ドグラ・マグラ e4
九大精神病学教授
正木博士投身自殺す
同時に狂人の解放治療場内に勃発せし稀有(けう)の惨殺事件曝露す
今(こん)二十日午後五時頃、九州帝国大学精神病学教授、従六位医学博士正木敬之氏が溺死体となって、同大学医学部裏手、馬出浜(まえだしはま)、水族館附近の海岸に漂着している事が発見されたので、同大学部内は目下非常な混雑を極めている。然(しか)るにその混雑に依って、その以前の昨十九日正午頃、同精神病学教室に於ける同博士独特の創設に係る「狂人の解放治療場」内に於て、一狂少年が一狂少女を惨殺し、引続いて場内にありし数名の狂人に即死、もしくは瀕死の重傷又は軽傷を負わしめ、これを制止せむとした看視人までも重傷せしめた事件が端(はし)なくも曝露したので、大学当局は勿論、司法当事者に於ても狼狽(ろうばい)措(お)くところを識(し)らず、目下極秘密裡に厳重なる調査を進めている。
狂少年鍬を揮(ふる)って
五名の男女を殺傷
治療場内一面の流血※[#感嘆符三つ、626-10]
昨十九日(火曜日)正午頃、事件勃発当時、同科担任教授正木博士は同科教授室に於て午睡しおり、同解放治療場内には平常の通り十名の患者が散在して各自思い思いの狂態を演じつつあったが、その時一隅に畠を耕していた足立儀作(仮名六〇)が午砲と同時に看護婦が昼食を報ずる声を聞いて、使用していた鍬を投げ棄てて病室に去るや、以前から儀作の動静(ようす)を覗(うかが)っていたらしい狂少年、福岡県早良(さわら)郡姪(めい)の浜(はま)町一五八六番地農業、呉八代の養子にして同女の甥に当る一郎(二〇)は突然、その鍬を拾い上げて、傍(かたわら)に草を植えていた狂少女、浅田シノ(仮名一七)の後頭部を乱打し、血飛沫(ちしぶき)の中に声も立て得ず絶息せしめた。かくと見た同治療場の監視人で柔道四段の力量を有する甘粕藤太(あまかすとうた)氏は、直ちに急を呼びつつ場内に駆け入ったが、時既に遅く、場内に居った政治狂の某、及(および)、敬神狂の某の二名は、少女シノを救うべく呉一郎に肉迫すると見る間に、前者は横頬を、後者は前額部を呉一郎の鍬の刃先にかけられ、朱(あけ)に染まって砂の上に昏倒した。この時、隙間(すきま)を発見した甘粕氏は一郎の背後から組み付いて、一気に締め落そうと試みたが、一郎の抵抗力意想外に強く、鍬を投げ棄てて甘粕氏の両腕を掴み、体量二十貫の同氏の全身を縦横上下に水車(みずぐるま)の如く振り廻しつつ引き離そうとするので、流石(さすが)の甘粕氏も必死となり、振り離されまいとのみ努力するうち、呉一郎が過(あやま)って狂女の作った落し穴に片足を踏み込んだ拍子に肩を隙(す)かされて同体に倒れると、身を替(かわ)す暇もなく本館軒下の敷石に肋骨を打ち付けて人事不省に陥った。この時同治療場の入口には甘粕氏の声を聞き付けた数名の男看護人、及小使、医員等が駆け付けおり、中には柔道の心得のある者も在ったが、再び治療場の中央に進み出で、落した鍬を拾い上げた呉一郎が、返り血を浴びたまま顔色蒼白となって四辺(あたり)を睥睨(へいげい)しつつ「俺の事業(しごと)を邪魔するかッ」と叫んだ剣幕に呑まれて一人も入場し得なくなった。その間(かん)に場内の一隅に眼を転じた一郎は顔色忽(たちま)ち旧(もと)に帰り、ニコニコ然と微笑し初め、血に染まった鍬を取り直しつつそこに佇立していた二名の女に迫り、まず舞踏狂の少女某を畑の隅に追い詰めて眉間を打ち砕き、続いて最前から女王の姿に扮装しつつ平然として場内を逍遥し続けていた年増(としま)女に近づいて行ったが、同女が声(れいせい)一番、「無礼者。妾(わらわ)を知らぬか」と一睨(いちげい)すると、呉一郎は愕然たる面(おも)もちで鍬を控えて立止ったが、「アッ。貴女(あなた)は楊貴妃様」と叫びつつ砂の上に跪座(きざ)した。その時に辛(かろ)うじて意識を回復した甘粕氏は苦痛を忍びつつ起き上り、場(じょう)の入口を開いて逃げ迷うていた狂人たちを外へ出すと、又も安心のためか気が遠くなって打ち倒れた。そのあとから呉一郎も鍬を片手に、片脇には最初の犠牲、浅田シノの死骸を軽々と引き抱えつつ、女王姿の狂女に一礼して流血淋漓(りんり)たる場内を出で、悠々と自分の病室、七号室に帰って行ったが、皆手を束(つか)ねて戦慄しつつ遠くから傍観するばかりであったという。
狂少年の自殺
平然たる正木博士
この時急を聞いて駆け付けた正木博士は、極めて平然たる態度で医員を指揮しつつ暴れ狂う一郎の手からシノの死骸と鍬を奪い取り、一郎に狂人制御(せいぎょ)用袖無しシャツを着せ、足枷(あしかせ)を加えて七号室に監禁する一方、被害者シノ以下四名の男女患者に応急の手当を施(ほどこ)したが、その中二名の男子患者はいずれも致命傷ではないが生死の程はまだ見込み立たず、又、二名の少女は共に頭蓋骨を粉砕されているので手の下しようなく、この旨(むね)それぞれの近親に急報した。同時に正木博士は単身七号室に引返し、前に監禁した一郎の様子を見に行ったところ、同人は病室の壁に頭を打ち付けて絶息しているのを発見し、急遽(きゅうきょ)医員を呼んだので又も大騒ぎとなった。而(しか)してその騒ぎが一先(ひとま)ず落着し、それぞれの処置を終ると間もなく、正木博士は同教室を出たものらしく、午後二時半頃、医員山田学士が「呉一郎は回復の見込あり」という報告を為(な)すべく、同教授を探しまわった時には、最早(もはや)、同科教室及病院内のどこにも正木博士の姿を発見し得なかったという。
解放治療は
予想通りの大成功
と正木博士放言す!
