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2010年6月 1日 (火)

河童 十七

 僕は河童の国から帰つて来た後、暫くは我々人間の皮膚の匂に閉口しました。我々人間に比べれば、河童は実に清潔なものです。のみならず我々人間の頭は河童ばかり見てゐた僕には如何にも気味の悪いものに見えました。これは或はあなたにはおわかりにならないかも知れません。しかし目や口は兎も角も、この鼻と云ふものは妙に恐しい気を起させるものです。僕は勿論出来るだけ、誰にも会はない算段をしました。が、我々人間にもいつか次第に慣れ出したと見え、半年ばかりたつうちにどこへでも出るやうになりました。唯それでも困つたことは何か話をしてゐるうちにうつかり河童の国の言葉を口に出してしまふことです。
「君はあしたは家にゐるかね?」
「Qua」
「何だつて?」
「いや、ゐると云ふことだよ。」
 大体かう云ふ調子だつたものです。
 しかし河童の国から帰つて来た後、丁度一年ほどたつた時、僕は或事業の失敗した為に…………
(S博士は彼がかう言つた時、「その話はおよしなさい」と注意をした。何でも博士の話によれば、彼はこの話をする度に看護人の手にも了へない位、乱暴になるとか云ふことである。)
 ではその話はやめませう。しかし或事業の失敗した為に僕は又河童の国へ帰りたいと思ひ出しました。さうです。「行きたい」のではありません。「帰りたい」と思ひ出したのです。河童の国は当時の僕には故郷のやうに感ぜられましたから。
 僕はそつと家を脱け出し、中央線の汽車へ乗らうとしました。そこを生憎(あいにく)巡査につかまり、とうとう病院へ入れられたのです。僕はこの病院へはひつた当座も河童の国のことを想ひつづけました。医者のチヤツクはどうしてゐるでせう? 哲学者のマツグも不相変七色の色硝子のランタアンの下に何か考へてゐるかも知れません。殊に僕の親友だつた、嘴の腐つた学生のラツプは、――或けふのやうに曇つた午後です。こんな追憶に耽つてゐた僕は思はず声を挙げようとしました。それはいつの間にはひつて来たか、バツグと云ふ漁師の河童が一匹、僕の前に佇みながら、何度も頭を下げてゐたからです。僕は心をとり直した後、――泣いたか笑つたかも覚えてゐません。が、兎に角久しぶりに河童の国の言葉を使ふことに感動してゐたことは確かです。
「おい、バツグ、どうして来た?」
「へい、お見舞ひに上つたのです。何でも御病気だとか云ふことですから。」
「どうしてそんなことを知つてゐる?」
「ラデイオのニウスで知つたのです。」
 バツグは得意さうに笑つてゐるのです。
「それにしてもよく来られたね?」
「何、造作はありません。東京の川や堀割りは河童には往来も同様ですから。」
 僕は河童も蛙のやうに水陸両棲の動物だつたことに今更のやうに気がつきました。
「しかしこの辺には川はないがね。」
「いえ、こちらへ上つたのは水道の鉄管を抜けて来たのです。それからちよつと消火栓をあけて…………」
「消火栓をあけて?」
「檀那はお忘れなすつたのですか? 河童にも機械屋のゐると云ふことを。」
 それから僕は二三日毎にいろいろの河童の訪問を受けました。僕の病はS博士によれば早発性痴呆症と云ふことです。しかしあの医者のチヤツクは(これは甚だあなたにも失礼に当るのに違ひありません。)僕は早発性痴呆症患者ではない、早発性痴呆症患者はS博士を始め、あなたがた自身だと言つてゐました。医者のチヤツクも来る位ですから、学生のラツプや哲学者のマツグの見舞ひに来たことは勿論です。が、あの漁師のバツグの外に昼間は誰も尋ねて来ません。殊に二三匹一しよに来るのは夜、――それも月のある夜です。僕はゆうべも月明りの中に硝子会社の社長のゲエルや哲学者のマツグと話をしました。のみならず音楽家のクラバツクにもヴアイオリンを一曲弾いて貰ひました。そら、向うの机の上に黒百合の花束がのつてゐるでせう? あれもゆうべクラバツクが土産に持つて来てくれたものです。…………
(僕は後を振り返つて見た。が、勿論机の上には花束も何ものつてゐなかつた。)
 それからこの本も哲学者のマツグがわざわざ持つて来てくれたものです。ちよつと最初の詩を読んで御覧なさい。いや、あなたは河童の国の言葉を御存知になる筈はありません。では代りに読んで見ませう。これは近頃出版になつたトツクの全集の一冊です。――
(彼は古い電話帳をひろげ、かう云ふ詩をおほ声に読みはじめた。)

――椰子の花や竹の中に
  仏陀はとうに眠つてゐる。

  路ばたに枯れた無花果と一しよに
  基督ももう死んだらしい。

  しかし我々は休まなければならぬ
  たとひ芝居の背景の前にも。

(その又背景の裏を見れば、継ぎはぎだらけのカンヴアスばかりだ。!)――

 けれども僕はこの詩人のやうに厭世的ではありません。河童たちの時々来てくれる限りは、――ああ、このことは忘れてゐました。あなたは僕の友だちだつた裁判官のペツプを覚えてゐるでせう。あの河童は職を失つた後、ほんたうに発狂してしまひました。何でも今は河童の国の精神病院にゐると云ふことです。僕はS博士さへ承知してくれれば、見舞ひに行つてやりたいのですがね…………  (昭和二・二・十一)

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芥川龍之介「河童」
「改造 第九巻第三号」1927(昭和2)年3月1日発行

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/69_14933.html
芥川龍之介の文章には華がありリズムがある。
物語の中にユーモアがあり、その奥にシリアスがある。
そこはかとない暗さがあり、乾いた明るさがある。
説明過剰ではなく、止めどころが絶妙。
その才能を大きく感じさせてくれたのが河童です。

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