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2008年1月31日 (木)

パウル・クレー(Paul Klee, 1879年12月18日 - 1940年6月29日)

ドイツでワシリー・カンディンスキーらの青騎士のグループに参加し、バウハウスで教鞭をとったこともある。その作品は表現主義、超現実主義などのいずれにも属さない、独特の世界を形づくった20世紀の画家、美術理論家。


パウル・クレー・センター (ベルン)1879年、スイスの首都ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーに生まれた。父は音楽教師、母も音楽学校で声楽を学ぶという音楽一家であった。クレー自身もプロ級のバイオリン奏者であり、1906年に結婚した妻もピアニストであった。彼は音楽ではなく絵の道を選び、1900年、ミュンヘンの美術学校で象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックの指導を受ける。なお、シュトゥックはカンディンスキーの恩師でもあった。

クレーは初期には風刺的な銅版画やガラス絵などを試み、また、アカデミックな手法の油絵を残している。1906年以降、ミュンヘン分離派展に銅版画を出品。1910年にはベルン等で個展を開く。カンディンスキー、マルクらの「青騎士」展には第2回展から参加している。クレーの画業において転機となったのは1914年春から夏にかけてのチュニジア(北アフリカ)旅行であった。この旅行に感銘を受けたクレーは鮮やかな色彩に目覚め、作風は一変する。クレーの画集等で紹介されている色彩豊かな作品は、ほとんどがこの旅行以後のものである。

クレーは1916年から1918年まで第一次世界大戦に従軍。1921年から1931年までバウハウスで教鞭をとった。彼は芸術理論にも通じ、多くの理論的著作を残している。 1931年から1933年までデュッセルドルフの美術学校の教授をした後、晩年の数年間は故郷ベルンで過ごしている。最晩年は手がうまく動かない難病にかかるが、背もたれのある椅子に座り、白い画用紙に黒い線を引くことにより天使などの形を描いては床に画用紙を落とす事を繰り返したという。 その天使の絵に心を打たれた詩人谷川俊太郎は「クレーの天使」という詩集を出している。

St_beatenberg Forgetful_angel

「芸術は見えないものを見えるようにする」と主張していたクレーの作品は、通常のキャンヴァスに油彩で描いたものはむしろ少なく、新聞紙、厚紙、布、ガーゼなどさまざまな支持体に、油彩、水彩、テンペラ、糊絵具などさまざまな画材を用いて描いている。サイズの小さい作品が多いことも特色で、タテ・ヨコともに1メートルを超える「パルナッソス山」のような作品は例外的である。

ヴァルター・ベンヤミンの『歴史哲学テーゼ』で語られる高名な「歴史の天使」論は、クレーの『新しい天使』に触発されたものである。ベンヤミンは、ドイツからの亡命途中ピレネー山中で自殺するまで、この絵を携行した。
(Wikipedia.より)
Kleeyellowbirds Kleek 

[Paul Klee 主な作品]
パルナッソス山(1932年)R荘(1919年)死と炎(1940年)
忘れっぽい天使(1939年) プルンのモザイク(1931年)故郷 

ツェントルム・パウル・クレー(ドイツ語、英語、フランス語)
http://www.paulkleezentrum.ch/ww/de/pub/web_root.cfm

http://www2.plala.or.jp/Donna/klee.htm
http://www.paul-klee-japan.com/

パウル・クレー 人間としてそして芸術家として
http://www.swissinfo.ch/jpn/swissinfo.html?siteSect=2550

この世では私は理解されない。
いまだ生をうけてないものや、死者のもとに私がいるからだ。創造の魂に普通よりも近付いているからだ。
だが、それほど近付いたわけでもあるまい。
Paul Klee(1879-1940)

 Kleep  Paulklee     
ロラン・バルトは「芸術作品は歴史がみずからの満たすべき時間をすごしている様式である」と言った。ウンベルト・エーコは「芸術作品は歴史と心理が異なる情報を受信した者が描いたテクストである」と『記号論』に書いた。
この二つの定義にともに適う作品を描き、かつそのことを自身で言葉によって論証し、さらにそのことを後世の青年青女たちに「方法」として送信したアーティストはというと、パウル・クレーがその稀な一人だったと思っている。それなのに、ラディカルな瞠目すべき方法の提示が受けとめられていない。
 
パリに移ったコルビュジエがアメデオ・オザンファンの「ピュリスム」(純粋主義)に共鳴したように、クレーもまたパリに入ってすぐにロベール・ドローネを訪れて「オルフィスム」に共感した。オルフィスムはアポリネールがオルフェウスに因んで名付けた感覚的な表現動向のことだが、いわば「絵画的テクストは歌えるものだ」ということを告げていた。クレーとともに、レジェ、ピカビア、デュシャンがこの歌を奏でた。

クレーには「スペーシャル・オーガニズム」があったのである。
空間的有機体への確信だ。それとともに、クレーは、「インディビデュアル」ということを突きとめていた。インディビュアリティ(individuality)といえば、誰もがみんな「個性」をさしているような気になっているようだが、"individual"とは、もともとは"vidual"(分割できるもの)に対する「非分割的なもの」を意味している。すなわち「分割できない有機性」がインディビデュアリティなのである。
「無理にでも分割しようとすると、その引き離された部分は死滅してしまうのだ。分割できなくて融合していることが、本来のインディビデュアリティなのだ」

 クレーは分割できるものと分割できないものの、その両方をバウハウスの授業で「構成」および「動向」の分節思考法として提供したのである。スペーシャル・オーガニズムとはそのことだ。そのスペーシャル・オーガニズムの方法についての講義ノートとなったのが『造形思考』である。
 方法の核はただひとつ、分節とは何か――。

その現代デザイン史上の僥倖をいくら強調しても、強調しきれない。クレーはもともと「形態の学校」を熱く想像していたのだった!
クレーがそのバウハウスで方法の魂を傾けたこととは、造形(フォルム)にとって最も重要なこととは、「分節」ということなのである。アーティキュレーションだ。アーティキュレーションとはバロック期までの声楽および器楽のための音楽用語でもある。むろん言語学用語でもあって、かつて言葉と音楽が蜜月的照応関係をもっていたころ、アーティキュレーションはすべての表現の鍵を担っていた。クレーはそれを持ち出した。
クレーは「色の画家」であって、生涯を通しての「音の画家」でもあった。音楽と言語にも関心を寄せながら「分節」を凝視するのだが、それを造形思考に持ちこむにあたっては、実に多くの例示と闘った。例示というのは、人類が積み重ねてきたあらゆる「線」を片っ端からトレースしてみるということだ。
「芸術とは目に見えるものを再現することではない」
「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることである」

 バウハウスの初日の授業のとき、クレーは何も言わずに木炭を手にすると、画架にかけた油紙に全神経をこめた2本の線をゆっくり引いたという。電気のようだったという記録がのこっている。
 そして、これを学生に画用紙に描かせ、おもむろにその木炭の持ち方、姿勢、つづいて一人一人の線の描き方に注文をつけていった。それからしばらくしてある線をスライドで見せ、さらにこれをスケッチさせてから、その線が含まれるマチスの絵のスライドを見せた。よくよくマチスの絵を見せておいて、そこでクレーはカーテンを引き、電気を消したのだ。そのうえであらためて、マチスを描かせたのだ。学生たちは愕然とした。
 これが、「見えるもの」と「見えるようにすること」のあいだにある出来事なのである。この見えたマチスと、暗闇になったあとのアタマの中のマチスとのあいだに、クレーの分節論がすべて凝結していたのである。

 分節はデッサンやデザインなら、鉛筆をとったのちの、まず紙の上に始まっていく。そうだとすれば、イメージはなんらかの造形思考を開始することによってしか取り出せないということなのだ。それが音であるのなら、ピアノに向かうか、ハミングするか、あるいは楽譜に落とすかとしないかぎりは取り出せない。
 いま、諸君が目の前の何かを見ているときも、以上のことと同じことがおこっているはずである。アタマの中から何かを別のメディアに取り出さないかぎり、その目の前の見ていることは、何も進まない。見ているだけでは、何もおこらない。それを見えるようにするにはイメージそのものを分節していかなければならない。

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 クレーが人類の原始時代からの線描に関心をもったのはそこからである。エジプトに旅行をしてプリミティブな線描画に出会い、衝撃をうけたのは、この「イメージに内在する分節性」に直面したからだ。クレーは驚くほど多くの歴史上の線描に注目し、これをひとつずつスケッチし、さらに自分の内面(アタマの中)に入れては、しばらくしてこれを取り出していった。その作業に集中した。
 こんなエクササイズを繰り返した画家が、かつていたのだろうか。それはアンリ・ミショーがメスカリンを飲んで衝動をもってドローイングした線ではなかったのである。ウィリアム・ブレイクが霊感から導き出した線でもなかった。ハンス・ベルメールが少女の体に見出した線でもない。クレーの線は、人類の原型的な分節思考がとどめた記憶を引きずり出したのである。

もし諸君のアタマの中でデザインや編集が進まないというのなら、一度、パウル・クレーに立ち戻ってみるとよい。目からウロコがはがれ、脳のスダレがあがるだろう。それがどうしても面倒だというなら、パソコンを切り、部屋の電気を消して、アタマの中に30分前に浮かんだことをトレースしてみることである。
『造形思考』Paul Klee : Das Bildneische Denken 1956
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1035.html

ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian, 1872年3月7日 - 1944年2月1日)

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19世紀末~20世紀のオランダ出身の画家。ワシリー・カンディンスキーと並び、本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家とされる。

モンドリアンは、初期には風景、樹木などを描いていたが、やがて完全な抽象へ移行する。有名な「リンゴの樹」の連作を見ると、樹木の形態が単純化され、完全な抽象へと向かう過程が読み取れる。作風は、表現主義の流れをくむカンディンスキーの「熱い抽象」とはまったく対照的で、「冷たい抽象」と呼ばれる。水平と垂直の直線のみによって分割された画面に、赤・青・黄の三原色のみを用いるというストイックな原則を貫いた一連の作品群がもっともよく知られる。

モンドリアンは1872年、オランダのアーメルスフォールトに生まれた。1892年から1897年までアムステルダム国立美術アカデミーにおいて、伝統的な美術教育を受けている。1911年、アムステルダムにおける美術展でキュビスムの作品に接したことがきっかけで、パリへ行く決心をする。1912年から1914年までのパリ滞在期間に抽象への志向を強めた。

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1917年にはテオ・ファン・ドースブルフとともに芸術雑誌『デ・ステイル』を創刊。ここで彼らの唱えた芸術理論が「新造形主義」と呼ばれるものである。モンドリアンは宇宙の調和を表現するためには完全に抽象的な芸術が必要であると主張し、水平・垂直の直線と三原色から成る絵画を制作した。そうした抽象画のモンドリアンを理解する人も多かったが、生活のために淡い色調で描かれた植物(特に花)の絵を描いては売っていたという。 

1940年には戦禍を避けてニューヨークに移住、同地で1944年に没する。ニューヨークに移住してからの作品『ブロードウェイ・ブギ・ウギ』などは、上述の原則に従いつつも、より華やかな画面となり、完全な抽象絵画でありながら、画面からはニューヨークの街の喧騒やネオンの輝きさえ感じ取れるように思える。

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2008年1月30日 (水)

無意識の形を喚起させるカード

ペンギンタロットカードは不可思議なシンボルが描かれて、これらキーワードを繋ぎ合わせることでタロットは世界の側面を照らし出すとことができる。漠然とした無意識の断片が、元型のイメージとしてのカードによって具現化され、その人固有の無意識の形を喚起させる。
非合理的なシンボルやイメージこそが、無意識の世界を解く鍵。

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無意識の領域に存在して無意識に人を動かす全人類に共通する心理パターン。このパターンが自然界にもあったことを符合させた図形こそタロット。 無意識の中にあるものを喚起させ、導き出されたキーワードを解釈することでその人だけに当てはまるパターンがある。“シンクロニシティ(共時性)”という無意識の領域にあるものと現実の世界に起こることには一種のアナロジーが存在し、人が偶然として片付ける出来事も、すべては無意識の中にある原因により必然的に起きている。自分の無意識を知ることで、これから自分の身に起こることや、未来に起こる出来事を予測することができる。タロットは普遍な無意識を発掘する道具であり、その無意識を意識化する手段として、占い師が相談者の未来を予測する際に行うカード解釈は、まさしく医師が患者に質問を出して、その内容から医学的に解釈し、患者の精神状態を推測しながらカウセリングを行う心理学の手法そのものです。 

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占いやゲーム性の底に秘められたTAROTの真意を、
ユーモラスで哲学的なペンギンのキャラクターによって顕した大アルカナ22枚
TAROT図形学より、視覚からも分りやすく覚えられる

新しいアテンション(注意)と上昇力を前向きに促すために作られたカードです。
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「ペンギンタロット」22枚組1セット・解説書(A4判図版多数16頁)付 

タロットサイズ(7×13cm)  \3,000円

名刺サイズ            \2,000円

               (消費税込み)   

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制作・プリントすべて手作り生産のため初回100部限定です。
なお初回は送料無料のサービスを行います。

「ペンギンタロット」の世界へ・・・ http://koinu.cside.com/
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第80回アカデミー賞にノミネートされた短編アニメと実写映画を限定上映

 [シネマトゥデイ映画ニュース] 映画芸術科学協会は、第80回アカデミー賞の短編アニメと短編実写部門でノミネートされた作品をビバリーヒルズの映画館で限定上映すると発表した。上映は2月19日からで、オスカー週間と呼ばれる24日のアカデミー賞までの1週間のスタートを飾るイベントとなる。上映イベントでは、ノミネート作品の監督によるディスカッションなども予定されている。ノミネート作品は以下のとおり。

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短編アニメ賞
『アイ・メット・ザ・ワルス』(原題)
『マダム トゥティ=プティ』(原題)
『イーブン・ピゲオン・ゴー・トゥ・ヘブン』(英題)
『マイ・ラブ』(英題)
『ピーター・アンド・ザ・ウルフ』(原題)

短編実写賞
『アット・ナイト』(原題)
『ザ・サブスティチュート』(英題)
『ザ・モーツァルト・オブ・ピックポケッツ』(英題)
『タンギ・アルジェンティーニ』(原題)
『ザ・トント・ウーマン』(原題)

リンク: 第80回アカデミー賞にノミネートされた短編アニメと実写映画を限定上映 - シネマトゥデイ | 映画の情報を毎日更新.

