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2008年8月26日 (火)

Jean-Marie Gustave Le Clézio

J・M・G・ル・クレジオ(Jean-Marie Gustave Le Clézio,1940年4月13日 - )はフランス・ニース生まれの60年代以後のフランス文学を代表する小説家。数年来、ノーベル文学賞候補に挙げられてきたが、受賞には至っていない。

[作品の全体像]
絶えずリミット、ボーダー、あるいは既存の境界線を越えようとして移動する人々、特に、若者や、少年少女を描いた作品が多い(例:『海を見たことがなかった少年』のモンド、『オニチャ』のオーヤ、『さまよえる星』のエレーヌ、エステル、『黄金の魚』ネジュマ、『偶然』のナシマ、など)。乞食、移民、外国人、女性などに対する共感の度合いが、その筆の運び、分量からもうかがえる(日本人研究者・堀容子は、ル・クレジオ的な人物達のこうした偏りを、「類型性」という語彙を使用しつつ、指摘している)。彼ら「アウトサイダー」は、しばしば、弱者かつ賢者として、描かれる。

また太陽への複雑な思いが、初期作品から持続的に書き付けられている。ル・クレジオにあって、丸く、放射状の光を放つ形態物は、しばしば太陽に関係付けられる。特に初期作品にあって、その光は世界を見つめる眼差(regard)にほかならず(豊崎光一の指摘)、太陽(視線、意識、知性の象徴)との闘争こそ、初期ル・クレジオの闘った主要な闘いであるという言い方さえ可能と思われるほど、「光」は様々な意味合いを帯びて随所に刻印されている。

一般的には、「近代西欧のただ中にあることの居心地の悪さ、朽ち果てた郊外へのアンチテーゼに裏打ちされた、エグゾティックな第三世界を描いた作品群」という評価が下されることが、少なくない[1]。

こうした舞台設定上の闘争のみならず、指摘しておかなければならないのは、ル・クレジオの作品群が、水のような優しさ、透明さを湛えている、と同時に、血のような残酷さ、苦さ、赤黒さをも備えているという点だろう。ある種の読者が、心を鷲掴みにされるのは、この、甘やかでありかつ酸いという両義性ゆえでもあろう。[要出典]

こうした両義性は、若きル・クレジオの研究対象であった夭逝の、あの『マルドロールの歌』の詩人ロートレアモンから受け継いだものでもある[2]。

ロートレアモンのほかに、主要な参照点として挙げられるのは詩人、アンリ・ミショー(ル・クレジオはミショー論で学士号の資格を授受している)であり、またアントナン・アルトー(メキシコ滞在に際してル・クレジオが最初に読んだのがアルトーだった)、その他、アンドレ・ブルトンを中心とするシュルレアリスムに参加した作家たちのうちの幾人かである[3]。

なお、両義性ということに関してだが、ル・クレジオは2006年の来日時に、「幸福」を巡って、若者から受けた「ル・クレジオさんは、両義性と言いますが、純粋なものへの志向についてはどうお考えですか?」という質問に対する返答の言において、「私がここで言う両義性(ambivalence)は、曖昧さ(ambiguite)とはちがいます」、「私のモデルは、ドストエフスキーであり、私が言わんとするのは、彼の作品におけるような両義性なのです」と語っている。なんらかの仕方で世界を作品に写そうとするとき、沈黙と暴力が同居するのは、ごく自然な成り行きであると考えたほうがいいだろう。[要出典]

ル・クレジオはヌーヴォー・ロマンが前景化しはじめた頃に現れた[4]ため、また、バロウズ的なカット・アップにも似た斬新な手法を用いてもいたために、この潮流を担う作家の一人と見なされたり、ヌーヴォー・ヌーヴォー・ロマンという呼称を与えられたこともあったが、文体的な新しさ、形式的な新しさの追究に、ル・クレジオが並々ならぬ関心を抱いていた、というわけではまったくない。60年代後半のル・クレジオは、ロブ=グリエやビュトールよりも、むしろシモンやサロートに、思想的な新しさ、面白みを感じている[5]。

