 肉体から抜け出る魂のこと
 3 ポルターガイストのこと
 4 頭の二つある蛇のこと
 5 銅版画を彫らせた霊のこと
 6 光の加減で見える異様な顔のこと
 7 未来を占う鏡のこと
 8 石の上に現れた顔のこと
 9 自己像幻視のこと
 10 口をきく人形のこと
 11 二人同夢のこと
 12 天から降るゴッサマーのこと
 13 屁っぴり男のこと
 14 ウツボ舟の女のこと
 15 天女の接吻のこと
 16 幽霊好きのイギリス人のこと
 17 古道具のお化けのこと
 18 鳥にも化すウブメのこと
 19 リモコンの鉢のこと
 20 キツネを使う妖術のこと
 21 空中浮揚のこと
 22 トラツグミ別名ヌエのこと
 23 幻術師果心居士のこと
 24 天狗と妖霊星のこと
 25 悪魔と修道士のこと
 26 二度のショックのこと
 27 迷信家と邪視のこと
 28 女神のいる仙境のこと
 29 神話とSF的イメージのこと
 30 「栄光の手」のこと
 31 骸骨の踊りのこと
 32 天狗にさらわれた少年のこと
 33 石の中の生きもののこと
 34 海の怪のこと
 35 隠れ蓑願望のこと
 36 破壊された人造人間のこと
 37 腹の中の応声虫のこと
 38 百鬼夜行のこと
 39 アレクサンドロス大王、海底探検のこと
 40 不気味な童謡のこと
 41 大が小を兼ねる芸のこと
 42 もう一人の自分のこと
 43 ガマが変じて大将となること
 44 女護の島のこと
 45 不死の人のこと
 46 遠方透視のこと
 47 黒ミサに必要なパンのこと
 48 さまざまな占いのこと
 49 百物語ならびに結びのこと
 あとがき(文庫版)
洞窟の偶像
 御伽草子の魅力について
 奇怪な花、とりかへばや物語
 東と西の地獄絵
 三島由紀夫著
 三島由紀夫の手紙
 『サド侯爵夫人』の思い出
 難解ではない『死霊』について
 足穂アラベスク
 星の王さま、タルホ
 オーブリ・ビアズレーについて
 ピエール・ド・マンディアルグについて
 ネルヴァルと幻想文学
 ヴィリエ・ド・リラダンについて
 バルベー管見
 カゾットの駱駝
 ニーチェ雑感
 魔術師フロイト
 ゴンゴラとコクトー
 映画『恐るべき子供たち』を見て
 私のシュルレアリスムと屍体解剖
 マックス・エルンストを悼む
 エルンスト展に寄せて
 プラトニックな蝶 ナボコフについて
 『ティマイオス』 プラトンにおける神話
 『O嬢の物語』について
 「表現の自由」ではなく「自由な表現」を
 文庫本
  フーリエ『四運動の理論』
  ネルヴァル『暁の女王と精霊の王の物語』
  J・G・バラード『結晶世界』
  シラノ・ド・ベルジュラック『日月両世界旅行記』
  セルジュ・ユタン『錬金術』
  『アンデルセン童話集』
 ミシェル・フーコー『狂気の歴史』
 アルヴァレズ『自殺の研究』
 鷲巣繁男『詩の栄誉』
 高橋睦郎詩集『私』
 中田耕治『ルクレツィア・ボルジア』
 松田政男『薔薇と無名者』
 『球体感覚』以前
 巌谷國士『シュルレアリスムと芸術』『幻視者たち』
 飯田善国について
 推薦文
  ラヴクラフト傑作集
  アルフォンス・アレ『悪戯の愉しみ』
  ジョイス・マンスール『充ち足りた死者たち』
  ヴィリエ・ド・リラダン全集
  ネルヴァル全集
  メリメ全集
  小説のシュルレアリスム
  ヘルメス叢書
  齋藤磯雄『近代ふらんす秀詩鈔』
  倉橋由美子全作品
  稲垣足穂作品集
  池田満寿夫『美の王国の入り口で』
  岸田秀『ものぐさ精神分析』
  多田智満子『鏡のテオーリア』
  花田清輝全集
 あとがき
記憶の遠近法
  1
 サラマンドラよ、燃えよ
 一角獣について
 タロッコの謎
 宝石の伝説
 『狩猟の書』
 盗みのエロティシズム
 態位について
 目の散歩
  ノスタルジアについて
  ボイオティアの山猫
  文字とデザイン
  円環的時間
  メデイアの踊り
  2
 ツェッペリン幻想
 私の昆虫記
 ハーゲンベックの思い出
 カフス・ボタンのこと
 「コドモノクニ」のこと
 ドラゴン雑感
 少年冒険小説と私
 玩物抄
  独楽
  蟻通
  アイスクリーム
  鞄
  山吹鉄砲
  髑髏
  眼鏡
  琥珀
  三葉虫
  明恵さんの手紙
  花札
  ホッチキス
  紙相撲
  昆虫
  お化け煙突
  パイプ
  ギブス
  左利き
 アポロとウェヌス
 蝿とエメラルド
 思い出と現在と
 エメラルド、五月の露
 花火、七月の夜
 ガラス幻想行
 糸車から燭台まで
  糸車
  オルゴール
  フランス人形
  ミシンとアイロン
  乳母車
  時計
  アコーディオン
  花車
  電気スタンド
  蓄音機
  写真機
  燭台
 あとがき
スクリーンの夢魔
 カトリーヌ・ドヌーヴ その不思議な魅力
 あとがき
機械仕掛のエロス
 あとがき
補遺 一九七七年
 午前三時に大晩餐会
 『サド、レチフ』訳者付記
  『司祭と臨終の男との対話』
  『美徳の不運』
  『閨房哲学』
  『悲惨物語』
  『小説論』
 ヨーロッパ魔術の伝統
 イシス女神
 サドのこと、その他
 矢代秋雄について
 『思考の紋章学』(「わが著書を語る」)
 エロティックな女
 『イメージの博物誌』推薦文

幻想博物誌
 スキタイの羊 犀の図 スキヤポデス クラーケンとタッツェルヴルム ドードー 蟻の伝説 スフィンクス
 象 毛虫と蝶 人魚の進化 大山猫 原初の魚 ゴルゴン フェニクス 貝 ミノタウロス 火鼠とサラマンドラ グノーム 海胆とペンタグラムマ バジリスクス 鳥のいろいろ 虫のいろいろ ケンタウロス キマイラ
 
悪魔の中世
 はしがき 悪魔像の起源 悪魔の肖像学 冥府とアポカリプス 最後の審判 地獄と刑罰 コントラ・トリニタス ドラゴンの幻想 誘惑図 死の恐怖と魅惑
玩物草紙
 裸体 虫 沼と飛行機 ミイラ取り 枕 蟻地獄 星 神のデザイン 家 反対日の丸 ポルノ 変身 花 ピストル 体験 テレビ 猿の胎児 天ぷら 美術館 書物 劇場 童話 地球儀 猫と形而上学 男根 カフスボタン 輪鼓 夢 燃えるズボン 衣裳
 
世界幻想名作集
 幻想文学について
 フランケンシュタイン シェリー夫人
 幻想美術の流れ

ビブリオテカ澁澤龍彦1-6

玩具館
 玩具のための玩具 私の玩具論
補遺 一九七八-七九年
 肉体の内部の風景(推薦文)
 ラコスト詣で
 マルキ・ド・サド『州民一同によって証言された不可解な事件』 解説
 リリシズムの鍼師
 種村季弘『山師カリオストロの大冒険』(書評)
 酒井潔『愛の魔術』 解説
 ポツダム文科の弁
 『堂本正樹の演劇空間』(推薦文)
 歳月の流れに感慨(「近況」)
 歌うシモン
 笠井叡『神々の黄昏』(推薦文)
 愕然と呆然(推薦文)
 ペトリュス・ボレル『解剖学者ドン・ベサリウス』 あとがき
 A・P・ド・マンディアルグ『ボマルツォの怪物』 あとがき
 A・P・ド・マンディアルグ『ボマルツォの怪物』(「私の訳した本」)
 変幻自在(推薦文)
 線の美しさ
 ジュール・シュペルヴィエル『ひとさらい』 あとがき
 神話のインターナショナリズム(推薦文)

城と牢獄
  1
 城と牢獄
 サドの論理
 サド侯爵とジャンヌ・テスタル事件
 サドとマゾッホ 種村季弘『ザッヘル=マゾッホの世界』を読む
 精子派としてのサド
 フランス版『サド侯爵夫人』について
 惑星の運行のように ルノー/バロー劇団『サド侯爵夫人』を見て
 ラコスト訪問記
 ラウラの幻影
  2
 ポルノグラフィーをめぐる断章
 近親相姦、鏡の中の千年王国
 エレアのゼノン あるいはボルヘスの原理
 『イタリア紀行』について
 アリアドネの日記
 ヴァルーナの鎖
 一冊の本 コクトー『大胯びらき』
 バイロスについて
 ヴィスコンティ「家族の肖像」について
  3
 金魚鉢のなかの金魚 埴谷雄嵩について
 稲垣足穂さんを悼む
 美しい笑顔 瀧口修造さんを悼む
 呉茂一さんの翻訳について
 堀口大學氏の翻訳
 思想の良導体 齋藤磯雄氏の翻訳について
 超低空を飛ぶひと 川崎長太郎
 不真面目人間の栄光と悲惨 種村季弘『詐欺師の楽園』
 観念の動物園 「唐版犬狼都市」のために
 加山又造 あるいは豪奢な禁欲主義
 宝石のようなイメージ 野中ユリのこと
 銅版画のマニエリスト山本六三
 潜在意識の虎 『動物の謝肉祭』序
 
妖精たちの森
 妖精について
 風について
太陽王と月の王
  1
 知られざる発明家たち
 人形雑感
 太陽王と月の王
 宇宙論について
 植物界のイカロス
 ホログラフィ頌
 北斎漫画について
 お化け屋敷の光源氏
 化けもの好きの弁 泉鏡花『夜叉ヶ池』公演に寄せて
 魚の真似をする人類
 パイプ礼讃
 説話好きの弁
 パリの昆虫館
 神話と絵画
  2
 嘘の真実 私の文章修行
 冷房とエレベーター
 古本屋の話
 パイプの話
 機関車と青空
 空前絶後のこわい映画
 読書日録
 望遠鏡をさかさまに 『記憶の遠近法』について
 ビブリオテカについて
 今月の日本
  宗達の犬
  専業について
  流行について
  ディジタル反対
  すべからく
  元号について
  ワイセツについて
  ムクロジの実
  神話の復活のために
  鎌倉今昔
  虎よ、虎よ
  手紙を燃やす
 架空対談*サド
 
城 夢想と現実のモニュメント
 
補遺 一九八〇年
 『太平記』(「私と古典」)
 金子國義「アリアドネ」
 すたすた歩く堀内さん
 ロワールの三つの城
 矢野真君のこと
 北鎌倉だより あるいは永遠の幼虫
 『サド侯爵の手紙』 あとがき

唐草物語
 鳥と少女 空飛ぶ大納言 火山に死す 女体消滅 三つの髑髏 金色堂異聞 六道の辻 盤上遊戯 閹人 あるいは無実のあかし 蜃気楼 遠隔操作 避雷針屋
 
魔法のランプ
  1
 錬金術夜話
  錬金術とは何か
  錬金術の仕事場
  賢者の石について
  精神面と物質面
  錬金術と化学
  中世社会における錬金術師
  錬金術と造詣美術
 宝石変身譚
 処女生殖について
 裸婦について
 疑わしき美
  かぶらのウェヌス
  ゴッホの耳
  美と時間の作用
  自然、美のモデル
  ボール紙の兜
 日記から
 八〇年ア・ラ・カルト
  サルトルと文学賞
  消費社会における物と人間
  バイロス事件をめぐって
  映画あれこれ
 タランチュラについて
 空洞化したワイセツ概念
 読書生活
  浦島伝説と玉手箱
  両性具有の夢
  東京モダン風俗
  高山寺展を見る
  枝のある椰子の樹
 一頁時評
  イカロス・コンプレックス
  回転する円
  観念小説の伝統
  メルヴィル頌
  日本の中のペルシア
  楽しい悪循環
  未来のセックス
  謎の病気を追って
  物語は不可能か
  独断と偏見
  無垢な想像力
  現代の博物誌家たち
 私と推理小説 情熱あるいは中毒
 クレタ島の蝸牛
  2
 デュシャン あるいは悪循環
 コクトーと現代
 コクトーの文体について
 ルードウィヒ二世とその時代
 フェリーニ『カサノバ』を見て
 ブリキの太鼓 あるいは退行の意志
 天上界の作家 泉鏡花
 玉三郎讃
 『サド侯爵の手紙』について
 中井英夫『幻想博物館』 解説
 推薦文六篇
  ミショー全集
  ワイルド全集
  メルヴィル全集
  日本児童文庫
  ボナ個展
  四谷シモン個展
 あとがき
補遺 一九八一-八二年
 「愛」という言葉 或るマトリストの解釈
 「大きなポプラ」 クリムト展
 中性の学者の如く死に親しむ
 制服、そのエロティックな秘密
 イタリア酔夢行
 ルードウィヒとその城
 ルードウィヒとその「奇妙な友情」
 建長寺・円覚寺(「古寺探訪」)
 吉原さんについて
 わたしの好きなジョーク
 ベアリュ讃(推薦文)
 ユルスナール『三島あるいは空虚のヴィジョン』 解説
 神話的な名前
 ある雨の日
 『佛蘭西短篇飜譯集成1』 ノート
 『佛蘭西短篇飜譯集成2』 ノート
 マンディアルグ『城の中のイギリス人』 訳者あとがき
 『ことば遊び辞典』『紋切型辞典』
 女・物・記号
 トロワイヤ『ふらんす怪談』 訳者あとがき
 夜毎に繰り返されるたったひとりの深夜の祝祭
 モーリス・ベジャール「20世紀バレエ団」
 鶉舞いを見さいな
 デルヴィル「トリスタンとイゾルデ」
 『ロドリゴ あるいは呪縛の塔』ほか 解説
 ヴェルレーヌについて その好色詩篇

ドラコニア綺譚集
 極楽鳥について
 鏡と影について
 飛ぶ頭について
 かぼちゃについて
 文字食う虫について
 スペインの絵について
 ラテン詩人と蜜蜂について
 箱の中の虫について
 桃鳩図について
 仮面について
 童子について
 巨像について
 
ねむり姫
 ねむり姫 狐媚記 ぼろんじ 夢ちがえ 画美人 きらら姫

三島由紀夫おぼえがき
 三島由紀夫をめぐる断章
 ユルスナール『三島あるいは空虚のヴィジョン』 
 
補遺 一九八三年
 堂本正樹『能・狂言の芸術』(推薦文)
 絢爛たる知的遊戯への招待 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』

狐のだんぶくろ わたしの少年時代
 チョロギについて
 滝野川中里付近
 チンドン屋のこと
 なつかしき大鉄傘
 狐のだんぶくろ
 昭和十一年前後
 蘆原将軍のいる学校
 漫画オンパレード
 まぼろしのトンネル
 往年の夏、往年の野球
 水鉄砲と乳母車
 替え歌いろいろ
 欠乏の時代
 ラ・パロマを聞けば
 競馬場の孤独
 花電車のことなど
 最初の記憶
 病気の問屋さん
 東京大空襲
 帝都をあとに颯爽と
 戦前戦後、私の銀座
 私の日本橋
 
マルジナリア
  1
 マルジナリア
  2
 アルキメデスの渦巻
 パドヴァの石屋
 イソッタの墓
 サロニカ日記
 ギリシア旅行スナップ
 サン・タンヌ街の女の子
 オッフェンバックの目
 新釈『ピーター・パン』
 E・Tは人間そのもの
 エウリピデスと『メデイア』について
 性差あるいはズボンとスカート
 SFをめぐる覚書
 ある死刑廃止論
 私の一冊
  3
 記憶力について
 『亂菊物語』と室津のこと
 石川淳『至福千年』 解説
 現代の随想「石川淳集」 解説
 石川淳『六道遊行』
 大岡昇平さんのこと
 埴谷雄嵩のデモノロギー 銅版画の雰囲気
 鷲巣繁男追悼
 「ああモッタイない」
 あとがき
華やかな食物誌
  1 華やかな食物誌
 ローマの饗宴
 フランスの宮廷と美食家たち
 グリモの午餐会
 イタリア狂想曲
 クレオパトラとデ・ゼッサント
 龍肝鳳髄と文人の食譜
  2
 ヴィーナス、処女にして娼婦
 ベルギー象徴派の画家たち
 アタナシウス・キルヒャーについて 略伝と驚異博物館
 シュヴァルと理想の宮殿
 ダリの宝石
  3
 建長寺あれこれ
 蕭白推賞
 絵巻に見る中世
 私と琳派 「舞楽図」を愛す
 私と修学院離宮 刈込みの美学
 六道絵と庭の寺
 観音あれこれ
 「ばさら」と「ばさら」大名
  4
 土方巽について
 透明な鎧あるいは様式感覚
 城景都あるいはトランプの城
 みずからを売らず 秋吉巒
 平出隆『胡桃の戦意のために』
 あとがき
エロス的人間
 シモネッタの乳房(あとがきにかえて)
少女コレクション序説
 シモンの人形(あとがきにかえて)
補遺 一九八四年
 世紀末画廊
  ジェイムズ・アンソール
  ユイスマンスとフェリシアン・ロップス
  アンリ・ド・レニエとモーリス・ドニ
  オクラーヴ・ミルボーとアリ・ルナン
  ロデンバックとクノッフ
  シュオブとD・G・ロセッティ
  レオン・ブロワとギュスターヴ・モロー
  メーテルランクとアルフォンス・オスベール
  レミ・ド・グールモンとオルディン・ルドン
  ロベール・ド・モンテスキュウとエドガール・マクサンス
  ジョルジュ・ダリアンとロートレック
  ジャリとフィリジェ
  ユーグ・ルベルとベックリン
 
イマジナリア
  アロイス・ツェトル――動物たちの楽園
  さざえ堂――二重螺旋のモニュメント
  マニエリスト抱一――空前の植物画家
  カルロ・クリヴェッリ――豪華な金のきらめき
  ベルナール・フォーコン――永遠の夏休み
  河鍋暁斎――百鬼夜行図
  愛の魔術――謎にみちた室内
  シモーネ・マルティーニ――グイドリッチオ騎馬像
  五輪塔と現代オブジェ――元素として夢みられた宇宙
  塔と庭のある町――大内文化の跡をたずねて
 J・K・ユイスマンス『さかしま』 あとがき
 ビアズレー『美神の館』 あとがき
 『夢のかたち』(澁澤龍彦コレクション1) 編者による序
 『オブジェを求めて』(澁澤龍彦コレクション2) 編者による序
 『天使から怪物まで』(澁澤龍彦コレクション3) 編者による序

うつろ舟
 護法 魚鱗記 花妖記 髑髏盃 菊燈台 髪切り うつろ舟 ダイダロス
私のプリニウス
 迷宮と日時計 エティオピアの怪獣 セックスと横隔膜 海ウサギと海の動物たち
 毒薬と毒草 カメレオンとサラマンドラ 琥珀 畸形人間 鏡 世界の不思議 磁石
 鳥と風卵 アネモネとサフラン 頭足類 スカラベと蝉 宝石 誕生と死
 地球と星 天変地異 真珠と珊瑚 香料 象
 
フローラ逍遥
 水仙 椿 梅 菫 チューリップ 金雀児 桜 ライラック アイリス 牡丹 朝顔 苧環 向日葵 葡萄 薔薇 時計草 紫陽花 百合 合歓 罌粟 クロッカス コスモス 林檎 菊 蘭
 
補遺 一九八五年
 サド(『大百科事典』)
 デカダン派(『大百科事典』)
 ブランビリエ侯爵夫人(『大百科事典』)
 宝石の文化史(『大百科事典』)
 目に見えるノスタルジア アンドリュー・ワイエス
 ベジャール讃 モーリス・ベジャール20世紀バレエ団