然(しか)るにその間(かん)に於て正木博士は同大学本部に到り、松原総長に面会して声高に議論していた事実がある。その議論の内容の詳細は判明しないが「狂人の解放治療の実験は今回の出来事に依(よ)って予想通りの大成功に終りました」と繰り返して放言し「同解放治療場は今日限り閉鎖を命じておきました。永々御厄介をかけましたが御蔭(おかげ)で都合よく実験を終りまして感謝に堪えませぬ。(註=同治療場は正木博士が総長の許可を得て、私費を以て開設していたもので、これに附属する雇員等も同博士から直接に給与されていたものである)なお私の辞表は明日提出致します。後(あと)の事は若林学部長に委託してありますから」云々と云い棄てて、呵然(かぜん)大笑しつつ扉(ドア)を押し開き、どこへか立ち去ったとの事で、総長室の隣室で聞いていた事務員連は皆、同教授の発狂を疑いつつ顔を見合わせつつ震え上ったという。
鼾声(かんせい)雷(らい)の如く
酔臥(すいが)して後(のち)行衛を晦(くら)ます
正木博士は総長室を出ると無責任にも死傷せる患者を医員連の看護に一任したまま帰途に就いた模様であるが、その途中どこかで飲酒泥酔したらしく、その夕方、福岡市湊町(みなとまち)の下宿に帰って二三時間のあいだ雷(らい)の如き鼾声(かんせい)を放って熟睡していた。それから同夜九時頃になると「飯喰いに行って来る」と称して飄然(ひょうぜん)として下宿を出でそのまま行衛(ゆくえ)を晦(くら)ましたとの事であるが、仄聞(そくぶん)するところに依れば窃(ひそ)かに九大精神病科の自室に引返し徹宵(てっしょう)書類を整理していたともいう。
狂人を模倣した
気味悪い屍体
然るに本日午後五時頃、大学裏海岸を通りかかった沙魚(はぜ)釣り帰りの二名の男が、海岸に漂着している一個の奇妙な溺死体を発見し、この旨(むね)箱崎署に届出たので万田(まんだ)部長、光川(みつかわ)巡査が出張して取調べたところ、懐中の名刺により正木博士である事が判明したので又々大騒ぎとなり、福岡地方裁判所から熱海判事、松岡書記、福岡警察署より津川警部、長谷川警察医外一名、又、大学側からは若林学部長を初め川路(かわじ)、安楽(あんらく)、太田、西久保の諸教授、田中書記等が現場に駆け付けたが、検案の結果同博士は、同海岸水族館裏手の石垣の上に帽子と葉巻きの吸いさしを置き、診察服を着けたまま手足を狂人用鉄製の手枷足枷(てかせあしかせ)を以て緊縛し、折柄の満潮に身を投じたものらしく、死後約三時間を経過しているので救急の法も施(ほどこ)しようがなかった。而(しか)して右に就いては若林学部長その他関係者一同口を緘(かん)して一語をも洩らさず、前記の大惨事と共に極力秘密裡に葬り去ろうとした模様であるが、本社の機敏なる調査に依って、かく真相が曝露したものである。因(ちな)みに正木博士の自殺原因に就ては遺書等も見当らぬらしく、下宿の書庫机上等も平生の通りに整頓してあって何等の異状をも認めなかったそうである。又飲酒泥酔して下宿に帰り、或(あるい)は散歩と称して外出して帰宅しない事も、従来毎月一二回宛(ずつ)あった事とて下宿の者も何等怪しまなかったという。
奇怪な謎
狂少年の一語
右に就て同解放治療場の監視人であった甘粕藤太氏は、負傷した胸部に繃帯を施したまま市内鳥飼(とりかい)村自宅に於てかく語った。
全く不意の出来事で、こんな事なら初めからあのような役目を引き受けなければよかったと後悔しています。しかし責任は無論私にあるでしょうし、殊に狂人の解放治療場は昨日限り閉鎖されているそうですから、取り敢(あえ)ず正木先生の手許へ辞表を出して謹んでおります。あれが気違い力というものでしょうか、意想外の強力(ごうりき)で力を入れ切っておりますところへ不意に肩をすかされましたために思わぬ不覚を取りまして二度も気絶して面目次第も御座いません。しかし二度目の気絶からはすぐに覚醒しましたので、私は三名の医員と共に七号病室に駆け付けまして、一郎を取り押えようとしましたが、血に狂った一郎は手にせる鍬(くわ)を竹片(たけぎれ)の如くブンブンと振りまわして「見に来てはいけない見に来てはいけない」と叫びますので、非常に危険で近寄れません。