アカデミー賞ノミネート、美術賞、撮影賞、衣装デザイン賞含む全リスト

2008年1月29日 (火)

レディオヘッド In Rainbows 全曲試聴

In_rainbows

Radiohead   In Rainbows  全曲試聴
1. 15 Step  http://www.youtube.com/watch?v=WedRDYmtvX4&feature=related
2. Bodysnatchers  http://www.youtube.com/watch?v=MzEWPI2Ttvo&feature=related
3. Nude   http://www.youtube.com/watch?v=ojn0LJc6uPg
4. Weird Fishes/Arpeggi  http://www.youtube.com/watch?v=-3DrL8pwu1k&feature=related
5. All I Need  http://www.youtube.com/watch?v=SlZrzHGWcdA&feature=related
6. Faust Arp  http://www.youtube.com/watch?v=qjkHmkCpQJA
7. Reckoner  http://www.youtube.com/watch?v=KBalSWs5ngY&feature=related
8. House of Cards  http://www.youtube.com/watch?v=GwzfPNZUrE4&feature=related
9. Jigsaw Falling into Place http://www.youtube.com/watch?v=E-RllNyZt90&feature=related
10. Videotape  http://www.youtube.com/watch?v=-Z7zThqVBhU&feature=related

レディオヘッドは配信というスタイルで、値段は「貴方次第」という、現在の音楽状況に対する挑戦的・建設的なトライアルを行った作品。音楽的には OK Computer 以降遠ざかっていた本来的なロックの表現に戻っている。しかし単純な原点回帰的なものではなく、ロックそのものを対象化するスタジオワークを経て、自然な形でなしえた奇跡的なる成果がここにある。晴々とした自然な表現者の生理感覚でつくられた In Rainbows は いままでにないレディオヘッドのアルバムである。

レディオヘッド公式 http://www.radiohead.com/deadairspace/
レディオヘッド日本サイト http://www.barks.jp/artist/?id=1021912
RADIOHEAD(レディオヘッド)のファンサイト http://www.idiotcomputer.jp/

2008年1月28日 (月)

ワシリー・カンディンスキー Wassily Kandinsky 1866年12月4日 - 1944年12月13日

現代抽象絵画の創設者として、絵画史上特筆される存在。その影響は測り知れないものがあり、今日に至るまで、抽象絵画を目指す画家たちのインスピレーションの源泉となってきた。

モスクワに生まれ子供時代をオデッサで過ごした。1886年から1892年まで、モスクワ大学で法律と政治経済を学ぶ。1896年にミュンヘンで絵の勉強を始め、象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックに師事する。1902年、ベルリンの分離派展に出品。1904年からはパリのサロン・ドートンヌにも出品している。1909年には新ミュンヘン美術家協会会長となるが、1911年にはフランツ・マルクとともに脱退して「青騎士」(デア・ブラウエ・ライター)を結成した。

トレチャコフ美術館蔵革命後、1918年にモスクワに戻った。当時のソ連では前衛芸術はウラジミール・レーニンによって「革命的」として認められており、カンディンスキーは政治委員などを務めた。しかし、ヨシフ・スターリンが台頭するにつれ前衛芸術が軽視されるようになり、スターリンが共産党書記長に就く直前の1921年に再びモスクワを離れてドイツへと向かった。

1922年からはバウハウスで教官を務め、1933年にナチス・ドイツによってバウハウス自体が閉鎖されるまで勤務した。1941年にフランスがナチスによって占領されたのにも関わらず、彼はアメリカへの移住を拒否し続け、パリ郊外に位置するヌイイ=シュル=セーヌでその生涯を閉じた。なお、1928年にはドイツ国籍、1939年にはフランス国籍を取得している。

19世紀末から20世紀初頭にかけ、後期印象派、表現主義、フォーヴィズムといった運動が次々と起こり、従来の伝統を越えた個性的な絵画が現れた。目前の対象をそのままに表現するのではなく、画家の内面を通して再構成した上で、それを自由に表現するという態度をとった。カンディンスキーに至って、およそ見えるものの形にとらわれない、純粋に抽象的な絵画が出現した。

カンディンスキーの抽象画の記念碑とも言うべき作品群、インプロヴィゼーションとコンポジションはいずれも音楽と共通タームです。ワーグナーの音楽に深く傾倒したカンディンスキーは、音楽の本質を時間の芸術という面に見た。音楽とは、音によって満たされた時間の流れであり、聞くものの精神を音によって導きながら、時間の広がりの中でその想像力を開放し、強い情動を起こさせる。人間の生を豊かなものにする作用を持つというのが、彼の信念だった。

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1910年の作品「水彩による始めての抽象画」、彼は油彩の抽象画インプロヴィゼーションを発表してセンセーションを巻き起こした。彼はある時、自分の作品を薄暗闇の中で、しかも逆さの状態で見て強い感銘を覚え、具象にこだわらなくとも絵画は成立するのだと確信した。初期の抽象画はその時の感動を定着させようとする試みであり、点と線と面による自由なイメージ形成と、色彩の重なり合いによって、ポリフォニックな世界の創造を目指している。

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2008年1月27日 (日)

Radiohead-In Rainbows 歌詞 対訳

1
15 step

君は前は元気だったのに 何があったの?
どうして黙っているの?どうしてうつろな目をしてるの?

一つずつ 一つずつ それは僕らみんなにやってくる
それは君の枕ぐらいソフトなんだ

君は前は元気だったのに 何があったの? それに君……
何に熱中してるとしても 15のステップ それからまっ逆さまに落ちる

どうして僕は最後には元の場所に戻ってしまうの?
どうして僕は失敗で終わるの?
僕はとても楽しいひとときからもう二度と目を離さないよ
君は僕を繰り出し その糸を切る

2
bodysnatchers

それが何なのか分からない 僕は罪を犯した
穴だらけだ 脈をとって まばたきをして YESなら1回 NOなら2回

自分が何のことを話しているのか分からない
僕はこの体に閉じ込められて出られない

君は気配を消し 背骨を抜き取る 端を切っただけのまがい物

君が何のことを話しているのか分からない
君の口は誰かの手によってしか動かない くそったれ

明かりは君のせいでどこかにいってしまったんだろう?
だって明かりは僕のせいでどこかにいってしまったんだから 21世紀だ 21世紀
それは犬のように君についていくことができる そしてそれは僕をやり込めた
彼らは皮を手に入れて僕に貼りつけた 彼らは皮を手に入れて僕に貼りつけた
方針として僕の顔はくるまれた 方針として僕の顔はくるまれた
彼らは目に映る他の誰かの味方だ 彼らは目に映る他の誰かの味方だ

僕は嘘だ

3
nude

大それたことを考えるなよ 実現しないんだから
君は君自身を白に染め 騒音で埋めつくす だけどそこには何かが足りない

それは見つけた瞬間 なくなってしまう
感じたと思った瞬間 もう感じない 君はおかしくなってしまったんだ

だから大それたことを考えるなよ 実現しないんだから
君は地獄に行く 君の汚れた心が考えることのために

4
weird fishes / arpeggi (奇妙な魚/アルペジオ)

最も深い海 その海底で 君の目が僕を変える
一体どうして僕はここにいるの? どうして?
君の先導する場所をたどらないなんてどうかしてる
だから僕はついていく 君の目が僕を変える
僕を幻影に変えて 僕は世界の果てまでついていき この世から消える
誰だってチャンスが来れば発つんだ そしてこれは僕のチャンス

虫と奇妙な魚に食べられる 虫と奇妙な魚に選び抜かれる

僕は海底に達して抜け出す

5
all I need (必要なもの)

僕は出番を待つ次の幕 僕は君のかっこいい車に閉じ込められた動物
僕は君が無視することにしている日々の全て
必要なのは君だけ 必要なのは君だけ
僕はアシの中で横になって君の写真の真ん中に写ってる

僕はただ君の明かりを共有したいだけの蛾
僕はただの夜から抜け出そうとしている虫
僕はただずっと君と一緒にいるだけ 他には誰もいないから

必要なのは君だけ 必要なのは君だけ
僕はアシの中で横になって君の写真の真ん中に写ってる

間違ってる 大丈夫 大丈夫 間違ってる 大丈夫 大丈夫

6
house of cards - radiohead

君の友達にはなりたくない 僕はただ愛人になりたいんだ
それがどのように終わろうと どのように始まろうと
君の頼りない計画のことなんて忘れなよ 僕は地雷をしかける
頼りない計画のことなんて忘れなよ 僕は地雷をしかける
テーブルから落ちて その下に掃き込まれる

否定 否定

電圧ノイズのせいで社会基盤は崩壊するだろう
ボウルの中の鍵を投げて 旦那さんにおやすみのキスをして
君の頼りない計画のことなんて忘れなよ 僕は地雷をしかける
頼りない計画のことなんて忘れなよ 僕は地雷をしかける
テーブルから落ちて その下に掃き込まれる

否定 否定 否定 否定 (君の耳はきっと燃えている)
否定 否定 (君の耳はきっと燃えている)

7
reckoner
 
推測者 喜びを求めて踊りながら それを持っていくなんて出来ないよ

ほろ苦いおとりのことで君に責任はない
僕には話す勇気がない それは名前だ 全ての人間に対して献身的

だって僕らは空虚な海岸のさざ波のように離れ離れになってしまうから 虹の中で
だって僕らは空虚な海岸のさざ波のように離れ離れになってしまうから

推測者 僕を連れていって 全ての人間に対して献身的

8
faust arp - radiohead

起きて さぁ起きて それは断続的
ドミノみたいに倒れる僕を見て 素敵な模様になるんだ
クロウタドリのパイの中の指 僕はうずうず うずうず うずうず
それは君が感じていること でも感じるべきじゃないこと
感じるべきじゃない 感じるべきじゃない
理性的で賢明 頭が死んでるみたいにバカ
たぶん僕はおなかいっぱい いっぱい いっぱい
僕らは君には才能があると思ってた
だけど違った 違った 違った 理由なんてない

ビールの空き缶と空きビンを握り締めなよ
僕は拍手に答える 答える 答える
それは君が感じていること でも感じるべきじゃないこと
感じるべきじゃない 感じるべきじゃない
部屋の中の象が転げまわってる 転げまわってる 転げまわってる
2、3枚 2、3枚のビニール袋 頭が死んでるみたいにバカ
たぶん僕はおなかいっぱい いっぱい いっぱい
僕らは君には才能があると思ってた だけど違った 違った 違った
具体的に君はどこでやめたの? たくさんだ たくさんだ
君を愛してる でももうたくさんだ それにはもううんざりだ 理由なんてない

9
Jigsaw Falling Into Place Radiohead

君が僕の手を取り僕の電話番号を書きとめる
ドリンクが届き君のお気に入りの曲がかかる
そうしているうちに君のおしゃべりが途切れていく
ぜんまいがゆるんだように
飲みすぎる前に意識を取り戻して集中するんだ

壁が形を失い君がチェシャ猫のような笑みを浮かべ
全てが滲んでひとつになる
この場所は使命を帯びているんだ
夜のフクロウが来る前に 夜の動物たちが鳴き声をたてる前に
監視カメラが回る
昏睡してしまう前に

君が僕から逃げ出す前に
君が騒音のはざまに消えてしまう前に
ビートがぐるぐる回る ビートがぐるぐる回る
そこに辿り着いたことなんかなかった
そういう振りをしていただけ
楽器なんか何になる
言葉なんかノコギリで切り落とされたショットガンだ

さあ、言うんだ さあ、言うんだ

君が僕から逃げ出す前に 君がほどけていってしまう前に
君が僕のマイクを取ってしまう前に
君が踊って、踊って、踊っているうちに

パズルのピースが あるべき場所にはまっていくように
説明することなんか何もない
君とすれ違う時に見つめあう
彼女が振り返り、君が振り返る
一度だけじゃない二度だけじゃない
悪夢が去るよう願うんだ
君の背中に光があるのを感じるだろう
パズルのピースがあるべき場所にはまっていくように

10
Videotape Radiohead

いつか天国の門に着いたら
こんなことが僕のビデオテープにビデオテープに
メフィストフェレスがすぐそこに 僕をつかんで連れて行く
これさえあれば素晴らしい日
そんなもののすべてがここに 赤、青、緑色とりどりの
こんなことが僕のビデオテープにビデオテープに
メフィストフェレスがすぐそこに 僕をつかんで連れて行く
きみこそ僕の中心だ
僕が弾けていくときはコントロールを脱け出す
僕の様子がビデオテープの中 ビデオテープの中
これが僕のサヨナラの伝え方
目を見て言うなんで無理だから
時間切れになった頃僕はきみに話し掛ける
ビデオテープで
いまから何が起ころうとも怖がったりしないで
だってこれほど完璧な日は初めてなんだから

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レディオヘッド日本サイト http://www.barks.jp/artist/?id=1021912
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2008年1月26日 (土)

ベリーのパラドックス(ベリーの逆説)

19文字以内で記述できない最小の自然数を求める。
するとその数は、「19文字以内で記述できない最小の自然数」
という19文字で表現が可能であり、
19文字以内で記述できない最小の自然数という定義に合致しない。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
自然数に対して、25字以内で名前をつける。(定義する)
たとえば、自然数7は
①「5より大きい最小の素数」
②「3+4の和」

①②いずれにせよ25文字以内で定義できた。
つまり7は「25文字以内で定義できる自然数」である。

では、25文字以内で定義できない最小の自然数を考えよう。
極めて大きな数字や複雑な数字であれば、25文字以内で
定義できない数は確かに存在する。その最小の数も存在する。

その数字をnとしたとき、
①25文字以内で定義できない最小の自然数
②nは25文字以内で定義できない。
この②の文章は数えてみると、16文字。余裕で定義できた。

10008854054

アンリ・マティス(Henri Matisse, 1869年12月31日 - 1954年11月3日)

フランスのル・カトー・カンブレジに生まれる。はじめ法律家を志すが、1890年、盲腸炎の療養中に絵画に興味を持ち、画家に転向、ギュスターヴ・モローに師事した。
リーダ-的存在であり野獣派(フォーヴィスム)の活動が短期間で終わった後も、20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。豊かな色彩をみごとに形体に調和的させることで知られるアンリ・マチス。形体のデフォルメによりあえて静寂を乱すかの様なパブロ・ピカソ(1881-1973)。美術史の中では相反する者同士として語られるが、ライバルであった二人の関係をピカソはいう。
「誰も自分ほどマチスの絵を注意深く見る者はいないし、マチスほど自分の絵を注意深く見る者はいない。」                                     
マチスとピカソが出会うのは1906年頃のパリで、両者の関係を全て覆したのがキュビズムの走りともなった。マチスは常に豊かな色彩を忘れなかったが、キュビズム台頭後は、その影響を受けるかの様に作品の中に抽象的な線や幾何学的な色面を持ち込むようになる。

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マティスの初期の作風は写実的なものだったが、フィンセント・ファン・ゴッホ 、ポール・ゴーギャン、の影響を強く受け、自由な色彩による絵画表現を追及するようになる。『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』(1905年)、『ダンスI』(1909年)など、大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表し、モーリス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドランらと共に野獣派と呼ばれるようになる。長年にわたり所有したポール・セザンヌの油彩画『水浴する三人の女たち』が新たな作風を確立するための支えとなったという。線の単純化、色彩の純化を追求した結果、切り絵に到達する。マティスにとってハサミは鉛筆以上に素画に適した道具だったのである。『ジャズ』シリーズなど切り絵の作品を多数残している。

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[代表作]
『ブーローニュの森』(1902年)『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』(1905年)『ダンスI』(1909年)『金魚』(1912年)『ナスタチウムと「ダンス」』油絵/カンヴァス(1912年)『画家の娘』(1918年)『模様のある背景の装飾的人体』油絵/カンヴァス(1925-26年)トルコ椅子にもたれるオダリスク』油絵/カンヴァス(1927-28年)『ルーマニアのブラウス』油絵/カンヴァス(1940年)『眠る女と静物』油絵/カンヴァス(1940年)『ジャズ・サーカス』(1947年)『赤い室内、青いテーブルの上の静物』油絵/カンヴァス(1947年)『大きな赤い室内』油絵/カンヴァス(1948年)『ブルー・ヌードⅡ』切り紙絵(1952年)

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2008年1月25日 (金)

砂山のパラドックス( paradox of the heap)