高丘親王航海記
 儒艮 蘭房 獏園 蜜人 鏡湖 真珠 頻伽
裸婦の中の裸婦
 幼虫としての女 バルチュス スカーフを持つ裸婦
 エレガントな女 ルーカス・クラナッハ ウェヌスとアモル
 臈たけた女 ブロンツィーノ 愛と時のアレゴリー
 水浴する女 フェリックス・ヴァロットン 女と海
 うしろ向きの女 ベラスケス 鏡を見るウェヌス
 痩せっぽちの女 百武兼行 裸婦
 ロココの女 ワットー パリスの審判
 デカダンな女 ヘルムート・ニュートン 裸婦
 両性具有の女 眠るヘルマフロディトス
[都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト]
  1
 都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト
 穴ノアル肉体ノコト
 随筆家失格
 私の著作展
 校正について
 ポンカリ
 少女と奇蹟
 ホモセクシュアルについて
 妄譚
 ホラーの夏 お化けの夏
 人形師と飲む酒
 私のハーゲンベック体験
 『装幀=菊地信義』
 来迎会を見る
 水と火の行法
 澁澤龍彦が選ぶ私の大好きな10編
 初音がつづる鎌倉の四季
 鰻町アングイラーラ
  2
 『夜叉ヶ池・天守物語』 解説
 『我身にたどる姫君』 解説
 『幻想のラビリンス』 序
 物の世界にあそぶ
 ストイックな審美家
 植島啓司『分裂病者のダンスパーティ』 序
 『エトルリアの壺』その他
 待望の詩誌
 珍説愚説辞典
 消えたニールス・クリム
 もっと幾何学的精神を(第一回幻想文学新人賞選評)
 ふたたび幾何学的精神を(第二回幻想文学新人賞選評)
 ポルノグラフィー
 中野美代子『中国の妖怪』(書評)
 ドミニク・フェルナンデス『シニョール・ジョヴァンニ』他(書評)
 贖罪としてのマゾヒズム
 河村錠一郎『コルヴォー男爵――知られざる世紀末』(書評)
 遠近法の小説(『ヘンリー・ジェイムズ作品集』推薦文)
 ピエール・クロソウスキー『バフォメット』(推薦文)
 マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』(推薦文)
 生きた知識の宝庫(「廣文庫」)
  3
 江戸の動物画
 加納光於 痙攣的な美
 金子國義画集『エロスの劇場』(推薦文) 十八世紀 毒の御三家 スウィフト サド ゴヤ
 ルドン「ペガサス」
 序 モリニエ頌
 加山さんの版画
 島谷晃画『おきなぐさ』(推薦文)
 オブジェとしての裸体について
 小川熙『地中海美術の旅』(推薦文)
 細江英公『ガウディの宇宙』(書評)
 ロマン劇の魅力
 『小間使の日記』(映画評)
 吸血鬼、愛の伝染病
 百五十年の歴史をたどる 『写真の見方』を読んで
 写真家ベルメール 序にかえて
  4
 標本箱に密封された精神
 石笛と亀甲について
 リゾームについて 十九世紀パリ食物誌
 星の思い出
 鉱物愛と滅亡愛
 南方学の秘密
 獏の枕について
 夢のコレクション
 遊戯性への惑溺
  5
 変化する町
 神田須田町の付近
 変幻する東京
 駒込駅、土手に咲くツツジの花
 鎌倉のこと
  6
 中井さんのこと
 東勝寺橋
 さようなら、土方巽
 玉虫の露はらい
 回想の足穂
 今さんの思い出
 矢牧一宏とのサイケデリックな交渉
 たのしい知識の秘密(林達夫追悼)
 お目にかかっていればよかったの記(齋藤磯雄追悼)
 私のバルチュス詣で
 ジャン・ジュネ追悼
 ボルヘス追悼
補遺 一九八六-八七年
 ピエール・モリニエ展(案内状)
 危機に立つ肉体(「土方巽とその周辺展」)
 マルキ・ド・サド『食人国旅行記』 あとがき(文庫版)
 サラマンドラのように(『新編ビブリオテカ澁澤龍彦』内容見本)
 レーモン・ルーセル『ロクス・ソルス』(推薦文)
 マルキ・ド・サド『新ジュスティーヌ』 あとがき(文庫版)
 ユゴー・クラウス『かも猟』 あとがき
 土方巽との初対面

[滞欧日記]
 1 一九七〇年 九月一日~十一月四日
 2 一九七四年 五月十六日~六月一日
 3 一九七七年 六月二日~七月六日
 4 一九八一年 六月二十三日~七月二十三日
未刊行旅行ノート
 中近東旅行 一九七一年 九月二十一日~三十日
 沖縄・九州旅行 一九七四年 十一月五日~十三日
 北海道旅行 一九七五年 二月十三日~十八日
雑纂
  1 初期雑纂
 三崎のサカナよ……
 革命家の金言 サン・ジュスト箴言集
 編集後記
  2 拾遺
 ユイスマンのラテン文学論
 現代の不安を踊る
 塩ラッキョーで飲む寝酒
 愛の饗宴 ギリシア神話より
 きものの美学
 サディズム(『万有大百科事典』)
 サド(『万有大百科事典』)
 遊び(『万有大百科事典』)
 サド年譜
 ヴィナス誕生 ボッティチェリ
 法華寺 十一面観音
 ギリシアのセミ
 ジュリーの花飾り
 美男美女の闘い ビアズリー展から
 フップ鳥のごとく
 『思考の紋章学』(文庫版) あとがき
  3 未発表原稿
 サド侯爵の幻想
 サディストの文学 大江健三郎をめぐる評価の混乱
 ヴァイキング対インディアンの闘い
 吉野および熊野の記
 現代思潮社と石井恭二のこと
 魔法の壺の公開
 「世界文学集成」24巻試案
 ペローの童話について
書簡
 三島由紀夫宛
 磯田光一宛
アンケート回答 一九六一-八七年
ロールシャハ・テスト
 ロールシャハ・テスト 被検者=澁澤龍彦/検査者=馬場禮子
 明晰を意志する精神 対談=澁澤龍彦/馬場禮子
 テストのあとで
図版キャプション補遺

<サド裁判>公判記録
 検察側証人喚問 田崎敏子証人 内藤文質証人
 弁護側証人喚問 大岡昇平証人 吉本隆明証人 大井広介証人 針生一郎証人 大江健三郎証人
 被告人特別尋問 澁澤龍彦
対談 一九六二-八七年
 毒薬と裁判 関根弘
 まりことおじさま 加賀まりこ
 快楽主義とエロティシズム 丸山明宏
 鏡花の魅力 三島由紀夫
 タルホの世界 三島由紀夫
 エロチスム・死・逆ユートピア 野坂昭如
 芸人根性で権力を愚弄しちゃえ
 奇才・澁澤龍彦 種村季弘
 ピグマリオニスム――人形愛の形而上学をめぐって 四谷シモン
 三島由紀夫――世紀末デカダンスの文学
 澁澤龍彦氏に聞く 池内紀
座談会 一九五八-六七年
 大江健三郎の文学 江藤淳 篠田一士 澁澤龍彦
 性は有罪か――チャタレイ裁判とサド裁判の意味 伊藤整 大岡昇平 奥野健男 澁澤龍彦 白井健三郎 中島健蔵 埴谷雄嵩 福田恆存
 巣づくり 性の思想 澁澤龍彦 奥野健男 村松博雄 森本和夫 福田善之
インタヴュー 一九六八-八二年
 エロス・象徴・反政治 サド裁判と六〇年代思想
 60年代とサド裁判はパラレルだ!
 メルヘンの思想とは…… 澁澤龍彦編『暗黒のメルヘン』
 原型に遡る形象思考
 INTERVIEW THIS
 作家訪問
 『唐草物語』 オブジェに彩られた幻想譚
 おつまみ作法
 土方巽インタビュー 肉体の闇をむしる…… 聞き手・澁澤龍彦
 金子國義への美少女についての10の質問 聞き手・澁澤龍彦

大胯びらき ジャン・コクトオ
 訳注
恋の駈引 マルキ・ド・サド
 恋の駈引
 寝取られ男
 司祭になった夫
 ロンジュヴィルの奥方
 二人分の席
 プロヴァンス異聞
 哲人教師
 復讐
 末期の対話
 呪縛の塔
 訳注
マルキ・ド・サド選集1(彰考書院版)
 ジュスチイヌ あるいは淑徳の不幸
  前口上
  ジュスティーヌとジュリエットのこと
  ジュリエットのこと
  ジュスティーヌの物語の発端ならびに収税請負人デュブール氏のこと
  高利貸デュ・アルパンのこと
  女賊ラ・デュボワのこと
  男色家ブルサック侯爵のこと
  外科医ロダンのこと
  森の修道院サント・マリー
  財布泥棒のこと
  律儀な紳士ダルヴィルのこと
  贋金つくりのこと
  名判官S…氏のこと
  男爵夫人デュボワのこと
  豪商デュブルイユのこと
  ベルトランのお内儀のこと
  神父アントナン師のこと
  ジュリエットとジュスティーヌの再会のこと
  雷のこと、ならびに納め口上
補遺 一九五六年
 美男男爵 エディット・ピアフのために書かれた一幕劇 ジャン・コクトオ

マルキ・ド・サド選集2(彰考書院版)
 閨房哲学抄
  宗教について
  姦通について
  フランス人よ! 共和主義者たらんとせばいま一息だ
   宗教
   道徳
   むすび
  原注
  原注の訳注
  訳注
 小説論
  原注
  訳注
 ファクスランジュ あるいは野心の罪
  原注
世界風流文学全集5 フランス篇(三) マルキ・ド・サド
 二つの試練
  訳注
 兄の残酷
  訳注
マルキ・ド・サド選集3(彰考書院版)
 ゾロエと二人の侍女 あるいは三美人の数十日間の生活
  著者より二人の書店主へ
  仮判決
  人物紹介
  政略結婚
  小別荘のこと
  喧嘩のあとに和解のこと
  行動開始、監禁ならびに耽溺のこと
  変事突発のこと
  鳩首談合のこと
  舞踏会のこと
  舞踏会での出来事
  訪問ならびにとらんぷ賭のこと
  野遊びのこと
  英雄待望のこと
  イギリス人の仕組んだ芝居のこと
  むすび
  原注
 新ジュスチイヌ抄
  クレマン師の快楽説
補遺 一九五七年
 哀れな水夫 ダリウス・ミヨオの音楽による三幕の哀歌 ジャン・コクトオ

かも猟 ユゴー・クラウス
共同墓地 ふらんす怪談 アンリ・トロワイヤ
 殺人妄想
 自転車の怪
 幽霊の死
 むじな
 黒衣の老婦人
 死亡統計学者
 恋のカメレオン
エロチシズム 近代精神の見地から文学作品を通じて考察された ロベエル・デスノス
  ジャック・ドゥーセ氏への手紙
  序言
 第一章 定義への試み
 第二章 サド以前のエロチシズム
  第一部 古代の作家たち
 第三章 サド以前のエロチシズム(続)
  第二部 近世の作家たち
 第四章 サドと同時代の作家たち
 第五章 マルキ・ド・サドの啓示
 第六章 十九世紀の諸作家
 第七章 今日のエロチシズム
 原注
 訳注
悲惨物語 マルキ・ド・サド
 悲惨物語 あるいはウジェニイ・ド・フランヴァル
 訳注
補遺 一九五八年
 支那の占星学者 ジャン・フェリイ

コクトー戯曲選集I  オイディープス王 ソポクレースからの自由な翻案
 原注
 訳注
自由の大地 ロオマン・ギャリイ
列車〇八一 世界恐怖小説全集9
 ギスモンド城の幽霊 シャルル・ノディエ
 解剖学者ドン・ベサリウス 悖徳物語 マドリッドの巻 ペトリュス・ボレル
 草叢のダイアモンド グザヴィエ・フォルヌレ
 罪のなかの幸福 バルベエ・ドルヴィリ
 仮面の孔 ジャン・ロラン

悪徳の栄え マルキ・ド・サド
 前口上
 パンテモンの修道院ならびに院長デルベーヌ夫人のこと
 デュヴェルジェ夫人の妓楼のこと
 大泥棒ドルヴァルのこと
 遊蕩児ノアルスイユのこと
 モンドオル老人ならびに最初の盗みのこと
 濡衣を着せられた小間使のこと
 サン・フォン氏のこと
 ノアルスイユ夫人殺害のこと
 老公爵ならびに乞食女のこと
 クレアウィル夫人のこと
 街頭殺人のこと
 サン・フォンの政治学
 サン・フォンとクレアウィルの大論争
 栄華の極みジュリエットのこと
 犯罪友の会のこと
 カルメル会修道士クロオド神父のこと
 ジュリエットの父親ベルノオルのこと
 魔術師ラ・デュランのこと
 失寵ならびにロルサンジュ氏のこと
 イタリア旅行のこと
 アベニンの隠者ミンスキイのこと
 原注
悪徳の栄え(続) ジュリエットの遍歴 マルキ・ド・サド
 フィレンツェのレオポルド大公
 ドニ夫人のこと
 ボルゲエズ夫人のこと
 ロオマの大饗宴
 法王ピオ六世のこと
 大盗ブリザ・テスタのこと
 ブリザ・テスタの少年時代
 オランダ王妃ソフィーのこと
 北欧秘密結社のこと
 カタリナ女帝のこと
 シベリアにて
 ナポリの名所めぐり
 ナポリの豊年祭のこと
 ヴェスヴィオ見物のこと
 デュランとの再会
 パリ帰りにて
 フォンタンジュのこと
 ジュスチイヌの死ならびに大団円
補遺 一九五九年
 悪徳の栄え(続)削除箇所全文

わが生涯 レオン・トロツキー
  I
 4 書物と最初の争い
 5 田舎と都会
 6 破れ目
 7 私の最初の革命組織
 8 最初の入獄
 9 最初の流刑
 10 最初の脱出
 11 最初の亡命
  II
 32 媾和
 33 スウイヤーツースクの一ヵ月
 34 列車
 35 ペトログラード防衛
 36 軍事反対派
 43 流刑
  原注
補遺 一九六一年
 フランスにおけるサド裁判記録
  起訴状
  J・J・ポオヴェールの尋問
  ジャン・ポオランの証言
  ジョルジュ・バタイユの証言
  ジャン・コクトオの手紙
  アンドレ・ブルトンの証言
  モオリス・ガルソン氏の口頭弁論

さかしま J・K・ユイスマンス
 
マルキ・ド・サド選集I(桃源社版)
 ジェロオム神父の物語 『新ジュスチイヌ』より

マルキ・ド・サド選集III(桃源社版)
 閨房哲学抄
  道楽者へ
  第一の対話
  第二の対話
  第三の対話
  第四の対話
  第五の対話
  フランス人よ! 共和主義者たらんとせばいま一息だ
 ソドム百二十日 序章
マルキ・ド・サド選集II(桃源社版)
 食人国旅行記

新・サド選集1(桃源社版)
 新ジュスチーヌ
  森のなかの宿屋のこと
  デステルヴァル夫妻の生活と意見
  ブレサック侯爵との再会
  ジェルナンド伯爵の城
  城中の饗宴のこと
  ジェルナンド伯爵夫人受難のこと
  女についての議論のこと
  ヴェルヌイユ一家の人物紹介
  新趣向の遊蕩のこと
  饗宴の果て
  霊魂不滅についての議論のこと
  悪人たちの解放のこと
  ジュスチーヌ逃亡のこと
新・サド選集6( 桃源社版)
 閨房哲学
  第六の対話
  最後の対話
オー嬢の物語 ポーリーヌ・レアージュ
 序 奴隷状態における幸福
 I ロワッシイの恋人たち
 II ステファン卿
 III アンヌ・マリイと鉄環
 IV ふくろう
補遺 一九六五―六六年
 アルダを讃える アントニオ・ベッカデルリ
 エムペドクレス マルセル・シュオブ

ジャン・ジュネ全集 第二巻
 ブレストの乱暴者
  訳注
美神の館 オーブリ・ビアズレー
 献辞
 美神の館
  第壱章 いかにして騎士タンホイザーはウェヌスの丘に到りしか
  第弐章 いかにしてウェヌスは髪を結い、晩餐の支度を整えしか
  第参章 いかにしてウェヌスは晩餐をし、しかる後、取巻き連中の奇妙な戯れにいたく興がりしか
  第肆章 晩餐中、ウェヌスの取巻き連中はいかなる狂態に及びしか
  第伍章 ウェヌスの従者たちの演ずる舞踏劇について
  第陸章 ウェヌスとタンホイザーのあいだに行われた愛の手合わせについて
  第七章 いかにしてタンホイザーは眼ざめ、ウェヌスの丘にて朝の沐浴をなせしか(「七」は「さんずい」に「七」、その下に「木」を書く)
  第捌章 アドルフの恍惚とその驚くべき表現について
  第玖章 いかにしてウェヌスとタンホイザーは朝食をしたため、しかる後、宮殿の庭に馬車を駆りしか
  第拾章 悲しみの聖母、スピリディオンおよびド・ラ・ピーヌについて
 オーブリ・ビアズレーについて アーサー・シモンズ
  訳注
補遺 一九六八年
ヘリオガバルス アントナン・アルトオ

怪奇小説傑作集4
 緑色の怪物 ジェラール・ド・ネルヴァル
 勇み肌の男 エルネスト・エロ
 恋愛の科学 シャルル・クロス
 奇妙な死 アルフォンス・アレ
 最初の舞踏会 レオノラ・カリントン
ポトマック ジャン・コクトオ
 趣意書
 献辞
 後から
 どんな風にして彼らは出現したか
 十字街
 最初のポトマック訪問
 アリアドネ
 死
 二度目のポトマック訪問
 道草食い
 三度目のポトマック訪問
 翌日
 不可能なる利用
 特別版
 あとがき
 原注
 訳注
サド侯爵 その生涯と作品の研究 ジルベール・レリー
  略伝
 サドのアルゴラグニア
  序論
  アルクイユ事件
  マルセイユ事件
  妻への嫉妬
 ラ・コスト
  ラ・コスト
 革命期のエピソード
  サドとヴァレンヌのベルリン馬車
  マラーの霊に捧ぐる演説
  サドと最後の死刑囚護送車
 聖侯爵の著作
  書簡
  『司祭と臨終の男の対話』
  『ソドム百二十日あるいは放蕩学校』
  『真実』
  『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』
  『アリーヌとヴァルクールあるいは哲学小説』
  『閨房哲学』
  『新ジュスティーヌ』および続篇『ジュリエット物語』
  短篇および中篇小説
  『ガンジュ侯爵夫人』
  『文学的覚えがき』〔『私記』〕
  『フランス王妃イザベル・ド・バヴィエール秘史』
 サドの死
  
ひとさらい ジュール・シュペルヴィエル
 第一部
 第二部
大理石 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ
 一 証人の紹介
 二 ヴォキャブラリー
 三 プラトン的立体
 四 証人のささやかな錬夢術
 五 死の劇場
 六 魚の尻尾
マゾヒストたち ロラン・トポール
 トポールへの前口上 ジャック・ステルンベール
 マゾヒストたち
補遺 一九七〇―七二年
 パイプ フランシス・ジャム
 ルイス・キャロル アンドレ・ブルトン
  
エロティシズム ジョルジュ・バタイユ
  序論
 第一部 禁止と違犯
  第一章 内的体験におけるエロティシズム
  第二章 死と結びついた禁止
  第三章 生殖と結びついた禁止
  第四章 生殖と死の類縁
  第五章 違犯
  第六章 殺人、狩猟および戦争
  第七章 殺害と犠牲
  第八章 宗教的犠牲からエロティシズムへ
  第九章 性的充血と死
  第十章 結婚と躁宴における違犯
  第十一章 キリスト教
  第十二章 欲望の対象、売淫
  第十三章 美
 第二部 エロティシズムについての諸研究
  第一論 キンゼイ、泥棒仲間および労働
  第二論 サドの至上者
  第三論 サドと正常人
  第四論 近親相姦の謎
  第五論 神秘家と肉欲
  第六論 聖性、エロティシズムおよび孤独
  第七論 『マダム・エドワルダ』序文
 結論
  原注
長靴をはいた猫 シャルル・ペロー
 猫の親方 あるいは長靴をはいた猫
 赤頭巾ちゃん
 仙女たち
 サンドリヨン あるいは小さなガラスの上靴
 捲き毛のリケ
 眠れる森の美女
 青髯
 親指太郎
 驢馬の皮

ハンス・ベルメール サラーヌ・アレクサンドリアン
 イメージの解剖学
 視線
 愛と死
 煉瓦と構造
 グワッシュとコラージュ
 精神的宇宙の形
 油彩作品と挑発的なオブジェ
 略年譜
 書誌
レオノール・フィニー コンスタンタン・ジェレンスキ
 一九七二年版のためのノート
 参考文献目録
 年譜超男性 アルフレッド・ジャリ
 I 競り上げマニル
 II 右側にも左側にもない心臓
 III こいつは女性だが、どうしてなかなか手ごわいぞ
 IV ほんの娘っ子
 V 一万マイル競走
 VI アリバイ
 VII 女だけ
 VIII 卵子
 IX テオフラストスの絶賛するインド人
 X あなたは誰です、人間ですか?
 XI より以上に
 XII おお、うるわしの小夜鳴き鳥よ
 XIII 女の発見
 XIV 愛の機械
魔術 もう一つのヨーロッパ精神史 フランシス・キング
 もう一つのヨーロッパ精神史
  天地の間に
  西欧の魔術の起源
  降神術
  長い夜
  魔法書
  魔術学者
  ロマン主義の復活
  薔薇戦争
  綜合したひとびと
  黙示録の獣
  今日の魔術
  訳注
 図版
 資料図版とその解説ボルマツォの怪物 A・P・ド・マンディアルグ
 ボマルツォの怪物
 黒いエロス
 ジュリエット
 異物
 海の百合
  