そこへあとから駆け付けられた正木先生の顔を見ると、呉一郎は忽(たちま)ち鎮静しまして、嬉し気に一礼しつつ血に塗(まみ)れて床の上に横たわっている少女シノの半裸体の屍体を指して「お父さん、この間あの石切場で、僕に貸して下すった絵巻物を、も一ペン貸して下さいませんか。こんないいモデルが見つかりましたから……」という奇怪な一語を発しました。これを聞かされた正木先生は何故か非常に昂奮された模様で、今思い出しても物凄いほど真青な顔になって私たちを見まわされましたが、そのまま「何をタワケた事を云うかッ」と大喝されますと、単身呉一郎に組み付いて取押えられたのであります。それから暫くはお顔の色が悪いようでしたが、呉一郎が壁に頭を打付けて絶息しました後(のち)は気力を回復されたらしく、あれ程の大事件のさなかにも拘わらず、快濶(かいかつ)にキビキビと種々(いろいろ)の指図をしておられました。(記者が一郎の蘇生せる旨を告ぐれば)ヘエ。それは本当ですか。私が見ました時は顔中血だらけになっておりましたし、正木先生も急激な脳震盪(のうしんとう)で呼吸も止まっているから迚(とて)も助からぬと云うておられましたが、やはり、手足が不自由なまま、壁に頭を打ち付けたのですから、そう強くなかったのでしょう。(次いで正木博士の自殺を告げ死因に就ての心当りを問えば甘粕氏は愕然蒼白となり流涕(りゅうてい)して唇を震わしつつ)それは本当ですか。本当ならば私はこうしておられません。正木先生には大恩があります。私が先年亜米利加(アメリカ)で流浪しておりますうちに市俄古(シカゴ)附近で肺炎にかかり誰も構ってくれ手がなくなりましたところを正木先生に拾われまして入院さして頂きました。その時に正木先生はもしこの恩が報じたければ福岡へ住んで俺が帰るのを待っておれと云われまして沢山の旅費まで頂きましたので、帰国匆々(そうそう)当地の英和学院の柔道師範を奉職していたのですが、正木先生が大学に来られるとすぐに辞職して治療場の監視をお引き受けした位です。正木先生は何でも楽観される方で私も私淑しておりましたが人格の高い方でしたから責任観念も強かったのでしょう。云々。
姪の浜の大火
名刹(めいさつ)如月寺(にょげつじ)に延焼
放火女無残の焼死を遂(と)ぐ
本日午後六時頃福岡県早良郡姪の浜一五八六呉ヤヨ方母屋奥座敷より発火し、人々驚きて駆け付ける間もなく打ち続く晴天と折柄(おりから)の烈風に煽(あお)られて火勢忽(たちま)ち猛烈となり、数棟の借家を含みたる同家は見る見る一団の大火焔に包まれると見る中(うち)に程近き如月寺(にょげつじ)本堂裏手に飛火(とびひ)し目下盛んに延焼中であるが、遠距離の事とて市中の消防は間に合わず、附近の消防のみにては手に余る模様である。而(しか)して右放火者と認めらるる呉ヤヨ(前記呉一郎伯母四〇)は寺院本堂の猛火に飛び入り衆人環視の裡(うち)に無残の焼死を遂(と)げたが、同女は今春、ただ一人の娘を喪(うしな)いたる際より多少精神に異状を呈しおりたるところ、本日又最愛の甥一郎が変死した噂が同地方に伝わっていたのを耳にしたために一層錯乱昂奮してこの始末に及んだものであろうと。
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この号外から顔を上げた私は、頭を押え付けられたようになったまま、オズオズとそこいらを見まわした。
すると間もなく、すぐ鼻の先に拡げられた青い風呂敷のまん中に、今まで号外の下になっていたらしい一枚のカードみたようなものが見つかった。……オヤ……まだこんなものが残っていたのか……と思い思い立ち上って覗き込んでみると、それは一枚の官製端書(はがき)の裏面で見覚えのある右肩上りのペン字が、五六行ほど書きなぐってあった。


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