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2009年9月29日 (火)

ポランスキー監督拘束、欧米で波紋広がる 

ロマン・ポランスキー監督が、米国での約30年前の淫行事件でスイス当局に拘束された問題で、欧州のみならず米国からも「やり過ぎだ」との声が上がっているという。

1977年にジャック・ニコルソン邸で、当時13歳の子役モデルに性的行為をした嫌疑をかけられ逮捕、裁判では司法取引により有罪の判決を受ける。ポランスキーは無実を主張、これは冤罪であり本人は少女とその母親による恐喝の対象になっていたと述べている。その後、「映画撮影」と偽ってアメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡した。以来、欧州で暮らしていた。2003年には「戦場のピアニスト」で米アカデミー賞監督賞を受賞した。

「身柄確保の努力を行わないまま逮捕状を有効としているのは、当時の捜査の問題点を隠蔽(いんぺい)するため」などと述べたことが当局への挑発になってしまったとの見方である。
しかし欧州の文化人ら約90人が28日、ポランスキー監督の釈放を求める嘆願書を連名で発表した。映画監督のビム・ベンダース、アンジェイ・ワイダ両氏や、女優のイザベル・アジャーニさんらが加わっている。フランスのクシュネル外相とポーランドのシコルスキ外相も、両国の市民権をもつポランスキー監督の釈放を求める書簡をクリントン米国務長官に送った。
ロサンゼルス・タイムズ紙は「州財政危機で刑務所に収容しきれなくなった受刑者を釈放する議論が行われている中、こんな捜査に税金をつぎ込むとは奇妙な話だ」と批判した。

Roman_polanski
Roman Polanski(ロマン・ポランスキー1933年8月18日生 )監督作品
『水の中のナイフ』Nóz w wodzie (1962)
『反撥』 Replusion (1964)
『世界詐欺物語』 Le plus belles escroqueries du monde (1964)
『袋小路』 Cul-de-sac (1965)
『吸血鬼』 The Fearless Vampire Killers (1967)
『ローズマリーの赤ちゃん』 Rosemary's Baby (1968)
『マクベス』 Macbeth (1971)
『ポランスキーの欲望の館』What?(1972)
『チャイナタウン』 Chinatown (1974)
『テナント/恐怖を借りた男』 The Tenant / Le Locataire (1976)
『テス』 Tess (1979)
『ポランスキーのパイレーツ』 Pirates (1986)
『フランティック』 Frantic (1988)
『赤い航路』 Bitter Moon (1992)
『死と処女』 Death and the Maiden (1995)
『ナインスゲート』 The Ninth Gate (1999)
『戦場のピアニスト』 The Pianist (2002)
『オリバー・ツイスト』 Oliver Twist (2005)
『それぞれのシネマ』 To Each His Own Cinema (2007)

http://www.imdb.com/name/nm0000591/

Vampirekillers

2009年9月27日 (日)

フェリーニ監督のスケッチ

Ff2008d 

 「甘い生活」などで知られるイタリア映画界の巨匠、フェデリコ・フェリーニ監督(1920―1993年)が生前、睡眠中に見た夢の光景を書き留めた100点以上のスケッチがフェリーニ財団により故郷の北部リミニで公開された。

2009年9月23日 (水)

大学経営が岐路にたっている

「大学過剰、淘汰始まる、5校が来春から募集停止」
大学経営が岐路にたっている。18歳人口の減少で競争が激化しているのに加え、昨年末以来の景気低迷が懐を直撃。5校が来春から募集をやめるほか、資産運用の失敗で経営計画に影響が及ぶケースも相次いでいる。今後、大学はどうやって生き残るべきか――。答えを求めて模索が続いている。
「まだまだ “予備軍”は全国にある」。文部科学省の幹部は焦燥を隠さない。4年制の私立大が、合併以外で学生募集をやめるのは戦後2件。それが今年に入り聖トマス大(兵庫県尼崎市)やLEC東京リーガルマインド大(本部・東京都千代田区)など5校が来春からの募集停止を明らかにした。(以下略)(9/22付 日経新聞朝刊)

二人に一人が進学するようになったから、もはや大学は多すぎる。大学が多すぎるのは日本だけでなく先進諸国に共通していた。1968年から75年頃の間の私立大学の年間授業料はサラリーマンの月収よりも少なかった。その後、月収の上昇を上回る勢いで高騰して、私立の年間授業料はサラリーマンの月収の2倍を越える。授業料以外の納付金、理工系学部など含めると月収の3倍になるという。しかし知識労働者の増加にともなって、大学の投資収益率が上昇し、大学教育の重要性が再発見された。75年ごろの日本の大学進学率は、国際的に上位に位置していたが、今では並みの水準にすぎない。
進学高校の合言葉は、「国公立進学率の競争」。この進学率の高低によって、高校および教員の評価が決まる。国公立は授業料が安く、プレステージも高い、しかし成績が悪ければ私立に行くか、進学をあきらめればよいとなっている。「学ぶということを早くからすっかり忘れてしまった生徒」たちの進学率競争から抜け落ちたことへ対する社会的支援はされていない。
学力選抜は崩壊して資金力による大学選択の時代に変わった、量と質への公共投資を忘れている日本の大学現状は特殊な世界である。

2009年9月22日 (火)

光あれといえば光ありき

《記憶してない夢》
『ひたすらその外観を変じて異形なるものの象を投ぐる』
『自同律の考究』『最後の審判』(悪しき無限)『永久運動』『虚無よりの創造』
「必要にして充分な」《まず在らねばならぬ》
《無限の縮小感覚》《宇宙的な気配》《魔窟》

想像力をもてる人物の前に幽霊の現わるることは稀なり。
事物の精髄を見るあたわざる卑俗な心にのみそは出現す。
幽霊とは粗大な肉体の眼に映る一事物にして、精神の眼に映るものはヴィジョンなり。

終わりなき永劫の深き海に漂いつつわれもまた眺めぬ大いなる無人の船の沈むを。

《大脳には叡知、心臓には悲哀、生殖器には美》
《死者の電話箱》《樽のなかのヘルクレス》
われはすでにわれの影にしてしかもなお盲いたるものの影のごとく微光だになき世界の影にほかならず。
《存在の電話箱》《形而上の漂泊者》《存在のざわめき》
《私語する無数のざわめき》《存在からの最後の挨拶》
《解体の王国》《連結の秘法》《還元物質》
《汝の質問を変更せよ。記憶せよ、ここはそこにあらず、すべては大いなる未動のなかにありて、汝の問いに釣り合う言葉の鍵のいまだあらざることを》「自らの問いに自ら答えるべく」
記憶の永劫の停止‥‥
『徹底した単一の絶対否定だけに支えられた叛逆』
『一日二十四時間全体、さらには一生涯を通ずる絶えざる熱烈な革命者』
《究極の秘密を打ち明ける夢魔》『つきつめていえば、やはり、事物の認識‥‥』