サド侯爵とその共犯者 あるいは羞恥心の報い ジャン・ポーラン
  秘密
  一 或る種の危険な書物について
  二 聖侯爵
  三 愛の驚き
  四 ジュスティーヌあるいはあたらしきオイディープス
  五 三つの謎
  六 三つの新しい謎
  七 サドの失望
  八 サド自身あるいは謎の心
  共犯者
  

サド侯爵の手紙
 I ヴァンセンヌにて
 II バスティーユにて
城の中のイギリス人 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ
三島あるいは空虚のヴィジョン マルグリット・ユルスナール
 
おんな おとこ ポール・ヴェルレーヌ
 序詩 冷たいと言われる女に 夫婦交換パーティ 短小を弁明する男らしい勇気のための八行詩 王者の趣味 街の女  ***夫人へ 香りの壺 上流社会の牧歌 民衆画 リリーへの恋文 リタのために
 舞踏場にて 降伏 大饗宴 茶臼 当然の讃辞 要約された教訓 おお、ののしるな 千三人 亀頭の歌  冷淡なひとに 逢引き 女みたいに乗ってくれ 少しばかりの糞 彼は気むずかし屋 シュミーズの色事 君が立っていなくても そのカフェーで 無邪気な十代の十行詩 おお、おれの恋人たちよ 尻の穴のソネット
ジャン・コクトー全集VII
 未亡人学校

澁澤龍彦コレクション1 夢のかたち
澁澤龍彦コレクション2 オブジェを求めて
澁澤龍彦コレクション3 天使から怪物まで
 マテュザラン 或いは永遠のブルジョワ イヴァン・ゴル
 自殺保険 イヴァン・ゴル
 クレール・オプスキュール(抄) ジャン・コクトオ
 腹の皮のよじれる話(抄) アルフォンス・アレ
  細工はりゅうりゅう
  哲学者
  単純な人々
  仔牛
  酒神祭尼を燃やせ
  ありふれた手段
 降誕祭夜話 アルフォンス・アレ
 乞食と竪琴 グザヴィエ・フォルヌレ
 カルタの奥義(抄) バルベエ・ドルヴィリイ
 エスカルブウクル ジャン・フェリイ 蘭京太郎訳
 ソドム百二十日 第一部(抄) マルキ・ド・サド
 幻想動物学提要(抄) ホルへ・ルイス・ボルヘス マルガリータ・ゲレロ
  ア・バオ・ア・ク
  アムピスバエナ(双頭蛇)
  鏡の動物
  球形の動物
  形而上学的な二つの動物
  カフカの夢みた動物
  ポーの夢みた動物
  地ならし
  ハルピュイアイ(女面鷲身獣)
  三本脚の驢馬
  ポイニクス(不死鳥)
  ロック鳥
  バハムート(怪魚)
  バジリスクス(怪蛇)
  ベヘモト(河馬)
  バロメッツ(植物羊)
  海馬
  ケルベロス(地獄の番犬)
  カトブレパス
  ケンタウロス

Draconia Web Project ドラコニア・ウェブ・プロジェクト †
澁澤龍彦の世界をwww上に分解/展開/再構築するプロジェクト
http://draconia.jp/

ヨーロッパの乳房
東西不思議物語
世界悪女物語
妖人奇人館
異端の肖像
幻想の肖像
黒魔術の手帖
毒薬の手帖
秘密結社の手帖
エロスの解剖
スクリーンの夢魔
女のエピソード

夢の宇宙誌
機械仕掛のエロス
思考の紋章学
マルジナリア
私のプリニウス
華やかな食物誌
記憶の遠近法
エピクロスの肋骨
幻想博物誌
裸婦の中の裸婦
少女コレクション序説
エロス的人間
アンドロギュヌスの神話
エロティシズム
フローラ逍遙
ふらんす怪談
滞欧日記
狐のだんぶくろ
胡桃の中の世界
都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト
高丘親王航海記
うつろ舟
ねむり姫
ドラコニア綺譚集
幻想の画廊から
悪魔の中世
世界幻想名作集

澁澤 龍彥(彥=「偐」の旁部分。以下、彦で代用)(しぶさわ たつひこ、本名、龍雄(たつお)、1928年(昭和3年)5月8日 - 1987年(昭和62年)8月5日)は、日本の小説家、仏文学者、評論家。別名に澁川龍兒、蘭京太郎、Tasso S.など。晩年の号に呑珠庵、無聲道人がある。

澁澤龍彦集成(全7巻)
ビブリオテカ澁澤龍彦(全6巻)
新編ビブリオテカ澁澤龍彦(全10巻)
澁澤龍彦全集(全22巻・別巻2)
澁澤龍彦翻訳全集(全15巻・別巻1)

2007年10月30日 (火)

澁澤龍彦の書いた文章

Draconia Web Project  ドラコニア・ウェブ・プロジェクト
澁澤龍彦の世界をWEB上に分解/展開/再構築するプロジェクト http://draconia.jp/

ヨーロッパの乳房
東西不思議物語
世界悪女物語
妖人奇人館
異端の肖像
幻想の肖像
黒魔術の手帖
毒薬の手帖
秘密結社の手帖
エロスの解剖
スクリーンの夢魔
女のエピソード

夢の宇宙誌
機械仕掛のエロス
思考の紋章学
マルジナリア
私のプリニウス
華やかな食物誌
記憶の遠近法
エピクロスの肋骨
幻想博物誌
裸婦の中の裸婦
少女コレクション序説
エロス的人間
アンドロギュヌスの神話
エロティシズム
フローラ逍遙
ふらんす怪談
滞欧日記
狐のだんぶくろ
胡桃の中の世界
都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト
高丘親王航海記
うつろ舟
ねむり姫
ドラコニア綺譚集
幻想の画廊から
悪魔の中世
世界幻想名作集

Shibusawa

澁澤 龍彥(彥=「偐」の旁部分。以下、彦で代用)(しぶさわ たつひこ、本名、龍雄(たつお)、1928年(昭和3年)5月8日 - 1987年(昭和62年)8月5日)は、日本の小説家、仏文学者、評論家。別名に澁川龍兒、蘭京太郎、Tasso S.など。晩年の号に呑珠庵、無聲道人がある。
アテネ・フランセに通ってフランス語を習得。神田の古書店街でダダイスムやシュルレアリスム関係の仏語の原書を渉猟し、アンドレ・ブルトンやジャン・コクトーに熱中。
浪人中のアルバイトで「モダン日本」誌(新太陽社)の編集に携わり、吉行淳之介の知遇を得た。久生十蘭の原稿を取りに行った事もある。
東京大学文学部1953年仏文科卒。卒論は『サドの現代性』。1954年、白水社から最初の訳書『大跨びらき』(ジャン・コクトー著)を上梓、初めて澁澤龍彦という筆名を使う。岩波書店で社外校正のアルバイトを始めると共に矢川澄子と知り合った。
1955年には友人の出口裕弘や野澤協、小笠原豊樹たちと同人誌「ジャンル」を結成、『撲滅の賦』『エピクロスの肋骨』などの小説を書いた。公式には、この『撲滅の賦』が小説家としての澁澤の処女作だったとされている。
1959年にマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え・続』を現代思潮社から翻訳出版したところ、1960年4月、同書が性表現を理由に発禁処分を受ける。
三島由紀夫から1960年5月16日付で「今度の事件の結果、もし貴下が前科者におなりになれば、小生は前科者の友人を持つわけで、これ以上の光栄はありません」との葉書を貰う。
1961年、猥褻文書販売および同所持の容疑で現代思潮社社長石井恭二と共に在宅起訴され、以後九年間に渡り所謂サド裁判の被告人となる。このときの特別弁護人に埴谷雄高、遠藤周作、白井健三郎、弁護側証人として大岡昇平、吉本隆明、大江健三郎、奥野健男、栗田勇、森本和夫など。澁澤はこの裁判について「勝敗は問題にせず、一つのお祭り騒ぎとして、なるべくおもしろくやる」との方針を立てていたため最初から真剣に争う気がなく、「寝坊した」と称して裁判に遅刻したことまであったため、弁護側から怒りを買うことがあった。
1962年に東京地裁で無罪判決が出たが、検事控訴で高裁から最高裁まで争った末、1969年に澁澤側の有罪が確定し、7万円の罰金刑を受けた。このとき澁澤はマスコミの取材に答えて「たった7万円、人を馬鹿にしてますよ。3年くらいは(懲役刑を)食うと思ってたんだ」「7万円くらいだったら、何回だってまた出しますよ」と語った。

20代の終盤、三島由紀夫の紹介で暗黒舞踏の創始者である、土方巽と出会い、その舞踏表現に強い衝撃を受けたと言う。土方の舞台公演には必ず駆けつけるなど長きに渡る親交が続き、1986年に土方が急逝した際には葬儀委員長を務める事となる。人間精神や文明の暗黒面に光を当てたエッセイが世間に与えた影響は大きい。小説家としても独自の世界を開く。エロチシズムを追究。また、沼正三のSM小説『家畜人ヤプー』を絶賛した事でも知られている。難解だといわれるバタイユ『エロティシズム』の邦訳の中でも、澁澤訳は読みやすいと定評がある。(『ジョルジュ・バタイユ著作集 第7巻』所収、二見書房)三島由紀夫と親交があり、三島の戯曲『サド侯爵夫人』は、澁澤の『サド侯爵の生涯』に影響を受けて書いたものとされているが、式場隆三郎の『サド侯爵夫人』を読んでいたことは間違いない。

1986年に下咽頭癌のため声帯を切除し声を失った。入院生活のさなかにも『高丘親王航海記』を書き継ぐと共に、次作『玉蟲物語』を構想していたが、1987年8月、病床で読書中に頚動脈瘤が破裂したため即死した。

澁澤龍彦集成(全7巻)
ビブリオテカ澁澤龍彦(全6巻)
新編ビブリオテカ澁澤龍彦(全10巻)
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2007年10月29日 (月)

クフのピラミッドの秘密

公差aの等差数列になるのはカフラーのピラミッドである。
x^2+(x+a)^2=(x+2a)^2, x=3a.

公比xの等比数列になるのがクフのピラミッドである。
1+x^2=x^4, x^2=(1+√5)/2. Pyramids_of_egypt

古代エジプトでは円周と直径の比から得られる値と、円の面積と半径の平方の比から得られる値が同じであることは知られていた。神官アハメスが書き残したリンド・パピルスには円積問題の古典的な解法の一つが記されており円の直径からその19を引いた長さを一辺とする正方形の面積と、元の円の面積が等しいとしている。この計算から円周率を計算すると、25681 ≒ 3.1605 が円周率の近似値として得られる。かなり精度が高かったものの普及はしなかった。リンド・パピルスはアハメスによって写されたものであり、内容自体はさらに紀元前1800年ごろにまで遡ると考えられている。

PI=3.

1415926535 8979323846 2643383279 5028841971 6939937510
5820974944 5923078164 0628620899 8628034825 3421170679
8214808651 3282306647 0938446095 5058223172 5359408128
4811174502 8410270193 8521105559 6446229489 5493038196
4428810975 6659334461 2847564823 3786783165 2712019091
4564856692 3460348610 4543266482 1339360726 0249141273
7245870066 0631558817 4881520920 9628292540 9171536436
7892590360 0113305305 4882046652 1384146951 9415116094
3305727036 5759591953 0921861173 8193261179 3105118548
0744623799 6274956735 1885752724 8912279381 8301194912
9833673362 4406566430 8602139494 6395224737 1907021798
6094370277 0539217176 2931767523 8467481846 7669405132
0005681271 4526356082 7785771342 7577896091 7363717872
1468440901 2249534301 4654958537 1050792279 6892589235
4201995611 2129021960 8640344181 5981362977 4771309960
5187072113 4999999837 2978049951 0597317328 1609631859
5024459455 3469083026 4252230825 3344685035 2619311881
7101000313 7838752886 5875332083 8142061717 7669147303
5982534904 2875546873 1159562863 8823537875 9375195778
1857780532 1712268066 1300192787 6611195909 2164201989

[πの部屋!] 円周率に関する情報ページ。円周率計算ソフト「スーパーπ」や計算の歴史、円周率1000万桁など記載 http://www1.coralnet.or.jp/kusuto/PI/

2007年10月28日 (日)

この世で2つだけ存在し続けるものは何か?

フランスの作家、詩人であるボリス・ヴィアン(Boris Vian, 1920年3月10日 - 1959年6月23日)。セミプロのジャズ・トランペット奏者としても名をはせ、余技として歌手活動もおこなった。『日々の泡(L'Écume des Jours)』、『北京の秋(L'automne à Pekin)』など前衛的な作風の小説で知られる。また1940年代後半に、脱走兵の黒人作家と称してヴァーノン・サリヴァン(Vernon Sullivan)のペンネームで通俗的で暴力的なハードボイルド小説を執筆していたことも知られている(ヴィアン自身は白人である)。ジャズ批評やアメリカ文学の紹介などの分野においても顕著な功績を残した。

Boris_vian

「ヴァーノン・サリヴァン」というアメリカ風のペンネームで発行されたハードボイルドスリラーの小説4作は、金を稼ぐために執筆された。中でもサリヴァン名義のデビュー作『墓に唾をかけろ(J'irais cracher sur vos tombes)』が有名である。

友人の出版業者から、当時フランスで流行り始めていたアメリカのハードボイルド小説を翻訳するよう依頼されたヴィアンは、「翻訳するぐらいなら俺が自分で書く方が速い」と『墓に唾をかけろ』を短期間で「でっち上げ」、韜晦趣味の表れから黒人脱走兵を名乗って出版させた。差別者である白人への憎悪に燃える黒人青年の残虐な復讐を描いた物語は、大衆からは好評を得たが、俗悪な暴力小説として糾弾されて裁判沙汰に発展するなど、作品としての評価以外でセンセーショナルな名を売った。結局裁判に敗訴したヴィアンは、『墓に唾を描けろ』の発行部数(100,000部)に比例して、100,000フランの罰金を科せられてしまう。その後も、ヴィアンの過激な通俗作品は、たびたび出版禁止の措置が取られた。パリのホテルで売春婦の残虐な死体が発見され、死体の傍にこの本があった事も起因となっている。

一方、ヴィアン名義では、みずからが本命とする前衛的な作品(『心臓抜き(L'Arrache Coeur)』や『赤い草(L'Herbe Rouge)』、『北京の秋(L'automne a Pekin)』)を次々に発表していった。そして、後世の批評家がヴィアンの最高傑作と見なす恋愛小説『日々の泡(L'Écume des Jours)』も執筆している。1946年に発表された『日々の泡』ではプレイヤード文学賞を狙うも、最終選考で惜しくも落選した。このことに象徴されるように、ヴィアン名義の作品は一般からも注目されず、評論家からも酷評を受けた。この間に標準化協会を退職し、文筆業で生活していくことになった。

ヴィアンは、フランスで初めてレイモンド・チャンドラーの翻訳を手がけた功績でも知られる。アメリカの風俗をもっともらしく描写したサリヴァン名義の作品からも伺えるように、その当時のフランスでは珍しく、ヴィアンはアメリカの大衆文化に精通していた。

Jazzonv
[ ジャズ・トランペット奏者として]
成果が得られない長編小説の創作活動に嫌気がさしていたヴィアンは、劇や短編小説や歌などの創作に熱心になる。1958年のダリウス・ミヨーとのオペラフィエスタでの共演など、玄人はだしの活躍ぶりを見せた。ヴィアンは、パリのサン・ジェルマン・デ・プレの「タブー(Tabou)」というクラブでよく演奏していた(現在、そのクラブは潰れてしまって存在しない)。当時、ヴィアンは詩の中でも「trompinette」と親しんで呼んでいたポケット・トランペットで演奏していた。ヴィアンのもっとも有名なシャンソン作品は、インドシナ戦争中に作詞された反戦歌『脱走兵(Le deserteur)』(作曲:H.B.ベルグ Harold Bernard Berg)である。この歌はフランスの人々に広く愛唱されたが、当時ラジオでの放送禁止曲ともなった。ヴィアンの歌は、セルジュ・レジアニ、ジュリエット・グレコ、ナナ・ムスクーリ、イヴ・モンタン、マガリ・ノエル、アンリ・サルヴァドールなど様々なアーティストにカバーされている。セルジュ・ゲンズブールなどは、「ステージ上でボリス・ヴィアンに出会ったことで、自分も腕試しに作曲をしてみようと思った」と述べている。

ジャズ・ファンだったヴィアンは、デューク・エリントンやマイルス・デイヴィスなど、パリを訪れたジャズ・アーティストたちとフランスとの橋渡し的な存在として活動した。また、フランスのジャズ雑誌(『ル・ジャズオット』や『パリ・ジャズ』など)にフランスとアメリカ双方のジャズを扱った数多くの評論を執筆した。しかし、概して黒人のジャズこそを本物のジャズと見なす傾向が強く、白人のジャズプレイヤーには辛辣な批評を示した。ヴィアンは、生涯アメリカを訪れたことはなかったが、アメリカへのあこがれは強く、ジャズとアメリカを扱った題材が作品の大部分を占めている。
ヴィアンは、長年心臓に欠陥を抱え、不整脈に苦しんでいた。トランペットを吹くことは心臓病を抱えたヴィアンには危険なことだったが、かれ本人は意に介していなかった。むしろ自分で「40になる前に死ぬよ」と常々語っており、短命を予感していたようである。

1959年6月23日の朝、論争の的となっている映画化された『墓に唾をかけろ(J'irai cracher sur vos tombes)』の試写会のため、ヴィアンはシネマ・マルブッフの館内にいた。ヴィアンはプロデューサーと作品の解釈を巡り、何度も衝突してきた。そして、その日もエンドロールで流れる制作関係者名から自分の名を外したがったヴィアンは、この映画を公然と非難した。映画が始まって数分後、伝えられるところによると、ヴィアンはこのように口を滑らせたと言われている。「こいつらはアメリカ人になったつもりなんだろうか? 馬鹿にしやがって!」その直後、急な心臓発作に見舞われたヴィアンは座席に倒れ込み、病院へ搬送される途中に息を引き取った。僅か39歳での死であった。

ヴィアンの文学作品は、ジャズに対する愛情と密接に結びついていた。『日々の泡(L'Ecume des Jours)』の序文で、ヴィアンはこのように書いている。
「この世で2つだけ存在し続けるものは何か? それは可愛らしい少女と一緒にいて感じるような愛、そして、ニューオーリンズとデューク・エリントンの音楽だけである。それ以外のものは全て消え去るべきである。ただ、ただ醜いだけなのだから……」
ヴィアンはその文章のなかで、音楽に対する想いと文学に対する想いを同時に表現したのである。

批評家たちは、『日々の泡(L'Ecume des Jours)』で、ヴィアンの独創的な、遊び心のある言葉の言い回しは、プロットとキャラクターといった物語一般の要素を補填する四次元的な手段を構成している、と論評している。この作品は、レイモン・クノーに「今までのラブストーリーで、これほど最も胸の痛む悲痛な現代的なラブストーリーは見たことがない」とまで言わしめた作品でもある。しかしながら、そういったヴィアンの特徴的な調子や気風や文章の魅力を翻訳時にその意味を捕らえ直す場合、翻訳者は直面する困難な壁がある。たとえば、ヴィアンの作品を英語に翻訳する場合、英語特有の比較的不明瞭さが翻訳の困難さを生み出していると考えられる。"L'ecume"は、英語で「泡」「あぶく」「しぶき」を意味する。しかし、"l'ecume des jours"という表現では、「奇妙で不自然な作り話」というような意味になってしまう。これが典型的なヴィアンの文学的な側面であり、超現実主義的な感触である。

映画『うたかたの日々』(原題:L'ecume des jours) 1968年フランス。監督:シャルル・ベルモン、主演:ジャック・ペラン、マリー・フランス・ピジェ
『ボリス・ヴィアンの憤り』 1981年日本。パンク・ロック歌手の町田町蔵による楽曲。 
『日々の泡』は、日本で原作を元に漫画化および映画化されている。
『うたかたの日々』(1994年)、岡崎京子により漫画化
『クロエ』(2001年)監督:利重剛、主演:永瀬正敏、ともさかりえ

Boris Vian ボリス・ヴィアン ワーズワースの冒険 2 分 22 秒 http://www.youtube.com/watch?v=tkia4fjVAbs

2007年10月27日 (土)

粋な詩人プレヴェールの残したものは

『割れた鏡』 Jacques Prévert

  たえまなく小人が歌っていた
  ぼくの頭のなかで小人が唄っていた

  青春の小人が
  短靴の紐をぷっつり切った
  祭りの小屋のいっさいが
  とつぜん跡かたもなくなった

  この祭りの沈黙のなか
  この祭りの砂漠のなか
  ぼくは聞いた きみの好ましい声
  きみの裂かれたかぼそい声
  子供っぽいひとりぽっちの声
  遠くからぼくを呼ぶ声
  ぼくは胸に手を当てた
  そこには
  血にまみれゆれ 動いていた
  星をちりばめた きみの笑いの ガラスの破片が 七つ
Jacques_prvert      

ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)1900年2月4日 - 1977年4月11日
フランス出身の詩人、脚本家。 映画「天井桟敷の人々」、アニメ「王と鳥」(原題「やぶにらみの暴君」)の脚本を手がけた。またシャンソンの名曲枯葉(枯れ葉)(Les Feuilles mortes)の作詞を手がけるなど、幅広く活動した。
日本では最近、高畑勲による翻訳や映画「王と鳥」の公開などによって、注目を集めている。粋な詩人の残したものは、詞だけではなかった。

2007年10月26日 (金)

フェリーニのスケッチ

Otto_e_mezzo_19621 Otto e mezzo 1962

2007年10月25日 (木)

「8½ 」(原題:Otto E Mezzo)

1963年製作イタリア映画。映画監督を主人公にしたフェリーニの自伝的作品。モノクロ映画。
監督 フェデリコ・フェリーニ   製作 アンジェロ・リッツォーリ
脚本 フェデリコ・フェリーニ /トゥリオ・ピネッリ/エンニオ・フライアーノ/ ブルネッロ・ロンディ
音楽 ニーノ・ロータ
撮影 ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ   編集 レオ・カトッソ
公開 1963年2月15日  上映時間 132分   製作国 イタリア・フランス
[出演]
マルチェロ・マストロヤンニ:グイド・アンセルミ
アヌーク・エーメ:ルイーズ・アンセルミ
クラウディア・カルディナーレ:クラウディア
サンドラ・ミーロ:カーラ
バーバラ・スティール:バーバラ

Ottib_c Otto_e_mezzo
[内容]
湯治のため温泉地へ滞在する映画監督には企画のみが先行する次回作がある。
出資者・脚本家・女優たちに囲まれながら、いまだ映画の構想すら思い浮かばない彼は、苦悩の日々を送る。罵倒する言葉たちによって囚われる映画監督。
「最大の欠点は基本構想の欠如。思想性も無い。意味の無いエピソードの羅列だ。」「曖昧なリアリズムは面白いが、君の狙いはなんだ。観客を恐がらせることか。」 「前衛映画としての長所も無く、その欠点のみを持っている。」 「独りよがりは困る。観客にわかる映画でないと。」 「こんな発射台に8000万リラもかけるなんて。書割で十分だ。」
発案も出来ない苦しみは誰一人にも理解されないままであった。 美しい女性たちに囲まれ、温泉から吹き出す硫黄の煙りに包まれながら、監督は自分の心の中を彷徨う。少年時代の思い出を振りかえり、幻想のハーレムに身体を横たえるうちに、彼は混沌の深みから恢復していく。

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ニーノ・ロータの音楽を背景にしながら語られる、監督フェーリニの分身はマルチェロ・マストロヤンニ演じて、癒しにも似た爽快感で満たしてくれる。主人公の心象が映像として具現化される、白黒映画ならではの画面構築がすばらしく美しい。
言葉による物語スタイルや粗筋の類は一切ない。人物やセットの配置、カメラワークやアングルによる快感こそが言語の世界より飛び立つものであった。そけは提示されるワンシーン、ワンシーンが映画ならではの感覚によって呼び覚まされる。何もない地平からフェリーニは魔術師のように、唯一無比の手法で誰もが観たこともない目も眩む映画を作り出したのだった。
タイトルになっている[8 1/2](はっかにぶんのいち)とは、フェリーニ作品にとって第八作目の途中という映画ということらしい。 
 
1963年アカデミー賞外国語映画賞、アカデミー衣裳デザイン賞、 ニュ-ヨーク批評家協会賞外国映画賞

フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920年1月20日 - 1993年10月31日)

イタリアの映画監督、脚本家。映像の魔術師の異名を持つ。

1920年、北イタリアの小都市リミニで生まれる。子供の頃、厳格な神学校に入れられたが、9歳のある日、脱出してサーカス小屋に入り込み、一夜を過ごした事があった。やがて連れ戻されたが、このサーカス団のイメージは「道」やその他後年の諸作品に繰り返し出て来る。15歳の時には、同時代のビアキンナという少女とボローニャまで逃げた事もあり、"放浪"は彼の人生に付き物であり作品に不可欠の要素となっている。

小さい頃から様々なことに興味を持つ多感な少年で、カリカチュア(漫画、風刺画)の才能があり、それがもとで映画館のポスターの仕事をして無料で映画を見るようになる。様々なアメリカのコメディ映画に憧れたフェリーニは、19歳の時にローマに出てきて漫画を描いたり、詐欺師やペテンをやり首都で食い詰めると名優アルド・ファブリッツィ一座の座付作者として地方巡業に出た。ラジオ・ドラマも書くようになり、出演した女優ジュリエッタ・マシーナと結婚。ロベルト・ロッセリーニ監督の映画『無防備都市』のシナリオに協力して映画業界に入る。イタリア・ネオリアリスモ映画を世界に知らしめた記念碑的作品となった。

『寄席の脚光』(1950年)でアルベルト・ラットゥアーダとの共同監督。1952年の『白い酋長』で単独監督。この作品で音楽監督として起用されたニーノ・ロータは、『オーケストラリハーサル』に至るまでのすべてのフェリーニ作品で音楽を手がける。三作目となる『青春群像』(1953年)では故郷の街とそこで生きているどうしようもない青年達の姿を描いてヒットしてネオリアリスモの若き後継者として注目された。ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。続く『道』(1954)では甘美なテーマ曲と物語の叙情性とヒューマニズムから世界的なヒット作となり、フェリーニの国際的な名声が確立する。

ネオリアリスモ的作風に変化が現れるのは『甘い生活』(1959)からである。退廃的なローマ社会を描いたこの作品はフェリーニの力強い社会批判であるが、ヘリコプターで吊るされた巨大なキリスト像の冒頭シーンや、河から引き上げられた怪魚のラストシーンに顕著なように、ストーリーの随所にシンボルが配置されて独特の映像感覚が発揮される。この手法は『8 1/2』(1963)で極度に推し進められ、「映画が撮れなくなった映画監督」の話を借りてフェリーニの内面が赤裸々かつ高度なシンボル的映像表現で綴られることになる。

その後もチネチッタ・スタジオに巨大なセットを組み、『サテュリコン』『カサノバ』『オーケストラ・リハーサル』『女の都』『アマルコルド』『そして船は行く』など、重層的で夢幻の広がりを与える手法を駆使した作品群を立て続けに監督。いつしか世界の映画製作人から「魔術師」の異名で呼ばれることになる。
『道』『カビリアの夜』『8 1/2』『フェリーニのアマルコルド』で4度のアカデミー賞外国語映画賞を、1992年にはアカデミー賞名誉賞を受賞。『甘い生活』ではカンヌ国際映画祭・パルム・ドールを受賞。20世紀の映画監督として十指に必ず入る巨匠である。
妻のジュリエッタ・マシーナは駆け出し時代の彼のラジオドラマに出演し、『道』『カビリアの夜』『魂のジュリエッタ』『ジンジャーとフレッド』などにも主演した。

『フェリーニのローマ』では、ローマ外環道路の交通渋滞を撮影するのに、わざわざ屋内セットを作ったというぐらいに中期以降のフェリーニはスタジオ撮影にこだわった。セット撮影を排したネオリアリスモ映画を出発点としながら、巨大なセット撮影を駆使して人工美の世界を構築したという点で、やはりネオリアリスモ映画出身だったルキノ・ヴィスコンティと並び称されることも多い。だが、本物の貴族出身だったヴィスコンティの華麗な絵作りに対してフェリーニの作品にはモダンアートの明るさと庶民的な俗っぽさが満ち溢れている。黒いビニールシートで表現された「海」(『アマルコルド』『そして船は行く』『カサノバ』など)はその典型だろう。こうした絵画的感覚についてはイタリア・オペラの伝統を指摘する声もある。また、フェリーニ映画には巨乳巨尻の女性が多く出てきて「フェリーニ的」画面を構成する。猥雑な女たちの娼館や道化師のサーカスはフェリーニのお得意素材である。

『8 1/2』以降の作品はとかく「難解」との世評がつきまとうが、他の「難解な」映画監督とくっきりと異なるのはその楽天的な世界観だろう。ペシミズムも語られはするが、基本にあるのは生きていく意志である。『8 1/2』のラストシーンでの有名な台詞「人生は祭りだ。一緒に楽しもう」はそれを端的に言い表している。それは『道』の中で悲惨な境遇にあるヒロインに向かって語られた「どんな物でも何かの役に立っている。この石ころだって」という台詞から一貫したフェリーニのヒューマニズムでもある。

Federico_fellini
[フェデリコ・フェリーニ 監督作品]
「寄席の脚光」Luci del varieta (アルベルト・ラットゥアーダと共同監督、1950)
「白い酋長」Lo Sceicco bianco (1952)
「青春群像」I Vitelloni (ヴェネチア国際映画祭 サン・マルコ銀獅子賞を受賞、1953)
「結婚相談所」Un'agenzia materimoniale (オムニバス映画「巷の恋」Amore in citta`より、1953)
「道」La Strada (ヴェネチア国際映画祭 サン・マルコ銀獅子賞、アカデミー賞外国語映画賞を受賞、1954)
「崖」Il Bidone (1955)
「カビリアの夜」Le Notti di Cabiria (アカデミー賞外国語映画賞、カンヌ国際映画祭女優賞などを受賞、1957)
「甘い生活」La Dolce vita (カンヌ国際映画祭パルム・ドール、NY批評家協会賞外国映画賞を受賞、1959)
「誘惑」Le tentazioni del dottor Antonio (オムニバス映画「ボッカチオ'70」 Boccaccio'70より、1962)
「8 1/2(はっかにぶんのいち)」8 1/2(Otto e mezzo) (アカデミー賞外国語映画賞、NY批評家協会賞外国映画賞を受賞、1963)
「魂のジュリエッタ」Giulietta degli spiriti (ゴールデン・グローブ外国映画賞、NY批評家協会賞外国映画賞を受賞、1965)
「悪魔の首飾り」Toby Dammit (オムニバス映画「世にも怪奇な物語」Tre passi nel delirioより、1968)
「サテリコン」Fellini-Satyricon (1969)
「フェリーニの道化師」I Clown (1970)
「フェリーニのローマ」Roma (1972)
「フェリーニのアマルコルド」Amarcord (アカデミー賞外国語映画賞、NY批評家協会賞作品賞を受賞、1973)
「カサノバ」Il Casanova di Federico Fellini (1976)
「オーケストラ・リハーサル」Prova d'orchestra (1979)
「女の都」La Citta delle donne (1980)
「そして船は行く」E la nave va (1983)
「ジンジャーとフレッド」Ginger e Fred (1985)
「インテルビスタ」Intervista (モスクワ映画祭グランプリ受賞、1987)
「ボイス・オブ・ムーン」La Voce della luna (1990)

フェデリコ・フェリーニweb
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/3008/fellini_top.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~UZ9Y-AB/fellini.htm

2007年10月24日 (水)

コルタサル短篇集『悪魔の涎・追い求める男』(岩波文庫)

ブエノスアイレスの幻想作家 コルタサル,フリオ(Cort´azar,Julio)といえば、長編小説「懸賞」('60年)、「石蹴り遊び」('63年)でラテンアメリカ文学界の旗手として知られている。
一定の時間的な広がりのなかで展開していく小説が映画へなぞられるならば、限られた空間のなかで物語を展開させなければならない短編は、優れた写真に似ている。映像というのは限られた枠の中で現実の断片を切り取るものだが、それを見ている人の前で拡散してダイナミックなヴィジョンとなって、日常より遥かに広がりのある現実を開示させなければならない。

「意味深いイメージをを選び出すと、それだけを映すか語ることになる。出来事はそれ自体価値のあるものであり、映像もしくは言葉によって語られている挿話をはるかに越えたところへ、観る人読む人聴く人の知性と感受性を向かわせる導入口、増幅装置としての役割を果し得るようなものでなければならない」

そのような考えを短編作品にしたのが「悪魔の涎」である。
夕暮れの公園で何気なく撮った逢引とおもわれた写真、日常として捉えていたものを拡大現像していくと、非日常としての殺人が印画紙に写されていた。そこへ現実と非現実の交錯する不可思議な世界が生まれ、恐怖の導入口へ立たされ恐ろしい増幅装置が作動してゆく。殺人現場の写真のネガを捜す組織の女。想像は底なしの深さで身震いするし、やがて犯人は撮影者を狙うだろう。
ヌーヴェルバァーグ台頭していた映画界では、監督のミケランジェロ・アントニオーニが「悪魔の涎」を読んで触発されて『欲望』(Blow-Up)を製作した。プロモーションビデオもなかった時代なので、ジェフ・ベックとジミー・ぺィジがツィンリードギターで演奏しているヤードバーズのLiveシーンが観れると、映画館やフィルムイベントへかけつけたものだった。映画としては2時間近くもあるが、40分程度にVTR編集して観たほうがプロットの骨組みを浮立たせるという実験をしたことがある。それはコルタサルの考えた映像コンセプトに近いもので、全体が解りやすく刺激的な映画となった。映画『欲望』(Blow-Up)に焚付けられ好きな作品なのにストーリィー解説がうまくできずにいるwebページが多く在る。この物語は日常と非日常の境界ラインに立つギリギリの心理にあり、幻想として扱われてしまうとコルタサルの考えたゾッとする戦慄は奔らないだろう。
「続いている公園」「夜、あおむけにされて」「正午の島」は現実と虚構の境を描く佳作。「パリにいる若い女性に宛てた手紙」は口から子兎を生み続ける男の話。アッシャー家の崩壊を想わせる「占拠された屋敷」。薬物への耽溺とジャズの即興演奏のなかに彼岸を垣間見るサックス奏者を描いた「追い求める男」。「南部高速道路」は何日も続く道路渋滞に巻き込まれて前後左右の車との間にコミューンを形成していく。ゴダールを連想する傑作「すべての火は火」。
斬新な実験性でシュルレアリズムの方法を現在ある時空の中で活用した、独自の物語位置を占めるコルサタルの10の短編は、映画の原案10本分のテキストが内包されている。

【代表的テキスト、年譜、肖像写真はじめコルタサル自身による作品の朗読】http://www.juliocortazar.com.ar/

映画『欲望』(Blow-Up)関連web
http://plaza.rakuten.co.jp/ekatocato/8000
http://blind.zombie.jp/blog/archives/000052.html
http://www6.plala.or.jp/khx52b/movie/directer-index/antonioni.html
http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_review_new/jap_review_blowup.html
http://www4.ocv.ne.jp/~take/movie/zmovie/yokubou/yokubou.html

欲望 (1966)映画 BLOWUP

上映時間 111分 製作国 イギリス/イタリア 劇場公開(MGM) 初公開年月 1967/06/
監督: ミケランジェロ・アントニオーニ
製作: カルロ・ポンティ
原作: ジュリオ・コルタザール
脚本: ミケランジェロ・アントニオーニ
トニーノ・グエッラ
エドワード・ボンド
撮影: カルロ・ディ・パルマ
音楽: ハービー・ハンコック
出演: デヴィッド・ヘミングス ヴァネッサ・レッドグレーヴ サラ・マイルズ ジェーン・バーキン
Blowup_3

【解説】  『赤い砂漠』や『砂丘』で知られる巨匠、ミケランジェロ・アントニオーニ監督がイギリスに渡って作り上げたサスペンス。
オリジナルタイトルは「BLOW UP」。写真現像する際にネガを引伸ばす作業を示した意味で、映画の中でもその行為は物語を理解する重要な鍵である。みなれた日常にある一コマが気がかりとなって、引伸ばしてみると見えてはいけなかった世界が広がっていく。ロンドンの若者の文化やファッションを大胆に色彩豊かに描き、次第に不条理劇の様相を呈して、現実と虚構の境界線を見据える異色スリラー。 謎ときの手がかりは言葉にはなく、映像と比喩がそのすべてである。スタイリッシュなサスペンス不条理劇で、モード感覚あふれた美術や衣装や音楽などのセンスがすばらしくカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した問題作。
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へミングス演ずる主人公はロンドンの人気カメラマン。野心家風の動物的な色気を身にまとっていて、既に若くして地位も名誉も財も手に入れいている。街の中心に大そうなスタジオを構え、複数のアシスタントと性的な相手も努めるモデルたちに囲まれながら、そんな連中にも飽き果てて、高級車で街中を自由気ままに飛ばしながら、突発的に写真を撮りまくっている。

ある時何気なく入り込んだ公園で、有名女優の密会を発見しカメラ撮影する。やがて女優が執拗に写真を追い求めてくる。
「写真が人目に触れたら自分は苦境に陥ってしまう」とネガの返還を迫られた。女優ジェーンと不思議なひと時を過ごした後、別のネガを彼女に渡す……。
―ジェーンが去った後、トーマスは件のネガ・フィルムを現像し始める。トーマスはプリントを眺めながら何か怪しげな影が写っているのに気付き…黙して見詰める。何なのだ…引き伸ばしたプリントを一人眺める、指を当てて…ジェーンの視線の先の茂みを辿る…さらに、引き伸ばす。途中から、観客もピストルを持った男が、そして別のネガから引き伸ばしたプリントには死体めいたものが横たえられている。

彼の撮った写真にはセレブのランデブーとは違う事実が映されていた。パズルのように写真をならべ再構成してゆくと、別のドラマが隠されていたのだった。まさに「暗殺の現場」にいたことを撮影した写真には物語っていた。 
写真はありのままの現実を写し出して、カメラマンは問題の真相へと引き込まれていく。

殺人の確証となる死体を捜しにカメラマンは再度公園を訪れる。明かりが消えてしまった公園ではもう何も見つかることはない。
別のネガを彼女に渡されたと知った何者かが、スタジオの写真とネガを消してしまった。
「暗殺の現場」にいたと知ったカメラマンは、暗殺した者たちから追われてライブハウスへ逃げ込んだ。
紛れ込むんだのはヤードバーズのコンサートである。MTVもPVもなかった時代だったので、ジミーペィジとジェフ・ベックがツインリードギターで「STROLL ON」を演奏する映像を見たくて映画館へいった人もいた。
演奏中のジェフ・ベックがアンプの調子が悪くて、ギターをぶつけてぶっ壊し観客に投げつける。何の意図もなく観客席に投げつけられたギターの破片にモッズ族たちは奪い合う。しかし、コンサート会場を一歩外に出れば只のゴミ、あっさりと路上に捨て去られ拾う者もいない。

公園には冒頭登場したヒッピーのパントマイム集団が再び現れて、あるはずのないボールでテニスを始める。柵を越えて飛んできたボールの存在をカメラマンは感じて、コートにボールを投げ返すと無言で仮想テニスを続けるパントマイマーたち。
やがてカメラマンにはボールを打ち合う音が耳に聞こえてくる。
そして死体もテニスも実際にそこにあったわけではないと思えてくるのだった。 死体も写真もネガも何もかも消滅してしまい、謎のままになるんだろう。空虚な笑いがこみあげてくるカメラマンは、初めから「この世界には自分もいなかったのではないか」という想いに捕らわれるのだった。 FIN

映画『欲望』(Blow-Up)関連web
http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_review_new/jap_review_blowup.html
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2007年10月23日 (火)

ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard )

ヌーヴェルヴァーグの旗手。フランス・スイスの映画監督。欧州のみならず世界レベルで最も重要な映画作家の1人。
1930年12月3日、フランス・パリに生まれる。子ども時代をスイス・ヴォー州ニヨンで過ごす。
1948年、両親の離婚によりパリへ戻り、リセ・ロメール校に編入、その後ソルボンヌ大学に進学(のちに中退)。またこの年、モーリス・シェレール(エリック・ロメール)の主催する「シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン」に参加、ジャック・リヴェット、フランソワ・トリュフォー、ジャン・ドマルキらと出会う。
1949年、ジャン・コクトー、アンドレ・バザン主催「呪われた映画祭」に参加。
1950年5月、モーリス・シェレール編集『ラ・ガゼット・デュ・シネマ』創刊(同年11月廃刊)、執筆参加(ハンス・リュカス名義)。またこの年、ジャック・リヴェットの習作短編第2作『ル・カドリーユ』に主演する。
1951年4月、アンドレ・バザン編集『カイエ・デュ・シネマ』創刊、のちに執筆に参加。また同年エリック・ロメールの習作短編第2作『紹介、またはシャルロットとステーキ』に主演する。
1954年、習作短編第1作『コンクリート作業』を脚本・監督。1958年までにトリュフォーとの共同監督作品『水の話』を含めた数本の短編を撮る。
1959年、ジョルジュ・ド・ボールガール製作『勝手にしやがれ』で長編映画デビュー。翌1960年公開され、ジャン・ヴィゴ賞、ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞。

シネフィルとして数多くの映画に接していた若かりし日のゴダールは、シネマテーク・フランセーズに集っていた面々(フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、ジャン=マリ・ストローブ等)と親交を深めると共に、彼らの兄貴分的な存在だったアンドレ・バザンの知己を得て彼が主宰する映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」に批評文を投稿するようになっていた。すなわちゴダールは、他のヌーヴェルヴァーグの面々、いわゆる「カイエ派」がそうであったように批評家として映画と関わることから始めたのだった。

