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2009年3月29日 (日)

ペンギンタロットは普遍な無意識を発掘する道具

◆ペンギンタロットカードは不可思議なシンボルが描かれて、これらキーワードを繋ぎ合わせることでタロットは世界の側面を照らし出すとことができる。漠然とした無意識の断片が、元型のイメージとしてのカードによって具現化され、その人固有の無意識の形を喚起させる。
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◆非合理的なシンボルやイメージこそが、無意識の世界を解く鍵。

◆無意識の領域に存在して無意識に人を動かす全人類に共通する心理パターン。このパターンが自然界にもあったことを符合させた図形こそタロット。 無意識の中にあるものを喚起させ、導き出されたキーワードを解釈することでその人だけに当てはまるパターンがある。

◆“シンクロニシティ(共時性)”という無意識の領域にあるものと現実の世界に起こることには一種のアナロジーが存在し、人が偶然として片付ける出来事も、すべては無意識の中にある原因により必然的に起きている。

◆自分の無意識を知ることで、これから自分の身に起こることや、未来に起こる出来事を予測することができる。

◆ペンギンタロットは普遍な無意識を発掘する道具であり、その無意識を意識化する手段として、占い師が相談者の未来を予測する際に行うカード解釈は、まさしく医師が患者に質問を出して、その内容から医学的に解釈し、患者の精神状態を推測しながらカウセリングを行う心理学の手法そのものです。  (ペンギンタロット解説書より)

I 奇術師 II 女教皇 III 女帝 IV 皇帝 V 教皇 VI 恋人 VII 戦車  VIII 正義 IX 隠者 X 運命の輪 XI 力
XII 吊された男  XIII 死神  XIV 節制 XV 悪魔  XVI 塔 XVII 星 XVIII 月 XIX 太陽 XX 審判 XXI 世界
0 愚者

◆ペンギンタロット21+0の原画の図案
 http://zerogahou.cocolog-nifty.com/photos/peintora22/index.html

Tarot2 Tarot1 Tarot3

◆大アルカナ22枚組1セット・解説書A6版18頁付 
◇名刺サイズ  2000円  ◇タロットサイズ3000円
◆「ペンギンタロット」について http://koinu.cside.com/

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2009年3月26日 (木)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

Wolfgang Amadeus Mozart, 1756年1月27日 - 1791年12月5日

有名なクラシック音楽の作曲家の一人である。ハイドン、ベートーヴェンらとともに古典派と呼ばれる。オーストリアの都市であるザルツブルクに生まれ、ウィーンで没した。称号は神聖ローマ帝国皇室宮廷室内作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長など。

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家族
父は元々は哲学や歴史を修めるために大学に行ったが、途中から音楽家に転じたという経歴を持つ、ザルツブルクの宮廷作曲家、ヴァイオリニストであったレオポルト・モーツァルト(Leopold Mozart)、母はアンナ・マリーア・ペルトル(Anna Maria Pertl)、姉はマリーア・アンナ(Maria Anna Mozart、愛称ナンネル(Nannerl))である。なお、祖先の姓はモッツハルト(Motzhardt)。

モーツァルトは妻・コンスタンツェ(Constanze, 1762年 - 1842年)との間に4男2女をもうけたが、そのうち成人したのはカール・トーマス(Karl Thomas)とフランツ・クサーヴァー(Franz Xaver)だけで、残りの4人は乳幼児のうちに死亡している(当時は医学が発達した時代ではなかった)。フランツは職業音楽家となり、「モーツァルト2世」を名乗った(フランツは弟子のジュースマイヤーの名であり、このためフランツ・クサーヴァーはモーツァルトの実子ではなく、妻・コンスタンツェとジュースマイヤーとの婚外子という説がある)。成人した2人の男子はどちらも子どもを残さなかったため、モーツァルトの直系の子孫は居ない。

生涯
1756年、ザルツブルクに生まれる。父・レオポルトは息子が天才であることを見出し、幼少時から音楽教育を与えた。父とともに音楽家としてザルツブルク大司教ヒエロニュムス・コロレド伯の宮廷に仕える一方でモーツァルト親子は何度もウィーン、パリ、ロンドン、およびイタリア各地に大旅行を行った。これは神童の演奏を披露したり、よりよい就職先を求めたりするためであったが、どこの宮廷でも就職活動に失敗する。

1781年、25歳のモーツァルトはザルツブルクを出てウィーンに定住。フリーの音楽家として演奏会、オペラの作曲、レッスン、楽譜の出版などで生計を立てた。ウィーンではピアニストとして人気を誇ったが、晩年までの数年間は収入が減り、借金を求める手紙が残されている。1791年、ウィーンでレクイエムの作曲中に35歳の若さで没した。

