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2009年6月27日 (土)

ダダイスム(Dadaïsme)

1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のことである。単にダダとも。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。ダダイスムに属する芸術家たちをダダイストとよぶ。

初期ダダ
1910年代半ばにヨーロッパのいくつかの地方やニューヨークなどで同時多発的かつ相互影響を受けながらその流れは発生した。「ダダ」という名称は1916年にトリスタン・ツァラが命名したため(辞典から適当に見つけた単語だったとも言われる)、この命名をダダの始まりとすることもある。ツァラなどによってチューリッヒで行われた、特にチューリッヒ・ダダと言われる運動は、キャバレー・ヴォルテール(Spiegelgasse 1 番地に往時の様子を偲ぶことができる)を活動拠点として参加者を選ばない煽動運動的要素も孕んでいた。

同様の活動について都市ごとに、

チューリッヒ・ダダ(1915年頃-1920年頃、主要な参加者は、ヒューゴー(フーゴー)・バル、ハンス(ジャン)・アルプ、リヒャルト・ヒュルゼンベック、マルセル・ヤンコ、トリスタン・ツァラ、ハンス・リヒター、ゾフィー・トイバーなど)
ニューヨーク・ダダ
ベルリン・ダダ(1917年頃-1922年頃、主要な参加者は、リヒャルト・ヒュルゼンベック、ゲオルゲ・グロッス、ジョン・ハートフィールド、ラウル・ハウスマン、ヨハネス・バーダー、ハンナ・ヘッヒ、ヴァルター・メーリング、ゲルハルト・プライス、ヴィーラント・ヘルツフェルデなど)
ケルン・ダダ(1917年頃-1922年頃、主要な参加者は、マックス・エルンスト、ヨハネス・テオドア・バーゲルト[本名アルフレート・グリューンバルト])
ハノーヴァー・ダダ(1917年頃-1922年頃、主要な参加者は、クルト・シュヴィッタース)
パリ・ダダ(1919年頃-1924年、主要な参加者は、アンドレ・ブルトン、ジャン・クロッティ、ポール・エリュアール、ベンジャミン・ペレ、フィリップ・スポー、ルイ・アラゴン、ジョルジュ・リブモン=デセーニュ、ジャック・リゴー、テオドア・フラエンケルなど)
東京・ダダ(1921年-1925年[1] 主要な活動家は、辻潤、清沢清志、高橋新吉、吉行エイスケ、MAVO(1923-1925)の柳瀬正夢、村山知義、尾形亀之助、大浦周蔵、門脇晋郎、高見沢路直(田河水泡)、『赤と黒』の萩原恭次郎、壺井繁治、岡本潤、川崎長太郎、林政雄、小野十三郎など)
などがある。1918年にチューリッヒでツァラによりダダ宣言(第2宣言)がなされる。その後1922年頃にツァラとアンドレ・ブルトンとの対立が先鋭化し、ダダから離脱したブルトン派によるシュルレアリスムの開始と前後して勢いを失った。

ネオダダ
1960年代にアメリカでダダイズム運動が復興し、ネオダダと呼ばれ、「反芸術」運動として隆盛した。のちのポップ・アートやコンクレーティズム(日本では具体派)、コンセプチュアリズムなどへ分岐していった。この意味で第二次世界大戦以後の現代美術の震源地となったといえる。

写真・映画
ダダイスムに立脚した写真表現も存在する。第一次大戦と続く第二次大戦を通じて形成された虚無感を背景に、常識や秩序に対する否定や破壊といった感覚を表現の基調とする。

ダダと呼べるような写真作品を残している代表的な写真家・美術家に、マン・レイ、クリスチャン・シャド、マックス・エルンスト、ジョン・ハートフィールド、クルト・シュヴィッタース、ハンナ・ヘッヒ、ラウル・ハウスマン、北園克衛などが挙げられる。

ダダに特に多い写真表現としては、フォトモンタージュがある。単に写真を切り貼りしたというコラージュというような作品から、より緻密に1枚の作品に仕上げているものまであり、後者の作品は、シュルレアリスムの写真へもつながっていく。複数の写真を組み合わせることにより、比較的に容易に、意外性を生じさせたり社会風刺ができるところに、ダダイストたちがフォトモンタージュを好んだ理由の1つがあると推測される。