数編の短編映画を手掛けた後、先に映画を制作して商業的な成功も収めたクロード・シャブロル(『美しきセルジュ』『いとこ同士』)やフランソワ・トリュフォー(『大人は判ってくれない』)のように、受け取る遺産も、大手配給会社社長の岳父もいないゴダールは、プロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールと出会うことで、長編処女作『勝手にしやがれ』でやっとデビューできた。公開されるや、一躍スターダムにのし上がる。ジャン=ポール・ベルモンドが演ずる無軌道な若者の刹那的な生き様という話題性のあるテーマもさることながら、即興演出、同時録音、自然光を生かすためのロケーション中心の撮影など、ヌーヴェルヴァーグ作品の特徴を踏襲しつつも、物語のスムーズな語りをも疎外するほどの大胆な編集術(ジャンプカット)とそこから醸し出される独自性とが非常に評価されたのだった。

Godard ジーン・セバーグが演じた主演女優には、ゴダールは当初は片思い状態で思慕していたアンナ・カリーナを想定していたが、本人の拒絶によりこのことは実現しなかった。しかし『勝手にしやがれ』の成功を背景として2人の関係は親密なものとなり、1961年に結婚。以降アンナ・カリーナは前期におけるゴダール作品の多くの主演女優を務めることになる。

長編第2作である『小さな兵隊』以降、1967年の『ウイークエンド』を1つの頂点として商業映画との決別を宣言する中期に至るまで、1年に平均2作程度という比較的多作なペースで作品を制作し続けるが、多分にスキャンダラスな物語設定や扇情的な数々の発言により、大ヒットとは言えないまでもコンスタントなヒットを続け、ゴダールは名実ともにヌーヴェルヴァーグの旗手としての立場を固めていった。

前期のゴダール作品は、ヌーヴェルヴァーグの基本3要素(即興演出、同時録音、ロケ撮影中心)とはっきりとしない物語の運び以外には、一見すると共通項の少ない多彩な商品群となっている。題材もアルジェリア戦争(『小さな兵隊』)、団地売春の実態(『彼女について私が知っている二、三の事柄』、1966年)、SF仕立てのハードボイルド(『アルファヴィル』、1965年)と広範囲に及んでおり、ほぼ一貫して男女の恋愛劇を描き続けたトリュフォーと比べるとその多彩さは明らかである。

またカメラワークやフレーミングといった映画の技術的/話法的な要素についても、1作ごとに場合によっては同じ作品の中でも異なったトーンが用いられており、この多彩さこそが前期ゴダールの特長であると言えよう。しかし、別な観点から見るならこれらの作品は、「分断と再構築」という2つの機軸によって構成されているという点においてはある種の統一感で貫かれており、事実、表面的な作風が異なる中期や後期に至るまで「分断と再構築」こそがゴダール作品の基底を成している。また、前期においては「映画内映画」の要素を積極的に取り入れていたことも大きな特徴となっている。『軽蔑』(1963年)のように映画の制作自体を作品としたものから、『気狂いピエロ』(1965年)における主演のジャン=ポール・ベルモンドがスクリーンを見ている観客自身に語りかけるような話法に至るまで、様々な「映画内映画」の要素が盛り込まれ、こうしたメタ映画的な構成の目新しさもゴダール人気を煽る一因となっており、一時ゴダール風と言えば映画の「内」と「外」とを意識的に混在させる手法と受け取られたことすらあった[要出典]ほどである。しかし、一般的にはファッションとして受け取られることが多かった[要出典]メタ映画の構造も「分断と再構築」と並んでゴダール(作品)の根本的に重要な要素であり、後期においてそれが更に深化されることになる。

Pierrot_le_fou_ ジャン=ポール・ベルモンドの爆死をクライマックスとする『気狂いピエロ』の大ヒット以降、パリ五月革命に向かって騒然とし始めた世相を背景に、ゴダールの作品は政治的な色合いを強めていく。『小さな兵隊』がアルジェリア戦争を揶揄してのものであったことからもわかる通り、ゴダールは初期のころから政治に対する志向が強く、政治的なテーマや題材をあまり取り上げることがなかった他のヌーヴェルヴァーグの作家達とはこの点においては一線を画していた。

1967年8月に、ゴダールはアメリカ映画が世界を席巻し君臨することを強く批判すると同時に、自らの商業映画との決別宣言文を発表した。『われわれもまた、ささやかな陣営において、ハリウッド、チネチタ、モスフィルム、パインウッド等の巨大な帝国の真ん中に、第二・第三のヴェトナムを作り出さねばならない。 そして、経済的にも美学的にも、すなわち二つの戦線に拠って戦いつつ、国民的な、自由な、兄弟であり、同志であり、友であるような映画を創造しなくてはならない。』(『ゴダール全集』4巻より宣言文、1968年刊)
パリ五月革命の予言もしくは先取りであるなどと言われる、マオイズムをテーマとして取り上げた『中国女』(1967年)において既に政治的な表現の傾向が顕著になっていたが、ゴダールを本当の「政治の時代」へと踏み入らせる直接のきっかけとなったのは1968年の「カンヌ国際映画祭粉砕事件」だった。
この事件をきっかけとしてゴダールの周囲や各々の政治的な立場・主張に亀裂が入り、作家同士が蜜月関係にあったヌーヴェルヴァーグ時代も事実上の終わりを告げるに至った。プライベートにおいても女優アンナ・カリーナと1965年に破局が決定的になり、『中国女』への出演を機に1967年にアンヌ・ヴィアゼムスキーがゴダールの新たなるパートナーとなった。
『ウイークエンド』(1967年)を最後に商業映画との決別を宣言し『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画に復帰するまで、政治的メッセージ発信の媒体としての作品制作を行うようになる。
自身が商業的な価値を持たせてしまった「ジャン=リュック・ゴダール」の署名を捨てて、「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗って活動を行う(1968年 - 1972年)。ソビエトの映画作家ジガ・ヴェルトフの名を戴いたこのグループは、ゴダールとマオイストの政治活動家であったジャン=ピエール・ゴランを中心とした映画制作集団であり、この時期のパートナーであるアンヌ・ヴィアゼムスキーもメンバーとして活動に加わった。反商業映画イコール政治映画という図式で語られがちであるが、この時期のゴダールの政治的な映画といってもそれは旧来の政治的プロパガンダの映画とはまるで違い、映画的思考というものの変革を信じ、目指した彼にとって極めて純粋な映画運動であった。1972年、『ジェーンへの手紙』完成をもって同グループは解散、ゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィルとのパートナーシップ体制に入る。かつて、映画の父エイゼンシュタインは、映画は概念を表現することが出来るものであり「資本論」の映画化さえも可能であるといった。

前期のゴダールが一言で言えば躍動感と瑞々しさとを特徴とするのに対し、中期のゴダール作品は映画を政治的なメッセージ発信の手段にした為、映像表現は禍々しいものへと変化していった。前期においても文字や書物からの引用は行われていたが中期においてはそれが更に顕著なものになり、膨大な映像の断片と文字、引用(スローガン、セリフ、ナレーション)とが目まぐるしく洪水のようにあふれ、詰込まれた作風が特徴とされる。しかし、中期においてもゴダールは映画を単なるメッセージ発信のための手段として利用するのではなく、映画で何が可能なのか(そして何が不可能なのか)を自省しつつ作品を作り続けていた。例えば中期の皮切り作品と言えるオムニバス映画『ベトナムから遠く離れて』(1967年)において、クロード・ルルーシュを始めとする他の監督たちがデモのドキュメンタリーや反戦活動家のメッセージといった直接的な反戦運動を取り上げていたのに対し、ゴダールはパリにおいてカメラを操作する自分自身をカメラに捉え、ベトナムに関する映画を制作することに関する自問自答を延々と撮し続けている。

ローリング・ストーンズが出演し、アルバム『ベガーズ・バンケット』のレコーディング風景が収録されたことで多くの話題を呼んだ『ワン・プラス・ワン』(1968年)においても、様々な場面や場所で多様な人が政治的なメッセージを読み上げるシーンと、試行錯誤しているストーンズのリハーサルシーンとを交互に重ね合わせることにより、当時の政治的な状況を、メッセージとしてではなく映画作品として具体的に体現(再現)する実験を試みている。
この映画は本来ならレコーディングは完了せずに終る予定であり、未完であることにこそ本質的な意味があるとゴダールは考えていたのであるが、制作者側の商業的な意図により作品の最後で完成した『悪魔を憐れむ歌』が挿入されてしまった。

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『勝手にしやがれ』以来、本質的な意味における前衛性、そして常に物議を醸しながら、商業主義と折り合いを付けつつも少ないとは言えない作品を継続的に作り続けていくことが可能な作家は世界中探してもゴダールをおいて他にはいない。ゴダールが世界を代表する映像作家と賞賛され続けている所以である。

[ジャン=リュック・ゴダールの監督映画]

『コンクリート作業』Opération 'Béton'  短篇 1954年
『コケティッシュな女』Une femme coquette 短篇 1955年 ※「ハンス・リュカス」名義
『男の子の名前はみんなパトリックっていうの』Charlotte et Véronique, ou Tous les garçons s'appellent Patrick 短篇 1957年
『シャルロットとジュール』Charlotte et son Jules 短篇 1958年
『水の話』Une histoire d'eau 短篇 1958年 共同監督フランソワ・トリュフォー
『勝手にしやがれ』 À bout de souffle 1959年 ※長篇デビュー作

『小さな兵隊』Le Petit soldat 1960年
『女は女である』Une femme est une femme 1961年
『怠惰の罪』La Paresse 1961年
オムニバス『新七つの大罪』Les Sept péchés capitauxの一篇
『女と男のいる舗道』Vivre sa vie: Film en douze tableaux 1962年
『新世界』Il Nuovo mondo 1963年
オムニバス『ロゴパグ』Ro.Go.Pa.G.の一篇
『カラビニエ』Les Carabiniers 1963年
『軽蔑』Le Mépris 1963年
『オルリーについてのルポルタージュ』Reportage sur Orly 短篇 1964年
『はなればなれに』Bande à part 1964年
『立派な詐欺師』Le Grand escroc 1964年
オムニバス『世界詐欺物語』Plus belles escroqueries du mondeの一篇
『恋人のいる時間』Une femme mariée: Suite de fragments d'un film tourné en 1964
『アルファヴィル』Alphaville, une étrange aventure de Lemmy Caution 1965年
『モンパルナスとルヴァロア』Montparnasse-Levallois 1965年
オムニバス『パリところどころ』Paris vu par...の一篇
『気狂いピエロ』Pierrot le fou 1965年
『男性・女性』Masculin féminin: 15 faits précis 1966年
『メイド・イン・USA』Made in U.S.A. 1966年
『彼女について私が知っている二、三の事柄』2 ou 3 choses que je sais d'elle 1966年
『未来展望』Anticipation, ou l'amour en l'an 2000 1967年
オムニバス『愛すべき女・女たち』Le Plus vieux métier du mondeの一篇
『カメラ・アイ』Camera eye 1967年
オムニバス『ベトナムから遠く離れて』Loin du Vietnamの一篇
『中国女』La Chinoise 1967年
『ウイークエンド』Week End 1967年
『たのしい知識』 Le Gai savoir 1968年 - 1969年
『シネトラクト』 Cinétracts 1968年 ※劇場公開されない5分程度の超短篇集
『あたりまえの映画』 Un film comme les autres 1968年 ※「ジガ・ヴェルトフ集団」名義
『ワン・アメリカン・ムービー』One A.M. 1968年 - 1972年 共同監督D・A・ペネベイカー
『ワン・プラス・ワン』Sympathy for the Devil 1968年
『放蕩息子たちの出発と帰還』 L'Amore 1968年
オムニバス『愛と怒り』Amore e rabbiaの一篇
『ブリティッシュ・サウンズ』British Sounds 1969年 ※「ジガ・ヴェルトフ集団」名義
『プラウダ(真実)』Pravda 1969年 ※「ジガ・ヴェルトフ集団」名義
『東風』Le Vent d'est 1969年 ※「ジガ・ヴェルトフ集団」名義

『イタリアにおける闘争』Lotte in Italia 1970年 ※「ジガ・ヴェルトフ集団」名義
『勝利まで』 Jusqu'à la victoire 1970年 ※「ジガ・ヴェルトフ集団」名義
『ウラジミールとローザ』 Vladimir et Rosa 1971年 ※「ジガ・ヴェルトフ集団」名義
『万事快調』Tout va bien 1972年 ※「ジガ・ヴェルトフ集団」名義
『ジェーンへの手紙』 Letter to Jane 1972年 ※「ジガ・ヴェルトフ集団」名義
『パート2』Numéro deux 1975年
『6x2』Six fois deux / Sur et sous la communication テレビシリーズ 1976年 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル
『ヒア & ゼア こことよそ』Ici et ailleurs 1976年 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル
『二人の子どもフランス漫遊記』 France/tour/detour/deux/enfants テレビシリーズ 1977年 - 1978年 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル
『うまくいってる?』Comment ça va? 1978年 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル
『「勝手に逃げろ/人生」のシナリオ』 Scénario de 'Sauve qui peut la vie'  ビデオ映画 1979年
『勝手に逃げろ/人生』Sauve qui peut (la vie) 1979年

『フレディ・ビュアシュへの手紙』Lettre à Freddy Buache 短編 1981年
『「パッション」のためのシナリオ』Scénario du film 'Passion'  ビデオ映画 1982年
『パッション』Passion 1982年
『映像を変えること』Changer d'image 1982年
オムニバス『様々な理由による変化』Changement à plus d'un titreの一篇
『カルメンという名の女』Prénom Carmen 1983年
『こんにちは、マリア』Je vous salue, Marie 1984年
『ゴダールのマリア』Je vous salue, Marieの本篇
『映画「こんにちは、マリア」のためのささやかな覚書』 Petites notes à propos du film 'Je vous salue, Marie' 1984年
『ゴダールの探偵』Détective 1985年
『ソフト & ハード』 Soft and Hard 1986年 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル
『ウディ・アレン会見』 Meetin' WA 1986年
『映画というささやかな商売の栄華と衰退』 "Série noire: Grandeur et décadence d'un petit commerce de cinéma (#1.21)" テレビ映画 1986年
『アルミード』 Armide 1987年
オムニバス『アリア』Ariaの一篇
『右側に気をつけろ』Soigne ta droite 1987年
『ゴダールのリア王』King Lear 1987年
『言葉の力』 Puissance de la parole 1988年
『最後の言葉』Le dernier mot 1988年
テレビ映画『パリ・ストーリー』Les Français vus par...の一篇
『全員が練り歩いた』On s'est tous défilé 1988年
『ダルティ報告』Le Rapport Darty 1988年 - 1989年
『ゴダールの映画史』 Histoire(s) du cinéma
『ゴダールの映画史 すべての歴史』 Histoire(s) du cinéma: Toutes les histoires ビデオ映画 1988年 - 1998年
『ゴダールの映画史 ただ一つの歴史』 Histoire(s) du cinéma: Une histoire seule ビデオ映画 1989年 - 1998年

『ヌーヴェルヴァーグ』Nouvelle vague 1990年
『インドネシア、トーマス・ワインガイのために』Pour Thomas Wainggai, Indonésie 1991年 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル
オムニバス『忘却に抗って』Contre l'oubli の一篇
『新ドイツ零年』Allemagne 90 neuf zéro 1991年
『子どもたちはロシア風に遊ぶ』 Les Enfants jouent à la Russie 1993年
『たたえられよ、サラエヴォ』 Je vous salue, Sarajevo 短篇ビデオ映画 1993年
『ゴダールの決別』Hélas pour moi 1993年
『芸術の幼年期』L'enfance de l'art 1993年
オムニバス『子どもたちはどうしてゆくか』Comment vont les enfantsの一篇
『フランス映画の2×50年』 Deux fois cinquante ans de cinéma français 1995年
『JLG/自画像』JLG/JLG - autoportrait de décembre 1995年
『フォーエヴァー・モーツァルト』For Ever Mozart 1996年
『TNSへのお別れ』Adieu au TNS 1996年
『プリュ・オー!』Plus oh! 1996年 ※フランス・ギャルのミュージック・ビデオ
『ゴダールの映画史』 Histoire(s) du cinéma
『映画史 映画だけが』 Histoire(s) du cinéma: Seul le cinéma ビデオ映画 1994年 - 1998年
『映画史 命がけの美』 Histoire(s) du cinéma: Fatale beauté ビデオ映画 1994年 - 1998年
『映画史 絶対の貨幣』 Histoire(s) du cinéma: La monnaie de l'absolu ビデオ映画 1995年 - 1998年
『映画史 新たな波』 Histoire(s) du cinéma: Une vague nouvelle ビデオ映画 1995年 - 1998年
『映画史 宇宙のコントロール』 Histoire(s) du cinéma: Le contrôle de l'univers ビデオ映画 1997年 - 1998年
『映画史 徴(しるし)は至る所に』 Histoire(s) du cinéma: Les signes parmi nous ビデオ映画 1988年 - 1998年
『オールド・プレイス』The Old Place 1998年

『二十一世紀の起源』L'Origine du XXIème siècle 2000年
『愛の世紀』Éloge de l'amour 2001年
『自由と祖国』 Liberté et patrie ビデオ映画 2002年 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル
『時間の闇の中で』Dans le noir du temps 2002年
オムニバス『10ミニッツ・オールダー』の一篇
『映画史特別編 選ばれた瞬間』 Moments choisis des histoire(s) du cinéma 2002年
『アワーミュージック』Notre musique 2004年
『偽造旅券』Vrai-faux passeport 2006年 ※ポンピドゥー・センターでのゴダール展のための作品
『徴兵拒否者への祈り 1』 Prières pour refuzniks: 1 2006年
『徴兵拒否者への祈り 2』 Prières pour refuzniks: 2 2006年

■ジャン=リュック・ゴダールが監督した映画作品ガイド http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E6%98%A0%E7%94%BB

■ジャン=リュック・ゴダール── 映画をつくること、それしかできない〈インタビュー〉2002年10月23日
http://www.ream.ais.ne.jp/~fralippo/module/Translation/JLG021023_interview1/index.html

■ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard )フランスサイト
http://cinema.encyclopedie.personnalites.bifi.fr/index.php?pk=9056

フランソワ・ロラン・トリュフォー(François Roland Truffaut)

ヌーヴェルヴァーグを代表するフランスの映画監督。
1932年2月6日パリに生まれたトリュフォーは両親の離婚から孤独な少年時代を過ごし、幾度も感化院に放り込まれるような不良行為少年だった。1946年には早くも学業を放棄し、映画館に入り浸り、1947年にはシネクラブを組織し始める。そのころ、のちに映画評論誌「カイエ・デュ・シネマ」初代編集長(1951年 - 1958年)となる批評家アンドレ・バザンと出会う。以降バザンが死ぬ(1958年)まで親子同然の生活を送る。バザンの勧めにより映画評論を著すようになり、「カイエ・デュ・シネマ」を中心に先鋭的かつ攻撃的な映画批評を書きまくる。とくに「カイエ」1954年1月号に掲載された『フランス映画のある種の傾向』という一文の厳しい論調故に、当時は「フランス映画の墓掘り人」などと揶揄された。

最初の短編映画を発表したのち、1956年、ロベルト・ロッセリーニの助監督となる。翌1957年、配給会社の社長令嬢と最初の結婚をする。同年、製作会社レ・フィルム・デュ・キャロッス社を設立、二作目の短編映画(『あこがれ』)演出し、翌1958年公開。
1959年、キャロッス社とSEDIF(義父の会社コシノールの子会社)の共同製作による処女長編『大人は判ってくれない』を監督して大ヒットとなって、トリュフォーとヌーヴェルヴァーグの名を一躍高らしめることとなった。トリュフォー自身の体験談を下敷きにして作られた『大人は判ってくれない』は、その後ジャン=ピエール・レオ演ずるアントワーヌ・ドワネルを主人公とする「アントワーヌ・ドワネルの冒険」としてシリーズ化され、『逃げ去る恋』(1978年) に至るまで合計5本制作された。このとき出逢った当時コシノールのマネジャーマルセル・ベルベールは、キャロッス社の大番頭的存在となり、またトリュフォー作品にカメオ出演し続けることになる。

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1968年のカンヌ国際映画祭においてはコンテストの必要性の有無を巡って大論争が巻き起こり、トリュフォーはカンヌ国際映画祭粉砕を主張して最も過激な論陣を張った。
この出来事を一つのきっかけに、盟友であったゴダールとの決別を始めとしてヌーヴェルヴァーグの面々と疎遠になり、映画の作風も古典的、正統的な落ち着きを見せ始める。恋愛しか題材として取り扱わないことを含め、若い批評家たちからは「トリュフォーは自分がその地位につくために、ジュリアン・デュヴィヴィエやクロード・オータン=ララ等の古い大作家たちを批判し貶めたのだ」と批判されたが、トリュフォーは「暴力は嫌いだから戦争映画や西部劇は作りたくないし、政治にも興味はないから自分には恋愛映画しか作れない」と一向に意に介することはなかったという。

