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2010年5月20日 (木)

詩と実在  滝口修造

 今、物質として一般的に指示することのできる現象体とは、科学的な仮説のもとに認められるものを意味しないとすれば、ただ人間的創造の材料にほかならないものであろうか。 あるいはそこにカント式絶縁体をもって装備しなければならないのだろうか。 ぼくは詩の運動はそれ自体、物質と精神との反抗の現象であることに注意した。 しかし二元的な機能的要素の矛盾が新しい実在を予想することは、ヘーゲルの発明によって原理的な処理を得たにもかかわらず、その論理的な性質に関してはこの近代的ドラマの知るところではない。 なぜならば詩のドラマは先験的なキャタストローフをもたないからである。 この演劇の激烈さは比較の対象をもたない。 そこに個人の化学が生じるのである。 ここでぼくはポーの知性の化学という言葉を想いだす。 ぼくが想像するのは、不随意的な、または盲目的な本能の化合とか、反応の現象や H2Oなどではなく、意識があらゆる過去の詩における象徴的文学性から遊離した状態であり、同時に化学という近代科学が啓示するおそるべき実験劇なのである。 いわゆる言葉の錬金術がいかに中世的な趣味と人生観に満ちているかは今日明白な事実であるが、それが文学とくに詩的形式と呼ばれるものの多くの詩人に対する致命的な陥穽になっているにもかかわらず、詩に対する、また少くとも作詩に対するひとつの信仰が継続する限りにおいて(あるいは詩的形式を単に世襲財産として尊重している限りにおいて)、それは今日もなお多種多様な変形として存在するのである。 しかし言葉のもつ正確な制限はきわめて重要である。 この内部には言語作用に対する正確な処理、したがって表現形式の範囲が規定されるだろうからである。 特質ある物質狂。 ぼくは、通例、錬金術的思想がいかに先験的な思惟の範疇から関係を失いつつあったかを知らないが、言語の自己反応の力があまりにも封建的自我の犠牲になった瞬間、象徴の罪悪がおこなわれたことを知っている。 反応の観念的倒錯が象徴詩の佳什とされた時代を記憶せよ。 完全の象徴詩が正当な情緒をのこしたと考えることは誤謬である。 それは譬えばひとつの痒覚をのこしたにすぎない。 詩は信仰ではない。 論理ではない。 詩は行為である。 行為は行為を拒絶する。 夢の影が詩の影に似たのはこの瞬間であった。

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