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2008年8月20日 (水)

黒死館殺人事件 23

狩猟(かり)の一隊(ひとむれ)が野営を始めるとき
雲は下り、霧は谷を埋めて
夜と夕闇と一ときに至る

 それは、擬(まご)うかたないセレナ夫人の声であった。しかし、耳に入ると、レヴェズは喪心したように、長椅子へ倒れかかったが、彼はかろうじて踏み止まった。そして頭をグイと反らして、激しい呼吸をしながら、
「貴方(あんた)は、何かの機会(チャンス)に、一人の犠牲を条件に、彼女を了解させたのですか。もう儂(わし)には、この上釈明する気力もないのです。いっそ、護衛をやめてもらおう。儂の血でこの裁きをしたら、いつか、その舌の根から聴くことがあるでしょうから(マイ・ブラッド・ジャッジ・ファベイド・マイ・タング・トゥ・スピーク)」と異常な決意を泛(うか)べて、あろうことか、護衛を断るのだった。そして、いっさいの武装を解いた裸身を、ファウスト博士の前に曝(さら)させることを要求した。それに、法水はまた皮肉にも、応諾の旨を回答して、室(へや)を出た。いつも、彼等がそこで策を練り、また訊問室に当てているダンネベルグの室では、検事と熊城がすでに夜食を終っていた。その卓上には、裏庭の靴跡を造型した二つの石膏型と、一足の套靴(オーバシューズ)が、置かれてあった。そして、それがレヴェズの所有品で、ようやく裏階段下の、押入れから発見されたことが述べられた。がその頃には、押鐘博士は帰邸していて、食事が済むと、今度は代り合って、法水が口を開いた。そして、レヴェズとの対決顛末(てんまつ)を、赤いバルベラ酒の盃を重ねながら、語り終えると、
「なるほど、しかし……」といったんは頷(うなず)いたが、熊城は強い非難の色を泛(うか)べていった。「君の粋物主義(ディレッタンティズム)にも呆(あき)れたものさ。いったいレヴェズの処置に躊(ため)らっているのは、どうしたということなんだい。考えても見給え。従来(これまで)動機と犯罪現象とが、何人(なんびと)にも喰い違っていて、その二つを兼ねて証明された人物と云えば、かつて一人もなかったのだ。とにかく。序曲が済んだのなら、さっそく幕を上げることにしてもらおう。なるほど、君が好んで使う唱合戦も、ある意味では陶酔かもしれないがね。しかし、その前提に結論が必要なことだけは、忘れないでくれ給え」
「冗談じゃない。どうしてレヴェズが犯人なもんか」と法水は道化た身振をして、爆笑を上げた。ああ、世紀児法水――彼はあの告白悲劇に、滑稽(こっけい)な動機変転を用意していたのであろうか。検事も熊城も、とたんに嘲弄されたことは覚ったが、あれほど整然たる条理を思うと、彼の言(ことば)をそのまま信ずることは出来なかった。続いて法水は、その詭弁主義(マキァヴェリズム)の本性を曝露すると同時に、今後レヴェズに課した、不思議な役割を明らかにした。
「いかにも、レヴェズとダンネベルグ夫人との関係は、真実に違いないのだ。しかし、あの火術弩(かじゅつど)の弦(つる)が木(ビクスクラエ)なら、僕は前史植物学で、今世紀最大の発見をしたことになるのだよ。ねえ熊城君、一七五三年にベーリング島の附近で、海牛の最後の種類が屠殺(とさつ)されたんだ。だがあの寒帯植物は、すでにそれ以前に死滅しているんだぜ。やはり、あの弩の弦は、いっこう変哲もない大麻で作られたものなんだ。ハハハハ、あの象のような鈍重な柱体(シリンダー)を、僕は錐体(コーン)にしてやったんだよ。つまり、レヴェズを新しい坐標にして、この難事件に最後の展開を試みようとするんだ」
「ああ、気が狂ったのか。君はレヴェズを生餌(いきえ)にして、ファウスト博士を引き出そうとするのか」とさしも沈着な検事も仰天して、飛び掛らんばかりの気配を見せると、法水はちょっと残忍そうな微笑をして答えた。