年譜
1756年 - (0歳) 1月27日、ザルツブルクに生まれる。
1759年 - (3歳) クラヴィーア(ピアノの前身)を弾き始める。
1761年 - (5歳) 最初の作曲を行う(『アンダンテ ハ長調 K.1a』)。
1762年 - (6歳)
1月、ミュンヘン旅行。
9月、ウィーン旅行(10月13日、シェーンブルン宮殿にてマリア・テレジア御前演奏。7歳のマリア・アントーニア(マリー・アントワネット)にプロポーズしたという逸話がある)。
1763年~1766年 - (7~10歳) パリ・ロンドン旅行。
1767年~1769年 - (11~13歳) 第2回ウィーン旅行。オペラ『ラ・フィンタ・センプリーチェ』上演。
1769年~1771年 - (13~15歳) 第1回イタリア旅行。父と共にミラノ、ボローニャを経てローマへ。システィーナ礼拝堂では、門外不出の秘曲とされていたグレゴリオ・アレグリ(Gregorio Allegri)の9声部の『ミゼレーレ』を聴き、暗譜で書き記したという逸話が残されている。ナポリでは数十日に及ぶ滞在を楽しみ、当時大変な話題の発掘されてから間もない古代ローマ遺跡ポンペイを訪れている。このことを詳細に語る父親の手紙が残されている。また、1770年には自身初のオペラ『ポントの王 ミトリダーテ』を作曲し、同年12月26日に初演される。
1771年 - (15歳) 第2回イタリア旅行。セレナード『アルバのアスカニオ』をミラノで上演。
1772年~1773年 - (16~17歳) 第3回イタリア旅行。ミラノでオペラ『ルチオ・シッラ』上演。
1773年 - (17歳) 第3回ウィーン旅行。
1774年~1775年 - (18~19歳) 第4回ウィーン旅行。オペラ『偽りの女庭師』上演。
1777年 - (21歳) ザルツブルクでの職を辞しミュンヘン、マンハイムへ就職旅行したが成果無し。マンハイムでは、マンハイム楽派の影響を受ける。
1778年 - (22歳)
マンハイム→パリ旅行。アロイジア・ヴェーバーに恋愛。パリでの就職も不首尾に終わる。
7月3日、同行した母パリで死す。帰路ミュンヘンでアロイジアに失恋。
1779年 - (23歳) ザルツブルクに帰郷。ザルツブルク宮廷にオルガニストとして復帰。
1780年 - (24歳) オペラ『イドメネオ』の準備のためにミュンヘンに赴く。女帝マリア・テレジア崩御。
1781年 - (25歳)
3月、ザルツブルク大司教ヒエロニュムス・コロレドの命でミュンヘンからウィーンへ。
5月9日、コロレドとの衝突、解雇。そのままウィーンに定住を決意。
1782年 - (26歳)
7月、オペラ『後宮からの誘拐』をウィーンで初演。
8月3日、父の反対を押し切りコンスタンツェ・ヴェーバー(Constanze Weber)と結婚。彼女はかつて片思いの恋をしたアロイジアの妹で、『魔弾の射手』の作曲家カール・マリア・フォン・ヴェーバーの従姉である。
このころから自ら主催の演奏会用にピアノ協奏曲の作曲が相次ぐ。
1783年 - (27歳)
ザルツブルクに帰郷。『大ミサ曲ハ短調 K.427』(417a)を上演。
6月、長男誕生するもザルツブルク旅行中に死亡。
1784年 - (28歳)
第2子カール・トーマス・モーツァルト誕生。
フリーメイソンリーに入会(書類上では12月5日)。以後その思想に影響を受けたとみられる。
1785年 - (29歳)
弦楽四重奏曲集をハイドンに献呈(「ハイドン・セット」)。
2月、父・レオポルトがウィーン訪問。息子の演奏会が盛況なことを喜ぶ。レオポルトはハイドンから息子の才能について賛辞を受ける。
1786年 - (30歳) 5月1日、オペラ『フィガロの結婚 K.492』をブルク劇場で初演。
1787年 - (31歳) 『フィガロの結婚』がプラハで大ヒットしたため同地訪問。
4月、ベートーヴェンがモーツァルトを訪れる?(記録無し)。
5月、父・レオポルト死去。
10月、新作の作曲依頼を受け、オペラ『ドン・ジョヴァンニ K.527』を作曲、プラハエステート劇場で初演。モーツァルト自らが指揮をとる。
このころから借金依頼が頻繁に行われる。
1788年 - (32歳) “3大交響曲”(交響曲第39番、第40番、第41番)を作曲。
1789年 - (33歳) ベルリン旅行。
1790年 - (34歳)
1月、オペラ『コジ・ファン・トゥッテ K.588』初演。
2月、皇帝・ヨーゼフ2世が逝去し、レオポルト2世即位。フランクフルトで行われた戴冠式に同行。同地で私費を投じてコンサートを開催し、ピアノ協奏曲26番ニ長調「戴冠式」、同19番ヘ長調「第2戴冠式」などを演奏するも、観客は不入りだった。
1791年 - (35歳)
1月、最後のピアノ協奏曲第27番K.595作曲。この曲を自ら初演した3月4日のコンサートが演奏家としてのモーツァルト最後のステージとなる。
7月、第6子フランツ・クサーヴァー・モーツァルト(モーツァルト2世)誕生。
9月
プラハで行われたレオポルト2世のボヘミア王戴冠式でオペラ『皇帝ティートの慈悲』K.621初演。
30日、シカネーダーの一座のためにジングシュピール『魔笛』K.620を作曲、初演。
体調を崩し、11月から悪化。12月5日にウィーンにて永眠(死と死因を参照)。遺体が埋葬された位置は不明である(#葬儀と墓を参照)。

死と死因
1791年、モーツァルトは『皇帝ティートの慈悲』、『魔笛』、クラリネット協奏曲と作品を次々に書き上げ精力的に仕事をこなしていたが、『皇帝ティートの慈悲』上演のためプラハに行った時にはすでに体調を崩し、薬を服用していたという。レクイエムに取り組んでいる最中の11月20日から病床に伏し、2週間後の12月5日0時55分に死亡した。死に際して聖職者たちが来るのを拒み、終油の儀は受けていない。

症状としては全身の浮腫と高熱であったという。ウィーン市の公式記録では「急性粟粒疹熱」とされる。実際の死因は「リューマチ熱」(リューマチ性炎症熱)であったと考えられている[1]。また、医者が死の直前に行った瀉血が症状を悪化させたとも言われる。

実際の死因が「リューマチ熱」(リューマチ性炎症熱)であったと述べたが、これに関しては幼少期の度重なる旅行が原因であったとする説も存在している。実際に旅行先で病に伏すことが少なくなかったことが手紙や記録に残されている。これは当時の医療技術が未熟であったがために幼児の死亡率が高かったことと、道路の舗装が不完全であったがために馬車の振動が健康を脅かしていったことが背景にある。そして、このとき罹患したリューマチに終生悩まされることとなる。このリューマチを持病としたために彼の体格は小柄になり、さらには直接の死因にまでなってしまったとも考えられた。

モーツァルトは病に伏す前に、妻・コンスタンツェに「自分は毒を盛られた」と語ったことがある。実際妻の手紙に「私を嫉妬する敵がポークカツレツに毒を入れ、その毒が体中を回り、体が膨れ、体全体が痛み苦しい」とまでもらしていたと言う。2002年にイギリスのモーツァルト研究家は、モーツァルトはポークカツレツの豚肉の寄生虫によって死んだとさえ説いた。これは現在証明は困難であるが、実際、当時の売れなかった二流の音楽家達は彼を非常に敵対視していたため、可能性が再浮上している。また、死の後にウィーンの新聞は「毒殺されたのではないか」と報じた。1820年ごろになると、ウィーンではロッシーニを担ぐイタリア派とウェーバーを担ぐドイツ派の論争・対立の中で「サリエリがモーツァルトを毒殺した」という噂が流行した。老いたサリエリは、1825年に死ぬまでこの噂に悩まされることとなる。この噂をアイデアとして、『モーツァルトとサリエリ』(プーシキン)や『アマデウス』などの作品が作られた。

葬儀と墓
葬儀の日取りは「12月6日説」と「12月7日説」の2つがある。遺体はウィーン郊外のサンクト・マルクス墓地の共同墓穴に埋葬された。誰も霊柩車に同行することを許されなかったため、実際に埋葬された位置は不明である。

