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2010年3月21日 (日)

鏡地獄

     六

 三月上旬、彼の父の一周忌の法事が、ヲダハラの彼の母の家で、さゝやかに営まれた。遅くも二日位ひ前には帰る筈だつた施主即ち彼は、当日の午頃になつて、のこのこと招かれた客のやうに気取つて、妻子を随へて戻つて来た。別段彼は、母に意地悪るをする為とか、不快を抱いてゐたからとか、そんなわけで遅れたわけではなかつた。わけもなく無精な日を送つてゐたばかりである。 二三日前彼は、この日を忘れないやうに注意された母の手紙を貰つてゐた。それと一処に、高輪の彼が同居してゐる原田の主人に宛てゝ、差出し人が彼の名前で、ヲダハラから招待状が配達されてゐた。彼は、偶然それを原田の玄関で配達者から受け取つた時、母の手蹟で、れいれいと書かれてゐる書状の裏の自分の名前を見て、母に済まなく思つたり、いつかのやうに怪しく自分の存在を疑ふやうな妄想に走つたりした。――勿論、原田では誰も来なかつた。反つて、彼が出発する時には周子の母は、好く彼に意味の解らない厭味見たいなことを云つたりした位ひだつた。 もう、少数の招ばれた客達は、大抵席に就いてゐた。彼は、父の居る時分吾家の種々な招待会を見たが、何(ど)の点から見ても斯んなに貧しく佗しいのに接した験しはなかつた。彼は、次第に怖ろしい谷に滑り込んで行く自分の佗しい影を見る気がした。 母が、彼の代りに末席に控へて、客のとりなしをしてゐた。――彼は、止むなく母に代つて座に就き、黙つて一つお辞儀した。 彼が、小説「父の百ヶ日前後」のうちに書いた岡村の叔父もゐた。叔父は、彼の方に眼を向けないで隣席の客と書画の話をしてゐた。彼は、自分が小説に書いたといふことで、とんだところに自惚れみたいな心があつて、叔父に妙な親しみを感じたり、人知れず冷汗を浮べたり、「若し、今夜、百ヶ日の時みたいな騒動が持ちあがつたつて、今度こそは敗けないぞ。」などと、運動競技のスタートに立つた時のやうに胸を踊らせたりした。葉山老医も居た。日本画家の田村も居た。また彼が、二度目の苦しい小説「悪の同意語」で、岡村の叔父のやうに強い人に書いたり、周子が口惜し紛れに彼に向つて「お前の阿母は何だツ、間男、間男!」と叫んだ当の志村仙介も居た。「清親」と、彼は嘗て書いたが、それは彼が苦し紛れに岡村の叔父と志村との印象を、ごつちやにする為めにその一つの名前を併用してしまつたのである。叔父と志村との間に、もう一人「清親」と称ふ得体の知れぬ人間が「居ない」とは彼れは思へなかつた。彼は、小説でない場合でも自分のことを平気で「彼」と称び慣れてゐた、殊にそれらの小説を書いて以来、歪んだその狭い世界と自分の生活との区別もつかなくなつてゐた。彼は、往々他人に向つて自分のことを「彼奴」と吹聴する癖が出来てゐた。「君は、さつきから彼奴/\ツて、酷く悪口を云ふが一体それは誰のことなんだい?」と、相手の者から迷惑さうに問ひ返されて、酔払ひの彼は、思はずハツとして言葉を濁らせることが屡々あつた。せめてそれより他に能が無いのである。その癖彼は、決して「彼奴」を客観視出来なかつた。出来る位ならば彼の小説だつて、多少は小説らしい巧さが出る筈だつた、縦令「彼奴」が、如何(どん)なに馬鹿であらうと、無智であらうと、法螺吹きであらうと、取得のない酔払ひであらうと、多くの愚と悪の同意語で形容すべき人間であらうとも――。彼は、小説家としてのあらゆる才能に欠けてゐた。無理に、己れに、肩書を要求される場合に出遇つたならば、彼は徹夜をして、何か、突飛な名称を考案しなければなるまい。「周子の母が、俺を厭がらせる道具か、あれと、これが!」 そんな心持で、あまり出来のよくない木像でも見物する程の無責任な眼で、軽く志村の横顔を眺めたり、母を振り返つたりすると彼は、可笑しく心が平静になつた。「どうも、何ですな、……今日の法事は大変貧弱で、恐縮で御座いますな、親父は、どうもお客をすることがあの通り好きだつたので、その、仲々、何で御坐いましたが、いや、その私も、大変好きなんですがね、どうも、斯う……」 何かお世辞を云はなければならないと気附いて彼は、急にそんなことを喋舌り出したが、久しく使用しなかつた為か、改つた叮嚀な言葉使ひをすつかり忘れてゐて、直ぐに行き詰り、困つて、仕方がなく出来るだけ大人らしく構へて、「ハツハツハ……」と、笑つた。「何を云つてゐるんだね、お前は。