砂山から砂粒を個々に除去していくことを想定する。ここで、次のような前提から論証を構築する。

「砂山は膨大な数の砂粒からできている」(前提1)
「砂山から一粒の砂を取り除いても、それは依然として砂山のままである」(前提2)
前提2 を繰り返し適用したとき(つまり、毎回砂山の砂粒数は徐々に減っていく)、最終的に砂山の砂粒が一粒だけになる。前提2 が真であるなら、この状態も「砂山」だが、前提1 が真だとすれば、このような状態は「砂山」ではない。これが矛盾である。

このとき、このような結論を防ぐ方法がいくつか存在する。ある者は、砂粒の集積が砂山となること(あるいは、それを砂山と呼ぶこと)を否定することで第一の前提に反対する。またある者は、砂山から砂粒を1つ取り除いたとき、必ずしも砂山のままではないと主張することで第二の前提に反対する。さらに別の者は、一粒の砂であっても砂山と呼べると主張することで結果を肯定する。(Wikipedia)より

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このパラドックスを聞いた大抵の人が最初に考えることは、「砂山」と呼べる砂粒の数の下限を設定することである。例えば、ある人が1万粒を下限とした場合、砂山から砂粒を取り除いていって1万粒未満になった時点で、「砂山」ではないとする。

しかし、この解決策は哲学的にはあまり満足できない。
なぜなら、9,999粒と10,001粒の差異はほとんどないからである。つまり、10,001粒なら砂山で 9,999粒なら砂山でないという定義は、0粒なら無で 1粒でもあれば砂山だとする解釈の境界値を恣意的に変えたに過ぎない。それにも関わらず、このような明確な線引きが実社会ではよく見受けられる。例えば、学力検査では一般にある点数以上の成績を上げないと合格とされない。
他にも「ラクダの背骨を折るのは最後のワラ一本」ということわざのように明確な境界値があるように見えるものもあるが、実際にはラクダの個体の選択などいくつかの点で任意の選択がなされている。
砂山のパラドックスは単に、人が曖昧な言語をどのように使うのかについての論理的分析を示したものである。それは、曖昧な言葉の定義に万人が合意すると仮定することが誤謬であることを示している。ある人々はその使い方を正しいと判断したとしても、万人がそれに合意するわけではない。合意形成の手法は、「砂山」の定義を主観的な定義から客観的な定義に変えるものである。

フリードリヒ・シュトヴァッサー(Friedrich Stowasser 1928年12月15日 - 2000年2月19日)

フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(Friedensreich Hundertwasser.)はオーストリアの芸術家、画家、建築家。
日本では「フンダートヴァッサー」「フンデルトワッサー」という呼び方も多く用いられる。日本語での号は姓を直訳した「百水」。色鮮やかな外見の建築でよく知られる。ウィーンのユダヤ系の家庭に生まれ、ウィーン美術アカデミーで学んだ彼は1981年から母校の教授をつとめた。

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自然を愛した彼は、建築でも自然への回帰を唱え、曲線を多用した独自の様式を編み出した。 晩年をすごしたニュージーランドへ向かう客船上で死去した。
日本での作例には、TBSの「21世紀カウントダウン時計」(東京都赤坂、1992年)、キッズプラザ大阪の「こどもの街」(大阪市北区、1997年)や、大阪市環境局舞洲工場(大阪市此花区、ゴミ処理場、2001年)がある。
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日本にあるフンデルトヴァッサーデザインの建築
http://homepage1.nifty.com/spacekids/tbswasser.html

2008年1月24日 (木)

下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし

Across Bishopknightrook Unexpected

2008年1月23日 (水)

エメラルド・タブレット(Emerald Tablet、Emerald Table)

■ 錬金術の12の基本思想が記されているという、エメラルド製の銘碑。
ラテン語では、Tabula Smaragdina。13世紀にアラビア語からラテン語に翻訳された。この碑文はヘルメス神自身がエメラルドの板に刻んだもので、ギザの大ピラミッドの内部にあったヘルメス・トリスメギストスの墓から、アブラハムの妻サラあるいはテュアナのアポロニウスによって見出された。あるいは、洞窟の中でエメラルドの板に彫りこまれたのをアレキサンダー大王が手に入れたと伝えられる。
現在では、10世紀ごろにアラビア語からラテン語に訳された写本が残る。 1828年には、エジプトのテーベで発掘された呪術師のミイラと共に、エメラルド・タブレットの最古の写しの断片が発見された。
 
■ エメラルド・タブレット碑文■
上なるものは下なるものと相同じく、下なるものは上なるものと相同じく、しかして一なるものの奇蹟を成就すべきこと、
そは真である偽りなく、確実かつ至高に現実である。そしてすべての物が一なるものを思念することによって実存し、一なるものよりやって来るようにすべての物はこの唯一なる物から適応を通じて生み落とされた。太陽は一なるものの父であり、月はその母である。風は一なるものをみずからの胎内に孕んでいた。大地はこの一なるものの乳母である。全世界のあらゆる完全性の父がここにいる。
地中にあって一なるものが姿を変えるとき、その力と能力は完全である。汝はすべからく大地を火より分かち、粗野なるものより精妙なるものを分かつべし。しかもやさしく、絶妙の手練を弄しながら。一なるものは大地より天空に上昇し、ふたたび大地の懐に舞い降り来り、上なる事物と下なる事物の力をともに受けるものなり。
汝はかかる仕方によっt全世界の壮麗を獲得するであろう。そしてすべての闇は汝より立ち去るであろう。これはあらゆる強者中の強き強者(なる女性)である。なぜならこのあらゆる強者中の強き女性(ひと)はあらゆる精妙なるものに立ち勝り、あらゆる固きものを貫き通すからである。世界はこのように創造されている。これからして、その手段がここに記されているところの驚くべき適応が生まれてくるであろう。そしてこの意味において、余はヘルメス・トリスメギストス(三倍賢いヘルメス)と称せられるものなり。なぜなら余は全世界の哲学の三つの部分を具えおる者なればなり。
余が太陽の働きについて言い来りしことは、これにて終わる。
【スタニスラス・クロソウスキー・デ・ロラ著『錬金術・精神変容の秘術』(平凡社):種村李弘訳】

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■知恵の輪のようなタブレットは全13部。原文は寓意的で隠喩に満ちた謎めいて、「耳傾けよ」うとする者へのみタブレットからトートの肉声がへ響くような奥義となっている。その意図するところはカバラの「生命の木」の教義にも対応しているようだ。「このタブレットに書かれた知恵は古代神秘の基本であり、目が開き、心が開けた者が読めば、その人の知恵を100倍にも増してくれるだろう。」
このタブレット13を分析していくと、魂の循環の物語が浮かんでくる。
魂の13の試練を図版に記したタロットカードである。

【1】. It is true without untruth, certain and most true
(これは偽りのない真実、確実にして、この上なく真正なことである。)
【2】. That which is below is like that which is on high,
and that which is on high is like that which is below;
by these things are made the miracles of one thing.
(唯一なるものの奇蹟を成し遂げるにあたっては、)
(下にあるものは上にあるもののごとく、)
(上にあるものは下にあるもののごとし。)
【3】. And as all things are, and come from One, by the mediation of One,
So all things are born from this unique thing by adaptation.
(万物が一者から一者の瞑想によって生まれるがごとく、)
(万物はこの唯一なるものから適応によって生じる。 )
【4】. The Sun is the father and the Moon the mother.
(太陽がその父であり、月がその母である。)
【5】. The wind carries it in its stomach.
The Earth is its nourisher and its receptacle.
(風はそれを己の胎内に運び、)
(大地が育む。)
【6】. The Father of all the Theleme of the universal world is here.
(これが全世界の完成の原理である。)
【6a】. Its force, or power, remains entire
【7】. If it is converted into Earth
( その力は大地に向けられる時、完全なものとなる。 )
【7a】. You separate the Earth from the fire,
the subtle from the gross, gently with great industry.
(火から土を、粗雑なるものから精妙なるものを、ゆっくり巧みに分離せよ。)
【8】. It climbs from the Earth and descends from the sky,
and receives the force of things superior and things inferior
(地上から天井へと昇り、ふたたび地上へと下って、)
(上なるものと下なるものの力を取り集めよ。)
【9】. You will have by this way, the glory of the world and all obscurity will flee from you.
(こうして汝は全世界の栄光を手に入れ、すべての暗闇は汝から離れ去るだろう。)
【14】. This, that I have called the solar Work, is complete.
(私が太陽の働きについて述べることは、魂の循環の物語である。)
【10】. It is the power strong with all power,
for it will defeat every subtle thing and penetrate every solid thing
(これはあらゆる力の中でも最強の力でいやがうえにも剛毅である。)
(それはあらゆる精妙なものと固体に打ち勝ち浸透する)
【11】. In this way the world was created.
(世界はそのように創造された。)
【12】. From it are born wonderful adaptations, of which the way here is given.
(驚くべき適応はこのようにして起こる。)
【13】. That is why I have been called Hermes Trismegistus,
having the three parts of the universal philosophy.
(こうして私は全世界の哲学の3つの部分を持つがゆへに、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれる。)
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■ 碑文の解釈  
 卑金属を貴金属に変えるがごとく、人間の魂を変成させる「一切の不明瞭はを消し去る」錬金術の教えは、自然のなかに隠されて、それに触れたものを純化し、覚醒に導くという「賢者の石」の秘密を読み取ることにあった。
 卑金属を貴金属に変成させるときにたどる「精妙なものを粗雑なものから分離する」ことは、人間の魂を「大地から天へと」昇華させていく修道階梯である。魂は「ひとつのものの和解によって」最終的に「人間は物質ではなく、最終的に一者との結合を果たすこと」が記されている。 日本にも同列にある思想が、陰陽道として伝えられていたことは興味深いことである。

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 「万物は、ひとつのものから生まれた」とされる一元論、上位のものの模倣から下位のものが生じるという秩序的連鎖などを主眼とするヘルメス思想の原点ともいわれる。
「われ、遠き未来において人々を、魂を束縛せるかせより解脱し、光の中に生き、人々の魂の光たる“光”を蔽える暗黒の束縛なき“光生れの者”としてみるなり」

エメラルド・タブレットの日本語版
http://www.levity.com/alchemy/japanese_emerald_tablet.html
エメラルド・タブレットについてエメラルド・タブレットのラテン語、日本語(途中)。
http://www2.plala.or.jp/Rosarium/indigo/alch/smara.htm

エメラルド・タブレットのEverard Annotatedとニュートンの英語訳とラテン語版
http://www.hermeticfellowship.org/Collectanea/Hermetica/TabulaSmaragdina.html
THE EMERALD TABLETS OF THOTHM・ドリール博士の訳したエメラルドタブレット英語版
http://www.crystalinks.com/emerald.html

岡野版陰陽師「緑玉碑文」:全文(ぬきがき)http://park17.wakwak.com/~tatihana/onmyou/yougo_folder/hibun.html

2008年1月21日 (月)

4つのイドラ(idola)

イドラ(idola)とはラテン語偶像の意味。フランシス・ベーコンによって指摘された人間の偏見先入観、誤りなどを帰納法を用いて説いたもの。4つのイドラがある。

  1. 種族のイドラ…感覚における錯覚であり、人類一般に共通してある誤り。
  2. 洞窟のイドラ…狭い洞窟の中から世界を見ているかのように、個人の性癖習慣教育によって生じる誤り。世間知らずの意もあるらしい。
  3. 市場のイドラ…言葉思考に及ぼす影響から生じる偏見。言葉や言語が引き起こす偏見。口コミなどが挙げられる。
  4. 劇場のイドラ…思想家たちの思想学説によって生じる誤り。思想家たちの舞台の上のドラマに眩惑され、事実を見誤ってしまうこと。

この4つのイドラを取り除いて初めて、人は真理にたどり着け、本来の姿を取り戻すとベーコンは考えた。Sylva Cressy_fig01a

2008年1月19日 (土)

「変容(または黄金のロバ)」Lucius Apuleius

アプレイウス(Lucius Apuleius,123年頃~?)は北アフリカ・マダウロス出身のローマの弁論作家。
奇想天外な小説や極端に技巧的な弁論文によって名声を博した。代表作である「変容(または黄金のロバ)」は、ローマ時代の小説中、完全に現存する唯一のもの。
カルタゴで初等教育を受けアテネで哲学・修辞学などを修業した後、イタリア、ギリシア、アジア等に旅行し、神秘宗教や魔術などの知識も吸収する。アレクサンドリアへの旅の途中で熱病にかかり、熱心な看病をしてくれたトリポリの友人シキニウスの母親プデンティラと結婚。

155年ごろの法廷弁論書『アポロギア』によれば、年の差とプデンティラが資産家であったことなどから、プデンティラの親族は魔術を用いて未亡人を手に入れたとアプレイウスを告訴した。これに対しアプレイウスは雄弁に自己弁護を行い、無罪となったとある。その後の経歴や没年は不明であるが、カルタゴに居住し、文学活動の傍らアフリカ各地を旅した。哲学者として市民の尊敬を得、カルタゴやマダウロスにアプレイウスの彫像が建てられたと伝えられている。

[主な作品]
『変容』(『黄金のロバ』) 魔術に興味を抱いた主人公ルキウスが誤ってロバに変えられ、数多の不思議な試練に堪えた後、イシスの密儀によって再び人間に復帰するという一種の教養小説。
『フロリダ』 アフリカでの演説の中から抜粋した名句集。全4巻。
『プラトンの教説について』
『ソクラテスの神について』
『宇宙論』 ギリシア語からラテン語への翻訳。

『変容』について
二世紀中頃の作で,代表的なラテン小説.人間がロバに姿を変えてさまざまな経験をする物語なので,いつとなく『黄金のろば』といわれるようになった.ロバから見ると人間はむしろロバ以上に間がぬけていることを面白く語り,世相の描写に種々の問題を提供する.
『愛とこころ』(クピードとプシケエの物語)は本書の一部.かのクピードー(愛)とプシューケー(魂)の恋愛伝説をはじめ、テッサリアーの魔女やキュベレーに仕える自宮僧たちの奇談、後世の「デカメロン」にまで継承されていく”姦通の言い訳をする狡猾な人妻”の話、等々とても興味深い物語の数々が次から次へと登場する魅力的な「古代小説」。

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≪……「あらまあ、どうしましょう、大へんなことになってしまったわ。
あんまり怖くて夢中だったうえに急かついたもんで、とんだ間違いをやっちまったわ、
それに小箱がそっくりなんですもの。
でも有難いことに、元の姿に帰るのには、とてもらくな手当てで十分なのよ。
だって薔薇の花をたべるだけでもって、ろばの形からすぐさま、元どおりのルキウスさまになれるんですもの。
まあほんとうに今日夕方にいつもどおり、花環をいくつかこさえておくとよかったのにね、
そうしたら、たった一夜でもこんな様子で辛抱なさらなくても済むわけでしたが。
でも夜が明け次第、すぐと大急ぎで手当てをしてさしあげますから。」 ……≫

お調子者の主人公ルキウスが、魔法の世界に首を突っ込み、自分もロバに変わってしまいます。元に戻るには薔薇を食べなければなりません。

タロットと同じくしての魂の成長と自立を結びつけて考えることもあるようです。
ヨーロッパの諸言語で Berber と表記され、日本語ではベルベルと呼ぶのは、ギリシャ語で「言葉がわからない者」を意味するバルバロイに由来する。「言葉を必要としなかった者」はタロットにもあったわけで、気になるのでした。これからベルベルのことを調べたい。