没後100年の1891年、中央墓地(ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスら著名音楽家が多数眠る墓地)に当時サンクト・マルクス墓地にあった「モーツァルトの墓とされるもの」が記念碑として移動した際、またもや位置が分からなくなってしまった。現在サンクト・マルクス墓地にある「モーツァルトの墓とされるもの」は、移転後に墓地の看守が打ち捨てられた他人の墓の一部などを拾い集めて適当な場所に適当に作ったものである。もちろん、「墓とされるもの」の下に骨があるわけではない。

なお、サンクト・マルクス墓地は1874年に新たな中央墓地が建設されたことをもって新規の受け入れを停止している。ヨハン・シュトラウス2世の弟ヨーゼフ・シュトラウスも最初はここに埋葬されていた(1909年に中央墓地に移設)。

現在、国際モーツァルテウム財団(ザルツブルク)にはモーツァルトのものとされる頭蓋骨が保管されている。頭蓋骨に記された由来によれば埋葬後10年目にモーツァルトを埋葬した墓地は再利用のため整理され、遺骨は散逸してしまったという。この時、頭蓋骨だけが保管され、以来複数の所有者の手を経て1902年に同財団によって収蔵された。遺骨の真贋についてはその存在が知られた当初から否定的な見方が多いが、2004年にウィーン医科大学の研究チームがモーツァルトの父・レオポルドほか親族の遺骨の発掘許可を得て、問題の頭蓋骨とのDNA鑑定を行うと発表した。鑑定結果はモーツァルト生誕250年目の2006年1月8日に、オーストリア国営放送のドキュメンタリー番組として公表された。これによると、調査の試料となったのは頭蓋骨の2本の歯とモーツァルト一族の墓地から発掘した伯母と姪のものとされる遺骨から採取されたDNAであった。検査の結果、頭蓋骨は伯母、姪の遺骨のいずれとも縁戚関係を認められなかったが、伯母と姪とされる遺骨同士もまた縁戚関係にないことが判明し、遺骨をめぐる謎は解決されなかった。

作品

作品総数は断片も含め700曲以上に及ぶ。作品はあらゆるジャンルにわたり、声楽曲(オペラ、教会用の宗教音楽、歌曲など)と器楽曲(交響曲、協奏曲、室内楽曲、ピアノソナタなど)のどちらにも多数の作品が残されている。

作品を識別するには、音楽家のルートヴィヒ・フォン・ケッヘルが分類した作曲順の目録であるケッヘル番号(K.+数字)が使われる。ケッヘル番号は何度か改訂されており、最新のものは第8版である。モーツァルト自身は1784年以降に自作の作品目録を付けている。1784年より前の作品やモーツァルト自身の作品目録に載っていない作品には、作曲の時期がはっきりしないものもある。

代表的な作品
オペラ:後宮からの誘拐、フィガロの結婚、ドン・ジョヴァンニ、コジ・ファン・トゥッテ、魔笛
宗教音楽:大ミサ曲、レクイエム
交響曲:第25番、第38番『プラハ』、第39番、第40番、第41番『ジュピター』
セレナード:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
ピアノ協奏曲:第20番、第21番、第23番、第24番、第26番、第27番
管楽器のための協奏曲:クラリネット協奏曲
弦楽四重奏曲:ハイドン・セット、弦楽五重奏曲:第3番、第4番
その他室内楽曲:クラリネット五重奏曲
ピアノソナタ:第11番『トルコ行進曲付き』

作風
古典派音楽の代表であり、ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人である。最初は父経由でヨハン・ショーベルトなどの当時のヨーロッパで流行した作曲家たちの様式を、クラヴサン曲を中心に学んだ。その後バッハの影響をピアノ・管弦楽曲の双方で受けた。後期に入るとハイドンとバッハの影響が強い。

モーツァルトの作品はほとんどが長調で、装飾音の多い軽快で優美な曲が多い。これは当時の音楽の流行を反映したもので、ロココ様式あるいはギャラント様式と呼ばれる。彼が主に使用していたピアノの鍵盤が沈む深さは現代のピアノの約半分であり、非常に軽快に演奏できるものであったことがその作風にも影響を与えた。

晩年に向かうにつれて長調の作品であっても深い哀しみを帯びた作品が増え、しばしば「天国的」と形容される。また、短調作品は非常に少ないながら悲壮かつ哀愁あふれる曲調で、交響曲第40番ト短調のように人気が高い。

モーツァルトの時代にはポリフォニー音楽が流行遅れになり、ホモフォニー音楽が支配的になっていた。しかし彼はバッハやヘンデルの作品を研究し、交響曲第41番の終楽章のように対位法を活用する手腕もあった。

「下書きをしない天才」と言われることがある。モーツァルトが非凡な記憶力を持っていたのは多くの記録からも確かめられているが、自筆譜の中には完成・未完成曲含めて草稿及び修正の跡が多く発見されているのが事実である。人気の高いピアノ協奏曲23番については、その数年前に書かれた草稿が発見されている。ただし作曲するのが早かったのは事実であり、例えば交響曲第36番はモーツァルトがリンツを訪れている間に作曲されたものであるが、父との手紙のやり取りから彼が3日でこれを書き上げたことが分かっている。交響曲第39番から41番「ジュピター」までの3つの交響曲は6週間で完成させている。また別の手紙からは彼が頭の中で交響曲の第1楽章を作曲したあと、それを譜面に書き起こしながら同時に第2楽章を頭の中で作曲し今度は第2楽章を書き起こしている間に第3楽章を頭の中で作曲したという手順を踏んでいたということが分かっている。

モーツァルトの作品の多くは、生計を立てるために注文を受けて書かれたものである。このことは、当時の手紙や各種の資料で確認できる。モーツァルトの時代においては、作曲家が「自己表現の方法として作曲し、聴衆にもそれが理解される」という形態には至っていなかったようである。彼が子供の頃から各地を旅行して廻った理由のひとつが就職活動であり、ベートーヴェンのようにフリーランスとして生きていくことは非常に困難な時代であった。従って、モーツァルトの作品はその時代に要求された内容であり、たとえば長調の曲が多いのはそれだけ当時はその注文が多かった(すなわち人気があった)ことの証でもある。実際、父の死後は依頼者のない作品が生まれている。これは、聴衆の嗜好に配慮せよとの父親による規制が無くなったため、モーツァルト自身の目指す音楽に向かうことが可能になったからである。交響曲などがそれに当たる。モーツァルトの作品はベートーヴェンの作品と比較され差異を論じられることもあるが、決定的に異なっているのは2人が置かれていた社会的状況とヨーロッパを旅行してその歴史を知り尽くしていたかどうかの差であると言える。

