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2009年2月26日 (木)

トマソン

トマソン、もしくは超芸術トマソン(ちょうげいじゅつとまそん)とは、赤瀬川原平らの発見による芸術上の概念。不動産に付属・保存されている無用の長物。創作意図の存在しない、視る側による芸術作品。

[] トマソンの語源
トマソンの語源は、東京読売巨人軍元選手ゲーリー・トマソンに由来する。 トマソン選手は、元大リーガーとして移籍後1年目はそこそこの活躍を見せたものの、2年目は全くの不発でありながら四番打者の位置に据えられ続けた。その、空振りを見せるために四番に据えられ続けているかの様な姿が、ちょうど「不動産に付属してあたかも芸術のように美しく保存された無用の長物」という超芸術の概念にぴったりであったため名称として採用された。固有名詞が名称として採用された理由は、それまでの言葉では説明しがたい新しい概念を持つものだったため、むしろしがらみの無い個人名を必要としたと思われる。新しく発見された病名など学術的用語に個人名を付けるのに似ている。

Tomakaidan

[] 超芸術トマソンの発見と命名
1972年、赤瀬川原平、南伸坊、松田哲夫が四谷の祥平館脇の道を歩いている時に上り下りする形態と機能はきちんと保存されながら上った先には特に出入り口のあるわけでもない階段を発見した。

翌年、赤瀬川原平が、江古田の駅でベニヤ板で塞いである使われなくなった出札口(切符売り場の窓口)に気付いた。そのベニヤ板が、長年の銭の出し入れでくぼんだ石の表面にあわせて必要以上に律儀に、微妙な曲線に切断されていたのである。

また、南伸坊が、お茶の水の三楽病院で、きわめて堂々とした造りでありながら出入り口だけがきっちりとセメントでふさがれた通用門を発見し報告をした。

これらは「四谷の純粋階段」「江古田の無用窓口」「お茶の水の無用門」と名付けられ、これらに共通する概念として浮上した《芸術のように実社会にまるで役に立たないのに芸術のように大事に保存されあたかも美しく展示されているかのようなたたずまいを持っている、それでありながら作品と思って造った者すら居ない点で芸術よりも芸術らしい存在=「超芸術」》の例として認識された。

そしてこれら「超芸術」の中でも不動産に付着するものをひと言で言い表す愛称、通称のようなものはないかということで「トマソン」という名前が与えられた。この名前は当時、読売ジャイアンツに助っ人として4番打者の位置に居ながら、大リーグの三振を見せるために保存されていると言われていたゲーリー・トマソン選手にちなんだ名前である。名前が決まったのは赤瀬川が講師をしていた美学校「考現学教室」の生徒の議論の中からであった。なおトマソン選手の三振の記録は132でこれはレジー・スミスに抜かれるまでセリーグ・ワースト記録であったが途中で退団した82年にはそれを上回るペースであった。

この概念が赤瀬川の連載のあった白夜書房の雑誌『写真時代』で1982年に発表され、「考現学教室」の生徒たちの「探査」活動や赤瀬川自身の採集による「物件」の写真が赤瀬川の筆で発表され読者からの物件の報告を誌上で発表解説するという形がとられると一つのブームとなり一挙に「トマソン」の概念が広まった。『写真時代』の連載は途中で単行本『超芸術トマソン』(白夜書房刊)にまとめられた。白夜書房の単行本は連載途中であったので連載の最後の方は収められておらず、のちに筑摩文庫から文庫版で出る時に全てが収められた。なお赤瀬川の連載は同じく末井昭編集長の雑誌「ウィークエンドスーパー」の連載「自宅でできるルポルタージュ」が雑誌名変更とともにいつのまにか「超芸術トマソン」に代わったものである。

Tomason 20041117

[] 影響
トマソンは、一時期ちょっとしたブームとなり、美術や前衛芸術に関心のある学生・若者などに大きな影響を与えた。またトマソンの定義を知らない者の間にまでトマソンという言葉が浸透したという点でも一種の社会現象と言えるかもしれない。

また「超芸術トマソン」単行本の表紙の写真に現れる、谷町という地上げ再開発によって消えた港区の町をめぐるエピソードは、理論としてはトマソンの概念には関係の無い話であるが、トマソンがそのような町を愛する視点と関係しているという基調を示していて、トマソンのブームの盛り上がりにも深い影響を与えたと言わざるをえないであろう。

また、このような大規模な地上げ再開発が、誰の目をも驚かすもっとも盛んなバブル経済時代の反映も背景としてあった。

1983年にトマソン観測センターによる「悶える町並み」という展覧会が新宿のギャラリー612で開かれ、赤瀬川原平の絵画や物件の写真が展示された。

その後出版社東京堂後援による東京での「トマソンバスツアー」や赤瀬川原平によるレクチャーが所々で開かれ、またNHKや11PMなどのTV番組で取り上げられ、単行本「超芸術トマソン」が出版されひとつのブームのピークを迎えた。

しかし当の赤瀬川やその生徒によるトマソン観測センターは、ブームの盛り上がりによってかえって疲弊してしまい、次第に活動は下火となってゆく。

そのころ藤森照信らの建築探偵(古い市井の建物の観察・分析・コレクション)、林丈二のマンホールその他路上のもろもろの蒐集、南伸坊のハリガミ採集分析、一木努の建築破片収集などの路上にまつわるコレクションの活動とブッキングされて、筑摩書房から路上観察学入門という本が出版され、それに合わせて1986年、学士会館で路上観察学会の発足式と称したイベントが開催され、記者会見などを行なった。企画したのは筑摩書房の現専務取締役松田哲夫である。

路上観察はごく一部でブームとなったが、トマソンのように雑誌投稿や生徒と赤瀬川とのやりとりのようなものは無かったので、「運動」的な盛り上がりは存在しなかった。ファンのような人達はおおぜい居たが、「天才達」のやる路上観察を市民レベルで愛好するというような、近代の芸術と同じようなヒエラルキーとして受け入れられたのは皮肉である。一方では超芸術トマソンの「写真時代」での赤瀬川と読者投稿のやり取りからヒントを得たと思われる、宝島社の『VOW』を代表とする俗化されたオモシロ投稿写真というジャンルの起源となった。 こうして路上観察(学会)の定着と交代するようにしてトマソンは消えて行ったのである。

トマソンは、映画などの分野にも影響を与えていて、映画『機動警察パトレイバー the Movie』において、トマソンの一種である「原爆タイプ」があるシーンに登場し、奇妙なリアリティを与えていたという例や、ウィリアム・ギブスンの小説にも「超芸術トマソン」の出てくるものがあると書かれたトマソン選手の項目のある合衆国の野球選手名鑑のサイトも存在している。またトマソンのような要素をデザインとして最初から引用し意図的に織り込んだ建築も散見されるようになったので、今日においてトマソンを探す際にはこの点に留意し確認する必要がある。

[] トマソンの分類
ちくま文庫『トマソン大図鑑』による分類。

無用階段
純粋階段ともいわれる。上って下りるだけの階段。もともとは階段の先に扉などがあったものが多い。設計変更などの原因で、新設当時から無用階段になってしまっていたものも存在する。
無用門
塞がれてしまってもいまだ門としての威厳を保っている門。
ヒサシ
庇。無用庇ともいう。下にあった窓や扉が無くなってしまったにもかかわらず、雨を防いでいる庇のこと。
無用窓
塞がれた窓。塞ぎ方に念が入っているものが美しい。
ヌリカベ
無用門や無用窓と重なる。塞いだ窓や門の跡。コンクリートで塗り込めても完全には隠しきれていない領域。周囲との微妙な差異を楽しむ。
原爆タイプ
平面状のトマソン。建物などの痕跡が、壁にシルエット状に残っている物件。密集して立てられていた建物群の一部が取り壊された場合などに出現する。
高所
物体そのものは正常だが、普段ある場所よりも高いところに存在しているために違和感をもたらす構造物。二階にある取っ手付のドアなど。階段が取り壊された場合に出現することが多いが、内側にクレーンなどが格納されている実用的な扉であり、汎用の扉部品を使ったためにそうなったというものもある。
でべそ
塗り込めた壁からわずかに飛び出た、ドアノブや蛇口などの小さい突起物。
ウヤマ
看板や標識の文字が一部消えているもの。最初の物件が「?はウヤマ/卯山?店」というものだったのでこの名前が付いた。
カステラ
壁面から飛び出した直方体状の部分。出窓の塗りつぶしなどで発生する。また、逆に引っ込んでいる部分は「逆カステラ」と呼ばれる。
アタゴ
道路脇にある意味不明の突起物。車の駐車禁止のため役に立っている可能性もある。トマソン探索初期、赤瀬川らが新橋から愛宕山に向かう途中でこれの第一号を発見したため、アタゴという名前が付けられた。
生き埋め
路上の物件の一部がコンクリートなどで埋められているもの。
地層
地面に断層が形成されたもの。同一箇所を複数回工事したときなどに見られる。
境界
ガードレール、柵、塀など、境界を表示する物件で、意味が即座に理解しがたいもの。
ねじれ
通常、まっすぐ直角に作られている建築物のなかにおいて、微妙なねじれを有する物件。
阿部定
途中で切られた電信柱の跡。命名は阿部定事件より。
もの喰う木
木が、柵やワイヤーなどを飲み込みながら成長している様子。
無用橋
埋め立てられた川に架かる橋など、無用となっている橋。ただし、暗渠化されているケースでは、地下に空洞があるため、自動車などの重量物を通す道は橋梁構造にしておく必要がある。そのため、本格的に無用であるとは言い切れず、「外見的に無駄に見える」というだけの理由による。
純粋タイプ
分類不能で、実用的意味が考えられないもの。空けると壁面の「純粋シャッター」など。
蒸発
看板の退色や、記念碑の一部損壊などで、もともとの意味がわかりにくくなっているもの。

[] 参考文献
赤瀬川原平編 『超芸術トマソン』 筑摩書房、1987年、ISBN 4480021892
赤瀬川原平・南伸坊・藤森照信 共編『路上観察學入門』 筑摩書房、1986年、ISBN 4480853154
赤瀬川原平編 『トマソン大図鑑・無の巻』 筑摩書房、1996年、ISBN 4480032010
赤瀬川原平編 『トマソン大図鑑・空の巻』 筑摩書房、1996年、ISBN 4480032029

[] 関連リンク
美的価値 (「超芸術」の名称について)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E7%9A%84%E4%BE%A1%E5%80%A4
痕跡器官 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%97%95%E8%B7%A1%E5%99%A8%E5%AE%98

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

トマソン・リンク http://www.st.rim.or.jp/~tokyo/thomalink/

2009年2月24日 (火)

ゼノンのパラドックス

ゼノンのパラドックスは、エレア派のゼノンの考えたパラドックスで、パルメニデスの「感覚は全て疑わしいものである」こと、特に「一があるのであって多があるのではない、多があるとすれば運動は不可能である」という学説を、ピュタゴラス派の多を主張する立場を批判して唱えたものであった。

今日、ゼノンのパラドックスと呼ばれるものは、アリストテレスの「自然学」とそのシンプリキウスによる注釈の中に八つ伝わっている。そのうちのいくつかは、本質的に同じ問題を取り扱ったものである。

[] パラドックスの概要
これらの結果は非現実的であるが、結果を導く論証は一見したところ正しいように見える。その論証の誤りを指摘するのは簡単ではなく、それゆえ多くの哲学者達がこの問題に挑むこととなった。

しかし、ゼノンの意図としては、世界が不可分な要素的な点やアトムからなるとすれば、運動は背理となることを示そうとしたもので、もちろん、運動自体を否定する意図はなかった。

[] 二分法
地点Aから地点B0へ移動するためには、まずAからの距離がAB0間の距離の半分の地点B1に到達しなければならない。さらにAからB1へ移動するためには、Aからの距離がAB1間の距離の半分の地点B2に到達しなければならない。以下、このような事が無限に続くため地点Aから地点B0へ移動しようとしても移動を開始することすら不可能である。

[] アキレスと亀
あるところにアキレスと亀がいて、二人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らか(注:イリアスにおいてアキレスの枕詞の一つは「駿足の」である)なので亀がハンデをもらって、いくらか進んだ地点(地点 A とする)からスタートすることとなった。

スタート後、アキレスが地点 A に達した時には亀はアキレスがそこに達するまでの時間分先に進んでいる(地点 B)。アキレスが今度は地点 B に達したときには亀はまたその時間分先へ進む(地点 C)。同様にアキレスが地点 C の時には亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけないことになる。

ゼノンのパラドックスの中でも最もよく知られたものの一つであり、多数の文献は彼の手に帰しているが、歴史家パボリノスの説によれば、この議論を創始したのはパルメニデスであるという[1]。

その議論やキャラクターの面白さから、アキレスと亀という組み合わせは、この論自体とともに、多くの作家に引用された。たとえば、ルイス・キャロルの「亀がアキレスに言ったこと」や、ダグラス・ホフスタッターの啓蒙書『ゲーデル、エッシャー、バッハ』に主役として登場する。

[] 飛んでいる矢は止まっている
これは物体の運動に関するものである。矢が飛んでいる様子を考えよう。ある瞬間には、矢はある場所に位置している。僅かな時間だけに区切って見れば、矢はやはり少ししか移動しない。この時間をどんどん短くすれば、矢は動くだけの時間がないから、その瞬間だけは同じ場所に留まっているであろう。次の瞬間にも、同じ理由でやはりまた同じ場所に留まっているはずである。こうして矢は、どの瞬間にも同じ場所から動くことはできず、ずっと同じ場所に留まらなくてはならない。従って、飛んでいる矢は止まっている 。

[] 競技場
競技場において、一瞬の間に一単位の距離を移動することができる二台の馬車を考える。

 □□□□  観客席
 ■■■■  馬車・・・移動方向は右(→)
 ▲▲▲▲  馬車・・・移動方向は左(←)
それぞれの馬車が移動を開始し、次のように客席に対して一単位移動したとする。

 □□□□
  ■■■■
▲▲▲▲
このとき、いずれかの馬車に対し、もう一方の馬車がどれだけ移動したかを観察すると、二単位移動していることがわかる。すなわち馬車は一瞬のうちに一単位移動しようとすれば、二単位移動しなければならないことになりこれは不可能である。したがって、馬車の運動は不可能である。

[] 数学的な解釈
これらのパラドックスを解決するためには、何を前提とした議論なのか?を考える必要がある。パラドックスのいくつかは無限という概念に関係しているが、数学においても無限について厳密に取り扱えるようになるのは近世以降のことである。

ピタゴラス学派が無理数を発見した時、例えば

√2 ≒ 1.41421 35623 73095 04880 16887 24209…
は、1以上2以下という有限な区間に含まれるが、有限な区間にこれといった法則も無く(整数や分数では表せない)無限に続く数が存在できるのは何故か?という問いに対する答えを見つけられずピタゴラス学派では、無理数を禁忌としている。

17世紀以降に発展した微分積分学、とくにその中の級数(無限級数)や極限の概念を前提とするならば、アキレウスと亀の問題は、「考えをいくらでも続けることができる」ということから「いつまでたっても追いつけない」という結論を導いている箇所に飛躍がある。

有限の項を無限に 集めた級数の和は有限におさまることがあり得る。アキレウスが前に亀のいた場所にたどりつくまでの時間は何度繰り返しても有限だが、これらを全て足し合わせてもやはり有限の時間しか経過しないこともあり得るのである。そしてそれはアキレウスが亀を追い越すのに要する時間である。たとえばアキレスの速さを秒速10m、亀の速さを秒速1m、亀はアキレスの100m前方にいるものとする。このときアキレスが亀に追いつくまでの時間は、100/9秒と計算される。

ただし級数や極限を用いた数学的な解釈も、ゼノンのパラドックスにおける前提を正確に反映しているかどうかは定かではない。有限を、無限の回数の加算の結果と「みなしうる」という独自の前提を定めて、アキレスのほうが亀よりも速い(級数が収束する)からアキレウスは亀に有限時間内に追いつけるとしているだけであり、ゼノンのパラドックスに対する反論に都合のよい前提を持ってきただけとも言えるため、数学における極限の概念を持ちだしただけではゼノンのパラドックスを解決したことにはならない。

もちろん逆にいえばゼノンのパラドックスは矛盾が生じるように都合のよい前提条件を置いただけということでもあり、それをもって現実世界が連続である(アトムは存在しない)と証明したことにはならない。単純にゼノンの設定した公理系が現実世界と合致していないという可能性もあるからだ。

数学上の概念によって説明される場合には、数や連続性や極限、無限の概念などにいくつかの仮定を用いているが、パラドックスの指している状況と数学モデルの置いている仮定が同一のことなのかということが哲学的な議論の対象になる。 たとえば無限回の加法と自然言語で記述されていても、それが有限加法性のことなのか完全加法性のことなのかは自明ではない。 数学的な解釈がゼノンのパラドックスについて示唆してくれることは、ゼノンのパラドックスがパラドックスでなくなるような視点がある数学モデルにより得られるということであり、その数学モデルはニュートン力学と親和性が高いものであるということである。

[] 哲学的な観点から
哲学的には、数学的な前提に立った場合のように、このパラドックスは「間違っている」とは見なされない。極限や収束をどう理解するかということ、とくに、仮に、有限を、無限の回数の加算の結果と「みなしうる」ということから、現に、そうした無限個の「加算されたもの」から「構成されている」といっていいかどうかが、このパラドックスでは問題になる。

つまり、たしかにパラドックスの結論は不合理なもののように見えるが、それは不連続な複数の単位から構成される連続という(原子論者の考えたような「多」の)立場を前提にすると不条理に陥る、ゆえにこの「多」という仮定が間違っており、連続は「一」が基底的な属性であって、より基底的な「多」から「一」が構成されているとはいえない、という背理法の論法なのである。

それが無限に切り分けられるということと、無限に足し合わせられたものからなっている、ということは、一見同じことのように見えるが違う。そして、現実の運動や連続について、前者は言えるが、後者はいえない。

線を無限に分割して、無限にたくさんの点を見出すことができるということから、線が無限にたくさんの点からなっているとはいえない。ゼノンやエレア派的にいえば、無をいくら足しても有にはならない。有がある以上、どこかに有の起源が無ければならない。長さゼロの点から長さ一の線を作る事は出来ない。ゼロをいくら加算しても一にはならない。しかし、線と線の交点として点を定義する事は出来る。

これは不動の矢のパラドックスにおいてより根本的に現れており、いわゆるこの動かない動く矢は、あくまでも運動の或る瞬間の概念的切片であって、現実に特定の瞬間に特定の位置を占めているそうした要素的断片が実在的に「存在」し、その加算として運動があるわけではない。連続がまずあって、それを切片に切って把握することができるのであって、要素的な断片がまずあって、それが合わさって連続が構成されているのではない。(ピュタゴラス派的「数字」や「点」の議論)運動という連続は「多」からなっているわけではない。

さらにいえば、パラパラマンガやアニメのようなものとして、現実の連続性を理解することはできない、ということが、このパラドックスの、そしてエレア派の問題にしていることなのである。

[] 思想史
アリストテレスは、無限にあるものが現勢的でなく可能的にあるのだとすれば、それらを通過し尽くすことは可能であるとしている。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、「点とはありうるかぎりのものよりさらに小さいものであり、線はその点の運動によって作られる。線の極限は点である。次に面は線の運動から生れ、そしてその極限は線である。立体は(面積の)運動によって作られる。(そしてその極限は面である)(「手記」)」と語っている。

スピノザは、持続が瞬間から成るとの主張は、悟性によって把握される不可分な無限の量、表象能力によって把握される可分的な有限の量の両者が区別されないことに基づくものと指摘している。

ヘーゲルは、ゼノンの議論を認めた上、そこから帰結するのは、運動が存在しないということでなく、運動は定有する矛盾であるということであるとしている。

ベルグソンは、ゼノンの議論は、時間や運動を空間に翻訳するものとした上、運動そのものは持続であって分割不能であるとしている。

[] その他
量子力学では、放射性崩壊を起こす可能性のあるはずの不安定な原子核は、完全に連続した観測の下では崩壊を起こさない。このことは(ゼノンの議論と直接の関係はないものの)量子ゼノン効果と呼ばれている。

[] 参考文献
中村秀吉(1980)「時間のパラドックス」(中公新書)

[] 注釈
1^ ディオゲネス・ラエルティオス 『ギリシア哲学者列伝(下)』 加来彰俊訳、岩波書店、1994年、110, 117。ISBN 4-00-336633-6。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2009年2月20日 (金)

アキレスと亀 [DVD] 本日発売

北野武監督の劇場公開最新作
アキレスと亀 2009年2月20日[DVD]発売。レンタルリリース開始。

出演:ビートたけし/樋口可南子/柳 憂怜/麻生久美子
中尾 彬/伊武雅刀/大杉 漣/筒井真理子/吉岡澪皇(子役)/円城寺あや/徳永えり/大森南朋

Akillesstokame

裕福な家に生まれた少年の真知寿(まちす)は“画家になる”夢を持っていた。
しかし突然両親が亡くなり、環境が一変してしまう。ひとりぼっちになった真知寿は、画家になることだけを人生の指針として生きるしかなくなった。
そんな愛に見放された真知寿の前に、ひとりの理解者が現れる。
絵を描くことしか知らない彼の純朴さに心惹かれた幸子である。
やがてふたりは結ばれ、真知寿の夢は夫婦の夢となった。
愛と希望に満たされ、様々なアートに挑戦するふたり。しかし作品は全く評価されない。
ふたりの創作活動は、街や警察をも巻き込むほどにエスカレートしていき、家庭崩壊の危機にまで直面してしまう・・・・・・。
うまくいかなくても前に進むしかない人生の中で、ふたりが確かに手にしたものは・・・・・・。

【スタッフ】
監督・脚本・編集:北野 武
挿入画:北野 武/音楽:梶浦 由記/オープニングアニメ:浜津守
撮影:柳島克己/照明:高屋 齋/美術:磯田典宏/録音:堀内戦治/助監督:松川嵩史/編集:太田義則/記録:谷 恵子/音楽効果:柴崎憲治/キャスティング:吉川威史/製作担当:斉藤大和/ライン・プロデューサー:小宮慎二/
プロデューサー:森 昌行・吉田多喜男
サウンドトラック:DREAMUSIC
製作:バンダイビジュアル・テレビ朝日・東京テアトル・WOWOW/オフィス北野
配給:東京テアトル/オフィス北野
http://www.office-kitano.co.jp/akiresu/

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アキレスと亀は、鈍間にみえるものに追いつけない速者のパラドックス。

この映画は「描くこと」へ夢中になったことのない人には「架空の話」に想えるかもしれない。
しかし何かを表すことに目指した事のある人や、筆を折ったり折りかけた事があるという人にとっては、かなりの速度感でもって現実味があるストーリーとなっている。
芸術を追い求める主人公以外はすべてが「犠牲者」となって生々しい。痛々しい中にもユーモラスな視点があり、芸術をここまでわかりやすく描いた映画もないだろう。「絵を描くこと」をモチーフにして、絵画の発展史が面白ろくも過激に芸術レクチャーされているのも見事である。 

北野映画としては「あの夏、いちばん静かな海。」「キッズ・リターン」「Dolls」など文芸作品の系列にあるものを、娯楽の手法をふんだんに活かして完成させた力作である。劇中はシリアスな空気なのに、客席からはクスクスと笑いがこみあげてくる。2003年の「座頭市」を観た感じに近く、「HANA-BI」よりも鮮烈な心理場面が多く、映画としての熟精度に圧倒させられた。

そして世界の映画史にも残るほどの感動的なラストシーンであった。

アキレスと亀  予告編
http://www.youtube.com/watch?v=xKI7qhWWAGA

2009年2月17日 (火)

ペンギンタロットは普遍な無意識を発掘する道具

◆ペンギンタロットカードは不可思議なシンボルが描かれて、これらキーワードを繋ぎ合わせることでタロットは世界の側面を照らし出すとことができる。漠然とした無意識の断片が、元型のイメージとしてのカードによって具現化され、その人固有の無意識の形を喚起させる。
P13 P16

◆非合理的なシンボルやイメージこそが、無意識の世界を解く鍵。

◆無意識の領域に存在して無意識に人を動かす全人類に共通する心理パターン。このパターンが自然界にもあったことを符合させた図形こそタロット。 無意識の中にあるものを喚起させ、導き出されたキーワードを解釈することでその人だけに当てはまるパターンがある。

◆“シンクロニシティ(共時性)”という無意識の領域にあるものと現実の世界に起こることには一種のアナロジーが存在し、人が偶然として片付ける出来事も、すべては無意識の中にある原因により必然的に起きている。

◆自分の無意識を知ることで、これから自分の身に起こることや、未来に起こる出来事を予測することができる。

◆ペンギンタロットは普遍な無意識を発掘する道具であり、その無意識を意識化する手段として、占い師が相談者の未来を予測する際に行うカード解釈は、まさしく医師が患者に質問を出して、その内容から医学的に解釈し、患者の精神状態を推測しながらカウセリングを行う心理学の手法そのものです。  (ペンギンタロット解説書より)

I 奇術師 II 女教皇 III 女帝 IV 皇帝 V 教皇 VI 恋人 VII 戦車  VIII 正義 IX 隠者 X 運命の輪 XI 力
XII 吊された男  XIII 死神  XIV 節制 XV 悪魔  XVI 塔 XVII 星 XVIII 月 XIX 太陽 XX 審判 XXI 世界
0 愚者

◆ペンギンタロット21+0の原画の図案
 http://zerogahou.cocolog-nifty.com/photos/peintora22/index.html

Tarot2 Tarot1 Tarot3

◆大アルカナ22枚組1セット・解説書A6版18頁付 
◇名刺サイズ  2000円  ◇タロットサイズ3000円
◆「ペンギンタロット」について http://koinu.cside.com/

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2009年2月15日 (日)

一つの蒸気、一つの水滴もこれを殺すのに十分である

人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。
L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature; mais c'est un roseau pensant.

これを押し潰すのに宇宙全体が武装する必要はない。 一つの蒸気、一つの水滴もこれを殺すのに十分である。
しかし宇宙がこれを押し潰すとしても、そのとき人間は、人間を殺すこのものよりも、崇高であろう。
なぜなら人間は、自分の死ぬことを、それから宇宙が自分よりずっと勝っていることを知っているからである。宇宙は何も知らない。

パスカルの断片集『パンセ』

Pensées

好奇心は虚栄以外のなにものでもない。ほとんどの場合、話すためにだけ、人は知ることを欲する。
Curiosité n'est que vanité. Le plus souvent, on ne veut savoir que pour en parler.
神は無限の球である。その中心は到るところにあり、その円周はどこにもない。
Dieu est une sphère infinie, dont le centre est partout et la circonférence nulle part.
死はその危険なしにそれを考えるよりも、それを考えずに受けたほうが、より容易である。
Entre nous, et l`enfer ou le ciel, il n`y a que vie entre deux, que est la chose du monde le plus fragile.
すべてのものが確かであるということは確実ではない。
Il n'est pas certain que tout soit certain.
真の道徳は道徳から楽しみをもたらす。
La vraie morale se moque de la morale.
感情には、理性にはまったく知られぬ感情の理屈がある。
Le coeur a ses raisons que la raison ne connaît point.
クレオパトラの鼻。もしそれがもう少し低かったら、世界の顔は変わったであろう。
Le nez de Cléopâtre : s'il eût été plus court, toute la face de la terre aurait été changé.
沈黙していることは最大の責め苦である。聖人でさえ己に沈黙を課し得ない。
Le silence est la plus grande persécution; jamais les saints ne se sont tus.
すべての人間は、本性によって、互いを憎み合う。
Tous les hommes se haïssent naturellement l'un l'autre.
哲学を嘲笑するものこそ、真に哲学者である。
Se moquer de la philosophie, c'est vraiment philosopher.

正義が守られえないところでは、力が正義とされる。
Ne pouvant fortifier la justice, on a justifié la force.
己が真理を保持していると信じるのは人間の生まれつきの病である。
C'est une maladie naturelle à l'homme de croire qu'il possède la vérité.

