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2010年8月31日 (火)

「この世の終わりの景色」

俊 徳  ごらん、空から百千の火が降って来る。家という家が燃え上る。ビルの窓という窓が焔を吹き出す。僕にははっきり見えるんだ。空は火の粉でいっぱい。低い雲は毒々しい葡萄いろに染められて、その雲がまた真赤に映えている川に映るんだ。大きな鉄橋の影絵の鮮やかさ。大きな樹が火に包まれて、梢もすっかり火の粉にまぶされ、風に身をゆすぶっている悲壮なすがた。小さな樹も、小笹のしげみも、みんな火の紋章をつけていた。どんな片隅にも火の紋章と火の縁飾りが活発に動いていた。世界はばかに静かだった。静かだったけれど、お寺の鐘のうちらのように、一つの唸りが反響して、四方から谺を返した。へんな風の稔りのような声、みんなでいっせいにお経を読んでいるような声、あれは何だと思う? 何だと思う? 桜間さん、あれは言葉じゃない、歌でもない、あれが人間の阿鼻叫喚という奴なんだ。
 僕はあんななつかしい声をきいたことがない。あんな真率な声をきいたことがない。この世のおわりの時にしか、人間はあんな正直な声をきかせないのだ。

「この世の終わりの景色」は、俊徳にとって官能を呼び覚ます愛しい記憶でもある。だから、俊徳にとって形あるものとは、この紅蓮の炎でしかなく、阿鼻叫喚の声こそが人間の真率な声であり、俗悪の代表である両夫妻の言葉なぞまがい物でしかない。
「あなたもこの世の終わりの景色を見たでしょう?」ということへ級子は「いいえ」と否定する。俊徳は思いがけない拒絶にあう「君は僕から奪おうとしているんだね。この世の終わりの景色を」しかし級子はそれをも毅然と受けながす「そうですわ、それが私の役目なんです」それがなくては生きていけない盲目者から承知で「この世の終わりの景色」を奪い取る級子に、次第に敗北していくのだった。

俊 徳  死んでもいいんだね、僕が。
級 子 (微笑する)あなたはもう死んでいたんです。
俊 徳  君はいやな女だ。本当にいやな女だ。
級 子 それでも私はここにいますよ。私を行かせるには、……そう、教えてあげるわ。何かつまらない、この世のおわりや焔の海とは何の関係もない、ちっぽけな頼み事をして下さればいいんだわ。

「君は行きたいの?」「 いいえ、ずっとあなたのそはにいたいわ」「何かつまらない用事をたのめはいいんだね」「ええ。手を貸して(手を与え)こう?」

俊 徳 やわらかい手をしているんだね。もっと苦労している人かと思った。
級 子 そう、私は苦労を知らないわ。あなたと比べたら。
俊 徳 (誇らしき微笑) 頼めばいいんだね。召使に言うように。
級 子 お姉さんに言うように、と仰言い。

「ふふ、僕、腹が空いちゃ一つた」「そうね、もうそんな時間だわ」「何か喰べるものをくれないかな」「店屋物しかなくってよ、それでよければ」「何でもいいや。すぐ出来るものを」「いいわまかせてておおきなさい(ト俊徳の手をとって、もとの椅子へ坐らせる。室内すでに暗し)ここで大人しく待っているのよ」(さっき両夫婦の去ったのと別の戸口から去りかけて、戸口のスイッチを押す。室内ばっと明るく灯る)「待っていてね。すぐかえるわ」うん。(級子微笑を残して去りかける) ……ねえ……。

俊 徳  僕ってね、……どうしてだか、誰からも愛されるんだよ。

(級子微笑して去る。明るい部屋に、俊徳一人ぽつねんと残っている)
                       - 幕- 

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最後の台詞は作者である三島由紀夫が正常な精神を保ったまま、市ヶ谷駐屯基地で狂気といわれた行動をとって、自決する舞台でも語られた言葉であった。数年前に上演された『近代能楽集』では、作者最後の言葉として逢わせ重なるように意識的に演出された。すでに「能の物語を現代の物語とした」時点で、それらの確信的な演出が起動されていたといってもいいだろう。能という霊界と現世における舞台装置を、阪神大震災や同時テロ爆破や石油流出などの事故現場へ更新しても「能の物語を現代の物語」としても可能だと、ドラマとして普遍な主題を掘り下げ物語再構築の強化作業を「近代能」としてやりとげているのであった。読み解くたびに『近代能楽集』恐るべし。形を変えても髄を普遍として残した物語の極意まさに震撼の書。

「理想的な庭とは、終わらない庭、果てしのない庭であると共に、何か不断に遁走していく庭である事が必要であろう。私はここで又、仙洞御所の庭に思い当たる。なぜならその御庭は私の所有でないと同様に,今はどなたの住家でもないからである。もしわれわれが理想的な庭を持とうとすれば、それを終わらない庭、果てしのない庭、しかも不断に遁走する庭、蝶のように飛び去る庭にしようとするならば、われわれにできる最上の事、もっとも賢明な方法は、所有者がある日姿を消してしまうことではないだろうか。庭に飛び去る蝶の特徴を与えようとするならば、所有者がむしろ飛び去る蝶に化身すればよいではないか。生はつかのまであり、庭は永遠になる。そして又、庭はつかのまであり、生は永遠になる。」(三島由紀夫「仙洞御所」序文、昭和43年)

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