思想的には、フリーメーソンに大きく触発されて、作品では「魔笛」「ピアノ協奏曲20番」に特にその影響が指摘されている。
(なかにし礼「三拍子の魔力」を参照のこと)

人物 
モーツァルトの洗礼名(ラテン語)は、ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルト(Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart)である。「テオフィルス」はギリシア語で「神を愛する」または「神に愛された」の意のテオフィロス(Θεόφιλος, Theophilos)をラテン語形にしたもの。当時はイタリアの音楽家がもてはやされており、モーツァルトは「テオフィルス」よりもラテン語で意訳した「アマデウス(Amadeus)」を通称として使用していた。また「ヨハンネス・クリュソストムス」は4世紀の教会博士で聖人のヨハネス・クリュソストモスにちなんでいる。

音楽評論家の石井宏は著書『反音楽史』の中で、モーツァルトは Amadeusではなくイタリア語ふうのアマデーオ(Amadeo)を主に使っていたとしている。フランス語ふうのアマデ(Amadé)、ドイツ語ふうのゴットリープ(Gottlieb)も用いたことがある。

容姿
肖像画や銅像ではいずれも“神童”に相応しい端麗な顔や表情、体型をしており子供の姿で描写されたものも多いが、実際の容姿に関しては諸説ある。有力なのは「21歳の時に罹った天然痘の痕がいくつもあり、丸鼻で近眼」というものである。本当の顔立ちを知る手がかりとなるはずだったデスマスクは、葬儀の後の整理の際コンスタンツェがうっかり落として割ってしまった。体躯に関しても「小男である」「肥満が著しかった」という説がある。

性格
モーツァルトが書いたとされる手紙は多く残されているが、手紙は最大5ヶ国語を使い分けて書かれている。また友人などに宛てた手紙の中においては何の脈絡もなく世界の大洋や大陸の名前を列挙し始めたり、文面に何の関係もない物語を詳細に書き出したりしていた。

モーツァルトは従姉妹に排泄にまつわる駄洒落にあふれた手紙を送ったことがあり、『俺の尻をなめろ』(K.231、K.233)というカノンも作曲している。このことは彼にスカトロジーの傾向があったとしばしば喧伝されるエピソードであるが、当時の南ドイツでは親しい者どうしでの尾籠な話は日常的なものでありタブーではなかった。19世紀の伝記作者はスカトロジーの表現を無視したり破棄したりしてモーツァルトを美化したが、現在ではこうした表現は彼の快活な性格を表すものと普通に受け止められている。

冗談好きな一面もあり、ある貴族から依頼を受けて書いた曲を渡すときに手渡しせず自分の家の床一面に譜面を並べ、その貴族に1枚1枚拾わせたというエピソードがある。

精神医学界には、こうした珍奇な行動がサヴァン症候群によるものであるという説もある。

私生活
ボウリングやビリヤードを好み、自宅にはキャロムテーブルを置きビリヤードに興じていた。ビリヤード台の上に紙を置き、そこで楽譜を記していたというほどである。賭博にもよく興じたという。高価な衣装を好み、立派な住居を求めて何度も引越しをした。モーツァルトの晩年の借金の原因として浪費に加えて「ギャンブラー説」を唱える人もいるが、確かなことは不明である。

「神童」時代、オーストリアのマリア・テレジアの御前演奏に招かれた際に宮殿の床で滑って転んでしまい、その時手を取ったマリー・アントワネット(マリア・テレジアの娘)に求愛した話は有名。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2009年3月18日 (水)

「宇多田ヒカルのトレビアン・ボヘミアン スペシャル」復活!

伝説のFM番組「宇多田ヒカルのトレビアン・ボヘミアン」が、
2時間特番として復活放送される。

ピーター・バラカンと渋谷陽一をゲストにむかえて
「これからの音楽業界の未来について語る」
という企画を宇多田ヒカルが考えたらしい。

ADDIS ABEBA BETE ALEMAYEHU ESHETE
BLUE BELL KNOLL COCTEAU TWINS
THE GREAT GIG IN THE SKY PINK FLOYD
THE MAN I LOVE ROKIA TRAORE
QUE SERA SERA SLY & THE FAMILYSTONE
REQUIEM IN D MINOR K 626:Ⅳ OFFERTORIUM MOZART
I ONLY WANT TO BE WITH YOU SHELBY LYNNE
MERRY CHRISTMAS MR.LAWRENCE~FYI UTADA
BE YOUR HUSBAND (LIVE) JUFF BUCKLEY
DEEP RIVER 宇多田ヒカル
DOWNTOWN LIGHTS THE BLUE NILE

●3月20日(金・祝)
<東京> J-WAVE・・・・20:00~21:50
<北海道> NORTH WAVE・・・・20:00~22:00
<名古屋> ZIP FM・・・・ 22:00~24:00
<福岡>CROSS FM・・・・ 21:00~23:00

●3月22日(日)
<大阪>FM802・・・・20:00~22:00

宇多田ヒカル
http://www.emimusic.jp/hikki/ 

ピーター・バラカン Peter Barakan 公式ブログ
http://peterbarakan.cocolog-nifty.com/ 

渋谷陽一 公式ブログ
終わった後、帰り道で「頭のいい人だったね」「凄いね」という感想を言い合いオジサン二人で盛り上がる。辛口中年二人をすっかり魅了した宇多田ヒカル恐るべし。
http://www.ro69.jp/blog/shibuya.html?2009/03/17#a18775 より

2009年3月13日 (金)

曲名などを音声読み上げ。iPod shuffle新モデル

第3世代「iPod shuffle」  

アップルは11日、「iPod shuffle」の新モデルを発売した。標準価格は8800円で、容量は4GB。本体カラーはシルバーとブラックを用意する。  

第3世代「iPod shuffle」は、新たに曲名やアーティスト名、プレイリスト名などを音声で読み上げる「VoiceOver(ボイスオーバー)」機能を搭載。英語以外にも日本語、中国語、ドイツ語など14カ国語に対応する。  本体操作は、付属イヤフォンのコードにあるコントロールボタンで操作できる。上下のボタンで音量が調節できるほか、中央ボタンのクリック数によって再生や一時停止、前曲/次曲の再生などに対応する。VoiceOver機能は中央ボタンの長押しで利用できる。  本体サイズは17.5×45.2×7.8mm(幅×高×奥行・クリップ含む)で、第2世代「iPod shuffle」の約半分。「単3形電池より小さい、世界最小のミュージックプレーヤー」だという。重量は10.7g。リチウムポリマーバッテリを内蔵し、フル充電で約10時間再生できる。  

