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2010年8月31日 (火)

近代能として再現された三島由紀夫の「弱法師」

 晩夏の午後より日没にいたる
 無機質な家庭裁判所の一室
 上手に川島夫妻
 下手に高安夫妻
 中央に調停委員の桜間級子。四十歳をこえた美貌の和服の女

 重苦しい雰囲気の中、五歳の時に東京大空襲で失明し両親を失った、今は二十歳になった俊徳の親権争いであることが会話からわかってくる。川島夫妻が育ての親の権利を主張して、高安夫妻は生みの親の権利を主張している。話は平行線をたどるばかりなので、級子はらちがあかずに俊徳を連れてくる。

級 子 俊徳さん、どうしました~ お母さんが泣いていらっしゃいますよ。
俊 徳 泣いたからどうしたんです。そんなものは僕に見えやしません。

「でもあのお声はきこえるわね」「なつかしい声ですね」「俊徳! わかって来たんだな!」

俊 徳 何がわかって来たって仰言るんです。ただ僕は人間の泣き声がなつかしいと言ったまでですよ。あれを久しくきいたことがない。あれが人間らしい声とは言えますね。この世の終りが来るときには、人は言葉を失って、泣き叫ぶはかりなんだ。たしかに僕は一度きいたことがある。

高安夫人 だんだん思い出して釆たのね、俊徳。たしかにきいたことのある声でしょう。

俊 徳 そら又喋る。言葉で何もかも台なしにしてしまう。また人間の声が消えてしまった。……ひどく暑いな。まるで炉の中にいるようだ。僕のまわりに火が燃えさかっている。火が輪踊りをしている。そうでしょう、桜間さん。

級 子 (微笑して) いいえ、今は夏だからですよ。それにあなたは、そんなにきちんと紳士らしい服を召していらっしゃるから。
俊 徳 (わが身を撫でまわしながら) これが世間でいわゆるネクタイというやつ、ワイシャツというやつ、背広というやつですね。言われるままに着ている着物で、どんな恰好をしているのかよくわからない。これが世間でポケットというやつ。燐寸箱からこばれた燐寸だの、小銭だの、乗換切符だの、安全ピンだの、当らなかった宝籤だの、死んだ蝿だの、消しゴムのかけらだの……そういうものが袂糞と一緒になって、いつまでも滞っているやくざな袋ですね。それでこの全体が、背広という安全無類の制服、毎日毎日のくりかえしの生活に忠実だという証文なんですね。
高安夫人 すっかりひねくれて育ってしまった! あの物の言いようはどうでしょう。
俊 徳  しかしね、桜間さん、僕にはそんな見かけはどうでもいいんですよ。僕にわかるのほこの首をしめる感覚と、汗だらけのびったりした下着の感覚しかないんだから。僕には網の首蜘と、木綿の狭窄衣がはめられている。そうでしょう~ 僕は裸かの囚人ですね。

 傲慢で冷酷な美青年は、誰にも心を開かないままを親族たちを嘲るのだった。
 二組の両親は返す言葉をことごとく、裏返されて手の施しようにない息子だと知る。

俊 徳 (おそろしく激して立上り) 何をごちゃごちゃ言ってるんです! 黙りなさい! (一同撃たれたごとく沈黙。又坐り)・・・・・・いいですか。あなた方の目はただこういうものを見るためについている。あなた方の目はいわば義務なんです。僕が見ろと要求したものを見るように義務づけられているんです。そのときはじめてあなた方の目は、僕の目の代用をする気高い器官になるわけです。たとえば僕が青空のまん中に大きな金色(こんじき)の象が練り歩いているのを見ようとする。そうしたら即座にあなた方は、それを見なくてはならないんです。ビルの十二階の窓のひとつから大きな黄いろい薔薇が身を投げる。夜ふけの冷蔵庫の蓋をあけると、翼の生えた白い馬がその中にしゃがんでいる。楔形(せっけい)文字のタイプライター。香炉のなかの緑濃い無人島。・・・・・・そういう奇蹟を、どんな奇蹟でも、あなた方の目は立ちどころに見なくてはならない。見えないのなら潰れてしまうがいい。 …ところで、僕の体の中心から四方へ放射している光りが見えますね。

川 島 見えるとも。
高 安 ああ……ああ……見えるよ、私には。
俊 徳 (悲しげに顔をおおう) ああ、僕には形というものがない。こうして体を撫でまわしてみても、顔を撫でまわしてみても、どこもただの凸凹なんだもの。これが僕の形でなんかありはしない。地球のおもてのいたるところの凸凹の、そのつづきの凸凹にすぎないんだ。

高安夫人  俊徳!
俊 徳 でも僕には形はないけど、僕は光りなんだ。透明体の中の光りなんだ。
川 島 そうだとも、お前は光りだ。
俊 徳 (背広の胸をあけひろげて) よくごらん、この光りが僕の魂だよ。
高安夫人 お前の魂だって~
俊 徳 あなた方とちがって、僕の魂は、まっ裸でこの世を歩き廻っているんだよ。四方に放射している光りが見えるでしょう。この光りは人の体も灼くけれど、僕の心にもたえず火傷をつけるんです。ああ、こんな風に裸かで生きているのは実に骨が折れますよ。実に骨が折れる。僕はあなた方の一億倍も裸かなんだから。……ねえ、.桜間さん、僕はひょっとすると、もう星になってるのかもしれないんです。

川島夫妻  星ですとも、お前は。
高安夫妻  星ですとも、お前は。
 
俊 徳  そう。何十光年も先の遠い星。そうでなけれは、自分の光りの源がそんなに遠いところになけれは、どうして僕はおちおちここに住みついていることができるだろう。
       だってこの世はもう終っているんだもの。
高安夫人  何ですって~
俊 徳  この世はもう終っているんだから。わかりますか。あなたが幽霊でなけれは、この世界が幽霊なんだ。
     この世界が幽霊でなけれは、(ト高安夫人をキッと指さして) あなたが幽霊なんだ。
高安夫人  ああ!(ト倒れかかって高安に支えられる) あの子はとうとう気がちがった。
高 安  しっかりおし。お前まで気がふれたらおしまいだ。
川 島  だから狂人だと申上げたでしょう。でもこれでなかなか気のきいたことも言いますよ。われわれは親子というより、彼のいい友人になったのです。

 青年の叱咤に生みの親も育ての親も卑屈なほど従順になるしかなかった。我が子への愛や執着に踊らされる哀れな親というよりも、魅惑的な強者に心酔し服従する弱者の姿である。

高安夫人 ああやって子供をスポイルしてしまうんですわ。親は虫けらなんかじゃありません。
高 安  お前も俊徳を呼び戻したかったら、虫けらになる他はないんだよ。
高安夫人 (非常な決心を以て) 私もそれなら虫けらですよ。その代りお母さんと呼んで頂戴。
俊 徳 (無感動に) お母さん・・・・・・虫けら・・・・・・。
高安夫人 やっとお母さんと呼んでくれましたよ!
高 安 そのあとに 「虫けら」 がちゃんとついてた。
俊 徳 あなた方はみんな莫迦で間抜けだ!

 (一寸した躊躇の間)

川島夫妻・高安夫妻  私たちはみんな莫迦で間抜けです。

 ここで俊徳の異常性は両夫妻の異常性に転じて喜劇と化している。
 両夫妻を退出させ俊徳と膝をまじえて、級子はゆっくり話しあおうとする。美しい夕映えに感嘆の声を上げると俊徳は「この世のおわりの景色」だという。

【つづく】

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