彼の第一の関心は、言語それ自体よりもむしろ、「人間」にあり、生きること、現実の生にあり、肉体的かつ思弁的であるような「冒険」を遂行しつづけることにあったし、いまもまた、そうでありつづけている[6]。

[複数のルーツ]
ル・クレジオは1940年4月13日に、フランス南部、地中海岸の都市ニースにおいて生を授かっている。彼の家系を少々遡ると、その家系図の特殊性が、見えてくる。ル・クレジオの祖先はフランス革命期にブルターニュからモーリシャス島に渡った人々であるのだが、インド洋に浮かぶこの小島・モーリシャスは、混交度の極めて高い文化的風土を持つ。長きに渡る植民地主義の時期を通じて、その領有権ないしは帰属は、オランダ、フランス、イギリスの間で揺れ動く。

英国軍医としてアフリカで働いていたジャン=マリの父の国籍は英国籍であり、ジャン=マリ自身は、二重国籍を保持していた[7]。

ちなみにジャン=マリは、若い頃、英語で書くか仏語で書くか、迷ったすえ、後者を選んだという[8]。

2006年初頭の来日時には、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』への反意を明確に示し、グローバリズムへの疑義を呈した。

同じ機会にル・クレジオは「『噛み付く』(mordre)こと」とも言っている(もちろん、何にでも噛みつけということではない)。その時通訳だった鵜飼哲は、ジャン・ジュネに言及しつつ、反応した。

[デビュー]
デビュー作『調書』は大きな反響を呼び、フランスの主要な文学賞の一つであるルノード賞を受賞した。同書は、ゴンクール賞の候補にも上り、アルマン・ラヌーの『潮の引くとき』と審査員の票を真っ二つに分かったが、審査委員長の採決票によって、結局、辛くも、同賞を逃した[9]。

この若き才能の登場に際しては、アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、ウィリアム・ブレイクなどの名前が引き合いに出され[9]、60年代初頭のフランス文学界を賑わすこととなった。長身、碧眼、美貌の、若き新星のきららかな登場を巡って、文藝ジャーナリズムのみならず、種々のメディアが騒ぎ立てたのである。

時あたかも、構造主義の隆盛期、戦後長きに渡って持続したサルトルの「専制」から、実存主義のある種の狭隘さから、逃れようとする潮流が形成されつつあった頃である。ル・クレジオ自身が構造主義的な思潮をもろに被っているかどうかはともかく、そうした文脈でも読まれただろうことは、想像に難くない。例えば、日本のル・クレジオ研究者、鈴木雅夫の論文Sous le poid de la conscienceにはこうした視点から書かれた条りがある。

これに関連して、ル・クレジオが、1966年、構造主義が全盛を迎えようとする頃、サルトルを擁護する文章(「範とすべき人間」)を、L'Arc誌(ベルナール・パンゴー編、邦題『構造主義とは何か』所収)に書き送っている。若きル・クレジオはそこで、サルトルの「精神的冒険」(aventure spirituelle)を称揚し、とりわけ『嘔吐』を評価している。

サルトルのみならず、処女作の出版当時、言及された上記の作家、シネアストの固有名が、ル・クレジオと深い関係を持っているように考えられるのは自然なことだが(たとえば、60年代にル・クレジオはゴダールと対談しているし、望月芳郎によるインタビューでも、ゴダールの作風と自分の作風を引き比べて見せている)、とはいえ、いまだきちんと論証されたものとは言い難い。

[テーマ]
あまり強調されないが、その初期の著作において「西欧的、キリスト教的な文明世界における無神論の問題を、いかにして乗り越えるか」は大きなテーマの一つとなっている。

また「家族」的な繋がり、性的な合一ではなく、「愛」による結合を志向する願望が、初期から近年の作品にいたるまで、作品のいたるところに、溢れかえっている(上述のサルトル論「範とすべき人間」においてもまた、有神論でも、エロティシズムでもなく、人間に賭けたサルトルに対する賛意が書き付けられている)。

[文体]
初期のエッセー『物質的恍惚』の簡潔で、凝集的な書きぶりに象徴されるように、硬質かつ澄明で無駄のない文章が持ち味となっている。幻覚の描写やコラージュもまた得意とするところであり、その点で同時代の作家のなかで異彩を放ちつづけていた。