この緩徐、一握りの砂が岩となり、一抹の塵が星となり、一片の単細胞がついにようやく最初の巨象となりいったにもかかわらず、一瞬の炎のなかにぞ惣ちすべて消え去りゆく。

光あれといえば光ありき
《偏在する眩ゆい光の王国》《淡い光の波動する王国》《自足する微光の波動の王国》

《自同律の不快》
『考えられることも、さらに、考えられぬこともなおまた敢えて不屈に考えつづけようとするものがいたら』
《のっぺらぽう》
『俺は俺だ‥‥』『はじめのはじめ』『おわりのおわり』
《出現宇宙》
「いまはお前が俺の影だ。死をまさにつかむものが死にまたつかまれるごとくに、殺されたものだけでなく、殺したものもまた、思いに思いあぐね、思いに思いのこしてついに休まらぬそこ、亡霊宇宙へ赴くがいい!」
《巨大な無関係》「存在の秘密」《終わりからは始められぬ》
「無数」《永劫》「同じ仲間でも育てるといったいたわり方」《水平への意志》
はじまりぬ、ついに、焔と煙霧の手を握りしめあう全剿滅の最後の日ぞ、いま。

平らは丸い、丸いは平ら。直線は曲線、曲線は直線。
あるはない、ないはある、けれども、ないともいえずないともいえぬ
ほかのまったくちがった何らかの何かもさらにまた
まだまだほかならぬそこのそこに誰にも知られぬ面を伏せて隠れている。
《たったひとりですべてをとりしきっている》
「何時とも知れぬ或る時期」《非在の王》
「偉大な黙せる覚者」「永劫の黙せる覚者」「黙せる偉大な覚者」
「たったひとりだけの独立した自前印刷工」
「考えてはならぬこと」「決していってはならぬ最後の言葉」
「暗黒から出現するまったく新しい暗黒」「すべてのすべての死」
「影の影の影の国」「無限に《死》をおさめつづけることのできる巨大な容器の宇宙」
「極度に小さな、つまり、無限小の薄暗い秘密の箱」
「物質の本源とも重力ともまったく関わりをもたぬ唯一の場所」「無限の自由」

おお、亡者達よ。
存在の約束のすべてからまったく離れてしまった亡霊達よ。
お前達はもはや裏切られることも、裁かれることもまたもはやない。

『かくて無限に』
《食物連鎖》『食うことなど嘗てなく、絶えず食われに食われる食われはじめ』
『食の王』『人間』「食われはじめのはじめの生の悲哀の分母」「食い手」
『偉大な復活の日』「焼き魚」「取りて食え。これはわが躯なり」
「これは契約のわが血なり、多くの人のために罪の赦しを得させんとて、流すところのものなり」
「容赦なくこまかく微塵にひかれた小麦の粉」「無惨に砕き踏みつぶされた葡萄の粒」
「食わざるを得ない生」
「ひとの生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出ずるすべての言葉による」
「食わざるを得ぬ生の悲哀」「己れを愛するごとく、汝の隣人を愛せ」
「汝の敵を愛し、迫害者のために祈れ」
「魂なき魂存在」「死と死と死」「日々の生物殺し」「無死の愛」
「他の生物を食わねばならぬ生の長い流れのなかの尽きることのなき一本の細い蒼白い糸である悲哀自体」
「絶えずより巨大な苦悩と悲哀へ向かいつづけに向かいつづける大いなる集積の集積」
「十字架の木のもっているお前とまったく同じ苦悩」
「永遠の差別者」「内界の無垢の人間」「ガラリア湖の魚の魂」

「長くひきのばされたところの食われる死」
「生の造化主たる生」
「緑なす生のはじめの生」「大地の上にあまねく緑なす樹々、草々」
「心を耕す」「畠を耕すもの」「心を耕すもの」
「悟りの誤謬史」「代わって悟ってやる」「悟りの自己欺瞞者」「悟りの暗黒史」
「小さな小さな出発点に立ったなお苦悩の瞑想に瞑想を重ねるべき独覚者」
「悟りおおせた」「全覚者」「真理の誤謬史」

「生の前の生」「原罪」「生きたけれど生まれてこない」
「死のなかの生」「死の上の生」
「お前がお前自身となった」「お前がお前自身である」「兄弟皆殺し」「天上天下唯我独尊」「物質連鎖」
「自己が自分自身と自己格闘する戦士の兜」「夢の王の王冠」「極の天頂に眩ゆく輝くオーロラの宝冠」
「夢のなかの俺自身」「その夢全体がもはや頭蓋の外へも内部の横へも動きもできずすっぽりと囲み包み込まれてしまう」「夢のなかの俺自身を捕獲し掴まえ離さぬ唯一の自己による自分自身の捕獲装置」
「ほかのものの景観」「フォルティシモ」「異物排除」「悲哀を携えた生」
「俺自身のなかへ潰れこんだ俺自身」「そっくりそのまま」「鏡のなかの俺」
「俺自身にしがみつきにしがみつきつづけてきた俺自身の俺自身性の驚くべき持続性の力とかたち」
「自分でない自分」「絶えざる俺自身」「自己変幻」「絶えず失って」「絶えずなりつづけて」「矛盾」「俺と俺自身」「自己超越展開の絶えざる情熱」「鏡のなかのお前つまり俺」
「存在の抜けがら」「生の抜けがら」「存在と生の抜けがら」「その俺でないあの俺」「変幻する無変幻」「そこにそのように置かれた」「転変に転変」「不変の苦悩」「進化」
「鉄の意志」「鉄の意志の影の影の影」「うまくぶつかりあった必然的偶然」
「なんにも食い殺してなどいない高潔高尚な顔付」
「私のなかの私の私」「自然淘汰させられた絶対出現」「外界からの自然淘汰」「内界からの自己創造」「死のなかの生」
《極めて異常な症例。自らの身体のみから発電する独自特殊な自家発電装置の電流によって巻き起されたところの故意の感電死》
「なりかかった生の片方半分だけの半端なかけら」「完全完璧な生」「生の完了体」
「食われ集合体」「権威あるもののごとく」「食われに食われつくされる」
「自分のすぐ前だけしか見えぬ」「他のものをとって食べる」
「生まれながらの犯罪者」「存在の罠」
「裸の魂」「隠された魂」「生物の裸の魂」「自己永劫化」「自己分裂」「隠された心」
「食いに食ってなお食い足りぬ貪食細胞」「産んで産んでなお産み足らぬ生殖細胞」
「私は即ち私自身である」「考える生物」
「自己存在は存在である」「考える愚者」
「自己存在することの不快」「こちら側」「あちら側」
「破壊の源泉」「生形式」
「まるで異種な系列にほかならぬ生なるもの」
「個と全体の融合」「自らだけによる自己発見」
「存在とは何か」「何が存在であるのか」「存在的存在者」
《不快交響楽》

