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2010年2月28日 (日)

空腹の技法

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空腹が作り出した闇を彼はのぞき込む。

そこに見出されるのは、言語の虚無だ。

現実はいまや彼にとって、物のない名たちと、名のない物たちから成る混沌と化している。

自己と世界のあいだの絆は、いまや断ち切られてしまっている。

ポール・オイスター「空腹の技法」より

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2010年2月26日 (金)

「奇数」的な思考をして 

  あらゆる存在は、エネルギーの振動の組み合わせで、そのエネルギーは思考や感情によって作られる。森羅の存在は同一のエネルギーから成り立っているが、エネルギーの組み合わせが無数にあるため、存在の形式も無数にある。

純粋なエネルギーの段階では、あらゆるものが繋がっていて、在るのはわれわれと究極的な「自分」だけ。潜在的にわれわれはみな、あらゆるエネルギーに接触する能力を持っている。エネルギー=意識だから、われわれはあらゆる意識、究極の意識思考の高みに近づく能力を持っていることになる。無限の大海の一滴のようなもので、合わされば全体となる。この大海とのつながりがほんのわずかだったら、それは繭の中で生きているようなもので、知識・愛・理解・知恵といった無限の潜在能力からは隔絶されている。もしも精神と心を開き繭を破って外へ出ることができれば、無限とのつながりはどんどん大きくなる。そして用心深く宗教から離れた眼差しで、自分が肉体以上のものであることを理解していくと、この世界は経験を通しての進化という永遠に続く旅の一部になる。

Water_lilies

われわれの見ているこの世界は、現在知られている人類の歴史を通じてのものにすぎない。その本質、力、価値を真に理解すれば、自己認識を枠組みの中に幽閉させる恐れによる操作は不可能になる。恐怖、罪悪感、怒り、自己嫌悪、軽蔑といった低い周波数の感情と共鳴して完全に支配されてしまうと、心の焦点が低層に接続してしまい人の思考パターンにそのまま低くネガティブに?がってしまう。

人体の遺伝子を形成している物質コドンは、非常に高度な送受信機で、様々な周波数に対応する。DNAを電子の詰まった試験管に入れると、電子はひとりでにDNAのパターンに並び、DNAを取り去ったあともそのパターンを維持する。これはDNAが常に周囲のエネルギーに影響を与えているということで、人が生き方を変え、その在り方を変えれば全体も変わるということを示している。

人間の遺伝子には64種類のアンテナが隠されていて、さまざまな周波数を送受信する。しかし、このうち働いているのは20本だけで、潜在能力のうちわずかしか使われていない。このアンテナを働かせたり閉じたりさせるのは感情の波長で常にDNAを通過している。恐怖の感情(あらゆるネガティブな感情の元)は、長くてゆっくりした波長を持ち、このアンテナのわずかにしかスイッチが入らない。だが死語にまでされた「愛」や「慈しみ」(あらゆるポジティブな感情の元)は短く速い波長を持ち、はるかに多くのアンテナが働くものだろう。

2010年2月25日 (木)

「霊長類SF的進化のプロット」 

◇我々の宇宙の中で文明が繁栄し、宇宙を航行できるようになると貿易や交流が惑星間や星系で行われるようになり、遙か遠く離れた上部機関に導かれている。
どの知覚型生物形態にとっても、周波数の『高バンド化』や『低バンド化』は非常に難しく、専用宇宙船かブースター支援、あるいはその双方を必要とすることが多い。異なる世界秩序であり、宇宙の進化スケール上にある各種の存在レベルで構成され密度が異なる別々の振動ということだ。周波数帯の高低差が非常に大きいので、それぞれが十分に隔絶されている。個体対エーテル、火と水のように相容れない。お互いの技術を利用することも出来ないし、物や道具を別の振動界に持ち込むことも出来ない。精々出来ることといえば、相互影響力を僅かに働かせることぐらいだが、それとて間接的にしか出来ない。したがって、別の振動界に旅する者は全く自分の力しか頼るものはなく、現地と融合し、現地の方法しか使えない。
 
◇現在の地球は依然として振動が低く、偽善的であり同胞を傷つけあっています。この避けられない変化までに残された短い時間内に大きな向上が見られなければ、全世界的な大きな問題がたくさん出てくるでしょう。これからやって来るサイクルの振動は猛烈に高く、精神汚染で一杯になった地球と衝突して、凄まじい大改革を引き起こすでしょう。本質は浄化であっても、このサイクルが基本的な力を爆発させるのは避けられず、精神が下劣な人々や心の狭溢な人々を打ち砕き、政治面での混乱と破壊的な戦争を引き起こし、大規模の天災すらも惹起するでしょう。また、そのような状況から精神の死の灰が更に増加し、私達としては避けたいのですが、ここの次元にいる私達も影響を受けてしまうのです。これは分かりきったことですが、もっと平和的な形でこの新しいサイクルに移行できれば、そのほうが関係者全てにとってずっと良いのです。

◇地球が経験しようとしているシフトはこれまで他の惑星に起こったものとは違い、地球に大きな飛躍をもたらすものです。地球上の人々は皆、このシフトによってもたらされるものを見て愕然とするでしょう。地球の転換によって生じる振動数の変化に適応できない人々は、自分達の物質的肉体から離れ、自分達が適応できる振動数の惑星に転生しなければならなくなるでしょう。振動数の変化に対応することができずに地球を旅立った人々は、転生後の生命期間で、より高レベルの意識へのシフトに成功するまでは地球に戻っては来ないでしょう。
 この振動数のシフトは人類にとっては意識のシフトとして反映され、あなた方の物質的肉体に変化を要求するもので、中には順応することのできない物質的肉体もあるのです。振動数の変化に適応しやすい物質的肉体をつくるためには、健康的な食事、清浄な水と空気、平穏な環境、瞑想が効果的です。

◇あなた方のDNAには、トリガーとなるある遺伝子コードが組み込まれており、正常な条件の下で意識のシフトが起こるように設計されています。残念なことに、トリガーが作用した後、全ての生命体がそのトリガーの保護機能作動開始まで生きていられるわけではないのです。この遺伝子コードは、あなた方を創り出した地球外生命体が人体実験としてあなた方のDNAに埋め込んだものであり、あなた方の古代の神話や伝説における「神々達」、あなた方を創った存在からの貴重な贈り物なのです。
あなた方が今後二十年間のうちに感じる最も大きな変化は、人口の変化です。二十一世紀には、地球の人口は激減しているでしょう。すなわち、これまでに絶滅した動植物が再生し、動物相、植物相が復活を果たすのです。ですが、二十一世紀やさらにその将来における動物相は、今日におけるものとは異なっています。なぜかというと、地球環境の変化に動植物が適応し、また、有害物質から突然変異がもたらされるからです。こうした動植物相の変化は、地球の波動の変化が原因ともなっています。順応できない動植物相は死に絶え、新たな環境に適応可能な動植物がそれに取って変わることになるでしょう。

◇地球がこれから移行する先に待つものは「水瓶座の時代」と呼ばれる霊的時代であり、そこを通過するものすべてに大きな影響を与える哲理の時代、すべての知に対する目を開き、知ることを愛するよう導き、自由を与え、叡智と調和を授ける時代である。残念ながら、これらを学ぶためには非常に困難な道をくぐりぬけることが要求される。水瓶座の時代はほかの星座と同じく2155年続き、地球の暦でいうと25860年周期で巡ってくる。この新たな時代に移行すれば、人類は霊的成長と「創造の源」への理解を通じて、平和を築く機会が800年間与えられることになる。もし私たちがこの機会を活かせず、今の文明社会よりも平穏で霊的な生活をとり入れることができなかった場合、ネガティビティと理性の全くない思考とに支配された「深淵と闇の時代」へとあっというまに落ちていく可能性が増大する。歴史的には、文明というものは約一万年で滅びるのが平均的だが、地球文明はすでに八千年を経過しており、さらにこれから最も困難な時期に突入しようとしているのだ。
 霊的な目を備えた人々には、この変容の時代「新時代」(原注=「水瓶座の時代」の黎明期で、1937年2月3日に始まった)は、透徹さ・成長・チャンスなどを授けてくれる重要な時期と映るだろう。しかしながら、ほとんどの人にとっては、生きるための物質的な困難ばかりで、絶望・悲しみ・精神的苦痛を象徴する時代としか思えないだろう。産業の発達を中心とした時代に生きてきた人々の物の考え方では、精神と魂の新時代へと地球を導くために必要な知恵を、前もって備えておくことなど不可能だからである。

◇水瓶座の時代は1844年2月3日、午前11時20分に始まった。水瓶座の時代の前の地球は魚座の時代にあり、その後しばらくの間、この二つ時代をまたがる転換期を経験した。魚座の時代から水瓶座の時代へと完全に移行するまでには186年かかるとされる。従って、1937年の初めに、地球は魚座の時代の最後の波動を受けたことになる。つまり、1937年2月3日の午前11時20分、地球は水瓶座の時代の二回目の転換期を迎え、急速に発展し始めたのだ。2030年、地球は転換期を終え、地球の太陽系は水瓶座の象徴である金色の光線の中にしばしたたずみ、そのまばゆいばかりの光に浴することになる。その後1969年経過すると、今度は「コスミック・エイジ」へと移行する。

◇太陽系が山羊座の時代に移るのは3999年2月3日、午前11時20分のはずである。この時代は大多数の人の目には混沌とした時代に映るだろう。同時に、これから起こるさまざまな変化と事件の速さに置いてきぼりにならないようにするのは、大多数の人にとって、相当困難なことである。この急速な変革期に関して残念なことが一つある。それは、大半の人々が激変する時代の動きについていけず、自分自身で答えを見出すことができずに、人間が考え出した「教義」や人々を惑わす宗教の教えに救いを求めるだろうということだろう。

http://hello.ap.teacup.com/koinu/370.html

過去に記載されたプロットだけれども

着実に具現化されているような気がする

2010年2月24日 (水)

蜜蝋の比喩

ソクラテスは、思考している五と七について、それらが合計でいくつになるかと問えば、計算間違いをして十一と答える人もいるし、正しく十二と答える人もいるのか、それとも皆が十二と答えるのかと尋ねる。テアイテトスは皆が十二と答えるとは限らないし、もっと大きな数なら間違える人も多くなる旨述べる。Beeswax

ソクラテス: 確かに君の思っている通りだ。
そこで、君によく考えてもらいたいのだが、その時には、蜜蝋の中の十二そのものを十一と思うこと(oiethenai)以外の何も起こってはいないのだね?

テアイテトス: どうも起こってはいないようです。

Beeswax_0 ソクラテス: そうなると、再び最初の議論に戻るのではないか。なぜなら、その状態にある人は、自分が知っているもの( ho oiden)を、これもまた自分が知っているもののうちの別のものであると思うわけだが、それは不可能だとわれわれは言っていたからだ。そしてまた、同じ人が同じことを知っていて同時にまた知らないということを強いられないためという、まさにこの点で、われわれは虚偽の思いなしなどないとせざるを得なかったからだ。

テアイテトス: まったくその通りです。

Beeswax_2 蜜蝋の比喩によっても虚偽の成立は認められない。アポリアが生じると決定される際の理由づけ「自分が知っているもの( ho oiden)を、これもまた自分が知っているもののうちの別のものであると思う」ことが「不可能である」とされる。蜜蝋の比喩の提示部の記述を念頭に置けば、可能であるという結論が導かれる。

「蜜蝋の比喩」が提示される時、「エンノイア(思考の中だけで思い浮かべているもの)」という言葉が現れる。「蜜蝋はムーサたちの母ムネーモシュネー(記憶)の贈り物である。
何であれわれわれが見たり聞いたりわれわれ自身で思い浮かべたりする(ennoesomen)もののうちの何をわれわれが記憶しようと思うにせよ、それら諸感覚や思い浮かべるもの(ennnoiais)にそれ(蜜蝋)をあてがって、それ(蜜蝋)へと刻印するのだ。 それはあたかも、指輪の形(semeia)を捺印する時のようである。また、一方で、何が刻印されるにせよ、それの形象が中にある限りは、それを記憶しており知識しているのだと言おう。他方で、何がぬぐい去られるにせよ、あるいは、何が刻印されえなかったにせよ、それを忘却し知識していないのだと」

Beeswax33 思い浮かべるもの(エンノイア)」は、見聞きするなどの、五感による感覚とは区別されている。自分だけで(autoi)思い浮かべるもの。この意味で、「エンノイア」は、思考の中にのみ現れる。
(五と七とから)
十二や十一を思考の中だけで思い浮かべるということである。

「蜜蝋Beeswaxの比喩」

蜜蜂たちがシヴァシャクティを知って並べたハニカム構造
http://pengiin.seesaa.net/article/108668098.html

2010年2月23日 (火)

明石の海岸通りで

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花や夏の匂いのように 太陽やその輝きのように
真実は奇妙に姿をかえておとずれて
君の魂の深部へ 以心伝心するかもしれない

眠りから覚めた瞬間に すべてが夢の中であったことを知る
不思議な偽装をしたまま 永遠の真理は訪れるかもしれない
必然として その意味することを解らぬままに

今日も昨日も存在したように 明日も君は在るだろう
もしも永遠に これが終わらないものなら
これ以上何が言えるのだろうか

イメージを開く方法

1. 思い出したい物の視覚的特徴がどのようであったかを思い浮かべる
2. 物のもつコードが引き出せるよう、特徴からの連想を繰り返す。
3. 連想したものを結びつけていき、物のもつ要素や名前をアウトプットさせていく。

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文字情報をそのまま覚えるよりも、視覚イメージでとらえたり、何かに関連付けて覚える方が脳シナプスは得意で、覚えやすくするための手がかりを作る能力のほとんどは右脳が担当している。
記号や文字のような五感を奴隷にさせるものは、頭脳のネットワークの密度を老化させる成分があることに気をつけたい。視覚イメージは右脳の側頭葉で認識され、人物名などの文字情報は左脳の頭頂葉を経て側頭葉で認識される。いずれも前頭葉で記憶される。双方の情報は脳梁を経由して行き来する。固定概念という皇帝を呼び寄せるもののは、老朽化した記号や文字成分にある。

画像と文字と音のいずれが伝達密度が高い操作かは、パソコンを数分いじれば体験できよう。しかし密度の高い存在にあっても精神の高みには到達はできないだろう。

神の戸がひらく

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物凄い傷跡が残されていました

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街並みは復興しても忘れられない

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想像力は、知識よりも大切だ。

知識には限界がある。
想像力は、世界を包み込む。
知識は、ふたつの形で存在する。
ひとつは、本の中に、生命のない形で。
もうひとつは、人の意識の中に、生きている形で。
後者こそがとにかく本質的なものである。
前者は、絶対必要であるように見えるが、たいしたことはないのだ。         
        
数学の法則を現実に当てはめるならば、それは不確かなものになる。
数学の法則が確かであるならば、それは現実には当てはまらない。
わたしたちはいつか、今より少しはものごとを知っているようになるかもしれない。
しかし、自然の真の本質を知ることは永遠にないだろう。 
           
海は、形容しがたい壮大な姿をしています。とりわけ、日が沈む瞬間は。
そんなとき、自分が自然に溶け込み、ひとつになるように感じます。
そしていつも以上に、個人という存在の無意味さを感じるのです。
それは幸せな気分です。

「アインシュタインの言葉より」

2010年2月22日 (月)

鉄人28号

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2010年2月21日 (日)

靴の街角

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七つの大罪

映画予告 seven
http://www.youtube.com/watch?v=WxAdChDlCyg

八つの枢要罪は厳しさの順序によると
「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」
6世紀後半に八つから現在の七つに改正された。
「虚飾」は「傲慢」に含まれ、「怠惰」と「憂鬱」は一つの大罪となり、「嫉妬」が追加された。
七つの罪源について、伝統的な七つの大罪

大罪   ラテン語    英語    対応悪魔
傲慢 Superbia  Pride  Lucifer
嫉妬 Invidia  Envy  Leviathan
憤怒 Ira  Wrath  Satan
怠惰 Acedia  Sloth  Belphegor
強欲 Avaritia  Greed  Mammon
暴食 Gula  Gluttony  Beelzebub
色欲 Luxuria  Lust  Asmodeus

Sevendeadlysins

『新・七つの大罪』(Les Sept Péchés capitaux)
1962年(昭和37年)製作・公開のフランス・イタリア合作のオムニバス映画
『怒りの罪』 La Colère
監督 : シルヴァン・ドム
『羨みの罪』 L'Envie
監督 : エドゥアール・モリナロ
『大食いの罪』 La Gourmandise
監督 : フィリップ・ド・ブロカ
『淫乱の罪』 La Luxure
監督 : ジャック・ドゥミ
『怠けの罪』 La paresse
監督 : ジャン=リュック・ゴダール
『傲慢の罪』 L'Orgueuil
監督 : ロジェ・ヴァディム
『貪欲の罪』 L'Avarice
監督 : クロード・シャブロル
http://www.youtube.com/watch?v=9lwQaMLdVXE

2010年2月20日 (土)

手が手を変更する

Shadow Centre for Defence Enterprise Robot

England中部オックスフォードで、有望な技術を持つ民間企業との橋渡しをする英国防省の「Centre for Defence Enterprise、CDE」では、爆発物処理用のロボットハンドを公開した。
軍事作戦に役立つ科学技術研究のため、国防省は多くの中小企業と研究契約を結んでいる。

Handson1

2010年2月19日 (金)