パンセ (Wikipedia)
パンセ(仏:pensée あるいは Pensées)とは、フランス語で「思想」、「思考」の意味。日本では主にブレーズ・パスカルの断片集『パンセ』を指して使われる。『パンセ』は、パスカルが晩年に、ある書物を構想しつつ書きつづった断片的なノートを、彼の死後に編纂して刊行した遺著。

[] バージョン
『パンセ』初版の正式題名の和訳は、『宗教および他のいくつかの問題に関するパスカル氏の諸考察 — 氏の死後にその書類中より発見されたるもの』。 初版であるポール・ロワイヤル版は1669年に印刷され、1670年に発刊された。 編者により収録される断片に異同があるため数種の『パンセ』が存在し、断章番号はそれぞれで異なる。ブランシュヴィク版、パリ国立図書館蔵の自筆原稿集、第一写本、第二写本、ポール・ロワイヤル版、ラフュマ版などの各版があり、現在でも新たな編集の試みが続けられている。 日本では、これまでに『瞑想録』などの和訳題名により紹介された。

[] ジャンル
『パンセ』全体は様々なジャンルに属する、と人々から見なされてきた。傑出した知性による思索の書、人生論、モラリスト文学、宗教書、等々。もともとパスカルの意図としては、護教書執筆の構想があり、それの材料となる断片を書きためていたらしいということが諸研究により次第に明らかになってきた。もっとも、それを踏まえたとしても『パンセ』はその思索・思想の奥深さと、つきつけてくるテーマの多様性と鋭さなどにより、やはり護教書に留まるものではないと見なされている。人間の欲望の構造、個人と共同体の問題、他者の存在によって想像的な自我が生ずること、認識と視点・言語との関係、テキスト解釈と暗号の問題、等々の重要で深遠なテーマが扱われており、特定の思想的・宗教的な立場を超えており、現代でもそのテーマの重要性は変わっていない。それゆえ現代でも世界中の人々によって読み継がれているのである。

『パンセ』は箴言を多数含んでいることでも知られている。 例えば「人間は考える葦である」(にんげんはかんがえるあしである)という有名な言葉も『パンセ』の中にパスカルが残した言葉である。「人間はひとくきの葦にすぎず、自然の中で最も弱いものである。しかし、考える葦である。」がおおよその訳である。 “葦のように人間はひ弱いものであるが、思考を行う点で他の動物とは異なっている”という事を示す言葉と言われている。

また「クレオパトラの鼻。それがもっと短かったなら、大地の全表面は変わっていただろう。」も有名である。この表現を聞く現代人の中には「バタフライ効果」や「複雑系」という用語を連想する人もいるのではないだろうか。

「心情は、理性の知らない、それ自身の理性を持っている。」は、1990年にベストセラーになった「7つの習慣」でも引用されている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ブレーズ・パスカル(1623年6月19日 - 1662年8月19日)
フランスの数学者・物理学者・哲学者

言葉はいろいろに配列され、いろいろの意味をとる。また意味はいろいろに配列されて異なる効果を生む。

同じ思考でも配置を換えるなら別のメッセージになるはずなのである。同じ言葉でも、並べ方を変えるなら、別の思想を構成するはずなのだ。

著作を拵えていて一番あとに気がつくことは、何を一番初めに置いたらよいかを知らなければならないということである。

2009年2月14日 (土)

バレンタインデー (St. Valentine's Day)

ジェフリー・チョーサーの肖像(1412)。バレンタインデーとロマンスを関連づけている文書で、現在のところ最古のものと見なされているのはチョーサーのParliament of Foulesである。バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼる。当時、ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。

ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれている。キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑されたとされる。処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。しかし、この逸話には歴史的背景の説明が必要である。初期のローマ教会は、当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力した跡がみられる。ルペルカリア祭は排除すべきだが、ただ禁止しても反発を招くだけであったため、教会にはこの祭りに何かキリスト教に由来する理由をつける必要があった。そこで兵士の結婚のために殉教したとされるバレンタイン司教の助けを借りることにしたと考えられる。こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、バレンタイン由来の祭りであると解釈を変更され、祭りはその後も続いた。前述のくじ引きでパートナーを選ぶ話も、ローマの宗教行事は野蛮であるという印象を与えるために初期キリスト教会によって創作されたものである可能性もある。

第2バチカン公会議後の典礼改革で、史実の上で実在が明らかでない聖人たちが典礼暦から整理された際に、2月14日のウァレンティヌスの記念日は取り除かれた。このため現在、カトリックでは、祝われていない。事実、聖バレンタインに関する伝説は複数あり、没年が異なっていたり、細部が異なっていたりするものが複数伝えられているため、ウァレンティヌス自身の信憑性は低い。

For this was on seynt Volantynys day
Whan euery bryd comyth there to chese [choose] his make [mate].

Bigpinkheart
日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史は、神戸モロゾフ洋菓子店が1936年2月12日に、国内英字雑誌に「バレンタインチョコレート」の広告を出し、1958年2月に伊勢丹新宿本店でメリーチョコレートカンパニーが「バレンタインセール」というキャンペーンを行った。ただどちらにしても、あまり売れなかったようである。新宿伊勢丹でのセールでは、1年目は3日間で50円の板チョコが3枚、20円のカードを含め170円しか売れなかった。ソニー創業者の盛田昭夫は、1968年に自社の関連輸入雑貨専門店がチョコレートを贈ることを流行させようと試みたことをもって「日本のバレンタインデーはうちが作った」としている.
その後も似たような状況が続いていたが、1960年に森永製菓が新聞キャンペーンを行なうなど製菓会社が積極的に動き出した結果、日本の文化として根付くようになり、現在に至っている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2009年2月10日 (火)