ドイツの画家ハンス・リヒターは1910年代半ばから1920年代にかけて、ダダイスム映画作品も手がけている。

日本におけるダダ
1920年(大正9年)『万朝報』8月15日号に記事「ダダイズム一面観」が掲載される[2]。高橋新吉が1921年11月に辻潤宅を訪問し、ダダについて辻に教示し、辻はダダイストを名乗るようになる[3]。1922年12月『ダダイズム』を 吉行エイスケが発刊。[4]。翌年1923年(大正12年)1月には萩原恭次郎、壺井繁治、岡本潤、川崎長太郎らが『赤と黒』を創刊。同年2月には 高橋新吉が詩集「ダダイスト新吉の詩」(中央美術社)を発表する(辻潤が編集した)。「DADAは一切を断言し否定する」で始まる[5]。同年7月には村山知義、柳瀬正夢、尾形亀之助らがMAVOを結成し、翌年6月には『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』が玉村善之助、橋本健吉、野川隆らによって創刊される。日本では1922年から1926年がダダ運動のピークとなった。ダダイズムは以降も、中原中也、坂口安吾、宮沢賢治など広範にわたって影響を与えた[6]。

辻潤 高橋新吉よりダダイズムの運動を知り、自らをダダイストと名乗る。
『ダダイズム』(1922年12月〜1923年?) 吉行エイスケ発刊。
『赤と黒』(1923年1月〜1924年6月)の萩原恭次郎、壺井繁治、岡本潤、川崎長太郎、林政雄、小野十三郎など)
高橋新吉 1923年(大正12年)詩集「ダダイスト新吉の詩」(中央美術社)ほか。
MAVO (1923年7月〜1925年)村山知義、柳瀬正夢、尾形亀之助、大浦周蔵、門脇晋郎の五名が代表メンバー。高見沢路直(田河水泡)ものちに参加。
ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム(1924年6月~1926年1月)、編集人は玉村善之助、橋本健吉、野川隆。北園克衛、稲垣足穂、村山知義らも寄稿した。
中原中也 高橋新吉に影響を受け、「ノート1924」に、46篇のダダ的な作品を記す。
北園克衛
坂口安吾 ヴィトラックやツァラの詩を翻訳[7]。

戦後は、1960年代にネオダダを標榜して高松次郎・赤瀬川原平・中西夏之らによるハイレッド・センターが「東京ミキサー計画」などのハプニングイベントを遂行した。

なお、ウルトラマンに登場した三面怪人ダダのネーミングは、ダダイスムに由来するという。ちなみに、「ブルトン」の名を持つ怪獣もウルトラマンに登場している。

主な芸術家 List of Dadaists

ギヨーム・アポリネール
ルイ・アラゴン(Louis Aragon; 1897年-1982年)
ジャン・アルプ(ハンス・アルプ)(Hans Arp, Jean Arp; 1887年-1966年)
ポール・エリュアール(Paul Eluard; 1895年-1952年)
マックス・エルンスト(Max Ernst; 1891年-1976年)
ジョージ・グロス(ゲオルグ・グロッス)(George Grosz; 1893年-1959年)
ジャン・クロッティ(Jean Crotti; 1878年-1958年)
クリスチャン・シャド
クルト・シュヴィッタース(Kurt Schwitters; 1887年-1948年)
フィリップ・スポー(Philippe Soupault; 1897年-1990年)
サルバドール・ダリ
トリスタン・ツァラ(Tristan Tzara; 1896年-1963年)
マルセル・デュシャン
ゾフィー・トイバー(Sophie Taeuber; 1889年-1943年)
ラウル・ハウスマン(Raoul Hausmann; 1886年-1971年)
ヨハネス・テオドア・バーゲルト(本名アルフレート・グリューンバルト; Alfred Emanuel Ferdinand Grünwald)(Johannes Theodor Baargeld; 1892年-1927年)
ヨハネス・バーダー(Johannes Baader; 1875年-1955年、または、1876年-1955年、または、1875年-1956年)
ジョン・ハートフィールド(John Heartfield, Helmut Herzfelde; 1891年-1963年)
ヒューゴー・バル(フーゴー・バル)(Hugo Ball;1886年-1927年)
リヒャルト・ヒュルゼンベック(Richard Huelsenbeck; 1892年-1974年)
ライオネル・ファイニンガー
ゲルハルト・プライス(Gerhard Preiss; )
テオドア・フラエンケル(Théodore Fraenkel; 1896年-1964年)
アンドレ・ブルトン(André Breton; 1896年-1966年)
ハンナ・ヘッヒ(Hannah Höch; 1889年-1978年)
ヴィーラント・ヘルツフェルデ(Wieland Herzefelde; 1896年-1988年)
ベンジャミン・ペレ(Benjamin Péret; 1899年-1959年)
ヴァルター・メーリング(Walter Mehring; 1896年-1981年)
マルセル・ヤンコ(Marcel Janco; 1895年-1984年)
ジャック・リゴー(Jacques Rigaut; 1899年-1929年)
ハンス・リヒター(Hans Richter; 1888年-1976年)
ジョルジュ・リブモン=デセーニュ(Georges Ribemont Dessaignes; 1884年-1974年)
マン・レイ

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