« キチガイ博士手記 17 | トップページ | キチガイ博士手記 15 »

2008年3月27日 (木)

キチガイ博士手記 16

◆第二参考 呉一郎伯母八代子の談話
 ▼同所同時刻に於て、呉一郎が外出後――

 ――まったく何もかも夢のようで御座います。一郎(あれ)は私の妹の子に相違(ちがい)御座いません。眼鼻立ちが母親に生きうつしで、声までが私共の父親にそっくりで御座います。
 ――ずっと古い昔の事は存じませぬが、私の家は代々姪(めい)の浜(はま)で農業を致しておりました。私共姉妹(きょうだい)は母に早く別れましたが、父も私が十九の年の正月に亡くなりましたので、家の血統(ちすじ)は私と、この妹(位牌(いはい)をかえり見て)の千世子と二人切りになってしまいました。それで、その年の暮に私は、亡くなりました夫の源吉を迎えますと間もなく妹は「東京へ行って絵と刺繍(ぬいとり)の稽古をして、生涯独身で暮すから構わないでくれ」という置手紙をして家を出ました。それが明治四十年の新の正月頃の事で御座いましたが、その後、福岡で妹を見かけたという人もありましたけれどもハッキリした事はわかりません。やはり全く絵と刺繍(ししゅう)が好きなためで御座いましたろうと思います。一郎が申しますように、人並はずれて勝気な娘で、十七年の年に県立の女学校を一番で出た位で御座いますが、何か始めますと夢中になる性質(たち)で、夜通し寝ないで小説を読んだり、絵を描(か)いたりする事がよく御座いました。ことに刺繍(ぬいとり)は小学校にいました時から好きで、夕方暗くなりましても縁側に出て、図画用紙にお寺の襖(ふすま)の絵を写して来たのを木綿の糸屑で縫っている位で御座いましたから、私が夫を迎えたのを見澄(みすま)してその方の稽古を念(ねん)がけて行ったものと存じます。今から思いますとその時が今生(こんじょう)のお別れで御座いました。もっとも、田圃(たんぼ)や畑の荒仕事を嫌いますので、よく留守番をさせましたが、私の家は門の処から町並では御座いますし、出入りもかなりに多い方で御座いましたから、別に可怪気(おかしげ)ない事を仕出かして出て行ったものとも思われませぬ。
 ――それから後(のち)の妹のたよりは、明治四十年の暮に、東京の近くの駒沢村という処で、一郎という男の子が生れましたといって、村役場から知らせて参りましただけで御座います。その時もすぐに警察にお頼みして捜して頂きましたが、届出てあった所番地の家は、ずっと前から貸家になっておりましたものだそうで、なお、念のために私が出しておりました手紙も戻って参りましたので力を落しました。一郎が小学校へ入学致しました時の戸籍の書類(かきつけ)なぞはどうして取りましたものかわからないままに全くの音沙汰なしになっておりました。そうして私が二十三になりました年の正月に夫と別れますと間もなく、今居りますモヨ子と申します娘を一人生みましたから、それから後は娘と二人切りで暮しておりました。
 ――今度の事を新聞で見ました時は夢心地で馳付けて参りました。いろいろお調べを受けましたが、只今の通りお答を申上げておきました。
 ――初めて一郎を見ました時は思わず涙が出ました。その時に夢の事を尋ねましたのは、私の処に居ります若い者が読んでおりました活動の話に、夢遊病の事が書いて御座いましたからです。何か西洋(あちら)の事で、私どもにはよく解りませぬけれども、夢遊病に罹(かか)ってした事なら罪にならぬから、これから夢遊病の真似をして悪い事をしようか……なぞ若い者が申して笑っておりましたから、その事を思出しまして、もしやと思って尋ねて見たので御座いますが、女の癖に差出がましいとは存じましたけれども助けたいが一心で御座いましたから(赤面)。おかげ様で一郎が元の潔白な身体(からだ)になります許(ばか)りでなく、妹にも久しく不品行(ふしだら)な事が御座いません事が、亡骸(なきがら)をお調べ下さいましてから、お判りになりましたとの事で、これがせめてもの心遣(こころや)りで御座います。……で御座いますから私はここで立派に法事を営みましてから、お世話になりました皆様へも、世間並の御挨拶をして立ちたいと思います。
 ――昨日(きのう)、東京の近江屋(おうみや)の御主人からお香奠(こうでん)に添えてこのようなお手紙(略)が参りました。「宮内省のお役人から、お装束の修繕(つくろい)がさせたいからと頼まれて、妹の行衛(ゆくえ)を探しているところへ、警察から人が来られたので、初めて知ってビックリした」と申して参りましたが、その手紙の様子で見ますと妹が色々と身の上話をお聞かせしたその奥様は、もう亡くなっておられるようで御座います。妹もせめて今少し生きておりましたならば、よい目に逢ったかも知れませんが……何の怨(うらみ)か存じませぬが、このような酷(ひど)い事を致しました者が捕えられましたならば、八(や)ツ裂(ざき)にしてやりたい位に思います(落涙)。
 ――私の家は只今のところでは遠い親類しか居りませぬので、只今では親身の者と申しましては娘と私と二人切りで御座います。一郎はこれから私の子供分に致しまして、私の力一パイ立派な人間に育て上げて行きたいと存じますが……父無子(ててなしご)と位牌子(いはいご)をたよりに、暮すことを思いますと……(涕泣(すすりなき))。