エドガー・アラン・ポオ 渦潮

うづしほ
A DESCENT INTO THE MAELSTROM
エドガア・アルラン・ポオ Edgar Allan Poe
森林太郎訳

 二人で丁度一番高い岩山の巓(いたゞき)まで登つた。老人は数分間は余り草臥(くたび)れて物を云ふことが出来なかつた。
 とう/\かう云ひ出した。
「まだ余り古い事ではございません。わたくしは不断倅共の中の一番若い奴を連れて、この道を通つて、平気でこの岩端(いははた)まで出たものです。だからあなたの御案内をしてまゐつたつて、こんなに草臥れる筈ではないのです。それが大約(おほよそ)三年前に妙な目に逢つたのでございますよ。多分どんな人間でもわたくしより前にあんな目に逢つたものはございますまい。よしやそんな人があつたとしても、それが生き残つてゐはしませんから、人に話して聞かすことはございますまい。そのときわたくしは六時間の間、今死ぬか今死ぬかと思つて気を痛めましたので、体も元気も台なしになつてしまひました。あなたはわたくしを大変年を取つてゐる男だとお思ひなさいますでございませうね。所が、実際さうではございませんよ。わたくしの髪の毛は黒い光沢(つや)のある毛であつたのが、たつた一日に白髪になつてしまつたのでございます。その時手足も弱くなり神経も駄目になつてしまひました。今では少し骨を折れば、手足が顫えたり、ふいと物の影なんぞを見て肝を潰したりする程、わたくしの神経は駄目になつてゐるのでございます。この小さい岩端から下の方を見下ろしますと、わたくしは眩暈(めまひ)がしさうになるのでございます。はたから御覧になつては、それほど神経を悪くしてゐるやうには見えますまいが。」
 その小さい岩端といつた所に、その男は別に心配らしい様子もなく、ずつと端の所へ寄つて横になつて休んでゐる。体の重い方の半分が重点を岩端を外れて外に落してゐる。つる/\滑りさうな岩の縁(へり)に両肘を突いてゐるので、その男の体は落ちないでゐるのである。
 その小さい岩端といふのは、嶮しい、鉛直に立つてゐる岩である。その岩は黒く光る柘榴石(ざくろせき)である。それが底の方に幾つともなく簇(むら)がつてゐる岩の群を抜いて、大約一万五千呎(フイイト)乃至一万六千呎位真直に立つてゐるのである。僕なんぞは誰がなんと云つても、その縁から一二尺位な所まで体を覗けることは出来ないのである。連の男の危ない所にゐるのが気になつて、自分までが危なく思はれるので、僕は土の上に腹這ひになつて、そこに生えてゐる灌木を掴んでゐた。下を見下すどころではない。上を向いて空を見るのも厭である。どうも暴風(あらし)が吹いて来てこの山の根の方を崩してしまひはすまいかと思はれてならない。僕はさういふ想像を抑制することを力(つと)めてゐるのに、又してもその想像が起つてならない。自分で自分の理性に訴へて、自分で自分の勇気を鼓舞して、そこに坐つて遠方を見ることが出来るやうになるまでには余程時間が掛かつた。
 僕を連れて来た男がかう云つた。
「なんでも危ないといふやうな心持を無くしておしまひなさらなくてはいけません。わたくしの只今申したやうに、不思議な目に逢つた場所を、あなたが成るたけ好く一目にお見渡しなさることが出来るやうにと思ひまして、わたくしはこゝへあなたを御案内して参つたのでございます。あなたの現場を一目に見渡していらつしやる前で、わたくしはあなたに委(くは)しいお話を致さうと思つて、こゝへ御案内いたしたのでございます。」
 この男は廻り遠い物の言ひやうをする男である。暫くしてこんな風に話し続けた。
「あなたとわたくしとは只今諾威(ノルエイ)の国境(くにざかひ)にゐるのでございます。北緯六十八度でございます。県の名はノルドランドと申します。郡はロフオツデンと申しまして陰気な土地でございます。あなたとわたくしとの登つてゐる巓(いたゞき)はヘルセツゲンといふ山の巓でございます。雲隠山(くもがくれやま)といふ仇名が付いてゐます。ちよつと伸び上がつて御覧なさいまし。若し眩暈(めまひ)がなさいますやうなら、そこの草にしつかりつかまつて伸び上がつて御覧なさいまし。それで宜しうございます。この直(ぢ)き下の所には、帯のやうな靄が掛かつてゐますが、その靄の向うを御覧になると海が広く見えてゐるのでございます。」
 僕は恐々(おそる/\)頭を上げて見た。広々とした大洋が向うの下の方に見える。その水はインクのやうに黒い色をしてゐる。僕は直ぐにヌビアの地学者の書いたものにあるマレ・テネブラルムを思ひ出した。「闇の海」を思ひ出した。人間が想像をどんなに逞くしてもこれより恐ろしい、これより慰藉のないパノラマを想像することは、出来ない。右を見ても左を見ても、目の力の届く限り恐ろしい陰気な、上から下へ被(かぶ)さるやうな岩の列が立つてゐる。丁度人間世界の境の石でゞもあるやうに、境の塁壁でゞもあるやうに、その岩の列が立つてゐる。その岩組の陰気な性質が、激しく打ち寄せる波で、一層気味悪く見える。その波は昔から永遠に吠えて、どなつて、白い、怪物めいた波頭を立たせてゐるのである。
 丁度僕とその男との坐つてゐる岩端に向き合つて、五哩(マイル)か六哩位の沖に、小さい黒ずんだ島がある。打ち寄せる波頭の泡が八方からそれを取巻いてゐる。その波頭の白いので、黒ずんだ島が一際(ひときは)明かに見えてゐる。それから二哩ばかり陸(をか)の方へ寄つて、その島より小さい島がある。石の多い、恐ろしい不毛の地と見える。黒い岩の群が絶え絶えにその周囲に立つてゐる。
 遠い分の島から岸までの間の大洋の様子は、まるで尋常の海ではない。丁度眺めてゐる最ちゆうに海の方から陸の方へ向けて随分強い風が吹いてゐた。この風が強いので、島よりずつと先の沖を通つてゐる小舟が、帆を巻いて走つてをるのに、その船体が始終まるで水面から下へ隠れてゐるのが見えたのである。それなのに島から手前には尋常の海と違つて、ふくらんだ波の起伏が見えないのである。そこにもこゝにも、どつちとも向きを定めずに、水が短く、念に、怒つたやうに迸り上がつてゐるばかりである。中にはまるで風に悖(さから)つて動いてゐる所もある。泡は余り立たない。只岩のある近所だけに白い波頭が見えてゐる。
 その男がかう云つた。
「あの遠い分の島をこの国のものはウルグと申します。近い分の島をモスコエと申します。それから一哩程先に北に寄つてゐるアンバアレン群島があります。こちらの側にあるのがイスレエゼン、ホトホルム、ケイルドヘルム、スアルヱン、ブツクホルムでございます。それからモスコエとウルグとの間の所にあたつてオツテルホルム、フリイメン、サンドフレエゼン、ストツクホルムがございます。まあこんな風な名が一々付いてゐるのでございます。一体なんだつてあんな岩に一々名を付けたのだらうと考へて見ましても、どうもなぜだか分かりません。そら何か聞えますでございませう。それに水の様子が変つて来ましたのにお気が付きませんですか。」
 僕がその男とこのヘルセツゲンの巓へ、ロフオツデンの内側を登つて来てから、大約十分位も経つてゐるだらうか。登つて来る時には、海なんぞは少しも見えなくて、この巓に出ると、忽然(こつぜん)限りもなく広い海が目の前に横たはつてゐたのである。連の男が最後の詞(ことば)を言つた時、僕にも気が付いた。なんだか鈍い、次第に強くなつて来る物音が聞えるのである。譬へて見ればアメリカのプレリイの広野で、ビユツフアロ牛の群がうめいたり、うなつたりするやうな物音である。
 その物音と同時に僕はこんな事に気が付いた。航海者が「跳る波」といふやうな波が今まで見えてゐたのに、忽然そこの水が激烈な潮流に変化して、非常な速度を以て西に向いて流れてゐるのである。見てゐるうちに、その速度が気味の悪いやうに加はつて、劇(はげ)しくなる。一刹那一刹那に、その偉大な激動が加はつて来る。五分間も経つたかと思ふと、岸からウルグ島までの海が抑へられない憤怒(ふんど)の勢ひを以て、鞭打ち起された。中にもモスコエ島と岸との間の激動が最も甚しい。こゝでは恐ろしい広い間の水の床が、生創(なまきず)を拵へたり、瘢痕(はんこん)を結んだりして、数千条の互に怒つて切り合ふ溝のやうになるかと思ふと、忽然痙攣状に砕けてしまふ。がう/\鳴る。沸き立つ。ざわつく。渦巻く。無数の大きい渦巻になつて、普通は瀑布の外には見られないやうな水勢を以て、東へ流れて行くのである。
 又数分間すると、景色が全く一変した。水面は概して穏になつた。そして渦巻が一つ/\消えてしまつた。それに反して今までちつとも泡立つてゐなかつた所が、大きい帯のやうに泡立つて来た。この帯のやうなものが次第に八方に広がつて、食つ付き合つて、一旦消えてしまつた渦巻のやうな回旋状の運動を為始(しはじ)めた。今までの渦巻より大きい渦巻を作らうとしてゐるらしい。
 忽然と云つても、そんな詞ではこの急激な有様を形容しにくい程、極端に急激に、水面がはつきりと際立つてゐる、大きい渦巻になつた。その直径が大約一哩以上もあるだらう。渦巻の縁の所は幅の広い帯のやうな、白く光る波頭になつてゐる。その癖その波頭の白い泡の一滴も、恐ろしい漏斗(じやうご)の中へ落ち込みはしない。漏斗の中は、目の届く限り、平らな、光る、墨のやうに黒い水の塀になつてゐる。それが水平面と四十五度の角度を形づくつてゐる。その塀のやうな水が、目の舞ふほどの速度で、気の狂つたやうにぐる/\旋(めぐ)つてゐる。そして暴風(あらし)の音の劇しい中へ、この渦巻が自分の恐ろしい声を交ぜて、叫び吠えるのである。あのナイアガラの大瀑布が、死に迫る煩悶の声を天に届くやうに立てゝゐるのよりも、一層恐ろしい声をするのである。
 山全体も底から震えてゐる。岩も一つ/\震えてゐる。僕はぴつたり地面に腹這つて、顔が土に着くやうにしてゐて、神経の興奮が劇しい余りに、両手に草を握つてゐた。
 やう/\のことで僕は連の男に云つた。
「これが話に聞いたマルストロオムの大渦巻でなければ、外にマルストロオムといふものはあるまい。これがさうなのだらうね。」
 連の男が答へた。
「よその国の人のさういふのがこれでございますよ。わたくし共諾威人(ノルエイじん)は、あのモスコエ島の名を取つてモスコエストロオムと申します。」
 僕はこの渦巻の事を書いたものを見たことがあるが、実際目で見るのと、物に書いてあるのとは全く違ふ。ヨナス・ラムスの書いたものが、どれよりも綿密らしいが、その記事なんぞを読んだつて、この実際の状況に似寄つた想像は、とても浮かばない。その偉大な一面から見ても、又その恐るべき一面から見ても、さうである。又この未曾有(みそう)なもの、唯一なものが、覿面にそれを見てゐる人の心を、どんなに動かし狂はすかといふことも、とても想像せられまい。一体ヨナス・ラムスはどの地点からどんな時刻にこの渦巻を観察したのか知らない。兎に角決して暴風の最ちゆうにこのヘルセツゲンの山の巓から見たのではあるまい。併しあの記事の中に二三記憶して置いても好い事がある。とても実況に比べて見ては、お話にならないほど薄弱な文句ではあるが。
 その文句はかうである。
「ロフオツデンとモスコエとの中間は、水の深さ三十五ノツトより四十ノツトに至る。然るにウルグ島の方面に向ひては、その深さ次第に減じて、如何なる船舶もこの間を航すること難し。若し強ひてこの間を航するときは、その船舶は、如何なる平穏なる天候の日にても、巌石に触れて砕くる危険あるべし。満潮のときはロフオツデンとモスコエとの間の潮流非常なる速度を有す。又落潮の時はその響強烈にして、最も恐るべき、最も大なる瀑布の声といへども、これに及ばざるならん。その響は数里の外(ほか)に聞ゆ。渦巻は広く、水底は深くして、若し船舶その内に入るときは、必然の勢ひを以て渦巻の中心に陥り、巌石に触れて砕け滅ぶるならん。而して水勢衰ふる後に至りて、その船舶の砕片は始めて海面に投げ出ださるゝならん。斯くの如き海面の凪ぎは、潮の漲落の間に、天候平穏なる日に於いてこれを見る。その時間大約十五分間ばかりなるべし。この時間を経過して後、初めの如き水の激動再び起る。若し潮流最も劇しく、暴風(あらし)の力これを助長するときは、諾威国の哩数にて、渦巻の縁を距(さ)ること、一哩の点に船舶を進むるだに、甚だ危険なるべし。船舶の大小に拘はらず、戒心してこの潮流を避けざりしが為めに、不幸にしてその盤渦(はんくわ)ちゆうに巻き込まれて水底に引き入れられし証例少なからず。又鯨魚(げいぎよ)のこの潮流に近づきて巻き込まれしことあり。そのとき鯨魚の潮流に反抗して逃れ去らんと欲し、叫び吠ゆる声は文字の得て形容する所にあらざりき。或るときはロフオツデンよりモスコエへ泳ぎ渡らんとしたる熊、この盤渦ちゆうに巻き入れられしことあり。その熊の叫ぶ声は岸まで明かに聞えたりといふ。松栢(しようはく)、その他の針葉樹、その内に巻き込まるゝときは、摧(くだ)け折れ、断片となりて浮び出づ。その断片は刷毛の如くにそゝけ立ちたるを見る。案ずるにこれこの所の海底鋸歯(きよし)の如き巌石より成れるが故に、その巌石の上をあちこち押し遣られし木片は、此の如くそゝけ立つならん。潮流は海潮の漲落に従ひて変ず。而してその一漲一落必ず六時間を費やす。千六百四十五年のセクサゲジマ日曜日の朝は潮流の猛烈なりしこと常に倍し、海岸の人家の壁より、石材脱け落ちたりといふ。」
 この本に水の深さの事が言つてあるが、著者はどうして渦巻の直き近所で、水の深さなんぞを測つたものと考へて、あんな事を書いたのだか分からない。三十五ノツトから四十ノツトまでの間といふのも、ロフオツデンの岸に近い所か、又は、モスコエの岸に近い処か、どちらかの海峡の一部分の深さに過ぎないのだらう。マルストロオムの中心の深さは、こんな尺度よりは余程深くなくてはならない。かういふのに別に証拠はいらない筈である。ヘルセツゲンの山の巓から渦巻の漏斗(じやうご)の底を、横に見下ろしたゞけでそれ丈の事は知れるのである。
 僕はヘルセツゲンの山の巓から、この吠えてゐるフレゲトン、あの古い言ひ伝へにある火の流れのやうなこの潮流を見下ろしたとき、覚えず愚直なヨナス・ラムス先生が、さも信用し難い事を書くらしい筆附きで、鯨や熊の話を書いた心持の、無邪気さ加減を想像して、笑ふまいと思つても、笑はずにはゐられないやうな心持がしたのである。僕の見た所では、仮令(たとひ)最も大きい戦闘艦でも、この恐ろしい引力の範囲内に這入つた以上は、丁度一片の鳥の羽が暴風(あらし)に吹きまくられるやうに、少しの抗抵をもすることなしに底へ引き入れられてしまつて、人も鼠も命を落さなくてはならないといふことが、知れ切つてゐるのである。
 この現象を説明しようと試みた人は色々ある。僕は嘗てその二三を読んで見て、成程さうもあらうかと思つたことがある。併し実際を見たときは、そんな説明が、どうも役に立たないやうに思つた。或る人はこんな風に説明してゐる。このマルストロオムの渦巻も、又フエルロエ群島の間にある、これより小さい三つの渦巻も、次のやうな原因で出来るのだといふのである。
「此(かく)の如き旋渦(せんくわ)を生ずる所以(ゆゑん)は他(た)ならず。稜立(かどだ)ちたる巌壁の間に押し込まれたる水は、潮の漲落に際して屈折せられ、瀑布の如き勢ひをなして急下す。その波濤の相触るゝによりて、この渦巻は生ずるなり。潮は上ぼること愈々高ければ、その下だるや愈々深し。これ渦巻の漏斗状を成す所以なり。此の如き旋渦を成す水の、驚くべき吸引力を有するは、器に水を盛りて、小さき旋渦を生ぜしめて試験するときは、明白なり。」
 右の文章はエンサイクロペヂア・ブリタンニカに出てゐる。又キルヘルその他の学者は、マルストロオムの中心に穴があつて、その穴は全地球を貫いてゐて、反対の側の穴は、どこか遠い世界の部分にあいてゐるだらうといふのである。或る学者はその穴がボスニア湾だとはつきり云つてゐる。
 これは少し子供らしい想像であるが、実況を見たとき僕には却てこの想像が尤もらしく思はれた。僕は連の男にこの考を話して見た所が、意外にもその男はかう云つた。成程諾威では一般にさういふ説が行なはれてゐるが、自分はそんなことは信じないと云つたのである。それから最初の渦巻の出来る原因といふことに就いては、その男はまるで分からないと云つた。これには僕も同意する。紙の上で読んで見たときは尤(もつとも)らしく思はれたが、この水底の雷霆(らいてい)を聞きながら考へて見ると、そんな理窟は馬鹿らしくなつてしまふのである。
 連の男が云つた。
「渦巻の実況はこれで十分御覧になつたのでございませう。どうぞこの岩に付いて廻つて来て下さいまし。少し風のあたらない所がございます。そこなら、水の音も余程弱くなつて聞えて来ます。そこでわたくしが自分の経歴談をお聞かせ申したいのでございます。それをお聴きになつたなら、このモスコエストロオムのことを、わたくしが多少心得てゐる筈だといふわけが、あなたにもお分かりになるでございませう。」
 僕はその男の連れて行く所へ付いて行つて、蹲(しやが)んだ。その男がこんな風に話し出した。
「わたくしと二人のきやうだいとで、前方(まへかた)大約七十噸ばかりの二本檣(ほばしら)の船を持つてゐました。その船に乗つて、わたくし共はモスコエを越して、向うのウルグ附近の島と島との間で、漁猟を致してゐました。一体波の激しく岩に打ち付ける所では漁の多いことがあるもので、只そんな所へ漕ぎ出す勇気さへあれば、人の収め得ない利益をも収め得ることが出来るものでございます。兎に角ロフオツデン沿岸の漁民は沢山ありますが、只今申した島々の間で、極まつて漁をするものは、わたくし共三人きやうだいの外にはございませんでした。普通の漁場(れふば)は、わたくし共の行く所よりずつと南に寄つた沖合なのでございます。そこまで行けば、いつでも危険を冒さずに、漁をすることが出来るので、誰でもまづその方へ出掛けるのでございます。併しわたくし共の行く岩の間で取れる魚(うを)は、種類が沖合より余程多くて、魚の数もやはり多いのでございます。どうか致すと、沖に行く臆病な人が一週間も掛かつて取るだけの魚を、わたくし共は一日に取つて帰りました。つまりわたくし共は山気(やまぎ)のある為事(しごと)をしてゐたのでございますね。胆力を資本にして、性命を賭してやつてゐたといふわけでございますね。」
「大抵わたくし共は、こゝから五哩ほど上の入海のやうな所に船を留めてゐまして、天気の好いときに、潮の鎮まつてゐる十五分間を利用して、モスコエストロオムの海峡を、ずつと上の方で渡つてしまつて、オツテルホルムかサンドフレエゼンの近所の、波のひどくない所に行つて、錨を卸すのでございました。そこで海の又静になるのを待つて直ぐに錨を上げて、こちらへ帰つて参るのでございました。」
「併しこの往復を致しまするには、行くときも帰るときも、たしかに風が好いと見込んで致したのでございます。わたくし共の見込みは大抵外れたことはなかつたのでございます。六年ほどの間に一度ばかりは向うで錨を下ろしたまゝで一夜(ひとよ)を明して漁をしたことがございました。それはこの辺で珍らしい凪ぎに出逢つたからでございます。それかと思ふと、一度は大約一週間ばかり、厭でも向うに泊つてゐなくてはならなかつたこともございます。そのときは、も少しで餓死する所でございました。それは向うへ着くや否や暴風(あらし)になりまして、なんと思つても海峡を渡つてこちらへ帰ることが出来なかつたのでございます。その帰つたときも、随分危なうございました。渦巻の影響がひどいので、錨を卸して置くわけに行かなくなりまして、も少しでどんなに骨を折つても沖の方へ押し流されてしまひさうでございました。為合(しあは)せな事には、丁度モスコエストロオムの潮流と反対した潮流に這入りました。さういふ潮流は暴風のときに、所々(しよ/\)に出来ますが、今日あるかと思へば明日なくなるといふ、頼みにならない潮流なのでございます。それに乗つて、わたくし共は幸にフリイメンのうちの、風のあたらない海岸へ、船を寄せることが出来たのでございます。」
「こんな風にお話を申しましても、わたくし共の出逢つた難儀の二十分の一をもお話しするわけには参りません。わたくし共の漁場の群島の間では、天気の好い時でも、安心してはゐられなかつたのでございます。併し或るときは、風の止んでゐる時間の計算を、一分ばかり誤つた為めに、動悸が吭(のど)の下までしたやうなことがありましても、兎に角わたくし共はモスコエストロオムの渦巻にだけは巻かれずに済んでゐたのでございます。どうか致すと、船を出す前に思つたより風が足りなくて、船が潮流に反抗することが出来にくゝなつて、船脚が次第に遅くなつて来るやうなときもございました。わたくし共の一番の兄は十八になる倅を持つてをります。わたくしも丈夫な息子を二人持つてをります。そこでそんな風に船脚が遅くなつたときは、あれを連れて来てゐたら、一しよに漕がせて、船脚を早めることも出来たのだらうにと思ひ思ひ致しました。そればかりではございません。向うに着いて漁を致すにも、子供が一しよに行つてゐれば、どんなに都合が好いか知れないのでございます。併しわたくし共は、自分達こそその漁場へ出掛けましたが、一度も子供等を連れて参つたことはございません。なぜと申しまするのに、兎に角その漁場に行くのは、一遍でも危険でないといふときはなかつたからでございます。」
「わたくしの只今お話を致さうと存じますることがあつてから、もう二三日で丁度三年目になるのでございます。千八百何十何年七月十日の事でございました。この所の漁民にあの日を覚えてゐないものはございますまい。開闢以来例しのない暴風(あらし)のあつた日でございますからね。その癖その日は午前一ぱい、それから午後に掛けても、始終穏かな西南の風が吹いてゐたのでございます。空は晴れて、日は照つてゐました。どんなに年功のある漁師でも、あの暴風ばかりは、始まつて来るまで知ることが出来なかつたのでございます。」
「わたくし共三人きやうだいは午後二時頃、いつもの漁場の群島の間に着きまして、船一ぱい魚を取りました。きやうだい達もわたくしも、どうもこんなに魚の取れることは今まで一度もなかつたと、不思議に思つてゐました。それからわたくしの時計で丁度七時に、錨を上げて帰らうと致しました。わたくし共の計算では、海峡の一番悪い所を八時に通る筈でございました。八時が一番海の静なときだと予測してゐたのでございます。」
「丁度好い風を受けて船を出してから、暫くの間は都合好く漕いで参ることが出来ました。危険な事があらうなんぞとは、夢にも思はなかつたのでございます。そんな事のありさうな徴候は一つもなかつたのでございます。」
「突然、妙な風が、ヘルセツゲンの上を越して、吹き卸して参りました。そんな風が吹くといふことは、それまで永年の間一度もなかつたのでございます。そこで、なぜといふことなしに、わたくしは少し不安に思ひ出しましたのでございます。わたくし共は風に向つて、漕いでゐましたが、どうも此様子では渦巻の影響を受けてゐる処を漕ぎ抜けるわけには行かなからうといふやうな心持がいたしました。わたくしは跡へ引き返す相談をしようと思つて、ふいと背後(うしろ)を振り返つて見ますと、背後の方の空が、一面に赤銅のやうな色の雲で包まれてゐるのに気が付きました。その雲が非常な速度で蔓(はび)こつて来るのでございます。」
「それと同時に、さつき変だと思つた、向うから吹く風が、ぱつたり無くなつてしまひました。まるでちりつぱ一つ動かないやうな凪ぎになつてしまひました。わたくし共はなんといふ思案も付かずに、船を漕いでをりました。この時間は短いので、思案を定めるだけの余裕はなかつたのでございます。一分とは立たない内に、ひどい暴風(あらし)になりました。二分とは立たない内に、空は一面に雲に覆はれてしまひました。その雲と波頭のしぶきとで、船の中は真暗になつて、きやうだい三人が顔を見交すことも出来ないやうになつたのでございます。」
「暴風なんぞといふものを、詞で形容しようといふことは、所詮出来ますまい。なんでも諾威(ノルエイ)に今生きてゐるだけの漁師の内の、一番の年寄を連れて来て聞いて見ても、あの時のやうな暴風に逢つたものはないだらうと存じます。わたくし共は暴風の起つて来るとき、早速帆綱を解いてしまひました。併し初めの一吹の風で、二本の檣は鋸で引き切つたやうに折れてしまひました。大きい分の檣には、一番末の弟が、用心の為めに、綱で自分の体を縛り付けてゐたのでございますが、その弟は檣と一しよに飛んで行つてしまひました。」
「わたくし共の乗つてゐた船は、凡(おほよそ)海に乗り出す船といふ船の中で、一番軽い船であつたのだらうと思ひます。併しその船にはデツクが一面に張つてありまして、只一箇所舳の所に落し戸のやうにした所があつたばかりでございます。その戸を、海峡を越すとき、例の『跳る波』に出食はすと、締めるやうに致してゐたのでございます。このデツクがあつたので、わたくし共の船は直ぐに沈むといふことだけを免かれたのでございます。なぜと申しまするのに、暫くの間は、船体がまるで水を潜つてゐましたから、デツクが張り詰めてなかつたら、沈まずにはゐられなかつたわけなのでございます。その時わたくしの兄が助かつたのは、どうして助かつたのだか、わたくしには分かりません。わたくし自身は、前柱の帆を解き放すと一しよに、ぴつたり腹這つて、足を舳の狭い走板(はしりいた)にしつかりふんばつて、手では前柱の根に打つてある鐶(くわん)を一しよう懸命に握つてゐました。かうやつたのは只本能の働きでやつたのでございますが、考へて見る余裕があつたとしても、さうするより外にしやうはなかつたのでございます。勿論余り驚いたので、考へて見た上にどうするといふやうな余裕はなかつたのでございます。」
「さつきも申しました通り、数秒時間、わたくし共はまるで波を被つてをりました。わたくしは息を屏(つ)めて鐶に噛り付いてゐました。そこで、も少しで窒息しさうになりましたので、わたくしは手を放さずに膝を衝いて起き上がつて見ました。それでやつと頭だけが水の外に出ました。丁度そのとき船がごつくりと海面に押し出されるやうに浮きました。譬へて見れば、水に漬けられた狗が頭を水から出すやうな工合でございました。わたくしは気の遠くなつたのを出来るだけ取り直して、どうしたが好いといふ思案を極めようと思ひました。そのときわたくしの臂を握つたものがあります。それは兄きでございました。わたくしは、もうとつくの昔兄きは船から跳ね出されたものだと思つてゐましたから、この刹那にひどく嬉しく思ひました。併しその嬉しいと思つたのは、ほんの一刹那だけで、忽然わたくしの喜びは非常な恐怖に変じてしまひました。それは兄きがわたくしの耳に口を寄せて、只一言(ひとこと)『モスコエストロオム』と申したからでございます。」
「どんな人間だつて、わたくしのそのとき感じたやうな心持を、詞で言ひ現はすことは出来ますまい。丁度ひどい熱の発作のやうに、わたくしは頭のてつぺんから足の爪先まで、顫え上がりました。兄きがその一言(ごん)で、何をわたくしに申したのだといふことが、わたくしには直ぐに分かつたからでございます。兄きの云つた一言は、風がわたくし共の船を押し流して、船が渦巻の方へ向いてゐるのだといふことでございます。」
「先刻もわたくしは申しましたが、モスコエの海峡を越すときには、わたくし共はいつでも渦巻よりずつと上の方を通るやうに致してをりました。仮令(たとひ)どんな海の穏かなときでも、渦巻に近寄らないやうにといふ用心だけは、少しも怠つたことはございません。それに今は恐ろしい暴風に吹かれて、舟が渦巻の方へ押し流されてゐるのでございます。その刹那にわたくしは思ひました。兎に角時間が一番渦巻の静な時にあたつてゐるのだから、多少希望がないでもないと思ひました。併しさう思つてしまふと、その考の馬鹿気てゐることを悟らずにはゐられませんでした。もう希望なんぞといふ夢を見てはゐられない筈なのでございます。仮令乗つてゐるこの船が、大砲の九十門も備へてゐる軍艦であつたにしろ、これが砕けずに済む筈はないのでございます。」
「その内に暴風の最初の勢ひが少し挫けて来たやうに思はれました。それとも船が真直ぐに前に押し流されるので、風の勢ひを前ほど感じないやうになつたのかも知れません。兎に角今まで風の勢ひで平らに押し付けられて、泡立つてゐた海は、山のやうに高くふくらんで来ました。空の摸様も変にかはつて来ました。見えてゐる限りの空の周囲(まはり)が、どの方角もぐるりと墨のやうに真黒になつてゐまして、丁度わたくし共の頭の上の所に、まんまるに穴があいてゐます。その穴の所は、これまでつひぞ見たことのない、明るい、光沢(つや)のある藍色になつてゐまして、その又真中の所に、満月が明るく照つてゐるのでございます。その月の光で、わたくし共の身の周囲は何もかもはつきりと見えてゐます。併しその月の見せてくれる光景が、まあ、どんなものだつたと思召します。」
「わたくしは一二度兄きにものを申さうと存じました。併しどういふわけか、物音が非常に強くなつてゐまして、一しよう懸命兄きの耳に口を寄せてどなつて見ても、一言(ひとこと)も向うへは聞えないのでございます。忽然兄きは頭を掉(ふ)つて、死人のやうな顔色になりました。そして右の手の示指(ひとさしゆび)を竪(た)てゝわたくしに見せるのです。それが『気を付けろ』といふのだらうとわたくしには思はれたのでございます。」
「初めにはどう思つて兄きがさうしたか分からなかつたのでございます。そのうちなんとも云はれない、恐ろしい考が浮んで参りました。わたくしは隠しから時計を出して見ました。止まつてゐます。月明りに透かしてその針の止まつてゐる所を見て、わたくしは涙をばら/\と飜(こぼ)して、その時計を海に投げ込んでしまひました。時計は七時に止まつてゐました。わたくし共は海の静な時を無駄に過してしまつて、渦巻は今真盛りになつてゐる時なのでございます。」
「一体船といふものは、細工が好く出来てゐて、道具が揃つてゐて、積荷が重過ぎるやうなことがなくて順風で走るときは、それに乗つてゐると波が船の下を後へ潜り抜けて行くやうに、思はれるものでございます。海に馴れない人が見ると、よくそれを不思議がるものでございます。船頭はさういふ風に船の行くとき、それを波に『乗る』と申します。これまではわたくし共はその波に乗つて参りました。所が、忽ち背後(うしろ)から恐ろしい大きな波が来ました。船を持ち上げました。次第に高く/\持ち上げて、天までも持つて行かれるかと思ふやうでございました。波といふものが、こんなに高く立つことがあるといふことは、わたくし共も、そのときまで知らなかつたのでございます。さて登り詰めたかと思ふと、急に船が滑るやうな沈んで行くやうな運動を為始(しはじ)めました。丁度夢で高い山から落ちる時のやうに、わたくしは眩暈(めまひ)が致して胸が悪くなつて来ました。併し波の絶頂から下り掛かつた時に、わたくしはその辺の様子を一目に見渡すことが出来ました。一目に見たばかりではございますが、見るだけのことは十分見ました。一秒時間にわたくしは自分達の此時の境遇をすつかり見て取つたのでございます。モスコエストロオムの渦巻は大約四分の一哩ほど前に見えてゐました。その渦巻がいつも見るのとはまるで違つてゐて、言つて見れば、そのときの渦巻と今日の渦巻との比例は、今日の渦巻と水車の輪に水を引く為めに掘つた水溜との比例位なものでございます。若し船の居所を知らずに、これからどうなるかといふことを思はずに、あれを見ましたなら、その目に見えてゐるものが何物だか、分からなかつたかも知れません。所が、それが分かつてゐたものでございますから、余り気味の悪さに、わたくしは目を瞑(つぶ)りました。目を瞑つたといふよりは、(まぶた)がひとりでに痙攣を起して閉ぢたといつた方が好いのでございます。」
「それから二分間も立つたかと思ひますと、波が軽くなつて船の周囲がしぶきで包まれてしまひました。そのとき船が急に取柁(とりかぢ)の方へ半分ほど廻つて、電(いなづま)のやうに早く、今までと変つた方角へ走り出しました。そのとき今までのどう/″\と鳴つてゐた水の音を打ち消すほど強く、しゆつしゆつといふやうな音が致しました。譬て見れば、蒸気の螺旋口(ねぢぐち)を千ばかりも一度に開けて、蒸気を出すやうな音なのでございます。わたくし共は渦巻を取り巻いてゐる波頭の帯の所に乗り掛かつたのでございます。そのときの考では次の一刹那には、今恐ろしい速度で走つてゐますので、よく見定めることの出来ない、あの漏斗の底に吸ひ込まれてしまふのだらうと思つたのでございます。そのときの船の走り加減といふものは妙でございました。まるで気泡の浮いてゐるのかなにかのやうに、船の底と水とが触れてゐないかと思ふやうに、飛ぶやうに走つてゐるのでございます。船の面柁(おもかぢ)の方の背後(うしろ)に、今まで船の浮んでゐた、別な海の世界が、高くなつて欹立(そばだ)つてゐるのでございます。その別な海の世界は、取柁の所と水平線との中間に立つてゐる、恐ろしい、きざ/\のある壁のやうに見えるのでございます。」
「こんな事を申すと、可笑(をか)しいやうでございますが、わたくし共はもう渦巻の(あぎと)に這入り掛かつてゐますので、今まで渦巻の方へ向いて、船の走つてゐたときよりは、腹が据わつて、落付いて来たのでございます。もう助からないと諦めてしまひましたので、今までどうならうかどうならうかと思つた恐怖の念がなくなつたのでございますね。どうも絶望の極度に達しますと、神経といふものにも、もうこれより強く刺戟せられることは出来ないといふ程度があるものと見えまして、却て落着も出て参るのでございますね。」
「かう申すと、法螺を吹くやうでございますが、全く本当の事でございます。わたくしはこんなことを考へました。かうして死ぬるのは実に強気(がうぎ)な死にやうだと存じました。神のお定め下すつた、こんな運命に出逢つてゐて、自分一人の身の上の小利害なんぞを考へるのは、余り馬漉らしいことだと存じました。わたくしはなんでもさう思つたとき恥かしくなつて、顔を赧くしたかと存じます。」
「暫く致してわたくしは、一体この渦巻がどんなものだか知りたいと思ふ好奇心を起したのでございます。わたくしは自分の命を犠牲にして、この渦巻の深さを捜つて見たいと思ふ希望を、はつきり感じたのでございます。そこで、自分は今恐ろしい秘密を見る事が出来るのだが、それを帰つて行つて、岸の上に住んでゐる友達に話して聞かせることの出来ないのが、如何にも遺憾だと思ひました。今死ぬのだらうといふ人間の考としては、こんな考は無論不似合で可笑しいには違ひございません。跡で思つて見れば、渦巻の入口で、何遍も船がくる/\廻つたので、少し気が変になつてゐたかも知れません。」
「それにわたくしが気を落ち着けた原因が、今一つあるのでございます。これ迄うるさかつた風といふものが、今になつてはちつとも船に当らないのでございます。風はこゝまでは参りません。なぜといふにあなたも先刻御覧になつたやうに、渦巻の縁の波頭の帯は、あたりまへの海面よりは余程低いのでございます。あたりまへの海は高い、真黒な山の背の様に、背後(うしろ)に立つてゐるのでございます。あなた方のやうに、海でひどい暴風(あらし)なんぞに逢つたことのないお方は、風があたつて波のしぶきを被せられるので、どの位気が狂ふものだといふことを、御存じないだらうと存じます。波のしぶきに包まれて物を見ることも、物を聞くことも出来なくなりますと、半分窒息し掛かるやうな心持になりまして、何を考へようにも、何をしようにも、気力が無くなつてしまふものでございます。さういふうるさい心持が、このときあらかた無くなつてしまつたのでございますね。譬へて見ますると、今迄牢屋に入れて置いて、どういふ処分になるか知れなかつた罪人に、愈々死刑を宣告してしまふと、役人も多少その人を楽な目に逢はせてやるやうにしますが、まあ、あんなものでございますね。」
「わたくし共は波頭の帯の所を何遍廻つたか知りません。なんでも一時間位は走つてゐました。滑るやうにといふよりは、飛ぶやうにといひたい位な走り方でございました。そして段々渦巻の中の方へ寄つて来まして、次第に恐ろしい内側の縁の所に近寄るのでございます。」
「この間わたくしは檣の根に打つてある鐶を掴んで放さずにゐました。兄きはデツクの艫の方にゐまして、舵の台に縛り付けた、小さい水樽の虚(から)になつてゐたのに、噛り付いてゐたのでございます。その水樽は、船が最初に暴風に打つ附かつたとき、船の中の物がみな浚つて行かれたのに、たつた一つ残つてゐたのでございますね。」
「そこで渦巻の内側の縁に近寄つて来ましたとき、兄きはその樽から手を放してしまつて、行きなり来てわたくしの掴んでゐる鐶を掴むのです。それが二人で掴んでゐられる程大い鐶ではないのでございます。兄きは死にもの狂ひになつて、その鐶を自分で取らうとして、それに掴まつてゐるわたくしの手を放させるやうにするのでございます。兄きがこんなことをしましたとき程、わたくしは悲しい心持をしたことはございません。無論兄きは恐ろしさに気が狂つて為(し)たことだとは知つてゐましたが、それでもわたくしはひどく悲しく思ひました。」
「併しわたくしはその鐶を兄きと争ふやうな気は少しも持つてゐなかつたのでございます。わたくしはそのとき、もうどこにつかまつてゐても同じことだと思つてゐたのでございます。そこで鐶を兄きに掴ませてしまつて、わたくしはデツクの艫の方へ這つて行つて樽につかまりました。そんな風に兄きと入り代るのは存外容易(やさ)しうございました。勿論船は、渦巻が大きく湧き立つてゐる為めに、大きく揺れてはゐましたが、兎に角船は竜骨の方向に、頗る滑らかにすべつて行くのでございますから。」
「わたくしが、漸(や)つと樽につかまつたと思ひますと、船は突然真逆様に渦巻の底の方へ引き入れられて行くやうに思はれました。わたくしは短い祈祷の詞を唱へまして、いよ/\これがおしまひだなと思ひました。」
「船が沈んで行くとき、わたくしはひどく気分が悪くなりましたので、無意識に今までより強く樽にしがみ付いて、目を瞑(ねむ)つてゐました。数秒間の間は、今死ぬるか今死ぬるかと待つてゐて、目を開かずにゐました。所が、どうしても体が水に漬かつて窒息するやうな様子が見えて来ませんのでございます。幾秒も幾秒も立ちます。わたくしは依然として生きてゐるのでございます。落ちて行くといふ感じが無くなつて船の運動が、さつき波頭の帯の所を走つてゐたときと同じやうになつたらしく感じました。只違つてゐるのは、今度は今までよりも縦の方向が勝つて走るのでございます。わたくしは胆(たん)を据ゑて目を開いて周囲(まはり)の様子を見ました。」
「その時の恐ろしかつた事、気味の悪かつた事、それから感嘆した事は、わたくしは生涯忘れることが出来ません。船は不思議な力で抑留せられたやうに、沈んで行かうとする半途で、恐ろしく大きい、限りなく深い漏斗の内面の中間に引つ掛かつてゐるのでございます。若しこの漏斗の壁が目の廻るほどの速度で、動いてゐなかつたら、この漏斗の壁は、磨き立つた黒檀の板で張つてあるかとも思はれさうな位平らなものでございます。その平らな壁面が気味の悪い、目映い光を反射してをります。それはさつきお話し申した空のまんまるい雲の穴から、満月の光が、黄金(こがね)を篩(ふる)ふやうにさして来て、真黒な壁を、上から下へ、一番下の底の所まで照してゐるからでございます。」
「初めはわたくしは気が変になつてゐて、委(くは)しく周囲の様子を観察することが出来なかつたのでございます。初めは只気味の悪い偉大な全体の印象が意識に登つた丈であつたのでございます。其内に少し気が落ち着いて来ましたので、わたくしは見るともなしに渦巻の底の方を覗いて見ました。丁度船が漏斗の壁に引つ掛かつてゐる工合が、底の方を覗いて見るに、なんの障礙(しやうがい)もないやうな向になつてゐたのでございます。船は竜骨の向に平らに走つてゐます。と申しますのは、船のデツクと水面とは并行してゐるのでございます。併し水面は下へ向いて四十五度以上の斜な角度を作つてゐます。そこで船は殆ど鉛直な位置に保たれて走つてゐるのでございます。その癖そんな工合に走つてゐる船の中で、わたくしが手と足とで釣合を取つてゐますのは、平面の上にゐるのと大した相違はないのでございます。多分廻転してゐる速度が非常に大きいからでございませう。」
「月は漏斗の底の様子を自分の光で好く照らして見ようとでも思ふらしく、さし込んでゐますが、どうもわたくしにはその底の所がはつきり見えませんのでございます。なぜかと申しますると、漏斗の底の所には霧が立つてゐて、それが何もかも包んでゐるのでございます。その霧の上に実に美しい虹が見えてをります。回教徒(ふい/\けうと)の信ずる所に寄りますると、この世からあの世へ行く唯一の道は、狭い、揺らめく橋だといふことでございますが、丁度その橋のやうに美しい虹が霧の上に横はつてゐるのでございます。この霧このしぶきは疑もなく、恐ろしい水の壁面が漏斗の底で衝突するので出来るのでございませう。併しその霧の中から、天に向かつて立ち昇る恐ろしい叫声は、どうして出来るのか、わたくしにも分かりませんのでございました。」
「最初に波頭の帯の所から、一息に沈んで行つたときは斜な壁の大分の幅を下りたのでございますが、それからはその最初の割には船が底の方へ下だつて行かないのでございます。船は竪に下だつて行くよりは寧ろ横に輪をかいてゐます。それも平等な運動ではなくて、目まぐろしい衝突をしながら横に走るのでございます。或るときは百尺ばかりも進みます。又或るときは渦巻の全体を一週します。そんな風に、ゆる/\とではございますが、次第々々に底の方へ近寄つて行くことだけは、はつきり知れてゐるのでございます。」
「わたくしはこの流れてゐる黒檀の壁の広い沙漠の上で、周囲を見廻しましたとき、この渦巻に吸ひ寄せられて動いてゐるものが、わたくし共の船ばかりでないのに気が付きました。船より上(かみ)の方にも下(しも)の方にも壊れた船の板片やら、山から切り出した林木やら、生木の幹やら、その外色々な小さい物、家財、壊れた箱、桶、板なんぞが走つてゐます。そのときのわたくしが最初に恐ろしがつてゐたのと違つて、不思議な好奇心に駆られてゐたといふことは、さつきもお話し申した通りでございます。どうもその好奇心が漏斗の底へ吸ひ込まれる刹那が近づけば近づくほど、増長して来るやうでございました。そこで船と一しよに走つてゐる色々な品物を細かに注意して観察し始めました。そしてその品物が底のしぶきの中に落ち込むに、早いのもあり、又遅いのもあるといふところに気を着けて、その後れ先立つ有様を面白く思つて見てゐました。これも多分気が狂つてゐたからでございませう。ふいと気が付いて見れば、わたくしは心の中でこんな事を思つてゐたのでございますね。『きつとあの樅の木が、この次ぎに、あの恐ろしい底に巻き込まれて見えなくなつてしまふのだな』なんぞと思つてゐたのでございますね。それが間違がつて、樅の木より先に、和蘭(オランダ)の商船の壊れたのが沈んでしまつたり何かするのでございます。」
「そんな風な工合に、色々予測をして見て、それが狂ふので、わたくしはとう/\或る事実を発見しました。つまり予測の誤りを修正して行つて、その事実に到達したのでございますね。その事実が分かると、わたくしの手足がぶる/″\と顫えて、心の臓がもう一遍劇しく波立つたのでございます。」
「この感動は今までより恐ろしい事を発見したからではございません。さうではなくつて、意外にも又一縷の希望が萌して来たからでございます。その希望は、わたくしの古くから持つてゐた記憶と、今目の前に見てゐる事とを思ひ合せた結果で、出て来たのでございます。その記憶といふのは、ロフオツデンの岸には、一旦モスコエストロオムの渦巻に巻き込まれて、又浮いて来た色々な品物が流れ寄ることがあつたのでございます。大抵その品物が珍らしく揉み潰され、磨り荒されてゐるのでございます。丁度刷毛のやうにけばだつてゐるのが多かつたのでございます。普通はさうであるのに、品物によつては、まるでいたんでゐないのもあつたのを思ひ出しました。そこでわたくしはかう考へました。これは揉み潰されるやうな分が、本当に渦巻の底へ巻き込まれたので、満足でゐるものは遅く渦巻に巻き込まれたか、又は外に理由があつて、まだ途ちゆうを走つてゐて、底まで行かないうちに、満潮にしろ干潮にしろ、海の様子が変つて来て、渦巻が止んでしまつて、巻き込まれずに済んだのではあるまいかと思つたのでございます。どちらにしても、早く本当の渦巻の底へ巻き込まれずに、そのまゝ浮いて来る品物もあるらしいといふことに気が付いたのでございます。」
「その外、わたくしは三つの重大な観察を致しました。第一は、なんでも物体が大きければ大きいだけ早く沈むといふことなのでございます。第二は二個の物体が同一の容積を持つてをりますと、球の形をしてゐるものが、他の形をしてゐるものよりも早く沈むといふことなんでございます。第三は同一の容積を持つてゐる二個の物体のうちで、その一個が円筒状をなしてゐますと、それが外の形をしてゐるものよりも沈みやうが遅いといふことなのでございます。わたくしは命が助かつた後に、わたくしの郡の学校の先生で、老人のお方がありましたのに、この事を話して見ました。わたくしが只今『球』だの『円筒』だのと申しますのは、そのとき先生に聞いた詞なのでございます。その先生が、わたくしの観察の結果を聞いて、なる程それは水に浮かんでゐる物体の渦巻に巻き込まれる難易の法則に適(かな)つてゐるといふことを説明してくれましたが、また就中(なかんづく)円筒が外の形よりも巻き込まれにくいものだといふことを説明してくれましたが、その理由はもう忘れてしまひました。」
「そこでわたくしがさういふ観察をしまして、その観察の正しいことを自覚して、それを利用しようと致しますまでには、今一つの経験の助けを得たのでございます。それは漏斗の中を廻つて行くとき、船が桶や檣や帆掛棹(ほかけざを)の傍を通り抜けたことがございました。そんな品物が、あとから見れば、初めわたくしの船がその傍を通つた時と、余り変らない位置を保つてゐるといふことに気が付いたのでございます。」
「そこで現在の場合に処するにはどうしたが好いかといふことを考へるのは、頗る容易でございました。わたくしは今まで噛り付いてゐた水樽の繩を解いて、樽を船から放して、わたくしの体をその繩で水樽に縛り付けて、自分が樽と一しよに海へ飛び込んでしまはうと決心したのでございます。そこでその心持を兄きに知らせてやらうと思ひまして、近所に浮いてゐる桶なんぞに指ざしをして精一ぱい兄きの注意を惹き起さうと致しました。もう大抵分かつた筈だと思ひますのに、兄きはどうしたのだか首を振つて、わたくしに同意しない様子で、やはり一しよう懸命に檣の根の鐶に噛り付いてゐます。力づくで兄きにその鐶を放させようといふことは所詮不可能でございます。その上最早少しも猶予すべき場合ではないと思ひました。そこでわたくしは無論霊の上の苦戦を致した上で、兄きは兄きの運命に任せることゝ致しまして体を繩で樽に縛り付けまして、急いで海に飛び込みました。」
「その結果は全く予期した通りでございました。御覧のとほりわたくしはこんな風にあなたに自分で自分のことをお話し申すのでございます。あなたはわたくしがそのとき危難を免かれたといふことをお疑ひはなさらないのでございませう。そしてその免かれた方法も、もうこれで委(くは)しく説明致したのでございますから、わたくしはこのお話を早く切り上げようと存じます。」
「わたくしが船から飛び込んでから、一時間ばかりも立つた時でございませう。さつきまでわたくしの乗つてゐた船は、遙か下の方で、忽然三度か四度か荒々しい廻転を致しまして、真逆様に混沌たるしぶきの中へ沈んで行つてしまひました。さてわたくしの体を縛り付けてゐる樽は、まだ海に飛び込んだときの壁面の高さと、漏斗の底との、丁度真中ほどにをりますとき、忽然渦巻の様子に大変動を来たしたのでございます。恐ろしい大漏斗の壁面が一分時間毎にその険しさを減じて来ます。渦巻の水の速度が次第々々に緩くなつて参ります。底の方に見えてゐたしぶきや虹が消えてしまひます。渦巻の底がゆる/\高まつて参ります。空は晴れて参ります。風は凪いで参ります。満月は輝きながら西に沈んで参ります。わたくしはロフオツデンの岸の見える所で、モスコエストロオムの渦巻の消え去つた跡の処より大分上手の方で、大洋の水面に浮き上がつてまゐりました。もうこの海峡の潮の鎮まるときになつたのでございます。併し海面は、暴風(あらし)の名残で、まだ小家位の浪が立つてゐるのでございます。わたくしは海峡の中の溝のやうな潮流に巻き込まれて、数分間の後に、岸辺に打ち寄せられました。漁師仲間がいつも船を寄せる所なのでございます。」
「わたくしは一つの船に助け上げられました。そのときはがつかり致して、もうなくなつた危険の記念に対して、限りのない恐怖を抱いてゐました。わたくしを船に救ひ上げた人達は、昔からの知り合で、毎日顔を見合つてゐる中であつたのに、その人達はわたくしの誰だといふことを認めることが出来ませんでした。丁度あの世から帰つて来た旅人に出逢つたやうな風でございました。その筈でございます。一日前まで墨のやうに黒かつたわたくしの髪が只今御覧なさるやうに真白になつてゐたのでございます。顔の表情もそのときまるで変つたのださうでございます。わたくしはその人達にこの経験談を致して聞かせました。併し誰も信じてくれるものはございませんでした。その経験談を只今あなたにも致したのでございます。多分あなたはロフオツデンの疑深い漁師とは違つて、幾分かわたくしの詞を信じて下さるだらうと存じます。」

