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2010年12月12日 (日)

反芸術からネオダダへ

反芸術(はんげいじゅつ、Anti-art)は芸術作品に対する定義で、伝統的な展覧会の文脈の中で展示されながら、真剣な芸術をあざ笑うかのような内容を持つ作品、また芸術というものの本質を問い直し変質させてしまうような作品のこと。さらに既存の芸術という枠組みを逸脱するような芸術思想や芸術運動のこと。

ダダイスムによるオブジェや自動筆記による文学、ナンセンス詩など、挑発的な芸術形態が「反芸術」と呼ばれたが、芸術の枠がある限り、反芸術はいつでもどこでも出現する可能性がある。また20世紀美術の歴史は、反芸術が芸術の範囲を押し広げた結果ともいえる。

[ダダイスム]
反芸術は、第一次世界大戦中からはじまったダダイスムにその端を発する。反芸術的な作品の、初期にしてもっとも有名な例は、ダダイストのマルセル・デュシャンが1917年にニューヨークの無審査公募展・「アンデパンダン展」にリチャード・マット名義で出展した『泉』である。この作品はただの既製品の男性用小便器を寝かせたもので当時の観念から見ればどう見ても芸術品とも作品とも呼べるものではなく、無審査展のため仕方なく受け付けられたものの会場に展示されることなく紛失するが、この処置に抗議したデュシャンはアンデパンダン展委員を辞任し、新聞にリチャード・マット氏の作品を弁護しその意義を訴える文章を発表し大論争を起こした。この事件の例のように、ダダイスムの活動は美術や文学など既存の芸術をはみ出すもので、結果、芸術の概念を非常に大きく広げることとなった。

[メール・アート]
郵便物を使った芸術の表現であるメール・アートも反芸術の一種とみなしうる。公式な美術の発表の場(展覧会など)から離れた場で発表され、しかも政府の郵便制度を利用したさまざまな実験は、芸術と社会との摩擦を巻き起こした。

[日本における反芸術]
日本において「反芸術」という単語は、安保闘争などで社会が揺れていた1960年前後の現代美術界の熱気を抜きには語れない。1954年から関西で活動していた具体美術協会は、その型破りなパフォーマンスなど、既存の芸術を超えて表現する反芸術の色彩が強かった。反芸術が爆発的に広がるのは戦後まもなくから1963年まで東京都美術館で行われていた無審査公募展「読売アンデパンダン展」で、1950年代末以降、廃物などを利用した作品が数多く出展されるようになり、1960年に評論家・東野芳明がこの展覧会に出展していた工藤哲巳の作品を評して「反芸術」の語を使用し日本の若手美術家に反芸術ブームを起こした。

同じく1960年、読売アンデパンダン展に出展していた荒川修作・吉村益信・篠原有司男・風倉匠作・赤瀬川原平ら若い作家たちがネオ・ダダイズム・オルガナイザーズという組織を結成、その短い活動時期にアナーキーな作品や構想を数多く残した。メンバーの一人、赤瀬川原平は1963年に高松次郎・中西夏之と「ハイレッド・センター」を結成し反芸術的なパフォーマンスを開催している。また秋山祐徳太子の東京都知事選挙出馬に至るパフォーマンスなど、反芸術は1950年代から1960年代にかけてマスコミにも多くの話題を提供した。

ネオダダ(Neo-Dada)は、作品制作の方法論や意図が初期のダダイスムと類似点を持つ、1950年代後半から1960年代のアメリカ合衆国の美術家や美術運動を表すのに使われた用語である。

もとは、1958年のアートニューズ誌において、当時廃物や大衆的なイメージを使用した絵画で抽象表現主義に替わり注目を浴びつつあったロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズといった画家、ハプニングなどのパフォーマンスアート活動を行っていたアラン・カプロー、クレス・オルデンバーグ、ジム・ダインなどの作家たちを一括りに特集し、美術評論家ハロルド・ローゼンバーグがこれらにネオダダと名づけたことがはじまりである。以後、評論家バーバラ・ローズによって「ネオダダ」と言う用語は1960年代に広まり、おおむね1950年代~1960年代にこれらの作家によって行われた活動を指して使われる。

[特徴]
ネオダダの作品の例としては、既製品の使用(レディメイド)や大衆的な図像の流用(アッサンブラージュ、コラージュ)、そしてその不条理性などがある。また伝統的な芸術や美学の概念を否定する反芸術的なところもある。これらの手法や反芸術性が、新たなダダイスムとみなされた要因である。確かにロバート・ラウシェンバーグの、既製品を組み合わせて(コンバインして)その上から絵具を塗りつけたコンバイン・ペインティングなどはレディメイドやアサンブラージュなどと形式上共通点がある。