光あれといいて、光そこにあれば、
すべての悪、その光よりはじまりぬ。

2009年9月21日 (月)

すべてのすべての存在を容れる堅固巨大な容器である時空

生は光、死は闇、その二つの仮象と瞞着の幅のあいだに置かれながら、虚無に背きつづける自分自身への憧憬によって、自分のなかにまったく見知らぬ自分自身を見つけだしてしまったあの自殺者だけが、やっと、やっと、小さな一つの慰めとしてそこに残っている。

Yaminonakano

「長く隠されてきた自分自身なるものの秘密の真実」「お前のなかにお前自身がいる」「無限大のお前自身」
「お前自身の自己発見」「その外面も見せかけの存在形式も」「いまのいまだけの自己」「自分自身による自己の自己発見と自己創造」「ただつかのま」「自己存在的自分自身存在」「まったく新しい自分自身の自己形式の創出」「全生物のなかでただひとつ底もなく真に怖るべき生物」「その食物連鎖のなかに置かれてもいないところのすべての他の相手」「無限大の苦悩と悲哀それ自体によってほかならぬその多重層の集魂自体から超出しようとする」「総現実の転覆」「存在の覆滅」「存在たり得ぬ存在」「死のみの死」「負の異端者」「存在の異端者」「運命的存在者」「裏返し」「無限跳躍」

すべてを捨て去り得ても、「満たされざる魂」が求めに求め、さらに求めつづける標的たる自分でない自分になろうとしつづけるところの無限大の自由だけはついについに捨て去り得ない。

「時空」「すべての存在を規制する縛り手のなかの最後の縛り手の真犯人」
「存在への刑罰」「存在ぬきの意識」
「歪んだ時空」「時空が時空であることの尽きざる恥」
「ついにとうてい思索しつづけられなくなったとしたら」
「虚から何ものをもついについに創造し得なくなったとしたら」
《非の宇宙》「全的魂連鎖」「自在者」「超精霊宇宙」「自在宇宙」
「零がどっぷりと無限をのみこんでしまうごとき」
「すべてのすべての存在を容れる堅固巨大な容器である時空」
「夢想だにし得ない」「虚そのもの」「全自分」「白書向け」
「もののかたち」「何時も棒組み」「その自分自身にもまた従わず」
「存在の根源」「のみ」「僕同様の一人狼」
「侘しい影を背に負って」「成長変容」「万象」
《その底知れぬ内部》《内部まで》《一種の原質交響楽》

「移動する原始の原質」「眺めるともなく眺めて」「暗黒のなかの沈黙」「仕事の一種尽きせぬ意味」「暗黒の箱」「暗黒のなかの長い長い長い怖ろしいほどの沈黙」「地下工場」「深遠な話」「一人半分」「黒光りする魂」「監視」「さかさま」「文選箱」「並べ方」「鬼ごっこ」「黒い活字の魂の受け入れ方」「断裁」「白紙の秘密」「黒い魂のさかさまの秘密」「白い魂のばらばらに飛んだ断片のさかさまの秘密」「つづめて眺めて」「真裏」「白紙の底もない秘密」「すらすら」「ばらばらの断片」「多細胞の黒光りする魂」「乱丁」
「素朴で善良な内部」「透明な実体の一種不可思議な影」

天と地に怖れなく、失も損もいたらざるごとく、わが心もまた怖るることなし。

「社会と生活」「自己存在の罠」「物自体へ向かって透明な仮象の階段」「無限大種族人」「人間存在の絶対の生」「無限大の相の下に」「無限大思索者」「無限大を無限倍化して見てしまったこと」「生の絶対の重み」「宇宙はじめて」「人類滅亡を厳粛に告示、記念、惜別する最後の言葉」

さて、いたましき言葉を告げむ、われよ。存在によって存在せしめられるわれ、ならざる虚在のわれ、とならずしては、ついにすべてのすべてのわれ自らをわれ自らによって超出するわれたり得ざるなり。

《われならざるわれ》
「透明でなく透明」「木洩れ日」「木洩れ月光」「無限大の道」「対立物の同一性」「笑われる人」「ごたまぜ屋」「たわごと集め屋」「楽しむ人」「迷妄の法則」

生と死、覚醒と睡眠、若年と老年は、いずれも同一のものとしてわれわれのうちにある。このものが転化して、かのものとなり、かのものが転化して、このものとなるのだ。
存在と非在、のっぺらぼうと神の顔、はいずれも一つ同じものなのだ。
俺を俺と思うことも、俺を俺と思わぬことも、いずれも一つの同じ思考であり、その思惟形式を越えたまったく異なった思惟形式とても、思考者の思考として一つ同じものである。
植物も、渦巻も、星々も、すべては、分離と結合、質的転位と生成と消滅の驚くべき神秘劇の霊妙な展開を、時々刻々、極微子細に呈示しつづけていて、観客たる私達を永劫に飽かしめることがないであろう。

同じ川に二度はいることはできない。

「原子と宇宙と無限大」「退屈と不快」

生成も消滅も一つ同じものである。
この宇宙とその宇宙とあの宇宙は、私と君と彼が、それぞれ異なっているがごとくに異なっていながら、しかもまた、同じものである。無限大も単一な有限も一つの同じものである。

(【「死霊」のキーワード 】 http://www5d.biglobe.ne.jp/~y-haya/prod04.htmより)

2009年9月20日 (日)

自身を見出し得ぬ呻きをいささか違ったかたちでもらす思惟する存在

生成も消滅も一つ同じものである。
この宇宙とその宇宙とあの宇宙は、私と君と彼が、それぞれ異なっているがごとくに異なっていながら、しかもまた、同じものである。無限大も単一な有限も一つの同じものである。
この世界は、神にせよ、人にせよ、これは誰がつくったものでもない。むしろそれは永遠に生きる火として、きまっただけ燃え、きまっただけ消えながら、つねにあったし、あるし、またあるだろう。