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底本:「鴎外選集 第15巻」岩波書店
   1980(昭和55)年1月22日第1刷発行
初出:「文藝倶楽部 一六ノ一一」
   1910(明治43)年8月1日

2009年2月 7日 (土)

ナポレオンと田虫      一

ナポレオンと田虫
横光利一

ナポレオンと田虫        一

 ナポレオン・ボナパルトの腹は、チュイレリーの観台の上で、折からの虹(にじ)と対戦するかのように張り合っていた。その剛壮な腹の頂点では、コルシカ産の瑪瑠(めのう)の釦(ボタン)が巴里(パリー)の半景を歪(ゆが)ませながら、幽(かす)かに妃(きさき)の指紋のために曇っていた。
 ネー将軍はナポレオンの背後から、ルクサンブールの空にその先端を消している虹の足を眺(なが)めていた。すると、ナポレオンは不意にネーの肩に手をかけた。
「お前はヨーロッパを征服する奴は何者だと思う」
「それは陛下が一番よく御存知でございましょう」
「いや、余よりもよく知っている奴がいそうに思う」
「何者でございます」
 ナポレオンは答の代りに、いきなりネーのバンドの留金がチョッキの下から、きらきらと夕映(ゆうばえ)に輝く程強く彼の肩を揺(ゆ)すって笑い出した。
 ネーにはナポレオンのこの奇怪な哄笑(こうしょう)の心理がわからなかった。ただ彼に揺すられながら、恐るべき占(うらない)から逃(の)がれた蛮人のような、大きな哄笑を身近に感じただけである。
「陛下、いかがなさいました」
 彼は語尾の言葉のままに口を開(あ)けて、暫(しばら)くナポレオンの顔を眺めていた。ナポレオンの唇(くちびる)は、間もなくサン・クルウの白い街道の遠景の上で、皮肉な線を描き出した。ネーには、このグロテスクな中に弱味を示したナポレオンの風貌(ふうぼう)は初めてであった。
「陛下、そのヨーロッパを征服する奴は何者でございます?」
「余だ、余だ」とナポレオンは片手を上げて冗談を示すと、階段の方へ歩き出した。
 ネーは彼の後から、いつもと違ったナポレオンの狂った青い肩の均衡を見詰めていた。
「ネー、今夜はモロッコの燕(つばめ)の巣をお前にやろう。ダントンがそれを食いたさに、椅子から転がり落ちたと云う代物(しろもの)だ」

ナポレオンと田虫    二

 その日のナポレオンの奇怪な哄笑に驚いたネー将軍の感覚は正当であった。ナポレオンの腹の上では、径五寸の田虫が地図のように猖獗(しょうけつ)を極(きわ)めていた。この事実を知っていたものは貞淑無二な彼の前皇后ジョセフィヌただ一人であった。
 彼の肉体に植物の繁茂し始めた歴史の最初は、彼の雄図を確証した伊太利(イタリー)征伐のロジの戦の時である。彼の眼前で彼の率いた一兵卒が、弾丸に撃ち抜かれて顛倒(てんとう)した。彼はその銃を拾い上げると、先登を切って敵陣の中へ突入した。彼に続いて一大隊が、一聯隊が、そうして敵軍は崩れ出した。ナポレオンの燦然(さんぜん)たる栄光はその時から始まった。だが、彼の生涯を通して、アングロサクソンのように彼を苦しめた田虫もまた、同時にそのときの一兵卒の銃から肉体へ移って来た。
 ナポレオンの田虫は頑癬(がんせん)の一種であった。それは総(あら)ゆる皮膚病の中で、最も頑強(がんきょう)な痒(かゆ)さを与えて輪郭的に拡がる性質をもっていた。掻(か)けば花弁を踏みにじったような汁が出た。乾(かわ)けば素焼のように素朴な白色を現した。だが、その表面に一度爪が当ったときは、この湿疹(しっしん)性の白癬(はくせん)は、全図を拡げて猛然と活動を開始した。
 或る日、ナポレオンは侍医を密(ひそ)かに呼ぶと、古い太鼓の皮のように光沢の消えた腹を出した。侍医は彼の傍(そば)へ、恭謙な禿頭(はげあたま)を近寄せて呟(つぶや)いた。
「Trichophycia, Eczema, Marginatum.」
 彼は頭を傾け変えるとボナパルトに云った。
「閣下、これは東洋の墨をお用いにならなければなりません」
 この時から、ナポレオンの腹の上には、東洋の墨が田虫の輪郭に従って、黒々と大きな地図を描き出した。しかし、ナポレオンの田虫は西班牙(スペイン)とはちがっていた。彼の爪が勃々(ぼつぼつ)たる雄図をもって、彼の腹を引っ掻き廻せば廻すほど、田虫はますます横に分裂した。ナポレオンの腹の上で、東洋の墨はますますその版図を拡張した。あたかもそれは、ナポレオンの軍馬が破竹のごとくオーストリアの領土を侵蝕(しんしょく)して行く地図の姿に相似していた。――この時からナポレオンの奇怪な哄笑は深夜の部屋の中で人知れず始められた。
 彼の田虫の活動はナポレオンの全身を戦慄(せんりつ)させた。その活動の最高頂は常に深夜に定っていた。彼の肉体が毛布の中で自身の温度のために膨張する。彼の田虫は分裂する。彼の爪は痒さに従って活動する。すると、ますます活動するのは田虫であった。ナポレオンの爪は彼の強烈な意志のままに暴力を振って対抗した。しかし、田虫には意志がなかった。ナポレオンの爪に猛烈な征服慾があればあるほど、田虫の戦闘力は紫色を呈して強まった。全世界を震撼(しんかん)させたナポレオンの一個の意志は、全力を挙(あ)げて、一枚の紙のごとき田虫と共に格闘した。しかし、最後にのた打ちながら征服しなければならなかったものは、ナポレオン・ボナパルトであった。彼は高価な寝台の彫刻に腹を当てて、打ちひしがれた獅子(しし)のように腹這(はらば)いながら、奇怪な哄笑を洩(もら)すのだ。
「余はナポレオン・ボナパルトだ。余は何者をも恐れぬぞ、余はナポレオン・ボナパルトだ」
 こうしてボナパルトの知られざる夜はいつも長く明けていった。その翌日になると、彼の政務の執行力は、論理のままに異常な果断を猛々(たけだけ)しく現すのが常であった。それは丁度、彼の猛烈な活力が昨夜の頑癬に復讐(ふくしゅう)しているかのようであった。
 そうして、彼は伊太利を征服し、西班牙を牽制(けんせい)し、エジプトへ突入し、オーストリアとデンマルクとスエーデンを侵略してフランスの皇帝の位についた。
 この間、彼のこの異常な果断のために戦死したフランスの壮丁は、百七十万人を数えられた。国内には廃兵が充満した。祷(いの)りの声が各戸の入口から聞えて来た。行人(こうじん)の喪章は到る処に見受けられた。しかし、ナポレオンは、まだ密かにロシアを遠征する機会を狙(ねら)ってやめなかった。この蓋世(がいせい)不抜の一代の英気は、またナポレオンの腹の田虫をいつまでも癒(なお)す暇を与えなかった。そうして彼の田虫は彼の腹へ癌(がん)のようにますます深刻に根を張っていった。この腹に田虫を繁茂させながら、なおかつヨーロッパの天地を攪乱(こうらん)させているナポレオンの姿を見ていると、それは丁度、彼の腹の上の奇怪な田虫が、黙々としてヨーロッパの天地を攪乱しているかのようであった。

ナポレオンと田虫      三

 ナポレオンはジェーエーブローの条約を締結してオーストリアから凱旋(がいせん)すると、彼の糟糠(そうこう)の妻ジョセフィヌを離婚した。そうして、彼はフランスの皇帝の権威を完全に確立せんがため新しき皇妃、十八歳のマリア・ルイザを彼の敵国オーストリアから迎えた。彼女はハプスブルグ家、オーストリア神聖羅馬(ローマ)皇帝の娘である。彼女の部屋はチュイレリーの宮殿の中で、ナポレオンの寝室の隣りに設けられた。しかし、新しきナポレオン・ボナパルトは、またこの古い宮殿の寝室の中で、彼の厖大(ぼうだい)な田虫の輪郭と格闘を続けなければならなかった。
 ナポレオンは若くして麗しいルイザを愛した。彼の前皇后ジョセフィヌはロベスピエールに殺されたボルネー伯の妻であった。彼女はナポレオンより六歳の年上で先夫の子を二人までも持っていた。今、彼はルイザを見ると、その若々しい肉体はジョゼフィヌに比べて、割られた果実のように新鮮に感じられた。だが、そのとき彼自身の年齢は最早四十一歳の坂にいた。彼は自身の頑癬を持った古々しい平民の肉体と、ルイザの若々しい十八の高貴なハプスブルグの肉体とを比べることは淋(さび)しかった。彼は絶えず、前皇后ジョセフィヌが彼から圧迫を感じたと同様に、今彼はハプスブルグの娘、ルイザから圧迫されねばならなかった。このため、彼は彼女の肉体からの圧迫を押しつけ返すためにさえも、なお自身の版図をますますヨーロッパに拡げねばならなかった。何ぜなら、コルシカの平民ナポレオンが、オーストリアの皇女ハプスブルグのかくも若く美しき娘を持ち得たことは、彼がヨーロッパ三百万の兵士を殺して贏(か)ち得た彼の版図の強大な力であったから。彼はルイザを見たと同時に、油を注がれた火のようにいよいよロシア侵略の壮図を胸に描いた。殊(こと)に彼はルイザを皇后に決定する以前、彼の選定した女はロシアの皇帝の妹アンナであった。しかし、ロシアは彼の懇望を拒絶した。そうして、第二に選ばれたものはこのハプスブルグの娘ルイザである。ルイザにとって、ロシアは良人(おっと)の心を牽(ひ)きつけた美しきアンナの住む国であった。だが、ナポレオンにとっては、ロシアは彼の愛するルイザの微笑を見んがためばかりにさえも、征服せらるべき国であった。左様に彼はルイザを愛し出した。彼が彼女を愛すれば愛するほど、彼の何よりも恐れ始めたことは、この新しい崇高優美なハプスブルグの娘に、彼の醜い腹の頑癬を見られることとなって来た。もし出来得ることであるならば、彼はこのとき、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの荘厳な肉体の価値のために、彼の伊太利と腹の田虫とを交換したかも知れなかった。こうして森厳な伝統の娘、ハプスブルグのルイザを妻としたコルシカ島の平民ナポレオンは、一度ヨーロッパ最高の君主となって納まると、今まで彼の幸福を支(ささ)えて来た彼自身の恵まれた英気は、俄然(がぜん)として虚栄心に変って来た。このときから、彼のさしもの天賦の幸運は揺れ始めた。それは丁度、彼の田虫が彼を幸運の絶頂から引き摺(ず)り落すべき醜悪な平民の体臭を、彼の腹から嗅(か)ぎつけたかのようであった。

2009年2月 6日 (金)

ナポレオンと田虫      四

 千八百四年、パリーの春は深まっていった。そうして、ロシアの大平原からは氷が溶けた。
 或る日、ナポレオンはその勃々(ぼつぼつ)たる傲慢(ごうまん)な虚栄のままに、いよいよ国民にとって最も苦痛なロシア遠征を決議せんとして諸将を宮殿に集合した。その夜、議事の進行するに連れて、思わずもナポレオンの無謀な意志に反対する諸将が続々と現れ出した。このためナポレオンは終(つい)に遠征の反対者将軍デクレスと数時間に渡って激論を戦わさなければならなかった。デクレスはナポレオンの征戦に次ぐ征戦のため、フランス国の財政の欠乏の人口の減少と、人民の怨嗟(えんさ)と、戦いに対する国民の飽満とを指摘してナポレオンに詰め寄った。だが、ナポレオンはヨーロッパの平和克復の使命を楯(たて)にとって応じなかった。デクレスは最後に席を蹴(け)って立ち上ると、慰撫(いぶ)する傍のネー将軍に向って云った。
「陛下は気が狂った。陛下は全フランスを殺すであろう。万事終った。ネー将軍よ、さらばである」
 ナポレオンはデクレスが帰ると、忿懣(ふんまん)の色を表してひとり自分の寝室へ戻って来た。だが彼はこの大遠征の計画の裏に、絶えず自分のルイザに対する弱い歓心が潜んでいたのを考えた。殊にそのため部下の諸将と争わなければならなかったこの夜の会議の終局を思うと、彼は腹立たしい淋しさの中で次第にルイザが不快に重苦しくなって来た。そうして、彼の胸底からは古いジョセフィヌの愛がちらちらと光を上げた。彼はこの夜、そのまま皇后ルイザにも逢わず、ひとり怒りながら眠りについた。
 ナポレオンの寝室では、寒水石の寝台が、ペルシャの鹿を浮かべた緋緞帳(ひどんちょう)に囲まれて彼の寝顔を捧(ささ)げていた。夜は更(ふ)けていった。広い宮殿の廻廊からは人影が消えてただ裸像の彫刻だけが黙然と立っていた。すると、突然ナポレオンの腹の上で、彼の太い十本の指が固まった鉤(かぎ)のように動き出した。指は彼の寝巻を掻(か)きむしった。彼の腹は白痴のような田虫を浮かべて寝衣(ねまき)の襟(えり)の中から現れた。彼の爪は再び迅速な速さで腹の頑癬を掻き始めた。頑癬からは白い脱皮がめくれて来た。そうして、暫くは森閑とした宮殿の中で、脱皮を掻きむしるナポレオンの爪音だけが呟くようにぼりぼりと聞えていた。と、俄(にわか)に彼の太い眉毛(まゆげ)は、全身の苦痛を受け留めて慄(ふる)えて来た。
「余はナポレオン・ボナパルトだ。余はナポレオン・ボナパルトだ」
 彼は足に纏(まつ)わる絹の夜具を蹴(け)りつけた。
「余は、余は」
 彼は張り切った綱が切れたように、突如として笑い出した。だが、忽(たちま)ち彼の笑声が鎮(しず)まると、彼の腹は獣を入れた袋のように波打ち出した。彼はがばと跳(は)ね返った。彼の片手は緞帳の襞(ひだ)をひっ攫(つか)んだ。紅の襞は鋭い線を一握(ひとにぎり)の拳の中に集めながら、一揺れ毎に鐶(かん)を鳴らして辷(すべ)り出した。彼は枕(まくら)を攫んで投げつけた。彼はピラミッドを浮かべた寝台の彫刻へ広い額を擦(こす)りつけた。ナポレオンの汗はピラミッドの斜線の中へにじみ込んだ。緞帳は揺れ続けた。と彼は寝台の上に跳ね起きた。すると、再び彼は笑い出した。
「余は、余は、何物をも恐れはせぬぞ。余はアルプスを征服した。余はプロシャを撃ち破った。余はオーストリアを蹂躙(じゅうりん)した」だが、云いも終らぬ中に、ナポレオンの爪はまた練磨された機械のように腹の頑癬を掻き始めた。彼は寝台から飛び降りると、床の上へべたりと腹を押しつけた。彼の寝衣の背中に刺繍(ししゅう)されたアフガニスタンの金の猛鳥は、彼を鋭い爪で押しつけていた。と、見る間に、ナポレオンの口の下で、大理石の輝きは彼の苦悶(くもん)の息のために曇って来た。彼は腹の下の床石が温まり始めると、新鮮な水を追う魚のように、また大理石の新しい冷たさの上を這い廻った。
 丁度その時、鏡のような廻廊から、立像を映して近寄って来るルイザの桃色の寝衣姿を彼は見た。
 彼は起き上ることが出来なかった。何ぜなら、彼はまだ、ハプスブルグの娘、ルイザに腹の田虫を見せたことがなかったから。ルイザは呆然(ぼうぜん)として、皇帝ナポレオン・ボナパルトが射られた獣のように倒れている姿を眺(なが)めていた。
「陛下、いかがなさいました」
 ボナパルトは自分の傍に蹲(しゃが)み込む妃の体温を身に感じた。
「ルイザお前は何しに来た?」
「陛下のお部屋から、激しい呻(うめ)きが聞えました」
 ルイザはナポレオンの両脇に手をかけて起そうとした。ナポレオンは周章(あわ)てて拡った寝衣の襟(えり)をかき合せると起き上った。
「陛下、いかがなされたのでございます」
「余は恐ろしい夢を見た」
「マルメーゾンのジョゼフィヌさまのお夢でございましょう」
「いや、余はモローの奴が生き返った夢を見た」
 と、ナポレオンは云いながら、執拗(しつよう)な痒(かゆ)さのためにまた全身を慄(ふる)わせた。
「陛下、お寒いのでございますか」
「余は胸が痛むのだ」
「侍医をお呼びいたしましょうか」
「いや、余は暫くお前と一緒に眠れば良い」
 ナポレオンはルイザの肩に手をかけた。ルイザはナポレオンの腕から戦慄(せんりつ)を噛(か)み殺した力強い痙攣(けいれん)を感じながら、二つの鐶のひきち切れた緞帳の方へ近寄った。そこには常に良人(おっと)の脱(はず)さなかった胴巻が蹴られたように垂れ落ちて縮んでいた。絹の敷布は寝台の上から掻き落されて開いた緞帳の口から湿った枕と一緒にはみ出ていた。
 ナポレオンは寝台に腰を降ろすとルイザの脹(ふく)らかな腰に手をかけた。だが、彼は今ハプスブルグの娘に、自分の腹をかくし通した苦痛な時間が腹立たしくなって来た。彼は腹部の醜い病態をルイザの眼前にさらしたかった。その高貴をもって全ヨーロッパに鳴り響いたハプスブルグの女の頭上へ、彼は平民の病いを堂々と押しつけてやりたい衝動を感じ出した。――余は一平民の息子である。余はフランスを征服した。余は伊太利を征服した。余は西班牙とプロシャとオーストリアを征服した。余はロシアを蹂躙するであろう。余はイギリスと東洋を蹂躙する。見よ、ハプスブルグの娘――。
 ナポレオンはひき剥(は)ぐように、寝衣の両襟をかき拡げた。
 ルイザの視線はナポレオンの腹部に落ちた。ナポレオンの腹は、猛鳥の刺繍の中で、毛を落した犬のように汁を浮べて爛(ただ)れていた。
「ルイザ、余と眠れ」
 だが、ルイザはナポレオンの権威に圧迫されていたと同様に、彼の腹の、その刺繍のような毒毒しい頑癬からも圧迫された。オーストリアの皇女、ハプスブルグの娘は、今初めて平民の醜さを眼前に見たのである。
 ナポレオンは彼女の傍へ身を近づけた。ルイザは緞帳の裾(すそ)を踏みながら、恐怖の眉を顰(しか)めて反(そ)り返った。今はナポレオンは妻の表情から敵を感じた。彼は彼女の手首をとって引き寄せた。
「寄れ、ルイザ」
「陛下、侍医をお呼びいたしましょう。暫くお待ちなされませ」
「寄れ」
 彼女は緞帳の襞(ひだ)に顔を突き当て、翻るように身を躍(おど)らせて、広間の方へ馳(か)け出した。ナポレオンは明らかに貴族の娘の侮辱を見た。彼は彼の何者よりも高き自尊心を打ち砕かれた。彼は突っ立ち上ると大理石の鏡面を片影のように辷(すべ)って行くハプスブルグの娘の後姿を睨んでいた。
「ルイザ」と彼は叫んだ。
 彼女の青ざめた顔が裸像の彫刻の間から振り返った。ナポレオンの烱々(けいけい)とした眼は緞帳の奥から輝いていた。すると、最早や彼女の足は慄えたまま動けなかった。ナポレオンは寝衣の襟を拡げたままルイザの方へ進んでいった。彼女はまたナポレオンの腹を見た。鎮まり返った夜の宮殿の一隅から、薄紅の地図のような怪物が口を開けて黙々と進んで来た。
「陛下、お待ちなされませ、陛下」
 彼女は空虚の空間を押しつけるように両手を上げた。
「陛下、暫くでございます。侍医をお呼びいたします」
 ナポレオンは妃の腕を掴(つか)んだ。彼は黙って寝台の方へ引き返そうとした。
「陛下、お赦(ゆる)しなされませ。御無理をなされますと、私はウィーンへ帰ります」
 磨(みが)かれた大理石の三面鏡に包まれた光の中で、ナポレオンとルイザとは明暗を閃(ひら)めかせつつ、分裂し粘着した。争う色彩の尖影(せんえい)が、屈折しながら鏡面で衝撃した。
「陛下、お気が狂わせられたのでございます。陛下、お放しなされませ」
 しかし、ナポレオンの腕は彼女の首に絡(から)まりついた。彼女の髪は金色の渦を巻いてきらきらと慄えていた。ナポレオンの残忍性はルイザが藻掻(もが)けば藻掻くほど怒りと共に昂進(こうしん)した。彼は片手に彼女の頭髪を繩(なわ)のように巻きつけた。――逃げよ。余はコルシカの平民の息子である。余はフランスの貴族を滅ぼした。余は全世界の貴族を滅ぼすであろう。逃げよ。ハプスブルグの女。余は高貴と若さを誇る汝(なんじ)の肉体に、平民の病いを植えつけてやるであろう。
 ルイザはナポレオンに引き摺(ず)られてよろめいた。二人の争いは、トルコの香料の匂(にお)いを馥郁(ふくいく)と撒(ま)き散らしながら、寝台の方へ近づいて行った。緞帳が閉(し)められた。ペルシャの鹿の模様は暫く緞帳の襞の上で、中から突き上げられる度毎(たびごと)に脹れ上って揺れていた。
「陛下、お気をお鎮めなさりませ。私はジョセフィヌさまへお告げ申すでございましょう」
 緞帳の間から逞(たくま)しい一本の手が延びると、床の上にはみ出ていた枕を中へ引き摺り込んだ。
「陛下、今宵は静にお休みなされませ。陛下はお狂いなされたのでございます」
 ペルシャの鹿の模様は鎮まった。彫刻の裸像はひとり円柱の傍で光った床の上の自身の姿を見詰めていた。すると、突然、緋(ひ)の緞帳の裾から、桃色のルイザが、吹きつけた花のように転がり出した。裳裾(もすそ)が宙空で花開いた。緞帳は鎮まった。ルイザは引き裂かれた寝衣(ねまき)の切れ口から露(あら)わな肩を出して倒れていた。彼女は暫く床の上から起き上ろうとしなかった。掻き乱された彼女の金髪は、波打ったまま大理石の床の上へ投げ出された。
 彼女は漸(ようや)く起き上ると、青ざめた頬(ほお)を涙で濡(ぬ)らしながら歩き出した。彼女の長い裳裾は、彼女の苦痛な足跡を示しつつ緞帳の下から憂鬱(ゆううつ)に繰り出されて曳(ひ)かれていった。
 ナポレオンの部屋の重々しい緞帳は、そのまま湿った旗のように明方まで動かなかった。

ナポレオンと田虫   五

 その翌日、ナポレオンは何者の反対をも切り抜けて露西亜(ロシア)遠征の決行を発表した。この現象は、丁度彼がその前夜、彼自身の平民の腹の田虫をハプスブルグの娘に見せた失敗を、再び一時も早く取り返そうとしているかのように敏活であった。殊に彼はルイザを娶(めと)ってから彼に皇帝の重きを与えた彼の最も得意とする外征の手腕を、まだ一度も彼女に見せたことがなかった。
 ナポレオン・ボナパルトのこの大遠征の規模作戦の雄大さは、彼の全生涯を通じて最も荘厳華麗を極(きわ)めていた。彼は国内の三十万の青年に動員令に対する準備を命じた。更に健全な国内の壮丁九十万人を国境と沿海戦の守備に充(あ)てた。なおその上に、彼はフランス本国から二十万人を、ライン同盟国から十四万七千人、伊太利から八万人を、波蘭(ポーランド)とプロシャとオーストリアから十一万人、これに仏領各地から出さしめた軍隊を合せて七十万人に、加うるに予備隊を合して総数百十万余人の軍勢をドレスデンへ集中させた。そうして、ナポレオンは彼の娘のごとき皇后ルイザを連れてパリーからドレスデンまで出て行った。ドレスデンではルイザの父オーストリア皇帝、プロシャ皇帝、同盟国の最高君主が一団となって、百十万余人の軍隊と共に彼ら二人の到着を出迎えた。
 この古今未曾有(みぞう)の荘厳な大歓迎は、それは丁度、コルシカの平民ナポレオン・ボナパルトの腹の田虫を見た一少女、ハプスブルグの娘、ルイザのその両眼を眩惑(げんわく)せしめんとしている必死の戯れのようであった。
 こうして、ナポレオンは彼の大軍を、いよいよフリードランドの大原野の中へ進軍させた

ナポレオンと田虫  六

 ナポレオンの腹の上では、今や田虫の版図は径六寸を越して拡っていた。その圭角(けいかく)をなくした円(まろ)やかな地図の輪郭は、長閑(のどか)な雲のように微妙な線を張って歪(ゆが)んでいた。侵略された内部の皮膚は乾燥した白い細粉を全面に漲(みなぎ)らせ、荒された茫々(ぼうぼう)たる沙漠(さばく)のような色の中で、僅(わず)かに貧しい細毛が所どころ昔の激烈な争いを物語りながら枯れかかって生(は)えていた。だが、その版図の前線一円に渡っては数千万の田虫の列が紫色の塹壕(ざんごう)を築いていた。塹壕の中には膿(うみ)を浮かべた分泌物(ぶんぴつぶつ)が溜(たま)っていた。そこで田虫の群団は、鞭毛(べんもう)を振りながら、雑然と縦横に重なり合い、各々横に分裂しつつ二倍の群団となって、脂(あぶら)の漲(みなぎ)った細毛の森林の中を食い破っていった。
 フリードランドの平原では、朝日が昇ると、ナポレオンの主力の大軍がニエメン河を横断してロシアの陣営へ向っていった。しかし、今や彼らは連戦連勝の栄光の頂点で、尽(ことごと)く彼らの過去に殺戮(さつりく)した血色のために気が狂っていた。
 ナポレオンは河岸の丘の上からそれらの軍兵を眺(なが)めていた。騎兵と歩兵と砲兵と、服色燦爛(さんらん)たる数十万の狂人の大軍が林の中から、三色の雲となって層々と進軍した。砲車の轍(わだち)の連続は響を立てた河原のようであった。朝日に輝いた剣銃の波頭は空中に虹を撒いた。栗毛(くりげ)の馬の平原は狂人を載せてうねりながら、黒い地平線を造って、潮のように没落へと溢(あふ)れていった。

大正15年1月
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底本:「機械・春は馬車に乗って」新潮文庫、
新潮社 1969(昭和44)年8月20日初版発行

2009年2月 5日 (木)