高原の太陽

岡本かの子

「素焼の壺と素焼の壺とただ並んでるようなあっさりして嫌味のない男女の交際というものはないでしょうか」と青年は云った。
 本郷帝国大学の裏門を出て根津権現の境内まで、いくつも曲りながら傾斜になって降りる邸町の段階の途中にある或る邸宅の離れ屋である。障子を開けひろげた座敷から木の茂みや花の梢を越して、町の灯あかりが薄い生臙脂(きえんじ)いろに晩春の闇の空をほのかに染め上げ、その紗のような灯あかりに透けて、上野の丘の影が眠る鯨のように横わる。鯨の頭のところに精養軒の食堂が舞台のように高く灯の雫を滴らしている。座敷のすぐ軒先の闇を何の花か糠のように塊り、折々散るときだけ粉雪のように微に光って落ちる。
 かの女は小さく包帯をしている片方の眼を庇って、部屋のガスの灯にも青年の方にも、斜に俯向き加減に首を傾げたが、開いた方の眼では悪びれず、まともに青年の方をみつめた。
「それではなにも、男女でなくてもいいのじゃございません? 友人なり師弟なり、感情の素朴な性質の者同志なら」こうは答えたもののかの女は、青年の持ち出したこの問題にこの上深く会話を進み入らせる興味はなかった。ただこんなことを云っているうちに、この青年の性格なり気持ちがだんだん判明して来るだろうことに望をかけていた。「こんなことを女性に向って云い出す青年は、どういうものか」すると青年は、内懐にしていた片手を襟から出し片頬に当てていかにも屈托らしく云った。かの女のあまり好かないこんな自堕落らしい様子をしても、この青年は下品にも廃頽的にも見えない。この青年の美貌と、蘂(ずい)に透った寂寞感が、むしろ上品に青年の態度や雰囲気をひきしめているのかも知れない。
「やっぱり異性同志に、そういった種類の交際を望むのです。少くとも僕は」
 それからしばらくして
「でないと僕は寂しいんです」
 唐突でまるで独言のような沈鬱な言葉の調子だ。かの女はこの青年がいよいよ不思議に思えた。
 かの女は居坐りを直し、寒くもないのに袖を膝に重ねて青年の性の知れない寂寞が身に及ばないような防ぎを心に用意した。
 かの女の家は元来山の手にあるのだったが、腺病質から軽い眼病に罹り、大学病院へ通うのに一々山の手の家から通うのも億劫なので、知合いのこの根津の崖中の邸へ老女中と一緒に預けられたのであった。
 かの女は女学校を出たばかりであった。両親はあまり内気な性質のかの女に、多少世間を見させようとする下心もあって、他人の屋根の下に暮らさせるためだった。去年大学を出た同じく内気な性分のかの女の兄が、この界隈に下宿させられてから、幾分ひらけたということも好もしい前例として両親の考の根にあった。青年は以前兄と同じ下宿にいた上野の美術学校の卒業期の洋画科生である。青年は下町にある自宅が大家族でうるさいので、勉強の都合上家を出て、下宿から学校に通っているのだそうである。兄は青年が酒をかなり飲む以外、生活に浮いたところも見えず、一種のニヒリスチックなところ(だが、それゆえに青年の画は青年の表面に現われた性格より余程深刻なニュアンスを持つと云っていた)よりほか、性癖に変った箇所もないと兄は云っていた。むしろ表面はごくさばけた都会っ子で、偏屈な妹には薬になるかも知れない。当人も妹のことを聞いて、その病的に内気なところに興味を持ち、しきりに紹介を頼むことだから、まあ会って見給えというほどのことだった。こういう青年を妹に何の気づかいも無く紹介して間もなく兄はフランス遊学の長途の旅に立って行った。青年は夜になると庭から入って来た。かの女が夕飯を済まして、所在なさに眼のほうたいを抑え乍(なが)ら歌書や小説をばあやに拾い読みして貰っていると、庭の裏木戸がぎしいと開き、庭石に当る駒下駄の音が爽やかに近づいて、築山の桃葉珊瑚(あおき)の蔭から青年は姿を現わした。
 闇の中から生れ出る青年の姿は、美しかった。薩摩絣(がすり)の着物に対の羽織を着て、襦袢の襟が芝居の子役のように薄鼠色の羽二重だった。鋭く敏感を示す高い鼻以外は、女らしい眼鼻立ちで、もしこれに媚を持たせたら、かの女の好みにはむしろ堪えられないものになるであろうと思われた。しかし、青年の表情は案外率直で非生物的だった。
 青年のほのかな桜色の顔の色をかの女は羨んだ。かの女は鬱気の性質から、顔の色はやや蒼白かった。しかし、肉附きも骨格も好くて、内部に力が籠っている未完成らしい娘だった。
「年頃のお嬢様のような『気』もなくって……」と老婢は時々意味ありげに云った。
 同じく都会に育って、あく抜けし過ぎた性質から、夫からも家からもあっさり振り捨てられて、他人の家で令嬢附の侍女を勤めて、平気な顔をしている老女中は、青年と上べの調子はよく合った。少くとも自分からは、ばあやは青年と気が合っていると思い込んでいた。
「お嬢さま、この牡蠣のフライと山葵(わさび)漬はおあがりになりませんね。では、これを重光さんのお肴にとっといて、またビールでも差上げましょう。なにそう云ったってかまやしません。あの方はさくくていらっしゃるから」
 ばあやは青年の気さくなところばかりを見ていた。
 かの女が喰べて仕舞った夕飯の膳をひいて行くときに、ばあやはこう云って、かの女の箸をつけない皿を一つか二つ残して置くのであった。そして母屋の邸の台所からビールを貰って来て、青年を待った。青年は笑を含みながら大部分の時間をばあやに素直にもてなされた。酒は強いらしくいくら飲んでも大して変らなかった。ただ老女中に対しては、いかにもこういう種類の女中を扱いつけているらしい態度で冗談にして愛想を云った。
「ばあやさんお酌の仕方がうまいなあ」
「むかし酒飲みの主人を持っておりましたからね」
 淡々として人生をも生活をも戯画化して行く。これを江戸趣味とでもいうのであろうか。青年と老女中は、追羽子の羽根のように会話を弄んで行くが、かの女は他愛ないもののように取れて、そっと傍見をしてあくびをしてしまった。だが欠伸の後の生理的弛緩に伴う心の寂寞をかの女は自分にあやしんで見た。この青年の傍にいることは何という淋しさだろう。大都会の下町――そこにはあらゆる文化と廃頽の魔性の精がいて、この俊敏な青年の生命をいつかむしばみ白々しい虚無的な余白ばかりを残して仕舞った。恰(あたか)も自家中毒の患者を見るような憐みさえ、かの女の心に湧いて来るのだった。そしてかの女はその心をどう表現して好いかわからない。やはり表面には退屈な表情より現われて来ない。すると、ばあやはさすがに目敏く見て取り
「お嬢さまご退屈ですか、おやおや。じゃ一つ重光さんに唄でもうたって聴かして頂きましょう」
「いやな婆や」
 かの女は口でこう云って制したけれども、こういう青年がどんな唄をうたうかそれも聴いて見たかった。

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 青年の唄っている唄は花柳界の唄にしても、唄っている心緒は真面目な嘆きである。声もよくなく、その上節廻しに音痴のところがある。それを自分で充分承知していながら、自分に対する一種の嘲笑いを示すかのような押した調子の底に、いやすべからざる深い寂寞が潜むではないか。かの女の一般の若い生命を愛しむ母性が、この青年に向ってむくむくと頭をもたげる、この青年はどうかしてやらなければいけない。だがそう思う途端に、たちまちかの女は自分を顧みる。危い性分である。人一倍情熱を籠めて生れさせられた癖に、家柄のしつけや病身のために圧搾に圧搾を加えられている。それが自分の内気というものなのだ。もし、義侠のつもりで働きかけるにも、恋とか愛とかに陥ってしまわぬだろうか。もしそういう道を踏めば、内気なだけに一途な性分でどこまで行くか知れない自分ではないか。日頃同じ性質の兄と共に警(いまし)め合っているのはこれではないか。これはまるで薪(たきぎ)を抱く人間が火事を救いに行くようなものであると、かの女は思った。兄は何故に自分にこんな青年を紹介したのか。自分は兄か何者かに試されているのではなかろうか。
「ばあや、もう眼の罨法(あんぽう)をする時間じゃなくって」
「そうでございましたね。じゃ重光さん今晩はもう失礼ですが」

 青年はたいがい夜になってかの女を訪れて来た。
 ばあやは
「重光さん、昼間はご勉強ですか」と訊いた。
 すると青年は、ばあやよりむしろかの女に向うようにいった。
「昼間は何の感興もなく寝ていますよ。まあ死んでるようですね」
 かの女は陽のある昼は全くの無に帰し、夕方より蘇る青年を、物語の中の不思議な魂魄のように想われ、美しくあやしく眺めた。

 かの女の眼病は遅々として癒えながら、桜が咲いて散って行っても、まだ癒えなかった。青年は殆ど連夜かの女を訪れた。かの女の残り物で酒を飲んでは大方ばあやと遊んで帰って行った。かの女は青年が表面は、ばあやと遊んでいても心はかの女に接触している満足で帰って行くのが解っていた。かの女は青年の表面の恬淡(てんたん)さにかえって内部の迫真を感じた。これが青年のいつぞや云った「素焼の壺が二つ並んだような男女の関係」に近いものとして、青年が満足しているのではないかと思えば、青年に対して段々あわれみと好意が持てるようになった。
 青年は親しみを増して来るにつれ、あらわに自分の生命の奥にひそむ寂寥をかの女に訴える言葉が多くなり、かの女はそれにあまり深くひき入れまいとする用心で、いよいよ内気を守った。それがなおなおかの女の態度を真剣に沈み入り気重にさせるようになって来た。
「こんないい陽気に内にばかりいらしってもお毒ですから、明日あたり重光さんはお嬢さまを、散歩にでもお連れなすってはいかがですか」
 ばあやは青年一人にかの女を預けるのを何の不安もなげである。かの女もまた………この青年にかぎって不安を感じることが寧ろ自分の恥のようにさえ思われる。
「そうですね」
 と重光は考えていたが
「だいぶ永い間ご馳走になりましたから、それじゃお嬢さんに一度ご馳走のお礼返しをしましょう。――さあ、どこがいいかなあ………。藤の花の咲いているところへでもご案内しようかな」

 久し振りで外出するかの女は嬉しかった。初夏の午前の陽は鮮かに冴えていても、肌に柔かかった。久しぶりに繃帯押えを外して外光に当てる視覚は、いくらか焦点をぼかして現実でもなく非現実でもない中間の世界を見出した。
 白い砂と碧い池の上に太鼓橋が夢のように架っている。あちこちの松の立木が軽く緑を吹きつけたように浮いている。拍手の音がする。温い松脂の匂いがする。
「あんまりいい気持ちで眠たくなっちまう……」
 ついかの女はそういって、あとからついてくる男の連れに向って、あまりはしたない言葉ではないかと気が咎(とが)めた。すると青年は顔を緊張させて
「あなたが始めて僕に本当の気持ちで打ち解けたことをおっしゃった――ははは」
 と痛快げに笑った。
 社殿へ参詣して再び池の端へ戻ってから、青年は云った。
「この池に懸け出した藤棚の下の桟敷の赤い毛布の上で、鯉を見ながら葛餅を喰べるのが、ここへ来た記念なのですが、あまり人が混んでますから、別の所へ行きましょう」
 荷船の繋がったり漕ぎ通ったりしているいくつかの川や堀割の岸を、俥で過ぎて、細い河岸の大木の柳の蔭の一軒の料理屋へ、青年は俥をつけさせた。
「ここは橋本という昔から名代の料理屋です」
 かの女は、峠のように折れ曲り、上ったり下ったりする段梯子を面白いと思った。案内された小座敷の欄干は水とすれすれだった。青み淀んだ水を越して小さい堤があり、その先は田舎になっていた。
「いいところですね。草双紙の場面のよう」
「お気に入って結構です。きょうはゆっくり寛いで下さい。うちも同然の店ですから」
 かの女はふと疑問が起った。
「あなた、お料理店の息子さん?」
「違います。だが、まあ、客商売というところは同じですね」
 名物鯉の洗い、玉子焼、しじみ汁――。かの女は遠慮なく喰べながら、青年の生家でありそうな客商売の種類をいろいろと考え探って見た。
「判りませんわ。あなたのお家の商売――」
「さあ、云ってもいいが、云わない方が感じがいいでしょう。とにかく、女親とあとは殆ど女だけしかいないような家なのです」
 かの女は「まあ」と云って、それより先ききただす勇気はなかった。
 すると青年はかえって不満らしく、喰べものの箸の手を止めて、いつになく真面目に語り始めた。
 女ばかりで客商売をする家に育った青年は、子供のうちから女という女の憂いも歎きも見すぎて来た。自分の見て来た女達が同じように辛い運命から性を抜かれた白々しさ。そういう女性のなかに育った青年の魂は、いつか人生を否定的にばかり見るようになった。あらゆる都会の文化も悦楽も青年の魂を慰めなかった。年少から酒を嗜むようになったのも、その空虚な気持ちを紛らすためと云ってよかった。
「だが不思議ですね。それほど女性の陰に悩まされた自分でありながら、さて女性に離れてしまうことになると、まるでぽかんとして仕舞うのですね」
 それはちょうど菓子造りの家の者が菓子に飽き飽きしながら、絶えず糖分を摂取せずにはいられないようなものではなかろうか。
「菓子造りの家の者が砂糖の中毒患者というなら、僕は女性の中毒患者とでもいうべきでしょう」
 青年は苦笑した。
 早く死んだ青年の父は、天才の素質を帯びている不遇な文人画家であった。その血筋は息子の青年に伝えられた。
「僕にはこれで高邁(こうまい)な美を望む性格も、それを執拗に表現しようと努力する根気もあるんです。だが、その気概に邁進しようとすると、すぐ蝕まれている一面が意識されて、崩折れて仕舞うんです。結局、何も彼も白々しくてつまらなくなるんです。その自分の内部の矛盾や葛藤でますます僕の精神は欠陥を生じ、だんだん蝕まれて行く………
 僕の世界は白々と寂しいものになるばかりでした。僕はあなたに訳の判らぬことを嘆きました。随分勝手なお喋りもしました。それが結局僕の精神的血行を促したのでしょうね。おかげで僕の一方の精神が強まり、僕の精神がどうやら盛り上って来ました」
「まあ――だけど、私、それ程あなたに何も云ってはさしあげませんでしたわ」
「沢山おっしゃらない中から、僕はちゃんと拾ってます……。あなたがいつぞや、何の気なしに話して下さった『地によって倒れるものは地によって立つ』という言葉は本当です。女性によって蝕ばまれたものは、女性によってのみ癒やされるんですね。僕は、あなたの病的に内気なところを懐しんで近づいて行ったのですが、不思議ですね。それは表面だけで、あなたの蘂には男を奮い起さすような明るい逞ましいものがあるんです」
「でもあなたは素焼の壺と素焼の壺が並んだような、あっさりした男女の交際が欲しいと仰ったでしょう」
「ああ、そうでしたね。あの時分僕は実はあの反対な――積極的な生命的な女性との接触を求めていながら、つい一方の蝕まれた性格が、ああいうことを云わしたんですね。僕はあんなことを云いながら、ぐんぐんあなたの積極的な処に牽かれて……こんな言葉を許して下さい……」
「でも私は積極的でしょうか」
「熱情があんまり清潔すぎて醗酵しないから、病的な内気の方へ折れ込んで仕舞うのでしょう。あなたの兄さんもそういう方だ」
「では兄におつき合いになっただけであなたはよかったではありませんか」
「兄さんともそれで仲好しでした。兄さんは僕の変に性の抜けたようなニヒリスチックなところが、鬱屈した性質を洗滌されるようで好きだったのだな」
「そう云いました。私にもだからおつき合いしてごらん、気持ちがさっぱりして薬になるよって、あなたを紹介して呉れました」
「あはは……お互に換気作用を計画しておつき合いし始めたんですか……あははは……近代人の科学的批判的意識が友情にまで、そこまで及べば徹底してますね」
「でも兄はあなたを『素焼の壺』のようなあっさりした方と云いましたけど……私はそれ以上あなたにお目にかかっていると、しんと寂しさが身に迫るようでした。時々堪らなく寒くなるような感じをうけます」
「男性と女性の相違ですよ。兄さんとあなたと僕に対する感じ方の違うというのは」
「何がですか」
「だから僕は女性でなくては……と云ったでしょう」
「…………」
 かの女はあまり唐突にその言葉を聞いたように感じた。だがよく考えれば、青年がいつも女性でなければと云っていたことを、今また思い出した。
「僕はやっぱり女性の敏感のなかに理解がしっとり緻密に溶け込んでいるのでなければ、淋しい男性にとってほんとうの喜びではないと思うんです。兄さんは僕を多少ニヒリストで素焼の壺程度にさらりとした人間と解釈したに過ぎないが、あなたはそれ以上、僕に鬱屈している孤独的な寂しさまで感じわけて下さったでしょう……女性の本当に濃かいデリケートな感受性へ理解されることが、僕の秘かな希望だったんだな……」
「でもあなたは素焼の壺が二つ並んだような男女の交際が欲しいと仰ったでしょう」
「またそれが出ましたね。どうも素焼の壺が頻々と出て来ますね。あれは僕自身も僕を素焼の壺程度に解釈していた時分云ったことですよ。僕は実は大変な鬱血漢でしたよ」
「割合いに刺戟的な方だと思うわ」
「ばあやのお喋りがはいらないんで、今日はあなたがよくお話しになる、僕の本望だな。あれはね、僕、今でもそう思ってますが――つまり、すぐ恋愛になるような、あり来りの男女の交際は嫌だと思ってましたから、それがああいう言葉で出たんですが……」
 この青年は非常にエゴイズムなのではないかと、ふとかの女は思った。
 でなければ、それ以上に抜け切った非常に怜悧な男なのではないかとも思った。
 でもこう話しているうちに、決して男性の体臭的でない明るいすがすがしい気配が、青年の顔色や態度に現われて来た。かの女は、もしその気配に自分の熱情が揺がされでもしたら、自分が何か非常に卑しい軽率な存在にでも見えだすかも知れない――そう思うとかの女はかすかなうそ寒いような慄えに全身をひきしめられた。
「ね、あそこをご覧なさい」
 青年の指差したのは、真向いの堤にあたかも黄金の滝のように咲き枝しだれている八重山吹の花むらであった。陽は午後の円熟した光を一雫のおしみもなく、その旺溢した黄金色の全幅にそそぎかけている。青年は画家が真に色彩を眺め取る時に必ず細める眼つきを、そちらへ向けながらしみじみ云った。
「あの山吹の色が、ほんとうに正直に黄いろの花に今の僕の心象には映るのです。僕の心が真に対象を素直にうけ入れられるようになったのですね。以前僕の描いた山吹の色は錆色でした。それが渋いとか何とかいいかげんなニヒルの仲間達に煽てられたもんですが、詰らないことです。僕の盛り上って来た精神力でほんとうに人生を勇敢にこれからはつかみ取れそうです」

 翌日の夜も翌々日の夜も青年は来なかった。そして手紙が来た。
「僕はいっしんにあの山吹の花の写生に取りかかりました。まだ朝寝の癖が全然とれないので昼頃迄は寝ていて、午後一ぱい殆ど日没近くまであの堤の下の水際に三脚を立てて汗みどろに写生です。夜は疲れてくたくたになります。家へ帰って画の道具を置くと手も足もほうり出したなりになっちまうのです。伺い度いけれど、あなたの前で行儀悪く寝そべったりしては悪いと思って――それに、お許し下さい、僕は僕の昨今の自分の余念のなさの裡に閉じ籠っていたいのです。当分友達にも遇わず、学校にも行きませんでしょう。お眼の御恢復をひたすら祈ります。ばあやさんに宜しく」