「謎かけの箱」「思索の謎の箱」
僕は白い父の黒い子だ。翼のない鳥のくせに天の雲まで飛びあがるのだ。そして僕に会うものには嘆きの涙を産ませ、僕が生まれるときは忽ち空のなかへ消えこんでしまうのだ。
彼が見ているときは、誰も私を見ていない。けれども、彼が見ていないときは彼は私を見ている。そこでは、何か話しているものは話していないし、走っているものは走っていず、私がすべて真実を語っても、そのとき、私は決して信頼されていないのだ。

生と死、覚醒と睡眠「見ているときは見ていない」

Kuloiuma

話すな、と私がいえば、君は私の名を話さなければならない。けれども、君はどうしても話さねばならぬというのか。その場合もまた、極めて不思議なことに、話している裡に私は私の名を君に話させてしまうのだ。
話すなかれ、しからば、そのときこそ、汝はわが名を話さざるを得ず。
「沈黙」「煙」
去れ、といわれても、君が君であるかぎり、俺は君から立ち去ることはできない。俺の悩みは、君の心のなかを、この俺のみがその思いはじめからおわりまでのすべてをあまりに深く知りつくしすぎているばかりでなく、絶えず君に従っている家臣の俺のほうが君より大きいことがあまりに多すぎることだ。その悩みを取り除く方策はひとつしかない。君が俺の国へくれば、君とともに歩くことを俺はやめるばかりでなく、また、君も君であることをやめてしまうことになるのだ。
ここに一つの部屋がある。光も闇も、存在も虚無も、その部屋の住者だが、その不思議な部屋をすぐ外から絶えず覗いている不気味なものがまたいる。そのすぐ外にいつづけてこちらを覗いているものは、さらに不気味なことには、本体と同一なままでいるときが最も少なく、本体より小さいときより、大きいときが最も多いのだ。
ただ有るもののみ有る。何故なら有は有るが、無は有らぬゆえに。
何ものも有らぬ。有るにしても、何ものも知り得ない。たとい知り得るにしても、それを何人も他の人に明らかにすることは出来ないであろう。それは事物が言葉ではないためであり、また何人も他の人と同一のものを心に考えるからである。

言説は行動の影である。
「言葉が存在の影である。とともにまた、存在が言葉の影である。」
「退屈と不快」
「苦悩する存在」
「苦悩も退屈すらもまるで示さぬ沈鬱な虚無」
「静の無限大」「動の無限大」

この宇宙に嘗てなく、これからも決してないものを空虚な白紙の上に「創造」するところの、いってみれば、全存在反逆者、を、助けるものこそは、エフェソスの町から放逐されたところのものである。

「無限大の道」「破壊的」「創造的」
「上方」「下方」「一種決定的な過去の持参者」
「心中」「変化」「保障」「担保」「愚かしい愛」
『自分だけでおこなう革命』

「無反省」「無自覚」「自覚的」「有から有を産む」
「有の嘗て見知らぬ新しい未知の虚在を創造」
「非革命的」「人類の死滅」

「創造的虚在であるところの虚体」
「虚在の第一のかたち」
《重力もない》「新しい未知」「未知の原色と原色」
「ひと」「われならざる虚在のわれ」
《精神の処女懐胎》

「肩を寄せず」「策らみの悪魔」「透明純白な心」「自然の刑罰」「自己革命」
「全愚生命」「まったく孤独に考える単細胞」「はじめのはじめ」
「互いに触れあったとき」「触れあい現象」「貪食細胞」「存在の秘密」
「これまでの存在のなかにも、これからの存在のなかにもまったく存しない」
「宇宙はじめて」「自己自身の創造」「単純簡明絶対」《考えさせなく》「吸いとられ果てて」
「生と死の卑小な歴史を超えた新しい存在史‥‥」
「存在史と自然の罠」「予覚」「愚劣の極の《男と女》」《愛の自然な感覚》
「おせっかい」《虚体》《虚体者》『自同律の考究』

存在が思惟するときのひそやかな呟きを聞こう。それはそこに自身を見出し得ない呻きではないのか。

《宇宙者》「自身を見出し得ぬ呻きをいささか違ったかたちでもらす思惟する存在」
「事実」「精神的直接媒酌人」《存在の呻き》《存在同類》「異宇宙」「未出現」「無限存在」「存在せぬ存在」「存在し得なかった存在」「存在する非在」
「死せる兄弟達」《存在から無限存在へ移りゆくことの最初の重力拒否者》《木魂》《心のなかの不快》《究極の無限性》《微塵球》《ものにならぬ未存在》「存在の一員」
「考えることによってのみ、まったく未知をこそ創造する」「全体」「無限」「個」「大暗黒ならざる途方もない何か」「もの」「ある」「ない」「虚在」「虚体」「存在」「非在」「虚無」

1971haniya

埴谷雄高のライフワークになった「死霊」は、『自同律の不快』をめぐる 長編小説である。
著者生前に現代思潮社主宰の美学校講議を20数名で受けた時、探偵小説の手法を使って哲学の命題を描いたのは、ドストエフスキィーの「地下室の手記」「悪霊」からの影響によるもので、根底には政治犯として独房の日々の中でドイツの哲学者カントを読んだ時に抱いた「存在」の命題をつきすすめる事にあった、と本人から聞いた記憶がある。
謎解きによる装置が仕掛けられて、形而上にも形而下にも 犯人は引っ掛かってくる。
作品「死霊」は未完の大作に終ったが、結末の構想は大いなる二つの存在による宇宙の対話となる想定にあった。
小説としての方法は発表当時より半世紀を経て、すっかり古びてしまったけれども、語られている命題の内容は現在も先端的であり、作品化する後継者がいないほどに厳しく「存在」を対象化することへ透徹した世界であり続けている。

美学校 http://www.bigakko.jp/

2009年9月19日 (土)

高松次郎『世界拡大計画』

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「白、紙、すなわち神の色。少なくとも形而上学的な性格は強い。知覚に対しては不透明で、たとえば白い紙や布などの場合、物質しか見えなくなることも多いが、想像力に対しては非存在性を表わしながら、最も純粋で無垢な空間を作る。」
  (高松次郎  「色」  『世界拡大計画』)

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2009年9月17日 (木)

ブルーズを蹴飛ばせ!