『春は馬車に乗って』 横光利一

 海浜の松が凩に鳴り始めた。庭の片隅で一叢の小さなダリヤが縮んでいった。

 彼は妻の寝ている寝台の傍から、泉水の中の鈍い亀の姿を眺めてた。亀が泳ぐと、水面から輝り返された明るい水影が、乾いた石の上で揺れていた。
「まアね、あなた、あの松の葉がこのごろそれは綺麗に光るのよ。」と妻は言った。
「お前は松の木を見ていたんだな。」
「ええ。」
「俺は亀を見てたんだ。」
 二人はまたそのまま黙り出そうとした。
「お前はそこで長い間寝ていて、お前の感想は、たった松の葉が美しく光るということだけなのか。」
「ええ、だって、あたし、もう何も考えないことにしているの。」
「人間は何も考えないで寝ていられるはずがない。」
「そりゃ考えることは考えるわ。あたし、早くよくなって、シャッシャッと井戸で洗濯がしたくってならないの。」
「洗濯がしたい?」
 彼はこの意想外の妻の欲望に笑い出した。
「お前はおかしな奴だね。俺に長い間苦労をかけておいて、洗濯がしたいとは変った奴だ。」
「でも、あんなに丈夫な時が羨ましいの。あなたは不幸な方だわね。」
「うむ。」と彼は言った。
 彼は妻をもらうまでの四五年に渡る彼女の家庭との長い争闘を考えた。それから妻と結婚してから、母と妻との間に挟まれた二年間の苦痛な時間を考えた。彼は母が死に、妻と二人になると、急に妻が胸の病気で寝てしまったこの一年間の艱難を思い出した。
「なるほど、俺ももう洗濯がしたくなった。」
「あたし、いま死んだってもういいわ。だけども、あたし、あなたにもっと恩を返してから死にたいの。このごろあたし、そればかり苦になって。」
「俺に恩を返すって、どんなことをするんだね。」
「そりゃ、あたし、あなたを大切にして、……」
「それから。」
「もっといろいろすることがあるわ。」
 ――しかし、もうこの女は助からない、と彼は思った。
「俺はそういうことは、どうだっていいんだ。ただ俺は、そうだね。俺は、ただ、ドイツのミュンヘンあたりへいっぺん行って、それも、雨の降っているところでなくちゃ行く気がしない。」
「あたしも行きたい。」と妻は言うと、急に寝台の上で腹を波のようにうねらせた。
「お前は絶対安静だ。」
「いや、いや、あたし、歩きたい。起してよ、ね、ね。」
「駄目だ。」
「あたし、死んだっていいから。」
「死んだって、始まらない。」
「いいわよ、いいわよ。」
「まア、じっとしてるんだ。それから、一生の仕事に、松の葉がどんなに美しく光るかっていう形容詞を、たった一つ考え出すのだね。」
 妻は黙ってしまった。彼は妻の気持ちを転換さすために、柔らかな話題を選択しようとして立ち上った。
 海では午後の波が遠く岩にあたって散っていた。一艘の舟が傾きながら鋭い岬の尖端を廻っていった。渚では逆巻く濃藍色の背景ので、子供が二人湯気の立った芋を持って紙屑のように坐っていた。
 彼は自分に向って次ぎ次ぎに来る苦痛の波を避けようと思ったことはまだなかった。このそれぞれに質を違えて襲って来る苦痛の波の原因は、自分の肉体の存在の最初において働いていたように思われたからである。彼は苦痛を、たとえば砂糖を甜める舌のように、あらゆる感覚の眼を光らせて吟味しながら甜め尽してやろうと決心した。そうして最後に、どの味が美味かったか。--俺の身体は一本のフラスコだ。何ものよりも、まず透明でなければならぬ。と彼は考えた。

 ダリヤの茎が干枯らびた縄のように地の上でむすぼれ出した。潮風が水平線の上から終日吹きつけて来て冬になった。

 彼は砂風の巻き上る中を、一日に二度ずつ妻の食べたがる新鮮な鳥の臓物を捜しに出かけて行った。彼は海岸町の鳥屋という烏屋を片端から訪ねていって、そこの黄色い爼の上から一応庭の中を眺め廻してから訊くのである。
「臓物はないか、臓物は。」
 彼は運好く瑪瑙のような臓物を氷の中から出されると、勇敢な足どりで家に帰って妻の枕元に並べるのだ。
「この曲玉のようなのは鳩の腎臓だ。この光沢のある肝臓はこれは家鴨の生胆だ。これはまるで、噛み切った一片の唇のようで、この小さな青い卵は、これは崑崙山の翡翠のようで。」
 すると、彼の饒舌に煽動させられた彼の妻は、最初の接吻を迫るように、華やかに床の中で食欲のために身悶えした。彼は惨酷に臓物を奪い上げると、すぐ鍋の中へ投げ込んでしまうのが常であった。
 妻は艦のような寝台の格子の中から、微笑しながら絶えず湧き立つ鍋の中を眺めていた。
「お前をここから見ていると、実に不思議な獣だね。」と彼は言った。
「まア、獣だって。あたし、これでも奥さんよ。」
「うむ、臓物を食ぺたがっている艦の中の奥さんだ。お前は、いつの場合においても、どこか、ほのかに惨忍性を湛えている。」
「それはあなたよ。あなたは理智的で、惨忍性をもっていて、いつでも私の傍から離れたがろうとばかり考えていらしって。」
「それは、檻の中の理論である。」
 彼は彼の額に煙り出す片影のような皺さえも、敏感に見逃さない妻の感覚をごまかすために、このごろいつもこの結論を用意していなければならなかった。それでも時には、妻の理論は急激に傾きながら、彼の急所を突き通して旋廻することがたびたびあった。
「実際、俺はお前の傍に坐っているのは、そりゃいやだ。肺病というものは、決して幸福なものではないからだ。」
 彼はそう直接妻に向って逆襲することがあった。
「そうではないか。俺はお前から離れたとしても、この庭をぐるぐる廻っているだけだ。俺はいつでも、お前の寝ている寝台から綱をつけられていて、その綱の画く円周の中で廻っているより仕方がない。これは憐れな状態である以外の、何物でもないではないか。」
「あなたは、あなたは、遊びたいからよ。」と妻は口惜しそうに言った。
「お前は遊びたかないのかね。」
「あなたは、他の女の方と遊びたいのよ。」
「しかし、そういうことを言い出して、もし、そうだったらどうするんだ。」
 そこで、妻が泣き出してしまうのが例であった。彼ははッとして、また逆に理論を極めて物柔らかに解ほぐして行かねばならなかった。
「なるほど、俺は、朝から晩まで、お前の枕元にいなければならないというのはいやなのだ。それで俺は、一刻も早く、お前をよくしてやるために、こうしてぐるぐる同じ庭の中を廻っているのではないか。これには俺とて一通りのことじゃないさ。」
「それはあなたのためだからよ。私のことを、ちょっともよく思ってして下さるんじゃないんだわ。」
 彼はここまで妻から内迫されて来ると、当然彼女の檻の中の埋論にとりひしがれた。だが、はたして、自分は自分のためにのみ、この苦痛を噛み殺しているのだろうか。
「それはそうだ、俺はお前の言うように、俺のために何ごとも忍耐しているのにちがいない。しかしだ、俺が俺のために忍耐しているということは、一体誰ゆえにこんなことをしていなければ、ならないんだ。俺はお前さえいなければ、こんなばかな動物園の真似はしていたくないんだ。そこをしているというのは、誰のためだ。お前以外の俺のためだとでも言うのか、ばかばかしい。」
 こういう夜になると、妻の熱は定って九度近くまで昇り出した。彼は一本の理論を鮮明にしたために、氷嚢のロを、開けたり閉めたり、夜通ししなければならなかった。
 しかし、なお彼は自分の休息する理由の説明を明瞭にするために、この懲りるべき理由の整理を、ほとんど日日し続けなければならなかった。彼は食うためと、病人を養うためとに別室で仕事をした。すると、彼女は、また檻の中の理論を持ち出して彼を攻めたてて来るのである。
「あなたは、私の傍をどうしてそう離れたいんでしょう。今日はたった三度よりこの部屋へ来て下さらないんですもの。分っていてよ。あなたは、そういう人なんですもの。」
「お前という奴は、俺がどうすればいいと言うんだ。俺は、お前の病気をよくするために、薬と食物とを買わなければならないんだ。誰がじっとしていて金をくれる奴があるものか。お前は俺に手品でも使えと言うんだね。」
「だって、仕事なら、ここでも出来るでしょう。」と妻は言った。
「いや、ここでは出来ない。俺はほんの少しでも、お前のことを忘れているときでなければ出来ないんだ。」
「そりゃそうですわ。あなたは、二十四時間仕事のことより何も考えない人なんですもの、あたしなんか、どうだっていいんですわ。」
「お前の敵は俺の仕事だ。しかし、お前の敵は、実は絶えずお前を助けているんだよ。」
「あたし、淋しいの。」
「いずれ、誰だって淋しいにちがいない。」
「あなたはいいわ。仕事があるんですもの。あたしは何もないんだわ。」
「捜せばいいじゃないか。」
「あたしは、あなた以外に捜せないんです。あたしは、じっと天井を見て寝てばかりいるんです。」
「もう、そこらでやめてくれ。どちらも淋しいとしておこう。俺には締切りがある。今日書き上げないと、向うがどんなに困るかしれないんだ。」
「どうせ、あなたはそうよ。あたしより、締切りの方が大切なんですから。」
「いや、締切りということは、相手のいかなる事情をも退けるという張り札なんだ。俺はこの張り札を見て引き受けてしまった以上、自分の事情なんか考えてはいられない。」
「そうよ、あなたはそれほど理智的なのよ。いつでもそうなの、あたし、そういう理智的な人は、大嫌い。」
「お前は俺の家の者である以上、他から来た張り札に対しては、俺と同じ責任を持たなければならないんだ。」
「そんなもの、引き受けなければいいじゃありませんか。」
「しかし、俺とお前の生活はどうなるんだ。」
「あたし、あなたがそんなに冷淡になるくらいなら、死んだ方がいいの。」
 すると、彼は黙って庭へ飛び降りて深呼吸をした。それから、彼はまた風呂敷を持って、その日の臓物を買いにこっそりと町の中へ出かけていった。
 しかし、この彼女の「檻の中の理論」は、その檻に繋がれて廻っている彼の理論を、絶えず全身的な興奮をもっほとんど間髪の隙間をさえも洩らさずに追っ駈けて来るのである。このため彼女は、彼女の檻の中で製造する病的な理論の鋭利さのために、自身の肺の組織を日日加速度的に破壊していった。
 彼女のかつての円く張った滑らかな足と手は、竹のように痩せて来た。胸は叩けば、軽い張子のような音を立てた。そうして、彼女は彼女の好きな鳥の臓物さえも、もう振り向きもしなくなった。
 彼は彼女の食欲をすすめるために、海からとれた新鮮な魚の数々を縁側に並べて説明した。
「これは鮟鱇で踊り疲れた海のピエロ。これは海老で車海老、海老は甲冑をつけて倒れた海の武者。この鯵は暴風で吹きあげられた木の葉である。」
「あたし、それより聖書を読んでほしい。」と彼女は言った。
 彼はボウロのように魚を持ったまま、不吉な予感に打たれて妻の顔を見た。
「あたし、もう何も食べたかないの、あたし、一日に一度ずつ聖書を読んでもらいたいの。」
 そこで、彼は仕方なくその日から汚れたバイブルを取り出して読むことにした。
「エホバよわが祈りをききたまえ。願わくばわが号呼の声の御前にいたらんことを。わが窮苦の日、み顔を蔽いたもうなかれ。なんじの耳をわれに傾け、我が呼ぶ日にすみやかに我にこたえたまえ。わがもろもろの日は煙のごとく消え、わが骨は焚木のごとく焚かるるなり。わが心は草のごとく撃たれてしおれたり。われ糧をくらうを忘れしによる。」
 しかし、不吉なことはまた続いた。ある日、暴風の夜が開けた翌日、庭の池の中からあの鈍い亀が逃げてしまっていた。

 彼は妻の病勢がすすむにつれて、彼女の寝台の傍からますます離れることが出来なくなった。彼女の口から、痰が一分ごとに出始めた。彼女は自分でそれをとることが出来ない以上、彼がとってやるよりとるものがなかった。また彼女は激しい腹痛を訴え出した。咳の大きな発作が、昼夜を分たず五回ほど突発した。そのたびに、彼女は自分の胸を引っ掻き廻して苦しんだ。彼は病人とは反対に落ちつかなければならないと考えた。しかし、彼女は、彼が冷静になればなるほど、その苦悶の最中に咳を続けながら彼を罵った。

「人の苦しんでいるときに、あなたは、あなたは、他のことを考えて。」
「まア、静まれ、いま怒鳴っちゃ。」
「あなたが、落ちついているから、憎らしいのよ。」
「俺が、今あわてては、」
「やかましい。」
 彼女は彼の持っている紙をひったくると、自分の痰を横なぐりに拭きとって彼に投げつけた。
 彼は片手で彼女の全身から流れ出す汗をところを択ばず拭きながら、片手で彼女の口から咳き出す痰を絶えず拭きとっていなければならなかった。彼の蹲んだ腰はしびれて来た。彼女は苦しまぎれに、天井を睨んだまま、両手を振って彼の胸を叩き出した。汗を拭きとる彼のタオルが、彼女の寝巻にひっかかった。すると、彼女は、蒲団を蹴りつけ、身体をばたばた波打たせて起き上ろうとした。
「駄目だ、駄目だ、動いちゃ。」
「苦しい、苦しい。」
「落ちつけ。」
「苦しい。」
「やられるぞ。」
「うるさい。」
 彼は楯のように打たれながら、彼女のざらざらした胸を撫で擦った。
 しかし、彼はこの苦痛な頂天においてさえ、妻の健康な時に彼女から与えられた自分の嫉妬の苦しみよりも、むしろ数段の柔かさがあると思った。してみると彼は、妻の健康の肉体よりも、この腐った肺臓を持ち出した彼女の病体の方が、自分にとってはより幸福を与えられているということに気がついた。
 --これは新鮮だ。俺はもうこの新鮮な解釈によりすがっているより仕方がない。
 彼はこの解釈を思い出すたぴに、海を眺めながら、突然あはあはと大きな声で笑い出した。
 すると、妻はまた、檻の中の理論を引き摺り出して苦苦しそうに彼を見た。
「いいわ、あたし、あなたがなぜ笑ったのかちゃんと知ってるんですもの。」
「いや、俺はお前がよくなって、洋装をきたがって、ぴんぴんはしゃがれるよりは、静かに寝ていられる方がどんなに有難いかしれないんだ。第一、お前はそうしていると、蒼ざめていて、気品がある。まア、ゆっくり寝ていてくれ。」
「あなたは、そういう人なんだから。」
「そういう人なればこそ、有難がって看病が出来るのだ。」
「看病看病って、あなたは二言目には看病を持ち出すのね。」
「これは俺の誇りだよ。」
「あたし、こんな看病なら、して欲しかないの。」
「ところが、俺がたとえぱ三分間向うの部屋へ行っていたとする。すると、お前は三日もほったらかされたように言うではないか、さア、何とか返答してくれ。」
「あたしは、何も文句を言わずに、看病がしてもらいたいの。いやな顔をされたり、うるさがられたりして看病されたって、ちっとも有難いと思わないわ。」
「しかし、看病というのは、本来うるさい性質のものとして出来上っているんだぜ。」
「そりゃ分っているわ。そこをあたし、黙ってしてもらいたいの。」
「そうだ、まあ、お前の看病をするためには、一族郎党を引きつれて来ておいて、金を百万円ほど積みあげて、それから、博士を十人ほどと、看護婦を百人ほどと。」
「あたしは、そんなことなんかしてもらいたかないの、あたし、あなた一人にしてもらいたいの。」
「つまり、俺が一人で、十人の博士の真似と、百人の看護婦と、百万円の頭取の真似をしろって言うんだね。」
「あたし、そんなことなんか言ってやしない。あたし、あなたにじっと傍にいてもらえば安心出来るの。」
「そら見ろ、だから、少々は俺の顔が顰んだり、文句を言ったりするぐらいは我慢しろ。」
「あたし、死んだら、あなたを怨んで怨んで怨んで、そして死ぬの。」
「それぐらいのことなら、平気だね。」
 妻は黙ってしまった。しかし、妻はまだ何か彼に斬りつけたくてならないように、黙って必死に頭を研ぎ澄しているのを彼は感じた。
 しかし彼は、彼女の病勢を進ます彼自身の仕事と生活のことを考えねばならなかった。だが、彼は妻の看病と睡眠の不足から、だんだんと疲れて来た。彼は疲れれば疲れるほど、彼の仕事が出来なくなるのは分っていた。彼の仕事が出来なければ出来ないほど、彼の生活が困り出すのも定っていた。それにもかかわらず、昂進して来る病人の費用は、彼の生活の困り出すのに比例して増して来るのは明らかなことであった。しかも、なお、いかなることがあろうとも、彼がますます疲労して行くことだけは事実である。
 --それなら俺は、どうすれば良いのか。
 --もうここらで俺もやられたい。そうしたら、俺は、なに不足なく死んでみせる。
 彼はそう思うことも時々あった。しかし、また彼は、この生活の難局をいかにして切り抜けるか、その自分の手腕を一度はっきり見たくもあった。彼は夜中起されて妻の痛む腹を擦りながら、
「なお、憂きことの積れかし、なお憂きことの積れかし。」
 と呟くのが癖になった。ふと彼はそういう時、茫々とした青い羅紗の上を、撞かれた球がひとり瓢々として転がって行くのが目に浮んだ。
 --あれは俺の玉だ。しかし、あの俺の玉を、誰がこんなにでたらめに突いたのか。
「あなた、もっと、強く擦ってよ、あなたは、どうしてそうめんどうくさがりになったのでしょう。もとはそうじゃなかったわ。もっと親切に、あたしのお腹を擦って下さったわ。それだのに、このごろは、ああ痛、ああ痛。」と彼女は言った。
「俺もだんだん疲れて来た。もうすぐ、俺も参るだろう。そうしら、二人がここでのんきに寝転んでいようじゃないか。」
 すると、彼女は急に静かになって、床の下から鳴き出した虫のような憐れな声で呟いた。
「あたし、もうあなたにさんざわがままを言ったわね。もうあたし、これでいつ死んだっていいわ。あたし満足よ。あなた、もう寝て頂載な。あたし我慢をしているから。」
 彼はそう言われると、不覚にも涙が出て来て、撫でている腹の手を休める気がしなくなった。

 庭の芝生が冬の潮風に枯れて来た。硝子戸は終日辻馬車の扉のようにがたがたと慄えていた。もう彼は家の前に、大きな海のひかえているのを長い間忘れていた。

 ある日彼は医者のところへ妻の薬をもらいに行った。
「そうそう。もっと前からあなたに言おう言おうと思っていたんですが、」
 と医者は言った。
「あなたの奥さんは、もう駄目ですよ。」
「はア。」
 彼は自分の顔がだんだん蒼ざめて行くのをはっきりと感じた。
「もう左の肺がありませんし、それに右も、もうよほど進んでおります。」
 彼は海浜に添って、車に揺られながら荷物のように帰って来た。晴れ渡った明るい海が、彼の顔の前で死をかくまっている単調な幕のように、だらりとしていた。彼はもうこのまま、いつまでも妻を見たくないと思った。もし見なければ、いつまでも妻が生きているのを感じていられるにちがいないのだ。
 彼は帰るとすぐ自分の部屋へはいった。そこで彼は、どうすれば妻の顔を見なくて済まされるかを考えた。彼はそれから庭へ出ると芝生の上へ寝転んだ。身体が重くぐったりと疲れていた。涙が力なく流れて来ると彼は枯れた芝生の葉を丹念にむしっていた。
「死とは何だ。」
 ただ見えなくなるだけだ、と彼は思った。しばらくして、彼は乱れた心を整えて妻の病室へはいっていった。
 妻は黙って彼の顔を見詰めていた。
「何か冬の花でもいらないか。」
「あなた、泣いていたのね。」と妻は言った。
「いや。」
「そうよ。」
「泣く理由がないじゃないか。」
「もう分っていてよ。お医者さんが何か言ったのね。」
 妻はそうひとり定めてかかると、別に悲しそうな顔もせずに黙って天井を眺め出した。彼は妻の枕元の籐椅子に腰を下ろすと、彼女の顔をあらためて見覚えておくようにじっと見た。
 --もうすぐ、二人の間の扉は閉められるのだ。
 --しかし、彼女も俺も、もうどちらもお互いに与えるものは与えてしまった。今は残っているものは何物もない。
 その日から、彼は彼女の言うままに機械のように動き出した。そうして、彼は、それが彼女に与える最後の餞別だと思っていた。
 ある日、妻はひどく苦しんだ後で彼に言った。
「ね、あなた、今度モルヒネを買って来てよ。」
「どうするんだね。」
「あたし、飲むの。モルヒネを飲むと、もう眼が覚めずにこのままずっと眠ってしまうんですって。」
「つまり、死ぬことかい?」
「ええ、あたし、死ぬことなんかちょっとも恐かないわ。もう死んだら、どんなにいいかしれないわ。」
「お前も、いつの間にか豪くなったものだね。そこまで行けば、もう人間もいつ死んだって大丈夫だ。」
「でも、あたしね、あなたに済まないと思うのよ。あなたを苦しめてばっかりいたんですもの。御免なさいな。」
「うむ、」と彼は言った。
「あたし、あなたのお心はそりゃよく分っているの。だけど、あたし、こんなにわがままを言ったのも、あたしが言うんじゃないわ。病気が言わすんだから。」
「そうだ。病気だ。」
「あたしね、もう遺言も何も書いてあるの。だけど、今は見せないわ。あたしの床の下にあるから、死んだら見て頂戴。」
 彼は黙ってしまった。--事実は悲しむべきことなのだ。それに、まだ悲しむべきことを言うのは、やめてもらいたいと彼は思った。

 花壇の石の傍で、ダリヤの球根が掘り出されたまま霜に腐っていった。亀に代ってどこからか来た野の猫が、彼の空いた書斎の中をのびやかに歩き出した。妻はほとんど終日苦しさのために何も言わず黙っていた。彼女は絶えず、水平線を狙って海面に突出している遠くの光

った岬ばかりを眺めていた。
 彼は妻の傍で、彼女に課せられた聖書を時々読み上げた。
「エホバよ、願わくば忿恚(いきどおり)をもて我をせめ、烈しき怒りをもて懲らしめたもうなかれ。エホバよ、われを憐れみたまえ、われ萎み衰うなり。エホバよわれを医したまえ、わが骨わななき震う。わが霊魂さえも甚くふるいわななく。エホバよ、かくて幾その時をへたもうや。死にありては汝を思い出ずることもなし。」
 彼は妻の啜り泣くのを聞いた。彼は聖書を読むのをやめて妻を見た。
「お前は、今何を考えているんだね。」
「あたしの骨はどこへ行くんでしょう。あたし、それが気になるの。」
 --彼女の心は、今、自分の骨を気にしている。--彼は答えることが出来なかった。
 --もう駄目だ。
 彼は頭を垂れるように心を垂れた。すると、妻の眼から涙が一層激しく流れて来た。
「どうしたんだ。」
「あたしの骨の行き場がないんだわ。あたし、どうすればいいんでしょう。」
 彼は答えの代りにまた聖書を急いで読み上げた。
「神よ、願わくば我を救い給え。大水ながれ来たりて我たましいにまで及べり、われ立止なき深き泥の中に沈めり。われ深水におちいる。おお水わが上を溢れ過ぐ。われ歎きによりて疲れたり。わが喉はかわき、わが目はわが神を待ちわびて衰えぬ。」

 彼と妻とは、もう萎れた一対の茎のように、日々黙って並んでいた。しかし、今は、二人は完全に死の準備をしてしまった。もう何ごとが起ろうとも恐がるものはなくなった。そうして、彼の暗く落ちついた家の中では、山から運ばれて来る水甕の水が、いつも静まった心のように清らかに満ちていた。

 彼の妻の眠っている朝は、朝ごとに、彼は海面から頭を抬げる新しい陸地の上を素足で歩いた。前夜満潮に打ち上げられた海草は冷たく彼の足にからまりついた。時には、風に吹かれたようにさ迷い出て来た海辺の童児が、生々しい緑の海苔にすべりながら岩角をよじ登っていた。
 海面にはだんだん自帆が増していった。海際の白い道が日増しに賑やかになって来た。ある日、彼のところヘ、知人から思わぬスイトピーの花束が岬を廻って届けられた。
 長らく寒風にさびれ続けた家の中に、初めて早春が匂やかに訪れて来たのである。
 彼は花粉にまみれた手で花束を捧げるように持ちながら、妻の部屋へはいっていった。
「とうとう、春がやって来た。」
「まァ、綺麗だわね。」と妻は言うと、微笑みながら痩せ衰えた手を花の方へ差し出した。
「これは実に綺麗じゃないか。」
「どこから来たの。」
「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ。」
 妻は彼から花束を受けると両手で胸いっぱいに抱きしめた。そうして、彼女はその明るい花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚として眼を閉じた。

大正15年8月
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底本:「機械・春は馬車に乗って」新潮文庫、新潮社  1969(昭和44)年8月20日発行
初出:「女性」(大正15年8月号)   
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「春は馬車に乗って」の結末部分について討議
(1)作品を読んだ感動と現実に当惑する読者
h:横光利一の妻キミは、大正15年6月24日に23歳でなくなっている。「春は馬車に乗つて」は「女性」(同年8月号)に掲載されているが、横光が執筆した時点では妻はまだ病床にあった。
 こうした、伝記的事実を知るものや、横光の「蛾はどこにでもいる」(「文芸春秋」大正15年10月)、「花園の思想」(「改造」昭和2年2月)の著作を知るものには、花に顔を埋め「恍惚として目を閉ぢた」ことが妻の死を描いたものではないと読めるが、これらを知らない読者は結末の表現を「死」の瞬間と読解するのが普通である。
t:「春は馬車に乗つて」を読んで夫婦愛と美化された死に感動した学生に、時間的事実を知らせると「感動を返してほしい」というような幻滅の感想がでてくる。作家として、どこか一行でも、結末の表現が「死」意味するのではないということを記述する必要を感じなかったのだろうか。
y:明治期にベストセラーになった「不如帰」(明治31~32年)の病床にある浪子挿絵を見たことがありますが、衰弱の極みでした。痛々しい姿。「春は馬車に乗つて」は枯れて弱っていくダリアの花で衰弱を象徴的に描いていますよね。この当時は治癒が絶望的な病気ですから。
h:このスイートピーの花ですけど、誰かから具体的に届けられたのではないかと思ったんです。例えば菊池寛とか。妻の死の瞬間より、このスートピーで得た束の間の幸福感、春というものでしょうか、それを表現した小説ではないかと考えたわけです。
y:スイートピーがどこから届けられたかを論じた論文でもあると面白いですね。
t:読者に結末をゆだねる書き方としても、すっきりしません。
(2)夫婦間の愛は描かれているか
t:妻はスイートピーの花のように可愛らしいだけに描かれているし、夫の方も病床にある妻を励ますような言葉がありません。人生を一緒に生きていく気持ちにかけているように読みました。
t:確かに、妻の病気に巻き込まれて、余裕のない子供のようなところがありますね。妻への愛があるとしてそれをどのように表せばいいのでしょうか。一緒に死ぬとか。
藤澤:一緒に死ぬことが愛ではないと思います。妻がしてほしいようにしてあげることだと思います。
八木:この夫はそれをしていないでしょうか。若い夫婦なら、こんなものかもしれないと。結婚までのいきさつや、病気になるまでの夫婦仲も影響するでしょうし。
f:確かに鳥の内臓を買いに出かけたり、聖書を読んであげたり、言葉の表現とは別に行動では愛を示していますね。若い学生の反応が思ったよりいいことが何を意味するのか面白いことは面白いのですが。
http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~yagi/study/REPO_113.html

2009年2月 4日 (水)

花園の思想   横光利一

       一

 丘の先端の花の中で、透明な日光室が輝いていた。バルコオンの梯子(はしご)は白い脊骨のように突き出ていた。彼は海から登る坂道を肺療院の方へ帰って来た。彼はこうして時々妻の傍(そば)から離れると外を歩き、また、妻の顔を新しく見に帰った。見る度(たび)に妻の顔は、明確なテンポをとって段階を描きながら、克明に死線の方へ近寄っていた。――山上の煉瓦(れんが)の中から、不意に一群の看護婦たちが崩(くず)れ出(だ)した。
「さようなら。」
「さようなら。」
「さようなら。」
 退院者の後を追って、彼女たちは陽(ひ)に輝いた坂道を白いマントのように馳(か)けて来た。彼女たちは薔薇(ばら)の花壇の中を旋回すると、門の広場で一輪の花のような輪を造った。
「さようなら。」
「さようなら。」
「さようなら。」
 芝生の上では、日光浴をしている白い新鮮な患者たちが坂に成った果実のように累々(るいるい)として横たわっていた。
 彼は患者たちの幻想の中を柔かく廊下へ来た。長い廊下に添った部屋部屋の窓から、絶望に光った一列の眼光が冷たく彼に迫って来た。
 彼は妻の病室のドアーを開けた。妻の顔は、花瓣に纏(まと)わりついた空気のように、哀れな朗かさをたたえて静まっていた。
 ――恐らく、妻は死ぬだろう。
 彼は妻を寝台の横から透(す)かしてみた。罪と罰とは何もなかった。彼女は処女を彼に与えた満足な結婚の夜の美しさを回想しているかのように、端整な青い線をその横顔(プロフィール)の上に浮べていた。