 青年の卒業制作は画面に山吹の花のいのちが美事にかがやき溢れた逸品であった。その優秀への讃辞は校内から広く一般画壇にまで拡がった。青年は眼も全快して父母の家に帰っているかの女にその絵を携えて見せに一度来たきり絶えてかの女の許へ来なかった。青年は東京から遠い或る高原地方に立て籠って、秋の展覧会の制作に取りかかっているのだそうである。
 かの女は其処で制作しつつある青年の絵が必ず立派な力の籠った作品であろうことを予期すればする程、何か、自分のなかから摂取して行った人のエゴイズムを憎むような憎みさえ感じるのであった。けれど……しかし、憎みとばかりは云い切れない心内の自覚をかの女自身にも追々感ぜられるのであった。かの女の病的な内気さも追々溶け何か生命の緒を優しく引きほぐされて行くようなあてもない明るさが、かの女の生活にいつか射し添っているのであった。

 秋になった或日フランスの兄からかの女に手紙が来た。
「重光君からたびたび君のことを書いた手紙が来る――君は重光君と結婚したまえ」
 簡単ながら決定的な文意であった。
 かの女は今更別だんの衝動も心にうけなかった。――まあ、私に云わないで兄さんに云った――かの女はごくあたりまえにこう内心で独り言を云っただけだった――そして普通の友人の絵でも見に行くように重光青年から招待されて、上野の展覧会場へその秋の傑作の一つと評判の高い「高原の太陽」と題する青年の出品画を観に行った。

初出:「むらさき」 1937(昭和12)年6月号
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「老妓抄」中央公論社 1939(昭和14)年3月18日発行

岡本 かの子 : 1889(明治22)年3月1日、東京赤坂青山南町の大貫家別荘で生まれる。本名カノ。跡見女学校卒業後、与謝野晶子に師事し、「明星」や「スバル」に短歌を発表した。明治43年、上野美術学校の画学生岡本一平と結婚。翌年岡本太郎誕生。しかし、それぞれの強烈な個性が激突し、かの子の身内の不幸も重なって、結婚生活は破綻した。その結婚生活の地獄を乗り越えるため、夫婦で宗教遍歴をし、大乗仏教に辿り着く。1936年、芥川龍之介をモデルにした『鶴は病みき』によって文壇に登場。その後、『母子叙情』『金魚撩乱』『老妓抄』などを発表。1939年(昭和14)年2月18日、脳溢血にて死去。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person76.html

若いころ、ただ芸術家であり絵描きであるということが、何となく空しく感じられた。熱情的に奔放に生きるのはいい。しかし人間として、それと反対のモメントを同時につかまない限り浮いてしまう。現代はとりわけ、そういう時代なのだ。
画家でありながら、絵筆を捨てて数年間、ソルボンヌやミューゼ・ド・ロンムにこもり、およそ芸術表現とは正反対な民族学(文化人類学)、哲学、社会学を勉強した。私自身はそれによって、全体的に生きることの意味をつかんだように思う。
(対話:岡本太郎 泉靖一「日本人は爆発しなければならない―日本列島文化論」 )

http://www.taromuseum.jp/

2010年2月18日 (木)

「風の松原」と純粋な狂気」 

日本の自然を代表する景観として親しまれてきたものに松原がある。
羽衣伝説に語り継がれる日本の美は各地に存在している。京都府宮津市「天橋立」、静岡県清水市「三保の松原」、福井県敦賀市「気比の松原」、佐賀県唐津市「虹の松原」、秋田県能代市「風の松原」は五大松原といわれる。

日本海に沿って1キロメートルの幅で、南北に14キロメートルにわたる「風の松原」の総面積は760ヘクタールに及び、黒松が約700万本も植えられている。今では人々の憩いの場であるとともに観光名所となっているが、もともとは飛砂から町を守り農業を興すために、たった一人の男が植林を始めたことに端を発している。

江戸時代の秋田藩は米や木材や金銀などに恵まれて農民の生活を潤していた。
しかし日本海側は季節風が砂を運んで、田畑を埋めてしまう被害が耐えなかった。佐竹家の家中であった栗田定之丞(くりたさだのじょう)は、「植林砂防を思いついたが、どのようにして森林をつくるか」と、砂留役という職名にしてもらった。その半生を砂防植林に注いだが、定之丞のすることに藩も農民も冷淡だった。
「砂を留めて林にすれば薪にもなるし、堆肥にも役立つ。なによりも命の種の田畑が砂にうずめられなくてすむ」
そこで定之丞はひとり私費を投じて、砂に強いグミやヤナギを自分で植えた。一冬が過ぎ現場に戻ってくると、植えた物はすべて砂に埋没しているか枯死していた。 砂は、飛び、走り、何もかも呑み込んでいく。飛砂の現象を把握するために、寒中にムシロをかぶって砂丘で寝ることもあった。海岸を巡視していた定之丞は、砂の中にわずかな緑の葉がを見つける。 それは彼が植えた一株のグミであった。その周囲には波に打ち上げられた枯木一本に、古ゾウリが1つ引っかかっていた。古ゾウリが飛砂を防ぎ根付くことが出来たと知る。 それからグミやネムの木を植え、次の段階で黒松の植林に成功を収め「衝立工の技術」が体系化された。

農民たちは定之丞の物狂いを当初いやがり、「火の病(やまい)つきて死ねよ」と罵ったという。
定之丞は「耳にも懸(か)」けなかったという。純粋な狂気というべきものが、麗しき「風の松原」と豊かな田畑を与えた。 村人たちもその熱意にうたれ全村をあげて協力して、植栽されたクロマツは300万株に及び成功をみるに至った。日本海に沿って14キロメートルも続く「風の松原」の基である。それは定之丞の没後の天保3年に完成した。

参考資料
司馬遼太郎「街道をゆく 29」朝日新聞社

「気」を生むシステム

Takizawa

2010年2月17日 (水)

The White Stripesライヴ・ドキュメント『Under Great White Northern Lights』

ジャック・ホワイト、エッジ、そしてジミー・ペイジが出演するドキュメンタリー映画。DVDリリース。デヴィッド・グッゲンハイム監督作品 "It Might Get Loud"は、3人のギタリストの物語と、彼らのトレードマークとなっているスタイルをどのように確立し、どのようにエレクトリック・ギターを弾いてきたのかを取り上げた作品である。この映画は、3人が集まり、それぞれの歴史や、曲を作ったり、ギターを弾いたりする上で何がモチベーションとなり、インスピレーションとなっているのかを話し合った、ある1日を中心に追ったものである。ドキュメンタリー全編を通して、各ミュージシャンの新曲が流されており、ロンドン、ナッシュヴィル、ダブリンの風景がフィーチャーされている。
Whits

また各アーティストは映画の中で、それぞれにとって大きな影響を受けたものを挙げる箇所があり、エッジが挙げたセックス・ピストルズから、ジャック・ホワイトが大きな影響を受けたというフラット・デュオ・ジェッツの「Go-Go Harlem Baby」などのアルバムについて話し合っている。

The White Stripes
Jack White1975年7月9日 生ボーカル、ギター、オルガン、ピアノ、マリンバ
Meg White1974年12月10日生 ドラムス、ボーカル
代表曲Seven Nation Armyはローリングストーン誌のThe 100 Greatest Guitarist of All time とThe 100 Greatest Guitar Songs of All Timeではロック黄金期のアーティスト・曲がリストに連ねる中、近年のアーティストでは唯一の存在として17位、21位に選出されている。

The White Stripes http://whitestripes.com/
http://www.wmg.jp/artist/white_stripes/

2010年2月16日 (火)

北斎

Hokusai

葛飾 北斎(葛飾 北齋 1760年10月31日- 1849年5月10日)は、日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、とりわけ後期、文化・文政の頃(化政文化)を代表する一人。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E

Hokusaiga

葛飾北斎の娘: 零画報
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-05ed.html

2010年2月15日 (月)

「木の船」のための素描

 乗組員はだれあつてこの船の全景を知らぬ

 一つ一つの船室は異様に細長い。幅と高さとが各3メートルで、長さは10メートルといつた具合に(そして1×1×3メートルといつた狭い室もある)。隔壁はすべて厚い槇の板で作られており、室によつては粗笨な渦巻あるいは直線と弧を組み合せた抽象図形が彫り付けられてある。そのような細長い室、大小さまぎまなそれらが、上下左右前後に連らなり積み重なつて、五十? 七十? その正確な数を知るものはいない。

 船外の景色を見たものもいない

 乗組員の生活は、これら細長い船室から船室へと移り歩くことによつて営まれている。廊下というものはなく(あるいはすべての室が廊下であつて)、船室は小さなドア(と、上下には梯子と揚げ蓋)で直接他の船室と通じている。ドアによつては鍵のかかつている(それも時によつて変るのだが)のもあるので、船全体はおそらく時間の中で一種の迷路を形づくつているのだ。ドアの向うには必ず船室があり、どこまで行つても「外部」へは達し得ない。結局は鍵のかかつたドアに行き当つて引き返す(だが、どこへ)のがおちだ。

 ここではいくつかの人間的欲望が失われている

 とりわけ食欲、排泄欲。そして好奇心も記憶力もおとろえている。船内には常に三十日分の食料が用意されているが、手をつけようとするものがない。時おり笑い、時おり大声で唄い、時おり泣き、たちまち忘れてしまう。

 これか船であるかどうかも疑わしい

 あるいは一つの世界と言つてもよいのではあるまいか。乗組員は船であることを固く信じているが、それはこの全体が波に乗つているように揺れ、嵐の時のように激しく右に左に傾くことさえあるからだ。また、これはごくまれだが、汐の香がかすかにすることがある。その香りはどうやら、ある一つの船室から洩れ出て来るらしいのだが、その船室、それは、

 決して入ることのできない船室

であつて、それと接する周囲の室にはすべて何とか出入りができるというのに、その部屋にはドアも揚げ蓋もないのだ。かつて一人の乗組員が辛うじて発見した小さな節穴からこの室をのぞいた。すると意外なことに、そこに、船室の内部に、海があつた。影深い峡湾、そこを黄色い幕を張りめぐらした屋形船が物凄まじい勢いで通つて行くのを見て、鳥肌立つ思いをした時、節穴は内側からぴつたりとふさがれてしまつた。以来、この室の内部をうかがい得たものはいない。

 鳥たちだけはまつたく自由に隔壁を通過する

  ・群をなした鳥は船室のあらゆる隔壁をそれが隔壁の亡霊にすぎないかのように自由に通りぬけて飛び去る。 ・さまざまな種類の鳥たち。サギ、カワガリ、カワセミ、スズメ、キジ。 ・まれにはハクチヨウ、そしてミソサザイ。 ・鳥の通つた直後の壁には、それぞれの鳥の形のうす黒い汚点(しみ)がしばしのあいだ残つており、壁一面が汚点でおおわれることもある。 ・羽毛が床に散り敷く日も。 ・

 もし外部から見たとすればこの船は単に一個の木箱に過ぎない

 固く釘づけされた一個の木箱に黄色い麻布が幾重にも巻かれている。それが岩ばかりの国の果の、荒涼とした峡門を見おろす崖の上で、石の台座に据えられてかすかに腐臭を発しているのだ。

入沢康夫「声なき木鼠の唄」(昭和46)より
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入沢康夫 【いりざわ やすお】
昭和6年11月3日~。緻密な構築性と明晰な言語によって、詩の根源にかかわる先鋭的、実験的な詩を作っている。音声のリズムが感知できそうな、摩訶不思議な空間。ありえない世界を音霊と音律によって、呼び覚ますポエジーの磁場である。

代表詩集
「倖せ それとも不倖せ」 昭和30年
「わが出雲・わが鎮魂」 昭和43年
「死者たちの群がる風景」 昭和57年
「漂ふ舟―わが地獄くだり」 平成6年
http://uraaozora.jpn.org/poirizawa.html

生命の木

自然界における上と下

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四要素の共演とその相互の変容から

万物は発展していく

2010年2月14日 (日)

「触るものが全て黄金になる王」の話

ディオニューソスは年老いた教師シーレーノスが行方不明だと知った。ワインを飲んでいてぶらつき農民たちに発見され、シーレーノスは城の薔薇園で酔いつぶれていた。城主ミダースは彼の正体を知って、10昼夜の間礼儀正しく歓待して見せた。そして11日目にシーレーノスを豊穣の神ディオニューソスへ丁重に返した。

ディオニューソスは望むどんな報酬でも与えるといい、ミダースは彼が触れるものすべてが黄金に変わるよう頼んだ。新しい力を喜こんで急いで試したくなった。オークの小枝と石に触れると、両方とも金に変わった。狂喜して家に帰ると使用人に豪華な食事をテーブルに用意するよう命じた。

Midas_and_bacchus  Midas and Bacchus

「そのようにリューディアの王ミダースは、触れるものすべてを黄金に変えられることを知ったとき、最初は誇らしさに得意がった。しかし、食べ物が硬くなり、飲み物が黄金の氷に固まるのを見たそのとき、ミダースはこの贈り物が破滅のもとであることを悟り、黄金を強く嫌悪しながら彼の願い事を呪った」。
ミダースは彼の娘にさわったとき、彼女が彫像に変わった。

今となって自分が望んだ贈り物をミダースは憎んだ。飢餓から解放されることを願いながら、ディオニューソスに祈った。それを聞き入れてパクトーロス川で行水するように、ディオニューソスはいった。水に触れると力は川に移り、川砂は黄金に変わった。

この話はパクトーロス川になぜ砂金がそれほど豊富かということ。その因果関係についての神話のもとになった、ミダースを祖先だと主張する王朝の富について語られた。
「プリュギア人でキュベレーの息子ミダース王は、黒鉛と白鉛を初めて発見した」

ミダースは富と贅沢を憎んで田舎へ引っ越して、田園の神 パーンの崇拝者になった。
ローマ神話収集家たちは、彼の音楽の家庭教師はオルフェウスだったという。ある時、パーンは大胆にも、アポローンのそれの優劣を争って、竪琴の神アポローンに演奏技能についての試合を挑んだ。Tmolusという山の神が、審判に選ばれた。パーンはパイプを吹き素朴なメロディーは、彼自身とたまたま居合わせた彼の誠実な支持者ミダースに大変な満足感を与えた。次にアポローンが竪琴を弾くと、即座にアポローンに勝利が与えられた。ミダース以外はその判定に同意したが、彼は判定の公平さに疑問を唱えた。
アポローンはそのような堕落した王の耳に我慢できずロバの耳にしてしまった。

秘密を守れなかった男と王様
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/1_e298.html

生命の樹 Tree of Life

Treeoflife

Watch this video, play with the interactive version of the 'Tree of Life' and sign up to Tree of Life updates at http://www.wellcometreeoflife.org.
This six-minute Tree of Life video appeared on the BBC One programme 'Charles Darwin and the Tree of Life' narrated by David Attenborough.

http://www.youtube.com/watch?v=H6IrUUDboZo&translated=1
http://www.youtube.com/watch?v=lI4d8KlfMvY&feature=related

トート(Θωθ;トト)TOTO

古代エジプトの神。古代エジプトでの発音は完全には解明されていないがジェフティ(エジプト語:ḏḥwty)と呼ばれる。書記と学芸の守護者で、文字(ヒエログリフ)の発明者とされる。聖獣はトキとヒヒ。 ヘロドトスの『歴史』ではギリシアの女神アテナと同一視され、エジプトで最も崇敬される神とされる。

多くの信仰を集めた神のため、その神話も多岐に渡り、神話によっては創造神としての性格も持つ。

同じくギリシアのヘルメス神とも同一視され、これが後に発展してヘルメス・トリスメギストスを生んだ。また、ヘルメス思想では、エジプトの知恵はタロットに残されたと考えられたため、タロットはしばしば「トートの書」とも呼ばれた。

「大いなる導きヒヒ」と呼ばれると共に、ヒヒの姿で描かれる事もあるが、これはヒヒを聖獣とする知恵の神ヘジュウルとの習合による物である。ちなみにヒヒは魔術の象徴でもある。
(Wikipedia)

トートの書(エメラルド・タブレット): 零画報
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-2904.html

Thoth

トートの書の用語解説

アテュ Atu(エジプト語)
古代エジプト語で、館、小室、区の意。
隠秘学では『トートの書』の〈タロット〉の二十二個の鍵、ないし二十二枚なカードを意味する。

カドゥケウス Caduceus[ギリシア・ローマ神話]
蛇杖。神々の使者ヘルメス〔=メルクリウス〕の印の杖。二匹の蛇が巻きつき、頂に二つの翼が付いている。

タロット Tarot (ヘブライ語)
「車輪」あるいは(〈時間〉の)「周期」の意。

トート Thoth(エジプト語)
〈言葉スピーチ〉、〈魔術〉、〈智慧〉を司るエジプトの神。
タヒュティ神である。

http://blog.livedoor.jp/cardinal1223/archives/cat_50044461.html

2010年2月13日 (土)

地中海

20100213

好きな映画や小説などは、南仏あたりの作家によるものが多い。知り合いの料理人たちも、圧倒的の地中海に面した街にいた人たちである。

Sea

太陽の光と水平線の拡がりに、懐かしい記憶が反応するようだ。

Cootda

2010年2月12日 (金)

古ノルド語のもっていた複雑な屈折性

アイスランド語の歴史は、ヴァイキングの一派であるノース人(およびブリテン島やアイルランドのケルト人)がアイスランドに初上陸し、その後定住しはじめた874年にはじまる。当時のノース人は北ゲルマン語の1つである古ノルド語の西方言(古西ノルド語)を話しており、これが言語の歴史的変化によって古アイスランド語、そして現代アイスランド語と呼ばれるものへと変化していったものである。

Iceland

ただ、中世から言語が変化してきたとはいえ、音韻を除けばほとんど変化しておらず、特に文法の基本構造にいたっては何一つ変化していない。そのため、現代のアイスランド人は、現代と中世における言葉遣いの違いを少し把握しさえすれば、中世に古ノルド語および古アイスランド語により編纂されたエッダ(Edda, 北欧ゲルマン神話や英雄伝を題材とした詩歌の口承文学)およびサガ(saga, 主に当時のヴァイキングによる歴史的活動を年代記風にした散文形式の口承文学)が読解できるといわれる。これらの古典作品は文学的に大きな価値があるだけでなく、言語学・歴史学・文化人類学などの分野においても貴重な資料である。