2008年1月18日 (金)

第三の眼をもつ楽団 THIRD EAR BAND

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  打楽器類の神秘なシーケンスと、予測できなく絡んでくるオーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなどの管弦楽器とで、ヨーロッパの古楽に根差したプリミティヴな祭祀音楽風のものを妄想的に再現しているTHIRD EAR BAND。どのような音楽にも所属することなく、唯一無比なサウンドスタイルは演奏する当人たちにも予期できぬほどのセッションだろう。すべてがアコースティックであるためにリズム変化やアンサンブル疎密具合によって巧妙に行われる。
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第三の耳で聞け

2008年1月16日 (水)

支配するロゴスの視点を滅ぼすために

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2008年1月15日 (火)

世界が零点になる時

Luna Keysituation

2008年1月14日 (月)

風のうたを聞け

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2008年1月10日 (木)

オートマティスム(Automatism、Automatic writing)

心理学用語で「自動筆記」「自動記述」という意。意識に支配されていない状態で、動作を行ってしまう現象を指す。
たとえば霊媒や、予言者・チャネラーなどと呼ばれる人々は、「死者の霊が下りてきた」「神や霊に命令されている・体を乗っ取られている」「高次元の存在や宇宙人とチャネリングと行う」などの「理由」により、無意識的にペンを動かしたり語り始めたりする。これは神霊などがこの世界に接触を図る方法として説明されている。日本ではかつて「神がかり」「お筆先」とも呼ばれていた。

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[シュルレアリストによる自動筆記] 第一次世界大戦後、フランスの詩人でダダイストでもあったアンドレ・ブルトンは、ダダと決別して精神分析などを取り入れ、新たな芸術運動を展開しようとした。彼は1924年、「シュルレアリスム宣言」の起草によってシュルレアリスム(超現実主義)を創始したが、彼が宣言前後から行っていた詩作の実験がオートマティスム(自動記述)と呼ばれている。

これは眠りながらの口述や、常軌を逸した高速で文章を書く実験などだった。半ば眠って意識の朦朧とした状態や、内容は二の次で時間内に原稿用紙を単語で埋めるという過酷な状態の中で、美意識や倫理といったような意識が邪魔をしない意外な文章が出来上がった。無意識や意識下の世界を反映して出来上がった文や詩から、自分達の過ごす現実の裏側や内側にあると定義されたより過剰な現実・「超現実」が表現でき、自分達の現実も見直すことができるというものだった。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

電子工学がさかえている現在、無意識や意識下の世界は綿密なデーターをもとに、未開なところまで解析されるべきである。
アンドレ・ブルトンによるオートマティスム(自動記述)は、現代のメディア全般に影響をや及ぼしている。シュルレアリスムといえば神秘なものと結びつけられがちだけれども、精神科学の世界や理数にも通低するように思う。

2008年1月 9日 (水)

タロットは無意識を発掘する道具

タロットカードは不可思議なシンボルが描かれて、これらキーワードを繋ぎ合わせることでタロットは世界の側面を照らし出すとことができる。漠然とした無意識の断片が、元型のイメージとしてのカードによって具現化され、その人固有の無意識の形を喚起させる。
非合理的なシンボルやイメージこそが、無意識の世界を解く鍵。

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無意識の領域に存在して無意識に人を動かす全人類に共通する心理パターン。このパターンが自然界にもあったことを符合させた図形こそタロット。 無意識の中にあるものを喚起させ、導き出されたキーワードを解釈することでその人だけに当てはまるパターンがある。“シンクロニシティ(共時性)”という無意識の領域にあるものと現実の世界に起こることには一種のアナロジーが存在し、人が偶然として片付ける出来事も、すべては無意識の中にある原因により必然的に起きている。自分の無意識を知ることで、これから自分の身に起こることや、未来に起こる出来事を予測することができる。タロットは普遍な無意識を発掘する道具であり、その無意識を意識化する手段として、占い師が相談者の未来を予測する際に行うカード解釈は、まさしく医師が患者に質問を出して、その内容から医学的に解釈し、患者の精神状態を推測しながらカウセリングを行う心理学の手法そのものです。 

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2008年1月 8日 (火)

ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce 1882年2月2日 - 1941年1月13日)

20世紀の最も重要な作家の1人と評価されるアイルランド出身の小説家、詩人。画期的な小説『ユリシーズ』(1922年)が最もよく知られており、他の主要作品には短編集『ダブリン市民』(1914年)、『若き芸術家の肖像』(1916年)、『フィネガンズ・ウェイク』(1939年)などがある。

ジョイスは青年期以降の生涯の大半を国外で費やしているが、ジョイスのすべての小説の舞台やその主題の多くがアイルランドでの経験を基礎においている。彼の作品世界はダブリンに根差しており、家庭生活や学生時代のできごとや友人(および敵)が反映されている。そのため、英語圏のあらゆる偉大なモダニストのうちでも、ジョイスは最もコスモポリタン的であると同時に最もローカルな作家という特異な位置を占めることとなった。

ダブリン時代(1882年 - 1904年)
ジェイムズ・ジョイスは1882年にダブリンの南のラスガーという富裕な地域で没落してゆく中流のカトリック家庭に、10人兄弟の長男として生まれた(他にも2人兄弟がいたが腸チフスで亡くなっている)。母メアリ・ジェーン・ジョイス(旧姓マリー)は敬虔なカトリック信者で、父ジョン・スタニスロース・ジョイスはコーク市出身で、小規模ながら塩とライムの製造業を営む、声楽と冗談を好む陽気な男であった。父ジョンと父方の祖父はいずれも裕福な家庭を築いた。1887年にジョンはダブリン市役所の徴税人に任命され、家族はブレイ郊外の新興住宅地へ引っ越した(その後ジョイス家は経済的に困窮して幾度にもわたる引越しを余儀なくされたため生家は現存せず、ジェイムズ・ジョイス・センター、ジェイムズ・ジョイス記念館はそれぞれ別の場所に建てられている)。このころジョイスは犬に噛まれて生涯にわたる犬嫌いとなった。他にジョイスの苦手なものとしては、敬虔な叔母に「あれは神様がお怒りになっている印だよ」と説明されて以来恐れるようになった雷雨などが知られている。

1891年、アイルランドの政治指導者で父ジョンも熱烈に支持していた「王冠なき国王」C・S・パーネルの死に際して、当時9歳のジョイスは「ヒーリーよ、お前もか」("Et Tu, Healy?")と題した詩を書いた(ティモシー・ヒーリーはパーネルを裏切り政治生命を絶った人物)。ジョンはこれを印刷し、バチカン図書館にコピーを送りさえした。同年11月、ジョンは破産宣告を受けて休職、1893年には年金給付の上で解雇された。この一件からジョンは酒浸りになり、経済感覚の摩耗もあいまって一家は貧困への道をたどりはじめることとなる。

ジョイスは1888年からキルデア州の全寮制学校クロンゴウズ・ウッド・カレッジで教育を受けたが、父の破産により学費を払えなくなったため1892年には退校せざるをえなかった。自宅やダブリンのノース・リッチモンド・ストリートにあるカトリック教区学校クリスチャン・ブラザーズ・スクールでしばらく学んだのち、1893年にダブリンでイエズス会の経営する学校ベルベディア・カレッジに招聘されて籍を置く。ジョイスが聖職者となることを期待しての招待であったが、ジョイスは16歳のときにカトリックとしての信仰を捨てることとなる(ただしトマス・アクィナスの哲学はジョイスの生涯を通じて強い影響をもちつづけた)。

1898年、ジョイスは設立されてまもないユニバーシティ・カレッジ・ダブリンに入学し、現代語、特に英語、フランス語、イタリア語を学び、有能さを発揮した。また、ダブリンの演劇や文学のサークルにも活発に参加し、『Fortnightly Review』誌にイプセンの戯曲『わたしたち死んだものが目覚めたら』 ("Nar vi dode vagner" 、1899年)の書評「イプセンの新しい演劇」("Ibsen's New Drama")を発表したりなどした。この書評はジョイスの最初に活字となった作品であり、ノルウェーでこれを読んだイプセン本人から感謝の手紙が届けられている。この時期のジョイスは他にもいくつかの記事と少なくとも2本の戯曲を書いているが、戯曲は現存していない。また、こうした文学サークルでの活動をきっかけとして1902年にはアイルランド人作家W・B・イェーツとの交友が生れている。ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンでの友人たちの多くはのちのジョイスの作品中に登場している。

1903年、バチェラーの学位を得てユニバーシティ・カレッジ・ダブリンを卒業したのち、ジョイスはパリへ留学する。医学の勉強が表向きの理由であったが、貧しい家族がジョイスの浪費癖に手を焼いて追い払ったというのが真相である。しかし、癌に冒された母の危篤の報を聞いてダブリンに引き返すまでの数ヶ月間も、あまり実りの無い自堕落な生活に費やしていたという。母の臨終の際、ジョイスは母の枕元で祈りを捧げることを拒否した(母と不仲であったためではなく、ジョイス自身が不可知論者であったことによる)。母の死後、ジョイスは酒浸りになり家計はいっそう惨憺たるものとなったが、書評を書いたり教師や歌手などをして糊口をしのいだ。

1904年1月7日、ジョイスは美学をテーマとしたエッセイ風の物語『芸術家の肖像』("A Portrait of the Artist")を発表しようと考え、自由主義的な雑誌『Dana』へ持ち込んだが、あっさりと拒絶された。同年の誕生日、ジョイスはこの物語に修正を加えて『スティーブン・ヒーロー』("Stephen Hero")という題の小説に改作しようと決意した。このころ、彼はゴールウェイ州コネマラからダブリンへやってきてメイドとして働いていたノラ・バーナクルという若い女性と出会った。のちの作品『ユリシーズ』はダブリンのある1日のできごとを1冊に封じ込めたものであるが、この「ある1日」こそ、二人が初めてデートした「1904年6月16日」にほかならない。

ジョイスはその後もしばらくダブリンにとどまり、ひたすら飲み続けた。こうした放蕩生活をしていたある日、ジョイスはフェニックス・パークで一人の男と口論の末喧嘩になり逮捕された。父ジョンの知人アルフレッド・H・ハンターなる人物が身元引き受け人となってジョイスを連れ出し、怪我の面倒をみるため自分の家へ招いた。ハンターはユダヤ人で、妻が浮気をしているという噂のある人物であり、『ユリシーズ』の主人公レオポルト・ブルームのモデルの一人となっている。またジョイスは、やはり『ユリシーズ』の登場人物バック・マリガンのモデルとなるオリバー・セント=ジョン=ゴガティ(のちに本業の医者としてだけでなくW・B・イェーツから称賛されるほどの文筆家としても知られるようになる)という医学生とも親しくなり、ゴガティ家がダブリン郊外のサンディコーヴに所有していたマーテロー・タワーに6日間滞在している。その後二人は口論になり、ゴガティが彼に向けて銃を発砲したためジョイスは夜中に逃げ出し、親戚の家に泊めてもらうためダブリンまで歩いて帰った。翌日、置き忘れてきたトランクは友人に取りに(盗りに?)行かせている。この塔は『ユリシーズ』劈頭の舞台となっているため現在ではジョイス記念館となっている。

その後まもなく、ジョイスはノラを連れて大陸に駆け落ちした。

トリエステ時代(1904年 - 1915年)
ジョイスはノラと自発的亡命に入り、まずチューリッヒへ移住してイギリスのエージェントを通してベルリッツ語学学校で英語教師の職を得た。このエージェントは詐欺に遭っていたことが判明したが、校長はジョイスをトリエステ(第一次世界大戦後にイタリア領となるが、当時はオーストリア・ハンガリー帝国領だった)へ派遣した。トリエステへ行っても職を得られないことが明らかとなったが、ベルリッツのトリエステ校校長の取り計らいにより、1904年10月からオーストリア・ハンガリー帝国領プーラ(のちのクロアチア領)で教職に就くこととなった。

1905年3月、オーストリアでスパイ組織が摘発されてすべての外国人が追放されることになったためプーラを離れざるをえず、再び校長の助けによりトリエステへ戻って英語教師の仕事を始め、その後の10年の大半を同地で過ごすこととなる。同年7月にはノラが最初の子供ジョルジオを産んでいる。ジョイスはやがて弟のスタニスロースを呼び寄せ、同じくトリエステ校の教師としての地位を確保してやった。ダブリンでの単調な仕事よりも面白かろうというのが表向きの理由であったが、家計を支えるためにはもう一人稼ぎ手が欲しいからというのが本音であった。兄弟の間では主にジョイスの浪費癖と飲酒癖をめぐって衝突が絶えなかった。この年の12月、ロンドンの出版社に『ダブリン市民』の中の12編を送っているが出版は拒否された。

やがて放浪癖が昂じてトリエステでの生活に嫌気がさしたジョイスは、1906年7月にローマへ移住して銀行の通信係として勤めはじめる。『ユリシーズ』の構想を(短編として)練りはじめたり『ダブリン市民』の掉尾を飾る短編「死者たち」の執筆を開始したのもローマ滞在中のことである。しかしローマがまったく好きになることができずに1907年3月にはトリエステへ帰ることとなった。この年の7月には娘ルチアが誕生している。執筆に関しては、同年5月に詩集『室内楽』("Chamber Music")を出版したほか、「死者たち」("The Dead")を脱稿し、『芸術家の肖像』を改題した自伝的小説『スティーヴン・ヒーロー』を『若き芸術家の肖像』("A Portrait of the Artist as a Young Man")として再度改稿に着手している。

1909年の7月にジョイスは息子ジョルジオを連れてダブリンへ帰省した。父に孫の顔を見せることと、『ダブリン市民』の出版準備とがその目的である。8月にはモーンセル社と出版契約を結び、ゴールウェイに住むノラの家族との初対面も成功裏に済ませることが出来た。トリエステへ帰る準備をしながら、ジョイスはノラの家事の手伝いとして自分の妹エヴァを連れて帰ることに決めた。トリエステへ戻って一月後、ダブリンで最初の映画館「ヴォルタ座」を設立するため再度故郷へ帰る。この事業が軌道に乗った1910年1月、もう一人の妹アイリーンを連れてトリエステに戻る(ただし映画館はジョイスの不在中にあっけなく倒産してしまう)。エヴァはホームシックにより数年でダブリンへ戻ってしまうが、アイリーンはその後の生涯を大陸で過ごし、チェコの銀行員と結婚した。

1912年6月、『ダブリン市民』について収録作の一部削除などの注文をつけてきたモーンセル社の発行人ジョージ・ロバーツと決着をつけるため再びダブリンへ舞い戻る。しかし意見の相違から両者は決裂し、3年越しの出版契約は白紙化されることとなってしまう。落胆したジョイスはロバーツにあてつけた風刺詩「火口からのガス」("Gas from a Burner")を書いてダブリンを離れる。そしてこれがジョイスにとって最後のアイルランド行となった。父親の嘆願や親しいイェーツの招待を受けても、ロンドンより先に足を向けることは二度となかった。

この期間、ジョイスはダブリンへ戻って映画館主になろうと試みるほか、計画倒れに終わったもののアイルランド産ツイードをトリエステへ輸入するなどさまざまな金策を立てている。ジョイスに協力した専門家たちは彼が一文無しにならずにすむよう力を貸した。当時のジョイスはもっぱら教師職によって収入を得ており、昼間はベルリッツ校やトリエステ大学(この当時は高等商業学校)の講師として、夜は家庭教師として教鞭を振るった。こうして教師職をかけもちしていたころに生徒として知り合った知人は、ジョイスが1915年にオーストリア・ハンガリー帝国を離れてスイスへ行こうとして問題に直面したさいに大きな助力となった。