音楽雑誌『ロックジェット』(シンコーミュージック)連載

【ブルーズを蹴飛ばせ!】
第1回「ブルーズの顔役、マディ・ウォーターズ」
第2回「テキサス・ブルーズの奇人、ジョニー・ギター・ワトスン」
第3回「英国ロッカーを魅了したハーピスト、サニー・ボーイ・ウィリアムスンII」
第4回「ブギーの王様、ジョン・リー・フッカー」
第5回「ローリング・ストーンズが愛したブルーズ/R&Bの偉人達20撰」
第6回「白肌のハーモニカ魔術師、ポール・バターフィールド」
第7回「ソウルの貴公子、オーティス・レディング」
第8回「ディープ・ブルーズの継承者、オーティス・ラッシュ」
第9回「不屈のブルーズ・ギター・マスター、T-ボーン・ウォーカー」
第10回「シカゴ随一のハーモニカ達人、リトル・ウォルター」
第11回「ニュー・オーリンズの人間ジュークボックス、スヌークス・イーグリン」
第12回「元祖ブルーズ兄弟、ジミー・リード&エディ・テイラー」
第13回「王道のど真ん中、デルタ・ブルーズ」(チャーリー・パットン、ウィリー・ブラウン、サン・ハウス、ロバート・ジョンスン、ブッカ・ホワイト、トミー・ジョンスン)
第14回「時空を超えた粋人、ジェフ・マルダー」
第15回「欧州ブルーズ種蒔きツアー、アメリカン・フォーク・ブルーズ・フェスティバル」
第16回「スライド・ギターの猛犬、ハウンド・ドッグ・テイラー」
第17回「前進し続けるブルーズ・ギター・マスター、ロバート・ロックウッド・ジュニア」
第18回「黒人大衆音楽の伝道コンビ、ブルース・ブラザーズ」
第19回「ミスター・ブルーズ・パワー、アルバート・キング」
第20回「シカゴ・ブルーズの総本山、ジミー・ロジャーズ」
第21回「希代の白人ソウルマン、ダン・ペン」
第22回「ニュー・オーリンズの風雲児、ギター・スリム」
第23回「芸人の宝庫、戦前メンフィス・ブルーズ」(フランク・ストークス、ジム・ジャクスン、ファリー・ルイス、ロバート・ウィルキンス、メンフィス・ミニー、スリーピー・ジョン・エスティス、メンフィス・ジャグ・バンド、ガス・キャノンズ・ジャグ・ストンパーズ)
第24回「ブルーズとロックの蜜月、ジェシ・エド・デイヴィス」
第25回「孤高のブルーズ狼、ハウリン・ウルフ」
第26回「歩くブルーズ、ライトニン・ホプキンス」
第27回「ダンス・ビートでぶっ飛ばせ、ミシシッピ・フレッド・マクダウェル」
第28回「シカゴ・ブルーズの若大将、マジック・サム」
第29回「アメリカン・ミュージック、テキサス・スタイル、クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン」
第30回「ブルーズの王様、B.B.キング」

ローウェル・フルスン、ジュニア・ウェルズ、アルバート・コリンズ、シティ・ブルーズ(リロイ・カーとロニー・ジョンスン)、リトル・ミルトンとボビー・ブランド、スクリーミング・ジェイ・ホーキンス、フレディ・キング、バディ・ガイ
http://ameblo.jp/ysbb-yamashin/entry-10163924192.html

『ブルーズを蹴飛ばせ!』目次
【シカゴ・ブルーズ】
●ブルーズの顔役、マディ・ウォーターズ
●英国ロッカーを魅了したハーピスト、サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡ
●ブギーの王様、ジョン・リー・フッカー
●シカゴ・ブルーズの総本山、ジミー・ロジャース
●ブルーズ・ギターの求道者、ロバート・ロックウッド・ジュニア
●元祖ブルーズ兄弟、ジミー・リード&エディ・テイラー
●シカゴ随一のハーモニカ達人、リトル・ウォルター
●スライド・ギターの猛犬、ハウンド・ドッグ・テイラー
●白肌のハーモニカ魔術師、ポール・バターフィールド

【サザン・ブルーズ】
●孤高のブルーズ狼、ハウリン・ウルフ
●ダンス・ビートでぶっ飛ばせ、ミシシッピ・フレッド・マクダウェル
●ワイルド・スライド王、エルモア・ジェイムス
●湿地帯のレイジー・ブルーズ、スリム・ハーポ

【戦前ブルーズ】
●王道のど真ん中、デルタ・ブルーズ(チャーリー・パットン、ウィリー・ブラウン、サン・ハウス、ブッカ・ホワイト、トミー・ジョンソン
●戦前ブルーズの百科事典、ロバート・ジョンソン
●孤高の職人集団、戦前シティ・ブルーズ(リロイ・カー、ロニー・ジョンソン、ビッグ・ビル・ブルーンジー、サニー・ボーイ・ウィリアムソンI、タンパ・レッド)
●芸人の宝庫、戦前メンフィス・ブルーズ(フランク・ストークス、ジム・ジャクソン、ファリー・ルイス、ロバート・ウィルキンス、メンフィス・ミニー、スリーピー・ジョン・エスティス、メンフィス・ジャグ・バンド、ガス・キャノン)

【テキサス・ブルーズ、ニュー・オーリンズ・ブルーズ】
●歩くブルーズ、ライトニン・ホプキンス(コージー大内インタヴュー)
●不屈のブルーズ・ギター・マスター、T-ボーン・ウォーカー
●眠れる巨人、ローウェル・フルスン
●アメリカン・ミュージック、テキサス・スタイル、クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン(THE!!BEAT平山インタヴュー)
●ニューオーリンズの風雲児、ギター・スリム
●テキサス・ブルーズの奇人、ジョニー・ギター・ワトソン
●人間ジュークボックス、スヌークス・イーグリン

【モダーン・ブルーズ】
●ブルーズの王様、BBキング
●ミスター・ブルーズ・パワー、アルバート・キング
●ディープ・ブルーズの継承者、オーティス・ラッシュ
●ハイテンション・ギターの猛将、フレディ・キング
●シカゴのブルーズ若大将、マジック・サム
●ブルーズ・ギターの活火山、バディ・ガイ

山本慎也の「BLUESを蹴飛ばせ!」
日本語ブルーズバンド「Y.S.B.B.」で歌っています。パブロックバンド「M.D.B.」でも活動中。http://ameblo.jp/ysbb-yamashin/

2009年9月13日 (日)

俺と悪魔のブルース

Robert Johnson「Me and The Devil Blues」(1937)
http://www.youtube.com/watch?v=3MCHI23FTP8&feature=related

今朝はやく おまえが扉をたたいた
俺は言った やあ悪魔でかける時間だな

俺と悪魔は並んで歩いた
俺の女を満足ゆくまでぶちのめしたい

女は言う あんたがあたしに何故つきまとうのか わかってないのね
(ベイビー おまえの態度はつれないぜ)
女は言う あんたがあたしになぜつきまとうのか わかってないのね
それは 地下深くいる邪悪な霊のせいなのよ

あたしの身体を ハイウェイのそばに埋めてもいいわ
(ベイビー 死んだあと どこに埋められるかなんてどうでもいいよ 俺は)
あたしの身体を ハイウェイのそばに埋めてもいいわ
そうすれば あたしの中にいる悪な霊は グレイハウンドバスに乗ることができる