初期作品においてはアンチ・ロマン的な作風を示しながらも、ソレルス、バルト、クリステヴァらのテル・ケルのように、小説言語、形式の追究へと向かうことなく(註:テル・ケルにおける探求の主題が小説言語、形式の追及だったというのは単純化しすぎた言い方ではあるが)、また首都パリから距離をとり、特定の文学上のグループに属することなく書き続け(編集者の誘いを断って、ニースに留まった)、その後、ミリタリー・サーヴィスの枠内における、タイ、メキシコ滞在などを経て、70年代後半から、次第に、クラシックな佇まいをした小説へと向かっていった。

基本的に集団、全体化を好まない性質であることは、望月芳郎によるインタビューを見ても明らかだし、またサルトル特集における「サルトル的なもの」葬り去りの試みに、疑義を呈しつつ、個人としてのサルトルを「フランス文学にこれほど意義深い冒険は存在しなかったと、私は思う」と言って、称揚したことからも、うかがえる。

[日本における評価]
「調書」を大江健三郎が『真に新しい本物の才能の登場。』と絶賛、それを伝え聞いた石原慎太郎は『クレジオなんてのは自転車のミラーやサドルの形をちょっといじった程度のものだ。』と罵倒した。
これは1966年に、新潮社から、豊崎光一による翻訳が出た時の二人の作家の反応であるが、大江を読み、石原を読み、初期ル・クレジオを読むものならば、頷ける反応であるだろう。どちらも、それなりに正しい。というのも、初期ル・クレジオには、すでにして極めて文学的な「否定」の意志が横溢していると同時に、自我の閉塞に囚われすぎていることもまた真だからである。

これに関連して、たとえば『焼身』で読売文学賞を受賞した作家の宮内勝典は、『調書』に関しては「知性主義」的に過ぎると「すばる」特集号に寄せた文章において書いている、ということを紹介しておいてもいいだろう。

さて、ル・クレジオは、日本においても、1960年代から70年代にかけて非常に読まれた、というか団塊の世代を中心とする若年層に、ある種のアイコンとして言及された作家であったようだが、その後も読み続けた忠実な読者がどれだけいたのか、やや訝しく思われるところがある。

望月芳郎、豊崎光一、村野美優、中地義和、菅野昭正、高山鉄男によって、翻訳紹介がなされつづけてきたが、非常によく読まれている状況、とは言い難いだろう。

主体的な生き方、を読みながら「共に考える」にはうってつけの作家であるだけに、惜しいと嘆く読者は少なくないだろう。

しかしながら、2006年には再来日を果たした際には、『現代詩手帖』(思潮社)および『すばる』(集英社)によって、極めて良質な特集が組まれもしており、読解の環境を整備しようと努力する一定の人々が存在することは確かである。

来日時、対話役を務めたものの一人であった今福龍太は、ル・クレジオの知己であるといってよかろうが、二人の唐突な、しかし急速に距離を縮めた出会いについては、『荒野のロマネスク』(岩波現代文庫)の末尾に、やや詳しい記述がある。ちなみに、今福龍太は、ル・クレジオ来日時、奄美旅行に同行、案内したが、この旅のスケッチが、上述の「現代詩手帖」「すばる」に描かれている。

[関連人物]  (アルファベット順、姓による)

ルイ・アラゴン  アントナン・アルトー  ジョルジュ・バタイユ  ウィリアム・ブレイク  レイ・ブラッドベリ
アンドレ・ブルトン  ブッダ  アルベール・カミュ  トルーマン・カポーティ
ルイ=フェルディナン・セリーヌ  ジル・ドゥルーズ  ウィリアム・フォークナー   ジャン=リュック・ゴダール
ヴェルナー・ハイゼンベルク   マックス・ジャコブ   J・D・サリンジャー  ジャン=ポール・サルトル