失礼な。」 と、傍から母がたしなめた。――「どうも、これは口不調法で。」「何ですか、この頃は、務めの傍ら著述などに耽つてゐるさうですが。まア、何をやつてゐるか私も未だ見ないんで御坐いますが。でも、まア、そんな方に心が向けば、いくらか落つきも出て来るだらうと……」 母が、安堵の微笑を湛へて葉山氏の問ひに答へてゐるのを開いて彼は、一寸坐を退いた。 その晩、帰るといふ志村を彼は無理に引き止めた。「留守ばかりしてゐるんで、いろ/\厄介を掛けてゐるね。」 彼は、盃をさしながら言つた。志村が、何となく自分に一目置いてゐるらしい様子が彼は、愉快だつた。夜になつてから清友亭のお園が来た。お園を見ると彼は、急に故郷に帰つたらしい懐しさを覚えて、そして、そこに居る父に不平でも訴へに行く、たつた二年も前の時日が、昨日のことのやうに蘇り、「お園さんのところへ行かうか――どうも、デビル・フヰツシユばかりで面白くねえ。」と云つて、彼女を呆然とさせた。 ……「迎へに行く振りをしてやつて来たのさ、今まで阿母を相手に飲んでゐたんだが堪らなくなつてしまつてさア。然し何だね、斯んな場合に僕が若し、所謂だね、善良な青年だつたら阿父さん、やり切れないでせう。」 斯んなことを云つて彼は、父を参らせた。「何アに俺ア、善良な青年の方が好いよ。親のだらしのないところに附け込むやうな奴に会つては敵はないからね、キタナラしい気がするぢやないか。」と、父も敗けずに笑つた。「そんなことを云ふと、また詩を書くぜ。」 もう時効に掛つてゐるので安心して彼は、そんなことを云つた。「御免だア!」と、父は、大口を開けて叫んだ。「怒つたね、あれぢや。」「お前に面と向つて怒りはしなかつたらう、阿母に、だつたぜ。」「どうして僕に、直接……」「――止せ、止せ。……おい、お蝶、シンの奴がまた遊びに来たから、トン子ちやんでも呼んで騒がうぢやないか。」「ひよつとすると今晩あたりは、また阿母がやつて来るかも知れないよ。」「えツ!」「さうしたらね、お蝶さん、僕は、急に態度を変へて阿父さんと喧嘩を始めるかも知れないからね、そのつもりでゐておくれ。」 斯う云つて卑し気に口を歪めた時彼は、ふつと母が堪らなく慕しくなつた。そして彼は「まさかね、それほど僕も不良青年でもないさ。」と、静かに附け加へて、お蝶を白けさせたり、父の顔を曇らせたりした。「君は、この頃酒を止めたといふ話ぢやないか、それとも相変らずかね。」と、退屈さうに云つたのは志村だつた。「酒位ひ何でえ! 止めようと、止めまいと、俺ア、そんなこと……」「俺ア、酒の為に命をとられたつて平気なんだ。死んだあとで一人でも泣く奴があるかと思ふよりも、彼奴が死んで清々と好いと思はれた方が余ツ程面白いや。」 よく父は、そんなことを云つた。「僕ア、さうぢやないな。僕は、別段酒飲みぢやないが、若しもつと年をとつてから、酒を止めないと危いよ、と云はれゝば直ぐに止めますね。」と彼は、父の健康を慮つて云つたことがある。「今ツから酒飲みのつもりになんてなられて堪るかよ。」 ……「清々と好いや!」と、彼は叫んだ。「お酒は慎んだ方が好いよ。」と、お園と話してゐた母が振り返つて云つた。「鬚があるのか?」と、彼は志村を指差した。志村は、たゞ笑つてゐた。「東京も面白くないし、また此方にでも舞ひ戻らうかな、だが戻つたところで――か。旅行は一辺もしたことはなし、だから未だ好きだか嫌ひだか解らないし……」 そろ/\危くなつて来たぞ、と彼は気付いて、ふらふらと立ちあがり、父の位牌の前に進んで、帰つてから、二度目の線香をあげた。

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羽衣ストーブ館

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    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
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    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

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    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。