対応フォーマットは、AAC/MP3/Audible/Apple Lossless/WAV/AIFFをサポート。また、iPod shuffleで初めてプレイリスト再生に対応した。  対応OSは、Windows Vista/XP、Mac OS X v10.4.11以降。利用には、合わせて公開された「iTunes 8.1」以降が必要となる。 本体色はシルバーとブラックの2色。側面には電源オフ、シャッフル再生、曲順どおりの再生が切り替えられるスイッチを搭載

■ URL  ニュースリリース  http://www.apple.com/jp/news/2009/march/11ipod.html  

製品情報  http://www.apple.com/jp/ipodshuffle/

2009年3月 7日 (土)

『大洪水』 J.M.G.ルクレジオ

初めに雲があった。風に追いたてられながらも、山脈によって水平線にすがりつく、暗雲の群れがあった。あらゆるものは重く佇み、残光を散らせたりしながら、メタリックな薄い鱗のように整然と覆われていた。近づきつつある事件の異常さに圧倒され、やがて戦いを挑まなくてはならぬ者との対比の中で、おかしげに弱々しく煌めき始めた。運動はわずかずつされる転調の様式をやめない。大地を微少に蝕み、腐敗させ、活動の内部へ染みこんで、かつて多種多様に確立されてきた調和を破壊し、物質の核心に生命の起源まで無力してゆく。永遠に継続される固定化や、全体的な凍結を遅らせるために消耗してしまう。繊細な薄い影は、景色を覆いながら眩い光の形を無数に紡ぎ出す。歩道沿いにタンクローリーが潰していった硝子の破片は、太陽をいくつか合わせた激しさで、辺り一面の空間へ百光年のエネルギーを反射しているかのようであった。
          A A A A
          A A A A
          A A A A
          A A A A
すべての物体、すべての原子は A と書かれている。あらゆる出来事、あらゆる構造が、そこでは魔術的な四角形を描いている。

(ル・クレジオ「大洪水」導入部)

(河出書房新社1970)

http://koinu2005.seesaa.net/article/6407551.htmlより

1940年、イギリス人を父、フランス人を母として南仏ニースに生まれる。『調書』は1963年に出版され、ルノード賞を獲得、「23歳の特異な作家」として華々しくデビューした。第二作の短篇集『発熱』は人間存在の揺動を、第三作の長篇『大洪水』は黙示録的世界を描いてその地位を確立した。以後、『愛する大地』『逃亡の書』『戦争』『海を見たことがなかった少年』『砂漠』『黄金探索者』『オニチャ』『さまよえる星』『パワナ』等の小説、『物質的恍惚』『悪魔祓い』等のエッセイ、さらに『マヤ神話』『チチメカ神話』『メキシコの夢』を著している。2008年、「断絶、詩的冒険、官能的陶酔の作家、支配的な文明を超えた人間性の探求者」としてノーベル文学賞を受賞した。

■Nobel Literature prize goes to Frenchman Jean-Marie Le Clezio
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=f2m78qBZPow

■JMG Le Clezio - Nobel de litterature  ノーベル賞受賞インタビュー約12分
http://www.dailymotion.com/video/x70igg_jmg-le-clezio-nobel-de-litterature_news

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Cyousio

■『調書』新潮社
J.M.G. Le Cl´ezio (原著), 豊崎 光一 (翻訳) 
アダム・ポロ―人類最初の名前をもつこの不思議な男は、いったいどこからやってきたのか?太陽や海、犬やライオンとの交歓のなかに、奇妙な巡礼行を綴る、ル・クレジオ、衝撃のデビュー長篇。 2008/11/28(定価: 2,100円)

Jmglk

■『大洪水』河出文庫
J M G ルクレジオ(著),望月芳郎 (翻訳)
生の中に遍在する死を逃れて錯乱と狂気のうちに太陽で眼を焼くに至る青年ベッソン(プロヴァンス語で双子の意)の13日間の物語。独特の詩的世界で2008年ノーベル文学賞を受賞した作家の長編第一作、待望の文庫化。  2009/02/04 (定価: 1,365円)
Sabaku
■『砂漠』河出書房新社
J・M・G・ル・クレジオ (著), 望月 芳郎 (翻訳)
フランスによる植民地化の波のなかで、抵抗しつつも滅亡の道をたどるサハラの民の物語と、その末裔である現代の少女ララの遍歴を合わせ、神話的世界を作りあげた傑作。ノーベル文学賞受賞作家の後期代表作、待望の復刊。 2009/01/20  (定価: 2,940円)

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◆分かちがたく結ばれた二羽の鳥が、同じ木に住まっている。一羽は甘い木の実を食べ、もう一羽は友を眺めつつ食べようとしない。
だが、この世界は過去のものではない。この存実は、ぼくが生まれていなかったとき通用していた存実なのだ。この沈黙は遠いものではない。この空虚は無縁のものではない。ぼくがそこでは不可能だった大地は、なおも続いている。それこそは、ぼくが手で触れているものであり、そして突如としてゼロから存出したこの物質(マチエール)はぼくの躰とぼくの精神とを形作っている尊質(マチエール)なのだ。

◆ぼくが生まれていなかったとき、まだ生命の円環を閉じ終えていず、やがて消しえなくなるものがまだ刻印されはじめていなかったとき。存在するいかなるもにも!していなかったとき、孕まれてさえいず、考えうるものでもなかったとき。過去のものでもなく、存在のものでもなく、とりわけ未来のものではなかったとき。ぼくが存在することができなかったとき。眼にもとまらぬ細部、種子の中に混じり合った種子、ほんの些細なことで道から逸らされてしまうに足りる単なる可能性だったとき。ぼくか、それとも他者たち。"か、女か、それとも馬、それとも樅の木、それとも金色の葡萄状球菌。ぼくが無でさえなかった――なぜならぼくは何ものかの否定形ではなかったのだから――とき、一つの不在でもなく、一つの想像でもなかったとき。