 Robert Johnson と四辻のブルーズ

1900年頃にアメリカの黒人の中で発生した音楽の中で、酒場などでの憂さ「ブルー」を複数形を歌ったのがブルーズである。

「ロック」「R&B」「ヒップホップ」「レゲエ」、そして「ソウル」「ファンク」「リズム&ブルーズ」といったジャンルは「ブルーズ」から発展していった。
「ブルーズはルーツ、他はフルーツ」(byウィリー・ディクスン)。

クリームの「Crossroads」の原曲「Cross Road Blues」を作ったのが、1911年生まれとされるブルーズミュージシャンのロバート・ジョンソン。酒と女とブルーズを愛してギターを抱いて放浪の旅を続けた。1938年に人妻に手を出したことが原因で、その夫から毒殺されたという。
破滅的な生き方と短期間にギターの腕を上げたことから、魂を悪魔に売ってギターテクニックを手に入れたという伝説が残った。
悪魔に出会って魂を売ったシシッピ州の交差点。四辻、クロスロードのブルーズへ繋がって行く。「Cross Road」へ立ちヒッチハイクをしようとしても乗せてくれる車はなく、友人は遠くだし、憂鬱な気分を慰めてくれる女もいない。クロスロード伝説では、ロバート・ジョンソンを殺したものは悪魔であると語られ、亡くなったミシシッピ州グリーンウッドの町役場の死亡届の死因欄には「No Doctor」とだけ記載されている。

-- Robert Johnson ?Walking Blues"
http://www.youtube.com/watch?v=x2-EL6Pk2L0

2009年9月11日 (金)

A・E・ヴァン・ヴォークト『非Aの世界』創元社

原題は A. E. Van Vogt, The World of Null-A, (1945) 中村保男訳

時は2650年。宇宙はいくつもの帝国から成り、「銀河系連盟」が結成されている。地球には「ゲーム機械」があり、それが司るゲームに合格した人が政府の要職につき、あるいは金星行きの資格を獲得する。「非A」人ギルバート・ゴッセンはこの「ゲーム」に参加すべく「機械」市にやってくるが、彼の記憶はすべてちぐはぐである。このまちがった記憶は誰に植えつけられたのか?そも彼自身はだれなのか?自分の素性をつきとめようとする彼の探索は、いつのまにか銀河系的規模の陰謀のさなかに彼を巻きこみ多くの奇想天外な冒険に突入することになる。(扉の要約から)

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プレスコット「きみが現在の自分を、殺されたゴッセンと同一人だとみなしていることだ。その殺されたときのもよう、弾丸とエネルギーがきみに命中して、きみを傷つけたことにたいする完全な記憶--それを考えてみたまえ。それから<非A>の基本的な信条、宇宙のいかなる二物も同一ではありえぬ、という信条を考えてみたまえ」(p. 86)

ゴッセン「それじゃ、教えてください。地球と金星の科学に関するあなたの知識をもとにして言うと、二つの肉体と同一の人格という問題はどう説明されるんですか」(p. 163)

レコード図書館のロボット「人間の頭脳に移る前に、これらすべての動物には一つの限界が何度も何度も現われたことに注目してください。動物たちは、例外なく、あまりに狭い基礎に立って自分たちの環境を同一視するのです。河カマスは、スクリーンが取り除かれたあとでも、スクリーンがあったときに経験した苦痛を基礎にして、自分の環境を同一視しているのであります。コヨーテは、銃をもった人間と、カメラをもった人間とを区別することができないのでありました。
いずれの場合も、実際には存在しない類似があるものと考えられていたのです。人間精神の暗黒時代の物語は、自分は動物以上のものだという人間のおぼろな理解の物語でありますが、しかし、それは、狭い動物的な同一視のパターンに根ざした、動物的な行動という背景の前で語られた物語なのであります。それに反して、<非A>の物語は、時空において似ているようではあるが、別個の対象事象を区別するように、自分の頭脳を訓練しようとする人間の戦いの物語なのであります。奇妙なことに、啓蒙された現代の科学実験は、方法と、タイミングと、使用される素材の構造において、相似性の洗練をかちとろうとする傾向を漸時示しております。」(pp. 208-209)

ソーソン「ゴッセン、わたしたちは宇宙的な将棋の指し手、きみという駒を動かしている何者かを見つけださねばならんのだ。そうだ、わたしは今<わたしたち>と言った。きみがこれを認めると否とにかかわらず、きみはこの捜索に加わらねばならん。その理由は、個人的なものも一般的なものも、重大だ。きみがたんに駒にすぎず、原形の不完全な写しにすぎぬことは、きみも見のがしているはずがない。いかにきみが生長発展しようとも、きみは自分がなにものであって、自分の背後にいる人物の真の目的がなんであるかを知ることが決してないだろう。」(p. 250)

ラヴォアスール「……わたしは、ほかに誰かがいるのじゃないかとよく思ったものだ。わたしは自分をゲームの中の<女王>だと思っていた。こういう機構の中では、きみは第七列にいる<歩>で、今にも<女王>になろうとしているところだろう。だが、それから、わたしは空白の<目>にやってくるだろう。というのも、<女王>は、どんなに強力であっても、所詮一つの駒にすぎんからだ。しからば、誰が将棋の指し手なのか。……率直に言って、ゴッセン、指し手がいるとは、わたしには思わぬのだ。」(pp. 289-290)

2009年9月 9日 (水)

種村季弘のラビリントス

  バナナのたたき売り、香具師の口上に惹きこまれるように、 私たちは種村季弘の達者な文章につい惹きこまれる。 眉に唾をつけても、もう遅い。 用心したまえ。 自分でも知らないうちに、私たちは 種村季弘のファンになっている自分を発見して 愕然とするであろう。 表向きの思想なんぞはどうでもよい。 文章がすべてだということに気がついて呆然とするであろう。 
渋澤龍彦

種村 季弘(たねむら すえひろ、1933年3月21日 - 2004年8月29日)