トリエステでの個人教師時代の生徒の一人には、イタロ・ズヴェーヴォのペンネームで知られる作家アーロン・エットーレ・シュミッツがいる。二人は1907年に出会い、友人としてだけでなく互いの批評家として長い交友関係をもつこととなった。ズヴェーヴォはジョイスに『若き芸術家の肖像』の執筆を勧め励ましただけでなく、『ユリシーズ』の主人公レオポルド・ブルームの主要なモデルとなっており、同作中のユダヤ人の信仰に関する記述の多くは、ユダヤ人であるズヴェーヴォがジョイスから質問を受けて教示したものである。ジョイスが眼疾に悩みはじめることとなったのもトリエステでのことである。この病は晩年のジョイスに十数度にわたる手術を強いるほど深刻なものであった。

チューリッヒ時代(1915年 - 1920年)

エズラ・パウンド第一次世界大戦が勃発してオーストリア・ハンガリー帝国での生活に難儀したジョイスは、1915年にチューリッヒへ移住した。この地で知り合ったフランク・バッジェン(Frank Budgen)とは終生の友人となり、『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』の執筆に際しては絶えずバッジェンの意見を求めるほどの信頼を置くようになった。またこの地ではエズラ・パウンドによりイギリスのフェミニストである出版社主ハリエット・ショー・ウィーヴァーに引き合わされた。彼女はジョイスのパトロンとなり、個人教授などする必要なく執筆に専念できるようその後25年にわたり数千ポンドの資金援助をした。ジョイスとエズラ・パウンドが対面するのは1920年のことになるが、パウンドはイェーツとともに尽力してまだ見ぬジョイスにイギリス王室の文学基金や助成金をもたらしたり、ジョイスのために『ユリシーズ』の掲載誌を紹介するなどさまざまな協力をした。終戦後にジョイスは一度トリエステへ戻るが、街はすっかり様変わりしていたうえに弟(戦争中は思想犯としてオーストリアの収容所に拘留されていた)との関係も悪化してしまう。1920年、パウンドの招待を受けてジョイスは一週間ほどの予定でパリへ旅立つが、結局その後20年間をその街で過ごすこととなる。

パリ時代(1920年 - 1940年)
自身の眼の手術と精神分裂病を患った娘ルチアの治療のためジョイスはたびたびスイスを訪れた。パリ時代にはT・S・エリオットやヴァレリー・ラルボー(Valery Larbaud)、サミュエル・ベケットといった文学者との交流が生れた。パリでの長年にわたる『フィネガンズ・ウェイク』執筆中はユージーン・ジョラスとマライア・ジョラス夫妻がジョイスの手助けをした。夫妻の強い支持とハリエット・ショー・ウィーヴァーの財政支援がなかったならば、ジョイスの著書は出版はおろか脱稿さえしなかった可能性が高い。ジョラス夫妻は伝説的な文芸雑誌『トランジション』にジョイスの新作を『進行中の作品』("Work in Progress")の仮題で不定期連載した。この作品の完結後につけられた正式タイトルが『フィネガンズ・ウェイク』("Finnegans Wake")である。

ふたたびチューリッヒ時代(1940年 - 1941年)
1940年、ナチス・ドイツによるフランス占領から逃れるべくジョイスはチューリッヒへ帰還する。

1941年1月11日、十二指腸潰瘍穿孔の手術を受ける。術後の経過は良好であったが翌日には再発し、数度の輸血の甲斐もなく昏睡状態に陥った。1月13日午前2時、眼を覚ましたジョイスは再び意識を失う前に妻と子供を呼ぶよう看護婦に伝えた。その15分後、家族が病院へ駆けつけている途中にジェイムズ・ジョイスは息絶えた。

埋葬されたチューリッヒのフリュンテン墓地は動物園の隣にあり、ジョイスの好きだったライオンの鳴き声が聞こえるのがルチアの気に入ったという。ジョイスの10年後に亡くなった妻ノーラ(1904年に駆け落ちして1931年に正式に結婚した)、1976年に没した息子ジョルジオも彼の隣に埋葬された。

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著作 一覧
1904年『芸術家の肖像』("A Portrait of the Artist"、『若き芸術家の肖像』の原型となったエッセイ)
1904年 - 1906年『スティーヴン・ヒーロー』("Stephen Hero"、『芸術家の肖像』を改稿した小説、1944年出版)
1907年『室内楽』("Chamber Music"、詩集)
1914年『ダブリン市民』("Dubliners"、短篇集)
1916年『若き芸術家の肖像』("A Portrait of the Artist as a Young Man"、長篇小説)
1918年『追放者たち』("Exiles "、戯曲)
1922年『ユリシーズ』("Ulysses"、長篇小説)
1927年『ポームズ・ペニーチ』("Pomes Penyeach"、詩集)
1939年『フィネガンズ・ウェイク』("Finnegans Wake"、長篇小説)

概観
『ダブリン市民』
ジョイスの著作においてはアイルランドでの経験がその根本的な構成要素となっており、すべての著作の舞台や主題の多くがそこからもたらされている。ジョイスの初期の成果を集成した短篇集『ダブリン市民』は、ダブリン社会の停滞と麻痺の鋭い分析である。同書中の作品には「エピファニー」が導入されている。エピファニーとはジョイスによって特有の意味を与えられた語で、ものごとを観察するうちにその事物の「魂」が突如として意識されその本質を露呈する瞬間のことであり、ジョイス以降こうした事物の本質の顕現をテーマとする作品のことを「エピファニー文学」と呼ぶようになった。短篇集の最後に置かれた最も有名な作品「死者たち」は1987年に映画化され、ジョン・ヒューストンの最後の監督作品となった。

『若き芸術家の肖像』
『若き芸術家の肖像』は中絶された小説『スティーヴン・ヒーロー』をほぼ全面的に改稿したものであり、オリジナルの草稿はノラとの議論で発作的な怒りに駆られたジョイス自身によって破棄された。「Kunstlerroman」(ビルドゥングス・ロマンの一種)、すなわち才能ある若い芸術家が成熟し自意識に目覚めるまでの自己啓発の過程を伝記的物語の形で追った小説である。主人公スティーヴン・ディーダラスは少なからずジョイス自身をモデルとしている。内的独白の使用や登場人物の外的環境よりも精神的現実への言及の優先といった、後の作品に多く見られる手法の萌芽もこの作品において散見される。

戯曲『追放者たち』と詩篇
最初期には演劇に深い関心を寄せていたにもかかわらず、ジョイスが発表した戯曲は『追放者たち』一篇のみである。この作品は「死者たち」を原型として1914年の第一次世界大戦勃発の直後から書きはじめられ、1918年に上梓された。夫婦関係に関する研究という点から、この作品は「死者たち」と『ユリシーズ』(「死者たち」脱稿直後から執筆を開始した)の橋渡しの役割を果たしたといえる。
ジョイスはまた数冊の詩集も出版している。習作を除くとジョイスが最初に発表した詩作品は痛烈な諷刺詩「検邪聖省」("The Holy Office"、1904年)であり、この作品によってジョイスはケルト復興運動(Celtic Revival)の著名なメンバーたちの中で名を上げた。1907年に出版された最初のまとまった詩集『室内楽』("Chamber Music"、ジョイス曰く「尿瓶(chamber pot)に当たる小便の音のこと」)は36篇からなる。この本はエズラ・パウンドの編集する「Imagist Anthology」に加えられ、パウンドはジョイス作品の最も強力な擁護者となった。ジョイスが生前に発表した他の詩には「火口からのガス」("Gas From A Burner"、1912年)、詩集『ポームズ・ペニーチ』("Pomes Penyeach"、1927年)、"Ecce Puer"(1932年、孫の誕生と父の死を記したもの)などがあり、これらは1936年に『詩集』("Collected Poems")として一冊にまとめられた。

『ユリシーズ』
1906年に『ダブリン市民』を完成させたジョイスは、レオポルド・ブルームという名のユダヤ人広告取りを主人公とする「ユリシーズ」というタイトルの短篇をそれに追加することを考えた。この計画は続行されなかったが、1914年にはタイトルと基本構想を同じくする長編小説に取り組みはじめる。1921年10月に執筆を終えたのち校正刷りに3ヶ月かけて取り組み、自ら定めた締め切りである40歳の誕生日(1922年2月2日)の直前に完成させた。
エズラ・パウンドの尽力により、1918年から「The Little Review」誌での連載が開始。この雑誌は同時代の実験的な芸術や文学に関心を寄せるニューヨークの弁護士ジョン・クインの支援のもとにマーガレット・アンダーソンとジョン・ヒープによって編集されたものである。『ユリシーズ』はアメリカ合衆国で検閲に引っかかり、1921年に猥褻文書頒布の咎でアンダーソンとヒープに有罪判決が下ったのを受けて連載は中断の憂き目に会う。アメリカで発禁処分が解かれるのは1933年のことである。
この一件も手伝い、ジョイスは『ユリシーズ』の単行本化を引き受けてくれる出版社を見つけるのは困難であることに気づいたが、1922年にはパリ左岸でシルヴィア・ビーチの経営するシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から上梓することができた。時期をほぼ同じくしてT・ S・エリオットの詩『荒地』("Waste Land")が刊行されていることから、この1922年という年は英文学におけるモダニズムの歴史上とりわけ重要なメルクマールであるといえる。ジョイスのパトロンの一人ハリエット・ショー・ウィーヴァーによって出版された英語版はさらなる困難に直面した。アメリカ合衆国へ出荷された500部が米国政府当局によって押収ののち破棄されたのである。翌年、ジョン・ロドカー(John Rodker)は押収されたものの代わりに新しく500部増刷したが、これらもフォークストン(Folkestone)でイギリスの税関によって焼却処分された。この本が発禁書という不明瞭な法的立場に置かれたため、やがていくつもの「海賊版」が登場することとなった。これらの海賊版の中でも特に有名なものはアメリカの悪徳出版業者サミュエル・ロス(Samuel Roth)によって刊行されたものである。1928年に裁判所から出た禁止命令によって出版を取り止めたロスは刑務所へ送られることとなったが、罪状がやはり猥褻罪であり著作権侵害ではなかったところにもこの本の置かれた立場の微妙さが見て取れる(なおロスはこのさい『進行中の作品』の仮題で連載が開始されていた『フィネガンズ・ウェイク』も同時に盗用している)。
『ユリシーズ』において、ジョイスは登場人物を表現するために意識の流れ、パロディ、ジョーク、その他ありとあらゆる文学的手法を駆使した。1904年6月16日という一日のあいだに起きる出来事を扱ったこの小説の中に、ジョイスはホメロスの『オデュッセイア』の登場人物や事件を現代のダブリンへ持ち込んだ。オデュッセウス(ユリシーズはその英語形)、ペネロペ、テレマコスはそれぞれ登場人物レオポルド・ブルーム、その妻モリー・ブルーム、スティーヴン・ディーダラスによって代置され、神話中の高貴なモデルとパロディ的に対比される。この本はダブリンの生活およびそこに満ちた汚穢と退屈さを余すところなく踏査している。ジョイス自身も「たとえダブリンが大災害で壊滅しても、この本をモデルにすればレンガの一個一個に至るまで再現できるだろう」と豪語するほどの自信をもっていた。ダブリンに愛想を尽かして故郷を捨てたジョイスだが、この街への郷愁なしにここまで完璧な細密画を描くことは不可能であり、ダブリンに対して愛憎半ばするジョイスのアンビヴァレンスが窺われる。ダブリンの描写をこのレベルまで仕上げるためには、ダブリンのすべての居住用・商業用建築の所有者や入居者を網羅した『Thom's Directory』(1904年版)という本が活用された。また、それ以外にも情報や説明を求めたジョイスはまだダブリンに住んでいる友人たちを質問攻めにしてもいる。
この本は全18章からなる。それぞれの章がおよそ1時間の出来事を扱っており、午前8時ごろから始まって翌朝の午前2時過ぎに終わる。また1章ごとに異なる全部で18通りの文体が用いられているだけでなく、『オデュッセイア』で語られる18のエピソード、これと関連する18種類の色、学問や技術、身体器官が適用・言及される。これらの組み合わせによって形成される作品全体の万華鏡的な梗概(「ゴーマン・ギルバート計画表」)は、この本が20世紀のモダニズム文学の発展に対して寄与した最も大きな貢献の一つに数えられる。他の注目すべき点としては、準拠枠としての古典的な神話の使用や、重要な事件の多くが登場人物の胸中において起きるというこの本の細部に対する強迫観念にも近い執着などが挙げられる。しかしながらジョイスは「私は『ユリシーズ』を過剰に体系化してしまったかもしれない」と述べ、ホメロスから借用した章題を削除したりもしており、『オデュッセイア』との照応関係はさほど重視していなかった節もある。
『フィネガンズ・ウェイク』
(詳細は別項『フィネガンズ・ウェイク』を参照)
『ユリシーズ』の執筆を終えたジョイスは、自分のライフワークはこれで完了したと考えたが、まもなくさらに野心的な作品の制作計画を立てた。1923年3月10日から、ジョイスはやがて『進行中の作品』("Work in Progress")の仮題をつけられ、のちに『フィネガンズ・ウェイク』("Finnegans Wake")の正式タイトルを与えられることになる作品にとりかかり、1926年には最初の2部を完成させた。この年ジョイスはユージーン・ジョラスとマライア・ジョラスに会い、彼ら夫婦の編集する文芸雑誌『トランジション』(Transition)で『進行中の作品』を連載してはどうかとの申し出を受けている。
その後数年ジョイスはこの新作を迅速に書き進めていったが、1930年代に入ると進捗状況は芳しくなくなる。停滞の要因としては、1931年の父の死、娘ルチアの精神状態に関する懸念、視力の低下を含むジョイス自身の健康上の問題などが挙げられる。こうした困難を抱えながらも執筆はサミュエル・ベケットを含む若い支持者の力を借りて進められた。このころジョイスは同郷の詩人ジェームズ・スティーヴンス(James Stephens)と親しくなるが、スティーヴンスが優れた文才をもっているばかりでなくジョイスと同じ病院で同じ日に生まれたこと(ジョイスの勘違いで実際には一週間違い)、その名前がジョイス自身と小説中におけるジョイスの分身スティーヴン・ディーダラスのファーストネームの組み合わせであることなどから、迷信深かったジョイスは自分とスティーヴンスには運命的なつながりがあるのだと信じるようになった。さらには『フィネガンズ・ウェイク』を完成させるべきはスティーヴンスであり、原稿を渡して残りの部分を仕上げてもらってから「JJ & S」の名で出版しようという奇妙な計画まで立てた(「JJ & S」は「ジェームズ・ジョイス&スティーヴンス」の頭文字であるが、有名なアイリッシュ・ウイスキーのブランド「ジェムソン」(John Jameson & Sons)の商標[1]にかけたシャレである)が、結局はジョイスが一人で完成させることができたのでこの計画は実行されなかった。
『トランジション』誌において発表された冒頭部分に対する読者の反応は賛否両論で、パウンドや弟スタニスロースのようにジョイスの初期の著作に対して好意的だった人たちから否定的なコメントが寄せられもした。こうした非好意的な反応を退けるべく、1929年には『進行中の作品』の支持者たちによる批評をまとめた論文集が刊行された。『進行中の作品の結実のための彼の制作をめぐる我らの点検』(Our Exagmination Round His Factification for Incamination of Work in Progress)と題したこの論文集の著者にはベケットのほかウィリアム・カルロス・ウィリアムズ(William Carlos Williams)らが名を連ねた。ベケットは巻頭論文「ダンテ・・・ブルーノ・ヴィーコ・・ジョイス」を寄稿した(これがベケットの初めて活字になった文章である)のを機にジョイスと二十世紀の文学史上最も有名な交友関係を結ぶこととなり、しばしばジョイスの秘書的な役割をも果たして『進行中の作品』の制作にも協力した。
ジョイス宅で開かれた彼の47歳の誕生日パーティー(1929年2月2日)の席上、ジョイスは最終的に決定した『進行中の作品』の正式タイトルが『フィネガンズ・ウェイク』であることを明かし、1939年5月4日に単行本として出版された。
意識の流れや暗喩、自由連想などといったジョイスの文学的手法を極限まで押し進めた『フィネガンズ・ウェイク』は、プロット構成や登場人物の造形に関する従来の慣例をことごとく打ち破っているばかりでなく、複雑で多面的な地口をもとにした特異かつきわめて難解な言語によって書かれている。ルイス・キャロルの『ジャバウォックの詩』とも似たアプローチであるが、その複雑さや規模の大きさはこれをはるかに凌駕する。『ユリシーズ』が“都市生活の中の一日”であるとするなら、『フィネガンズ・ウェイク』は“夢の論理の中の一夜”ということができる。『フィネガンズ・ウェイク』において『ユリシーズ』が「"usylessly unreadable Blue Book of Eccles"(どうあがいても読むことのできそうにないエクルズの青い本)」として言及されている部分は有名だが、多くの読者や批評家からこれはむしろ『フィネガンズ・ウェイク』にこそふさわしい言い回しだとされてきた。しかしその後の研究によって読者は主な登場人物の配役やプロットについての合意を得ることができるようになった。
本書における言語遊戯的な語の使用は広範な言語を結集し多言語間にわたる語呂合わせによって生み出されたものである。ベケットをはじめとする助手たちは、これらの言語が書かれたカードを照合して新しい組み合わせにして使えるようにしたり(?)、すでに視力がかなり衰えていたジョイスのため口述筆記をするなどの協力をした。
また本書で提示される歴史観はジャンバッティスタ・ヴィーコの強い影響下にあり、登場人物が相互に及ぼしあう影響関係にはジョルダーノ・ブルーノの形而上学が重要な役割を果たしている。ヴィーコは、歴史が混沌とした未開状態からはじまって神政、貴族政、民主政を経て再び混沌へ帰り、螺旋を描きながら循環するという歴史観を提唱した。ヴィーコの循環的歴史観の最も明らかな影響例は、本書の冒頭と末尾に見て取ることができる。原文における最後の一節は本書冒頭の一節とつながっており、合わせて一文をなすことによって本全体に一つの大きな円環構造を形作らせているのである。
実際にジョイスは、不眠症を患いながら読了したあとで最初のページへ戻って再び読みはじめ、そして永遠に循環して読み続けるのが『フィネガンズ・ウェイク』の理想的な読者だと語っている。

