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2009年7月 5日 (日)

全日本冷し中華愛好会

1975年にジャズピアニストの山下洋輔が、冬に冷し中華を食べられないことを憤慨して、SF作家の筒井康隆や中州産業大学教授タモリらと共に「全日本冷し中華愛好会」という団体を立ち上げ、「冷し中華祭り」を開催した。第1回の1977年「冷し中華祭り」の場で、筒井康隆が2代目1978年の会長となった。

会報「冷し中華」発行。内容は『空飛ぶ冷し中華』(住宅新報社 1977.4)『空飛ぶ冷し中華 part2』(住宅新報社 1978.6)にまとめられた。
執筆者は、山下洋輔、筒井康隆、奥成達、平岡正明、坂田明、日比野孝二、河野典生、上杉清文、山口泰、伊達政保、舎人栄一、岡崎英生、瀬里なずな、小山彰太、池上比沙之、堀晃、黒鉄ヒロシ、赤瀬川原平、高信太郎、長谷邦夫、南伸坊、末井昭、長谷川法世、タモリ、吉峯英虎、赤塚不二夫、高平哲郎、朝倉喬司。


全冷中「冷し中華祭り」秘話
1977年(昭和52年)4月1日、東京有楽町の読売ホールのロビーは開場を待つ若者でごったがえしていた。全日本冷し中華愛好会(全冷中:ぜんれいちゅう)の主催する「第1回冷し中華祭り」が間もなくその幕を切って落そうとしているのだ。集った人の波は、ホールのある7階から階段を下へ下へと流れ一階の入口近くまで続いており、その人波の発する熱気はムンムンとすさまじく、一種異様な雰囲気さえただよっていた。

7階に着くとロビーの壁際にあらかじめ用意しておいてもらった机の上に、ダンボールから取り出した「ヒゲタ冷し中華つゆ」のびんをなるべく目立つように大陳ディスプレイし、ポスターも派手に貼りまくった。読売ホールのロビーの一隅がスーパーマーケットのデモンストレーションセールスの場になった感じである。他には、この日に合わせて発売された住宅新報社出版、全日本冷し中華愛好会編の、「空飛ぶ冷し中華」という本を売るコーナーや、山下洋輔のヨーロッパツアーの演奏を収録したレコードを売るコーナーなどがセットされ、ホールのロビーはお祭りの夜店のようなムードとなってしまった。まさに、この得体の知れない、何が起るか誰もわからない、「冷し中華祭り」の会場にふさわしいお膳立てが出来上ったと云えよう。
瓢箪から駒、ということは聞くが、こんどのことは、まったく、冗談から仕事、としか云いようがない。
ジャズピアニストの弟、山下洋輔が、一寸した冗談から、「全日本冷し中華愛好会」を結成し、自から初代会長におさまったのは、1975年(昭和50年)1月のことであった。その動機とかいきさつとかは、当時の雑誌や、新聞、テレビ、ラジオ等でかなりの話題として取り上げられ、あるいは真面目に、あるいは面白おかしく報じられたのでご存知の方もあるかと思う。私が本人から直接聞いたところでは、大体次のようなことであった。

1月のある日、東京杉並の天沼2丁目の日本そば屋「長寿庵」で昼間からビールを飲んでいたんだ(当時、彼は天沼に借家住まいをしていた)。音楽雑誌の仕事が一段落したあとだったと思う。雑誌の編集者と当時の俺のマネージャーと3人で。結構盛り上がっていたんだ。その時、なぜか急に冷し中華そばが食いたくなった。冬だから無理とは思ったが注文したら、やっぱりまだやっていないと云う返事。この時だ。急に俺の中で何かが燃えた。

「なぜだ!」「なぜ冬はやらないのだ。どうして冬は食ってはいかんのだ。これはまったくいわれのない差別ではないか!」酔いも手伝って考えはかけめぐる……その結果が例の声明文となったわけ。自分でもどこまで本気で、どこまでがジョークかわからないままのめりこんだというか、のみこまれたというか。…(後略)…

例の声明文というのはこれである。
全日本冷し中華愛好会結成のお知らせ

皆様には益々御活躍のことと存じます。さて、爾来、我国の生んだ最高の食品である冷し中華愛好者は日に日にその数を増している現状であります。しかるに一部の無理解なる杜会風潮が我々をして一年を通じてかの食品を賞味したいという希望を実現不可能なるものとしていることは皆様方の熟知せらるところであります。