このようなアイスランド語の保守性は、ルーツを同じく古ノルド語とする大陸の北ゲルマン諸語(デンマーク語・ノルウェー語・スウェーデン語)と比べると顕著であり、大陸の諸言語がそろって動詞の人称変化や名詞の曲用(格変化)などの複雑な文法的性質を失っていった(屈折性の退化)のに対し、孤島の言語という地理的要因によりアイスランド語は大陸諸語のような変化を被らず、古ノルド語のもっていた文法の複雑性をそのまま保存している。同じく北ゲルマン語の1つであるフェロー諸島のフェロー語もまた、文法についてはアイスランド語とは多少の形態論的相違はあれ、やはり外界から閉ざされた孤島の言語らしく保守的で、古ノルド語のもっていた複雑な屈折性は保持されたままである。

Geysireruptionnear

現代では、言語の保守性を保つなどの理由により、海外から続々とやってくる外国語の語彙に対してできるだけ外来語として吸収しようとせず、語彙を意訳した上での造語がよくおこなわれている。たとえばテレビを意味する "sjónvarp" は、英語 television などからの外来語ではなく、sjón (「風景」「見ること」、英語:sight)と verpa (投げる)からなる造語であり、「投影機」と意訳してできたものである。

なお、現代のアイスランド語において方言差はほとんど認められない。強いて挙げるとすれば、若者言葉という社会方言がある程度であるといわれている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より

4000年前のグリーンランドの古代人はアジア出身?…髪を分析

Index

デンマークなどの国際研究チームが、グリーンランド西部の永久凍土で見つかった約4000年前の男性の髪を分析、ゲノム(全遺伝情報)の大部分を解読することに成功した。
古代人の遺伝情報を解読したのは初めてで、男性の祖先が、アジア大陸から渡ってきた可能性の高いことがわかった。11日付の英科学誌ネイチャーに発表する。
チームが解読したのは、発見された毛髪のゲノムの79%。アジアやアメリカなど35地域の住民の遺伝子と比較したところ、ロシア極東地域などに住むアジア系の人々と最も似ていることが判明した。
男性の祖先は、陸続きだったアメリカ大陸へ渡り、グリーンランドに移住したらしい。
考古学研究の証拠も合わせると、移住は5500年前頃にあったとみられるという。
 
(2010年2月11日09時35分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100211-OYT1T00150.htm
4000年前にグリーンランドに住んでいた人の顔の想像図=ネイチャー誌提供 
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20100211-477794-1-N.jpg

Tp040813_01j 縄文の頃って、海の道というものがあって、現代人とは全くちがった移動していた。海流の生み出すエネルギーを、五感で知覚していたわれである。けっして原始的な生活をしていたわけではないと、装飾品や道具などの美しさから覗える。

2010年2月11日 (木)

メールストロムの旋渦

A DESCENT INTO THE MAELSTROM
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe
佐々木直次郎訳

 自然における神の道は、摂理におけると同様に、われら人間の道と異なっている。また、われらの造る模型は、広大深玄であって測り知れない神の業(わざ)にはとうていかなわない。まったく神の業はデモクリタスの井戸よりも深い。

ジョオゼフ・グランヴィル

 私たちはそのとき峨々(がが)としてそびえ立つ岩の頂上にたどりついた。四、五分のあいだ老人はへとへとに疲れきって口もきけないようであった。
「まだそんなに古いことではありません」と、彼はとうとう話しだした。「そのころでしたら、末の息子と同じくらいにらくらくと、この道をご案内できたのですがね。それが三年ほど前に私は、どんな人間も遭ったことのないような――たとえ遭ったにしても、生き残ってそれを話すことなんぞはとてもできないような――恐ろしい目に遭って、そのときの六時間の死ぬような恐ろしさのために、体も心もすっかり参ってしまったものでしてね。あなたは私をずいぶん老人だと思っていらっしゃる――が、ほんとうはそうじゃないのですよ。たった一日もたたないうちに、真っ黒だった髪の毛がこんなに白くなり、手足の力もなくなって、神経が弱ってしまいました。だからいまでは、ほんのちょいとした仕事にも体がぶるぶる震え、ものの影にもおびえるような有様です。こんな小さい崖(がけ)から見下ろしても眩暈(めまい)がするんですからね」
 その「小さい崖」の縁に、彼は体の重みの半分以上も突き出るくらい無頓着(むとんじゃく)に身を投げだして休んでいて、ただ片肘(かたひじ)をそのなめらかな崖ぎわにかけて落ちないようにしているだけなのであるが、――この「小さい崖」というのは、なんのさえぎるものもない、切り立った、黒く光っている岩の絶壁であって、私たちの下にある重なりあった岩の群れから、ざっと千五、六百フィートもそびえ立っているのである。どんなことがあろうと、私などはその崖の端から六ヤード以内のところへ入る気がしなかったろう。実際、私は同行者のこの危険この上ない姿勢にまったく度胆(どぎも)を抜かれてしまい、地上にぴったりと腹這(はらば)いになって、身のまわりの灌木(かんぼく)にしがみついたまま、上を向いて空を仰ぐ元気さえなかった。――また吹きすさぶ風のために山が根から崩れそうだという考えを振いおとそうと一所懸命に努めたが、それがなかなかできないのであった。どうにか考えなおして坐(すわ)って遠くを眺(なが)めるだけの勇気を出すまでには、だいぶ時間がかかった。
「そんな弱い心持は、追っぱらってしまわねばなりませんね」と案内者が言った。「さっき申しましたあの出来事の場所全体がいちばんよく見渡せるようにと思って、あなたをここへお連れしてきたので――ちょうど眼(め)の下にその場所を見ながら、一部始終のお話をしようというのですから」
「私たちはいま」と彼はその特徴である詳しい話しぶりで話をつづけた、――「私たちはいま、ノルウェーの海岸に接して――北緯六十八度――広大なノルドランド州の――淋(さび)しいロフォーデン地方にいるのです。いまそのてっぺんに坐っているこの山は、ヘルゼッゲン、雲の山です。さあ、もう少し伸びあがってください、――眩暈がするようでしたら草につかまって――そう、そんなふうに――そうして、帯のようになっている靄(もや)の向うの、海の方をご覧なさい」