「なるほど、道徳世界の守護神――支倉君! だが実を云うと、僕がレヴェズについて最も懼(おそ)れているのは、けっしてファウスト博士の爪ではないのだ。実は、あの男の自殺の心理なんだよ。レヴェズは最後に、こういう文句を云ったのだよ。儂の血でこの裁きをしたら、いつかその舌の根から聴くことがあるでしょうから(マイ・ブラッド・ジャッジ・ファベイド・マイ・タング・トゥ・スピーク)――とね。それが、いかにもレヴェズが演ずる、悲壮な時代史劇(コスチューム・プレイ)のようで、またあの性格俳優の見せ場らしい、大芝居みたいにも思われるだろう。しかし、それは悲愁(トラウリッヒ)ではあるけれども、けっして悲壮(トラギッシュ)ではないのだ。つまりその一句と云うのが、『ルクレチア盗み(レイプ・オヴ・ルクリース)』という沙翁(シェークスピア)の劇詩の中にあって、羅馬(ローマ)の佳人(かじん)ルクレチアがタルキニウスのために辱(はずか)しめをうけ、自殺を決意する場面に現われているからなんだ」と法水はこころもち臆したような顔色になったが、その口の下から、眉を上げ毅然(きぜん)と云い放ったものがあった。
「けれども支倉君、あの対決の中には、犯人にとってとうてい避け難い危機が含まれているんだ。事実僕が引っ組んだのは、レヴェズじゃないのだ。やはりファウスト博士だったのだよ。実を云うと、僕はまだ事件に現われて来ない、五芒星呪文の最後の一つ――地精(コボルト)の札の所在(ありか)を知っているのだがね」
「なに、地精(コボルト)の紙片」検事も熊城も、仰天せんばかりに驚いてしまった。しかし、法水の眉宇間には、賭博(とばく)とするには、あまりに断定的なものが現われていた。彼の凄愴(せいそう)な神経作用(ナーヴァシズム)が、いかなる詭計によって、あの幽鬼の牙城に酷迫したのであろうか。そのにわかに緊張した空気の中で、法水は冷たくなった紅茶を啜(すす)り終ると語りはじめたが、それは、驚くべき心理分析だったのだ。
「ところで、僕はゴールトンの仮説(セオリー)を剽竊(ひょうせつ)して、それで、レヴェズの心像を分析してみたのだ。と云うのは、あの心理学者の名著――『人間能力の考察(インクワイアリー・イントゥ・ヒューマン・ファカルティ)』の中に現われていることだが、想像力の優れた人物になると、語(ことば)や数字に共感現象が起って、それに関聯した図式を、具体的な明瞭な形で頭の中へ泛(うか)べる場合があるのだ。例えば数字を云う場合に、時計の盤面が現われることなど一例だが……いまレヴェズの談話の中に、それにもました、強烈な表現が現われたのだ。支倉君、あの男は伸子に愛を求めた結果について、こういうことを悲しげにいったのだよ。――天空の虹は抛物線(パラボリック)、露滴の虹は双曲線(ハイパーボリック)、しかしそれが楕円形(イリプティック)でない限り、伸子は自分の懐(ふところ)に飛び込んでは来ない――と。ところが、その間レヴェズの眼に、微かな運動が起って、彼が幾何学的な用語を口にするたびごと、なんとなく宙に図式を描いているような、動きが認められるのだった。そこで僕は、その黙劇めいた心理表出に、一つの息詰まるような徴候を発見したのだよ。何故なら拠物線(パラボリック)と双曲線(ハイパーボリック)を楕円形(イリプティック)に続けると、その合したものが、KO になるだろうからね。つまり、地精(Kobold(コボルト))の頭二字――K と O となんだよ。だから、僕はすかさず、それに暗示的な衝動を与えようとして、Kobold のKOを除いた残りの四字――bold(ボルト) に似た発音を引き出そうとしたのだ。するとレヴェズは、三叉箭(さんしゃや)のことを Bohr(ボール) と云った。またそれに続いて、レヴェズが僕を揶揄(やゆ)するのに、あの箭(や)が裏の蔬菜園から放たれたのだと云って、その中に蕪菁(リューベ)(Rbe)と一語(こと)を、しきりと躍動させるのだったよ。そこで支倉君、偶然にも僕は、レヴェズの意識面を浮動している、異様な怪物を発見したのだ。ああ、僕はステーリングじゃないがね。心像は一つの群(グループ)であり、またそれには自由可動性(フリモビリティ)あり――と云ったのは至言だと思うよ。何故なら、そのレヴェズの一語には、あの男の心深くに秘められていた一つの観念が、実に鮮かな分裂をして現われたからなんだ。いいかね支倉君、最初 KO と数型式(ナムバァ・フォムス)を泛(うか)べてから、レヴェズは三叉箭のことを Bohr(ボール) と云い、心中地精(コボルト)を意識しているのを明らかにした。また、それか、蕪菁(リューベ)という語(ことば)を使ったのだが、それには重大な意義が潜んでいた。と云うのは、地精(コボルト)に誘導されて、必ず聯想しなければならない、一つの秘密がレヴェズの脳裡にあったからだ。で、試しに一つ、三叉箭(ボール)と蕪菁(リューベ)とを合わせて見給え。すると、格子底机(ボールド・ルーベ)――。ああ、僕の頭は狂っているのだろうか。実は、その机と云うのが、伸子の室(へや)にあるのだがね」