フランス映画の父として慕い尊敬していたジャン・ルノワールがアメリカで失意の底に沈んでいることを聞きつけ、幾度もアメリカに渡って勇気づけ、ルノワールの死に至るまで両者は親子同然の関係を持ち続けた。また、自分自身の分身を演じ続けたジャン=ピエール・レオに対しても息子同然の扱いをしていたという。事実上父親を持たず、自身も離婚を繰り返して安寧な家庭を持ち得なかったトリュフォーにとって、アンドレ・バザンを始めとする映画を通じて関係を持った人物たちこそが本当の家族だったのかもしれない。

1984年10月21日にガンで死去。フランスに留まらぬ世界各国の映画関係者が集う盛大な葬儀が執り行われたが、若かりし頃まるで兄弟ででもあるかのように協力し合って、映画を創り上げたゴダールだけは葬儀にも訪れず追悼文を著すこともなかった。死後4年経った1988年ゴダールは出版されたトリュフォー書簡集に彼からの手紙を提供した。それは激しくゴダールを罵倒する語調のものであったが、あらたに書き下ろした序文をこうしめくくっている。「フランソワは死んだかもしれない。わたしは生きているかもしれない。だがどんな違いがあるというのだろう?」

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[監督作品]
ある訪問(短編、自主制作) -Une visite(1954年)
あこがれ(短編) -Les Mistons(1958年)
水の話(短編)-Une histoire d'eau (共同監督ジャン=リュック・ゴダール、1958年)
大人は判ってくれない -Les Quatre cents coups(1959年)
ピアニストを撃て -Tirez sur le pianiste(1960年)
突然炎のごとく -Jules et Jim(1961年)
アントワーヌとコレット/二十歳の恋 -L'Amour à vingt ans / Antoine et colette(1962年)『二十歳の恋』の一篇
柔らかい肌 -La Peau douce(1964年)
華氏451 -Fahrenheit 451(1966年)原作 レイ・ブラッドベリ「華氏451度」
黒衣の花嫁 -La Mariée était en noir(1968年)
夜霧の恋人たち -Baisers volés(1968年)
暗くなるまでこの恋を -La Sirène du Mississipi(1969年)
野性の少年 -L'Enfant sauvage(1970年)
家庭 -Domicile conjugal(1970年)
恋のエチュード -Les Deux anglaises et le continent(1971年)
私のように美しい娘 -Une belle fille comme moi(1972年)
アメリカの夜 -La Nuit américaine(1973年)
アデルの恋の物語 - L'Histoire d'Adèle H.(1975年)
トリュフォーの思春期 -L'Argent de poche(1976年)
恋愛日記 -L'Homme qui aimait les femmes(1977年)
緑色の部屋 -La Chambre verte(1978年)
逃げ去る恋 -L'Amour en fuite(1979年)
終電車 -Le Dernier métro(1980年)
隣の女 -La Femme d'à côté(1981年)
日曜日が待ち遠しい! -Vivement dimanche!(1983年)

ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague)

1950年代末に始まったフランスにおける映画運動。ヌーベルバーグ、ヌーヴェル・ヴァーグとも表記される。ヌーヴェルヴァーグとは「新しい波」を意味するフランス語。
広義においては、撮影所(映画制作会社)における助監督等の下積み経験無しにデビューした若い監督達による、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品を指す(単純に1950年代末から1960年代中盤にかけて制作された若い作家の作品を指す、さらに広い範囲の定義もあり)。しかし、狭義には映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の主宰者であったアンドレ・バザンの薫陶を受け、同誌で映画批評家として活躍していた若い作家達(カイエ派もしくは右岸派)およびその作品のことを指す。
ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、ジャック・リヴェット、エリック・ロメール、ピエール・カスト、ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ、アレクサンドル・アストリュック、リュック・ムレ、ジャン・ドゥーシェ。また、モンパルナス界隈で集っていたアラン・レネ、ジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダ、クリス・マルケル、ジャン・ルーシュ等の主にドキュメンタリー(記録映画)を出自とする面々をことを左岸派と呼び、一般的にはこの両派を合わせてヌーヴェルヴァーグと総称することが多い。また、ヌーヴェルヴァーグの作家として、ジャック・ロジエ、クロード・ベリ、ジャン=ダニエル・ポレ、フランソワ・レシャンバック、そしてロジェ・ヴァディム、ルイ・マルは忘れてはいけない。

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ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)と言う呼称自体は、1957年にフランスの週刊誌『レクスプレス』誌が「新しい波来る!」とのキャッチコピーをその表紙に掲げたことが起源とされる。以降同誌は「ヌーヴェルヴァーグの雑誌」をキャッチフレーズとしたのだが、この雑誌で言う新しい波とは、当時話題になっていた戦後世代とそれまでの世代とのギャップを問題にしたものだった。この言葉を映画に対する呼称として用いたのは、映画ミニコミ『シネマ58』誌の編集長であったピエール・ビヤールで、同誌1957年2月号において、フランス映画の新しい傾向の分析のために流用した。

しかし、この言葉が用いられる以前から後にヌーヴェルヴァーグ的動向は既に始まっていた。トリュフォーは1954年1月号の『カイエ』誌に掲載した映画評論「フランス映画のある種の傾向」において、サルトルが実存主義の考え方に基づいてフランソワ・モーリアックの心理小説を例に取り小説家の神のような全能性を根本的に批判したのにならい、当時のフランス映画界における主流であった詩的リアリズムの諸作品に対し同様の観点から痛烈な批判を行なった。その論法の激しさからトリュフォーは「フランス映画の墓掘り人」と恐れられたが、これはヌーヴェルヴァーグの事実上の宣言文となった。

ヌーヴェルヴァーグの最初の作品は、最も狭義の概念、すなわちカイエ派(右岸派)の作家達を前提とするならジャック・リヴェットの35mm短編『王手飛車取り』(1956年)と言われている。本作はジャック・リヴェットが監督を務めたが、クロード・シャブロルが共同脚本として参画したのを始め、ジャン=マリ・ストローブが助監督、トリュフォーやゴダール、ロメールも俳優として出演したというように、まさに右岸派の面々がこぞって参加し共同し創り上げた作品だった。この作品を皮切りに、右岸派の面々は次々と短編作品を製作した(『あこがれ』[トリュフォー/1957年]、『男の子の名前はみんなパトリックっていうの』[ゴダール/1957年]、『水の話』[ゴダール&トリュフォー/1958年]など)。

カイエ派にとって最初の35mm長編作品となったシャブロルの『美しきセルジュ』(1958年)が商業的にも大成功したことにより、シャブロルの『いとこ同士』(1959年)、トリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959年)、ロメールの『獅子座』(1959年)、リヴェットの『パリはわれわれのもの』(1960年)と言った今日においてヌーヴェルヴァーグの代表作と言われている作品が製作、公開された。『美しきセルジュ』がジャン・ヴィゴ賞を受賞したのを始め、『いとこ同士』がベルリン映画祭金熊賞(大賞)、トリュフォーの『大人は判ってくれない』がカンヌ映画祭監督賞を受賞するなどヌーヴェルヴァーグの名を一挙に広めたが、ヌーヴェルヴァーグの評価をより確固たるものにしたのはゴダールの『勝手にしやがれ』(1959年)だった。即興演出、同時録音、ロケ中心というヌーヴェルヴァーグの作品・作家に共通した手法が用いられると同時にジャンプカットを大々的に取り入れたこの作品は、その革新性により激しい毀誉褒貶を受け、そのことがゴダールとヌーヴェルヴァーグの名をより一層高らしめることに結びついた。1959年には『勝手にしやがれ』を始めとするヌーヴェルヴァーグを代表する公開されたため、この年は「ヌーヴェルヴァーグ元年」と言われている。

アラン・レネが撮った中短編ドキュメンタリー作品『ゲルニカ』(1950年)や『夜と霧』(1955年))が最も早く、その後レネは劇映画『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』(1959年)と『去年マリエンバートで』(1961年)を製作した。カイエ派、左岸派を含めた中で最初の長編劇映画はアニェス・ヴァルダの『ラ・ポワント・クールト』(1956年)だった。ジャック・ドゥミは『ローラ』(1960年)を公開した。これらが商業的な成功も収めたことから、1950年代末をヌーヴェルヴァーグの始まりととすることが多い。まだ「ヌーヴェルヴァーグ」などということばの生まれるずっと前、1951年『カイエ』創刊の年、ロメールがゴダールを主演に『シャルロットと彼女のステーキ』を撮影し、翌年アストリュックが本格的中編作品『恋ざんげ』を撮る。このとき、トリュフォーは兵役によって不在(1950年 - 1953年)であり、『カイエ』創刊にも立ち会っていない。そのトリュフォーが1953年にパリに帰還、『カイエ』に執筆を開始する。トリュフォーは、リヴェットがルーアン時代に撮っていた短編を観て、創作意欲をかき立てられ、リヴェットの撮影監督としてのサポートのもと『ある訪問』を1954年に撮影している。この20分のラッシュを観た(「カイエ派」ではないはずの)アラン・レネが編集をし、7分40秒の短編映画が出来上がるのだ。この年に、スイスでゴダールは『コンクリート作業』という短編を撮り、トリュフォーが『勝手にしやがれ』の最初の原案シナリオを書く。1956年、ロジェ・ヴァディムが妻のブリジット・バルドーを主演に撮ったデビュー作『素直な悪女』は賛否両論を浴びたが、もちろんトリュフォーは絶賛する。このアメリカナイズされた新しいフランス映画の興行的成功の延長線上におかれたことで、経済的な意味でヌーヴェルヴァーグの作品群は存在することが可能になった。また、1958年に撮影が始まったリヴェット『パリはわれらのもの』は、トリュフォーのレ・フィルム・デュ・キャロッス社とシャブロルのAJYMフィルム社の合作であり、前述の「カイエ派」ではないはずのジャック・ドゥミも出演している。現実のヌーヴェルヴァーグにあっては、カイエ派も左岸派も乖離した存在ではないのだ。

一方その終焉に関しては諸説があり、その始まり以上に論者による見解が一致していない。最短なものでは60年代前半の上記の嵐のような動向が一段落するまでの時点であり、最長のものとなると現時点におけるまで「ヌーヴェルヴァーグの精神」は生き続けているとしている。しかし、一般的にはトリュフォーやルイ・マルなどが過激な論陣を張った1967年のカンヌ映画祭における粉砕事件までを「ヌーヴェルヴァーグの時代」と捉えるのが妥当であると言えよう。この時点までは右岸派や左岸派の面々は多かれ少なかれ個人的な繋がりを持ち続け動向としてのヌーヴェルヴァーグをかろうじて維持されていたが、この出来事をきっかけとしてゴダールとトリュフォーとの反目に代表されるように関係が疎遠になり、蜜月関係と共同作業とを一つの特徴とするヌーヴェルヴァーグは終焉を迎えることとなったと言われる。Photo

即興演出、同時録音、ロケ中心を手法的な特徴とし、瑞々しさや生々しさを作品の特色とする「ヌーヴェルヴァーグの精神」はその後も生き続け、ジャン・ユスターシュやフィリップ・ガレル、ジャン=クロード・ブリソー、ジャック・ドワイヨン、クロード・ミレールらは「カンヌ以降(もしくはほぼ同時期)」に登場し評価を得た作家だが、いずれも「遅れてきたヌーヴェルヴァーグ」との評価を得た。

ヌーヴェルヴァーグには、「精神的な父」と呼ばれる人物が複数存在する。端的に言って、以下の人物である。アンドレ・バザン、ロベルト・ロッセリーニ、ジャン・ルノワール、ロジェ・レーナルト。
ヌーヴェルヴァーグが興った1950年代から1960年代にかけては、フランスにおいては映画に限らず多くの文化領域で新たな動向が勃興しつつあった。それはサルトルを中心とした実存主義や現象学を一つの発端とするもので、文学におけるヌーヴォー・ロマンや文芸批評におけるヌーヴェル・クリティック、さらには実存主義を批判的に継承した構造主義など多方面に渡った現象であり、ヌーヴェルヴァーグもこれらの影響を様々に受けていると言われる。事実、ヌーヴォーロマンの旗手であったアラン・ロブ=グリエやマルグリット・デュラスは、原作の提供や脚本の執筆のみならず、自ら監督を務めることでヌーヴェルヴァーグに直接的に関与している。

しかし実際には、ヌーヴォー・ロマンという運動自体があったわけではく、その呼称すら1957年5月22日『ルモンド』での論評に初めて現れたものであり、『レクスプレス』誌の引用で『シネマ58』1957年2月号に現れた「ヌーヴェルヴァーグ」という呼称の方が早い。『勝手にしやがれ』に代表されるアンチクライマックス的説話論自体は、文学の影響というよりも、むしろバザンが熱烈に擁護した『無防備都市』(1945年)や『ドイツ零年』(1948年)のロッセリーニや、『カイエ』の若者たちを魅了した『拳銃魔』(1950年)のジョセフ・H・リュイス、『夜の人々』(1949) のニコラス・レイ、『暗黒街の弾痕』のフリッツ・ラングらのアメリカの低予算Bムービーのほうにダイレクトな影響関係がある。文学ではトリュフォーは『大人は判ってくれない』にあるようにむしろバルザック、アストリュックは『女の一生』つまりはモーパッサンが原作、と非常に古風である。哲学や文学領域の新傾向とヌーヴェルヴァーグとは、一方的な影響関係にあるというよりも、異分野で同時多発的に起きたものであり、だからこそ、デュラスらは彼ら映画人と対等に共同戦線を張ったのである。

『カイエ』の思想といえば、ヒッチコック=ホークス主義に代表される「作家主義」である。この源泉は、1948年、アストリュックの論文『カメラ=万年筆、新しき前衛の誕生(Naissance d'une nouvelle avant-garde : la caméra-stylo)』(『レクラン・フランセ』(L'Écran Français)誌)であり、これにバザンも魅了され、アストリュックともに『レクラン・フランセ』を飛び出し、ジャン=ジョルジュ・オリオールやジャック・ドニオル=ヴァルクローズの『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』に加担していくわけである。ヌーヴェルヴァーグへの思想的影響というならば、実存主義よりも明快に作家主義なのだ。ちなみに、その「作家主義(La Politique des Auteurs)」ということば自体の初出は、ヌーヴェルヴァーグ前夜の1955年2月、映画作家デビュー(短編)直後の批評家トリュフォーが、「カイエ」誌上に発表した『アリババと「作家主義」』(Ali Baba et la "Politique des Auteurs")であった。

とりわけトリュフォーには、中平康『狂った果実』のパリ上映の多大なる影響があったことが知られている。1956年7月12日に日本で公開された本作がその年、パリで上映され、それを目撃した批評家トリュフォーは、『Si jeunes et des japonais』を書いて絶賛した。当時のトリュフォーは『カイエ』のなかでも、率先してアジテーションする役割を果たしていたので、ゴダールもリヴェットも本作を観た。そして、トリュフォーはシネマテーク・フランセーズにこの作品の所蔵を熱烈に勧めたのだった。ヌーヴェルヴァーグよりも前にヌーヴェルヴァーグだったのは、日活調布撮影所だったのであり、同世代の日本の若者の表現は、ヌーヴェルヴァーグをよりヌーヴェルヴァーグらしいものへと導いた>また、まったくの同世代であるブラジルの映画作家ネルソン・ペレイラ・ドス・サントスが撮ったセミドキュメンタリー『リオ40度』も1956年パリで上映され、この年に、ヌーヴェルヴァーグ的なるものがパリになだれ込んだことがヌーヴェルヴァーグに火を点けた。

2007年10月22日 (月)

お荷物小荷物・カムイ編 (1971TV)

19711 1970年10月17日~1971年2月13日まで放送されていたお荷物小荷物の続編。
ABC製作でTBS系列で1971年12月4日~1972年4月15日まで放送されていたドラマで前作同様「脱ドラマ」の異名で知られている。

田の中菊が今帰仁(なきじん)菊代という素性と運送業を営む滝沢家の長男仁の悪行をばらして故郷の沖縄へ帰ってから10ヶ月経った。ある日滝沢家に沖縄に帰ったはずの田の中菊がお手伝いとしてやってくる。
しかし身なりがアイヌの格好である。それもそのはず、彼女の正体はオキクルミ・ピリカ。北海道二部谷アイヌ集落の首長コシャマインの娘である。
彼女が滝沢家にやってきた理由は北海道二部谷から持ち帰ったヒグマの子供を奪還するため。実は滝沢家が持ち帰ったヒグマの子供はアイヌの人々にとってのカムイ=神なのであるのだ。カムイであるヒグマの子供の奪還を目指す菊と滝沢家の珍騒動が勃発する!!
[スタッフ]
脚本:佐々木守(ストーリー構成も担当) 演出:西村大介  プロデューサー:山内久司
キャスト
田の中菊=オキクルミ・ピリカ:中山千夏
滝沢仁(長男):河原崎長一郎
滝沢義(次男):浜田光夫
滝沢礼(三男):林隆三
滝沢智(四男):渡辺篤史
滝沢信(五男):佐々木剛
滝沢孝太郎(父):桑山正一
滝沢忠太郎(祖父・家長):志村喬
コシャマイン:佐藤慶
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伝わらなかった佐々木守の真意
前作が主人公の菊の素姓が沖縄女性・手伝い先の運送業を営む滝沢家を琉球処分を行った明治政府=皇室の象徴として表現していたことでわかる様に沖縄の民(ウチナンチュ)による皇室(ヤマト)への逆襲をテーマにしていたが続編である当該作品は北海道の先住民であるアイヌ民族による日本人(※ 和人、アイヌ読みではシャモと呼ぶ)全体への逆襲をテーマにしている。

北海道の開拓の歴史は裏を返せば日本人によるアイヌの収奪と虐殺の歴史であり、実際明治政府になる以前からこういう歴史が積み重ねられていた。前作同様ストーリー構成を手掛けた佐々木はドラマという場で過去日本が行っていたアイヌ弾圧を告発したわけで当該作品も反・皇室、左派のスタンスを取るいかにも佐々木らしい作品といえるものだがアイヌの人々には佐々木の作ったドラマが「アイヌを興味本位で扱っている。」ととられてしまったようで実際製作していたABCが加盟していたJNNの北海道の系列局HBCには北海道ウタリ協会の抗議が来て、結果1972年3月18日に放送された第16話「シゴイてイジメてイビリます」がそこでのみ放送取りやめ(別番組に差し替え)という憂き目をみている。佐々木はアイヌ民族を奮い立たせようとしたが、結果的には真意が伝わらない格好となったわけで佐々木にとって心残りであったろう。
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ちなみに当該作品は前作同様封印作品となっているがこれは2インチVTRで録画していて保存して置けなかった(当時、放送用のカラーのビデオテープは高価だった)ことから現存していないためである。従って再放送・ソフト化は絶望的だ。

「お荷物小荷物」(朝日放送、TBS、1970.10.17~1971.2.13 TV)

722 脚本:佐々木守  プロデューサー:山内久司 演出:西村大介
音楽:佐藤允彦 衣装:こしのひろこ

出演:志村喬/ 桑山正一/ 河原崎長一郎/ 浜田光夫/ 林隆三/ 渡辺篤 / 佐々木剛/ 中山千夏 / 佐藤慶 / 戸浦六宏 / 鮎川いずみ

 シュールなブラックユーモアをちりばめ「脱・ドラマ」と呼ばれたアバンギャルドなTV番組。 同じ路線の前作「月火水木金金金」も中山千夏、吉田日出子、日色ともえ、吉村実子が365万円の遺産を受け取った後、家族がばらばらになる様を描く異色作だったのをさらにバージョンアップした。
引き続き主演の中山千夏は沖縄生まれのお手伝いさん、男尊女卑の運送屋の家族に入りしごきに耐えつつ、「沖縄の本土への復讐」というテーマのもとかきまわしていく。
 手法的にも出演者がスタジオのスタッフ、見学者、視聴者に突然呼びかけるなど、思い切った演出がみられた。ストーリーもさることながら、突然役者が自分自身に戻ってしゃべりだしたり、アドリブもNGもOKの過激な実験演出(ゴダールの影響と言われる)が続出。
 しかしそこが受けてしまうのが過激な70年代。関西では視聴率36%を記録し、後に「必殺」を手がける大阪朝日放送・山内プロデューサーの出世作となった。

【物語】
東京は、とある下町の「滝沢運送店」
床の間には日の丸と日本刀が飾られ、それを日本男子の象徴として生きるための心の支えとしている家長の忠太郎(志村喬)をはじめ、忠太郎の息子の孝太郎(桑山正一)、孝太郎の子供たちの長男仁(河原崎長一郎)、次男義(浜田光夫)、三男礼(林隆三)、四男智(渡辺篤史)、五男信(佐々木剛)の七人家族で暮らしている。女に人権を認めない、男だらけの男尊女卑七人家族のなかで、沖縄から上京して住み込みでお手伝いとして働き始めた田の中菊(中山千夏)。実は、滝沢家に菊が来たのには理由があった。四年前に菊の姉、洋子が滝沢家でお手伝いをしているとき長男の仁と恋に落ち、結婚の許しを仁と忠太郎に請うと一方的に捨てられてしまった。
失意のうちに沖縄へ戻った洋子だったが、仁との間にできた子供を産むとすぐに病死してしまう。田の中菊こと本名「今帰仁(なきじん)菊代」は姉の復讐と、その子供である仁一を滝沢家に認知させるために素性を隠して滝沢家に潜り込んだのであった。
「飛行機をのっとるのはハイジャック、船をのっとるのはシージャックなら、私は家をのっとるんだからホームジャックだ。」と菊は決意を新たにする。菊は男たちのしごきに耐え、得意の空手を駆使しつつ、男たちを手玉にとり次第に彼らを取り込んでゆくのであった。