Maelstromclarke
 私は眩暈がしそうになりながらも見た。すると広々した大洋が見える。その水の色はインクのように黒いので、私の頭にはすぐヌビアの地理学者の書いた Mare Tenebrarum(1)についての記述が思い出された。これ以上に痛ましくも荒寥(こうりょう)とした展望(パノラマ)は、どんな人間の想像でも決して思い浮べることができない。右を見ても左を見ても眼のとどくかぎり、恐ろしいくらいに黒い突き出た絶壁が、この世界の城壁のように長くつらなっている。その絶壁の陰鬱(いんうつ)な感じは、永遠に咆哮(ほうこう)し号叫しながら、それにぶつかって白いもの凄(すご)い波頭を高くあげている寄波(よせなみ)のために、いっそう強くされているばかりであった。私たちがその頂上に坐っている岬(みさき)にちょうど向きあって、五、六マイルほど離れた沖に、荒れ果てた小島が見えた。もっとはっきり言えば、果てしのない波濤(はとう)の彼方(かなた)に、それにとり囲まれてその位置が見分けられた。それから約二マイルばかり陸に近いところに、それより小さな島がもう一つあった。岩石で恐ろしくごつごつした不毛な島で、一群の黒い岩がその周囲に点々として散在している。
 海の様子は、この遠い方の島と海岸とのあいだのところでは、なにかしらひどく並々でないところがあった。このとき疾風が非常に強く陸の方へ向って吹いていたので、遠くの沖合の二本マストの帆船が二つの縮帆部(リーフ)をちぢめた縦帆(トライセール)を張って停船(2)し、しかもなお、その全船体をしきりに波間に没入していたが、その島と海岸とのあいだだけは、規則的な波のうねりらしいものがぜんぜんなく、ただ、あらゆる方向に――風に向った方にもその他の方向と同じように――海水が短く、急速に、怒ったように、逆にほとばしっているだけであった。泡(あわ)は岩のすぐ近いところのほかにはほとんど見えない。
「あの遠い方の島は」と老人はまた話しはじめた。「ノルウェー人がヴァルーと言っています。真ん中の島はモスケーです。それから一マイル北の方にあるのはアンバーレン。向うにあるのはイスレーゼン、ホットホルム、ケイルドヘルム、スアルヴェン、ブックホルム。もっと遠くの――モスケーとヴァルーとのあいだには――オッテルホルムとフリーメンとサンドフレーゼンと、ストックホルムとがあります。これはみんなほんとうの地名なんですが――いったいどうしてこういちいち名をつける必要があったのかということは、あなたにも私にもわからないことです。そら、なにか聞えませんか? 水の様子になにか変ったことがあるのがわかりませんか?」
 私たちはヘルゼッゲンの頂上にもう十分ばかりいた。ここへ来るにはロフォーデンの奥の方からやってきたので、途中では海がちっとも見えなくて、絶頂に来て初めて海がぱっと眼の前に展開したのである。老人がそう言ったときに、私はアメリカの大草原(プレアリー)における野牛の大群の咆哮のようなだんだんと高まってゆく騒々しい物音に気がついた。と同時にまた、眼の下に見えていた船乗りたちのいわゆる狂い波(3)が、急速に東の方へ流れる潮流に変りつつあることに気がついた。みるみるうちに、この潮流はすさまじく速くなった。刻一刻と速さを増し――せっかちな激しさを加えた。五分もたつと、ヴァルーまでの海は一面に抑えきれぬ狂瀾怒濤(きょうらんどとう)をまき上げた。が、怒濤のいちばんひどく猛(たけ)り狂っているのはモスケーと海岸とのあいだであった。そこではひろびろとたたえている海水が、裂けて割れて無数の衝突しあう水路になったかと思うと、たちまち狂おしく痙攣(けいれん)し、――高まり、湧(わ)きたち、ざわめき、――巨大な無数の渦(うず)となって旋回し、まっさかさまに落下する急流のほかにはどこにも見られぬような速さで、渦巻きながら、突進しながら、東の方へ流れてゆく。
 それからさらに四、五分たつと、この光景にまた一つの根本的な変化が起った。海面は一般にいくらか穏やかになり、渦巻は一つ一つ消えて、不思議な泡の縞(しま)がいままでなにもなかったところにあらわれるようになったのだ。この縞はしまいにはずっと遠くの方までひろがってゆき、互いに結びあって、いったん鎮(しず)まった渦巻の旋回運動をふたたび始め、さらに巨大な渦巻の萌芽(ほうが)を形づくろうとしているようであった。とつぜん――まったくとつぜんに――これがはっきり定まった形をとり、直径一マイル以上もある円をなした。その渦巻の縁は、白く光っている飛沫(しぶき)の幅の広い帯となっている。しかしその飛沫の一滴さえもこの恐ろしい漏斗(じょうご)の口のなかへ落ちこまない。その漏斗の内側は、眼のとどくかぎり、なめらかな、きらきら輝いている黒玉(こくぎょく)のように黒い水の壁であって、水平線にたいして約四十五度の角度で傾斜し、揺らぎながら恐ろしい速さで目まぐるしくぐるぐるまわり、なかば号叫し、なかば咆哮し、かのナイヤガラの大瀑布(だいばくふ)が天に向ってあげる苦悶(くもん)の声さえかなわないような、すさまじい声を風に向ってあげているのだ。
 山はその根からうち震え、岩は揺れた。私はぴったりとひれ伏して、神経の激動のあまり少しばかりの草にしがみついた。
「これこそ」と、私はやっと老人に言った、――「これこそ、あのメールストロム(4)の大渦巻なんですね」
「ときには、そうも言いますが」と彼は言った。「私どもノルウェー人は、あの真ん中にあるモスケー島の名をとって、モスケー・ストロムと言っております」
 この渦巻についての普通の記述は、いま眼の前に見たこの光景にたいして、少しも私に前もって覚悟させてくれなかった。ヨナス・ラムス(5)の記述はおそらくどれよりもいちばん詳しいものではあろうが、この光景の雄大さ、あるいは恐ろしさ――あるいは見る者の度胆を抜くこの奇観の心を奪うような感じ――のちょっとした概念をも伝えることができない。私はこの著者がどんな地点から、またどんな時刻に、この渦巻を見たのかは知らない。が、それはヘルゼッゲンの頂上からでもなく、また嵐(あらし)の吹いているあいだでもなかったにちがいない。しかし彼の記述のなかには、その光景の印象を伝えるにはたいへん効果は弱いが、その詳しい点で引用してもよい数節がある。
 彼はこう書いている。「ロフォーデンとモスケーとのあいだにおいては、水深三十五尋(ひろ)ないし四十尋なり。されど他の側においては、ヴェル(ヴァルー)に向いてこの深さはしだいに減り、船舶の航行に不便にして、静穏な天候のおりにもしばしば岩礁(がんしょう)のために難破するの危険あり。満潮時には潮流は猛烈なる速度をもってロフォーデンとモスケーとのあいだを陸に向って奔流す。されどその激烈なる退潮時の咆哮にいたりては、もっとも恐ろしき轟々(ごうごう)たる大瀑布も及ぶところにあらず、――その響きは数リーグの遠きに達す。しかしてその渦巻すなわち凹(くぼ)みは広くかつ深くして、もし船舶にしてその吸引力圏内に入るときは、かならず吸いこまれ海底に運び去られて岩礁に打ちくだかれ、水力衰うるに及び、その破片ふたたび水面に投げ出されるなり。しかれども、かく平穏なる間隙(かんげき)は潮の干満の交代時に、しかも天候静穏の日に見るのみにして、十五分間継続するにすぎず、その猛威はふたたびしだいに加わる。潮流もっとも猛烈にして暴風によってさらにその狂暴を加うるときは、一ノルウェー・マイル以内に入ること危険なり。この圏内に入らざるうちにそれにたいして警戒するところなかりしため、端艇、快走船、船舶など多く海底に運び去られたり。同様に鯨群(げいぐん)のこの潮流の近くに来たり、その激烈なる水勢に巻きこまるること少なからず、逃れんとするむなしき努力のなかに叫喚し、怒号するさまは筆の及ぶところにあらず。かつて一頭の熊(くま)ロフォーデンよりモスケーに泳ぎわたらんとして潮流に巻きこまれて押し流され、そのもの凄く咆哮する声は遠く岸にも聞えたるほどなりき。樅(もみ)、松などの大なる幹、潮流に呑(の)まれたるのちふたたび浮び上がるや、はなはだしく折れ砕けてあたかもそが上に剛毛(あらげ)を生ぜるがごとく見ゆ。こは明らかに、渦巻の底の峨々(がが)たる岩石より成り、そのあいだにこれらの木材のあちこちと旋転することを示すものなり。この潮流は海水の干満によりて支配せらる、――すなわち常に六時間ごとに高潮となり落潮となる。一六四五年、四旬斎前第二日曜(セクサゼシマ)の早朝、その怒号狂瀾ことにはげしく、ために海辺なる家屋の石材すら地に崩落せり」
 水深については、どうして渦巻のすぐ近くでこういうことが確かめられたか私にはわからぬ。この「四十尋」というのは、モスケーかあるいはロフォーデンかどちらかの岸に近い、海峡の一部分にだけあてはまることにちがいない。モスケー・ストロムの中心の深さはもっと大したものにちがいなく、この事実のなによりの証拠は、ヘルゼッゲンの頂の岩上からこの渦巻の深淵(しんえん)をななめに一見するだけで十分である。この高峰から眼下の咆哮する phlegethon(6)を見下ろしながら、私は鯨や熊の話をさも信じがたい事がらのように書いているかの善良なヨナス・ラムス先生の単純さに微笑せずにはいられなかった。というのは、現存の最大の戦闘艦でさえ、この恐ろしい吸引力のおよぶ範囲内に来れば、一片の羽毛が台風に吹きまくられるようになんの抵抗もできずに、たちまちその姿をなくしてしまうことは、実にわかりきったことに思われたからである。
 この現象を説明しようとした記述は、そのなかのある部分は、読んでいるときには十分もっともらしく思われたようだったが――いまではひどく異なった不満足なものになった。一般に信じられている考えでは、この渦巻は、フェロー諸島(7)のあいだにある三つの、これより小さな渦巻と同様に、「その原因、満潮および干潮にさいして漲落(ちょうらく)する波濤が岩石および暗礁の稜(りょう)に激して互いに衝突するためにほかならず、海水はその岩石暗礁にせきとめられて瀑布のごとく急下す、かくて潮の上ること高ければその落下はますます深かるべく、これらの当然の結果として旋渦(せんか)すなわち渦巻を生じ、その巨大なる吸引力はより小なる実験によりても十分知るを得べし」というのである。以上は『大英百科全書(エンサイクロピーディア・ブリタニカ)』のしるすところである。キルヘル(8)やその他の人々は、メールストロムの海峡の中心には、地球を貫いてどこか非常に遠いところ――以前はボスニア湾(9)がかなり断定的に挙げられた――へ出ている深淵がある、と想像している。この意見は、本来はなんの根拠もないものではあるが、目(ま)のあたり眺めたときには私の想像力がすぐなるほどと思ったものであった。そしてそれを案内者に話すと、彼は、このことはノルウェー人のほとんどみながいだいている見方ではあるが、自分はそう思っていないといったので、私はちょっと意外に思った。しかし、この見方については、彼は自分の力では理解することができないということを告白したが、その点では私はまったく同感であった。――なぜなら、理論上ではどんなに決定的なものであっても、この深淵の雷のような轟(とどろ)きのなかにあっては、それはまったく不可解なばかげたものとさえなってしまうからである。
「もう渦巻は十分ご覧になったでしょう」と老人は言った。「そこでこの岩をまわって風のあたらぬ陰へ行き、水の轟きの弱くなるところで、話をしましょう。それをお聞きになれば、私がモスケー・ストロムについていくらかは知っているはずだということがおわかりになるでしょう」
 老人の言った所へ行くと、彼は話しはじめた。
「私と二人の兄弟とはもと、七十トン積みばかりのスクーナー帆式の漁船を一艘(そう)持っていて、それでいつもモスケーの向うの、ヴァルーに近い島々のあいだで、漁をすることにしておりました。すべて海でひどい渦を巻いているところは、やってみる元気さえあるなら、時機のよいときにはなかなかいい漁があるものです。が、ロフォーデンの漁師全体のなかで私ども三人だけが、いま申し上げたようにその島々へ出かけてゆくのを決った仕事にしていた者なのでした。普通の漁場はそれからずっと南の方へ下ったところです。そこではいつでも大した危険もなく魚がとれるので、誰でもその場所の方へ行きます。だが、この岩のあいだのえりぬきの場所は、上等な種類の魚がとれるばかりではなく、数もずっとたくさんなので、私どもはよく、同じ商売の臆病(おくびょう)な連中が一週間かかってもかき集めることのできないくらいの魚を、たった一日でとったものでした。実際、私どもは命がけの投機(やま)仕事をしていたので――骨を折るかわりに命を賭(か)け、勇気を資本(もとで)にしていた、というわけですね。
 私どもは船を、ここから海岸に沿うて五マイルほど上(かみ)へ行ったところの入江に繋(つな)いでおきました。そして天気のよい日に十五分間の滞潮(よどみ)を利用して、モスケー・ストロムの本海峡を横ぎって淵(ふち)のずっと上手につき進み、渦流(うず)がよそほどはげしくないオッテルホルムやサンドフレーゼンの近くへ下って行って、錨(いかり)を下ろすことにしていました。そこでいつも次の滞潮(よどみ)に近いころまでいて、それから錨を揚げて帰りました。行くにも帰るにも確かな横風がないと決して出かけませんでした、――着くまでは大丈夫やまないと思えるようなやつですね、――そしてこの点では、私どもはめったに見込み違いをしたことはありませんでした。六年間に二度、まったくの無風のために、一晩じゅう錨を下ろしたままでいなければならないことがありました。がそんなことはこの辺ではまったく稀(まれ)なことなのです。それから一度は、私どもが漁場へ着いて間もなく疾風(はやて)が吹き起って、帰ることなどは思いもよらないくらいに海峡がひどく大荒れになったために、一週間近くも漁場に留(とど)まっていなければならなくて、餓死(うえじに)しようとしたことがありました。あのときは、もし私どもがあの無数の逆潮流――今日はここにあるかと思うと明日はなくなっているあの逆潮流――の一つのなかへうまく流れこまなかったとしたら、(なにしろ渦巻が猛烈に荒れて船がぐるぐるまわされるので、とうとう錨をもつらせてそれを引きずったような有様でしたから)どんなに手をつくしても沖へ押しながされてしまったでしょうが、その逆潮流が私どもをフリーメンの風下(かざしも)の方へ押し流し、そこで運よく投錨(とうびょう)することができたのでした。
 私どもが『漁場で』遭った難儀は、その二十分の一もお話しできません、――なにしろそこは、天気のよいときでもいやな場所なんです、――だが私どもは、どうにかこうにか、いつも大したこともなくモスケー・ストロムの虎口(ここう)を通りぬけていました。それでもときどき、滞潮(よどみ)に一分ほど遅れたり早すぎたりしたときには、肝っ玉がひっくり返ったものですよ。またときによると、出帆するときに風が思ったほど強くなくて、望みどおりに進むことができず、そのうちに潮流のために船が自由にならなくなるようなこともありました。兄には十八になる息子がありましたし、私にも丈夫な奴(やつ)が二人ありました。この連中がそんなときにいれば、大橈(おおかい)を漕(こ)ぐのにも、あとで魚をとるときにも、よほど助けになったでしょうが、どうしたものか、自分たちはそんな冒険をしていても、若い連中をその危険な仕事のなかへひき入れようという気はありませんでした、――なんと言っても結局、恐ろしい危険なことでしたからね。
 もう五、六日もたてば、私がいまからお話しようとしていることが起ってから、ちょうど三年になります。一八――年の七月十八日のことでした。その日をこの地方の者は決して忘れますまい、――というのは、開闢(かいびゃく)以来吹いたことのないような、実に恐ろしい台風の吹きあれた日ですから。だが午前中いっぱい、それから午後も遅くまで、ずっと穏やかな西南の微風が吹いていて、陽(ひ)が照り輝いていたので、私どものあいだでもいちばん年寄りの経験のある船乗りでさえ、そのあとにつづいて起ることを見とおすことができなかったくらいです。
 私ども三人――二人の兄弟と私――は、午後の二時ごろ例の島の方へ渡って、間もなく見事な魚をほとんど船いっぱいに積みましたが、その日はそれまでに一度もなかったほど、たくさんとれたと三人とも話し合いました。いよいよ錨を揚げて帰りかけたのは、私の時計でちょうど七時。ストロムでいちばんの難所を滞潮(よどみ)のときに通りぬけようというのです。それは八時だということが私どもにはわかっているのでした。
 私どもは右舷(うげん)後方にさわやかな風を受けて出かけ、しばらくはすばらしい速力で水を切って進み、危険なことがあろうなどとは夢にも思いませんでした。実際そんなことを懸念(けねん)する理由は少しもなかったのですから。ところが、たちまち、ヘルゼッゲンの峰越しに吹きおろす風のために、船は裏帆(10)になってしまいました。こういうことはまったくただならぬ――それまでに私どもの遭ったことのないようなことなので、はっきりなぜということもわかりませんでしたが、なんとなしに私はちょっと不安を感じはじめました。私どもは船を詰め開き(11)にしましたが、少しも渦流(うず)を乗り切って進むことができません。で、私がもとの停泊所へ戻ろうかということを言いだそうとしたそのとたん、艫(とも)の方を見ると、実に驚くべき速さでむくむくと湧き上がる、奇妙な銅色をした雲が、水平線をすっかり蔽(おお)っているのに気がついたのです。
 そのうちにいままで向い風であった風がぱったり落ちて、まったく凪(な)いでしまい、船はあちこちと漂いました。しかしこの状態は、私どもがそれについてなにか考える暇があるほど、長くはつづきませんでした。一分とたたないうちに嵐がおそってきました、――二分とたたないうちに空はすっかり雲で蔽われました、――そして、その雲と跳びかかる飛沫(しぶき)とのためにたちまち、船のなかでお互いの姿を見ることもできないくらい、あたりが暗くなってしまいました。
 そのとき吹いたような台風のことをお話ししようとするのは愚かなことです。ノルウェーじゅうでいちばん年寄りの船乗りだって、あれほどのには遭ったことはありますまい。私どもはその台風がすっかりおそってこないうちに帆索(ほづな)をゆるめておきましたが、最初の一吹きで、二本の檣(マスト)は鋸(のこぎり)でひき切ったように折れて海へとばされました。その大檣(メインマスト)のほうには弟が用心のために体を結えていたのですが、それと一緒にさらわれてしまったのです。
 私どもの船はいままでに水に浮んだ船のなかでもいちばん軽い羽毛(はね)のようなものでした。それはすっかり平甲板(12)が張ってあり、舳(へさき)の近くに小さな艙口(ハッチ)が一つあるだけで、この艙口(ハッチ)はストロムを渡ろうとするときには、例の狂い波の海にたいする用心として、しめておくのが習慣になっていました。こうしてなかったらすぐにも浸水して沈没したでしょう。――というのは、しばらくのあいだは船はまったく水にもぐっていたからです。どうして兄が助かったのか私にはわかりません、確かめる機会もなかったものですから。私はと言いますと、前檣(フォアマスト)の帆索をゆるめるとすぐ、甲板の上にぴったりと腹這(はらば)いになって、両足は舳のせまい上縁(うわべり)にしっかり踏んばり、両手では前檣の根もとの近くにある環付螺釘(リング・ボールト)(13)をつかんでいました。それはたしかに私のできることとしては最上の方法でしたが――こんなふうに私をさせたのは、まったくただ本能でした。――というのは、ひどくうろたえていて、ものを考えるなんてことはとてもできなかったのですから。
 しばらくのあいだはいま申しましたとおり、船はまったく水につかっていましたが、そのあいだ私はずっと息をこらえて螺釘(ボールト)にしがみついていました。それがもう辛抱できなくなると、手はなおもはなさずに、膝(ひざ)をついて体を上げ、首を水の上へ出しました。やがて私どもの小さな船は、ちょうど犬が水から出てきたときにするように、ぶるぶるっと一ふるいして、海水をいくらか振いおとしました。それから私は、気が遠くなっていたのを取りなおして、意識をはっきりさせてどうしたらいいか考えようとしていたときに、誰かが自分の腕をつかむのを感じました。それは兄だったのです。兄が波にさらわれたものと思いこんでいたものですから、私の心は喜びで跳びたちました、――が次の瞬間、この喜びはたちまち一変して恐怖となりました、――兄が私の耳もとに口をよせて一こと、『モスケー・ストロムだ!』と叫んだからです。
 そのときの私の心持がどんなものだったかは、誰にも決してわかりますまい。私はまるで猛烈な瘧(おこり)の発作におそわれたように、頭のてっぺんから足の爪先(つまさき)まで、がたがた震えました。私には兄がその一ことで言おうとしたことが十分よくわかりました、兄が私に知らせようとしたことがよくわかりました。船にいま吹きつけている風のために、私たちはストロムの渦巻(うずまき)の方へ押し流されることになっているのです、そしてもうどんなことも私たちを救うことができないのです!
 ストロムの海峡を渡るときにはいつでも、たといどんなに天気の穏やかなときでも、渦巻のずっと上手の方へ行って、それから滞潮(よどみ)のときを注意深くうかがって待っていなければならない、ということはお話ししましたね。――ところがいま、私たちはその淵の方へ、まっしぐらに押し流されているのです、しかも、このような台風のなかを! 『きっと、私たちはちょうど滞潮(よどみ)の時分にあそこへ着くことになろう、――とすると多少は望みがあるわけだ』と私は考えました。――しかし次の瞬間には、少しでも望みなどを夢みるなんてなんという大馬鹿者(おおばかもの)だろうと自分を呪(のろ)いました。もし私どもの船が九十門の大砲を積載している軍艦の十倍もあったとしても、もう破滅の運命が決っているのだ、ということがよくわかったのです。
 このころまでには、嵐の最初のはげしさは衰えていました。あるいはたぶん、追風で走っていたのでそんなに強く感じなかったのかもしれません。がとにかく、いままで風のために平らにおさえつけられて泡立(あわだ)っていた波は、いまではまるで山のようにもり上がってきました。また、空にも不思議な変化が起っていました。あたりはまだやはり、どちらも一面に真っ黒でしたが、頭上あたりにとつぜん円い雲の切れ目ができて、澄みきった空があらわれました、――これまで見たことのないほど澄みきった、明るく濃い青色の空です、――そして、そこから、私のそれまで一度も見たことのないような光を帯びた満月が輝きだしたのです。その月は私どものまわりにあるものをみな、実にはっきりと照らしました、――が、おお、なんという光景を照らし出したことでしょう!
 私はそのとき一、二度、兄に話しかけようとしました、――がどうしたわけかわかりませんが、やかましい物音が非常に高くて、耳もとで声をかぎりに叫んだのですけれども、一ことも兄に聞えるようにはできませんでした。やがて兄は死人のように真(ま)っ蒼(さお)な顔をして頭を振り、『聴いてみろ!』とでもいうようなふうに、指を一本挙げました。
 初めはそれがどういう意味かわかりませんでした、――が間もなく恐ろしい考えが頭に閃(ひらめ)きました。私はズボンの時計衣嚢(かくし)から、時計をひっぱり出しました。それは止っています。私は月の光でその文字面をちらりと眺(なが)め、それからその時計を遠く海のなかへ放(ほう)り投げてわっと泣きだしました。時計はぜんまいが解けてしまって七時で止っていたのです! 私どもは滞潮の時刻に遅れたのです。そして、ストロムの渦巻は荒れくるっている真っ最中なのです!
 船というものは、丈夫にできていて、きちんと手入れがしてあり、積荷が重くなければ、追風に走っているときは、疾風のときの波でもかならず船の下をすべってゆくように思われるものです、――海に慣れない人には非常に不思議に思われることですが、――これは海の言葉では波に乗ると言っていることなのです。で、それまで私どもの船は非常にうまくうねり波に乗ってきたのですが、やがて恐ろしく大きな波がちょうど船尾張出部(カウンター)の下のところにぶつかって、船をぐうっと持ち上げました、――高く――高く――天にもとどかんばかりに。波というものがあんなに高く上がるものだということは、それまでは信じようとしたって信じられなかったでしょう。それから今度は下の方へ傾き、すべり、ずっと落ちるので、ちょうど夢のなかで高い山の頂上から落ちるときのように気持が悪く眩暈(めまい)がしました。しかし船が高く上がったときに、私はあたりをちらりと一目見渡しました、――その一目だけで十分でした。私は一瞬間で自分たちの正確な位置を見てとりました。モスケー・ストロムの渦巻は真正面の四分の一マイルばかりのところにあるのです、――が、あなたがいまご覧になった渦巻が水車をまわす流れと違っているくらい、毎日のモスケー・ストロムとはまるで違っているのです。もし私がどこにいるのか、そしてどうなるのか、ということを知らなかったら、その場所がどんなところかぜんぜんわからなかったことでしょう。ところが知っていたものですから、恐ろしさのために私は思わず眼(め)を閉じました。眼瞼(まぶた)が痙攣(けいれん)でも起したように、ぴったりとくっついたのです。
 それから二分とたたないころに、急に波が鎮(しず)まったような気がして、一面に泡に包まれました。
 船は左舷(さげん)へぐいとなかばまわり、それからその新たな方向へ電(いなずま)のようにつき進みました。同時に水の轟く音は、鋭い叫び声のような――ちょうど幾千という蒸気釜(じょうきがま)がその放水管から一時に蒸気を出したと思われるような――物音にまったく消されてしまいました。船はいま、渦巻のまわりにはいつもあるあの寄波(よせなみ)の帯のなかにいるのです。そして無論次の瞬間には深淵(しんえん)のなかへつきこまれるのだ、と私は考えました、――その深淵の下の方は、驚くべき速さで船が走っているのでぼんやりとしか見えませんでしたが。しかし船は少しも水のなかへ沈みそうではなく、気泡(きほう)のように波の上を掠(かす)り飛ぶように思われるのです。その右舷は渦巻に近く、左舷にはいま通ってきた大海原(おおうなばら)がもり上がっていました。それは私たちと水平線とのあいだに、巨大な、のたうちまわる壁のようにそびえ立っているのです。
 奇妙なように思われるでしょうが、こうしていよいよ渦巻の顎(あご)に呑(の)まれかかりますと、渦巻にただ近づいているときよりもかえって気が落ちつくのを感じました。もう助かる望みがないと心を決めてしまったので、初め私の元気をすっかり失(な)くした、あの恐怖の念が大部分なくなったのです。絶望が神経を張り締めてくれたのでしょうかね。
 空威張(からいば)りするように見えるかもしれません――が、まったくほんとうの話なんです、――私は、こうして死ぬのはなんというすばらしいことだろう、そして、神さまの御力(みちから)のこんな驚くべき示顕(じげん)のことを思うと、自分一個の生命(いのち)などという取るにも足らぬことを考えるのはなんというばかげたことだろう、と考えはじめました。この考えが心に浮んだとき、たしか恥ずかしさで顔を赧(あか)らめたと思います。しばらくたつと、渦巻そのものについての鋭い好奇心が強く心のなかに起ってきました。私は、自分の生命を犠牲にしようとも、その底を探ってみたいという願いをはっきりと感じました。ただ私のいちばん大きな悲しみは、陸(おか)にいる古くからの仲間たちに、これから自分の見る神秘を話してやることができまい、ということでした。こういう考えは、こんな危急な境遇にある人間の心に起るものとしては、たしかに奇妙な考えです。――そしてその後よく考えることですが、船が淵のまわりをぐるぐるまわるので、私は少々頭が変になっていたのではなかろうかと思いますよ。
 心の落着きを取りもどすようになった事情はもう一つありました。それは風のやんだことです。風は私どものいるところまで吹いて来ることができないのです、――というわけは、さっきご覧になったとおり、寄波(よせなみ)の帯は海面よりかなり低いので、その海面は今では高く黒い山の背のようになって私どもの上にそびえていたのですから。もしあなたが海でひどい疾風にお遭いになったことがないなら、あの風と飛沫(しぶき)とが一緒になってどんなに人の心をかき乱すものかということは、とてもご想像ができません。あれにやられると目が見えなくなり、耳も聞えず、首が締められるようになり、なにかしたり考えたりする力がまるでなくなるものです。しかし私どもはいまではもう、そのような苦しみをよほどまぬかれていました。――ちょうど牢獄(ろうごく)にいる死刑を宣告された重罪人が、判決のまだ定まらないあいだは禁じられていた多少の寛大な待遇を許される、といったようなものですね。
 この寄波の帯を何回ほどまわったかということはわかりません。流れるというよりむしろ飛ぶように、だんだんに波の真ん中へより、それからまたその恐ろしい内側の縁のところへだんだん近づきながら、たぶん一時間も、ぐるぐると走りまわりました。このあいだじゅうずっと、私は決して環付螺釘(リング・ボールト)を放しませんでした。兄は艫(とも)の方にいて、船尾張出部の籠(かご)の下にしっかり結びつけてあった、小さな空(から)になった水樽(みずだる)につかまっていました。それは甲板にあるもので疾風が最初におそってきたとき海のなかへ吹きとばされなかったただ一つの物です。船が深淵の縁へ近づいてきたとき、兄はつかまっていたその樽から手を放し、環(リング)のほうへやってきて、恐怖のあまりに私の手を環(リング)からひき放そうとしました。その環(リング)は二人とも安全につかまっていられるくらい大きくはないのです。私は兄がこんなことをしようとするのを見たときほど悲しい思いをしたことはありません、――兄はそのとき正気を失っていたのだ――あまりの恐ろしさのため乱暴な狂人になっていたのだ、とは承知していましたが。しかし私はその場所を兄と争おうとは思いませんでした。私ども二人のどちらがつかまったところでなんの違いもないことを知っていましたので、私は兄に螺釘を持たせて、艫の樽の方へ行きました。そうするのはべつに大してむずかしいことではありませんでした。というのは船は非常にしっかりと、そして水平になったまま、ぐるぐる飛ぶようにまわっていて、ただ渦巻がはげしくうねり湧(わ)き立っているために前後に揺れるだけでしたから。その新しい位置にうまく落ちついたかと思うとすぐ、船は右舷の方へぐっと傾き、深淵をめがけてまっしぐらに突き進みました。私はあわただしい神さまへの祈りを口にし、もういよいよおしまいだなと思いました。
 胸が悪くなるようにすうっと下へ落ちてゆくのを感じたとき、私は本能的に樽につかまっている手を固くし、眼を閉じました。何秒かというものは思いきって眼をあけることができなくて――いま死ぬかいま死ぬかと待ちかまえながら、まだ水のなかで断末魔のもがきをやらないのを不審に思っていました。しかし時は刻々とたってゆきます。私はやはり生きているのです。落ちてゆく感じがやみました。そして船の運動は泡の帯のところにいたときと同じようになったように思われました。ただ違うのは船が前よりもいっそう傾いていることだけです。私は勇気を出して、もう一度あたりの有様を見わたしました。
 自分のまわりを眺めたときのあの、畏懼(いく)と、恐怖と、嘆美との感じを、私は決して忘れることはありますまい。船は円周の広々とした、深さも巨大な、漏斗(じょうご)の内側の表面に、まるで魔法にでもかかったように、なかほどにかかっているように見え、その漏斗のまったくなめらかな面は、眼が眩(くら)むほどぐるぐるまわっていなかったなら、そしてまた、満月の光を反射して閃くもの凄(すご)い輝きを発していなかったら、黒檀(こくたん)とも見まがうほどでした。そして月の光は、さっきお話ししました雲のあいだの円い切れ目から、黒い水の壁に沿うて漲(みなぎ)りあふれる金色(こんじき)の輝きとなって流れ出し、ずっと下の深淵のいちばん深い奥底までも射(さ)しているのです。
 初めはあまり心が乱れていたので、なにも正確に眼にとめることはできませんでした。とつぜん眼の前にあらわれた恐るべき荘厳が私の見たすべてでした。しかし、いくらか心が落ちついたとき、私の視線は本能的に下の方へ向きました。船が淵(ふち)の傾斜した表面にかかっているので、その方向はなんのさえぎるものもなく見えるのです。船はまったく水平になっていました、――というのは、船の甲板が水面と平行になっていた、ということです、――がその水面が四十五度以上の角度で傾斜しているので、私どもは横ざまになっているのです。しかしこんな位置にありながら、まったく平らな面にいると同じように、手がかりや足がかりを保っているのがむずかしくないことに、気がつかずにはいられませんでした。これは船の回転している速さのためであったろうと思います。
 月の光は深い渦巻の底までも射しているようでした。しかしそれでも、そこのあらゆるものを立ちこめている濃い霧のために、なにもはっきりと見分けることができませんでした。その霧の上には、マホメット教徒が現世から永劫(えいごう)の国へゆく唯一(ゆいいつ)の通路だという、あのせまいゆらゆらする橋(14)のような、壮麗な虹(にじ)がかかっていました。この霧あるいは飛沫は、疑いもなく漏斗の大きな水壁が底で合って互いに衝突するために生ずるものでした。――がその霧のなかから天に向って湧き上がる大叫喚は、お話ししようとしたって、とてもできるものではありません。
 上の方の泡の帯のところから最初に深淵のなかへすべりこんだときは、斜面をよほど下の方へ降りましたが、それからのちはその割合では降りてゆきませんでした。ぐるぐるまわりながら船は走ります、――が一様な速さではなく――目まぐるしく揺れたり跳び上がったりして、あるときはたった二、三百ヤード――またあるときは渦巻の周囲をほとんど完全に一周したりします。一回転ごとに船が下に降りてゆくのは、急ではありませんでしたが、はっきりと感じられました。
 こうして船の運ばれてゆくこの広々とした流れる黒檀の上で、自分のまわりを見渡していますと、渦に巻きこまれるのが私どもの船だけではないことに気がつきました。上の方にも下の方にも、船の破片や、建築用材の大きな塊や、樹木の幹や、そのほか家具の砕片や、こわれた箱や、樽や、桶板(おけいた)などの小さなものが、たくさん見えるのです。私は前に、不自然なくらいの好奇心が最初の恐怖の念にとってかわっていたことを申しましたね。その好奇心は恐ろしい破滅にだんだんに近づくにつれて、いよいよ増してくるのです。私は奇妙な関心をもって、私どもと仲間になって流れている無数のものを見まもりはじめました。どうも気が変になっていたにちがいありません、――そのいろいろのものが下の泡の方へ降りてゆく速さを比較することに興味を求めさえしていたのですから。ふと気がつくとあるときはこんなことを言っているのです。『きっとあの樅(もみ)の木が今度、あの恐ろしい底へ跳びこんで見えなくなるだろうな』――ところが、オランダ商船の難破したのがそれを追い越して先に沈んでしまったので、がっかりしました。このような種類の推測を何べんもやり、そしてみんな間違ったあげく、この事実――私がかならず見込み違いをしたというその事実――が私にある一つながりの考えを思いつかせ、そのために手足はふたたびぶるぶる震え、心臓はもう一度どきんどきんと強く打ちました。
 このように私の心を動かしたのは新たな恐怖ではなくて前よりもいっそう心を奮いたたせる希望の光が射してきたことなのです。この希望は、一部分は過去の記憶から、また一部分は現在の観察から、生れてきたのでした。私は、モスケー・ストロムに呑みこまれ、それからまた投げ出されてロフォーデンの海岸に撒(ま)き散らされた、いろいろな漂流物を思い浮べました。そのなかの大部分のものは、実にひどく打ち砕かれていました、――刺(とげ)がいっぱいにつきたっているように見えるくらい、擦(す)りむかれてざらざらになっていました、――が私はまた、そのなかには少しもいたんでいないものもあったことを、はっきり思い出しました。そこでこの相違は、ざらざらになった破片だけが完全に呑みこまれたものであり、その他のものは潮時を大分遅れて渦巻に入ったか、あるいはなにかの理由で入ってからゆっくりと降りたために、底にまで達しないうちに満潮あるいは干潮の変り目が来てしまったのだ、と思うよりほかに説明ができませんでした。どちらにしろ、これらのものが早い時刻に巻きこまれたり、あるいは急速に吸いこまれたりしたものの運命に遭わずに、こうしてふたたび大洋の表面に巻き上げられることはありそうだ、と考えました。私はまた三つの重要な観察をしました。第一は、一般に物体が大きければ大きいほど、下へ降りる速さが速いこと、――第二は、球形のものとその他の形のものとでは、同じ大きさでも、下降の速さは球形のものが大であること、第三は、円筒形のものとその他の形のものとでは、同じ大きさでも、円筒形がずっと遅く吸いこまれてゆくということです。私は助かってから、このことについて、この地方の学校の年寄りの先生となんども話したことがありますが、『円筒形』だの『球形』だのという言葉を使うことはその先生から教わったのです。その先生は、私の観察したことが実際水に浮いている破片の形からくる自然の結果だということを説明してくれました、――その説明は忘れてしまいましたが、――そしてまた、どういうわけで渦巻のなかを走っている円筒形のものが、他のすべての形をした同じ容積の物体よりも、渦巻の吸引力に強く抵抗し、それらよりも引きこまれにくいかということを、私に聞かせてくれたのです(15)。
 このような観察を裏づけ、さらにそれを実地に利用したいと私に思わせた、驚くべき事実が一つありました。それは、渦巻をぐるぐるまわるたびに船は樽やそのほか船の帆桁(ほげた)や檣(マスト)のようなもののそばを通るのですが、そういうような多くのものが、私が初めてこの渦巻の不思議な眺めに眼を開いたときには同じ高さにあったのが、いまではずっと私どもの上の方にあり、もとの位置からちょっとしか動いていないらしい、ということなのです。
 もう私はなすべきことをためらってはいませんでした。現につかまっている水樽にしっかり身を結びつけ、それを船尾張出部から切りはなして、水のなかへ跳びこもうと心を決めたのです。私は合図をして兄の注意をひき、側(そば)に流れてきた樽を指さし、私のしようとしていることをわからせるために自分の力でできるかぎりのことをしました。とうとう兄には私の計画がわかったものと思われました、――がほんとにわかったのか、それともわからなかったのか、兄は絶望的に首を振り、環付螺釘(リング・ボールト)につかまっている自分の位置から離れることを承知しないのです。兄の心を動かすことはできないことですし、それに危急のさいで一刻もぐずぐずしていられないので、私はつらい思いをしながら、兄を彼の運命にまかせ、船尾張出部に結びつけてあった縛索(しばりなわ)で体を樽にしっかり縛り、そのうえもう一刻もためらわずに樽とともに海のなかへ跳びこみました。
 その結果はまさに私の望んでいたとおりでした。いまこの話をしているのが私自身ですし――私が無事に助かってしまったことはご覧のとおりですし――また助かった方法ももうはやご承知で、このうえ私の言おうとすることはみんなおわかりのことでしょうから、話を急いで切りあげましょう。私が船をとび出してから一時間ばかりもたったころ、船は私よりずっと下の方へ降りてから、三、四回つづけざまに猛烈な回転をして、愛する兄を乗せたまま、下の混沌(こんとん)とした湧きたつ泡(あわ)のなかへ、永久にまっさかさまに落ちこんでしまいました。私のからだを縛りつけた樽が、渦巻の底と、船から跳びこんだところとの、中間くらいのところまで沈んだころに、渦巻の様子に大きな変化が起りました。広大な漏斗の側面の傾斜が、刻一刻とだんだん嶮(けわ)しくなくなってきます。渦巻の回転もだんだん勢いが弱くなります。やがて泡や虹が消え、渦巻の底がゆるゆると高まってくるように思われました。空は晴れ、風はとっくに落ち、満月は輝きながら西の方へ沈みかけていました。そして私は、ロフォーデンの海岸のすっかり見える、モスケー・ストロムの淵がさっきまであったところの上手の、大洋の表面に浮び上がっているのでした。滞潮(よどみ)の時刻なのです、――が海はまだ台風の名残りで山のような波を揚げていました。私はストロムの海峡のなかへ猛烈に巻きこまれ、海岸に沿うて数分のうちに漁師たちの『漁場』へ押し流されました。そこで一艘(そう)の船が私を拾いあげてくれました、――疲労のためにぐったりと弱りはてている、そして(もう危険がなくなったとなると)その恐ろしさの思い出のために口もきけなくなっている私を。船にひきあげてくれた人たちは、古くからの仲間や、毎日顔を合わせている連中でした、――が、ちょうどあの世からやってきた人間のように誰ひとり私を見分けることができませんでした。その前の日までは鴉(からす)のように真っ黒だった髪の毛は、ご覧のとおりに白くなっていました。みんなは私の顔つきまですっかり変ってしまったといいます。私はみんなにこの話をしました、――が誰もほんとうにしませんでした。今それをあなたにお話ししたのですが、――人の言うことを茶化してしまうあのロフォーデンの漁師たち以上に、あなたがそれを信じてくださろうとは、どうも私にはあまり思えないんですがね」