 地精(コボルト)の札(ふだ)――今や事件の終局が、その一点にかけられている。もし、法水の推断が真実であるならば、あの溌溂(はつらつ)たる娘は、ファウスト博士に擬せられなければならない。それから、伸子の室に行くまでの廊下が、三人にとると、どんなに長いことだったろうか。しかし、法水は古代時計室の前まで来ると、何を思ったか、不意に立ち止った。そして、伸子の室の調査を私服に任せて、押鐘夫人津多子を呼ぶように命じた。
「冗談じゃない。津多子を鎖じ込めた文字盤に、暗号でもあるのなら別だがね。しかし、あの女の訊問なら後でもいいだろう」と熊城は、不同意らしい辛々(いらいら)した口調で云うのだった。
「いや、あの廻転琴(オルゴール)時計を見るのさ。実は、妙な憑着(ひょうちゃく)が一つあってね。それが、僕を狂気(きちがい)みたいにしているのだよ」とキッパリ云い切って、他の二人を面喰(めんくら)わせてしまった。法水の電波楽器(マルティノ)のような微妙な神経は、触れるものさえあれば、たちどころに、類推の花弁となって開いてしまうのだ。それゆえ、一見無軌道のように見えても、さて蓋(ふた)が明けられると、それが有力な連字符ともなり、あるいは、事件の前途に、全然未知の輝かしい光が投射される場合が多いのであった。
 そこへ、壁に手を支えながら、津多子夫人が現われた。彼女は大正の中期――ことにメーテルリンクの象徴悲劇などで名を謳(うた)われただけあって、四十を一、二越えていても、その情操の豊かさは、青磁色の眼隈に、肌(はだえ)を包んでいる陶器のような光に、かつて舞台におけるメリザンドの面影が髣髴(ほうふつ)となるのであった。しかも、夫押鐘博士との精神生活が、彼女に諦観(ていかん)的な深さを加えたことも勿論であろう。しかし、法水はこの典雅な婦人に対して、劈頭(へきとう)から些(いささ)かも仮借せず、峻烈な態度に出た。
「ところで、最初からこんなことを申し上げるのは、勿論無躾至極(ぶしつけしごく)な話でしょう。しかし、この館の人達の言(ことば)を借りると、貴女(あなた)のことを人形使いと呼ばなければならないのですよ。ところが、その人形と糸ですが、事件の劈頭には、それがテレーズの人形にありました。そして、またその悪の源は、永生輪廻(りんね)の形で繰り返されていったのです。ですから夫人(おくさん)、僕には、貴女に当時の状況をお訊ねして、相変らず鬼談的(デモーニッシュ)な運命論を伺(うかが)う必要はないのですよ」
 冒頭に津多子は、全然予期してもいなかった言葉を聴いたので、そのすんなりした青白い身体が、急に硬(こわ)ばったように思われ、ゴクンと音あらく唾(つば)を嚥(の)み込んだ。法水は続けて、その薄気味悪い追求を休めなかった。
「勿論、貴女があの夕(ゆうべ)六時頃に、御夫君の博士に電話を掛けられたという事も、また、その直後奇怪至極にも、貴女の姿がお室(へや)から消えてしまったという事も、僕には既(とう)から判っているのですからね」
「それでは、何をお訊ねになりたいのです。この古代時計室には、私が昏睡させられて鎖じ込められていたのですわ。しかも、あの夜八時二十分頃には、田郷さんが、この扉(ドア)の文字盤をお廻しになったと云うそうじゃございませんか」と顔面を微かに怒張させて、津多子はやや反抗気味に問い返した。すると、法水は鉄柵扉(ドア)から背を放して、凝然(じっ)と相手の顔を見入りながら、まさに狂ったのではないかと思われるようなことを云い放った。
「いや、僕の懸念(けねん)というのは、けっしてこの扉(ドア)の外ではなく、かえって内部(なか)にあったのですよ。貴女(あなた)は、中央にある廻転琴(オルゴール)附きの人形時計を――。また、その童子人形の右手が、シャビエル上人(しょうにん)の遺物筐(シリケきょう)になっていて、報時の際に、鐘(チャペル)を打つことも御存じでいらっしゃいましょう。ところが、あの夜九時になって、シャビエル上人の右手が振り下されると、同時にこの鉄扉が、人手もないのに開かれたのでしたね」

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