[著作]
『調書』Procès-verbal (Prix Renaudot 1963) (The Deposition)
『発熱』La Fièvre (Fever)
『大洪水』Déluge (The Flood) (1966)
『物質的恍惚』L'Extase matérielle (Material Ecstasy) (1967)
『愛する大地』Terra Amata (novel) (Beloved Earth) (1967)
『逃亡の書』Le Livre des fuites (The Book of Escapes)
『戦争』La Guerre (War)
『悪魔祓い』Haï (1971)
Mydriase (1973)
『巨人たち』Les Géants (The Giants) (1973)
『向こう側への旅』Voyages de l'autre côté (Journeys Beyond) (1975)
『チラム・バラムの書』Les Prophéties du Chilam Balam (Chilam Balam Prophecies) (1976)
Vers les icebergs (Essai sur Henri Michaux) (To the Icebergs; an essay on Henri Michaux)(1978)
『海を見たことのなかった少年』Mondo et autres histoires (Mondo and other stories) (1978)
『地上の見知らぬ人』L'Inconnu sur la Terre (The Stranger on the Earth) (1978)
Trois villes saintes (Three Holy Cities)
『砂漠』Désert (novel) (1980) (Desert)
『ロンドその他の三面記事』La Ronde et autres faits divers The Round and other cold hard facts
『ミチョアカン報告書』Relation de Michoacan
『黄金探索者』Le Chercheur d'Or (The Prospector)
『ディエゴとフリーダ』Diego et Frida (Diego Rivera and Frida Kahlo)
『ロドリゲス島への旅』Voyage à Rodrigues (Journey to Rodrigues)
『メキシコの夢』Le Rêve mexicain ou la pensée interrompue (The Mexican Dream or Broken Thought)
『春その他の季節』Printemps et autres saisons (Spring and other Seasons)
『オニチャ』Onitsha (novel) (a reference to the African city of Onitsha)
『さまよえる星』Étoile errante (Wandering Star)
『パワナ』Pawana
La Quarantaine (Quarantine)
『黄金の魚』Poisson d'or (The Golden Fish)
『雲の人々』Gens des nuages (with Jémia Le Clézio) (The Cloud People)
『歌の祭り』La Fête chantée (Sung Celebration)
『偶然』Hasard (suivi d'Angoli Mala) (Serendipity)
Cœur Brûle et autres romances (Burnt Heart and other romances)
『はじまりの時』Révolutions
『アフリカのひと』L'Africain (2004) (The African)
Ourania (2006)
Raga(2006)
Ballaciner(2007)

[脚注・出典]
1^ 鈴木雅夫のSous le poid de la conscieceの導入部等を参照。
2^ ル・クレジオはガリマール版の『マルドロールの歌』に序文を寄せている
3^ 以下でも幾度か言及する『限りなき視線』所収の、望月芳郎によるインタビューにおけるシュルレアリスムへの肯定的な評価、また『ロンドその他の短編』におけるナジャへの言及etc.
4^ 『調書』の出版は1963年、比べて、たとえばアラン・ロブ=グリエの文学論集Pour un nouveau roman『新しい小説のために』は1962年にEdition de minuitから出版されている
5へ 中央大学出版局『限りなき視線』所収、望月芳郎のインタビュー等を参照のこと
6^ 1998年のMagazine Litteraire誌および、その翻訳を収めた「現代詩手帖」のル・クレジオ特集号などを参照のこと
7^ 父に関しては新潮社刊、菅野昭正訳『アフリカのひと』に詳しい
8^ 『現代詩手帖』における特集に収められたインタビュー
9^ a b 訳者、豊崎光一による『調書』あとがき等を参照のこと

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

[外部リンク]
『愛する大地(テラ・アマーダ)』J.M.G.ル・クレジオ (1968) http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/jmg_1968_7827.html
『大洪水』 J.M.G.ルクレジオ (河出書房新社1970)  http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/jmg_1970_5a44.html
『物質的恍惚』 ル・クレジオ、豊崎光一訳 (新潮社1971) http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1971_9c19.html
『巨人たち』 ル・クレジオ (新潮社1973) http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1973_92a3.html

http://revue.ressources.org/article.php3?id_article=796
http://revue.ressources.org/article.php3?id_article=801
http://www.multi.fi/~fredw/

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