◆第三参考 松村マツ子女史(福岡市外水茶屋(みずぢゃや)、翠糸女塾(すいしじょじゅく)主)談
 ▼同年同月四日 玄洋新報社朝刊切抜抜萃再録

 ――その刺繍の上手なお嬢さんが、この翠糸女塾に通っていたのは、もう二昔前の日露戦争頃の事で、私が三十代の時ですから、詳しい事は判りませんねえ。エエ、通っていた事はたしかですよ。その頃が十七か八位でしたろうかねえ。ちょっと眼立たぬ風をしておられましたが、小柄なキリリとした別嬪(べっぴん)さんで、名前は虹野(にじの)ミギワさんと云いました。イイエ、間違いはありません。珍しい名前ですからよく憶えております。又今お話しになりました「縫い潰し」なぞいう刺繍のできる人は虹野さんより外に見た事がありません。
 ――虹野さんの作品は私の処には一つも残っておりません。その頃はまだ、そんな贅沢なものの値打ちが判りませんでしたので手間損だったのです。たった一度、二月(ふたつき)ばかりかかってこしらえた五寸四方ばかりの小袱紗(こぶくさ)を、私の塾の展覧会に出した事がありましたが二十円という値段付けだったので売れ残ってしまいました。今あったら大変なものでしょう。私も習っておけば良かったと思います。虹野さんはそんな風に技術(しごと)が良かった上に、小野鵞堂(がどう)さんの字をお手本よりもズッと綺麗に書きましたので、私の弟子の刺繍に使う字をよく書いてもらいました。絵も却々(なかなか)上手で、私の処にある下絵の中でも良いのは大抵写して行かれました。けれどもかれこれ半年余りかよって来たと思うとパッタリ見えなくなりました。エ……その時姙娠の模様は見えなかったかって……いいえ、小柄な方でしたから直ぐに判る筈ですが……その色男が虹野さんを棄てて逃げたのですって? ヘエー左様ですか。ヘエー……。
 ――その頃住んでいた家ですか。サア、それは存じておればですが……その頃いた生徒はみんなもう四十近くのお婆さんになっているんですからネエ。ヘヘヘヘヘ。マア、その男が虹野さんを殺したらしいんですって。……おお怖(こ)わ! あんな別嬪さんを、まあ惜(おし)いこと……そういえば思い当る事があります。誰にも仰言(おっしゃ)っては困りますがね。虹野さんは大変な男喰いで、大学生の中でも失恋させられた人が二三人あったそうですよ。尤(もっと)もこれは噂だけですがね。その頃の虹野さんの家(うち)もどこか判らず、東から来たり西から来たり、帰りがけもその通りで、誰も本当の家(うち)を知っているものはありませんでしたよ。私の塾には品行の悪い人は一切入れませんでしたが、そんな風でどこが悪いといって取り止めた事は一つもなかった上に、本人がシッカリした風で仕事が上手だったもんですからね。いいえ写真なぞもありません。けれどもその頃の怨みにしちゃ、チット古過ぎますわねえ。ホホ……。
 ――ヘエッ、それがあの有名な迷宮事件の呉さんですって?……マアどうしましょう。どうして虹野さんが、呉さんという事が判ったんですか。ヘエ、東京の袋物屋のお神さんに身の上を話していた。只、男の名前だけが判らない……ヘエ、そうですか。どうぞこの事は内証にして下さい。云々。

▲附記 呉一郎の第一回の発作に関する事件記録の要点は前掲三項の断片に残らず包含されおるを以て詳細は省略す。但、第三参考「松村女史の断片」は、余の所謂(いわゆる)「呉一郎の第一回発作」の参考としては全然不必要の範囲に属するも、この記録を作製したるW氏の主張を尊重する意味に於て、且又(かつまた)、該(がい)事件に関する司法当局の探査方針、及び当時の各新聞の記事が暗黙の裡(うち)にW氏の意見に影響されつつありし証左としてここに掲ぐるものなり。