(1)「暗黒の海」――昔、地中海沿岸の住民に知られない外海(大西洋)のことをかく言ったのであるという。――前の「ヌビアの地理学者」というのは誰のことか、はっきりわかっていない。ポーの晩年の論文『ユウレカ』のなかには、「ヌビアの地理学者 Ptolemy Hephestion によって記述された暗黒の海」云々(うんぬん)とあるが、これはポーの思い違いであるらしく、おそらくアレクサンドリアの天文地理学者 Claudius Ptolemy ではなかろうかと言われている。
(2)強風のときに船が海上で安全のため、帆を低く下げあるいは絞って、できるかぎり風の方へ船首を向け、ほとんど静止していること。
(3)chopping――強い潮流の方向と反対に風が吹くとき、あるいは二つの潮流が合するときなどに生ずるように、波が短く不規則に乱れたように立ち騒ぐこと。かりに「狂い波」と訳しておいた。
(4)Maelstrm――ノルウェー北部の海岸にある有名な大旋渦(だいせんか)。モスケン(モスケー)・ストロムとも呼ばれる。原語読みならばメールシトルムとでも書くべきであるが、ここでは英語読みにした。前のノルドランド(ノルラン)以下の固有名詞も必ずしも原語読みにしたがわず、便宜上の読み方を用いた。島の名などは多く作者の創作にかかるものらしい。
(5)Jonas Rarmus(一六四九-一七一八)――ノルウェーの僧侶(そうりょ)。ノルウェーの地理および歴史に関する著述がある。
(6)ギリシャ神話の冥府(めいふ)にある燃ゆる炎の河。
(7)アイスランドの東南、スコットランドの北方の洋上にある諸島。
(8)Athanasius Kircher(一六〇一-八〇)――ドイツの数学、言語学、考古学の学者。
(9)バルチック海の北方の海。
(10)向い風のために帆がマストに吹きつけられること。
(11)できるだけ風の来る方に近く帆走し上がること。
(12)船首から船尾にいたるまですっかり平坦(へいたん)に張られた上甲板。通し甲板。
(13)ring-bolt――綱などを結びつけるために甲板に取り付けられた環(かん)のついた螺釘(ねじくぎ)。環釘。
(14)マホメット教徒の信ずるところによれば、現世から天国へ至るには蜘蛛(くも)の糸よりも細い橋を渡るのである。その橋を渡るときに罪ある者は地獄の深淵(しんえん)に落ちるという。
(15)アルキメデス“De Incidentibus in Fluido”第二巻を見よ。(原注)

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「黒猫・黄金虫」新潮文庫、新潮社 1951(昭和26)年8月15日発行
2004(平成16)年2月5日100刷

渦巻きのかたちは自然数

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水平線は直線に見えてしまうけれども、

地球の形が球形にあるとすれば、

地平線も正確にはゆるやかな曲線によって構成されている。

2010年2月10日 (水)

葛飾北斎の娘

阿栄の画号は応為といい、父の北斎から「オーイ、オーイ」と呼ばれたことによる。北斎工房で阿栄は晩年まで北斎の仕事を手伝ったので、かなりの作品を残しているといわれる。
Oui

メナード美術館にある『夜桜美人図』、大田記念美術館にある『吉原格子先の図』はまるで幻燈のような光と影の効果を表現した夜景図で、レンブラントを知っていたような作品。こういう「光」の使い方は日本人ばなれした画風の北斎にも見られない。だまし絵のように提灯の一部に「応」と「為」の文字を入れている。

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江戸期は女流の浮世絵作家は少なく記録も伝わっていない。葛飾北斎の娘「阿栄」に価値を見出したオランダ民族学博物館では、肉筆浮世絵を再調査して阿栄と推定できる作品を探しだしたという。

葛飾応為【かつしか・おうい】
http://kotobank.jp/word/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%BF%9C%E7%82%BA

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葛飾北斎の多様な作品の一部を年代順にご紹介するウェブギャラリー
http://homepage2.nifty.com/tisiruinoe/KatusikaHokusai.html

2010年2月 9日 (火)

鶴岡ケルト講座と講演in金沢&東京

藤枝守 × 鶴岡真弓「いのちの文様」
■金沢21世紀美術館 主催-イベント
二十一世紀塾二〇〇九 no.3
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=69&d=744
2010年2月20日(土) 開場15:30 開演16:00

鶴岡真弓(多摩美術大学教授 / 装飾デザイン史・ケルト芸術研究)
「現代と装飾-祈りと思考のミクロコスモス」 
2010年 2月27日(土) 15時~17時 地下2階講堂 参加無料(当日先着200名)http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/111/3

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鶴岡真弓  著書
『バロックの愉しみ』(共著、「カルトゥーシュの装飾論」、筑摩書房、1987年7月)
『ケルト/装飾的思考』(筑摩書房、1989年8月)
『ケルト 民族と伝統の想像力』(共著、中央大学出版部、1991年3月)
『古代史を語る』(共著、朝日新聞社編集、朝日選書、1992年5月)
『聖パトリック祭の夜』(岩波書店、1993年4月)
『リチャ-ド・ダッド』(共著、岩崎美術社、1993年5月)
『世界の民・光と影・下巻』(共著、信濃毎日新聞編集、明石書店、1993年7月)
『名画への旅3・中世Ⅱ・天使が描いた』(共著、講談社、1993年10月)
『ケルト/装飾的思考』(筑摩書房 ちくま学芸文庫、1993年9月)
『ケルトの風に吹かれて』(辻井喬氏と共著、北沢図書出版、1994年12月)
『ケルト美術への招待』(筑摩書房、1995年6月)
『装飾する魂』(平凡社、1995年4月)
『ケルトの宗教 ドルイディズム』(共著、1996年)
『ジョイスとケルト世界』(平凡社、平凡社ラブラリー、1997年)
『西洋初期中世の美術』(共著『世界美術全集 西洋篇7』 小学館、1997年)
『装飾美術 奇想のヨーロッパ---ケルトから日本へ』NHK教育TV「人間大学」テキスト(NHK出版、1998年3月)
『ケルトの歴史---文化・美術・神話をよむ』(共著、河出書房新社、1999年)
『装飾の神話学』(河出書房新社、2000年12月)
『ケルトと日本』(編著、角川書店、2000年11月)
『ケルト美術』(筑摩書房、ちくま学芸文庫、2001年12月)
『「装飾」の美術文明史』(NHK出版、2004年9月)
『灯火節』解説(月曜社、2004年11月)
『装飾する魂』(平凡社、重版、2006年9月)
『黄金と生命』(講談社、2007年4月)
『京都異国遺産』(平凡社、2007年6月)
『阿修羅のジュエリー』(理論社、2009年3月、東京&九州国立博物館「阿修羅」展)
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主な訳書
『古ヨ-ロッパの神々』(マリヤ・ギンブタス、言叢社、1989年2月)
『ケルト人』(V.クルータ、白水社、1991年7月)
『ミステリアス・ケルト』(J.シャーキー、平凡社、1992年2月)
『装飾文字の世界 カリグラフィー入門』(P.セリグマン、三省堂、1996年6月)
『ケルトの賢者 ドルイド』(S.ピゴット、講談社、2000年1月)
『ケルトの神話・伝説』(F.ディレイニー、創元社、2000年9月)
『ケルズの書』(B.ミーハン、創元社、2002年3月)
『ケルトの芸術と文明』(ラング、創元社、2008年11月)
『アイルランド美術史』(創元社、近刊)

主な監訳書
『ケルト 生きている神話』(F.ディレイニー、創元社、1993年3月)
『ケルト人――幻の民・蘇るヨ-ロッパ』(Ch. エリュエール、創元社、1994年3月)
『ケルト辞典』(B.マイヤー、創元社、2001年 9月)
『ケルト文明とローマ帝国』(F.ベック&E.シュー、創元社、2004年3月)

BBC「幻の民 ケルト」日本語版解説 (ポニーキャニオン、2005年) 
NHK「人間大学」「装飾美術、奇想のヨーロッパをゆく ---ケルトから日本へ---」
NHK「Weekend Japanology」(世界180カ国で英語放送。日本向け2007年)
ガリシアのバグパイプ奏者(『ゲド戦記』の音楽)カルロス・ヌニェスとトークセッション『ケルトの隣人ガリシアからのメッセージ』
(多摩美術大学・八王子キャンパス・2007年4月)