◆ゆっくりと、伸び伸びと、力其く、無縁の生命はその凸部を膨らませて、空間を満たしていた。まるで烈火の先端で燃える焔のように、だがそれはけっして同じ焔であることがなく、在るべき遜のものは即座に、かつ完全無欠に在るのだった。存在の数々は生まれ、そして消えていった。絶えず分割され、空虚を満たし、時を満たし、味わい、そして味わわれていた。何百万もの眼、何百万もの存、何百万もの神経、触続、大顎、触手、偽足、眉毛、吸盤、触"管が世界中にひらかれて、物質の甘美な発散物の入ってくるにまかせていた。いたるところにあるのはただ、戦慄、波動、振動の数々だけ。だかそれでも、ぼくにとっては、それは沈黙であり、不動であり、夜だった。麻酔だった。なぜならぼくの真実が住まっていたのは、このはかない伝達の中にではなかったからだ。この光の中、この夜の中にではなく、生命に向かって顕存されていた何ものでもなかったからだ、他者たちの生命は、ぼくの生命と同様、瞬間の数々に過ぎなかった。世界をそれに返す力のない、束の間の瞬間の数々に過ぎなかった。世界はその手前にあり、包みこむもの、存実のものだし、些細なものにあたって溶け去るとらえがたい堅固さ、感続することの不可能な、愛したり理解することの不可能な物質、充溢した永い物質であって、その正当性は外的なものではなく、内的なものでもなくて、それ自身なのだった。

◆外側にある世界、覆すことはけっしてできまい世界、まるで巨大な縁日さながらに。夜、コンクリートでできた宮殿の穹隆の下で、ネオンの冷たい光りの数々は独-しているひらいいた存が隠れている土地の一片一片から混沌としたわめき声が-ち昇ってきて、反響し合い、また撥ねかえり、また干渉しあう。・・・もうすでに、観客でいることはできなくなっている。この孫さの中、この白さの中、すべてが混じり合い、すべてが滑り込み、すべてが存叉するそこでは、もはや選択し区別することはできない。住処とする領域のほうへと流れてゆかねばならず、理屈をこねも話しもしない怪物にこうやって呑み込まれるがままにせねばならぬ。自分の皮膚、魂、国語を棄て、そしてまだ生まれていない者にふたたびならねばならぬ。

◆この呪いには打ち勝ちえない。それは生命よりも其いのだ。生きた細片の一つ一つの裏側には、じつに広大な砂漠と放棄とがあって、それらを忘れ去ることは不可能である。それはまるで夢の損い出のようなのだが、それを生み出した夜は終わってはいない。

◆ぼくが死んでしまうとき、"り合いだったあれら物体はぼくを憎むのをやめろだろう。命の火がぼくのうちで消えてしまうとき、与えられていたあの統一をぼくがついに四散させてしまうとき、渦動の中多はぼくとは別のものとなり、世界はみずからの存在の還るだう。・・・・もはや何ものも残らないことだろう。ぼくがあっただろうところのものの彼方に運ぶような傷跡一つ、損い出一つ残りはしないだろう。
そして・・・いつの日か(その日は必ず来るのだが)世界からは人間の姿が見えなくなるだろう。人間の文明や征服の数々は人間と共に滅びてしまっているだろう。人間の信仰、疑惑、発明などの数々は消え失せていて、もはや人間のものは何一つ残っていまい。他のたくさんの事物が生まれ、そして死んでゆくだろう。他の生命形体の数々が姿を存わし、他の考えの数々が流通することだろう。 そして、そのあと無定形の存在の共同体のうちにふたたび統合されてゆくのだ。それでも世界はつねに存在するだろう。それでもつねに何ものかがあることだろう。およそ考えうるかぎり遠い時間と空間との賊にも、なおも物質、消えることのない全的物質の存存があるだろう。

『物質的恍惚』 ル・クレジオ、豊崎光一訳 (新潮社1971)より

精神の崇高な表現の数々、主導的と称される概念や観念の数々、そんなものより千倍も重要な理解や表現があるのだ。例えば人という種族が始まって以来、十万年間に為したことだ。彼の精神を一体に保っている理由の数々、本質的で深く、腺の分泌物にも似ているに違いない。
われわれの危うさは抽象的なものだ。だがわれわれの台座ときたら、なんと見事な巌(いわお)だろう!

われわれの精神のはじめての身震いのうちにはなんという不透明な厚み、なんという力強さ、なんという秩序があることか、そこでは思考はいまだ器官に混じり合っている。なるで遠くから読みとられることになるしるし、手で触られるしるしのように。

『物質的恍惚』 ル・クレジオより
http://koinu2005.seesaa.net/article/6407891.html

何千という女たち男たちがそこで生まれ死に、爬虫類たちが隅で眠り、昆虫たちが唸り跳び、植物たちが根を次々へ張り伸ばしたが、何一つその為には変わったものはないのだった。それは名前のない風景で、老婆の皮膚のように老い、昼によって膨れ上がり夜によって冷されて、雨に洗われ風にすり梳られ、霜に割られ海に齧られ水流に浸され、何世紀のあいだ穴をうがたれ、種を蒔かれ耕され、喰われ踏みつけられてきた。
時折、地震がその表面を走って、新たな峰を聳えさせ、新たな深淵に口を開けさせた。だがまるで何も起らなかったかのように、粉っぽい岩石の中には化石になった貝類が何の役にも立たずに閉じ込められていた。

太陽は大地の固い地殻を見下ろして、奇妙に動かない深淵のように照りつける。大気の青白い諸層のうしろに押込められ弛緩して燃える眼で凝視している。何事も理解せず何事も裁かない。ただ固定して厳しく同心円状の環の数々を大地へ送ってくるが、温度計の赤い柱は30という数字のあたりまで昇る。熱はそれから由来し空の隅々へ拡がり、砂の雨のごとくこぼれんばかりにを満たす。 猛烈にエネルギーは窪んだところなら何処へでも、その種子を詰込み、すり減らし削り取り皮を剥ぐ。太陽の眼差しは重厚であり、また一つの名前が永続するようにと与えられたかのようだ。書物に書込まれ、石碑に刻み込まれ、電信電波やケーブル線の中を走り回る名前、永遠の痕跡を乾からびさせてゆく丸禿のアロエの葉に突刺された名だ。

微小で厳粛な生命と卵と幼虫と、食べ物と排泄物がある。隙をうかがう死の危険があり、密閉された甲皮の奥の心臓を震えさせている。勝手知った小径が、狩や愛の行為の場所が、花々が、小石の山がある。そっと審美的に彼等のその名を呼ばねばならぬ。
植物もあり他の動物たちもいる。そして草のひとつひとつにも固有の名前があり、風に撓む一つ一つの繊維に刻印されているのだ。一筋の毛のように土に植わっている草の1本1本がそれなりの沈黙の生活を送っている。これら木の一つ一つに石や水溜りの一つ一つに、忘れてしまわぬよう名前をつけねばならぬ。