しかし、ネオダダは、概念や言葉の実験としてのレディメイドなどを制作した第一次世界大戦後のダダイスムとは時代背景が異なり、より工業化や大量生産・大量消費が進み廃物があふれていた時代のアメリカを舞台としているため、新品よりは廃物を好んで用いたり新品を廃物同様にするなどより即物性や即興性が強い。これらの作品はジャンク・アート(ゴミ芸術、廃物芸術)などとも呼ばれていた。反芸術でありながら、環境を埋め尽くしていた廃品を新たな自然と見て、そこに美を見出そうとしたネオダダを「工業化社会の自然主義」と呼ぶ向きもある。

ネオダダに属する作家たちのうち、ロバート・ラウシェンバーグらは1930年代から1950年代にかけて存在したノースカロライナ州の小さな芸術学校、「ブラック・マウンテン・カレッジ」で学んでいた。ここでは美術家のみならず音楽家、詩人、思想家らが教えており、なかでも教鞭をとっていた音楽家ジョン・ケージの、音響を即物的に考えることや偶然性を利用するといった活動から強い思想的な影響を受けている。

[ジャンク・アート、反芸術の世界同時多発]
この時代には、同じく廃物を寄せ集めた芸術作品や、従来の美術の範疇をはみでたハプニング、パフォーマンス、「反芸術」的な潮流が、工業化した欧州や日本など各国に現れた。

フランスではこの頃、収集した生ゴミを透明ケースに入れたり、同じ種類の機械や道具の残骸を無数に収集して組み合わせたアルマン、くず鉄を寄せ集めて溶接した「アマルガム彫刻」や自動車をプレス機に入れて直方体に圧縮する「圧縮彫刻」を行ったセザール、日用品などを梱包していたクリストら、工業社会の「自然」をあるがままに受け容れそこに意味を見出そうとする作家たちが活躍していた。1960年、こうした傾向の作家たちを集めて評論家ピエール・レスタニによる展覧会が行われ、これに、さまざまなパフォーマンスを行っていたイブ・クラインや、ジャン・ティンゲリー、ニキ・ド・サンファルらが集まり、「ヌーヴォー・レアリスム」というグループを組んだ。グループは数年で解体したが、その思想や活動はネオダダと通じ合うものがある。
ドイツでは美術家や音楽家、詩人などをメンバーとするパフォーマンスアートのグループが現れ、1961年にフルクサスの名が使われた。流転・変転し、二度と同じ事を繰り返さないと言う彼らのパフォーマンスは各国の芸術家を巻き込み、1960年代前半にかけてドイツやアメリカなどで非常に活発に活動した。
日本でも反芸術の動きが1960年前後に活性化していた。
1954年から関西に具体美術協会が現れ、1950年代後半にかけてアクション・ペインティングや野外におけるインスタレーションなど矢継ぎ早に活動を行った。ここにはネオダダ的な身近な素材の利用やハプニング、反芸術の要素が多く含まれていた。
また、1950年代後半ごろから、東京都美術館で行われていた無審査公募展「読売アンデパンダン展」に廃物などを利用した作品が数多く出展されるようになり、1960年に評論家・東野芳明がこの展覧会に出展していた工藤哲巳の作品を評して「反芸術」の語を使用し日本の若手美術家に反芸術ブームを起こした。

1960年、荒川修作・吉村益信・篠原有司男・風倉省作(風倉匠)]・赤瀬川原平ら、読売アンデパンダン展に出展していた若い作家たちがネオ・ダダイズム・オルガナイザーズという組織を結成。その後「ネオダダ」と名称を簡略化し、3度の展覧会を実施したが、荒川修作の除名問題や吉村益信の結婚による活動場所の問題を経るなどわずか1年たらずで解体する。しかし、その間に社会風俗現象として週刊誌などマスコミを大いににぎあわせ、一部美術評論家に注目されるアナーキーな作品や構想を数多く残し、スキャンダリズムを旨とするわが国の前衛美術のひとつの傾向を示す典型となった。
その後メンバーの大半が渡米したが、赤瀬川原平は1963年に高松次郎・中西夏之と「ハイレッド・センター」を結成し反芸術的なパフォーマンスを開催し、篠原有司男らは新たなアメリカの動向であったポップ・アートにいち早い反応を見せた。

[ネオダダの影響]
ネオダダや反芸術の運動は、現在に至るまで多くのパフォーマンスアートや芸術表現に影響を与えている。また、アメリカではすぐ後に来るポップアートに手法的・理論的な影響を与えた。

[作家] ロバート・ラウシェンバーグ  ジャスパー・ジョーンズ

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