NHK WORLD「News Line」阿修羅展(世界180カ国で英語放送)
ドキュメンタリー映画『地球交響曲(ガイア・シンフォニー)第一番』(龍村仁監督、アイルランドの歌姫エンヤと共演)http://www.youtube.com/watch?v=urx26ZmrLjs

鶴岡真弓 ブログ
http://d.hatena.ne.jp/celmayu1/

2010年2月 8日 (月)

黄金分割

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レオナルド・ダ・ビンチが描いた人体図の黄金比。
つま先から臍までと、つま先から頭のてっぺんまでの比が黄金比になっている。
幾何学的に興味深い歴史的な図、3000年ほど前にエジプトで考えられていた円周率を求めるための円と正方形が読み取れる。 

摩訶不思議な性質についての数学的な解明はさておき、黄金比が自然界の事物の基本的な構成に深く関わっている。植物や動物や人間について様々な美の比率が1.618となっている。黄金比は自然界のいたるところに見られる。偶然の域を越えているのは明らかで、だから古代人はこの値が万物の創造主によって定められたに違いないと考えた。古の科学者はこれを”神聖比率”と呼んで崇めた。

人体の部分がつねに黄金比を示す
http://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/63c82b85777a11bcb0c504dd2c7eb516

2010年2月 7日 (日)

医学と芸術展:生命(いのち)と愛の未来を探る

人間の身体は我々にとって、もっとも身近でまたもっとも未知の世界です。人間は太古の時代からその身体のメカニズムを探求し、死を克服するためのさまざまな医療技術を開発してきました。また一方で、みずからの姿を、理想の美を表現する場の一つと位置づけ、美しい身体を描くことを続けてきました。より正確な人間表現のために自ら解剖を行ったレオナルド・ダ・ヴィンチは科学と芸術の統合を体現する業績を残した象徴的なクリエーターと言えます。
「科学(医学)と芸術が出会う場所としての身体」をテーマに、総合的なヴィジョンの中で捉え、人間の生と死の意味をもう一度問い直そうというユニークな試みです。

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第一部 身体の発見
第二部 病と死との戦い
第三部 永遠の生と愛に向かって

「日本初公開となるダ・ビンチの解剖図など貴重な医学資料から、医療器具、日本画、現代美術まで約180点を展示。」

医学と芸術展:生命(いのち)と愛の未来を探る
2009年11月28日(土)~2010年2月28日(日)
会場: 森美術館 〒106-6150 東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー 53階
http://www.mori.art.museum/contents/medicine/

ヴォイニッチ手稿( Voynich Manuscript)

Voynich_manuscript Voynich
暗号とおぼしき未知の文字で記され、多数の彩色挿し絵が付いた230ページほどの古文書。14世紀から16世紀頃に作成されたと考えられているが、暗号が解読できないので、何語で書かれているのか、内容が何なのか不明である。また、多数の挿し絵も本文とは無関係であるとの説もある。

手稿の名称は発見者であるポーランド系アメリカ人の古書商、ウィルフリッド・ヴォイニッチ(en)にちなむ。彼は1912年に、イタリア・ローマ近郊のモンドラゴーネ寺院で同書を発見した。現在はイェール大学付属バイネキー稀書手稿ライブラリが所蔵する。

手稿には、記号システムが確認されている特殊な人工文字によって何かの詳細な説明らしい文章が多数並んでおり、ページの上部や左右にはかなり詳細で緻密な、植物や花の彩色画が描かれている。植物の絵が多いが、それ以外にも、銀河や星雲に見える絵や、精子のように見える絵、複雑な給水配管のような絵、プールや浴槽に浸かった女性の絵などの不可解な挿し絵が多数描かれている。

暗号が解読できないので、豊富で意味ありげな挿し絵の分析から内容を推測する試みもなされたが、成功していない。描かれている植物の絵などは、実在する植物の精緻なスケッチのようにも見えるが、詳細に調べても、描かれているような植物は実在せず、何のためにこのような詳細な架空(と考えられる)植物の挿し絵が入っているのかも理解できない。

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暗号文を言語学の統計的手法で解析した結果では、本文はでたらめな文字列ではなく、自然言語か人工言語のように確かに意味を持つ文章列であると判断されたが、なお解読されていない。

発見当初と、初期の暗号解読研究では、画期的な内容が記されている可能性が考えられ、解読に対し大きな期待がかけられた。しかし、今日では、どのような暗号なのかという知的興味と、解読することへの知的挑戦において魅力があるが、内容は、もし解読できたとして、それほど特筆するような驚くべきものではないだろうという意見が大勢を占めている。また、後述のように全くのでたらめであるとの説も有力である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Voynichmanuscript

この手稿を解読しようと試みるものは皆、人生の貴重な時間をまったく成果のない調査に費やすことになるであろう。
http://www.voynich.com/

1 . 天文学(占星術のシンボル挿絵入り)
2 . 生物学(幾つかの疑似解剖図と人体図のドローイング入り)
3 . 宇宙学(難解な幾何学図形入り)
4 . 薬学 (瓶と植物の部分挿絵入り)
5 . レシピ(ほとんど簡単な文章のみ)
http://x51.org/x/03/10/1142.php

ヴォイニッチ手稿の天文図は何種類かあるが、「月ごとのカレンダー」と呼ばれているものがもっともわかりやすい。他に、円盤状に星を配置した、星座盤のような図もある。また、渦巻きの周りに星を配置したものもある。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt9/voynich.htm

2010年2月 6日 (土)

悦楽の園 Garden of Earthly Delights

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「悦楽の園」ヒエロニムス・ボッシュ(Hieronymus Bosch, ca.1450-1516)
「天地創造」の扉を開けると、戯れる人々の園と幻想的な色彩の世界が現れる。想像力と創造力から生まれた架空の動物たちが住む悦楽の園。

Garden of Earthly Delights
Hieronymus Bosch

大怪魚

かじきまぐろに似た
見あげるばかりの
大きな魚の化物が
海からあげられた。
おきざりにされて
砂浜には人かげもない。
ひきさかれた腹から
こやつは腹一ぱい呑みこんだ小魚を
臓腑もろとも
ずるずると吐きだして死んでいる。
その不気味さつたら。
おどろいたことに
その小魚どもがまたどいつもこいつも小魚を呑みこんでいるのだ。
海は鈍く鉛色に光つて
太古の相を呈している。
波しずかなる海にもえらい化物がいるものだ。
ひきあげてみたものの
しまつにおえぬ。
生乾しのまゝ
荒漠たる中に幾星霜。
いまだに
死臭ふんぷんだ。

小野十三郎「火呑む欅」(昭和27)所収

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小野十三郎 【おの とおざぶろう】
明治36年7月27日~平成8年10月8日。アナキスト詩人として、伝統的な抒情を否定し、重工業などの物質的現実を直視した詩を作った。
代表詩集
「半分開いた窓」 大正15年
「大阪」 昭和14年
「風景詩抄」 昭和18年
「とほうもないねがい」 昭和37年

2010年2月 5日 (金)

ドバイ海底油田発見

ドバイ首長、海底油田発見と声明 
 アラブ首長国連邦(UAE)ドバイ首長国のムハンマド首長は4日、ドバイ沖で海底油田を発見したとの声明を発表した。ドバイは原油埋蔵量が少なく、石油に依存しない方針を掲げてきた。これに逆行するような発表は、信用不安がくすぶるドバイの苦境を示したものといえそうだ。

 同首長は「国民によい知らせがある」と油田発見を報告した。新油田はドバイ沖約70キロにある既存油田付近に位置するが、規模などは不明。同首長は「ドバイ経済の強い後押しとなり、開発を進める新たな資金源となるよう望む」と述べ、国際的な信用の回復に期待感を示した。

 UAEは世界第5位の原油確認埋蔵量を持つが、その約95%がアブダビ首長国に集中している。ドバイの石油資源は20年以内に枯渇するとされ、国内総生産(GDP)に占める石油収入は2%程度に低下。2010年に0%にする目標を掲げ、貿易や観光など経済の多角化を進めてきた。
【日本経済新聞二月五日】

新油田の確認埋蔵量など詳細は明らかにしていない。ムハンマド首長は「UAEの人々にとって朗報。国の経済強化につながる」と述べている。お城の下に金塊が埋まっていますよというような怪しい話。市場信頼回復の狙いとみられて、いたしかたない笑いを誘うナンセンスねたでした。埋蔵量の少ないドバイは外国投資をてこに経済発展を進めてきたが、世界的な金融危機の影響に苦しんでいる。

HURRICANE EARTH

Earthhurricanebig

HURRICANE EARTH

2010年2月 4日 (木)

『朝のガスパール』

筒井康隆の長編小説。1992年に朝日新聞社から刊行[1]。 朝日新聞の朝刊に1991年10月18日から1992年3月31日まで連載され、読者からの投書、パソコン通信を使った読者参加のメタフィクションが話題となる。1992年日本SF大賞受賞。挿絵は真鍋博。タイトルはモーリス・ラヴェルの『夜のガスパール』より。
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この小説は1日1話ずつ掲載という新聞連載の特性を利用し、その日の掲載分を読んだ読者からの投書やASAHIネットのBBSへの投稿を作品世界に反映させ虚構と現実の壁を破るという実験的手法がとられた。具体的には投書や投稿により物語の展開に対して読者が作者に要望を出すことが出来るというものだが、単にそうした企画であるにとどまらず物語中に作者を模した小説家が登場し、その投書や投稿を引用して批評(時には激しく罵倒)するなど作者独特の世界が開陳され従来の新聞小説に慣れた読者を驚かせた。BBSでは単に読者からの要望を物語の展開に採用するのみならず、書き込み内容やハンドルネームから醸成されるBBS住人のキャラクターを登場人物の造形に利用したりもした。読者参加型ゲームに近い要素を持ち、また当時はインターネット普及以前で(BBSもいわゆる「パソコン通信」のものであった)まだ一般に普及しておらず言葉すらなかったオンラインゲームやオンライントレードに近いものが登場し、非常に先進的な設定を取り入れた小説であった。BBSそのものも連載中に現在で言うところの「荒らし」「アスキーアート」「炎上」「祭り」などに相当する事態が頻発し、ネット社会を先取りする形となった。このBBSでのやり取りは『電脳筒井線-朝のガスパール・セッション』という全3巻からなるペーパーバックにまとめられ、出版された。この作品の連載にあたり、筒井は全力を注ぐため他誌の連載を半年ほど休止した[2]。尚、1993年9月に筒井が「断筆宣言」を発表した際、同作品で「『狂』という字が使えなかった」と朝日新聞社側から「用語規制」があった事を明らかにしている[3]。

世界
この小説には世界が5重に存在する。オンラインゲーム「まぼろしの遊撃隊」内の世界、そのゲームに熱中する主人公達の世界、その主人公たちの物語を書いている(という設定の)小説家(筒井康隆ではない)や編集者の世界、その小説家の新聞連載に影響を与えている投書やBBSの世界(作者筒井康隆の脳内とも言える)、その投書を書いたりBBSに書き込んだりしている読者(現実)の世界である[4]。通常ならば互いに交わるはずのない5つの階層に、筒井ならではの文学的実験(メタフィクションの手法)が試みられる。

ストーリー
金剛商事常務・貴野原征三(きのはら せいぞう)はオンラインゲーム「まぼろしの遊撃隊」に熱中し、会社でもその話題で持ち切りだった。世間的にも大企業の重役や中間管理職クラスがかつてのホワイトカラーが休日のゴルフを楽しんだように、このオンラインゲームを知的な遊びとして楽しんでいた。一方で征三の美貌の妻・聡子はセレブパーティ仲間にすすめられて始めた株のオンライントレードで巨額の損失を出し、消費者金融にまで手を出して多重債務を抱えこんでいた。夫に知られずに損失を取り戻すべく孤軍奮闘する聡子。征三の部下である石部智子は、「まぼろしの遊撃隊」の運営元「まぼろしの遊撃隊センター」を訪れる。そこにはセンターの責任者・時田浩作とその妻・敦子が住んでいた[5]。

…という小説を新聞に連載している作家・櫟沢は、読者からの新聞社への投書とパソコン通信のBBSへの投稿を物語の展開に反映させ連載を続けていた。投稿の内容はセレブパーティを中心としたドメスティックな内容を希望する新聞投書と、「まぼろしの遊撃隊」の活躍するSFシーンを希望するBBS投稿とに大きく分かれていた。SFシーンを描けば購読を中止するなどという非難の投書が増え、パーティ場面を描けばBBSに荒らしめいた投稿が目立つようになる。双方の意見に板ばさみ状態になった櫟沢は、新しい手法を続けることに次第に頭を痛めるようになる[6]。

その投書や投稿の荒れ具合に呼応するかのように、「まぼろしの遊撃隊」も変化を見せ始める。連載初期の段階ではある程度の知識と教養が要求されるゲームであり、登場人物達もそれにあわせて思慮深い人物達がメインになりゲームが進んでいたが、連載も後期になると単なる撃ち合い殺し合いのゲームに変貌し、それにあわせて征三たちもゲームに対する情熱を次第に失っていった。そんな中、巨額の負債があることを夫・征三に知られ、消費者金融からの脅迫同然の執拗な取り立てに疲れ果てた聡子は、救いを求めるかのように「まぼろしの遊撃隊」にアクセスする。「まぼろしの遊撃隊」の登場人物で、ゲーム内での征三の分身でもある深江は救いを求める聡子の声を聞く。そして他の隊員達と共に、彼女を救うため『レベルの壁』を崩壊させた。

…ここまで話が進んだところで、櫟沢は担当の男性記者・澱口[7]に、『レベルの壁崩壊』の『種明かし』をするが、櫟沢はこの期に及んでも作品の真意を理解しようとせず、建設的な意見を出さずに不満ばかりを言いたて、『新聞の購読をやめる』と言い続ける一部の読者に対して怒りを爆発させ、思い付く限りの罵詈雑言をぶちまけるのであった。

消費者金融から債権回収を依頼され、取り立てのため征三の自宅に向かった企業舎弟・若林と岸は、庭に現れた深江を目撃し、大慌てで事務所に引き返し上司の杉原に報告した。二人の報告を聞いた杉原は、征三が対立組織の構成員を用心棒に雇ったと思い込んで激怒し、部下達と共に銃で武装して征三の自宅に乗り込んだ。そして「まぼろしの遊撃隊」と「企業舎弟たち」の激烈な銃撃戦の火蓋が切られる。

注釈
1^ 後に文庫化(新潮文庫)。
2^ 『噂の眞相』連載『笑犬樓よりの眺望』など
3^ 筒井『笑犬樓よりの眺望』
4^ これらの仕組みが分かりにくいためか、挿絵での補足もされた。
5^ この2人は、筒井の別の小説『パプリカ』からのゲスト出演である。他にも『パプリカ』から粉河利美もゲスト出演している。
6^ ここで注意しなければいけないのは櫟沢はあくまで筒井が描く登場人物であり、筒井本人ではないということである。但し同作品の挿絵を描いているイラストレーター・真鍋博によって、挿絵での櫟沢は筒井そっくりの外見に描かれている。
7^ この連載における現実の筒井担当記者は女性である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

夜のガスパール(Gaspard de la nuit)

「『夜のガスパール』は悪魔の助けを得て書き上げられています。
しかし,驚くにはあたりません。この詩の作者は悪魔なのですから」
イダ・ゴデフスカ宛て書簡 (1908年7月17日)

http://www.youtube.com/v/cRWrD9he9GU&hl=ja_JP&fs=1&

フランスの詩人アロイジウス・ベルトラン(Aloysius Bertrand1807-1842パリ)の遺作詩集Victor Pavie書店刊行。著者序2、ヴィクトル・ユーゴーへの献辞、詩52篇,断篇13篇で構成。
ボードレールの散文詩に大きな影響を与え、アンドレ・ブルトンは幻想性に評価した。

序 
 芸術は常に対照的な二つの面を持っている。言ってみれば、片面はポール・レンブラントの、もう片面はジャック・カローの風貌を伝える、一枚のメダルのようなものである。
 レンブラントは白髯の哲学者、寓居にかたつむりの如く隠遁し、瞑想と祈りに心を奪われ、目を閉じて思念に耽り、美、学問、叡智、愛の精霊と語り合い、自然の神秘的な象徴の中に分け入って、生命を使い尽くしているのである。
 一方カローはほら吹きであけっぴろげな傭われ兵、町の広場を気取って歩き、酒場で騒ぎ、ジプシー女を片手に抱いて、自分の剣と喇叭銃しか信用せず、ただ一つの気掛かりといえば口髯に油を塗り込むことだけの男である。

アロイジウス・ベルトラン作 及川茂訳
『夜のガスパール レンブラント、カロー風の幻想曲』岩波文庫、2009年

ガスパールとは嬰児キリストの誕生を予見して、生誕を祝うためにベツレヘムへ赴いた東方三博士の一人(Melchior,Gaspard,Balthazar)である。
ベルトランの詩集では敢えて悪魔の名前として用いている。文学や美学の法則とは何かを尋ねる作者に対して、芸術のイデーを悪魔と捉えた。しかし探し回った果て悪魔は存在せず、芸術のすべては神の御胸にあることを悟ったと饒舌に語った。絶対的な詩を求めて若さ・愛・快楽・富を犠牲にした唯一の結果である散文詩の草稿を渡して立ち去る。
「芸術の全ては神の身胸にある」ことは見つけようのないものを示す。昼のガスパールが三博士ならば、自分は夜のガスパールであるという逆説となった。

2010年2月 3日 (水)

アンドレ・ブルトン『魔術的芸術』

巌谷国士/監修、巌谷国士/訳、鈴木雅雄/訳、谷川渥/訳、星埜守之/訳
河出書房新社

1957年限定版で発行された、シュルレアリズム理論をこえた「芸術の魔術的側面」の探求書。アンドレ・ブルトン晩年の集大成。古代エジプト絵画からデ・キリコまで、原始諸民族のオブジェからデュシャンまで、ケルトの象徴文様からエルンスト、タンギーまで、古今のあらゆる芸術の領域を踏査し、「魔術的」の一語をもってあらたな視野のもとに置き、さらにシュルレアリスムの理念に照らすことによって、美術史そのものを書きかえようとした壮大な試みである。20世紀最大の幻の書物。

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芸術的発見のプロセスは、意識的にせよそうでないにせよ、高等魔術の進行の形と手段とに従っている。魔術は「それ自体としてひとつの意志にほかならない。その意志こそがあらゆる不思議、あらゆる秘密の大奥義であり、それは存在の欲望の求めに応じて作用する」
「魔術というアニミズム的思考方式の技術を支配する原理は、観念の全能性の原理である」
原始人においてその観念の全能性で世界を支配出来るという可能性の信仰は、自然な観念であり、彼等は経験から自然が人のようにふるまうことに「投影」を活発化させるのである。

