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2009年8月 9日 (日)

『彼等のそれは思想伝達の具たり得るか』<形象8号>

『彼等のそれは思想伝達の具たり得るか』

 自立学校シリーズNO1の目録をみて、松田政男のその執拗な性格に、これこそいまだかつて日本ではみることのなかったヴエルホーペンスキー、あるいは日沼倫太郎のいう処の思想を生んで歩く首猛夫ではあるまいかと感じ入ったのであるが、いささかその足どりの激しさに比して、すなどりの淋しさが物足りなく思えるにしても、やがては壷々をあざやかに打ち当てる老いたオルガナイザーを、吾々は恐らく持つだろうことをあてにしてよいのである。いまはまだ打ち上げる球が高々とであろうと、背丈ほどであろうと、球という球はすべてフアウルになるという現状認識さえあるならば、来る球は断じて打つ松田政男をしかし物足りなく思う理由など吾々は持っていないといってよい。ところでその目録であるが、このはなはだ精緻をきわめた記述のなかに、開校集会の際に臨時講師に立候補した中西夏之と刀根康尚の事件が欠落しているのは松田政男の評価を示しているのであるにしても、この目録を補足する意欲を抱かせるほどには自立学校の可能性にひとつの問題を設定していると私は考えるのであって、それは思想の伝達は可能かという問いなのである。
 中西夏之がその時なにをしたか逐一報告する考えはない。というより、そのアクシヨンが発煙筒を持って駆け廻ることであろうと、後日の刀根康尚、小杉武久のように袋のなかでうごめくことであろうと、投げかける問いの性質に影響がないのである。当時の司会者山口建二が講師としての立候補を一般に求めたのに対して、機会をうかがっていた中西夏之はその場の臨時講師として演じてみせ、一方山口建二は立候補者としてそれをとらえていたために臨時講師とするかどうかは後日運営委員会で検討すると述べるという話になってしまうのであるが、この後日の運営委員会の際、主として山口建二と私が討論し、傍聴していた谷川雁がこれは一般論として討議しなければならぬこと、即ち、この種のやり方が思想伝達の具たり得るか否かを判定しなければならぬと述べたのだが、この検討は遂に現在運営委員会としてはやっていないのではないかと思うのである。しかしながら、運営グループ連署によるところの「先生グループへの意見」は、自立学校講師でさえ、諸他のイデオローグとともにもはや駄目なのではないかという、いわば一種の破算宣告なのであるが、この提言はコミュニケーションは成立すべきものという前提の上に立っているもののようである。この破算宣告は、中西流のオブジエを道具としてするところの行為をさらに思想伝達の具としてとらえ、そしてそれが可能かを疑うよりははるかに確然と、この言語表現によるところのイデオローグの不可能を宣告しているのであって、はからずもとりわけて中西夏之、刀根康尚、小杉武久等のそれと、各種イデオローグはこゝにおいて同一線上に並べた時に成立する一般論はなにか、即ち思想の伝達の具たり得るかということではなく、より根底的な設問そもそも思想の伝達は可能かということである。
 美術雑誌「形象」のための座談会が昨年11月に、札二刀、中西夏之、高松次郎、赤瀬川原平、木下新、私というメンバーでおこなわれ、その際、開校集会のこの事件について話が及びはなはだ常識的な意見を私はしゃべっているのであるが、それはこうである。中西や刀根のそれが伝達の具となり得ないならば、言葉によるそれも成立せず、本来、コミニケーシヨンという奴は成立しないのではないか(形象7号、8号参照)。相互滲透性のデリユージヨンを打ちこわすこと、その方法として電気洗濯機の中にイデオローグをつゝこんで、生徒を洗剤としてひっかき廻してみること、それが学校に寄せた私の空想であって、イデオローグの攪拌ということしか、初発の私に自立学校は意味をなさなかったのである(形象6号参照)。前述の座談会に即してみれば中西夏之は更にみずからの行動を指してこれは思想伝達の問題ではないと云うのであって、街角で、あるいは扉のかげから不意にひらめき襲う匕首ほど、適確にその意志の伝達を果たすものはないのではないかと私には思はれるのであるが、ところがそれにしても、いまほど敵の貴重な時期はなく、埴谷雄高に云わせれば<やつは敵だ、敵を殺せ>というのがせんじつめた処、政治の意志というものらしいがそんなもったいないことをしてはならぬのであって、敵とは少年時の私設動物園の動物達、とかげや蛙やゲジゲジのように大事に囲みのなかで飼育しておく必要がありそうなのだ。
 人の不意を襲い、衝動を与え、しかも殺さぬ方法を指してコミニケーシヨンと呼ぶことにするならば、破産した筈のイデオローグ達も言語表現を媒介とすることから解放されるはずであり、その一個の存在としての衝撃力の測定は自立学校圏内では不可能であるだろう。このイデオローグの復権は中西夏之流のアクシヨンと又しても肩を並べるのであって、どちらに確かな衝撃力があるかを測定する必要があるならば、その機会を逃してはならぬはずである。新橋野外ステージ側に、堤ビル旧館というのがあって、その三階の窓から梱包があふれ出ているのをプラツトホーム、又は電車のなかから見たとしたらそれは5月25日から30日の間であって、さらにくわしく点検するためには1時から7時迄の間にその階段を昇ってみなければならぬ。Hi-Red Center の高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之等があなたを待っている。
<形象8号>

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