« 偉くなりたくない日本の若者 | トップページ | 人はこの世に在るあいだに »

2010年6月30日 (水)

5色となっているのは五行思想の五色

寛永年間の中旬、三代将軍徳川家光が天海大僧正の具申をうけ江戸の鎮護と天下泰平を祈願して、江戸市中の周囲五つの方角の不動尊を選んで割り当てたとされる。最初に四神相応の四不動が先行し、家光の時代ないしは後年に目黄が追加されたとして語られる場合もある。

五色とは密教の陰陽五行説由来し重んじられた青・白・赤・黒・黄でそれぞれ五色は東・西・南・北・中央を表している。現在の住所は、明治以降、廃寺、統合などで不動尊が移動しているので本来の結界の役を失ったといってよい。ただし近年では風水と絡めて語られることも増え、五方を五街道と解釈する場合もあるなど、様々な説がある。

江戸時代以前に目黒・目白が存在している。目黒は将軍家光の鷹狩りに関連して尊崇されていた。目白は、将軍家光が目黒にちなんで命名したとも、目白押しから名付けられたともいう。
また、江戸時代初期の動坂には、伊賀の赤目に由来する赤目不動があったが、家光の命により目赤と名乗るようになり現在地へ移ったと称する。

以上3つの不動については、江戸時代の地誌にも登場するが、天海と結びつける記述はまったく見られない。

教学院はもともと青山にあり、「青山の閻魔様」として親しまれていた。ここには近くにあった廃寺から不動像がもたらされている。明治40年代にこの寺院は世田谷区太子堂に移転し、その頃から「目青不動」を名乗るようになった。

目黄不動は2箇所が同定されているが、いずれも浅草勝蔵院にあった「明暦不動」(後になまってメキ不動と呼ばれたこともある)に近く、その記憶から目黄不動とされたのではないかと推測される。

いずれにせよ、江戸時代には目がつく不動が3つしかなく、それをセットとして語る例はなかった[2]。明治以降、目黄、目青が登場し、後付けで五色不動伝説が作られたものと考えられる。

なお、五色不動を結んだ線の内側が「朱引内」あるいは「江戸の内府」と呼ばれたという説は事実ではない。幕末の朱引図は五色不動と関係なく作られたものである。
(Wikipedia)

« 偉くなりたくない日本の若者 | トップページ | 人はこの世に在るあいだに »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
フォト

22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

オンライン状態

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。