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2008年3月27日 (木)

キチガイ博士手記 13

 却説(さて)……斯様にして屍体台帳の書換えを終りました若林博士は、その台帳を無記入(ブランク)の屍体検案書と一緒に、無雑作に机の上に投出しました。疲れ切った身体(からだ)を起して室内に散らばっているガーゼ、スポンジ、脱脂綿なぞを一つ残らず拾い集めて、文房具、化粧品等と一緒に新しい晒布(さらし)に包み込んで、繃帯で厳重に括(くく)り上げてしまいました。多分、どこかへ人知れず投棄して、出来る限り今夜の仕事を秘密にする計劃で御座いましょう。四一四号の屍体の各局部の標本を取らなかったのも、そうした考えからではなかったかと考えられます。
 こうした仕事を終りまして今一度そこいらを念入りに見廻しました若林博士は、やがて傍(かたわら)の机の上に置いた新しい看護婦服と白木綿の着物を取上げて、まだ麻酔から醒ずにいる少女に着せるべく、解剖台に近づきました……が……若林博士は思わず立止まりました。手に持っている物を取落して背後(うしろ)によろめきそうになりました。
 今更に眼を瞠(みは)らせる少女の全身の美しさ……否、最前の仮死体でいた時とは全然(まるで)違った清らかな生命(いのち)の光りが、その一呼吸毎(ごと)に全身に輝き満ちて来るかと思われるくらい……その頬は……唇は……かぐわしい花弁(はなびら)の如く……又は甘やかなジェリーのように、あたたかい血の色に蘇(よみがえ)っております。中にもその愛(め)ずらかな恰好の乳房は、神秘の国に生れた大きな貝の剥(む)き肉(み)かなぞのように活(い)き活きとした薔薇色に盛り上って、煌々(こうこう)たる光明の下に、夢うつつの心を仄(ほの)めかしております。
 ……冷たい……物々しい、九大法医学部屍体解剖室の大理石盤の上に、又と再び見出されないであろう絶世の美少女の麻酔姿……地上の何者をも平伏(ひれふ)さしてしまうであろう、その清らかな胸に波打つふくよかな呼吸……。
 その呼吸の香(か)に酔わされたかのように若林博士はヒョロヒョロと立直りました。そうして少女の呼吸に共鳴するような弱々しい喘(あえ)ぎを、黒い肩の上で波打たせ初めたと思うと、上半身をソロソロと前に傾けつつ、力無くわななく指先で、その顔の黒い蔽(おお)いを額の上にマクリ上げました。
 ……おお……その表情の物凄さ……。
 白熱光下に現われたその長大な顔面は、解剖台上の少女とは正反対に、死人のように疲れ弛(ゆる)んだまま青白い汗に濡れクタレております。その眼には極度の衰弱と、極度の興奮とが、熱病患者のソレの如く血走り輝やいております。その唇には普通人に見る事の出来ない緋色(ひいろ)が、病的に干乾(ひから)び付いております。そうした表情が黒い髪毛(かみのけ)を額に粘り付かせたまま、コメカミをヒクヒクと波打たせつつ、黒装束の中から見下している……。
 彼はこうして暫くの間、動きませんでした。何を考えているのか……何をしようとしているのか解らないまま……。
 ……と見る中(うち)に突然に、彼の右の眼の下が、深い皺を刻んで痙攣(ひっつ)り始めました……と思う間もなく顔面全体に、その痙攣(けいれん)の波動がヒクヒクと拡大して行きました。泣いているのか、笑っているのか判然(わか)らないまま……洋紙のように蒼褪(あおざ)めた顔色の中で、左右の赤い眼が代る代る開いたり閉じたりし初めました。何事かを喜ぶように……緋色に乾いた唇が狼のようにガックリと開いて、白茶気た舌がその中からダラリと垂れました。何者かを嘲(あざ)けるように……それは平生の謹厳な、紳士的な若林博士を知っている者が、夢にだも想像し得ないであろう別人の顔……否……彼がタッタ一人で居る時に限って現われる悪魔の形相……。
 けれどもその中(うち)に彼はソロソロと顔を上げて参りました。いつの間にか乾いている額の乱髪を、両手で押上げつつ、青白い瞳をあげて、頭の上に輝く四個の電球を睨み詰ました。
 その呼吸が又も次第次第に高く喘ぎ初めました。その頬に一種異様の赤味がホノボノとさし初めました。空中の或者と物語っているかのように眼を細くして、腹の底から低い気味の悪い音を立てつつ切れ切れに、
「……アハ……アハ……アハアハ……」
 と笑っておりましたが、やがてその唇を凝(じっ)と噛んで、美少女の寝顔を見下しますと、ワナワナと震える指をさし上げて、頭の上の電燈のスイッチを一ツ……二ツ……三ツ……と切って、最後に四ツ目をパッと消してしまいました。
 しかし室内はモトの闇黒(あんこく)には帰りませんでした。閉じられた窓の鎧扉(ブラインド)の僅かの隙間(すきま)から暁の色が白々と流れ込んで、室(へや)の中のすべての物を、海底のように青々と透きとおらせております。
 ……茫然と、その光りを見つめておりました彼は、やがてその両手の指をわななかせつつ、ピッタリと顔に押当てました。ヨロヨロと背後(うしろ)によろめいて壁に行き当りました。そのままズルズルと床の上に座り込みますと、失神したように両手を床の上に落して、両脚を投出して、グッタリと項垂(うなだ)れてしまいました。
 その時に解剖台上の少女の唇が、微かにムズムズと動き出しました。ほのかな……夢のような声を洩らしました。
「……お兄さま……どこに……」……【溶暗】……

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