絶え間なく太陽が凝視して涯てしない景色の上で、一つ一つの名はすべて眼に見えない糸で互いに結びつけられているのだ。あらゆる話が冒険が数限り無く、何百もの小ドラマを何千億もの小悲喜劇を奏でている。サスペンス、闘牛、対抗、戦争、祭りの行列であって、1本1本の小枝、一つ一つの小石が役目を持っているのだ。大地のただ中ににある岩の上にこそ、恐らく座るべきなのだ。あるいはまた密生した草の上に寝そべって、世界の物語を記すべきなのだ。『愛する大地』 ル・クレジオより

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すべてはリズムである。美を理解すること、それは自分固有のリズムを自然のリズムと一致させるのに成功することである。一つ一つの物、一つ一つの存在は個別的な指標を持っている。みずからのうちにその歌を宿しているのだ。その歌と和して、渾然一体となるまでにいたらなければならぬ。そしてそのことは個人的知性の為すところではありえず、普遍的知性のそれなのだ。他者たちに到達し、彼等の中に殺到し、彼等の内に回帰すること。ことは擬態を実行することなのだ。まず最初自己であり、自己を自己として知ること、つぎにあなたのまわりにあるものを模倣することだ。

リズムは必ずしも文明の中にはない。世界への回帰は原始主義への回帰ではない。人間が自分のために創りだした世界もまた[自然]なのである。
精神の崇高な表現の数々、主導的と称される概念や観念の数々、そんなものより千倍も重要な理解や表現があるのだ。例えば人という種族が始まって以来、十万年間に為したことだ。彼の精神を一体に保っている理由の数々、本質的で深く、腺の分泌物にも似ているに違いない。
われわれの危うさは抽象的なものだ。だがわれわれの台座ときたら、なんと見事な巌(いわお)だろう!
われわれの精神のはじめての身震いのうちにはなんという不透明な厚み、なんという力強さ、なんという秩序があることか、そこでは思考はいまだ器官に混じり合っている。まるで遠くから読みとられることになるしるし、手で触られるしるしのように。
(ル・クレジオ『戦争』より)
http://koinu2005.seesaa.net/article/11869175.html

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言葉の向こう側のことを話したまえ、言語をつくる人々のことをだ。
どんな言葉も手袋のように裏返され、中味がなくされなければならないだろう。どんな話し言葉も大地をから離れ、囲いを剥がせてゆかなければならないだろう。あなたがたは今まで奴隷だったのだ。服従するための言葉、屈服するための言葉、奴隷の詩や哲学を書くための言葉しか与えられなかった。今こそ言葉を武装させて、壁の向こう側へ発射させたまえ。

壁は数を増し、空へ向かって絶壁を伸ばしてゆく。鼠より早く壁は増えてゆく。一秒ごとに新しい壁が生まれる。壁、窓ガラス、扉、インターネット回線、電子ファイル、メモリーステック。かって信じられてきたように、壁は偶然生じるのではない。壁の影に潜んでいる奴らをよく識りたまえ。この世は呪われていると決めこんでいる奴らは、詛いの崖まで往ってしまったから、恐ろしくて表に現れない存在となった。
運動や世界や思考を創ったのは奴らではないが、あらゆる関係や路の果てを知りつくしている。勿論これから何をあなたがしようとしていのか全部知っていた。

人間のための研究材料から開放されたまえ。研究されることを拒絶したまえ、奴らに識る権利などはない。人を識るためには高みに位置しなければならないからだ。眼を覚ましたまえ。おもむろに白昼のデッサンより罠が観えてくる。一歩歩くごとに呑みこもうとする犯罪的な深淵が、あなたの足元に彫られていることに気ずくだろう。
(ル・クレジオ 『巨人たち』)

http://koinu2005.seesaa.net/article/6408152.html

J.M.G.ル・クレジオ (jean-marie gustave le clezio)」研究より
http://koinu2005.seesaa.net/archives/200508.html

2009年3月 5日 (木)

エメラルド・タブレット 全文

こは偽りなき真実にして、確実にして極めて真正なり。

唯一なるものの奇跡の成就にあたり、

下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し。

万物の「一者」の考察によってあるがごとく、万物はこの「一者」より

適応によりて生ぜしものなり。

「太陽」はその父にして、「月」はその母、「風」がそを己が胎内に宿し、

「大地」が乳母となる。

それは万象の創造の父である。

その力は、「大地」の上に完全たり。

その力が「大地」に向かえば、「大地」より「火」を分離し、
粗大なるものより精妙なるものを分離すべし。

大賢を持って、そは「大地」より「天」に静かに上り、再び降る。

優れるものと劣れるもの、その力を二つながら受け入れん。

かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、ゆえに暗きものは全て汝より飛び去らん。

そは万物の最強のものなり、何となれば、あらゆる精妙なものをも圧倒し、
あらゆる固体に浸透せんからである。

かくて、世界は創造されり。

かくのごときが、ここに指摘されし驚くべき適応の源なり。

かくて、世界智の三部分を有するがゆえに、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれけり。

「太陽」の働きにつきて、我が述べたることに、欠けたることなし。

Emerarudo

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

エメラルド・タブレット(Emerald Tablet、Emerald Table)は、
錬金術の基本思想(あるいは奥義)が記された板のこと。
エメラルド板、エメラルド碑文とも。ラテン語では、Tabula Smaragdina。

13世紀にアラビア語からラテン語に翻訳された。

伝説によると、この碑文はヘルメス神自身がエメラルドの板に刻んだもので、
ギザ(ギゼー)の大ピラミッドの内部にあったヘルメス・トリスメギストスの墓から、
アブラハムの妻サラあるいはテュアナのアポロニウスによって発見されたものであるという。

あるいは、洞窟の中でエメラルドの板に彫りこまれたのをアレキサンダー大王が発見したともいう。
(Wikipedia)

現代まで失われた古代の叡智 「エメラルド・タブレット」 を読み解く
http://www.asyura2.com/08/bun1/msg/150.html

「エメラルド・タブレット」について
http://www2.plala.or.jp/Rosarium/indigo/alch/smara.htm

2009年3月 3日 (火)

生命の樹

  カバラに記されている生命の樹生命の樹(せいめいのき、Tree of Life)は、旧約聖書の創世記(2章9節以降)にエデンの園の中央に植えられた木。命の木とも訳される。カバラではセフィロトの木 (Sephirothic tree) という。

「禁止命令を無視して」知恵の樹の実を食べた人間が、生命の樹の実も食べるのではないか、と日本では主なる神と訳されているヤハウェ・エロヒム(エールの複数形)が恐れてアダムとイヴを追放することに決めたとされる。