怪物のユートピア 評論集 三一書房 1968
ナンセンス詩人の肖像 竹内書店 1969 のち筑摩叢書、ちくま学芸文庫
吸血鬼幻想 薔薇十字社 1970 のち河出文庫
薔薇十字の魔法 薔薇十字社 1972 のち青土社、河出文庫
アナクロニズム 青土社 1973(ユリイカ叢書) のち河出文庫
怪物の解剖学 青土社 1974 のち河出文庫
失楽園測量地図 イザラ書房 1974
詐欺師の楽園 学芸書林 1975 のち白水社、河出文庫、岩波現代文庫
パラケルススの世界 青土社 1977
山師カリオストロの大冒険 中央公論社 1978 のち文庫、河出文庫、岩波現代文庫
ザッヘル=マゾッホの世界 桃源社 1978 のち筑摩叢書、平凡社ライブラリー
箱の中の見知らぬ国 青土社 1978
書物漫遊記 筑摩書房 1979 のち文庫
黒い錬金術 桃源社 1979 のち白水社Uブックス 
悪魔礼拝 桃源社 1979 のち河出文庫
影法師の誘惑 青土社 1979 のち河出文庫
夢の舌 北宋社 1979
種村季弘のラビリントス 10巻 青土社、1979
ヴォルプスヴェーデふたたび 筑摩書房 1980
愚者の機械学 青土社 1980
食物漫遊記 筑摩書房 1981 のち文庫
夢の覗き箱 種村季弘の映画劇場 潮出版社 1982
謎のカスパール・ハウザー 河出書房新社 1983 のち文庫
ぺてん師列伝 あるいは制服の研究 青土社 1983 のち河出文庫、岩波現代文庫
贋物漫遊記 筑摩書房 1983 のち文庫
書国探検記 筑摩書房 1984
ある迷宮物語 筑摩書房 1985(水星文庫)
好物漫遊記 筑摩書房 1985 のち文庫
迷宮の魔術師たち 幻想画人伝 求竜堂 1985
一角獣物語 大和書房 1985
贋作者列伝 青土社 1986
迷信博覧会 平凡社 1987 のちちくま文庫
だまし絵 高柳篤共著 河出文庫 1987
魔術的リアリズム メランコリーの芸術 PARCO出版局 1988
小説万華鏡 日本文芸社 1989
日本漫遊記 筑摩書房 1989
晴浴雨浴日記 河出書房新社 1989
箱抜けからくり綺譚 河出書房新社 1991
ハレスはまた来る 偽書作家列伝 青土社 1992 「偽書作家列伝」学研M文庫
遊読記 書評集 河出書房新社 1992
ビンゲンのヒルデガルトの世界 青土社 1994
渋沢さん家で午後五時にお茶を 河出書房新社 1994 のち学研M文庫
人生居候日記 筑摩書房 1994
魔法の眼鏡 河出書房新社 1994
不思議な石のはなし 河出書房新社 1996
泉鏡花「海の鳴る時」の宿 晴浴雨浴日記・辰口温泉篇 十月社 1996
徘徊老人の夏 筑摩書房 1997 のち文庫
死にそこないの美学 私の日本映画劇場 北宋社 1997
種村季弘のネオ・ラビリントス 8巻 河出書房新社 1998-1999
奇想の展覧会 戯志画人伝 河出書房新社 1998
東京迷宮考 対談集 青土社 2001
ああ、温泉 種村季弘とマニア7人の温泉主義宣言 アートダイジェスト 2001
図説アイ・トリック 遊びの百科全書 赤瀬川原平、高柳篤共著 河出書房新社 2001(ふくろうの本)
東海道書遊五十三次 朝日新聞社 2001
土方巽の方へ 肉体の60年代 河出書房新社 2001
異界幻想 対談集 青土社 2002
天使と怪物 対談集 青土社 2002
江戸東京《奇想》徘徊記 朝日新聞社 2003 のち文庫
畸形の神 あるいは魔術的跛者 青土社 2004
楽しき没落 種村季弘の綺想の映画館 論創社 2004
断片からの世界 美術稿集成 平凡社 2005
雨の日はソファで散歩 筑摩書房 2005

2009年9月 7日 (月)

馬鹿について

ある統計によれば人間の八十パーセントは馬鹿なのだそうだが、
「馬鹿について」という本を書いた西独の人類遺伝学者ホルスト・ガイヤーの定義では、
馬鹿の数は八十パーセントより多くて、人間の百パーセントは馬鹿なのであり、
単に「知能の低すぎる馬鹿」、「知能の正常な馬鹿」、「知能の高すぎる馬鹿」の
三馬鹿に分類されるのにすぎぬという。
安心しよう。われわれはみんな馬鹿なのだ。

~種村季弘「愚者の機械学」あとがきより

馬鹿は死ななきゃ直らないという説と 馬鹿は死んでも直らないという説がある。

2009年9月 5日 (土)

印象派絵画

印象派(Impressionnistes)または印象主義(Impressionnisme)
19世紀後半のフランスに発し、ヨーロッパやアメリカや日本にまで波及した美術運動。
「印象派」・「印象主義」の概念は、音楽の世界にも適用される。
http://www.youtube.com/watch?v=nmXENvvboi0&feature=related

19世紀頃のヨーロッパでは肖像画を描くことが一つのステータシーであった。肖像画では、対象を正確に描写することが重要で、遠近法などの技法が工夫された。肖像画は大きな需要があったため産業として確立し、学校も多く設立され、技術さえ学べればそこそこの絵が描けるようになっていた。肖像画と言っても顔だけではなく、服装や背景の調度品なども、対象人物の地位を表すものとして重要だった。そのため、それらの物を正確に描く技術も発達した。これらの人物や物を正確に描く絵画のことを写実主義という。

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肖像画が産業として確立するにつれ、画材道具が改良されていった。特に1840年に発明されたチューブ入り絵具によって、画家たちは絵具を作成する作業から解放された。絵具の作成は画家にとって重要な技術の一つであり、その技術は画家の個性の一つであった。良い画家とは、良い絵具を作る職人でもあったわけである。ところが、絵具がチューブに入れられて販売されるようになり、この点で画家の技量の差が出にくくなった。誰でもきれいな色を表現できるようになったのである。画家の没個性化が進むこととなった。

画材道具の発達に伴って、屋外で絵を描くことが可能になった。しかし屋外は部屋の中と違って、日差しが刻々と傾き、天候が変化したりするので、室内のように同じ条件下でゆっくり絵を描くというわけには行かない。細部を省略し、すばやく絵を描く技法が生まれた。この頃の屋外を多く書いた画家たちはバルビゾン派などと呼ばれる。

絵具が発達し、絵画の教育システムが確立し、絵画が産業化していく一方で、1827年に写真が発明される。写真は瞬く間に改良されて、肖像写真として利用されるようになる。 正確に描写するだけなら、絵画より写真の方がはるかに正確で安価で納期が早い。写真が普及し始めると画家たちが職にあぶれるようになった。 また、瞬間をとらえた写真の映像は、当時の人々にとって全く新しい視覚であり、新たなインスピレーションを画家たちに与えることになった。