〈我々は何故我国の冬季においては、かの冷し中華を賞味できないのであるか!〉

このような間違った習慣を少しでも変えていこうという主旨のもとに私達はここに「全日本冷し中華愛好会」を結成するに到りました。何卒皆様の御賛同を切にお願いする次第であります。

昭和50年1月吉日(東京:山下啓義)

会場は熱気と歓声が本大会のシンボルマークである鳴戸(なると)の渦巻きのように波打っていた。第1回冷し中華祭りは1977年4月1日午後6時30分その幕が切って落された。午后1時ごろから入口に並んだ名古屋から来た一番乗りの客を先頭に、6時の開場と共に客席はあっと云う間に埋めつくされ、筒井康隆副会長の開会宣言にはじまり、いとも整然と、メチャクチャに、ものすごい音響と共に進行して行った。
■講演「冷し中華思想の変遷」中州産業大教授タモリ
●対論「バビテン論争の総括」奥成達・平岡正明
●演奏と舞踏 山下洋輔トリオ・大駱駝艦「月の砂漠」
●料理講座
「正調冷し中華の作り方」坂田明(助手・矢野顕子)
■コント「鳴呼!冷し中華」東京ボードビルショウ
●来賓祝辞
○座談会「漫画家にとって冷し中華とは何か」:黒鉄ヒロシ・高信太郎・長谷邦夫・長谷川法世
○歌:矢野顕子・三上實
○全冷中支部長あいさつ:多数
○会長交代:山下洋輔・筒井康隆
本日一番の大歓声と大拍子に迎えられて、全冷中初代会長の山下洋輔は舞台中央のマイクに向った。トレードマークの口ひげ。細いメタルフレームのメガネを人さし指でちょっとずりあげた。会場は一転してシーンと静まりかえった。会長は、ゆったりとした口調で、適当な間をおき、静かなしかし低く通る声で、会長を辞任することを告げた。
「……(前略)……先ほど、舞台におし入って来た、実の兄が何の因果か某大手しょうゆメーカーに勤めており、冷し中華のタレを作っているという厳然たる事実を認める時、全冷中の会長としてこれ以上在位することは、いたずらに会員諸君の疑惑をかきたて会の健全なる運営と発展を阻害するものであると判断し、ここにいさぎよく身を引くことを決断したものである。……(後略)」
会場からは、「ヤマシターやめるな?!」という声が上った。若い女性のすすりなきの声もあったと聞く。このあと第2代会長に、筒井康隆氏が推挙され、場内破れんばかりの大歓声の中に、年号が冷中3年から鳴戸元年に改められたのである。

○フィナーレ:「大合唱、ソバヤ」リードボーカル・坂田明
かくて舞台と会場は大合唱、大乱舞の内に第1回冷し中華祭りは幕を閉じた。

全冷中は、その後、第2回大会を1978年(鳴戸2年)4月26日に、大森の平和島湯泉会館で開催した。新しい企画をもりこんで、これ又大盛況ではあったが、第1回ほどの盛り上りはなかった。私と全冷中の勝負は、やはりあの第1回が最初にして最後であったと思う。

そして一年後、「全冷中は死んだ!」という声明文と共に全国冷し中華愛好会は解散した。あの連中は、又、新しい遊びを、ジョークを、パロディを求めて旅立ったのだろう。
しかし、それにしても、あの連中の遊びの精神の見事さにはおどろくばかりだ。あの精神、あの発想、あの創造力、あのバイタリティは敬服に値する。
いろいろなジャンルの人々と知り合い、新しいものの見方、考え方を肌で感じとる努力を我々は、もっと、もっとしなければならないと思う。(ヒゲタ醤油株式会社のサイトから転載)

──

その時何故急に冷し中華がほしくなったのか
説明するのは難しい。
とにかく、無駄と知りつつも私はそれを注文し、
まだやってないという当然の返事を受け取った。(中略)
「ナゼだ!」と私は叫んでいた。
「何故やっていなのだ。何故冬にはやらないのだ。
どうして冬に食ってはいかんのだ。
これはまったくいわれのない差別ではないか」
強い怒りが込み上げてきた。
「よし。戦おう。もうこれ以上我慢できない。
 冷し中華の長かった忍従と屈辱の歴史は
 本日を持って終わる。
 全日本冷し中華愛好会が今結成されたのだ」

ー晶文社刊
山下洋輔『へらさけ犯科帳』p178
かくして騒々しい夏のイベントは終わった

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