Finnegans Club http://www.trentu.ca/faculty/jjoyce/

2008年1月 7日 (月)

天地が吐く息,それが風だ

「多分君には人が演奏する楽の音は聞こえるだろうが,大地が奏でる調べは聞こえていまい。その大地の音色が聞こえたとしても,天空が奏でる楽の音は聞こえまいな」

「その音をどうか教えてください」
 
「天地が吐く息,それが風だ。時に静かだが,いったん吹き起こると,裂け目という裂け目はいっせいに鳴り響く。君は耳をつんざくあの地響きの音を聞いたことがないかね」

「地は窪みや隙間からも奏でております。人は管や笛で音楽を奏でますが,では天はどんな楽器で曲を奏でようというのでしょうか」

 「さまざまな裂け目による風の出す音は,けっして一様ではない。紡ぎ出すさまざまな音は,一つ一つちがった物のありように基づいている。寝ているとき,人の心は閉ざされているが,動いているときは目覚めて,まわりの日々の現実と戦っている。
秋や冬の荒涼とした中にあって,さらに冬枯れは深まって,自分が関わったことに抜き差しならずかかずらわって,破滅へ急ぐばかりである。 結局は,身も心もすり減り閉ざされ果て,古い配水管のように汚物で塞がり,しぼみゆく心はふたたび明かりを見ることはない」

「魂の揺れ動き──天の音色──は,森のざわめき──地の音色──に比肩されるのですか」

「喜びと怒り,悲しみと喜び,心配と後悔,逡巡と恐れ,さまざまな様相で立ち現れてくる,その現れ方は,風に鳴る窪みの響きのように,あるいは湿地に生え出る茸になぞらえよう。それらは昼となく夜となくやってくるのに,我々はなぜそのように立ち現れるのか告げることはできない」

「ああ,なんということです! いかなる原因でそうしたことが生起するのかを,私達は瞬時も指し示すことはできないとは」

 「こうしたもろもろの情感が無いとすれば,人は生きておれまい。この己が無いとしたら,何も感ぜなくてすむというのに。
生きゆく我々ではあるが,何ものの指図で生きゆくのであろうか。その存在への手掛かりはないのか。その働きはたしかにあるのに,我々はその姿を見ることはできない」

「それは外界には形がなく,内なる世界での存在物なのでしょうか」

「人の体についてみると,百の骨,九つの穴と六つの臓器,それらがちゃんと備わっているとしよう。そのどれを一番愛するというのか。どの器官がほかの器官に奉仕しているというのか。それれらが自分を統治できないとすれば,器官ごとに統治したりされたりということになるのか。しかるに世間はこの事実を見ないほどに愚かなものであろうか」

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 いったい言葉というものは,単なる息の吹き出しではない。言葉は何かを言うことを意図している。ただ何かを言ったとしても,言いたいことが決まらないでしゃべっているのは,ひな鳥たちのさえずりと,区別できるのかわかったものではない。私自身によって知覚されるものは,離れている他人によっては見られない。だから,“これ”は“あれ”から発生し,“あれ”は“これ”に由来する それにもかかわらず,生は死から生じ,また逆も言える。
主格・主語と目的格・目的語の両者は,共に相互関係はなく存立する──このことがまさに核心である。

[荘子内篇第二 斉物論篇]

2008年1月 6日 (日)

絵画やカラーイラストの描写手法がとられている文体 『ファルサロスの戦い』 クロード・シモン(白水社) 

「黄色くそれから瞬きひとつするあいだだけ黒くそれからまたもや黄色く。 つまりひろげた翼太陽と眼とのあいだに迅速な弓の形  顔の上に一瞬ビロードのような闇  一瞬手がひとつ  闇それから光  というよりむしろ想起(告知だろうか?)
下から上へすさまじい速度でわき出して行く触知できる闇の行なう記憶の呼びもどし すなわちつぎつぎに顎口鼻額は闇を感じとることができ しかもその闇の一握りの黒い土のような墓穴めいた湿っぽい臭いを嗅覚的に感じとることさえでき  同時にまた絹の裂けるような音つまり空気がこすれるのを聞きとり  あるいはことによるとそれは聞きとれたのでも近くされたのでもなく想像されただけかもしれぬ 
鳥 矢は的を攻め敵を打ってすでに姿を消し 矢羽根は唸りを発し 死をもたらす矢の射かけあいは交錯しあいシュウシュウと鋭い音をあげる円弧を描きだしてちょうどあの絵のようだがあの絵はどこで見たのだろうか? 
波額をたて棘をはやしたような黒っぽい藍色の海上でヴェネチア軍とジェノヴァ軍との海戦そして一艘のガリー船から別のガリー船へ羽根をつけた矢のアーチ形が暗い空に唸りをあげ  そのうちの一本は彼が件をかざし兵士たちを先導して突進していったとき彼の開いた口のなかに突きいり彼を貫き咽喉の奥で叫び声を抑えつけ サフラン色の背光に飾られた暗色の鳩」 『ファルサロスの戦い』 クロード・シモン(白水社)より

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冒頭の書出しは絵画やカラーイラストの描写手法がとられている。この作家は映像による物語が世界へ浸透することを半世紀以前にすでに気ずいていた、それが文章による描写の方法を鍛え上げ実験的な方向性をめざしたことへ繋がった。

《写真と映画がわれわれのおのおのが世界を把握する仕方を徹底的に変えて しまったことは確かである。…空間の中で[たとえば描かれる情景に対する視野・ 距離・動き]、あるいは、お望みの場合は、別の言語において[たとえば見る角度 およそのプラン、平均的、パノラマ的なプラン、旅行のプランなど]、ひとり ないし複数の話者が占める様々な位置を絶えず明確にすることによってのみ 私は小説を書くことができる》とクロード・シモンが語っていたのは印象的なことである。音楽においても映像や絵画描写の方法が、作曲へ応用されてもイイという時代なのだと思う。もしも「その方法を展開させてゆくという活用」の面白さを知っていれば、錬金術と均しい化学反応が期待される。

彼が知っている二軒は(いまは彼には、時々そこへ行ったのも彼の生涯の ファンタスチックなくらい遠い昔―というかむしろ別の人生、いわば先の世の 人生だったような気がし、なにか(場所も―当然おなじ場所だし―人間も― やはりおなじ人間たちだったが、そこで、その人間たちにまじって生きてきた ことを覚えてはいるものの)どことなく非現実的で、浮薄で、ちぐはぐなものと 思われたもので)閉まっていた。(クロード・シモン『アカシア』)

「誰も歴史を作らない、それを見る者もいない、ちょうど草が成長するのが 見えないように」でも彼女(あのひと)にはなにもないし、だれもいない、そしてだれもあのひとのことで泣きはしない(それに泣くひとがいない死がなんだろう?)たぶんあのひとの弟をのぞいて、あのもう一人の老人を、それにきっとあのひと自身だって自分のことで泣きはしないだろうし、つまり自分のことで泣くなんて許さないだろうし、考えもしないでしょう、そうするのが慎ましいとか、ふさわしいとか……
『たしかにあのひとはあなたにはなんでもない。』
『そうなの』とルイーズはいった。
『そうなの、彼女はすなおに繰返した。しかし前方の、彼には見ることのできない何かを見つめつづけていた。
『それでなにも』と彼女はいった(相変わらず木々や、牧場や、九月の静かな平野のかなたの、この彼には見ることができない何かを見つめながら)。
なにもない、あのひとは一度も結婚しなかった。たぶん一度も思ったことすらないの、自分にもできるとか、その権利があるとか――
十五歳年下の弟がいたから、この弟をあの人たちは育てた(あのひととすでに亡くなった姉とで)、そしてうまくいった
(一着の服を、最初に使われた服地の横糸まで擦り切れてしまうのにかかる時間のほぼ三倍ながく着られる一番いい方法をさんざ考えたおかげで)医学部の教授にすることができた、
やっと文字が読めるような、もしかしたらぜんぜん読めないかもしれないような父母をもったあの二人の女教師(せんせい)にしてみれば、きっとそれは一人の女がごくあたりまえに権利をもちたいと願うそんないっさいを諦めてでもやり甲斐のあることに見えたのにちがいない(クロード・シモン『草』より)

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ヌーヴォー・ロマン(Nouveau roman、「新しい小説」の意)

フランスで発表された前衛的な小説作品群を形容した呼称で、アンチ・ロマン(Anti Roman、「反小説」の意)と呼ばれることもある。1957年5月22日、ルモンド誌上の論評においてÉmile Henriotが用いた造語。 実際には、明確な組織・マニフェスト・運動があったわけではなく、従来の近代小説的な枠組に逆らって書いた同時代の作家達を総称するためのジャーナリスティックな呼称であるが、1963年には「新新フランス評論」誌などでのアラン・ロブ=グリエによる論争的評論が『新しい小説のために』(Pour un Nouveau roman)としてまとめられている。 上記のロブ=グリエをはじめ、クロード・シモンやナタリー・サロート、ミシェル・ビュトール等が代表的な作家とされ、広くはサミュエル・ベケット、マルグリット・デュラス等を含むこともある。上記作家の小説作品の多くがミニュイ社Éditions de Minuitから刊行されていることは単なる偶然ではない。

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作者の世界観を読者に「押しつける」伝統的小説ではなく、プロットの一貫性や心理描写が抜け落ちた、ある種の実験的な小説で、言語の冒険とよんでいい。その技法は「意識の流れの叙述」(ナタリー・サロート)や「二人称小説」(ミシェル・ビュトール)、「客観的な事物描写の徹底」(ロブ=グリエ)など様々だが、読者は、与えられた「テクスト」を自分で組み合わせて、推理しながら物語や主題を構築していかざるを得ない。サルトルやバルトらに擁護された面もある。

1960年代後期以降はヌーヴォー・ロマン(アンチ・ロマン)の動向をより批判的に発展させた、フィリップ・ソレルスを中心とするテル・ケル派(文学理論雑誌Tel Quelを基軸に活動したことからこう呼ばれた)に活動が継承された。しかし、1970年代入るとフィリップ・ソレルスがマオイズムに傾倒し、テル・ケル派も政治的な色合いが濃厚になり文芸活動としての側面は次第に薄れていった。

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ミシェル・ビュトール(Michel Butor, 1926年9月14日-)はフランスの小説家、詩人、批評家、ブック・アーチスト(livre d'artiste)。フランス北部リール郊外で生まれる。ヌーヴォー・ロマン(nouveau roman)の作家の旗手のひとりと目される。

1956年、小説第2作『時間割』でフェネオン賞(le Prix Fénéon)を受賞、翌年1957年第3作目の『心変わり』(La Modification)でルノードー賞(le Prix Théophraste Renaudot)を受賞し注目を集めた(主人公に2人称代名詞「あなたは」<vous>を採用した小説作品として有名)。1960年に4作目の『段階』(Degrés')を発表後は小説作品から離れ、1962年『モビール -アメリカ合衆国の表現のためのエチュード』(Mobile. Étude pour une représentation des États-Unis)を皮切りに空間詩とよばれる作品を次々と発表し始める。

画家とのコラボレーション作品が数多く、書物を利用した表現の可能性を追究し続けている。文学をはじめ絵画、音楽などを論じた批評集『目録』がある。

(発表年順。『』内は邦題ないし仮題。訳書がある場合はそれを踏襲)