1860年代、エドゥアール・マネが一般の女性をそのまま裸婦として描いた作品を発表した。当時の裸婦像は神話や聖書のエピソードとして描くのが普通で、マネの裸婦の絵画は激しい反発を受ける。ところが、当時アカデミズムと呼ばれる主流派に対して反感を持つ若い芸術家が多く、マネに同調する芸術家が少なくなかった。マネに同調する芸術家たちはパリのカフェに集まり、前衛的な芸術論を語り始めるようになった。

http://www.youtube.com/watch?v=KmdIEnG15Ng
多くの画家が表現方法を模索する中、1867年パリ万国博覧会が行われる。これには日本の幕府、薩摩藩、佐賀藩が万博に出展し、日本の工芸品の珍奇な表現方法が大いに人気を集めた。次の1878年のパリ万博のときには既にジャポニズムは一大ムーブメントになっていた。日本画の自由な平面構成による空間表現や、浮世絵の鮮やかな色使いは当時の画家に強烈なインスピレーションを与えた。そして何よりも、絵画は写実的でなければならない、とする制約から画家たちを開放させる大きな後押しとなった。

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1874年にモネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、モリゾ、ギヨマン、シスレーらが私的に開催した展示会は、後に第1回印象派展と呼ばれるようになる。当時この展示会は社会に全く受け入れられず、印象派の名前はこのときモネが発表した『印象、日の出(Impression, soleil levant)』から、新聞記者が「なるほど印象的にヘタクソだ」と揶揄してつけたものである。このときを印象派の成立としているが、これ以前にもウィリアム・ターナー(イギリス)の様に印象派に通じる画風や、バルビゾン派など屋外の風景を多く描いた印象派前夜と呼び得る画家達も存在している。また、後にはスーラ、ゴッホ、ポール・ゴーギャンなどのポスト印象派、新印象派へと続くものとなった。
なお、マネは印象派展には参加していない。

写真の発明による肖像画産業の低迷と、「見た感じ」の面白さに気付いたヨーロッパの画家たちは、写実主義から離脱し、絵画独特の表現方法を探索し始めた。 そのような中で、細部やタッチにこだわらず、新たな空間表現と明るい色使いを多用した印象主義が発生した。

それまで、どちらかと言えば暗く重苦しい絵画が多かったヨーロッパで、明るい印象派の絵画は主流と言えるほどに流行った。この運動以降の絵画は写実主義から開放され、芸術性やメッセージ性のより強いものに変化し、キュビズムやシュールレアリスムなどのヨーロッパにおけるさまざまな芸術運動が生まれる契機となった。

印象派絵画の大きな特徴は、光の動き、変化の質感をいかに絵画で表現するかに重きを置いていることである。時にはある瞬間の変化を強調して表現することもあった。それまでの絵画と比べて絵全体が明るく、色彩に富んでいる。また当時主流だった写実主義などの細かいタッチと異なり、荒々しい筆致が多く、絵画中に明確な線が見られないことも大きな特徴である。また、それまでの画家たちが主にアトリエの中で絵を描いていたのとは対照的に、好んで屋外に出かけて絵を描いた。
(Wikipedia)

後期印象派の解説
http://pro.tok2.com/~art/P/PostImpr/PstIm.htm

2009年9月 4日 (金)

ブドウ園に入ったキツネの話

あるとき一匹のキツネが、ブドウ園のそばに立って、なんとか中に入って、ブドウを食べてやろうと企んでいました。
しかし、ぶどう園のまわりには柵があって、もぐり込むことができません。

そこで、キツネは三日間断食をして体を細らせ、
やっとのことで柵の間を潜り抜けることに成功しました。

ブドウ園に入ったキツネは思い通りに腹一杯ブドウを食べてから、
ブドウ園を抜け出そうとしました。
しかし、満腹になった腹がつかえて柵を潜り抜けることができません。

そこで、キツネはやむを得ず、また三日間断食をして、
体を細くしてからやっと抜け出すことができました。

そのとき、キツネはこう言いました。
「結局、腹具合は入ったときと出るときと同じだったなあ」

────────────────────────────────
人生も裸で生まれてきて、死ぬときもまた同じ裸で死んでいくことになります。
死を迎えましたら、お金だけでなく何ひとつ持っていける物なんてないのです。

貪らず心安らかに暮らしていき、あるにまかせての生活を営んでいくべきです。
我が物だと人の物だというのも、生きている間だけのこと。
死んでしまった後は全てが元々世の物として還っていきます。
生まれて来た時も裸で生まれてきたので、
死ぬ時も裸で帰っていくことをしっかりと知るのが大事であります。
それを捉えて日々の生活を営むことが、本来ある生きることの意味なのです。

ゼロに始まり、ゼロへ戻るだけの話。

2009年9月 3日 (木)

一人称でしか状況判断をしていない視点

「正しい自転車の乗り方」知らない人が増えすぎている。
相手の動きを見ないで運転して、ぶつかり合う光景を頻繁に見る。
「後ろからぶつかってきて、文句をいわれた」
「メールしたり、傘をさしたりしながらの自転車にぶつかられた」
「猛スピードの自転車と正面衝突した」

ぶつかってきた自転車側が文句を言うというケースもあるほどの事態となっている。
小中学生向けの「自転車免許証」交付が成人にも必要だと思うほど酷い。
多くは一人称でしか、状況判断をしていない視点にあるようだ。
「正しい自転車の乗り方」を知らないは、加害者にならないためにもマナーを身に付けてほしい。

自転車だけではなくて、相手の動きを反射的に観て、そこから適切な距離を保つことが大切な行為である。

2009年9月 1日 (火)

無意識に身体が動いてこそ本物

江戸しぐさの中に「傘かしげ」「片目だし」「カニ歩き」「こぶし腰浮かせ」がある。
そこには互いに社会生活するのに、気持ちよく接する粋な計らいと言える。

 傘かしげ
雨の中では傘を斜めに傾けてすれちがう。
互いの身体や顔、首すじなどに雨の雫がかからないですむ。
相手を気遣う心から出てきたもの。

 片目だし
せまい裏通りから大通りに出るとき、右から左と顔を動かして様子を観てから出る。
確認は確実にという行動は、危機管理のひとつでもある。

 カニ歩き
路地裏や一方通路の狭い通りでは、横歩きしてすれ違いにしてトラブルを防げた。

 こぶし腰浮かせ
あとから乗ってきた客のために、川の渡し場などで、先客の2、3人は腰の両側にこぶしをついて腰を浮かせ、こぶしひとつ分の幅をつめながら、1人分のスペースをつくる。
お互いにゆずり合い詰め合う事で、人が座れるように気を配った。

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羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
フォト

22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

オンライン状態

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。