 ◆右に関するW氏の意見摘要

 余(W氏)は初め、この事件に関する報道を新聞紙上に発見するや、極めて稀に存在する夢遊病の好適例に非(あら)ずやと思惟(しい)して出張したるところ、この直方(のうがた)地方は元来筑豊炭田の中心地に位置し、日本屈指の殺傷事件の本場たり。従って警察方面の捜索方針も単純且(かつ)粗放にして、現場の証拠等は事件発生の翌日に於て、完膚(かんぷ)なき迄に攪乱蹂躙(かくらんじゅうりん)されおり、充分なる調査を遂(と)ぐるを得ず、然(しか)れ共尚(なお)、現場の形況及び前記各項の談話、警察当事者の記憶、近隣の噂等を綜合したる結果、この事件の特徴として左の諸項を認め得たり。
 (甲)犯行の現場たる女塾内には、呉一郎母子(おやこ)と塾生に関する事跡及び勝手口の唯一の締りとされおりたる径約一寸(すん)、長さ四尺一寸余(あまり)の竹の支棒(つっかいぼう)が、不明の原因にて土間に脱落しおりたる以外に、犯人の指紋、足跡等の一切を認め居ず、拭い消したるものなるや否やも不明なり。尚(なお)、右支棒は外より板戸を強く押せば、指をさし入れて外(はず)し得る位置に在りたるものなる事を推定し得たり。而して右板戸の縁辺(ふちへん)の支棒に接触する部分は、磨滅を防ぐためと支棒の作用の堅確を期するため、新しく亜鉛(あえん)板を以て蔽(おお)いありたるも、這(こ)は却(かえ)って軽微の力を以て、支棒を脱落せしめ得る原因となりたるものの如し。
 (乙)被害者千世子は同夜午前二時――三時の間に、背面より絹製の帯締(おびじめ)を以て絞殺され、寝具を蹴散(けち)らし、畳の上を輾転(てんてん)して藻掻(もが)き苦しむなど、甚しき苦悶の跡を残したるまま絶命せるものを、更に階段の処に持行きて手摺(てすり)より細帯にて吊し下げ、階段の降り口に正面させて縊死(いし)と見せかけたる事明らかなり。しかも、その絞首の跡を示す斑痕が、二重もしくは三重となりおる状況は、犯行当時に於ても明瞭に認められし事を察し得るに拘わらず、更にこれに縊死を装(よそ)わしめたるは、一見、浅薄なる犯行隠蔽の手段なるが如きも、実は左(さ)に非(あら)ず、他の指紋等を消去りたる犯人の行動と比較考慮する時は、その矛盾せる行為の相互間に生ずる一種の錯覚を以て、犯人に対する目星(めぼし)を誤らしめんがために執(と)りたる極めて巧妙なる手段なりと思惟(しい)し得べし。
 尚、被害者の手中その他には何物も止(とど)めず。或は軽き麻酔を施されたるものに非ずやとも疑わる。
 尚又、当時犯行用と認められし帯締めは、その後、数名の警官の手に転々したる後(のち)なりしを以て、何等犯人に関する証跡を検出するを得ず。
 (丙)呉一郎は、麻酔を施されたるものなる事を、同人の談話に現われたる予後の諸徴候に依りて推測し得べし。
 (丁)屍体は死後約四十時間目に、同女塾の裏庭に於て、舟木医学士立会、余(W氏)執刀の下に解剖の結果、最近に於ける性交の形跡なく、子宮には、嘗(かつ)て一児を孕(はら)みたる痕跡を止(とど)むるのみなる事を確かめ得たり。

 如上(じょじょう)の事実に依(よ)り犯人及び犯行の目的等に関する推定は殆んど困難なり。然れども、犯人は相当の学識あり、麻酔剤の使用に慣れ、思慮深く、且つ腕力逞(たく)ましからざる者なる事、及び犯行が呉一郎に及ぶ事を好まざりし者なる事を推測し得(う)べし。(中略)。その筋の捜索方針は、初め如上の推定に基(もとづ)きて進行し、呉一郎を釈放したるも結局、再びこの方針を放棄し、純然たる見込捜索に移りたるため、遂(つい)に何等得(う)るところなく、事件は所謂(いわゆる)迷宮裡に遺棄さるるに到りたり。(下略)

 ▼右に関する精神科学的観察

 この事件は著者(正木)自身が直接に調査したるものに非(あら)ざるを以て、専門の精神科学的の考察と説明には多少の不便を感ずるものなり。然れどもW氏が、同氏独特の法医学的の見地に立ちて調査記録したる、この事件の各種の特徴に依て観察する時は、この事件の真相が現代の所謂、科学知識及び、これに伴う所謂常識の発達範囲に於ては、到底判断し且(かつ)、説明し得べからざる「心理遺伝の発作」にあること疑(うたがい)を容れず。筆者の所謂「犯人無き犯罪」の最も顕著なる好適例なり。すなわちW氏の最初の直覚が適中しおりたる事を、一切の事象が指しいる事を一々摘出、明示し得べし。W氏が事件後も尚(なお)、この点に関する疑念を捨てず、前掲の如き貴重なる談話を記録せる、その用意の周到なるに、劈頭(へきとう)の敬意を表せざるを得ざるものなり。
 乃(すなわ)ち前記W氏の観察と、三項の談話とを通じて、この事件の真相を究(きわ)むべき、観察要項を列挙すれば左の如し。

« キチガイ博士手記 17 | トップページ | キチガイ博士手記 15 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
フォト

22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

オンライン状態

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。