★横浜放送ライブラリー  http://www.bpcj.or.jp/ より
最終回は、菊(中山千夏)はなんとか忠太郎に仁一を孫と認めさせる事に成功、
市庁舎に向かって、「では、みなさん、これでお荷物小荷物は終わらせて頂きます」。

それで納まらない五兄弟がやってきて、「俺たちゃ、今まで何をやってたんだ」
菊「だって、今日で最終回だから」
五兄弟「なら、続編をやればいい。それテーマ曲!タイトル!」
タイトルが始まるが、ちょっと様子がおかしい。いつの間にか徴兵制がしかれて
戦争が始まっていたのだ。五兄弟も戦場へ行き、戻ってくる事ができなかった。
5人の墓の前にぬかずく菊。そこに五兄弟が幽霊となって、自分達のうち誰か好きだったのか、問い詰める。
菊「私が一番好きだったのは、視聴者の皆さんです」
五兄弟「インチキだ」
レギュラー全員集合し、続編の製作が決定した事を視聴者に報告し、 しばしの別れを乞う。

朝日放送、TBS、1970.10.17~1971.2.13

佐々木 守(ささき まもる、1936年9月13日 - 2006年2月24日)

石川県出身の脚本家、放送作家、漫画原作者。石川県立能都北辰高等学校、明治大学文学部日本文学科卒業。
明治大学では児童文学研究部に所属し、鳥越信、山中恒、古田足日らの児童文学研究誌「小さい仲間」の同人となる。その頃書いた「児童文学における近代性への疑問 -- 児童文学者の戦争責任」(『小さい仲間』26号)「新美南吉『おじいさんのランプ』論」(『日本児童文学』通巻45号)などで注目をあびた。

1961年に『戦国忍法帖』でラジオドラマの放送作家としてデビュー、教育映画作家協会(現:日本記録映画作家協会)の機関誌「記録映画」の編集者を経て、松竹を退社した大島渚監督が結成した独立系映画製作プロダクション「創造社」に参加。『絞死刑』など大島が監督する映画の脚本を手がけるようになる。

同時期には、大島の紹介で、当時TBSのディレクターだった実相寺昭雄と知り合う。佐々木と実相寺は意気投合し、特撮テレビドラマ『ウルトラマン』を初めとして、以後もコンビでの仕事を多く行なった。また、ABCではプロデューサー・山内久司とのコンビで"脱ドラマ"を標榜した『お荷物小荷物』を世に送るなど、テレビの世界にも活躍の場を広げたが、児童文学を知っていることもあり子供向けドラマを中心に脚本を執筆。日本古代史や少数民族に着目した作品が多い。漫画の原作でも水島新司の作画による『男どアホウ甲子園』などのヒット作を遺した。

一方、鈴木清順の日活解雇反対運動に参加する中で、やはりこの運動に加わっていた映画評論家の松田政男、映画監督の足立正生と1968年に映画『略称・連続射殺魔』を制作。1970年には、この3人にジャズ評論家の平岡正明、相倉久人を加えて「批評戦線」を結成し雑誌『映画批評』を創刊した。

大学時代に日本共産党に入党(数年で離党)した経験から、政治思想的には左翼のスタンスであり、後年のインタビューなどでも「今でも機動隊のバスを見かけると怒りがこみ上げて体が熱くなってくるんですよ」「なぜ今の若者は国に怒りを持たないのだろう」等と述懐しているほか、「今の日本の諸悪の根元は天皇制にあります」等と反皇室思想を明確に表明していた。1960年代後半においてはいわゆる「新左翼」に近い立場をとり、アイヌ民族解放や琉球独立運動にも支持を寄せていた。

脚本においては、ごく初期に、ウルトラマンの劇場用オリジナル長編を、天皇制の悪性を主張した内容で描くなど(本作は製作中止)、自己の思想を絡めたものを執筆したものの、それ以降は、これらの思想をドラマ設定の背景に使用することはあっても、劇作家という作品における管理者的立場を利用して自分の思想を振りかざす事はなかった。この点について佐々木は、岩佐陽一のインタビュー(『映画秘宝』5号 1996年7月)に答えて「テレビじゃ反体制の側を主人公にはできないよ。そんな企画書いても通らないし」と述べると共に、そのような立場の人々に対する個人的な共感を込めた、と語っている。熱心なミステリーファンでもあり、推理ものの脚本も多い。特に横溝正史作品の造詣が深く、2時間ドラマなどでは横溝作品を独自の視点でアレンジした脚本を多数執筆している。

[ テレビドラマ代表作]
レモンのような女 怪奇大作戦
お荷物小荷物  お荷物小荷物・カムイ編
柔道一直線 君たちは魚だ コメットさん(1967年) おくさまは18歳(1970年) ママはライバル(1972年)
赤い運命  11人いる!  七人の刑事  三日月情話
[テレビアニメ]  アルプスの少女ハイジ

[映画]
無理心中 日本の夏(大島渚)※大島、田村孟と共筆
絞死刑(大島渚)※大島、田村、深尾道典と共筆
略称・連続射殺魔(足立正生他)
夏の妹(大島渚)
聖母観音大菩薩(若松孝二)
戒厳令の夜(山下耕作)※竹中労(夢野京太郎名義)と共筆

2007年10月21日 (日)

『大和稲刈り唄』 中山千夏:作詞 佐藤允彦:作曲

たたなづく山々 清き流れ
黄金色なる稲穂 与えたまいし神々
稲刈り唄ひとつ 捧げまつらん

今年息子は稲刈れませぬ
尊いお墓を造るとて いやおうもなく連れ去られ 辛い使役のその果てに 汗に滑って大石の下敷き
息子の侘しい亡骸は ほんに小さい穴の中
息子が造りし墓見れば 山とみまごう大がかり

息子があの世に旅立つときは
なんにもなしの丸裸 尊い墓の主様は 鏡勾玉光る剣 積んで立派なお船でまいるとや
息子が造りし石の船 息子が運びし石の船
息子を潰せし石の船 息子を殺せし石の船

わたし今年も稲刈りまする
荒ぶる神の雷が 驕るかの墓打ち据えて
世を糺日の来んものと 信じ夢見てひたすら稲を刈る
百年それとも二百年 千年あるいは二千年
いつまで待てば終わるやら 悲しき唄の絶えるやら

7つある文化期の中間点

Midnight アトランティス時代に太陽神託を中心に月神託や土星神託などその他、暦で日曜日、月曜日、火、水、木、金、土というのが残っているように一連のものがあって人類を形成していた。後アトランティス時代はその智恵を受け継ぐ形で始まり、1、古インド文化期、2、古ペルシャ文化期、3、カルデア・バビロニア・アッシリア・エジプト文化期、4、ギリシャ・ローマ文化期、5、現在の文化期、そして6、7番目の文化期まであるという。

そのうち1番目は見える世界をまぼろし(マーヤ)として純粋に霊界を目ざそうとしていた。そこにブッダが現れた。
2番目は文化は霊的なものであったが、ルチフェルすなわち人間に自由を与えたが同時に誤謬と悪の可能性をもたらした霊的な存在の影響も受けるようになった。そういう中でツァラトゥストラ(ゾロアスター)は太陽霊(アフラ・マツダーのちのキリスト)が人類進化の指導霊であることを教えた。
3番目は感覚と思考力によってこの地上を征服すること、つまり見える世界、地上を大切にして技術などを進歩させることに力点が置かれた。超感覚的能力は失われていく。しかしなおツァラトゥストラの弟子の生まれ変わりであるヘルメスが霊的な指導者として太陽存在オシリス(すなわちキリスト)について教えた。

次の4番目の地にはこれまでのあらゆる文化期の子孫たちが流れ込んできて、感覚的なものの中に霊的なものを完全に表現しようとした。つまり見えるものと見えないもの、感覚的なものと霊的なものの完全な調和をはかろうとした。そのため、これまでのあらゆる文化期の秘儀参入者たちがここに秘儀の地を設けた。これが「古代の秘儀」といわれるものである。

そういう中に、あらゆる秘儀の頂点がイエス・キリストのゴルゴダの秘蹟である。つまりキリストが受肉したのは見える世界と見えない世界、地上と霊界の調和をとろうとしたときであり、あらゆる古代の秘儀を集大成する形で、キリストは受肉し、そして死んでいくのである。真の神であるキリストが同時に真の人間になるという形での受肉、化身をとったのも、理由のないことではなかった。しかも7つある文化期の中間点にキリストが位置するというのも神の計画(経綸)だとシュタイナーは言っている。
そしてシュタイナーは聖書の言葉を借りて、キリストはこれからも私たちのなかに存在して世の終わりまで働き続けるのだという。

直角三角形の斜辺について上にたつ正方形は、直角をはさむ他の二辺の上にたつ正方形と面積が等しい

算数家のアポロドロスによれば、ピュタゴラスは、直角三角形の斜辺の上に立つ正方形は、直角をはさむ他の二辺の上に立つ正方形(の和)に等しいことを発見したときに、百頭の牡牛を犠牲にさささげたということである。なお、このことに関して、次のエピグラム(短詩)も残っている。

 [ピュタゴラスは、世に知られたるかの図形を発見せし折りに
 そのことゆえに、
 かの評判となりし牡牛の犠牲を神にささげたるなり](DL8-12)

「一番典型的に幾何学的なのは「ここに二つの図形がある、その一方に等しくもう一方に相似の、三つめの図形をつくれ(原論6巻命題25)というのだが言い伝えによると、何でもピュタゴラスはこれを解いたとき、神に犠牲をお供えしたという話だ。確かにこの方が、例の有名な『直角三角形の斜辺の二乗はその直角を挟む、二辺のそれぞれの二乗の和に等しい』というよりずっと上品で美しいものね。」プルタルコス(AD46から120)「食卓歓談集」岩波文庫

2007年10月19日 (金)

■ 協同組合 日本脚本家連盟

日本脚本家連盟は、1966年3月1日に放送・映画・舞台等の脚本を執筆している作家の社会生活を擁護し、その経済的地位の向上をはかる目的をもって、協同組合として設立されました。その活動は、脚本家の執筆条件・著作権使用条件の改善や福利厚生制度の充実を中心に展開されていました。その後、1970年から次世代を担う新人作家を養成するために教育事業を開始し、現在にいたるまで数多くの脚本家を輩出しています。
1974年4月1日には、文化庁からわが国最初の脚本に関する仲介業務団体として許可を受け、脚本の著作権管理団体としての活動を開始しました。2001年10月に仲介業務法が著作権等管理事業法に改正されると、著作権等管理事業者として届出を行い、引き続き再放送、ビデオグラム化、CATVなどの二次使用の管理を行っています。
また、視聴覚作品の流通の国際化に伴い、1965年には国際作家組合(IWG)に加盟し、1987年には著作者作曲家団体国際連合(CISAC)に加盟し、海外の著作権団体との交流を深めるとともに、国際基準に立脚した脚本家の権利擁護活動を行っています。以上、日本脚本家連盟は、日本における脚本家の大多数が加入するわが国最大の脚本家の団体です。
         
脚本家と著作権
わが国において脚本家の権利は、著作権法によって保護され、脚本家は、複製(録音・録画等)・頒布・上映・公衆送信(放送、有線放送、インターネット)等の脚本の使用について許諾する権利をもっています。日本脚本家連盟は、1,500余人の著作権信託者から、これらの権利の信託を受け、脚本著作権の二次使用を許諾しています。
脚本家の権利は、映画の著作物等二次的著作物にあっても原著作者として、同様に保護されます。勿論、脚本家には著作者としての人格権も認められており、著作物を公表する権利・著作者名の表示に関する権利・著作物の同一性を保持する権利があります。これらの権利を侵害した場合には、著作権法に基づいて刑事罰が課せられる事もあります。
日本脚本家連盟は、連盟独自の活動のほかに、他の著作権者、著作隣接権者と共同で、脚本及び言語の著作権を守るために、以下の団体の設立に参加し、その活動を支えてきました。

<他の権利者団体との共同組織>
[1]社団法人私的録画補償金管理協会
社団法人私的録音補償金管理協会
1992年の著作権法改正により、家庭内等におけるデジタル機器(MD、デジタ  ルビデオカセット等)を使用した私的録音・録画に関して、権利者に補償金を受ける権利が認められ、指定管理団体として上記2団体が設立され、補償金の徴収・分配を行っています。
[2]社団法人日本複写権センター
1991年9月に、著作者団体・学術団体・出版者団体(02年に新聞社団体が参加)によって、企業内等で行われている著作物からの複写(コピー)に関して、権利の集中管理を行う日本複写権センター(現在社団法人日本複写権センター)が設立され、企業等と契約を締結し、使用料の徴収・配分を行っています。
[3]放送番組著作権保護協議会
1992年6月に、権利者団体・放送局等によって、海外における日本の放送番組の海賊版ビデオ(在外邦人向けビデオレンタル)に対処するため、放送番組著作権保護協議会が設立されました。同協議会は、日本の放送番組を視聴できない在外邦人に対して、会員団体が一括して許諾を与えることによって製作されたビデオ(認定ビデオ)を供給する事業や、著作権侵害に対する警告などを行っています。
   
I. 著作権擁護活動
連盟は団体協約等で最低脚本料を定め、年一回連盟員各自の希望により、脚本料の値上げ交渉をしています。
連盟は、脚本家から公衆送信権・上映権・複製権・頒布権等について信託を受け、また、出版権・上演権については代理委任を受けて、使用料規程に基づき許諾を与えています。
連盟の管理著作物は、文化庁届出の使用料規程及び放送局、映画会社、番組制作プロダクション、有線送信事業者、ビデオレンタル店等との10,000件を超える契約によって使用料が徴収され、分配されています。 
II. 福利厚生活動
脚本家は個人事業者として、わが国にあっては社会的・経済的に非常に不安定な位置に置かれています。
そのような状況を少しでも改善し、より快適な環境の中で脚本家が執筆活動を行えるようにするのが、福利厚生活動の目的です。
1. 健康保険   文芸美術国民健康保険組合への加入手続き
2. 共済制度  小規模企業共済制度への加入手続き及び管理
3. 損害保険  損害保険への加入手続き及び管理
4. 生命保険  生命保険への加入紹介
5. 健康診断  年1回、連盟員とその家族を対象に健康診断を実施
6. 慶弔金の支給  連盟員とその親族の慶弔時に慶弔金を支給
7. 年金の支給  満60歳以上の連盟員には毎年連盟会費(定額賦課金)相当額を年金として支給
8. 税務相談  主に、確定申告に対する指導および相談
9. 金融相談   連盟員に対する金融相談
10. 各種機材及び消耗品の共同購買

III. 教育事業
わが国には、実践的な脚本の創作方法についての教育機関は皆無に等しく、連盟存立の基礎となる次世代の脚本家を自ら養成する目的で、連盟員が講師の中心となって教育事業を運営しています。(>>日本脚本家連盟ライターズスクールのホームページはこちら)

1. 脚本家教室   本科・研修科・通信教育からなる教育事業の中心的存在。現在では放送のジャンルを超えたあらゆる脚本家の養成をしています。
2. 作詞教室  本科・研究科・通信教育からなり、社団法人日本作詩家協会の協力によって運営されています。歌詞の作詞家の養成をしています。
3. フリーライター養成教室  本科・上級科からなり、小説家、エッセイスト、ライター等を含むあらゆる著述家の養成をしています。

IV. その他の活動
1. 連盟員の作品の使用に関する斡旋
2. 放送局、製作会社などからの依頼による仕事の紹介・斡旋
3. 「脚本家ニュース」の発行  連盟の広報紙として毎月1回発行
4. 「脚本家年鑑」の発行  連盟員の名簿と連盟の活動報告として毎年1回発行
5. 「テレビドラマ代表作選集」の発行  1年間の秀作ドラマの選集として毎年1回発行 

2007年10月17日 (水)

給料比較 テレビ局・新聞社・出版社

日本のサラリーマンの平均年収は400万円台。東証1、2部企業の平均年収は605万円だそうです。

上場企業を対象とした従業員の平均年収ランキング上位5社の内、実に4社がテレビ局という状況(下記参照)。
いかにテレビ局の社員が高級取りであるか分かっていただけると思います。
また、華やかな業界イメージもあり、就職市場、転職市場で競争倍率が1,000倍を超えることもあるのも頷けます。

1位 フジテレビジョン 1,567百万円

2位 朝日放送 1,525百万円

4位 日本テレビ放送網 1,462百万円

5位 TBS 1,443百万円

TBS以外は平均年齢40歳未満

キー局の場合、ドラマのバラエティ制作や報道記者などの製作現場では30歳で平均年収1,000万円を超える社員も多い。

ただし、深夜の打ち合わせや休日も不定期なことが多く、毎月の時間外勤務が100時間を超えることもザラです。

企業名 平均年収
 (万円)
1 フジテレビジョン 1,567
2 朝日放送 1,526
3 日本テレビ放送網 1,462
4 TBS 1,443
5 テレビ朝日 1,135
6 中部日本放送 1,210
7 アール・ケー・ビー毎日放送 1,185
8 テレビ東京 1,135
9 新潟放送 969
10 WOWWOW 900

地方局の平均年収は23割低い。

(2005.11)

給料比較 新聞社

新聞社の給与体系は基本的に年功序列だそうで、日本経済新聞や朝日新聞のような大手新聞社では30歳代後半で平均年収は1000万円を超えます。

中日新聞や西日本新聞などの発行部数の多い大手地方新聞社ではトップ企業の8割程度の給与水準。

発行部数の少ない地方紙や専門誌の給与水準は大手新聞社の半分程度。

新聞記者の仕事は朝は早く、夜も遅い。大手でも地方紙でも仕事内容はほとんど変わらないため、より良い待遇を求めて転職する人も多い。

企業名 平均年収
 (万円)
1 朝日新聞社 1,358
2 日本経済新聞社 1,282
3 西日本新聞社 1,038
4 日本農業新聞 872
5 毎日新聞社 870
6 神戸新聞社 758
7 茨城新聞社 538
給料比較 出版社

大手総合出版社の給与水準は、日本企業でトップクラスのテレビ局に匹敵する水準。

小学館、集英社ともに30歳代後半で平均年収は1000万円を超える。残業の多い編集者などでは30歳で1000万円を超える人も。
残業の少ない部署と比較して年収で300万円近く差がつくこともある。

大手出版社でなくても、安定的な販売部数が見込める出版社は平均年収が高い。児童図書を発行する福音館書店は大卒初任給が40万円を超える。医学系出版社にも平均年収の高い会社が多い。

一方、中小規模の出版社や雑誌・書籍の制作を請負う編集プロダクションは、30歳で400~500万円ほど。

企業名 平均年収
 (万円)
小学館 1,195
集英社 1,119
医歯薬出版 1,210
医学書院 1,111
福音館書店 1,570

下の世界と比較すると、同じ国の隣接している業界とは思えない。

東映動画や虫プロダクションといった大手制作会社はアニメーターを含め社員として雇用していたが、後にクリエイターを社員として抱えてしまうと人件費や制作本数の調整が困難で経営に支障をきたすため、あるいは才能が求められる職業であり、固定給では評価できないという理由からその多くが出来高制での業務委託契約による非雇用者として従事するようになった。正社員や契約社員といった雇用形態はプロデューサーや制作進行といった制作部門を除き少ない。人材の流動性が高く、一つの制作会社が大きくなっていくのではなく、次々と独立し、中小の制作会社を設立することが多い。制作工程別に分業化が進み、制作会社の多くは「器」としてのスタジオを用意して業界内で人材を融通しあうことで制作を行っている。

広告代理店やビデオメーカーなどは、資金調達や著作権窓口業務、企画、流通に携わり、実制作は行わないが、制作本数の増加や、制作会社の持つオリジナル版権の利用を目的に制作会社を自らの傘下に収めるケースも見られる。広告代理店など中間に入る企業が多いため制作費が十分得られないこと、製作費を出資できないために製作者になれず著作権を得られないことが理由で制作会社のほとんどは経営が苦しい。そのため制度改正などの支援策が望まれている。また、制作会社はもっと経営能力を高めるべきだとする意見も多い。

2007年10月15日 (月)

アニメ大国と言われながら、長時間労働と低賃金で人材離れが進むアニメ制作現場

アニメーターのほとんどはアニメ制作会社から机を借りて仕事を請け負うフリーランスである。 賃金は動画の場合1枚いくら、原画の場合は1カットいくらという出来高制が多い。アニメーターを従業員として雇用し固定給制である制作会社はスタジオジブリなど一部しかない。アニメ作品が大ヒットして莫大な収益をあげても、ほとんどのアニメーターには何も無い。ワーキングプアの最先端を疾走する現実がここにある。