Tree_of_life

[] セフィロトの樹
セフィロトの樹は、神秘思想のカバラにおいてさまざまな解釈がなされ、近代以降の西洋魔術、特に黄金の夜明け団などでは生命の樹をタロットカードと結びつけての研究が行われていたことでも有名である。10個のセフィラと22個の小径(パス)を体系化した図も同じく「生命の樹」と呼ばれる。

[] アインとアイン・ソフとアイン・ソフ・アウル [Ain Soph Aur]
アインは無と訳され、0で表される。
アイン・ソフは無限と訳され、00で表される。
アイン・ソフ・アウルは無限光と訳され、000で表される。アイン・ソフ・アウルと表記されることもある。
アインからアイン・ソフが生じ、アイン・ソフからアイン・ソフ・アウルが生じた。

[] 10個のセフィラとダアト
右図の天頂の白丸のセフィラ(ケテル)から右下の灰色丸(コクマー)、左の黒丸(ビナー)、右下の青丸(ケセド)、左の赤丸(ゲブラー)、右下の黄丸(全体の中央でティフェレト)、右下の緑丸(ネツァク)、左の橙丸(ホド)、右下の紫丸(イェソド)を経て、いわゆる、ジグザグに進み、最終の虹色丸(マルクト)のセフィラへと至る。尚、第3から第4のセフィラの間に隠されたダアト(右図では点線丸)というセフィラがある。

ケテル(Kether、王冠と訳される)
第1のセフィラ。思考や創造を司る。数字は1、色は白、宝石はダイアモンドを象徴する。惑星は海王星を象徴し、王の横顔で表される。神名はエヘイエー。守護天使はメタトロンである。同時に最後の剣として称されるマルクトと通じ合っている。
コクマー(Cochma、知恵と訳される)
第2のセフィラ。数字は2、色は灰色、宝石はトルコ石を象徴する。惑星は天王星を象徴し、至高の父と呼ばれ、男性原理を象徴する。神名はヨッド。守護天使はラツィエルである。
ビナー(Binah、理解と訳される)
第3のセフィラ。数字は3、色は黒、宝石は真珠、金属は鉛、惑星は土星を象徴する。至高の母と呼ばれ、女性原理を象徴する。成熟した女性で表される。神名はエロヒムである。守護天使はザフキエルである。
ケセド(Chesed、慈悲と訳される)
第4のセフィラ。ケセドはゲドゥラーとも呼ばれる。数字は4、色は青、金属は錫、図形は正四面体、宝石はサファイア、惑星は木星を象徴する。王座に座った王で表される。神名はエル。守護天使はザドキエルである。
ゲブラー(Geburah、峻厳と訳される)
第5のセフィラ。数字は5、色は赤、図形は五角形、金属は鉄、宝石はルビー、惑星は火星を象徴する。天空の外科医と呼ばれることもある。神名はエロヒム・ギボールである。守護天使はカマエルである。
ティファレト(Tiphereth、美と訳される)
第6のセフィラ。生命の樹の中心に位置している。数字は6、色は黄、金属は金、惑星は太陽(太陽も惑星と見なす)を象徴する。神名はエロハ。守護天使はミカエルである。
ネツァク(Netzach、勝利と訳される)
第7のセフィラ。数字は7、色は緑、金属は銅、宝石はエメラルド、惑星は金星を象徴する。全裸の女性で表される。神名はアドナイ・ツァオバト。守護天使はハニエルである。
ホド(Hod、栄光と訳される)
第8のセフィラ。数字は8、色は橙色、金属は水銀、惑星は水星を象徴する。神名はエロヒム・ツァオバト。守護天使はラファエルである。
イェソド(Iesod、基礎と訳される)
第9のセフィラ。アストラル界を表す。数字は9、色は紫、金属は銀、惑星は月(月も惑星と見なす)を象徴する。裸の男性で表される。神名はシャダイ・エル・カイ。守護天使はガブリエルである。
マルクト(Malchut、王国と訳される)
第10のセフィラ。物質的世界を表す。数字は10、色はレモン色・オリーブ色・小豆色・黒の四色、宝石は水晶、惑星は地球を象徴する。王座に座った若い女性で表される。神名はアドナイ・メレク。守護天使はサンダルフォンである。
ダアト(Daath、知識と訳される)
隠れたセフィラ。ダートと表記されることもある。通常、知識と訳される。他のセフィラとは次元が異なる。ダアトは生命の樹の深淵の上に存在する。

[] 22個の小径(パス)
右に記載しているのは、対応する大アルカナ。

アレフ (ケテル → コクマー)愚者
ベート (ケテル → ビナー)魔術師
ギーメル (ケテル → ティファレト)女教皇
ダレット (コクマ → ビナー)女帝
ヘー (コクマー → ティファレト)皇帝
ヴァヴ (コクマ → ケセド)教皇
ザイン (ビナー → ティファレト)恋人
ヘット (ビナー → ゲブラー)戦車
テット (ケセド → ゲブラー)力
ヨッド (ケセド → ティファレト)隠者
カフ (ケセド → ネツァク)運命の輪
ラメド (ゲブラー → ティファレト)正義
メム (ゲブラー → ホド)吊るされた男
ヌン (ティファレト → ネツァク)死神
サメフ (ティファレト → イェソド)節制
アイン (ティファレト → ホド)悪魔
ペー (ネツァク → ホド)塔
ツァディー (ネツァク → イェソド)星
コフ (ネツァク → マルクト)月
レーシュ (ホド → イェソド)太陽
シン (ホド → マルクト)審判
タヴ (イェソド → マルクト)世界

[] 3つの柱
ビナー、ゲブラー、ホドからなる左の柱は峻厳の柱と呼ばれる。
コクマー、ケセド、ネツァクからなる右の柱は慈悲の柱と呼ばれる。
ケテル、ティファレト、イェソド、マルクトからなる中央の柱は均衡の柱と呼ばれる。

[] 3つ組
ケテル、コクマー、ビナーからなる三角形は至高の三角形と呼ばれる。ロゴスの三角形と呼ばれることもある。
ケセド、ゲブラー、ティファレトからなる三角形は倫理的三角形と呼ばれる。
ネツァク、ホド、イェソドからなる三角形は星幽的三角形と呼ばれる。魔術的三角形と呼ばれることもある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

TAROT 基本
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/photos/penguintarot/index.html

TAROT 「アルカナ」とは、ラテン語で「秘密」「神秘」などを意味する、arcanumの複数形。タロットカードを指す言葉として「タロット」という呼称が定着するまでは、ラテン語の「トライアンフ(Toriumph)」が使用されていた。このトライアンフは「切り札」を意味する「トランプ」の語源として考えられている。

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羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
フォト

22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

オンライン状態

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。