       二

 彼と妻との間には最早(もはや)悲しみの時機(じき)は過ぎていた。彼は今まで医者から妻の死の宣告を幾度聞かされたか分らなかった。その度に彼は医者を変えてみた。彼は最後の努力で彼の力の及ぶ限り死と戦った。が、彼が戦えば戦うほど、彼が医者を変えれば変えるほど、医者の死の宣告は事実と一緒に明克(めいこく)の度を加えた。彼は萎(しお)れてしまった。彼は疲れてしまった。彼は手を放したまま呆然(ぼうぜん)たる蔵(くら)のように、虚無の中へ坐り込んだ。そうして、今は、二人は二人を引き裂く死の断面を見ようとしてただ互に暗い顔を覗(のぞ)き合(あわ)せているだけである。丁度、二人の眼と眼の間に死が現われでもするかのように。彼は食事の時刻が来ると、黙って匙(さじ)にスープを掬(すく)い、黙って妻の口の中へ流し込んだ。丁度、妻の腹の中に潜んでいる死に食物を与えるように。
 あるとき、彼は低い声でそっと妻に訊(たず)ねてみた。
「お前は、死ぬのが、ちょっとも怖(こわ)くはないのかね。」
「ええ。」と妻は答えた。
「お前は、もう生きたいとは、ちょっとも思わないのかね。」
「あたし、死にたい。」
「うむ。」と彼は頷(うなず)いた。
 二人には二人の心が硝子(ガラス)の両面から覗き合っている顔のようにはっきりと感じられた。

       三

 今は、彼の妻は、ただ生死の間を転っている一疋(いっぴき)の怪物だった。あの激しい熱情をもって彼を愛した妻は、いつの間にか尽(ことごと)く彼の前から消え失せてしまっていた。そうして、彼は? あの激しい情熱をもって妻を愛した彼は、今は感情の擦(す)り切(き)れた一個の機械となっているにすぎなかった。実際、この二人は、その互に受けた長い時間の苦痛のために、もう夫婦でもなければ人間でもなかった。二人の眼と眼を経だてている空間の距離には、ただ透明な空気だけが柔順に伸縮しているだけである。その二人の間の空気は死が現われて妻の眼を奪うまで、恐らく陽が輝けば明るくなり、陽が没すれば暗くなるに相違ない。二人にとって、時間は最早愛情では伸縮せず、ただ二人の眼と眼の空間に明暗を与える太陽の光線の変化となって、露骨に現われているだけにすぎなかった。それは静かな真空のような虚無であった。彼には横たわっている妻の顔が、その傍の薬台や盆のように、一個の美事な静物に見え始めた。
 彼は二人の間の空間をかつての生き生きとした愛情のように美しくするために、花壇の中からマーガレットや雛罌粟(ひなげし)をとって来た。その白いマーガレットは虚無の中で、ほのかに妻の動かぬ表情に笑を与えた。またあの柔かな雛罌粟が壺にささって微風に赤々と揺(ゆ)らめくと、妻はかすかな歎声を洩(もら)して眺めていた。この四角な部屋に並べられた壺や寝台や壁や横顔(プロフィール)や花々の静まった静物の線の中から、かすかな一条の歎声が洩れるとは。彼は彼女のその歎声の秘められたような美しさを聴くために、戸外から手に入る花という花を部屋の中へ集め出した。
 薔薇は朝毎に水に濡れたまま揺れて来た。紫陽花(あじさい)と矢車草(やぐるまそう)と野茨(のいばら)と芍薬(しゃくやく)と菊と、カンナは絶えず三方の壁の上で咲いていた。それは華(はな)やかな花屋のような部屋であった。彼は夜ごとに燭台に火を付けると、もしかしたらこっそりこの青ざめた花屋の中へ、死の客人が訪れていはしまいかと妻の寝顔を覗き込んだ。すると、或(あ)る夜不意に妻は眼を開けて彼にいった。
「あなた、私が死んだら、幸福になるわね。」
 彼は黙って妻の顔を眺めていた。そして、彼は自分の寝床へ帰って来ると憂鬱(ゆううつ)に蝋燭の火を吹き消した。

       四

 彼は自分の疲れを慰めるために、彼の眼に触れる空間の存在物を尽(ことごと)く美しく見ようと努力し始めた。それは彼の感情のなくなった虚無の空間へ打ち建てらるべきただ一つの生活として、彼に残されていたものだった。
 彼は彼の寝床を好んだ。寝床は妻の寝室と同じであるとしても、軽症者の静臥(せいが)すべきベランダにあった。ベランダは花園の方を向いていた。彼はこのベランダで夜中眼が醒(さ)める度に妻より月に悩まされた。月は絶えず彼の鼻の上にぶらさがったまま皎々(こうこう)として彼の視線を放さなかった。その海の断面のような月夜の下で、花園の花々は絶えず群生した蛾(が)のようにほの白い円陣を造っていた。そうして月は、その花々の先端の縮れた羊のような皺(しわ)を眺めながら、蒼然(そうぜん)として海の方へ渡っていった。
 そういう夜には、彼はベランダからぬけ出し夜の園丁(えんてい)のように花の中を歩き廻った。湿った芝生に抱かれた池の中で、一本の噴水が月光を散らしながら周囲の石と花とに戯(たわむ)れていた。それは穏かに庭で育った高価な家畜のような淑(しと)やかさをもっていた。また遠く入江を包んだ二本の岬(みさき)は花園を抱いた黒い腕のように曲っていた。そうして、水平線は遙か一髪の光った毛のように月に向って膨(ふく)らみながら花壇の上で浮いていた。
 こういうとき、彼は絶えず火を消して眠っている病舎の方を振り返るのが癖(くせ)である。すると彼の頭の中には、無数の肺臓が、花の中で腐りかかった黒い菌のように転がっている所が浮んで来る。恐らくその無数の腐りかかった肺臓は、低い街々の陽(ひ)のあたらぬ屋根裏や塵埃溜(ごみため)や、それともまたは、歯車の噛(か)み合(あ)う機械や飲食店の積み重なった器物の中へ、胞子を無数に撒(ま)きながら、この丘の花園の中へ寄り集って来たものに相違ない。しかし、これらの憐れにも死に逝(ゆ)く肺臓の穴を防ぎとめ、再び生き生きと活動させて巷(ちまた)の中へ送り出すここの花園の院長は、もとは、彼の助けているその無数の腐りかかった肺臓のように、死を宣告された腐った肺臓を持っていた。一の傷ついた肺臓が、自身の回復した喜びとして、その回復期の続く限り、無数の傷ついた肺臓を助けて行く。これが、この花園の中で呼吸している肺臓の特種な運動の体系であった。

       五

 ここの花園の中では、新鮮な空気と日光と愛と豊富な食物と安眠とが最も必要とされていた。ここでは夜と雲とが現われない限り、病舎に影を投げかけるものは屋根だけだった。食物は海と山との調味豊かな品々が時に従って華やかな色彩で食慾を増進させた。空気は晴れ渡った空と海と山との三色の緑の色素の中から湧(わ)き上(あが)った。物音とてはしんしんと耳の痛む静けさと、時には娯楽室からかすかに上るミヌエットと、患者の咳(せき)と、花壇の中で花瓣の上に降りかかる忍びやかな噴水の音ぐらいにすぎなかった。そうして、愛は? 愛は都会の優れた医院から抜擢(ばってき)された看護婦たちの清浄な白衣の中に、五月の徴風のように流れていた。
 しかし、愛はいつのときでも曲者(くせもの)である。この花園の中でただ無為に空と海と花とを眺めながら、傍近く寄るものが、もしも五月の微風のように爽(さわや)かであったなら、そこに柔かな愛慾の実のなることは明かな物理である。しかし、ここの花園では愛恋は毒薬であった。もしも恋慕が花に交って花開くなら、やがてそのものは花のように散るであろう。何(な)ぜなら、この丘の空と花との明るさは、巷の恋に代った安らかさを病人に与えるために他ならない。もしも彼らの間に恋の花が咲いたなら、間もなく彼らを取り巻く花と空との明るさはその綿々(めんめん)とした異曲のために曇るであろう。だが、この空と花との美しき情趣の中で、華やかな女のさざめきが微笑のように迫るなら、愛慾に落ちないものは石であった。このためここの白い看護婦たちは、患者の脈を験(しら)べる巧妙な手つきと同様に、微笑と秋波(しゅうは)を名優のように整頓しなければならなかった。しかし、彼女たちといえども一対の大きな乳房をもっていた。病舎の燈火が一斉に消えて、彼女たちの就寝の時間が来ると、彼女らはその厳格な白い衣を脱ぎ捨て、化粧をすませ、腰に色づいた帯を巻きつけ、いつの間にかしなやかな寝巻姿の娘になった。だが娘になった彼女らは、皆ことごとく疲れと眠さのため物憂(ものう)げに黙っていた。それは恋に破れた娘らがどことなく人目を憚(はばか)るあの静かな悩ましさをたたえているかのように。或るものはその日の祈りをするために跪(ひざまず)き、或るものは手紙を書き、或るものは物思いに沈み込み、また、ときとしては或るものは、盛装をこらして火の消えた廊下の真中にぼんやりと立っていた。恐らく彼女らにはその最も好む美しき衣物を着る時間が、眠るとき以外にはないのであろう。
 或る夜、彼女らの一人は、夜更(ふ)けてから愛する男の病室へ忍び込んで発見された。その翌日、彼女は病院から解雇された。出て行くとき彼女は長い廊下を見送る看護婦たちにとりまかれながら、いささかの羞(は)ずかしさのために顔を染めてはいたものの、傲然(ごうぜん)とした足つきで出ていった、それは丁度、長い酷使と粗食との生活に対して反抗した模範を示すかのように。その出て行くときの彼女の礼節を無視した様子には、確(たしか)に、長らく彼女を虐(いじ)めた病人と病院とに復讎(ふくしゅう)したかのような快感が、悠々(ゆうゆう)と彼女の肩に現われていた。

       六

 梅雨期が近づき出すと、ここの花園の心配はこの院内のことばかりではなくなって来た。麓(ふもと)の海村には、その村全体の生活を支えている大きな漁場がひかえていた。上に肺病院を頂(いただ)いた漁場の魚の売れ行きは拡大するより、縮小するのが、より確実な運命にちがいない。麓の活躍した心臓を圧迫するか、頂の死(し)に逝(ゆ)く肺臓を黙殺するか、この二つの背反に波打って村は二派に分れていた。既に決定せられたがように、譬(たと)えこの頂きに療院が許されたとしても、それは同時に尽(ことごと)くの麓の心臓が恐怖を忘れた故ではなかった。
 間もなく、これらの腐敗した肺臓を恐れる心臓は、頂の花園を苦しめ出した。彼らは花園に接近した地点を撰ぶと、その腐敗した肺臓のために売れ残って腐り出しただけの魚の山を、肥料として積み上げた。忽(たちま)ち蠅(はえ)は群生して花壇や病舎の中を飛び廻った。病舎では、一疋の蠅は一挺(いっちょう)のピストルに等しく恐怖すべき敵であった。院内の窓という窓には尽く金網が張られ出した。金槌(かなづち)の音は三日間患者たちの安静を妨害した。一日の混乱は半カ月の静養を破壊する。患者たちの体温表は狂い出した。
 しかし、この肺臓と心臓との戦いはまだ続いた。既に金網をもって防戦されたことを知った心臓は、風上から麦藁(むぎわら)を燻(くす)べて肺臓めがけて吹き流した。煙は道徳に従うよりも、風に従う。花壇の花は終日濛々(もうもう)として曇って来た。煙は花壇の上から蠅を追い散らした勢力よりも、更に数倍の力をもって、直接腐った肺臓を攻撃した。患者たちは咳(しわぶ)き始めた。彼らの一回の咳は、一日の静養を掠奪する。病舎は硝子戸(ガラスど)で金網の外から密閉された。部屋には炭酸瓦斯(ガス)が溜り出した。再び体温表が乱れて来た。患者の食慾が減り始めた。人々はただぼんやりとして硝子戸の中から空を見上げているだけにすぎなかった。
 こうして、彼の妻はその死期の前を、花園の人々に愛されただけ、眼下の漁場に苦しめられた。しかし、花園は既にその山上の優れた位地を占めた勝利のために、何事にも黙っていなければならなかった。彼の妻は日々一層激しく咳き続けた。

       七

 こういう或る日、彼はこっそり副院長に別室へ呼びつけられた。
「お気の毒ですが、多分、あなたの奥様は、」
「分りました。」と彼はいった。
「この月いっぱいだろうと思いますが……」
「ええ。」
「私たちは出来るだけのことをやったのですが。……何分……」
「どうも、いろいろ御迷惑をおかけしまして、」
「いや……それから、もし御親戚の方々をお呼びなさいますなら、一時にどっと来られませんように。」
「承知しました。」
「長い間でお疲れでございましょう。」
「いや。」
 彼はいつの間にか廊下の真中まで来てひとり立っていた。忘れていた悲しみが、再び強烈な匂(におい)のように襲って来た。
 彼は妻の病室の方へ歩き出した。
 ――しかし、これは、事実であろうか。
 彼はまた立ち停った。セロのガボットが華やかに日光室から聞えて来た。
 ――しかし、よし譬(たと)え、明かに、事実は妻を死の中へ引(ひ)き摺(ず)り込もうとしているとしても、果して、事実は常に事実であろうか。
 ――嘘(うそ)だ。と彼は思った。
 彼は、総(すべ)ての自分の感覚を錯覚だと考えた。一切の現象を仮象(かしょう)だと考えた。
 ――何故にわれわれは、不幸を不幸と感じなければならないのであろう。
 ――何故にわれわれは、葬礼を婚礼と感じてはいけないのであろう。
 彼はあまりに苦しみ過ぎた。彼はあまりに悪運を引き過ぎた。彼はあまりに悲しみ過ぎた、が故に、彼はそのもろもろの苦しみと悲しみとを最早偽(いつわ)りの事実としてみなくてはならなかった。
 ――間もなく、妻は健康になるだろう。
 ――間もなく、二人は幸福になるだろう。
 彼はこのときから、突如として新しい意志を創り出した。彼はその一個の意志で、総(あら)ゆる心の暗さを明るさに感覚しようと努力し始めた。もう彼にとって、長い間の虚無は、一睡の夢のように吹き飛んだ。
 彼は深い呼吸をすると、快活に妻のベッドの傍へ寄っていった。
「おい、お前は死ぬことを考えているんだろう。」
 妻は彼を見て頷(うなず)いた。
「だが、人間は死ぬものじゃないんだ。死んだって、死ぬなんてことは、そんなことは何んでもない。分ったね。」――無論、何をいっているのか彼にも分らなかった。
 妻は冷淡な眼で彼を見詰めたまま黙っていた。
「お前は俺(おれ)よりも、そんなことは良く知っているだろう。死ぬなんていうことは、下らない、何んでもない、馬鹿馬鹿しいことなんだ。」
「あたし、もうこれ以上苦しむのは、いや。」と妻はいった。
「そりゃ、そうだ。苦しむなんて、馬鹿な話だ。しかし、生きているからって、お前は俺に気がねする必要は、少しもないんだ。」
「あたし、あなたより、早く死ぬから、嬉しいの。」と彼女はいった。
 彼は笑い出した。
「お前も、うまいことを考えたね。」
「あたしより、あなたの方が、可哀想(かわいそう)だわ。」
「そりゃ、定(き)まってる。俺の方が馬鹿を見たさ。だいたい、人間が生きているなんていうことからして、下らないよ。こんなにぶらぶらして、生きていたって、始まらないじゃないか。お前も、もう死ぬがいい、うむ?」
「うむ、」と妻は頷いた。
「俺だって、もう直ぐ死ぬんさ。こんな所に、ぐずぐず生きてなんか、いたかない。お前も、うまいことをしたもんさ。」
 妻は彼を見てかすかに笑い出した。
「あたし、ただ、もうちょっと、この苦しさが少なければ、生きていてもいいんだけど。」
「馬鹿な。生きていたって、仕様(しよう)がないじゃないか、いったい、これから、何をしようっていうんだ。もう俺もお前もするだけのことは、すっかりしてしまったじゃないか。思い出してみるがいい。」
「そうだわね。」と妻は言った。
「そうさ、もう大きな顔をして、死んでもいいよ。」
 妻は彼の顔から彼の心理の変化を見届けようとするように、黙って彼の顔を見詰めていた。
「お前は何だか淋しそうだ。お前のお母さんを、呼んでやろうか。」
「もういい、あなたが傍(そば)にいて下されば、あたし誰にも逢(あ)いたかない。」と妻はいった。
「そうか、じゃ、」と彼はいって直ぐ彼女の母に来るようにと手紙を書いた。

       八

 その翌日から妻の顔は急に水々しい水蜜(すいみつ)のような爽(さわや)かさを加えて来た。妻は絶えず、窓いっぱいに傾斜している山腹の百合(ゆり)の花を眺めていた。彼は部屋の壁々に彼女の母の代りに新しい花を差し添えた。シクラメンと百合の花。ヘリオトロオプと矢車草(やぐるまそう)。シネラリヤとヒアシンス。薔薇(ばら)とマーガレットと雛罌粟(ひなげし)と。
「お前の顔は、どうしてそう急に美しくなったのだろう。お前は十六の娘のようだ。お前はいっぱいのスープも飲まないくせに、まるで鶏(にわとり)の十五、六羽もやっつけたような顔をしている。不思議な奴だ。さては、俺の知らぬ間に、こっそりやったと見えるな。」
「あの百合の花を、この部屋から出して。」と妻はいった。
 百合の匂いは他の花の匂いを殺してしまう。――
「そうだ、この花は、英雄だ。」
 彼は百合を攫(つか)むと部屋の外へ持ち出した。が、さて捨てるとなると、その濡れたように生き生きとした花粉の精悍(せいかん)な色のために、捨て処がなくなった。彼は小猫を下げるように百合の花束をさげたまま、うろうろ廊下を廻って空虚の看護婦部屋を覗(のぞ)いてみた。壁に挾まれた柩(ひつぎ)のような部屋の中にはしどけた帯や野蛮なかもじが蒸された空気の中に転げていた。まもなくここで、疲れた身体を横たえるであろう看護婦たちに、彼は山野の清烈な幻想を振(ふ)り撒(ま)いてやるために、そっと百合の花束を匂い袋のように沈めておいて戻って来た。

       九

 山の上では、また或る日拗(しつこ)く麦藁(むぎわら)を焚(た)き始めた。彼は暇をみて病室を出るとその火元の畠の方へいってみた。すると、青草の中で、鎌(かま)を研(と)いでいた若者が彼を仰いだ。
「その火は、いつまで焚くんです?」と彼は訊(き)いた。
「これだけだ。」と若者はいいながら火のついた麦藁を鎌で示した。
「その火は焚かなくちゃ、いけないものですか。」
 若者は黙って一握りの青草に刃(は)をあてた。
「僕の家内は、この煙りのために、殺されるんです。焚かないですませるものなら、やめてくれ給え。」
 彼は若者の答えを待たずに、裏山から漁場の方へ降りていった。扁平(へんぺい)な漁場では、銅色(あかがねいろ)の壮烈な太股(ふとまた)が、林のように並んでいた。彼らは折からの鰹(かつお)が着くと飛沫(ひまつ)を上げて海の中へ馳(か)け込(こ)んだ。子供たちは砂浜で、ぶるぶる慄(ふる)える海月(くらげ)を攫(つか)んで投げつけ合った。舟から樽が、太股が、鮪(まぐろ)と鯛(たい)と鰹が海の色に輝きながら溌溂(はつらつ)と上って来た。突如として漁場は、時ならぬ暁のように光り出した。毛の生えた太股は、魚の波の中を右往左往に屈折した。鯛は太股に跨(またが)られたまま薔薇色の女のように観念し、鮪は計画を貯えた砲弾のように、落ちつき払って並んでいた。時々突っ立った太股の林が揺らめくと、射し込んだ夕日が、魚の波頭で斬(き)りつけた刃のように鱗光(りんこう)を閃(ひら)めかした。
 彼は魚の中から丘の上を仰いで見た。丘の花壇は、魚の波間に忽然(こつぜん)として浮き上った。薔薇と鮪と芍薬(しゃくやく)と、鯛とマーガレットの段階の上で、今しも日光室の多角な面が、夕日に輝きながら鋭い光鋩(こうぼう)を眼のように放っていた。
「しかし、この魚にとりまかれた肺病院は、この魚の波に攻め続けられている城である。この城の中で、最初に討死(うちじに)するのは、俺の家内だ。」と彼は思った。
 事実彼にとって、眼前の魚は、煙で彼の妻の死を早めつつある無数の勇敢な敵であった。と同時に、彼女にとっては、魚は彼女の苦痛な時期をより縮めんとしている情(なさけ)ある医師でもあった。彼には、あの砲弾のような鮪の鈍重な羅列(られつ)が、急に無意味な意味を含めながら、黒々と沈黙しているように見えてならなかった。

       十

 この日から、彼は、彼の妻を苦しめているものは事実果してこの漁場の魚か花園の花々か、そのどちらであろうかと迷い出した。何故なら彼女が花園にある限り、彼女の苦しい日々は、恐らく魚の吐き出す煙があるよりも、長く続いて行くにちがいなかったからである。
 その夜の回診のとき、彼の妻は自分の足を眺めながら医師に訊(たず)ねた。
「先生、私の足、こんなに膨(ふく)れて来て、どうしたんでございましょう。」
「いや、それは何んでもありません。御心配なさいますな。何んでもありませんから。」と医師は誤魔化(ごまか)した。
 ――水が足に廻り出したのだ。
 ――もう、駄目だ。と彼は思った。
 医師が去ると、彼は電燈を消して燭台に火を点(つ)けた。
 ――さて、何の話をしたものであろう。
 彼は妻の影が、ヘリオトロオプの花の上で、蝋燭(ろうそく)の光りのままに細かく揺れているのを眺めていた。すると、ふと、彼は初めて妻を見たときの、あの彼女のただ彼のみに赦(ゆる)されてあるかのような健(すこや)かな笑顔を思い出した。彼は涙がにじんで来た。彼はソッと妻の上にかがみ込むと、花の匂いの中で彼女の額(ひたい)に接吻した。
「お前は、俺があの汚い二階の紙屑(かみくず)の中に坐っている頃、毎夜こっそり来てくれたろう。」
 妻は黙って頷(うなず)いた。
「俺はあの頃が一番面白かった。お前の明るいお下(さげ)の頭が、あの梯子(はしご)を登った暗い穴の所へ、ひょっこり花車(はなぐるま)のように現われるのさ。すると、俺は、すっかり憂鬱がなくなっちゃって、はしゃぎ廻ったもんだ。とにかく、あの頃は、俺も貧乏していたが、一番愉快だった。あれからは、俺もお前も、若い身空で苦労をした。しかし、まア、いいさ。どっちも、わがままのいい合いをして来たんだからね。それに俺だって、お前に一度もすまぬようなことをして来てないし、お前も俺にあやまるようなことはちっともなかったし、まア、俺たちは、お互に有難がらなくちゃならない夫婦なんだよ。何んだか、そろそろおかしな話になって来たが、とにかく、お前が病気をしたお蔭(かげ)で、俺ももう看護婦の免状位は貰(もら)えそうになって来たし、不幸ということがすっかり分らなくなって来たし、こんな有り難いことはそうやたらにあるもんじゃない。お前も、ゆっくり寝てるがいい。もう少しお前が良くなれば、俺はお前を負(お)んぶして、ここの花園の中を廻ってやるよ。」
「うむ、」と妻は静に頷いた。
 彼は危く涙が出そうになると、やっと眉根で受けとめたまま花壇の中へ降りて来た。彼は群がった夜の花の中へ顔を突き込んだ。すると、涙が溢(あふ)れ出(だ)した。彼は泣きながら冷たい花を次から次へと虫のように嗅ぎ廻った。彼は嗅ぎながら激しい祈りを花の中でし始めた。
「神よ、彼女を救い給え。神よ、彼女を救い給え。」
 彼は一握の桜草(さくらそう)を引きむしって頬(ほお)の涙を拭きとった。海は月出の前で秘めやかに白んでいた。夜鴉(よがらす)が奇怪なカーブを描きながら、花壇の上を鋭い影のように飛び去った。彼は心の鎮(しず)むまで、幾回となく、静な噴水の周囲を悲しみのように廻っていた。

       十一

 その翌朝早くから彼の妻の母が来た。彼女は娘の顔を見ると泣き始めた。
「君坊、どうした。まア、痩(や)せて。もっと早く来ようと思ったんだけど、いろいろ用事があって。」
 彼の妻はいつものような冷淡な顔をして、相手の騒ぐ様子を眺めていた。
「お前、苦しいのかい。おっ母(か)さんはね、毎日お前のことばかり思ってたんだよ。早く来たくって来たくって、しょうがなかったんだけど、皆家のものが病気ばかりしていてね。」
 彼は手紙に書かなかった妻の病状をもう母親に話す気は起らなかった。彼は妻を母親に渡しておいてひとり日光室へ来た。日光室のガラスの中では、朝の患者たちが籐(とう)の寝椅子(ねいす)に横たわって並んでいた。海は岬に抱かれたまま淑(しとや)かに澄んでいた。二人の看護婦が笑いながら現われると、満面に朝日を受けて輝やいている花壇の中へ降りていった。彼女たちの白い着物は真赤な雛罌粟の中へ蹲(しゃが)み込(こ)んだ。と、間もなく、転げるような赤い笑顔が花の中から起って来た。
 彼の横で寝ていた若い女の患者も笑い出した。
「まア、あんなに嬉しそうに。」
「ほんとにね。でも、もうあなたも、すぐあそこをお歩きになれますわ。」と隣りの痩せた婦人がいった。
「そうでございましょうかしら、でも。」
「ええ。ええ、昨日も先生が、そう仰言(おっしゃ)っていられましてよ。」
「あたし、あの露のある芝生の上を、一度歩きたくってしょうがありませんの。」
「そうでございますわね。でも、もう直ぐ、あんなにお笑いになれますわ。」
 看護婦たちはまた花の中から現われると、一枝ずつ花を折った。彼女たちは矢車草の紫の花壇と薔薇の花壇の間を朗かに笑いながら、朝日に絡(からま)って歩いていった。噴水は彼女たちの行く手の芍薬(しゃくやく)の花の上で、朝の虹を平然と噴き上げていた。