[アニメ制作:現場から悲鳴 労働環境改善求め協会設立へ] 毎日新聞 2007年10月13日

休みなしで原画を200枚描いても月数万円、社会保障や退職金もない--。
アニメ大国と言われながら、長時間労働と低賃金で人材離れが進むアニメ制作現場の労働環境を改善しようと、アニメーターや演出家が13日、「日本アニメーター・演出協会(JAniCA)」を設立する。アニメ業界でこうした団体ができるのは初めてで、賃金アップや残業代の支給を業界に訴えていく。

 人気アニメ「北斗の拳」の監督としても知られる制作会社「スタジオライブ」(東京都板橋区)の芦田豊雄社長の呼びかけで実現した。JAniCAには約500人が参加。代表の芦田社長は「劣悪な労働環境を背景に国内では人材不足が慢性化している。このままでは、日本の制作現場は崩壊する」と語る。JAniCAは今後、国や地方自治体にも人材育成支援への協力を働きかけていくことにしている。【森有正】

    ◇

「小さいころから夢だった仕事に会社員から転職したが、1日12時間働いて月収は以前の半分。徹夜が続いても残業代はないし、医療保険さえない」。都内のアニメ制作会社で働いて2年目の女性(32)は労働条件の厳しさを訴える。 会社員時代はマンションで1人暮らしをしていたが、転職後は家賃が払えなくなり、実家へ帰った。生活費を切りつめるため化粧もやめた。医療費がかかるからと、病気が悪化するまで病院に行かなかった同僚もいる。「海外旅行なんてできなくてもいい。せめて普通に暮らしたい」と言う。

 ベテランのアニメーターも老後の不安を抱える。人気アニメ「あしたのジョー」の作画監督として有名な金山明博さん(68)は「40年近くアニメの世界にいたが、契約社員として働くことが多く、退職金ももらえなかった」と振り返る。 体調を崩して59歳で一線を退いた。今は月12万円の年金が頼りだ。「同年代の業界仲間には生活保護を受けたり、ホームレスになった人もいる。こんな環境で日本のアニメはいつまで持つのか」と心配する。

 業界では近年、深夜テレビやインターネット配信向けにアニメの需要が増加。テレビ向けに限っても新作は20年前の約3倍の年間100本も生まれる。 しかし、制作現場では人件費の安い韓国や中国の下請け会社との競争で賃金が下がっている。そのうえ、アニメーターは1作品ごとに契約したり、フリーの立場で働くケースが多く、身分は不安定だ。「親のスネをかじらないと仕事が続けられない」(都内の23歳男性)状況が広がる。 

Janica2007 日本アニメーター・演出協会(JAniCA) http://www.janica.jp/

アニメ番組30分1本につき制作費は約1000万円といわれている。
だが少し凝った作品は確実にそれ以上コストがかかるし逆に1000万円以下の価格で制作されている作品も数多い。その結果として、アニメーターに代表されるアニメスタッフの低賃金の話題は、 ことある事にメディアでも繰り返されている。  週に数100ちかくのアニメーションが放映されメディアで「日本を代表するサブカルチャー」としてもてはやされて、 このような状況は長年続いており、もはや慢性化しているといってもいい。

2005年に、俳優、歌手、舞踊家、演出家などの実演家の団体で構成する社団法人 「日本芸能実演家団体協議会(芸団協)」 が行った「芸能実演家の活動と生活実態」で、現在のアニメーターの生活ぶりが明らかになっている。

この資料によると、アニメーターの平均労働時間は1日10.2時間。月間労働時間は推計250時間。
にもかかわらず、平均年収は100万円未満が26.8%、100万円以上300万円未満が38.2%。
さらに動画マンだけに限ると、8割の人間が出来高払いで、動画の平均単価は1枚あたり平均186.9円。
年収は100万円未満が73.7%という結果だった。

これほどまでに人件費を抑えても、海外への外注のほうがコストパフォーマンスに勝るという状況は、 アニメーション産業におけるまず大きな矛盾だ。アニメーション産業はその大きな矛盾を抱え、 それが露呈しないように自転車操業を続けているかのようでもある。

週刊東洋経済TKプラス | The Headlineプラス
http://www.toyokeizai.net/online/tk/headline/index.php?kiji_no=110

映産労(映像文化関連産業労働組合) ブログ
http://anirepo.exblog.jp/ (読み物として優れている)

映演労連フリーユニオン
http://www.ei-en.net/freeuni/

東映動画労組
http://members3.jcom.home.ne.jp/doga-uni/

新人アニメーター向けアニメーター生活・基本技
http://www7a.biglobe.ne.jp/~animation/life.html

2007年10月14日 (日)

子供アニメの復活を さまざまな職業と、働く面白さ伝える

 「ジャパニメーション」という言葉があるように、日本はアニメ大国だ。でも、テレビでは深夜の大人向けアニメが増える一方、ゴールデンタイムから子供向けアニメが次々と消えている。ゲームやマンガを原作に、商品展開を狙った作品が主流になっている今、テレビ朝日で始まった「はたらキッズ マイハム組」(日曜午前6時30分)は幼児が対象で、今どき珍しいオリジナル作品。企画した外国人プロデューサーに、アニメに懸ける熱い思いを聞いた。 (宮崎美紀子)

 テレビ朝日で今月七日に始まった「~マイハム組」は、「マイスター」の称号を持つハムスターたちが、匠(たくみ)の技で人間を助ける物語。合言葉は「人じゃないけど仕事人」。主人公のガウディは、ハンマーで何でも作ってしまう天才的建築家の「大工マイスター」。ほかにもパティシエ(菓子職人)、パイロット、レスキューのスペシャリストなど、さまざまな職能を持つマイスターが登場。職人たちの「元締め」の老ハムスターだけが、マイスターの称号を与える権限を持っている。

 番組の狙いは、子供たちにさまざまな職業と、働くことの面白さを伝えること。企画したのは東映アニメーションのプロデューサー、ギャルマト・ボグダンさん。ルーマニア育ちでハンガリー国籍の三十八歳。

 「外国人の目で日本を見ると、日本はまだ学歴社会。でも、腕を磨いて職人になるという道もある。子供というよりも、一緒に見ている親へのメッセージです。子供に何か才能があれば、それを伸ばしてあげてほしい」

 そう思うのは、かつて日本の伝統工芸について研究した経験があることが大きい。海外から見た日本のイメージは「職人の国」だった。ハムスターが人間を助けるという構図は、町工場や職人が大企業を支えている日本のモノ作り現場の比喩(ひゆ)でもある。

 純粋に子供のためのテレビアニメを作りたいという強い思いもあった。ルーツはルーマニアでの子供時代にさかのぼる。

 「日本のアニメでは『アルプスの少女ハイジ』などの昔の子供向けアニメが好きですね。社会主義の国で、アメリカのアニメはあまりないのに、なぜか日本のアニメは多くて、小学生の時、おかっぱ頭の子は『カリメロ』と呼ばれていた。子供のころに見たアニメが、私のベターアニメーション」

 押井守さんや宮崎駿さんの映画など、世界で高く評価されるアニメはあるが、ハイジのオープニングの、空に飛び立つようなブランコのシーンに勝る感動はないという。

 ルーマニアでの大学生時代は、チャウシェスク独裁政権に対する民主化運動の闘士として活動、逮捕も経験した。その後、父の祖国ハンガリーに逃れ、一九九二年、文部省(当時)の留学生として来日。千葉大大学院でデザインを学ぶうちに、アニメ業界を志すようになった。昨年八月の入社以来、三十以上の企画を出し、今回、初めて作品化が実現した。

 「映画より、アニメの方が表現力がある。まず子供を夢中にさせられる。そして、一生の思い出になる。でも今、日本には、子供のためのアニメが本当に少ない。受けるものはあるが、すべてゲームや漫画が原作で、キャラクター商品での商売を視野に入れている。アニメはエンターテインメント。三十分間、子供を楽しませられれば、それで目的は達成される。もう一度、ただのエンターテインメントとしてのアニメを復活させたい」。ボグダンさんの夢は膨らむ。

東京新聞  2007年10月12日 朝刊

ルーマニア革命戦士日本でアニメプロデューサー転身

あのチャウシェスク政権を倒した男が日本でアニメを―。
ルーマニア生まれのギャルマト・ボグダンさん(38)がプロデュースしたアニメ「はたらキッズ マイハム組」(テレ朝系、日曜・前6時30分)が7日から始まる。壮絶な半生を経て、母国から遠く離れた日本で実現したアニメ作りの夢。ボグダンさんは「日本人のモノづくりの素晴らしさを伝えたい」と語る。

 主人公は不思議な能力を持つハムスター。大工や消防士、パティシエに医師…。“仕事人”ハムスターが、人間社会のさまざまな難題に立ち向かっていく。「視聴者の方が、どんなふうに見てくれるのか。ドキドキしています」と目を細めるボグダンさんだが、アニメのかわいらしさとは対照的に、その半生は壮絶なものだった。

 1989年12月。ボグダンさんは“ルーマニアの東大”ブカレスト大の学生だった。「24時間寝ないで議論した。この国はどうあるべきかということを」ベルリンの壁崩壊以降、東欧の社会主義国では、民主化への動きがドミノ倒し的に活発化。ボグダンさんも有志を集い、チャウシェスク独裁政権の打倒という危険な計画のリーダーとなった。

 悪名高い秘密警察「セクリタテア」の監視は強まり、厳しさを増していく日々の生活。当局の嫌がらせなのか、愛犬のバルザック(コッカスパニエル)は家の庭先から消えた。それでも志に同調した仲間は数万人規模に膨張。デモ、衝突は何度も繰り返された。「先頭にいた軍人の銃口は上に向けられ、威嚇かなと思った。でも、そうじゃない。その間から顔を出した兵士が我々を撃ってきた」3歳下の弟・オビデューさんは右ひざを弾丸でえぐられた。

 チャウシェスク政権は崩壊。しかし、受難の日は終わらない。危険人物として混乱の中で当局からマークされ続けた。そして、いよいよ司直の手が。幸運だったのは検察官の娘が大学の同級生だったこと。事前に「逃げた方がいい」とリークしてもらい、電車に飛び乗り父の祖国であるハンガリーへ向かった。

 政治とは距離を取り、ブダペスト大で猛勉強を開始。三島由紀夫や黒澤明の作品を通じて日本文化の魅力にはまっていった。そしてアニメ。ボグダンさんが子供のころ、ルーマニアでは「ヤッターマン」「アルプスの少女ハイジ」といった日本のアニメが字幕付きで放送されていたという。

 ボグダンさんは文部省(当時)の留学生制度を利用して日本行きを決意した。千葉大で歴史や言語学を学び、98年にはスポーツジャーナリストの小松成美さんと結婚。日本は「第二の故郷」となった。

 来日後は、芸能プロダクションなどに勤務。昨年4月、長年の夢がかなうときがきた。あるパーティーで東映アニメーションの清水慎治さん(55)=経営企画室=と出会った。その後、食事をすることになり、ボグダンさんはその場で履歴書を手渡した。「『今までの人生を捨て、東洋の地でアニメを作り、世界へ発信したい』と言われた。すぐに会社に掛け合って面接しました」(清水さん)。外国人を即座にプロデューサーとして起用することは「非常に異例」だという。

 革命や政治的混乱に翻弄(ほんろう)されながら、日本で子供のころからの夢を実現させたボグダンさん。「日本人のモノづくりへの愛情や素晴らしさを表現した。物語性に徹底的にこだわっていきたいと思っています」

 ◆ギャルマト・ボグダン 1968年12月30日、ルーマニア・ブカレスト生まれ。38歳。父はハンガリー人、母はルーマニア人の二重国籍。ルーマニアのブカレスト大で比較文化を学び、89年の革命に参加し、チャウシェスク政権を打倒。その後、国を追われ、ハンガリーへと移住。ブダペスト大で日本文化を学ぶ。92年に来日。千葉大などで学び、98年に小松さんと結婚。通訳や翻訳家などを経て06年8月、東映アニメーションに入社。ハンガリー語、ルーマニア語以外に、英語、日本語、イタリア語、フランス語、スペイン語と7か国語を話す。

 ◆ルーマニア革命 1989年12月16日、同国西部でハンガリー系住民の強制移住に反対する市民らが警官隊と衝突したのをきっかけに、反政府デモが全土に拡大。その後、軍も市民を支持。チャウシェスク大統領は同22日、首都をヘリコプターで脱出したが、捕らえられ銃殺刑に。共産党による独裁政治は終息した。

(2007年10月6日  スポーツ報知)

今月は身の周りで、世界にかかわることが起きている。自分の知人や身内でも、着実に蜂起されることになるだろう。楽しみである。

つづく

2007年10月13日 (土)

インターネットだけの音源

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ホワイト・ストライプス (The White Stripes) はアメリカのロック/ブルーズ・デュオ/バンド。アメリカ合衆国デトロイト出身。1997年にデビュー。ストロークスとともに、ガレージロック・リバイバルのバンドとして有名である。バンド名の由来は赤に白い縞の入ったペパーミント・キャンディから。
ジャック・ホワイト (Jack White、男性、1975年7月9日 - ) ボーカル、ギター、オルガン、ピアノ、マリンバ
メグ・ホワイト (Meg White、女性、1974年12月10日 - ) ドラムス、ボーカル

http://www.whitestripes.com/

2007年10月 8日 (月)

時計の逆まわり[泥棒まわり]について

[泥棒回り]というのは、車座でゲームやなんかをするときに、順番が時計回りに移動することを言う。和服を着たとき、懐に手を差し入れる方向だ、と大辞林では説明している。 「泥棒上戸」というのは、酒も飲めば甘いものも食う奴のこと。

中華ターンテーブルは日本の目黒雅叙園で考案されたもので、日本式の中国料理で
す。考案された当時は、泥棒廻りといって、和服の懐に手が入る時計回りを嫌い、
時計と逆に廻していました。ところが、席次が主席に向かって右が次席な事から時計回りが普及し、最近はどこでも時計回りになっているようです。最初に回した方向に、皆さんが“右へ倣え”するのが良いでしょう。考案された頃は「泥棒回りを嫌って時計と逆周りに回した」ということを知っておくのも楽しいですね。ターンテーブルを使わない時代には、主人が主賓から順に取り分けていました。
ターンテーブルになってからは、主賓から順にテーブルをまわして取るようにマナーも変化しました。永六輔さんが時間でモンゴルのゲルに入る時は時計回りに入ると話して居ました。先日テレビで見た窪塚洋介のインデアンの住居でも時計廻りに座に着く場面がありました面白い共通性ですね。

日本ではトランプゲームをするとき、時計回りは泥棒回りといって嫌われる。 「トランプものがたり」の著者松田道弘は、日本に最初に入ったカードゲームがオンブルで、 オンブルは反時計回りだったことが時計回りの嫌われた理由だろうと推理している。

スケートがメジャーな某地方では,反時計回りのことを「スケート回り」と言うらしい.まだ小さかった頃,子供達の間では反時計回りのことを「泥棒回り」と言っていた.この話をするとたいていの人は「聞いたことがない」という.

■トラックはなぜ左回り
歴史的な話をすると,過去には右回りの時代もあったらしい.アテネの第 1 回オリンピックでは右回りだったそうだ.
http://www.sportsclick.jp/track/02/index02.html
ちなみに,左回りと右回りで走ってみると,たいていの人は左回りのほうが確実に速い,という実験事実があるそうだ.
http://www.hamaspo.com/sport/vol_164/ans.html
遠心力の心臓への負担を軽減する,多くの人が左足を軸にする,などいろいろな説があるようだが,多分小さい時から左回りのトラックで走ってばかりいたから体が慣れてしまったということもあるのではないだろうか?

::::::::::::::::::::::::::::: 
「麻雀の東西南北の並びはなぜ実際の方角と逆なのだろうか?」
 「天井」もしくは「空」を地図に見立ててみてください。そうすると、上が北、右が東、下が南、左が西、となりますよね。この「東西南北」の並び順、よく覚えておいてください。 そこで、起き上がってください。そして今度は下を向いて・・・・・・いまの並び順のまま、天から地に振りおろすように床(ゆか)に(または地面、畳に)その四方の方位図を描いてみてください。
天に描いたのとは逆に、東の右に南が、東の正面には西が、そして東の左には北がきているではありませんか。つまり、実際の方角とは北と南が逆になり、それはそのまま、麻雀の並び順になっているのです。麻雀という遊戯は天(神)が人に恵んでくれたものであり、神々が私たちのゲームを天から見おろしている』 という考え方から、現在の東南西北(トン・ナン・シャー・ペイ)の並びがある、と言われています。麻雀に、天のアガリである天和(テンホー)や、地の恵みである地和(チーホー)という和了役があるのも、そうした言われからなのです。
 http://www.ix3.jp/hiii/01jgmusr/J-02-2arama10.htm

そもそも人は道を歩く場合、どちら側を歩くかという問題がある。我国では武士が刀を差していた関係ですれ違う際の鞘当を避ける為左側通行したといわれるが、古くから牛車も左側を走っており、明治時代には「人も車も左側通行」という規則が出来上がる。これに対して世界的に多いのは「人は左、車は右」という原則であるが、これはナポレオンの所為だという話がある。何でも彼の業績にするのは怪しいと思うが、当時の戦争では精鋭部隊を左側に配したのに対し、彼はこれを逆手にして相手を打ち負かしたことに始まるという。従って海で隔たれた英国にまで波及しなかったという事実に、この珍説の説得性がある。
身の周りを見渡すと、驚くほど左回りのものが多いことに気づかされる。盆踊りや大相撲の懸賞金お披露目など我国固有のものから、ジェットコースター、回転木馬など舶来品まで、大抵そうである。我国では中国の影響を受けて右回りを「泥棒回り」と称して敬遠したようだが、競馬場はフランス風の右回りの方が多く、マイナーな競輪・競艇は本家並に左回りとしている。そんな所にも輸入文化に頼った我国の姿を見る思いがする。
*佐山和夫著  『野球はなぜ人を夢中にさせるのか』   河出書房新社

-日本文学に見る河川-
沖縄の祭りを見ていると、ちゃんと左回りと右回りを区別しているものがありました。日本人は、今の説明の仕方ですから、左回りというのは不祝儀のときのものだということですけれども、あるいは泥棒回りとも言いますけれども、それは俗のことでして、要するに神がおりてくる、あるいは神の世界に近づく回り方が左回りなんです。右回りは人間の世界の回り方だと思います。
http://www.mlit.go.jp/river/shinngikai/kondankai/bungaku/4/4-p04.html

物理の便利さにかまけて、昔から地名を番号にするようなことはどうなのだろう。趣のある言葉を、死語にするのはたやすいことではある。しかし意味や機能のあった文化や慣わしを、簡単に捨てていいことにはならないと思う。

[泥棒も急がば回れ]

2007年10月 5日 (金)

月こそ出でて候へ

東国のお坊さまが旅へ出てまだ見ぬ京の都へとやってきました。
着いたのは六条河原院。そこで汐汲みを生業としているという老人に出会います。
海のない京の町で汐汲みとはおかしな話ですがこここそは遠い昔、源融が名高い陸奥の塩釜の景色をそのままに移した所なのです。大阪から海水を毎日運び塩を焼く風情を楽しんでいたここならば汐汲む人がいるのももっともです。この塩釜を移した六条河原院のことはもちろんお坊さまも聞き及んでいました。
この日はちょうど秋の最中、仲秋の名月。夜が更けて月に照らされた景色を見て老人とお坊さまは「僧は敲く月下の門」の漢詩を思い浮かべ心を通わせます。
お坊さまに尋ねられるままに東から南、西と老人は河原院から見える京の名所を教えます。そうこうするうちに月は高く昇り、潮を汲むべき時間がとうの昔にきていたことに老人は気付くのでした。時を惜しみ桶を担いで波間に入り、潮を汲む老人。その姿はいつしか汐曇に隠れて消えてしまいました。

不思議な思いでたたずむお坊さま。そこへ里の人がやって来ます。お坊さまは河原院の話をこの人からも聞き、そして先ほど不思議な老人とであったことを話します。すると、里の人はそれはまさしく融大臣の霊であろう、というのでした。
もう一度融大臣の霊に逢える事を期待して、お坊さまは河原院の跡で仮寝をします。すると、はたして融大臣が現れました。今度は在りし日の気高い貴公子の姿で。融大臣はその昔、この塩釜に舟を出して酒宴を楽しみ、月光を浴びて舞い遊んだことを思い出して舞い始めます。そして、夜明けが近づき月が西に入るとともに融大臣も月の都へと帰っていくのでした。

「月もはや 影傾きて明け方の」時となり、「この光陰に誘われて月の都に入り給ふ」

能楽『融』は 「春」→「桜」→「業平」=「雲林院」「小塩」とは好対照な名曲、それが「秋」→「月」→「融」なのである。

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羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
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22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

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  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。