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2010年12月28日 (火)

詩的散文について

手塚 「三島さんはアフォリズムの大家だと思うんですが、やはりニーチェを読まれた影響
    もあるんですか。」
三島 「いいえ、いちばん影響を受けたのはラディゲです。ラディゲはああゆう断言的な
    スタイルを小説の中でよく使うんです。それから、やはりアフォリズム風なものは、
    ラ・ロシュフーコーなどのモラリストから影響をうけたんでしょうね。」
手塚 「そうすると、ニーチェとは、もうひとつもとでの縁というわけですね・・・。」
    日本人は散文でピタッとした表現をするのは、
    一般に不得意なんじゃないでしょうか。」
三島 「ええ。それは日本語の特質もありますし、今までエモーショナルなものだけが
    喜ばれてきたということもありますね。<ツァラトゥストラ>のように詩と哲学の
    融合した散文の例は非常に少ないんですね。ことに近代古典では。ニーチェ的
    なものの、日本的なイデアル・テュプス(理想型)は小林秀雄さんかもしれません。
    なにか概念によってものごとを組み立てたり、積み木細工をするということ、
    一般にアカデミックな通念を軽蔑することを教えたのは小林さんですね。
    やはり日本では先進国に追いつくために、明治以来啓蒙主義によって、アカデミズム
    がいちばん尊敬すべきものであるという考えが抜けなかったとおもうんです。
    ?外なんか、それをうまく使ってますね、あれだけの知識を。ニーチェの場合は、
    科学的合理主義全体に対するアンチテーゼですから、もっと大規模ですね。」

手塚 「そうですか。やはり近代日本も十九世紀ドイツと同じく歴史主義ですね。ニーチェの
    場合は十九世紀の主潮である歴史的知識の重みをはね返したわけですが、近代日本
    では、実用的な知識という形で、その重みをしたたかにしょい込んだ・・・・。」
三島 「非常にしょい込んでいます。しょい込んだ理由は、国家目的に合致するから喜んで
    しょい込んだと思うんです。そのかわり、ニーチェの違うところは、古典文献学に
    あたるものが日本にはなかったということですね、日本の近代的教養の中では。
    そこは非常に違うと思います。西洋の古典とはもちろん、日本の古典文献学に
    あたる中国の古典ともわかれてしまっている・・・。」
手塚 「しいて言えば、西洋近代語を通じての教養が、その役目をしたのですね。
    そして近代を古典と思った。」

三島 「ニーチェが<ツァラトゥストラ>のあとで、もしインド哲学に親しんだら、
    どういうことになったでしょうか。たとえば大乗仏教やなんかの唯識に興味をもったら
    おもしろかったでしょうね・・・・。」
手塚 「そうですね。晩年にインドの聖典を読んで、非常におもしろがっています。それが
    発展するまでにはいかなかったようですけど。永劫回帰の思想など東洋の思想に
    非常に近ずくようなところがあるんですね。」
三島 「エリアーデという学者が<永遠回帰の神話>というおもしろい本を書いていますね。
    それは、あらゆる文化の歴史の中に、回帰的な歴史観と、過去から未来へ直線的に
    歴史観との二種類があって、ただキリスト教だけが回帰しない歴史観を保持して
    いたから、直線的な時間概念を代表するようになっちゃったけど、じっさいは
    そうじゃないと言っています。日本人にはわりに普通のことですね。」

手塚 「素質的にわれわれは、終末観とか、最後の審判などの直線的な時間概念には、
    親しみにくい。人間の思想のツボというものは、たいして変わらないものですね。
    ただ回帰的な歴史観にしても、どのくらいの力で新たにそれを持ち出せるかと
    いうことが問題でね。ニーチェの永劫回帰の思想には、瞬間を永遠にしようという
    決意がありますね。東洋の考え方とほとんど同じところにいくんですけど、
    東洋ではああいうふうには言わないですね。そこがおもしろいですね。
    西と東のニュアンス・・・・。」
三島 「なんかそこまで言っちゃっちゃ、おしまいみたいな気がして。」
手塚 「まったく。言わないでおくということですね。」

三島 「ニーチェがキリスト教に反対しただけじゃなくて、プラトニズムまでひっくるめて否定
    しちゃったということは爽快ですね。やはり西洋というものは、そういうふうに
    ニーチェ的に要約されてよくわかるような気がします。ニーチェが日本人に好かれる
    理由の一つですね。」
手塚 「わたしの理解する限りでは、ハイデカーは、ニーチェがプラトン以来の哲学や
    キリスト教を全部ひっくりかえして否定したようにみえるけども、結局、西洋の
    形而上学性を徹底させたんだというんですね。つまり、神とかイデアとか、
    そうゆうものを倒したけども、またそれに変わる<力への意思>という究極的原理
    を出したのであって、それではまだ真の存在というものをせばめているという
    んです。そのハイデカーの存在というのが、われわれからみると、どうも観念的
    で・・・。ニーチェにしても、理想主義を否定するけれど、大変な理想主義者
    なんですね。そういう点で、神をなくしても、非常にイデア的な人、
    西洋文明の人だという感じがしますね。」
三島 「手塚さんは、ニーチェの問題は結局キリスト教内部の問題だとお書きになって
    いますが、やはり内部の問題ですね・・・。いまの十代の少年や二十代の青年
    に、ニーチェがどうゆうふうに読まれて、どういう影響を与えるかということ
    を考えるとおもしろいですね。アパートの2DKに住んで、マイ・カーを
    持って暮らそうという、いまの平均化された時代の青年たちが、ニーチェを
    どういうふうに読むか、非常におもしろい問題ですね。」

手塚 「若い人というのは、いつでもつかみにくいものですから、どこで触れ合う可能性があるか、
    平均的につかむのは容易ではありませんね。わたしの期待のようなものを言いますと、
    西洋の思考法そのものの膚合いに、この反逆者を通じて、いっそうよく触れ、頭脳的にも
    、西洋への深い批判者がふえればいいと思います。その結果として、日本人が自分の発言
    にもっと自信をもつことですね。」
三島 「ええ。<ツァラトゥストラ>の新訳を今度改めて拝見しますと、そのけばけばしさがとれて、
    その人生知がはっきり木目みたいに浮き上がってくるという感じがしますですね。
    そうして、これは曖昧模糊とした、観念的な説教じゃなくて、人間というものをじつに
    よく認識している天才の作品だなという感じがしました。」
手塚 「ほんとうに人間通といえますね。実証的な心理学者で、心理学を自慢するだけのことは
    ありますね。わたしは、自分のわからないことは文字にしたくないので、著者の気持ち
    のあやが多少通ったところはありましょう。しかし、わたしの気持をいうと、これまでは
    話を聞いたのであって、対話はこれからだというようなところです。」

    (昭和四十一年、一月十日 虎の門「福田家」にて)

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