       十二

 彼の妻の腕に打たれる注射の数は、日ごとに増していった。彼女の食物は、水だけになって来た。
 或る日の夕暮、彼は露台(バルコオン)へ昇って暮れて行く下の海を見降(みおろ)しながら考えた。
 ――今は、ただ俺は、妻の死を待っているだけなのだ。その暇な時間の中へ、俺はいったい、何を詰め込もうとしているのだろう。
 彼には何も分らなかった。ただ彼は彼を乗せている動かぬ露台(バルコオン)が絶えず時間の上で疾走しつつあるのを感じたにすぎなかった。
 彼は水平線へ半円を沈めて行く太陽の速力を見詰めていた。
 ――あれが、妻の生命を擦(す)り減(へ)らしている速力だ、と彼は思った。
 見る間に、太陽はぶるぶる慄(ふる)えながら水平線に食われていった。海面は血を流した俎(まないた)のように、真赤な声を潜(ひそ)めて静まっていた。その上で、舟は落された鳥のように、動かなかった。
 彼は不意に空気の中から、黒い音のような凶徴(きょうちょう)を感じ出した。彼は急いでバルコオンを降りていった。向うの廊下から妻の母が急いで来た。二人は顔も動かさずに黙って両方へ擦れ違った。
「あのう、ちょっと、」と母は呼びとめた。
 彼は振り向いて黙っていた。
「今夜は、キーボ、危いわね。」
「危い。」と彼はいった。
 二人はそのまま筒(つつ)のような廊下の真中に立ち停っていた。暫(しばら)くして彼は病室の方へ歩き出した。すると、付添いの看護婦がまた近寄って来て彼を呼びとめた。
「あのう、今夜はどうかと思いますの。」
「うむ。」と彼は頷いた。
 彼は病室のドアーを開けると妻の傍へ腰を降ろした。大きく開かれた妻の眼は、深い水のように彼を見詰めたまま黙っていた。
「もう直ぐ、だんだんお前も良くなるよ。」と彼はいった。
 妻は、今はもう顔色に何の返事も浮べなかった。
「お前は疲れているらしいね。ちょっと、一眠りしたらどうだ。」
「あたし、さっき、あなたを呼んだの。」と妻はいった。
「ああ、あれはお前だったのか。俺はバルコオンで、へんに胸がおかしくなった。」
「あなた、あたしの身体をちょっと上へ持ち上げて、何んだか、谷の底ヘ、落ちていくような気がするの。」
 彼は両手の上へ妻を乗せた。
「お前を抱いてやるのも久しぶりだ。そら、いいか。」
 彼は枕を上へ上げてから妻を静かに枕の方へ持ち上げた。
「何んと、お前は軽い奴だろう。まるで、こりゃ花束だ。」
 すると、妻は嬉しさに揺れるような微笑を浮べて彼にいった。
「あたし、あなたに、抱いてもらったのね、もうこれで、あたし、安心だわ。」
「俺もこれで安心した。さア、もう眠るといい。お前は夕べから、ちっとも眠っていないじゃないか。」
「あたし、どうしても眠れないの。あたし、今日は苦しくなければ、うんとお饒舌(しゃべり)したいんだけど。」
「いや、もう黙っているがいい、俺はここについていてやるから、眼だけでも瞑(つむ)っていれば休まるだろう。」
「じゃ、あたし、暫く眠ってみるわ。あなた、そこにいて頂戴。」
「うむ。」と彼はいった。
 妻が眼を閉じると、彼は明りを消して窓を開けた。樹(き)の揺れる音が風のように聞えて来た。月のない暗い花園の中を一人の年とった看護婦が憂鬱に歩いていた。彼は身も心も萎(しお)れていた。妻の母はベランダの窓硝子(ガラス)に頬をあてて立ったまま、花園の中をぼんやりと眺めていた。もう何の成算も消え失(う)せてしまったように。遠くの病舎のカーテンの上で、動かぬ影が萎れていた。時々花壇の花の先端が、闇の中を探る無数の青ざめた手のように揺らめいた。

       十三

 その夜、満潮になると、彼の妻は激しく苦しみ出した。医者が来た。カンフルと食塩とリンゲルが交代に彼女の体内に火を点(つ)けた。しかし、もう、彼女は昨日の彼女のようにはならなかった。ただ最後に酸素吸入器だけが、彼女の枕元で、ぶくぶく泡を立てながら必死の活動をし始めた。
 彼は妻の上へ蔽(おお)い冠(かぶ)さるようにして、吸入器の口を妻の口の上へあてていた。――逃がしはせぬぞ、というかのように、妻の母は娘の苦しむ一息ごとに、顔を顰(しか)めて一緒に息を吐き出した。彼は時々、吸入器の口を妻の口の上から脱(はず)してみた。すると彼女は絶えだえな呼吸をして苦しんだ。
 ――いよいよだ。と彼は思った。
 もし吸入が永久に妻の苦痛を救うものなら、彼は永久にその口を持ち続けていたかった。だが、この眼前の事実のように、吸入がただ彼女の苦しみを続けるためばかりに役立っているのだと思うと、彼は彼女の生命を引きとめようとしている薬材よりも、今は、彼女の生命を縮めた漁場の魚に、始めて好意を持ちたくなった。しかし、医師は法医学に従って、冷然としてなお一本の注射を打とうといい始めた。ただ、生き残っているもののためのみに。
「いや、いや。」と彼の妻は彼より先に医師の言葉を遮(さえぎ)った。
「よしよし、じゃ、もう打つのは止(よ)そう。」
「あなた、もうあたし、駄目なんだから。」と妻はいった。
「いや、まだ、まだ。」
「あたし、苦しい。」
「うむ、もう直ぐ、癒(なお)る。大丈夫だ。」
「どうして、あたしを、死なしてくれないんだろう。」
「そんなことは、いうもんじゃない。」
「こんなに苦しいのに、まだあたしを、苦しめるつもりかしら。」
 今は、彼には彼女の死を希(ねが)う意志が怨(うら)めしかった。
「もうちょっとの辛抱(しんぼう)さ。直き苦しくなくなるよ。」
「あ、もう、あなたの顔が、見えなくなった。」と妻はいった。
 彼は暴風のように眼がくらんだ。妻は部屋の中を見廻しながら、彼の方へ手を出した。彼は、激しい愛情を、彼女の一本の手の中に殺到させた。
「しっかりしろ。ここにいるぞ。」
「うん。」と彼女は答えた。
 彼女の把握力が、生涯の力を籠(こ)めて、彼の手の中へ入り込んで来た。
「あなた、あたし、もう死んでよ。」と妻はいった。
「もうちょっと、待てないか。」と彼はいった。
「あたし、苦しいの。あなたより、さきに死んで、済まないわね。」
 彼は答えの代りに、声を上げて泣き出した。
「あなた、長い間、ほんとに済まなかったわ。御免(ごめん)してね。」
「俺も、お前に、長い間世話になって、すまなかった。」と彼は漸くいった。
 妻は顎(あご)をひいてしっかりと頷いた。
「あたしほど、幸福なものは、なかったわ。あなたは、ひとりぼっちに、なるんだわね。あたしが、死んだら、もうあなたのことを、するものが、誰もいなくなるんだわ。」
 萎れたマーガレットの花の傍から、彼女の母の泣き声が、歓声のように起った。
「キーボ、キーボ。」
「お母さんにもすまなかったわね。勘忍(かんにん)してね。兄さんにも、宜しくいって。それから、皆の人にも。」
「ああ、ああ、心配しないでいいよ、もう直ぐ皆のものが来るよ。」と母はいった。
「あたし、まだ、待たなくちゃならないかしら。苦しいんだけど。」
「もう直ぐだよ。さっき、電話をかけたんだからね、もう直ぐなんだから。」
「あたし、さきへ死ぬわ、もう、苦しくって。」
「よしよし、安心してればいい。何も心配しなくてもいい。」と彼はいった。
 妻は頷くと眼を大きく開いたまま部屋の中を見廻した。一羽の鴉(からす)が、彼と母との啜(すす)り泣(な)く声に交えて花園の上で啼(な)き始めた。すると、彼の妻は、親しげな愛撫の微笑を洩らしながら咳(つぶや)いた。
「まア気の早い、鴉ね、もう啼いて。」
 彼は、妻の、その天晴(あっぱ)れ美事な心境に、呆然(ぼうぜん)としてしまった。彼はもう涙が出なかった。
「さようなら。」と暫くして妻はいった。
「うむ、さようなら。」と彼は答えた。
「キーボ、キーボ。」と母は呼んだ。
 しかし、彼女はもう答えなかった。彼女の呼吸は、ただ大きく吐き出す息ばかりになって来た。彼女の把握力は、刻々落ちていく顎(あご)の動きと一緒に、彼の掌(てのひら)の中で木のように弛(ゆる)んで来た。彼女は動きとまった。そうして、終(つい)に、死は、鮮麗な曙(あけぼの)のように、忽然(こつぜん)として彼女の面上に浮き上った。
 ――これだ。
 彼は暫く、その眼前に姿を現わした死の美しさに、見とれながら、恍惚(こうこつ)として突き立っていた。と、やがて彼は一枚の紙のようにふらふらしながら、花園の中へ降りていった。

初出:「改造」  1927(昭和2)年2月号
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底本:「日輪・春は馬車に乗って 他八篇」岩波文庫、岩波書店 1981(昭和56)年8月17日第1刷発行
底本の親本:「新選横光利一集」改造社 1928(昭和3)年10月15日

2009年2月 3日 (火)

横光利一(よこみつ りいち、1898年3月17日 - 1947年12月30日)

日本の小説家・俳人である。菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として活躍した。本名は横光利一(としかず)。

横光の名を冠したものとして、父の故郷の大分県宇佐市でおこなわれる横光利一俳句大会があるが、これは横光が松尾芭蕉の家系を引くことや(その後の調査で血縁関係はないことが判明)、また本人も数多くの句を作ったところよりきている。

◇ 略歴◇

[] デビュー以前
1898年(明治31年)3月17日、福島県北会津郡東山村大字湯本川向(今の東山温泉)で、父・梅次郎、母・こぎくの長男として生まれる(本籍地は大分県宇佐郡長峰村)。父の鉄道敷設工事の仕事の関係で、千葉県佐倉など各地を転々とする。

多感な少年期の大半は三重県伊賀で過ごし、1904年、母の実家のある三重県阿山郡東柘植村(現伊賀市柘植)に移り、柘植で小学校時代の大半を過ごした。友人に宛てた手紙でも、「やはり故郷と云えば柘植より頭に浮かんで来ません」と記している。

1910年、13歳で三重県第三中学校(現三重県立上野高等学校)入学、スポーツ万能の少年であった。当初は母と姉と共に上野に移り住んで暮らしていたが、後に1人で下宿生活を送る。この頃、近所に住んでいた少女の宮田おかつに淡い恋心を抱き、のちに、下宿時代の初恋の思い出をもとに『雪解』を発表している。このころから志賀直哉に影響を受ける。

1914年、早稲田大学英文科に入学するも文学に傾倒し除籍。再び政治経済学科に入学するも中途退学する。

[] デビュー
1921年頃から菊池寛に師事し、また川端と出会い以後生涯の友となる。処女作「御身」を書くがこの時には発表せずにいる。

1923年、菊池の推挙により同人誌『文芸春秋』同人となる。同5月、同誌にて「蝿」を、『新小説』に「日輪」を発表する。

同9月に関東大震災があったために、この時期に出た作家は震後作家としてもてはやされた。同人仲間・小島勗の妹・君子と結婚する。

[] 新感覚派
1924年、「御身」と「日輪」を刊行。川端とともに、今東光、中河与一、稲垣足穂ら新進作家を糾合して「文藝時代」を創刊する。プロレタリア文学全盛の中、この雑誌は新感覚派の拠点となる。横光は新感覚派の天才と呼ばれるようになる。

1926年、妻・君子を結核によって喪う。このころの二人のことは「春は馬車に乗って」「花園の思想」などに書かれている。翌年、日向千代と再婚。

[] 上海
芥川龍之介の最後の時期に「君は上海に行くべきだ」と言われ、1928年に約1ヶ月上海に滞在する。これにより「上海」を執筆し始める。連作長編の形で執筆されたこの作品は、内容的には1925年の五・三〇事件を背景に、上海における列強ブルジョアジーと中国共産党、押し寄せるロシア革命の波と各国の愛国主義といった諸勢力の闘争を描いた野心作であると同時に、形式的には新感覚派文学の集大成であり、新心理主義への傾倒の兆しもみられる問題作であった。

大正末期から昭和初期のこの頃、芥川をはじめ、吉行エイスケ、村松梢風、金子光晴などが上海を訪れている。また内山完造の経営していた内山書店には魯迅をはじめ、中国や日本の文学者が多く集まっていた。

[] 純粋小説論
1930年、町工場の人間模様を実験的な手法で描いた「機械」を発表する。1932年、新感覚派の集大成というべき「上海」と「寝園」を、1934年には「紋章」を刊行。

翌年、「純文学にして通俗小説、このこと以外に、文藝復興は絶對に有り得ない」と説く「純粋小説論」、それを実行した「家族会議」を発表する。「純粋小説論」はこの頃に翻訳が出たアンドレ・ジッドの「贋金つくり」が影響している。

[] 『旅愁』と戦争の時代
1936年、半年間、ヨーロッパを旅行する。行きの船では高浜虚子や宮崎市定がいて、句会をしばしばひらいていたという。出発直後に二・二六事件が起こる。ヨーロッパではベルリンのオリンピックや、パリでの人民戦線政府への激動を直接体験する。この経験をもとに、翌年から「旅愁」の連載をはじめる。

又、このころから段々と太平洋戦争の影が文学界にも影を落としてくる。世相が戦争に向かう中、国粋主義的傾向を強めてゆき、文芸銃後運動に加わる。

また、1943年3月31日付の、海軍に徴用され報道班員となった書類が残っていて、1943年4月にニューギニア派遣の話が実現寸前までいったが、病気で中止となったと、親しい人に書簡で伝えている。しかし、その前後、1942年の初夏と1943年8月の2度ほど、ラバウル近辺に派遣されていたことが、坂井三郎の証言で明らかになっている。このことにより敗戦後に文壇の戦犯と名指しで非難されることになり、横光の評価を落としていくことになる。

[] 晩年
1945年6月、山形県に疎開。疎開先で健康を害する。敗戦後、帰京。翌年、「旅愁」四篇を刊行する。西洋の思想と日本の古神道との対決を志したこの長編は、盧溝橋事件の勃発までを書いたところで未完に終わってしまった。

1947年、疎開時の日記という体裁をとった小説「夜の靴」発表。絶筆となったのは、母の実家にあったランプを通して青春時代の柘植での思い出を書いた「洋燈(ランプ)」で、執筆中の12月30日、49歳で急性腹膜炎のため死去。

翌年1月3日に葬儀が行なわれる。川端は弔辞で「君の名に傍えて僕の名の呼ばれる習わしも、かえりみればすでに二十五年を越えた」と常に川端の名前が横光の後に挙げられることを述べ、「君に遺された僕のさびしさは君が知ってくれるであらう。君と、最後に会った時、生死の境にたゆたふやうな君の眼差の無限の懐かしさに、僕は生きて二度とほかでめぐりあへるであらうか」と早すぎる別れを惜しんだ。同年、遺作である「微笑」が発表される。

墓は東京都府中市の多磨霊園にある。法名は、光文院釋雨過。

[] 評価
横光の評価は戦後の批判により地に落ちた。だが、1980年代より多面的な検討がなされ、前田愛の「上海」論などが発表された。1981年から刊行された全集が研究を深め、2002年に横光利一事典がでるなど再評価がされつつある。その流れの中で、1987年に見つかった川端康成の初期作品が実は横光利一の作品だと判明して大騒ぎになるなどの珍事もあった。

作品としてみると「蝿」や「ナポレオンと田虫」「上海」など映像を意識した作品が数多くあるが、これは同時代に製作されたソビエト映画「戦艦ポチョムキン」に見られるモンタージュ技法に非常に近いものがある。横光自身も、映画監督の衣笠貞之助と親交があり、新感覚派の文学と映画との近さは指摘されている。画家の佐野繁次郎と親交が深く、本の装丁や新聞や雑誌掲載作品の挿絵を多く佐野に依頼している。

宮沢賢治を高く評価し、賢治没後の最初の全集の刊行に協力したり、また1933年のナチスの焚書に抗議する意味で結成された学芸自由同盟にも参加するなど、多面的な関心を持っていたことも見落とせない。

Kanazono
[] 作品
御身

ナポレオンと田虫
春は馬車に乗つて
上海
日輪
機械
紋章
寝園
家族会議
純粋小説論(評論)
厨房日記
旅愁
夜の靴
微笑

[] 外部リンク
横光 利一:作家別作品リスト(青空文庫)http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person168.html
横光利一文学会ホームページ http://yokomitsu.jpn.org/
横光利一経歴 http://www.horagai.com/www/who/75yokom1.htm

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2009年2月 2日 (月)

横光利一  時間

時間

横光利一

 私達を養っていてくれた座長が外出したまま一週間しても一向に帰って来ないので、或る日高木が座長の残していった行李を開けてみると中には何も這入(はい)っていない。さアそれからがたいへんになった。座長は私達を残して逃げていったということが皆の頭にはっきりし始めると、みなの宿賃をどうしたものか誰にも良い思案が浮んで来ない。そこで宿屋へは私が一同に代って当分まアこのまま皆の者を置かしておいてくれるよう、そのうちに為替がそれぞれ一同のものの郷里(くに)から来ることになっているからといってまた暫くそのまま落ちつくことになった。ところが為替は郷里から来たには来たが来るたびにわっと皆から歓声が上るだけで、結局来た金は来た者だけの金となってそのものがこっそりいつの間にか自分の一番好む女優と一緒に逃げのびていくだけとなって、とうとう最後に八人の男と四人の女とがとり残される始末となった。
 いつも女達が自分にばかり心を向けていると考えたがる癖のある六尺豊かな高木、賭博が三度の食事よりも好きで壺皿の中の賽の目を透視する術ばかり考えている木下、仏さまと皆からいわれている青白くて温和で酒を飲むと必ず障子を舐める癖のある佐佐、それから女の持物を集めたがる少し変態の八木、腕相撲や足相撲が自慢で町へ這入るといつも玉突ばかり探す松木、物を置き忘れたり落したり何んでも忘れることばかり上手な栗木、吝嗇坊(けちんぼ)な癖に借りた物を返すのが嫌いな矢島とそれに私、とこう八人の男と波子、品子、菊江、雪子の女四人のこの総勢十二人の取り残されたものたちには、いつまで待っても為替が来ないというより、そのものらは初めからどこからも金の来るあてがないのでただ為替の来そうなものの金を目あてに残っていたものばかりなんだから、来ない方が道理なので、そこで宿屋の方でももう後はいくら待っても危いと睨んだらしく、それからは残った十二人の者をうのめたかのめで看視し始めた。一方私達はそれぞれもうそうなれば誰かに金が来るよりもいっそのこともう来ない方が良いほどで、来れば必ずそのものだけがこっそりと逃げるに決っているのだから、後に残れば残ったものほど皆の不義理をそれだけ一身に背負っていかねばならぬので、お互に暫くすると今度は誰が逃げ出すだろうかとひそかに看視し合っているほどまでになって来た。しかし、そんな看視をし合ったのも初めの間だけで、そのうちに誰が今度は逃げるだろうかなどとのんきなことを考えるよりもだいいちもうその日の御飯さえただの一度も食べさせてくれなくなったのだから、だんだん皆の顔色までが変って来て、朝から誰も彼も水ばかり飲んではどうしようこうしようと相談ばかりし続けてとどのつまりは皆で一緒に逃げようということにだけは漸く決った。皆で逃げれば一人や二人追っかけて来たって恐くはなし、そのうちにうっかり逃げ遅れて自分一人とり残されたりした日にはどんな目に逢わされないとも限らないのだから誰もかれも今度はかたく一緒に逃げることを誓い合った。しかし、逃げるにしたってただばたばた逃げたのではそれでなくても傭われた土地の壮士の眼について駄目なのだから、銭湯へいくだけは許してくれているのを利用して一番警戒の弛んだ雨の夜に逃げようとか、逃げるなら逃げるに楽な道よりも難所でなければ追手に直ぐつかまってしまうから海を伝っていこうとか、先ずあらかたは決めてしまって一同は雨の降る夜を待つことにしていたのである。

 ところがここに逃げることを相談している一団の次の部屋では、内膜炎で舞台半ばに倒れたままいまだに起き上れない波子が一人寝ているのだ。これをどうしたものだろうかということになると皆も黙ってしまってそのことだけは誰も何ともいい出さず、いずれそのまま捨てておいて逃げるより仕様がないではないかと声にこそ出さないだけで暗黙の中に皆が思っているのは明らかであった。私もそれまでは実際はもう他の十一人のために波子をそうして残しておくより仕様がないと思っていたのであるが、相談がすんでふと波子の傍を通るといきなり彼女は床の中から私の片足に抱きついてしまって放さない。皆が逃げるのなら自分も逃げるからどうぞ一緒に連れて逃げてくれといって泣くのである。それではもう一度皆に相談してやるから先ず足だけ放してくれといってはなだめすかして漸く彼女の腕から足を抜いてまた皆を呼ぶと、私は相談をし直した。一同の者は私が彼らを呼ぶともう何事の相談かちゃんと皆には分っているので眼で馬鹿なことはよせよせとしきりに示し出したが、それでもあんなに一緒に逃げたいというんだからひとつ皆も同じ竃の御飯を今日まで食べていた誼(よしみ)ででも連れていってやってはくれまいかと頼むと、傍にいた雪子がだい一番に落って自分は波子から足袋を一足貰ったことがあるからこのまま残していくのもすまないといい出すと、品子も私は袖口を貰ったことがあるといい菊江も自分は櫛を貰ったことがあるなどといって波子を連れていくことだけはみな女達は承諾した。それでは男達はと訊くとこれは誰も何ともいい出すものはなくただ黙ってしきりに私の袂をひっぱってよせというだけなので、私は皆を動かすためにいずれ連れていったって何とかなるだろうからまアまアというと、初めてそこで皆の者もその気になりかけてそれでは仕方がないから揃って一緒に逃げようということに何となく決ってしまった。

 しかし、さていよいよ逃げるとなると海に沿った断崖の上の山道を七八里も峠を越えて歩かなければならないのだから病人を背負って逃げるのはこれはたいへんなことなのだ。しかも無頼漢の眼をくらませて殊に雨風の中を町の湯へ行くように見せかけて一人ずつ手拭をぶら下げて出ていかねばならないのだ。だが、そうかといってそのままぐずぐずしていては御飯が食べられないのだから腹が空くばかりだし、これはもう無茶でも次の駅まで闇にまぎれて逃げていく一手よりないのである。そこで私は波子の枕もとへいって一度立ってどれほど歩けるものか歩いてみよというと、彼女は立ちは立ったが直ぐ眼が廻るといって蒲団の上へふらふらっとうずくまってしまってまるで骨無し同様な有様なので、私も皆に波子を連れて逃げることを一時の同情からすすめはしたもののこんなことならいっそのことここへ一人残していく方が本人のためでもあり皆のためでもあるとまた思い直して、波子にやっぱりここに一人あなただけ残っている気はないか、残っていたってまさか宿の者は病人を殺すようなこともしなかろうしそのうちに私が金を直ぐ送ってやるからというと、波子はまたわっと泣いてここに一人残されるほどなら自分を殺していってくれという。それではもう仕方がない、折角連れて逃げようとまで皆を納得させたのに今さら自分から連れていかないといい出すのもこれも勝手すぎることだしするので、もう波子のことはそのままにしておいて私も雨の降る夜を待っていた。しかし、雨の降るまで待つのがこれがまたひと通りのことではないのである。誰か銭湯へいくときに着物を一枚質に入れてはあんぱんを買って来て分けて食べたり、また一枚売りつけては銭湯へいく金を造ったりしているのだが、そのうちにうっかりして皆の汽車に乗る金まで使ってしまっては何にもならぬのだからもう煙草一本さえのめないばかりではない。パンだって一日に一度で後は水ばかりでごろごろ終日転っているより仕様がないのだ。すると、丁度折よくそれから二三日して朝から秋雨が降り出して夕方になるとますますひどく雨風にさえ変って来た。さアいよいよそれでは今夜こそ逃げ出そうということになって皆でそれぞれ朝から手筈を決めて夜の来るのを待っていたが、私は皆がまア無事に駅へ着いたとしてそれから後を誰と誰とがどんなにして逃げるのであろうかと実はそれが初めから興味があったのだ。四人の女に八人の男の残っているのはそれは万更金の来なかった連中ばかりだとは限っていなくて、一人の女が前から二人もしくは三人ずつの男と放れがたない交渉があったからではないかとも思われたので、これはいずれどこかで一騒動持ち上るにちがいないと思っていたにはいたのである。ところが夜が近かづいて逃げる刻限が迫って来ても誰もそういう様子を現さない。そのうちに一人二人と手拭をぶら下げて出ていったので、それではもう私の知らない間に一緒に逃げるべき女と男は自然に決ってしまったのであろうと思って私も逃げる手伝いをし始めた。逃げる手伝いといったってただそれぞれの着換え一枚か二枚ずつを風呂敷に包んでは塀の外に待たしてある仲間の者に投げ落すだけなのだが、それがこんなときのこととて最後まで宿に残っていたらいつどういう拍子で阿奴(あいつ)波子のような病人を連れていこうといい出した奴だからこのまま二人だけはほったらかして逃げようではないかと誰かがいい出さないとも限らぬし、もし誰かがそんなことでも一口いえばはっと忽ち気がついて実行しそうな者ばかりなんだから、もう私は高木を最後に残すと手拭を肩にかけ、波子を背負って無事に皆と待ち合せる筈の竹林さして雨の中を出ていった。

 竹林ではもう十人ほどが三本の番傘の下に塊って皆の来るのを待っていたが、一同の荷物をまとめて金に換えに質屋へ行った肝心の木下という男がなかなか戻って来ない。それでは木下の奴も、ひょっとすると今頃は金を持って逃げてしまったのではないかと、誰も何んともいわないのにだんだん皆の顔にそんな風な不安が現れ出して、しばらく顔を見合したまま黙っていると、そこへ木下が十円握って帰って来た。とにかく御飯だけは腹へつめていかなければというので、最後に高木が来て十二人すっかり揃うと久し振りに皆で蕎麦屋へ出かけていこうとした。すると、松木がこんなに沢山揃っていっては見附かってしまうに決っているから一人ずつ行こうではないかといい出したので、それもそうだという事になって金を一人ずつ分けようとすると十円紙幣一枚よりない。それでは誰かこまかくして来たらと気づいてもまた町中まで一人いってはそのまま持ち逃げされそうな気がされて誰も一人に許そうとはしないのだ。これじゃ紙幣なんか有ったってなくったって同じことでどうしたら良かろうかとまた暫く黙ってしまうと、そのうちにこんなにいつまでも愚図ついていたんではもう宿屋の方でも気がついて追手を向けているかも分らないといい出すものもあり、追手が来ようとどうしようとこんなにお腹が空ちゃ動けやしないといい出すものもあって、じゃパンでも買って来るのが一番だと決ってもさてそれなら誰が買いにいくかとなると、また一度植えつけられた不安のために容易に誰も何んともいい出さない。もうそうまでなると不思議なもので病人を背負い込んでいる私だけがはっきり逃げも隠れも出来ないに定っているのだから、矢島の発案で皆の者は今度は私一人に金を持ってくれといい出した。しかし、私は私でそんな大事な金なんか持って皆から絶えず気をくばられていたりしては不愉快なので、いっそのこと皆の見ている前で病人の波子に金を持たしたら、当分は波子も誰も彼もから守られるにちがいないと思ったので彼女の懐へ金を押し込んだ。すると、今まで厄病神のように思われて皆から厄介扱いにされていた病人は急に私の肩の上でがっくりと落ちついた金庫みたいになって来て、今度は自然にその病人を中心にした一団の法則が竹林の中で出来始めた。先ず一団の男達は背後で誰かが百を数えるまで波子を背負って歩いてから交代するということになり、女は負う必要だけはないが数を算える番を交代にしていくことに決めて、そこで初めてその順番を決めにかかろうとすると八木が十八拳で決めようといい出した。それじゃ一本歯で来い、いや軟拳にしろといい合っているうちにもう片方の二人から、は、は、よう、たち、はい、に、さんぼん、とやり出したので、傍で見ている女たちも笑い出して高木さんの方が手つきがいいのいや木下さんの方が締っているのといいいい波子を背負う順番だけを漸く決めると、もう先きに立ったものが竹林を出て歩き出した。