1954年:『ミラノ通り』(Passage de Milan , Ed.Minuit. 松崎義隆訳、竹内書店、1971年)
1956年:『時間割』(L’Emploi du temps, Ed.Minuit. 清水徹訳、河出文庫版、2006年 / 中公文庫、1975年 / 『世界の文学49 サルトル・ビュトール』収中「時間割」清水徹訳、中央公論社版、1964年)
1957年:『心変わり』(La Modification, Ed.Minuit. 岩波文庫版、2005年 / 河出書房新社版1971(1959)年、ともに清水徹訳)
1958年:『地霊』(Le Génie du lieu , Bernard Grasset.邦訳は一部『現代フランス文学13人集 / 4』収録「エジプト」清水徹訳、新潮社、1966年)
1960年:『目録1-5』(2以降はそれぞれ64/68/74/82年発表)Répertoire I 〜V, Ed.Minuit, 1960, 1964, 1968, 1974, 1982. 『段階』(Degrés, Ed.Gallimard. 邦訳『段階』中島昭和訳、竹内書店、1971年 / 『世界の文学25 ロブ=グリエ・ビュトール』所収、中島昭和訳、集英社、1977年)
1961年:『ボードレール』(Histoire extraordinaire, essai sur un rêve de Baudelaire , Ed.Gallimard, 高畠正明訳、竹内書店、1970年)
1962年:『モビール―アメリカ合衆国の表現のためのエチュード』(Mobile, étude pour une représentation des États-Unis, Ed.Gallimard)、『航空網』( Réseau aérien, Ed.Gallimard)
1963年:『サン・マルコ寺院の記述』(Description de San Marco, Ed.Gallimard)
1964年:『イラストレーションI~IV』(Illustrations I - IV, Ed.Gallimard, Ⅱ以降はそれぞれ、69/73/74年発表)
1965年:『毎秒水量681万リットル』( 6 810 000 litres d’eau par seconde, Ed.Gallimard)
1967年:『仔猿のような芸術家の肖像 :綺想曲』:(Portrait de l’artiste en jeune singe , Ed.Gallimard. 清水徹・松崎義隆訳、筑摩書房、1969年)、『ビュトールとの対話』(Georges Charbonnier Entretiens avec Michel Butor , Ed.Gallimard,1967. 邦訳ビュトール / シャルボニエ著、岩崎力訳、竹内書店、1970年)
1968年:『モンテーニュ論:エセーをめぐるエセー』(Essais sur les essais, Ed.Gallimard. 松崎義隆訳、筑摩書房、1973年)
1970年:『羅針盤』(La Rose des vents, 32 rhumbs pour Charles Fourier, Ed.Gallimard)
1971年:『ディアベリ変奏曲との対話』(Dialogues avec 33 variations de Ludwig van Beethoven sur une valse de Diabelli, Ed.Gallimard. 工藤庸子訳、筑摩書房、1996年)、『土地の精霊~どこでもない』(Le Génie du lieu II : où, Ed.Gallimard)
1973年:『合い間』(Intervalle, Ed.Gallimard. 清水徹訳、岩波書店、1984年)
1975年:『夢の素材』(Matière de rêves, Ed.Gallimard)
2006年:『ビュトール全集 I. 小説』(Œuvres complètes de Michel Butor : Volume I – Romans , Ed. La Différence)『ビュトール全集Ⅱ. 目録1』(Œuvres complètes de Michel Butor : Volume II – Répertoire 1 ,Ed. La Différence)『ビュトール全集Ⅲ. 目録2』(Œuvres complètes de Michel Butor : Volume III – Répertoire 2 , Ed. La Différence)『ビュトール全集Ⅳ. 詩 』(Œuvres complètes de Michel Butor : volume IV – Poésie 1 , Ed. La Différence)

ビュトールweb事典
http://perso.orange.fr/henri.desoubeaux/

Michel ButorTextes poétiques et essais en ligne de l'auteur français.
http://perso.orange.fr/michel.butor/

時として言葉には二つの意味がある 遅かれ早かれ、私たちが皆、一つに帰って来るか、または文字通り、場所に、霊的、感情的または心理学的に、それは私たちを形成することにおける役割を持っていました。
ある日、それを知らないで、私たちはそこにいます。
私たちは私たちへ私たちがなったことにした力に立ち向かいます。
そして私たちは円を完成します。      Lewis Spence -

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2008年1月 5日 (土)

『心変わり』 M.ビュトール/『消しゴム』アラン・ロブ=グリエ/『小説ドラマ』フィリップ・ソレルス

  『心変わり』 M.ビュトール/清水 徹:訳 ( 岩波文庫 ) 

都市あるいは街、風景あるいは光景という現象を言語によって記述することはどこまで可能で限界なのか。日常という出来事は一体何かという描写によって探究する試みである。
「あなた」にあたる二人称を用いることで、小説の中に引き込んだ人称による実験的手法は発表当時には非常に話題となった。
1950年から1960年代頃においてフランスでは、小説に極限までの手法の実験がなされるムーブメントがあった。ロブ=グリエ『消しゴム』M.ビュトール『時間割』ナタリー・サロトー『プラネタリウム』フリップ・ソレルス『ドラマ』などはアンチロマンと呼ばれて、物語性や心理描写を意識的に欠落させて独自の小説空間を示した。

ストリィは一つの筋が通っていても、順序バラバラで時間軸パズルのような作品。平行し逆行している筋、「過去」から流れてくるもの「未来」を流れるもの「現在」この3本の筋が、後半では交差し絡み合う。
「風景もまた空間に刻みこまれたテクストである。それは人間の実践の痕跡によって編まれ、人間の実践を包囲する、巨大な一冊の書物である」
ビュトールの作品は事物や出来事が名詞表現で引用と挿入されることがある。固有名詞にしても普通名詞にしても、そのあり方を現象単位として描写する。 対象との距離の相対化の試みであり、映像的な探究追求の手法を言葉の世界で構築展開させる。物体なり対象なりの現象が名詞表現を通して表出することは、小説の空間へ映画の方法を持込んだとも観れる。ヌーヴォー ロマンともいわれた文芸活動は、ゴダールやトリィフォーたちのヌーベルヴァーグ映画創作へも影響を及した。

「観察すること相手を対象化してこれを「読む」行為には、まず対象との距離が相手をものとして見る視線が大前提であるということだ。世界から疎外されていればいるだけ、従って世界を細密に読むことができる」

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   『消しゴム』アラン・ロブ=グリエ(河出書房新社) 

拳銃の一発と死との間へ流れる24時間を、倒錯した街を彷徨する視点で描く、スリラー小説とも形而上物語とも読めるヌーボーロマンの代表作。

事物や人存在を理想的な自由を夢見ることが出来ない堅牢で綿密な世界の構成分子として捉え、ロブ=グリエはそれをさらに細密に描写するという近代絵画が試みた空間への関与へ似ている。
小説は人の周囲の経験とはなるが、人が発見する客観的環境へ近接するために、心理学、形而上学、心理分析などを利用することはできない。視力以外の他の力を持たずに、都市の中を眼に見える地平だけで歩くという表現は古典的小説の描写への崩壊を意味する。
おそらく想像力や空想力のエントロピーが高揚していないと、『消しゴム』のような小説は読まれることはないと思う。幾とおりの読み方が可能であって、風変わりな推理小説あるいはそのパロディ、エディポスの神話を下敷きにした象徴寓話、主人公ワラス(エディポス酔っぱらい=スフィンクスの公式)の無意味な行為をとおして人存在の不条理の文学でもある。

「ここで問題になるのは、簡明で具体的で本質的な一事件、つまり一人の男の死である。
これは探偵的な性格を持つ事件だ。つまり犯人と探偵と被害者がいるわけだ。ある意味では彼等の役割は尊重さえされている。犯人は被害者に発砲し、探偵は疑問を解決し、被害者は死ぬ。
だが彼等を結び会わせる関係は、最後の章が終るまで、単純ではない。
何故なら本書は正しく拳銃の一発と死との間へ流れる24時間に流れる24時間の、弾丸が3、4メートル走るのに要した時間の---[余分の24時間]の---物語であるからだ。」

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『小説ドラマ』フィリップ・ソレルス(新潮社)    

知覚されることのない変貌のなかに凝固したひとつの世界全体が、地下の層域を作りだしている。のそれら層域をひとしく支配する沈黙は、あたかも広大なしかも覆いかくされた公式であるなのようだ。
同時にこの沈黙はあらゆる語法の完成をあらわすものであり、溶かし直され歪められたひとつの連続のなかに圧縮されている。そこではあらゆる言葉が消滅して死点になり終っている。全く音をたてない工場でのように、際限もなく喋りまくるアートミュージアムが変貌をとげるのだ。なんらのイメージも残さず掻き消された冒険の、根本的な生きた証しを残すだけのヴィジョンが組織化される。

言葉もなくひそかに彼等は生きている。細かいことではあるが好奇心を楚々るのをやめない。次々に生起する事象や情況や景色や合図などがつめこまれすぎている絵だと永遠に信じこむかも知れないからだ。

分ちがたく結びついた二羽の鳥が、同じ枝に住んでいる。一方はその木の実を食べて、もう一方は食べもせず眺めてすごしている。原因であると同時に結果であり、デッサンであると同時に色彩でもあると思えてくる、人生全体が収縮し風化しつつある薄っぺらな表面を占めているだけだと。そして彼が眼を閉じれば、同時に町が崩れ落ちる。自分が誰なのかを述べるべき声なき言葉、断切られた沈黙の円環の中で起ったのだ。何ひとつとして始まることも終ることもない場所で、その声なき声へ耳を傾けるのだ。

(小説『ドラマ』というのではないのが、テルケル派といわれたフィリップ・ソレルスらしい、一切の物語がないドラマである)

コルタサル短篇集『悪魔の涎・追い求める男』(岩波文庫)

ブエノスアイレスの幻想作家 コルタサル,フリオ(Cort´azar,Julio)といえば、長編小説「懸賞」('60年)、「石蹴り遊び」('63年)でラテンアメリカ文学界の旗手として知られている。
一定の時間的な広がりのなかで展開していく小説が映画へなぞられるならば、限られた空間のなかで物語を展開させなければならない短編は、優れた写真に似ている。映像というのは限られた枠の中で現実の断片を切り取るものだが、それを見ている人の前で拡散してダイナミックなヴィジョンとなって、日常より遥かに広がりのある現実を開示させなければならない。

「意味深いイメージをを選び出すと、それだけを映すか語ることになる。出来事はそれ自体価値のあるものであり、映像もしくは言葉によって語られている挿話をはるかに越えたところへ、観る人読む人聴く人の知性と感受性を向かわせる導入口、増幅装置としての役割を果し得るようなものでなければならない」

そのような考えを短編作品にしたのが「悪魔の涎」である。
夕暮れの公園で何気なく撮った逢引とおもわれた写真、日常として捉えていたものを拡大現像していくと、非日常としての殺人が印画紙に写されていた。そこへ現実と非現実の交錯する不可思議な世界が生まれ、恐怖の導入口へ立たされ恐ろしい増幅装置が作動してゆく。殺人現場の写真のネガを捜す組織の女。想像は底なしの深さで身震いするし、やがて犯人は撮影者を狙うだろう。
ヌーヴェルバァーグ台頭していた映画界では、監督のミケランジェロ・アントニオーニが「悪魔の涎」を読んで触発されて『欲望』(Blow-Up)を製作した。プロモーションビデオもなかった時代なので、ジェフ・ベックとジミー・ぺィジがツィンリードギターで演奏しているヤードバーズのLiveシーンが観れると、映画館やフィルムイベントへかけつけたものだった。映画としては2時間近くもあるが、40分程度にVTR編集して観たほうがプロットの骨組みを浮立たせるという実験をしたことがある。それはコルタサルの考えた映像コンセプトに近いもので、全体が解りやすく刺激的な映画となった。映画『欲望』(Blow-Up)に焚付けられ好きな作品なのにストーリィー解説がうまくできずにいるwebページが多く在る。この物語は日常と非日常の境界ラインに立つギリギリの心理にあり、幻想として扱われてしまうとコルタサルの考えたゾッとする戦慄は奔らないだろう。
「続いている公園」「夜、あおむけにされて」「正午の島」は現実と虚構の境を描く佳作。「パリにいる若い女性に宛てた手紙」は口から子兎を生み続ける男の話。アッシャー家の崩壊を想わせる「占拠された屋敷」。薬物への耽溺とジャズの即興演奏のなかに彼岸を垣間見るサックス奏者を描いた「追い求める男」。「南部高速道路」は何日も続く道路渋滞に巻き込まれて前後左右の車との間にコミューンを形成していく。ゴダールを連想する傑作「すべての火は火」。
斬新な実験性でシュルレアリズムの方法を現在ある時空の中で活用した、独自の物語位置を占めるコルサタルの10の短編は、映画の原案10本分のテキストが内包されている。

【代表的テキスト、年譜、肖像写真はじめコルタサル自身による作品の朗読】http://www.juliocortazar.com.ar/

映画『欲望』(Blow-Up)関連web
http://plaza.rakuten.co.jp/ekatocato/8000
http://blind.zombie.jp/blog/archives/000052.html
http://www6.plala.or.jp/khx52b/movie/directer-index/antonioni.html
http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_review_new/jap_review_blowup.html
http://www4.ocv.ne.jp/~take/movie/zmovie/yokubou/yokubou.html

2008年1月 4日 (金)

十分に進歩した科学技術は魔法と区別が付かない

 まだユダヤの神々のシステムもオリンポスの神々のシステムも日本の神話体系すら登場していない世界に、中央アジアでは対立分化が徹底して進んでいた。古代だからといって穿っては観れない、神学と数学の高度な発展ぶりが伺える。現代人には理解できないほどの密度の高い示唆があったにも関わらず、のちにこれを歴史の廃物として仕舞わないと厄介となる勢力が台頭してくる。それほどピンスポットとされていたようだ。現在の物理的な価値観で例えるなら、呼吸をするテンポで核爆弾や放射物が空中を飛び交うような世界といっても過言ではない。残されたどちらの教典にも核兵器を使った戦争を想像させる記述があることは多く知られている。重要な書物は焚書として焼かれてしまい、具体性は喪失させられているから実証は意味はない。実際にはもっと恐ろしい呪術系の分子核分裂をさせるような魔術兵器かも知れないし、スペクタクルなる呪いとは無縁ではないように想像する非常事態のピークに来ていたことは伺える。いずれにせよ、霊長類としての超克が望まれた時でも在ったようだ。
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 ここにザラスシュトラすなわちゾロアスターが出現した。
 インドの祭司たちが『リグ・ヴェーダ』を編集していったように、ゾロアスターは『ガーサー』を編集する。その後『アヴェスタ』に組み入れられ、このなかでゾロアスターは自身のことをザオタルと呼んだ。古代ギリシアの哲学者たちもゾロアスターが、超克する教えを創唱したということは知っていた。キケロはピタゴラスがゾロアスターのところに教えを乞いに行ったと書き、プリニウスも「ゾロアスターは笑いながら生まれた」「ゾロアスターは20年にわたって砂漠に住み、いつまでも腐らないチーズを食べて修行した」といったことを記した。
 拝火教を国教としたササン朝ペルシアやアケメネス朝があっけなく滅びていったのに対して、ゾロアスターは永劫回帰した。その教えこそはヨーロッパが最初に知った、当時、世界文化と繁栄した産業の中心地であったアジアの魂だったからか、この後に発生した宗教とは比較ができないほどだ。実に幾星霜のタイムスケールを持つ桁外れの歳月と、人々へ及ぼした影響は多大であると想われる。
 ササン朝ペルシアには、様々な文化がこの極東の島国にまで辿り着いている。
 飛鳥にある拝火教の装置としての石物たちを、初めて観た時には時空を超えてしまうほどの果てしない想いが全身へよぎった。月を見る者が、けっして触れる事の出来ない「モノリス」を最初に目前にしたかのように。 

Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.
(十分に進歩した科学技術は魔法と区別が付かない)とは、SF「2001年宇宙の旅」の作者アーサー.C.クラークの言葉である。
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「ツァラトゥストラかく語りき」 (Also sprach Zarathustra)
 