魔術の基礎をなす万物照応(コレスポンダンス)の理論は、「原始の力」の転化である。
それは世界の始まりにあってアナロジーを、隠喩を作り出した。
芸術作品は魔術そのものを起源とし、発生において魔術的であり、その重要な資源を魔術に負い、世界の創造を司ったダイナミズムがその局面の上に客体化されたものなのだ。
古代の作品が我々に働きかけるのは美である。
世界の謎を解き支配する力を得るという古きファウストの夢は不滅である。
ダ・ヴィンチは自然と論理が美であると同時に真であることを合一した最後の人間である。印象派は光りに第一の役割を与え賛美したが、主題のちょっとした若返りに過ぎなかった。
「肉体の目を閉じよ。精神の目でおまえのタブローを見る為に。おまえがおまえの夜に見たものを陽のもとのぼらせよ」
ルソーの単純さは「太陽の息子」の原始状態への回帰であり、ランボーが、ロートレアモンが初めて見つけだしたものである。
「鏡の向こう側」の自分に気づき、「写実的な」表現などとうに無効だという事実を、純粋に感情的な関係のゲームのなかで悟らせる。その絵の主題の解明さえ無視させる交流は、確かに魔術的である。
「常軌を逸したもの、予想外のもの、不思議なもの、驚きを呼び起こすものだけが、人の意図に自問を強いることが出来る」

ボスの「悦楽の園」では「天国」において不安の萌芽を見て、「天国と地獄の結婚」として現れ、ウィリアム・ブレイクでおなじみの多婚性がにじみ、変身の原理たるオルフェウスの卵が君臨する。
宇宙のフーリエ主義的なイメージは、ひいとつのとほうもない生命により生かされ、それは人間のもろもろの戯れを侵している。

絵画の「古典的」な伝統の分裂は1914年ごろには頂点に達していた。
ロマン主義の系譜はその根源が見失われるほどに縺れ合い、魔術を奪還するためには1世紀半におよぶ努力の壮大な挫折によって清算されねばならないかに見えた。
キュビズムは物体を切り刻んでいたが、この物体に生命を与え返す力はなかった。

鏡を前にした我々が自分自身のイメージを見ると、その像もまた自分自身を見るという具合に際限ない繰り返しがおこる。眼は「野性の意識がもつさまざまな不安のもっとも豊かな部分を支える身体器官」であった「最良のイメージは、虚空の中に向かい合った吊るされている二枚の鏡である。これは永遠の一つの裂け目である。

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アンドレ・ブルトン Andre Breton,
1896年2月18日 ノルマンディー地方タンシュブレー - 1966年9月28日
http://hello.ap.teacup.com/applet/koinu/20100202/archive

2010年2月 2日 (火)

魔術(まじゅつ)magic: magie: magie

人間の意志を宇宙の事象に適用することによって何らかの変化を生じさせることを意図して行われる行為、その手段、そのための技術と知識の体系、およびそれをめぐる文化である。ただし一般通念としての魔術は科学技術と異なり、少なくとも見かけ上は超常的、超自然的なものとされる傾向がある。また、魔術によって引き起こすことができると想像される事象は、超自然的なもの、外面的・物理的なもの、内面的・精神的なものなど、文脈によりさまざまなケースがある。
1から長じて、ケルト神話などの神話や、ファンタジーなどの物語で描写される不思議な術、技。

呪術、妖術、邪術、託宣、奇跡、仙術などの総称。
奇術、手品のこと。
日本に魔術という概念が入ってきたのは明治の頃、英: magic、仏: magie、独: magie などの訳として入ってきた。英語のマジックは奇術の意味も持つ。

魔術は白魔術と黒魔術という二つに大分類されているが、この分類は便宜的なものであり、統一見解とはいえない。

一方、魔術に似た概念として文化人類学などで呪術が定義されている。この呪術は未開文化の調査より見出され、定義された概念である。こうした未開文化由来の背景を持つゆえに、呪術は魔術よりも広範で原始的であると共に、洗練されておらず、いわば土着的なイメージを伴う。そこで、文化圏を問わない魔術的だと思われる内容は「呪術的」と荒くひとくくりにされることが一般的である。というのも、呪術は改定の余地を残しつつも学問的に定義されているが、魔術はほとんど注目されず、触れられず、また定義されていない。加えて、魔術の実践者と自称する人々がごく個人的な考えで、他の事例・用法との詳細な比較検討及び摺り合わせがない実践上の定義を行っているので、互いに整合しない内容が乱立している。学問的な知識集積方法の欠如と、一般用法の混乱という二つの要因により、魔術を語るときにその意味を確定できるような信頼できる情報源はない。この複雑な状況を睥睨できる目端の効く人々は、魔術という語を説明できないために自ら用いることを避ける。誰かが断定的に魔術を述べるとき、多くの場合は誤解に基づいた不完全な理解が行われている。

日本では古くから神道と共に陰陽という概念が取り入れられ、風水や祈祷によって現状の改変を計るという呪術は存在しており、祈祷師や霊媒師などを生業とする専門家も存在するが、「魔術」という語が使用される場合は、特に西洋の古典魔術や儀式魔術などを指すことが一般的であり、風水などを指して呼称することは稀である。

アカデミックな場面で魔術らしきものを扱う場合は、既存の定義からの曲解や誤解を避けるため、より把握しやすい「信仰」、「神秘」、「慣習」などといった魔術以外の概念と絡めるほか、既に誰かが使用した内容に準拠している。その他に、不思議な技術、未知の現象、非日常的な内容が魔術として扱われる場合があるものの、それらは明確に「魔術」として分類されている訳ではなく、多くの場合が「喩え」としてのそれである。

尚、どんなに例が多くとも、現状としては統一見解としての魔術の語義すらも明言できないことに留意する必要がある。

西洋の言語には魔術・呪術・妖術と翻訳される語彙がいくつかある。

古代ギリシアの魔術を示す語にはマゲイア(μαγεια、magia)、ゴエーテイア(γοητεια、goetia)、パルマケイア(φαρμακεια、veneficium)が挙げられる。マゲイアはペルシアのゾロアスター教の司祭階級の呼称とされるマゴスより派生した。ヘロドトスによればマゴイ(マゴスの複数形)はメディア王国の一支族名であるが、後に神託や占星術を司る知者と見なされるようになり、彼らの評判からマゲイアという言葉が生じた。マゲイアおよびそのラテン語形マギアは賢者たるマギの神学という本来の意味でも使われたが、まじないや魔法といった意味でも用いられた。ゴエーテイアは古代ギリシアの呪術師が霊の口寄せをする際のうなり声から生じた言葉とも言われ、時には詐欺的または侮蔑的な意味合いを込めて使われた。パルマケイアは薬であり毒薬でもあるという両義性をもつパルマコンより派生した。悪行を意味するラテン語: maleficium(マレフィキウム)は犯罪的な加害魔術を指す言葉として用いられた。イアンブリコスやプロクロスといったネオプラトニストらは、テウルギア(神働術)と呼ばれる、ダイモーン(神霊)に働きかける哲学的魔術に言及もしくは実践した。テウルギアは神の業もしくは神を働かせる術の意であり、一説には『カルデア神託』の集成者とされる2世紀のカルデア人ユリアノスの造語とも言われる[1]。ゴエーテイアは下等な魔術、テウルギアは高等な魔術、マゲイアは普通の魔術に分類された[2]。

英語の magic という語彙は中英語の magik として14世紀に登場した。これは、マゴスより派生した形容詞マギコス(μαγικο?)がラテン語形 magicus を経て古フランス語: magique となり、中世イングランドの言語に取り入れられて名詞化したものである。

歴史
魔術の歴史は、人類の歴史が始まるとほぼ同時に始まっている。世界各地の部族社会において、シャーマンや呪術師と呼ばれるような者たちが治療、祈祷、雨乞いの儀式などを行い、占術や呪術を用いて人々の悩みを解決していた。先史時代にも行われていたと想像されるこの呪術的営為が魔術の起源であるといえる。旧石器時代の洞窟遺跡には、呪術師であると解釈できる人物像もみられる[3]。

西洋魔術は中東、メディナを起源とするとされる[要出典]が、歴史的にはもっと遡ることができる。古代になると、魔術は体系を持つようになる。古代ギリシアや古代エジプトの神殿巫女たちは、気象や薬草など様々な知識を体系的に学んだとされる。ローマ時代に、キリスト教は国教となりアニミズム的な考えなどを邪教として、排除する方向に進んだ。神殿巫女たちは戦乱に巻き込まれたり、奴隷として売られたりした。また、中世後期の異端審問や近世に盛んになった魔女狩りで裁判にかけられ火刑にされた人々の中には、薬草知識のある者、古い神を信仰する者、占いをする者などが含まれていたとする説もある。そうした人々はキリスト教以前の古い多神教が形を変えて生き残った呪術的儀礼を実践する人々であったとも考えられる[4]。

もともと古代より存在した魔術は、メディチ家が活躍していたルネサンス期の欧州に流入した時、当時のキリスト教会を揺さぶることとなった。そして、キリスト教会から「異教徒の教え」として異端視され「魔術」というレッテルを貼られ、地下水のごとく潜伏することになってしまった[要出典]。

近代西洋儀式魔術
現代の英米を中心に行われている儀式魔術は、黄金の夜明け団とその後継団体による19世紀末から20世紀前半にかけての儀式魔術復興運動を主要な起源とする。アレイスター・クロウリーは「魔術とは意志に応じて変化を生ぜしめる学にして術である」(Magick is the Science and Art of causing Change to occur in conformity with Will)と定義した[5]。クロウリーは自分の提唱する魔術を旧来の魔術の洗練されていない部分から区別するために[6] Magick という英語の古い綴り[7]を用い、自分の魔術体系の独自性を強調した[8]。以降、この Magick という言葉はアレイスター・クロウリーの影響下にある魔術の流儀を示す用語として使われ、その意味において日本ではマギックと表記されることもある。が、近年の北米などでは、単に現代オカルティズムとしての魔術全般を奇術(ステージマジック)から区別するために magick と表記することも多い。

系統について少し専門的な区別すると、黄金の夜明け団が解散後の団体でのカバラ系儀式魔術、混沌魔術(ケイオス)、セレマなどと分類される。また、これと関連する分野としてウイッカ、ウイッチクラフトなども魔術的な側面をもっている。またブードゥー教などの密儀宗教と結び付けての研究・実践なども行われている。具体的な修行法には、逆向き瞑想、四拍呼吸、アストラル投射などがある。多くの修行法には視覚化(ビジュアライゼーション)の能力が基本として要求される。

奇術と魔術
魔術は不思議なものとして認知されている。奇術を行う際には、行われるものがタネも仕掛けもある奇術であるというよりも、不思議な魔術であると喧伝された。大仰な身振りと魔術という触れ込みで奇跡めいた見世物を披露されることが多くなり、世間で奇術が「魔術」と呼ばれることが定着した。

近代になり、一般的にオカルティックな奇跡の技という魔術の意味が縁遠くなったことも、魔術と奇術の混同の一因と見られる。奇術師が魔法使いと呼ばれるよりも、魔術師と呼ばれることが多いのはこのためである。

類義語など
魔法 奇術 呪術 妖術 邪術 託宣 奇跡 仙術 魔法使い 陰陽道 錬金術 占星術 数秘術 タロット  秘密結社 薔薇十字団 黄金の夜明け団

人名
プラトン  プロティノス  デッラ・ポルタ  ピコ・デラ・ミランドラ  フィチーノ  アレイスター・クロウリー  その他

新プラトン主義 ヘルメス文書 生命の樹

魔術についての書籍
日本においても近代魔術に関する書籍が発行されている。特に国書刊行会からは近代魔術に関する関連書籍が出版されている。

黄金の夜明け魔法体系 全6巻
現代魔術体系 全7巻
世界魔法大全 全5巻 

関連図書
エリファス・レヴィ 『高等魔術の教理と祭儀 祭儀篇』
エリファス・レヴィ 『高等魔術の教理と祭儀 教理篇』
エリファス・レヴィ 『魔術の歴史 - 附・その方法と儀式と秘奥の明快にして簡潔な説明』人文書院
H. P. ブラヴァツキー 『シークレット・ドクトリン』 竜王文庫
H. P. ブラヴァツキー 『沈黙の声』 竜王文庫
ハワード・マーフェット 『H・P・ブラヴァツキー夫人―近代オカルティズムの母』 田中恵美子訳
H. P. ブラヴァツキー 『実践的オカルティズム』 竜王文庫
郷尚文 『覚醒の舞踏―グルジェフ・ムーヴメンツ 創造と進化の図絵』 市民出版社

脚注
1 Flowers, Stephen Edred. Hermetic Magic, Samuel Weiser, 1995.
2 ローレンス・E・サリヴァン編 『エリアーデ・オカルト事典』 鶴岡賀雄・島田浩巳・奥山倫明訳、法蔵館、2002年(平成14年)。
3 ミルチア・エリアーデ 『世界宗教史1』5 洞窟壁画--イメージか、シンボルか?
4 ミルチア・エリアーデ 『世界宗教史6』306 「魔女狩り」と民衆宗教の消長
5 Crowley, Aleister. Book 4, Part 3, Definition and Theorems of Magick .
6 アレイスター・クロウリー 『神秘主義と魔術』 島弘之訳、国書刊行会、1986年(昭和61年)、フランシス・キング 「日本語版著作集への序」。
7 たとえば、シェイクスピアの戯曲の現行版は綴りがモダナイズされているが、17世紀に出版されたファースト・フォリオには magick という綴りがみられる。
8 フランシス・キング 『アレイスター・クロウリーの魔術世界』 山岸映自訳、国書刊行会、1987年(昭和62年)。

(Wikipedia)

西洋オカルティズム 魔術 http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/seiyou1.htm
ヴィーナスプロジェクト ヴードゥー魔術 http://www.voodoo.co.jp/
イスラムと魔術 http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/isuramu/isuramumajutu.htm
http://www.jccme.or.jp/japanese/11/pdf/11-05/11-05-09.pdf -

2010年2月 1日 (月)

『変容』(『黄金の驢馬』)

アプレイクス 作

Ga30 

主人公はルキウスと呼ばれるいさかおっちょこちょいな苦い放浪学生である。 魔術を思いのままにしたいとの一心から諸国を遍歴し、とうとう幻術の都チッサリアを訪れ、金貸しロミオの邸宅に泊まる。
「全くこの町にはそれと看て、その姿が本当のものと思えるようなのは何一つなく、みながみなすなわち恐ろしい呪いのため他の形に変えられているに違いあるまい、いま足にぶつかる石くれも人間から固まってな化ったもの、耳に声を聞くその鳥もまた、そのままに羽根を生やされ、苑のかこいの樹々さえがまた葉っぱを出した人間、流れおちる泉も人間が汝附けて化ったのでほあるまいかと思われるほどでした」。
 さてミロオ邸の小間使いフォーティス(運命の意あり)と調子良く情を通じ、気嫌よく町を歩いていたルキウスほ、偶然に、かつての母の親族で、今はこの町の宮家に嫁いだビュラエナ叔母忙出会って、彼女の豪華な宴に招待される。
 ビュラユナによれは、ミロオの妻はあらゆる変身術を自家薬籠中の物として若い男を誘惑する魔女だから、警戒するようにとの話だ。酔払ったルキウスが千鳥足で家路を辿ると、なんとミロオ宅の前で三人の盗賊が門扉を開けようとしているでほないか。彼ほただちに剣の鞘を払い、斬りつけ、三人を殺害する。
 翌朝、ルキウスは市の法廷に呼び出され、群衆の見守るなかで厳重に昨夜の殺人を詰問される。悲欺に暮れるルキウスが三人の屍に掛けられた布を取ると、そこには三つの皮袋しかなく、昨夜彼が斬りつけた傷跡が生々しく残っている。とたんに我慢しきれなくなった群衆の問に爆笑が生じる。裁判ほまったくの茶番で、今日ほチッサリアで一年に一度の笑い神の祝祭日だったのだ。ルキウスは知らずと、道化を演じさせられていたのである。
 ところが、帰宅したルキウスは、フォーティスから事の真相を知らされ、仰天する。ミロオの妻が三人の若者をわが家へ誘き寄せようと魔術を用いたのを、フォーティスの機転で若者たちは生命を救われ、代わりに三つの皮袋がロミオ家へ引き寄せられたのだと言う。
 数日後ロミオの妻が全身に膏油を塗って耳木菟に変身するのをつぶさに覗き見していたルキウスほ、ついに念願の魔法を習えるチャソスか釆たとばかりに、同じように裸体になって塗膏を体中にくまなく塗りたくる。
 ところが、何を間違えたのか、彼はロバに変身してしまう。ロバから人間に戻るには、薔薇の花を食べればよいのだが、それもすぐにはままならない。しかも、おりしもミロオ家を襲った盗賊団の手によって、ルキウスはかつての自分の飼馬とともに、背に重い財宝を積まされて、連れ去られてしまう。
 かくしてルキウスの長い遍歴が始まる。
彼は盗賊団に攫われてきた少女を背に乗せて脱去し、牧場で虐待され、あやうく屠殺されそうになる。飼主の手から手へ、ルキウスの周囲にさまざまな人間喜劇が展開する。彼はそれを物言わぬロバの眼から、意地悪く観察する。
 物語の終わり頃、ルキウスは夢の中に女神イシスの顕現を見て救済を予感する。イシスの祭の際に、パレードに接近し、ついに薔薇の花環に噛みつく機会を得て、またたく間に人間に戻る。
 やがて彼は勤行に励み、ついには女神の密儀を受け、剃髪し僧身となる.魂の救済を得て、ローマで幸福な余生を送ることになる。

Panhighresolution

〔作者とその背景〕
アプレイウス(Lucius Apuleius)
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/lucius_apuleius_c059.html

北アフリカ・マダウロス出身の帝政ローマの作家。奇想天外な小説や極端に技巧的な弁論文を表した。カルタゴで初等教育を受けアテネで哲学・修辞学を修業した後、イタリア、ギリシア、アジアに旅して、神秘宗教や魔術の知識をえる。若くしてイシス信仰に入り、秘儀を授けられたという。
『変容』には自伝的要素が含まれている。ルキクス「変身物語」の他に、ルキウスがたまたま耳にすることになる多くの物語が枠物語の形をとって描かれている。
『黄金のろば』上下二冊、呉茂一訳・岩波文庫

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羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
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22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

オンライン状態

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。