 しかし、傘は十二人に三本よりないところへ向い風で雨が前からびゅうびゅうと吹きつけて来るので、四人に一つの割りで傘を中にし一列に細長く縦隊を作ってびしょびしょと濡れて歩いていかねばならない。一番まん中に病人の波子を御輿のように守ってその後に女達、それから男と行くのだが佐佐が中からとうとう蕎麦を食べ忘れたじゃないかといい出すと、そうだ蕎麦だということになってまた一隊は立ち停った。けれども今からはもう蕎麦どころか追手につかまればまた明日から水ばかりより飲めないのだから、ひと思いに今夜のうちに峠を越してしまえば明日はどうにでもなろうという気勢の方が盛んになって、そのままずるずる一団は芋虫みたいに闇の中へ動いていった。動き出してから暫くは女達のあんこの出たフェルトがぴちゃぴちゃ高く鳴り始めると追手ではないかと気が気でなくなり、ときどきはいい合したように後ろを振り返るときもあったが、もし宿屋が気がついて追手を今頃出している頃だとしても直ぐこっちの難所へは気がつかず、もう一本の道の方へ廻るだろうと栗木がいうとそれもそうだと安心はしたものの、こっちの道にしたって誰も一度も通ったことのあるものはないのだから、行くさきざきに何があるのかどこにどんな畑があるのかそれも分らず、雨に洗われた砂地からしきりに頭を擡(もた)げている石ころ道がいくらか足さきでうすぼんやりとしているくらいのものである。一団のものも必死とはいうもののだんだん不安が募って来たと見えてあまり誰も饒舌(しゃべ)らない。ただ木村だけが余裕を見せて日頃の幾分社会主義めいたことを口走り、こんなに皆を苦しめた座長の奴なんか今度逢ったら殴ってやるというと、忘れていた座長への一団の鬱憤が俄に高まって来て、殴るどころか海の中へ突き落してやるというものがあるかと思うと海の中ではこと足りない自分は石で頭を割ってやるという者もあり、焼火箸で咽喉(のど)をひと突きに突き殺すという者もあり、いや焼火箸なんかではまだ足りぬというものもあると中央で黙っていた病人がいきなりわッと泣き出した。すると、病人を背負っていた八木が立ち停ってしまって動かない。どうした、早く行かぬかと、後から迫ると、病人は八木の背中の上で泣き泣き自分をここへ捨てておいて皆でいってしまってくれといい始めた。初めは誰もどうして急にそんなことを病人がいい出したのか分らなかったが、それが病人の症状で内臓から血液が出て来たのだと分ると、一同もぼんやりとしてしまってこれには困ったという風に雨の中で溜息をつき出した。そこで私は男には分らぬそんな女の症状のことは女達に任かせようというと、それでは今直ぐに乾いた布が何より入用だというので仕方がないから白い襦袢を脱いで渡してまた進んだ。病人は気の毒がって次ぎに背負い変った松木の背中の上で自分をもうここへ捨てておいていってくれとしきりに泣いていう。そんなに泣いてはやかましいからもう捨てていってしまうぞと松木が嚇かすと、一層激しくわッと泣くばかりである。しかし、そんなことよりも何より追手のことをあまり考えなくなると今度は一団に空腹がやって来た。一人が明日になって町へ着いたらだい一番にかつれつを食べるんだというと、一人は鮨を食べるという。いや鮨よりも鰻が良いという者があるかと思うと牛肉が食べたいというものがある。すると、それからそれへと他人のいうことなんか訊かずに何が美味かったとかどこで何を食べたとか食べ物の話ばかりが盛んになって、ますますがつがつした動物のようになっていった。

 ところが私もこの空腹にだけは皆と同様困り果てて道傍の畑からでも食物を探そうとしたのであるが、竹林を出てから暫くすると畑なんかは一つもなく、右手は岩ばかりの崖で左手は数百尺の断崖の下でただ波の音がしているだけなのだからどうするわけにもいかないのだ。せめても巾四尺ほどの道から足を踏み外さないだけが一団の儲けもので、今は互に帯を後ろから持ち合ったままひょろひょろして先頭の傘のまにまについていくのであるが、坂を上ったり下ったりうねうねとした道なのでときどき雨がさっと逆さまに下から降って来て、思わず崖の縁へぺったり貼りつけられたように重なったり、伸びたり縮んだり衝きあたったりしながらも茫々と続いた断崖の上を揺れ続けていくのだから、そう食べ物の話ばかりに眼もくらんではいられないのである。そのうちに食べ物の話に夢中になっていた一団のものもいくら饒舌ったって一つも食べられないのに気がついたらしく、一人黙り二人黙り、やがてみんなが黙ってしまうと、ただ病人を背負って歩く足数をその後で数える女の声だけが波の音と風の音との断れ目から聞えて来るだけで、溜息も洩れなければ咳の声さえしなくなって、みな誰も彼も一様にこれはもう暫くたてばどんなになるのかと恐怖に迫られ出した沈黙が、手にとるようにはっきりと感じられて来た。そうこうしているうちにまた病人の出血が激しくなって、男達の脱いだ襦袢を崖の頂きで海に向って取り替えるやら背負う番を変えるやら、前のように気の毒がって激しく泣き出す病人の声と一緒にひと際一団のものが賑やかに立ち返ると、また食べ物の話が出る。そんなに食べ物の話をしては食べたくなるばかりだからやめてくれというものがあると、いやもうせめて食べ物の話でもしてくれなければ食べた気がしないというものがあり、水でも良いから飲めないものかといいながら傘から滴り落ちる雨の滴を舐め出したり、小さな松の木でもあると松の葉をむしって食べながら歩いたり、まるで餓鬼そのままの姿となってしまって笑うにも笑えない。私も私で着物はもう余すところなくびっしょり濡れたうえに咽喉がからからになって来て、雨が吹きつけて来ると却って傘から顔を脱して雨に向って口を開けたり松葉を噛んだりし続けた。それがまた八人の男が一巡病人を背負ってしまって私の番が廻ってくると、どんなに背中の上のものを女だと思おうとしたって、その空腹では歩く力だけでもやっとのことだ。息切れがして来ると眼の前がもうぼうっとかすんで来る。腕がしびれる。足がふらりふらりと中風のように泳ぎ出す。すると舌を噛んだり頭を前の傘持ちにぶっつけたりし続ける。後ろで女が九十近くまで数えて来る頃にはもう病人をそのままそこへどたりと抛(ほう)り落したくなって来て、それを感づかせてはまた泣かれるからじっと我慢をしているものの、終いには眼がひき吊ってしまって開けるとぱっちり音がしそうなほどになる。そうして漸く次のものに変って貰ったとしても一人一丁で八丁目毎にまた廻って来るのだから、休む間が知れているのだ。お負けに空腹は時間がたてばたつほど増して来て、それに従って背中の上の病人はそれだけ重くなっていくのだからやりきれたものではない。すると、病人は真中に皆に挟まれていくのはいやだから真先にやってくれと無理をいい出した。それでは負われているものは捨てていかれる心配がなくなるから気楽にはなるであろうが、反対に背負っていくものは絶えず後から圧迫されて疲れることが甚だしいのだ。私は皆のものも私が病人を連れ出して来たばっかりにこんなに苦しまされたのだと思うと、もう皆がどうする事も出来なくなってへたばりそうになったら私は病人を海の中へ抛り込むか病人と二人でそのままそこへ残って皆に先きへいって貰おうと考えた。

 しかし、皆のもののへたばりそうにしているのはもういま現在のことなんだから、そんな考えを起したって無論何んにもなりはしないのだ。もう一団の者は油汗を顔ににじませて青黒く、眼はぎろりと坐り出し、なま欠伸がひっ続けて出始めると突如として奇声を発するものもあって、雨風に吹き折られるかのようにどっと突角った岩の上へ崩れかけたりすると、病人はまた捨てていってくれといって泣き上げる。女達は女達でもう髪から着物からびしょびしょで、幽霊みたいにべったりと濡れた髪を顔へひっつけさせたまま歩いているのだが、腰巻の色が下から着物へまで滲み出て来て、コンパクトや財布へまで水が溜ってぬらぬらして来ると、もうどっしりと却って落ちつき出して早く死ぬものなら一思いに死んでしまいたいと菊江がいう。じゃここから飛び込めばわけはないと八木がいうと、その一言の冗談がもうへとへとになっていた栗木の癇に触ったのであろう、人の苦しんでいるときに冗談をいうとは何事だと栗木は八木に詰めよった。すると、八木は八木でそんな思わぬことで詰めよられたんだからびくりとしたのか、逆に立ち直って、いくら菊江に冗談をいったからってそんなことで怒らなくとも良いだろう。菊江なんかはお前がいくら好いたってもう駄目でちゃんと高木と一緒になっているところを自分は見たのだとつい口を辷(すべ)らすと、いままで黙々として何一ついわなかった温和な佐佐が、いきなり懐中からナイフを出して高木めがけて突っかかった。高木は素早く佐佐のナイフの先からのがれて一目散に断崖の上を逃げていったが、佐佐もしつこく傾きながら彼の後から追っかけると、暫くこの思わぬ出来事にぼんやりしていた栗木が敵は八木ではなく高木と佐佐だと知ったのかこれもまた二人の後から追っ馳け出した。菊江は私の傍で闇の中を透しながらただ自分が悪いのだといって泣きじゃくっているだけなので、私は早くいって男達の争いをとめて来いというとあなたがいってくれなければ自分ではとまらぬという。ところが、これもまたあまり不意の出来事だが私の後ろにいた品子が急に泣いている菊江の襟もとへ武者振りついて歯をきりきり鳴らせ出した。自分の男の誰かをとられていたのに初めて気附いたのであろうが、そのうちに張本人の八木までが怒り出して今度は品子を引き摺り倒すと貴様の男は誰だといい始めたのには私も驚いた。これでは争いが今にどこまで拡がるか分らないどころか、いまこんなところでまた誰かに傷でもされて動けなくなったりしてはもう一団は絶体絶命で総倒れになるのは決っているのだ。さて困ったことになったと思ったが私の傍のものはまア刃物がないのだから良いとして、馳けていったもの三人の間には一本ナイフがあるのだからそのまま捨てておくわけにもいかず、それで私もふらふらしながら待て待てと呼び続けて黒い岸の上を馳けていくと、二町ばかりいった路傍で三人が並んで倒れたまま動かない。それでは誰か三人のうちの二人は殺されたのだと思って覗いてみると、それぞれみな誰も眼をぎょろぎょろ開いたまま私の顔を眺めているのだ。どうしたのだと訊いてみると、こんなところで女のために喧嘩をして傷でもしてはどちらも損だからやめようと相談してやめたのだが、もう疲れて息の根がとまりそうだから暫く黙らせておいてくれという。それはどちらも賢いことをしたといって私もまた後へ引き返して病人のいる所へ来てみると、こちらはまだ争いはこれかららしく矢島の背中の上でわアわア泣いている病人の下の道の上で、八木と木下が取っ組み合いをして唸っているのだ。これでは女達も誰と誰とが自分のどの男をとっていて、自分が誰のどの男を取っていたことになっているのか分らなくなってしまっているのであろう、もうぼんやりとしているだけで私に向うの喧嘩の首尾はどうだったかと訊ねもしない。私もこんな騒動はいずれ一度は起るにちがいはないと思っていたにはいたのだから、そうびっくりもしないのだが、今頃こんな崖の上でこんなに突然降って湧いたように起ろうとは思っていなかったので、誰が誰と喧嘩をしようとそんなことなんか平気にしたところでたちまち一団の進行にかかわること重大なのだ。ところが八木と木下とは前から仲も良くない上に女のことにかけてはどっちも競争し合っていた男同志のこととて、私が仲へ這入ってとめようとしてもなかなか放れるどころではない、じっと寝ながら殴り合っている方が立って歩いて病人を背負わせられるより楽は楽なんだから、足を絡まり合せたまま休息するように殴り合うばかりである。私も二人が傷さえしなければもう出来るだけ喧嘩をさしてしまっておく方が良いのだから、二人が転げている間私も身体を休めるために二人の頭の所に腰を降ろして眺めていると、木下も八木もすっかり疲れたらしくどっちもそのまま動かなくなって吐く息だけをふむふむいわせているだけなので、私ももうここらで良かろうと思っていつまでも寝ていたって仕様がないから喧嘩をするならもっとする、やめるならさっさとやめてそろそろ出かけようではないか、向うでももう女のことで喧嘩をすることほど馬鹿なことはないといって三人とも仲なおりが出来てしまったのだからというと、八木も木下も黙ってのろのろ起き上って来て歩き出した。

 そこでまた一行が高木や佐佐などと落ち合うと病人を背負い変えたり、出血の準備品の乾いた襦袢がもう全く誰からもなくなってしまっているので、今度は男達の腰巻をとって病人をきよめたりして穏かに歩いていった。どうも考えると面白いもので女達の不倫の結果がそんなにも激しい男達の争いをひき起したにも拘らず、しかしまたそれらの関係があんまり複雑ないろいろの形態をとって皆の判断を困らせるほどになると、却ってそれが静に均衡を保って来て自然に平和な単調さを形成していくということは、なかなか私にとっては興味ある恐るべきことであった。だが、間もなくするとこの静かな私達の一団の平和もそれは一層激しくみなのものに襲いかかって来た空腹のために、個性を抜き去られてしまった畜類の平静さに変って来た。全く私も同様にだんだん声も出なくなって腹部の皮が背中へひっついてしまっているかのように感じられると、口中からは唾がなくなって代りに胃液が上って来て、にがにがしくねっとりと渋り出すと眼の縁が熱っぽくなって来て、煙草の匂いのするなま欠伸がまたひとしきり出始める。一同のものも前の格闘の疲れが出て来たのであろう誰も何ともいわないで俯向いたまま雨の中をびしょびしょといくのであるが、そんなにありあり弱りが見えるともう一人静に泣き続けている病人だけが一番丈夫な人間のようにさえ思われ出して、いったいこのさきまだどこまでもと闇の中を続いていそうな断崖の上をどうして越えきることが出来るのかと、むしろ暗憺たる気持ちになって来た。そうなると私達の頭は最早や希望や光明のようなはるかに遠いところにあるもののことは考えないで、この二分さきの空腹がどんなになるであろうか。この一分さきがどうして持ちこたえられるのであろうかと、頭はただ直ぐ次に迫って来る時間のことばかりを考え続け、その考えられる時間はまた空腹そのことについてばかりとなって満ち、無限に拡がった闇の中を歩いているものは私ではなくして胃袋だけがひとりごそごそと歩いているような気持ちがされて、これはまったく時間とは私にとっては何の他物でもない胃袋そのものの量をいうのだとはっきりと感じられた。

 私達は凡そそうして宵からもう四五里も歩き続けて来たであろうか。一団の男達は襦袢も腰巻もみな病人にやってしまってなくなった頃丁度崖の中腹の道より少し小高い所に一軒の小屋が見つかった。初めは先頭に立ったものがあれは岩だろうか小屋だろうかといっているうちにそれは廃屋同様の水車小屋だと分ったので、先ず皆は雨から暫くのがれるためにでもそこで少し休んでいこうではないかということになったのだが、中へ這入るともうそこには長い間人が近づいたことがないと見えていっぱいに張り廻された蜘蛛の巣が皆の顔にひっかかった。それでも雨露を凌げるほどの庭が二畳敷ほど黴臭い匂いを放っているのでそこへ十二人の者が塊まって蹲っていると、八木がここは水車小屋だからどこかに水があるにちがいない、水でも捜して飲もうといい出して小屋の周囲をうろうろ廻り出した。しかし、だいいち水を落すべき樋がぼろぼろに朽ちていて水車(みずぐるま)の羽根の白い黴のところから菌(きのこ)が生え上っているのだから一向に水なんかありそうにも思えない。そのうちに小屋の中で塊っている者達の肌から汗がだんだん冷えて来ると着物の湿りが応えて来て皆がぶるぶる慄え出した。殊に三時過ぎの急激な秋の夜の冷えが疲労と空腹との上に加わって来たのだからもう皆は一人ずつ放れていては寒さのために立ってもいてもいられない。そこで私達は火を焚こうにも誰もマッチがないのだからどうしようもなくそれぞれ羽織を脱いで庭に敷くと真中に病人を坐らせ、その周りに三人の女を置いて男達はその外から手を拡げながら丁度蕗の薹(とう)のように女達を包んで互に温度を保ち合った。しかし、私達の上に新しく襲いかかって来た寒気はそれだけでは納まらずますます激しくなって来ると、やがて一団のものは歯が打ち合ってかちかちと鳴り始め、言葉がうまくいえなくなって吃りばかりになり、泣き出すものがあっても涙だけがしきりに出るだけで、ただもうびりびり、びりびりとまるで揺られる海月(くらげ)みたいに慄え続けているだけだが、そのうちに中央にいる病人だけはもう慄える力もなくなって皆の慄える中で一人じっと縮んでしまって動かない。その周囲で女達は自分が死んだら髪を切って母親のところへ送ってくれるよう、もうとてもこれ以上は身体が保たないといい出すものがあるかと思うと、自分ももう駄目だから死んだら親指を切って郷里へ送ってくれとか眼鏡を送れとか、そんなことをいってるうちに膝がしびれる腰がしびれるやがて首まで痛んで来ると、栗木が急にしくしく泣き出して、自分が若いときに村の神さまへ石を投げつけたことがあるその罰が来たんだといい出した。すると高木は俺はあんまり女を瞞しすぎた罰が来たんだというと、それには皆も胸を刺されたのであろう男も女もそうだそうだというかのように調子を合せて泣き出した。私もあんまり皆の他愛のないのにおかしくなったが餓えと寒さと身体の痛みにはもう実際このままでは死ぬ以外にないのではないかとさえ思われて、私だけは臼の傍だったので木の上へ腰かけながらさてこのつぎに来るものはいったい何なのかと思っていると、よくしたもので間もなく意識を奪ってくれる眠けがしきりにやって来た。それと等しく一団の上からもいつの間にか今までの慄えがなくなっているのに気がつくと、これはこのまま眠らせてしまえば死んでしまうに決っているのだから私は声を大きくして皆の頭を揺すぶって叩き起し、今眠れば死ぬにちがいないことを説明し眠る者があったら直ぐ、その場で殴るようといい渡した。ところが意識を奪う不思議なものとの闘いには武器としてもやがて奪われるその意識をもって闘うより方法がないのだから、これほど難事(むずか)しいことはない、といってるうちにもう私さえ眠くなってうつらうつらとしながらいったい眠りという奴は何物であろうと考えたり、これはもう間もなく俺も眠りそうだと思ったり、そうかと思うとはッと何ものとも知れず私の意識を奪おうとするそ奴の胸もとを突きのけて起き上らせてくれたりするところの、もう一層不可思議なものと対面したり、そんなにも頻繁な生と死との間の往復の中で私は曽て感じた事もない物柔かな時間を感じながら、なおひとしきりそのもう一つ先きまで進んでいって意識の消える瞬間の時間をこっそり見たいものだと思ったりしていると、また思わずはッと眼を醒して自分の周囲を見廻した。すると、私の前では誰も彼も頭を垂らして眠りかけているのである。

 私は皆の頭を暴力を振うように殴って廻って起きろ起きろと警告した。皆の者は殴られると暫くぼんやりして眼を開けてはいるがそのまままたふらふらと隣りの者へよりかかってしまう者や、急に死に迫っていた目前の自分の危機に気がついて眼をぱちぱちしながらびっくりしている者や、私に殴られて眠ったものを殴る権利を与えられていることを思ってはいきなり前の眠っているものを殴りつけ出す者などがあって、間もなく羽根の停った水車の傍では盛んな殴り合いが始められた。それでも眠りはほんの少しの静まった隙間から這い込んで来て意識を吸い取っていってしまうので、間断なく髪の毛をひっつかんで頭を引き摺り上げては頬っぺたを指の跡の残るほどひっぱたいたり、拳骨でそれこそ鉄拳を食わせるほど殴りつけたりしても、眠りを防害する動作がものの一二分も一致して休止すると、もう危く一同が死へ向って落ち込んでいくので、私も絶えず殴り続けているものの同時に十一人の動作を見詰めつづけている間にはふっとどうしたものやらまた私の意識も極りなき快楽の中へ溶け込んでいってうつらうつらと漂い出すのだ。快楽――まことに死の前の快楽ほど奥床しくも華かで玲瓏としているものはないであろう。まるで心は水々しい果汁を舐めるがように感極まってむせび出すのだから、われを忘れるなどという物優しいものではない。天空のように快活な気体の中で油然と入れ変り立ち変り現れる色彩の波はあれはいったい生と死の間の何物なのであろう。あれこそはまだ人々の誰もが見たこともない時間という恐るべき怪物の面貌ではないのであろうか。――しかし、私は私が死んでしまってなくなれば同時に誰も彼もの全世界の人間が私と一緒に消えてなくなってしまうのだと思うと愉快であった。ひとつみんなの人間を殺してやろうか、とふと思うこの死との戯れがときどき私を誘惑してひと思いに眠ってしまおうと思うに拘わらず、またいつの間にか私の前で皆が眠り出すと私は両手で所かまわず殴りつけているのである。人を死なすまいと努力すること――この有害なことが何故に人々にとって有益なのであろうか。私達は譬えいま死から逃れることが出来たにしたってこの次死ぬときにはこんなに巧妙に何の不安もなく楽々死ぬことなんかは最早や想像することが出来ないのだが、それでも矢っ張り私はもう一度皆を生かせてやりたいと思うと見えて、しきりに女達の鬢をもって引き摺ったり、殴ったり、片足で男達を蹴りつけたりし続けているのは、これをこそ愛というのであろうか、それともこれをこそ習性というのであろうか。首をさえ絞めつけて殺してやりたく思うほど皆のこれからの不幸な行くさきが分っているのに、それにまだ彼らの苦しみを増し与えて助けてやらねばならぬとは、これをこそ救いというのであろう――死ね死ねといいながら私はもう無茶苦茶になってあたかも年来攻め続けて来た不幸と闘うかのように人々の眠りの中を縦横に暴れ廻っていると、人々もだんだん眼が醒めて、まるで今迄の楽しみを奪った奴はこ奴かというようにぽかぽか一層激しく周囲の者を殴り出した。すると、もう人々もさすがにゆっくり眠っていることは出来なくなったと見えて、中には眠りながら手だけは殴る形をして動かしている者もあり、踏んだり蹴ったり殴ったり修羅場みたいに傍若無人になぐり合っているうちに、また一同は眠り出した。そうなると初めの間は蕾のように丸くなって塊っていたものでもだんだん形が崩れて来て、終いには足の間へ頭がいったり胴と胴とが食い違ったり、べたべたしたまま雑然として来始めて殴るにも誰のどこを殴っているのか分らなくなって来て、誰か一人でもこっそり殴られずにすんでいようものならもうそのものは死んでいるかもしれないのだから、出来るだけ大きな面積で暴れ廻って絶えず全部の者を撹乱し続けていなければならぬのだ。しかし、眠むけというものは暴れたものほど次には激しく襲われて沈められる恐れのあるもので、直ぐ暫くすると私も私が刺戟を与えて醒したものから頭を叩かれたり膝で横腹を蹴られたりして眼を醒す。醒す度にまた私は皆の身体の中でのたうち廻って沈んでしまう。そうして幾度となく私達は眠ったり醒ましたりし合っているうちに、私達の小屋の外でもそれに従って変化が着々と行われていたと見えて、いつの間にか雨もやみ、天井の崩れ落ちた壁の穴から月の光りがさし込んで蜘蛛の巣まではっきり浮き上っているのを発見した。私達は眠け醒しに戸外へ出ようとするとなかなか足が動かない。そこで腹這いになって戸外へ出ると、月の光りに打たれながら更めて山や海を眺めてみた。すると、私の傍にいた佐佐が物もいわずに私の袖をひっぱって狼狽(うろた)えたように崖の中腹を指さしたので、何心なく見るとそこには細々とはしているが岩から流れ出ている水が月の光りに輝きながらかすかな音さえ立てている。水だ水だといおうとしたが声が出ない。佐佐は直ぐ崖の方へ膝をもみながら近よって降りていったが暫くすると水を沢山飲んだのであろう、急に元気になって大声で下から水だ水だと叫び出した。私も小さな声で同時に水だ水だと叫んだ。

 それでもう一同は助かったと同様であった。小屋の中の者は足が動かないのにかかわらず我れ勝ちにと腹這いになって崖の方へ降りて来ると、蜘蛛の巣をいっぱいつけた蒼然とした顔を月の中に晒しながら変る変る岩の間へ鼻を押しつけた。岩の匂いに満ちた清水が五百羅漢のような一同の咽喉から腹から足さきまで突き刺さるように滲み透って生気がはじめて動き出して来ると、私も皆と一緒に月に向ってこれこそ明瞭に生きていることだと感じるかのように歎声を洩してはまた岩の間へ口をつけた。しかし、私はふと皆が置き去りにして来た病人のことを思うともうひょっとするとひとり眠入ってしまって死んでいるのではないかと思われて、皆の者にどうかしていっぱいでも病人に水を飲ましてやる工夫はないかというと、そうだそうだ病人が何よりだということになってそれなら水を入れるには帽子が良いからという高木の発案でソフトに水を受けてみると、水は数歩ももじもじしている間にすっかり洩れてしまって何の役にも立ちはしない。それで今度は皆の帽子を五つ合して水を受けるとやっとどうやら洩れないだけは洩れなくなったが小屋まで持っていく迄には疑いなく無くなるのは決っているのだ。そんなら小屋まで一番早く帽子を運ぶには十一人でリレーのように継ぎながら運ぼうではないかと佐佐がいい出すと、それは一番名案だということになっていよいよ十一人が三間ほどの間隔に分れて月の中に立ち停ると、私は最後に病人の所へ水を運ぶ番となって帽子の廻って来るのを待っていた。その間私は絶えず病人を揺り続けているのだが、もう彼女はさっきから殴り続けられた指跡を赤く皮膚に残したまま、私に揺られるがままに身体をぐたぐた崩して寝入ってしまってなかなか眼を醒しそうにもない。それで私は彼女の髪の毛を持ってぐさぐさ揺るとぼんやり眼を開けたは開けたが、それもただ開けたというだけで同じ所をじっと眼を据えて見ているだけである。そこへ丁度最初の帽子が殆ど水をなくして廻って来たので私は病人の口のなかへ僅に洩れる滴をちょろちょろと流し込んでやると、病人も初めてはっきり眼が醒めたと見え、私の膝に手をかけて小屋の中を見廻した。水だ水だ早く飲まぬとなくなるからといってはまた膝の上へ病人を伏せて次の帽子を待っている。すると、また帽子が廻って来る、また滴を落すという風に幾回も繰り返しているうちに、私には遠く清水の傍からつぎつぎに掛け声かけながらせっせと急な崖を攀じ登って来る疲れた羅漢達の月に照らされた姿が浮んで来ると、まるで月光の滴りでも落してやるかのように病人の口の中へその水の滴を落してやった。

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入力者注
「時間」は、昭和六(1931)年四月『中央公論』に発表。同年四月白水社『機械』に初収。
旧かなづかいは現代かなづかいに、旧字体は新字体に改めた。
ふりがなは入力者が適宜つけた。
「茫茫」など漢字の繰り返しは「茫々」などと改めた(「佐佐」は除く)。
以下の漢字はひらがなに改めた。
 云う→いう、此の→この、了う→しまう、恰も→あたかも

底本:「定本 横光利一全集 第四巻」河出書房新社
   1981(昭和56)年
入力:佐藤和人
校正:かとうかおり
1998年11月3日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

2009年2月 1日 (日)

『たけしの誰でもピカソ!』3月打切となる

『たけしの誰でもピカソは、1997年4月18日からテレビ東京系列で放送されているバラエティ番組。
司会を務めるビートたけしの「リストラは受け入れられない」という判断の下、今年3月いっぱいで打ち切られる。

「高額なギャラで、視聴率が取れないタレントがリストラの対象になる。これからは、大スターを育てるんじゃなく、何でもこなせる、ギャラが1本50万円クラスのタレントをつくることだ」と大手プロのオーナーたちは真剣に考えているという。

 テレビ界でも"リストラの嵐"が吹くことを懸念した大竹まことは、レギュラーを務めるテレビ朝日の『たけしのTVタックル』で、「ギャラを下げてもいいから、番組を降ろさないでください」とジョークで言っていた。
『来年3月で、レギュラーの今田耕司とクマさん(篠原勝之)、それに渡辺満里奈に降りてもらい、若手を入れて、番組をリニューアルしたいと思うんですが』と言われたんで。
『それって、リストラじゃん』とたけしがいったらしい。

 看板番組も不況の煽りは避けられずに、脇を固めていた3人をリストラしようと考えてた。
旬の若手芸人を使っていけば、ギャラは数分の一に抑えられる。 しかし安直な流れにたけしは乗らなかった。『誰ピカ』は、彼らの存在があったからこそ存続できた番組と考えるたけしは、リストラ案を拒絶したどころか、自ら番組の降板を申し出た。

「リストラするなら、最もギャラが高い自分を切ってくれ」とは群れのリーダーらしい人格がにじみ出た話である。

テレビ東京・たけしの誰でもピカソ  http://www.tv-tokyo.co.jp/pikaso/

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羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
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22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

オンライン状態

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。