精神も徳も、百千のあやまちを犯し、百千の飛び失せ方をした。
われわれの肉体の中にも、今なお、これらの迷妄のすべてが住んでいる。
人間は一つの試みだった。
多くの無知とあやまちが、われわれの肉体となった。
肉体は知を持って試みながら、みずからを高める。
まだ踏まれたことのない幾千の小径がある。幾千の健康なありかたと幾千の隠れた生命の島がある。
耳を澄ましていれば、ひそやかな羽ばたきの音とともに未来からの風がやってくる。
そして鋭敏な耳には、よい便りが聞き取れるのだ。
大いなる正午とは、人間が、獣と超人との間に架け渡された軌道の中央に立ち、
これから夕べへ向うおのが道を、おのが最高の希望として祝う時である。
その道が最高の希望になりうるのは、新しい朝に向う道だからである。
その時、没落して行く者は、おのれが彼方へ渡って行く過渡の者であることを自覚して、おのれを祝福するだろう。そして彼の認識の太陽は、彼の真上に正午の太陽としてかかることだろう。

「すべての神々は死んだ。今やわれわれは超人が栄えることを欲する」
わたしの怒りがかつて諸々の墓をあばき、境界の石を動かし、
古い表を砕いて千尋の谷底に投げうったとするなら、
わたしの嘲りがかつて、カビの生えた言葉を吹き散らし、十字蜘蛛には箒(ほうき)として、
古いじめじめとした墓穴には爽涼の風として襲いかかったとするなら、
古い神々の葬られているほとりに心楽しくすわり、
古い世界誹謗者たちの記念碑の傍らで、世界を祝福し、世界を愛してしばしの時を過したとするなら、
おお、それならどうしてわたしは永遠を求める激しい欲情に燃えずにいられよう。
指輪のなかの指輪である婚姻の指輪---あの回帰の円環を求める、おお、永遠よ。
わたしがかつてわたしの頭上に静かな天空を張りめぐらし、
自分自身の翼をふるって自分自身の天空に飛び入ったとするなら、戯れながら深い光の遠方の中を泳ぎ、自由に鳥の知恵が訪れて来たとするなら、
(つまり鳥の知恵はこう語るのだ
「見よ、上もなく、下もない。
 おまえを投げよ、周りへ彼方へ後方へ。
 軽快なおまえは、歌え、もはや語るな。
 ---言葉は飛べないものたちの為に作られたものではないか。
 軽やかな者にとっては、言葉はすべて虚言者なのではないか。
 歌え、もはや語るな」と)
おお、それならどうしてわたしは永遠を求める激しい欲情に燃えずにいられよう。
すべての悦びは、深い永遠を欲する !

ツァラトゥストラ【Zarathustra】
ゾロアスター教の開祖ゾロアスターのドイツ語名。
紀元前628年 - 紀元前551年、 それまでの多神教を改革し、倫理的色彩の強いゾロアスター教を開いた。
7世紀にイスラム教に取ってかわられるまでイランの国教であった。
ザラスシュトラは、日本では英語名ゾロアスター (Zoroastor)で知られる。 これはギリシャ語名ゾーロアストレース に由来する。ギリシャの歴史家の著述の中には、紀元前6000年以上遡る、 バビロンでピタゴラスに秘教を伝授したなどの説もある。ペルシャからインドに移住したゾロアスター教徒(パーシー)の間では、ザラスシュトラは『個人の名称であるという説』と、個人の名前ではなく『代々引き継がれていた称号だという説』がある。

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『2001年宇宙の旅』の進化考察

2001: A Space Odyssey    監督 製作  スタンリー・キューブリック
                    脚本 アーサー・C・クラーク  スタンリー・キューブリック
配給 MGM 1968年  上映時間 139 分

http://koinu2005.seesaa.net/article/45052712.html

2008年1月 3日 (木)

魔力的なる「ゼロの物語」

『異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ サイフェ(早川書房)

 ゼロが古代に生まれ、東洋で成長し、ヨーロッパで受け入れられるために苦闘して、西洋で台頭し、現代物理学にとって常なる脅威となるまでの魔力的なる「ゼロの物語」。

「1930年代末、チェコスロヴァキアで、刻み目がついた3万年前のオオカミの骨が発見された。刻み目は、5本ずつのまとまりとして記されていた。3万年前の人々が、この骨を使って何を数えたのかはわからない。しかしこの発見は、言語や文字が生まれるずっと前から、ヒトは生きるために数を必要とした、ということの証明としての、最も古い例となる。
 また、今から5000年前、古代文明の誕生したエジプトでは天文学や幾何学が発達した。その発達のために古代エジプトの人々は、より高度な数学を必要とした。現在の太陽暦や巨大ピラミッドがこの時代に基礎をおき、またこの時代に建設されたことを思うと、いかにすすんだ数学・測量技術が用いられていたかが想像できると思う。十進法が生まれたのもこの時代である。チェコスロヴァキアの“5本ずつの刻み目のまとまり”と同様に、この時代に10を底とした数のまとまりに名前をつけたものが、いわゆる十進法の起こりのようだ。たとえば、縦線1本が1を、かかとの骨の絵が10を、渦巻き型のわなの絵が1000を表すという具合である。
それにもかかわらず、この時代においても0は生まれなかった。冒頭のように、0は「なにもない」ことを表す記号である。ところが、0匹の家畜や0人の子どもがいる、という表現は、日常生活において意味があるだろうか。また長さがない、面積がないといった現象が現実に起こりうるだろうか。」(本書より)

アラビア数字なら 
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 
で全てを表現できるが、漢数字だと
一 二 三 四 五 六 七 八 九 
十 百 千 万 億 兆     
京 垓 梯 穣 溝 澗 正 載 極
恒河沙(こうがしゃ) 阿僧祇(あそうぎ)  那由多(なゆた)   
不可思議(ふかしぎ) 無量(むりょう)   大数(たいすう)  
の文字が必要である。
ゼロがなかった影響として、西暦は1年から始まっています。
その前は紀元前となり、西暦0年は存在しない。したがって21世紀は2001年からとなる。

「0」という数字は、1から9までの他の数字とは性格もなりたちも大きく違う。その異端の数字が本書の主人公だ。存在の無いものを「0」として存在させて、世の中の仕組みを表した。異端視された双子の兄弟ともいえる無限大とともに、ヨーロッパでは忌み嫌われ排除された。しかしまた復活して如何に受け入れられて来たのか、何万年も前の思想、宗教、芸術から語りあかす。アリストテレスを戦慄させ、近代科学の祖デカルトが否定し、天才アインシュタインが挑んだゼロ。最新のコンピューター・システムをも破壊するこの数字の驚異と歴史を描くポピュラー・サイエンス。

◆ゼロ - 危険な考えの歴史◆
http://www.asahi-net.or.jp/~ny3k-kbys/contents/zero.html

◆アラビア数字とインド数字◆
http://www.aii-t.org/j/maqha/thaqafa/arqam.htm

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『数学をつくった人びと』E.T.ベル (ハヤカワ文庫)

19世紀末の数学界は、ポアンカレやヒルベルトという数理科学の天才を輩出、絶頂を迎えたかに見えた。しかしその屋台骨を揺るがす危機が襲う。大胆不敵な異才カントールの無限集合論が深刻なパラドックスをもたらしたのである。反対派の執拗な攻撃を受け、やがてカントールは精神を病むにいたる…数学界を華々しく彩った天才数学者どうしの確執や愛憎を、人間的興味を中心に描く名作数学史完結。

◆私が数学の敵であるということを非難を耳にしたが、私ほど数学を高く評価している者はいまい。数学は私の到達しえないことを成し得ているからである。【ゲーテ】

◆数は宇宙を支配する。【ピタゴラス学派】

◆算術のいろいろな部門は、野心、放心、醜悪、あざけり。【ルイスキャロル】

◆幾何学に王道なし。【メナイモス「アレキサンダー大王に」】

「数学の神童は往々世間で言われるように、必ずしも実をむすぶにいたらないとはかぎらない。その反対を説く執拗な迷信にもかかわらず、数学の早熟性は輝かしい成熟への最初のひらめきななることが多いのである。」

本書は現代幾何学と美術視点からすると古びれて感じられた。
岡本太郎が古代の造形物に、今も息ずく形を嗅ぎとれた刻んだんだ鋭利なものは読めなかった。
古代ギリシャ以前の数学は、詩学などよりも辿り着けぬような高度な魂の浄化の学問であったのに、教室内の数学平淡にある。
学校でしか数学も音楽も美術も文学も学べないとすけば、不幸だ。何故ならそんな空間から限り無くとおい空間を人々が望んでいるからだ。世俗と人の歩んだ歴史を刻まれた、己の肉体を甘んじてはならぬだろう。
アラビア世界において数学が発展したのは、人類学にも意味があるはずだ。そこを平明に通りすぎては数学の教科書と同じような、数に関する無関心を植え付けるかも知れない。

書かれた年代の正確な情報ではなく、人は何を伝えて役目を果たしたいのかということを考えさせられた。

ネズミとりの猫の妙術

家屋に一匹の大鼠が住みついた。家は猫を飼っていたが、大鼠にやられてしまった。怒って自分で捕えようとするが、すばしっこいのでとても捕えられない。相手が鼠ではやはり猫でなければだめかと近所の飼い猫を次々と借りてきて鼠と対決させた。どの猫も捕えることが出来ない。技が優れた猫も、気合いが充実した猫も、間合い取りが優れた猫も、全く手に負えない。
5、6町先に、鼠とりの名猫がいることを知らせてくれた者が、その猫を借りて来た。
見た目には格好がよいわけでもなく利口でもなさそうで、技を秘めているとも思われない古猫だった。ところが、その猫が部屋の中にノソノソと入った途端、それまで我が物顔に振る舞っていた大鼠が隅の壁の前にたたずんで動かなくなった。
古猫は声も出さず、近寄ると無造作に捕えてしまった。
驚いたのは一部始終を見ていた3匹の猫達。

「自分は、いままでに鼠どころか、イタチでもカワウソでも簡単に捕えたのに、きようの大鼠にはかなわなかった。どんな妙術でもって捕えたのか教えていただきたい」
「私の妙術より先にあなた達の妙術を聞かせて下さい。」と返された。
「私は技については極地を究め、いままでに天井の梁の上だろうが、どこでも捕り損なったことがなかった。しかし、きようのネズミには私のわざが利かなかったのです」
「あなたが修行したのは、技だけだったのです。技には相手の隙を狙うところがある、だから、きようのネズミは捕れなかった。技では、ただ早わざだけを研究して相手を打とう、打とうとしてもだめ、最後には打ちがごまかしてでもかまわないと思うようになる。すると、道から脱線してしまうものです」要は、敵の兆を打つことにある、相手の心の動き、気を打つのだ。これが本当の技。相手の兆を観る目は文法や旋律だけでは見えない。

次に虎毛の猫が進み出た。
「自分は、わざではなく気合を練った、だから気合には自信があった。先ず、打つ前に既に勝ち、然る後に打つようにしてこれまでに負けたことが一度もない、それなのにきようのネズミにはこれが通用しなかった」
「あなたの気合は勢いだったのです。丁度、洪水のときの水の勢いと同じで、ある程度流れ出してしまえば後が続かず止まってしまう、尽きてしまうのです。これを「客気」といいます。
孟子が「洪然の気」と言っておりましたが、この気は、尽きることのない気なのです。気には、勢いだけの「客気」と孟子が言った「正気」がある。きようのネズミのように死を決意している相手には「客気」では通じないものです。若いうちは、「客気」を本物と思いがちですから注意しなければいけません」

3番目の猫が進み出た。
「私は心で間合いで勝負をしてきました。私は相手と争わない、相手が出れば退き、退けば前に出て自分の間合いを維持してきたから、誰にも負けたことがなかった。しかし、きようのネズミにはだめでした。」
「成程、あなたがいう心というのは、相手に和合しようとする一念から出ている、だから、途中でだれてしまうのです。」
3匹の猫は、古猫からそれぞれの妙術を指摘されて納得した様子だった。
「あなたは、どのようにしたのか教えてください」
「それでは話しましょう。自分は、無心にして自然に和しただけ、これが全てです」

人間は、元来持って生まれた自然のこころ、無心にして自然に順応することができる。技をどうしたらよいか?早技を出すとか、隙を狙うとか、こういったことは自分がやっていることですから、これさえ無くしてしまえば、”無心”になれる。ここからは、へぼな詩や歌や絵はうまれない。同人誌やライブハウスでは「剣道の試合」レベルで、昔は「死合」といい文字が異なってた。真剣でやったから負ければ絶命した。「我」といういう小さいものにこだわってはいなかった。つねに死と相対していた。これが技と心を一瞬も 分離させられない身体の理由だ。

「振りかざす太刀の下こそ地獄なり 一歩進め 先は極楽」
上手に飛び跳ねて勝とうとする、技だけでは死に合ったネズミには効かない。一念不生こそ絶対であると古猫は「切り落とし」の精神を体得していた。「無心」という内容はやさしいようだが、死に合う試合をやって平常心を養う。平常心、平常心というけれど、試合前なら誰だって皆平常でいる。それが試合の場に臨み、こちらの生命を断とうとする相手と対決するから、一歩もさがらないというのは容易ではない。という話。

2008年1月 1日 (火)

0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる。

人間の精神は神的なものである。
しかしそれは物理的な身体に幽閉されており、かれはその神性に気づかない(愚者)。

より高き星々の使者が物質的世界に対する支配を表明し、表面的な現実よりさらに深いなにかの存在を証明する。
いくつかの説によると、かれは愚者の師および仲間となる(奇術師)。

(女教皇、女帝、皇帝、教皇によって表される)
世界の支配的な力が、抵抗にあい、日常的存在が挑戦を受け、
克服されて初めて、開放の切望が可能となる(恋人と戦車)。

探求者(隠者)は一定の成熟に達したときにのみ、かれの精神的故郷に自分を回帰させるための旅に出発できる。

かれの慎重な内省(運命の輪)は、肉体的衝動(女力士)の克服とより高きもののために、より低きものを故意に犠牲とすることによる
日常的価値の逆転を求める(吊るされた男)。

より低き個我(死神)の昇華は、 
デミウルゴス(悪魔)の打倒を可能とする
霊的な活力(節制)の流出に至る。

これはかれの地上の牢獄(塔)の崩壊を招来し、
かれの精神が、天の星々(星、太陽、月)を経て、
やがて神秘的再生(審判)を経験し、最終的には
世界の超個人的な霊アニマ・ムンディ(世界)と
一体化することを可能とする。ーーアルフレッド・ダグラスーー

00 21w

さらなる高みを目指すためには、精神的充足をもとめて再度旅に出て、今までの見方を変え、自我を壊さなければ、新たな次元に到達することはできない。22枚には0から21までのサイクルになっていたのだった。
そして輪の入口と出口は零によってつながれている。

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ペンギン タロットカード 原画と解説   
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/photos/peintora22/index.html

占いやゲーム性の底に秘められたTAROTの真意を、
ユーモラスで哲学的なペンギンのキャラクターによって顕した大アルカナ22枚
TAROT図形学より、視覚からも分りやすく覚えられる
「ペンギンタロット」の世界へ・・・
新しいアテンション(注意)と上昇力を前向きに促すために作られたカードです。
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  大アルカナ22枚組1セット・解説書(A4判図版多数16頁)付 
申込・お問い合せ http://koinu.cside.com/NewFiles/yoyaku.html 

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羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
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22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

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  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。