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2011年6月24日 (金)

ブラウンについて ロバート・ブロック

The Best of Fredric Brown

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 まず彼の名の誤記の減ることを祈る。
 二ダース以上の本と300以上の短篇の作者としての輝かしい名声をふまえた彼の名を、不注意な批評家や解説家はいまだに Frederic あるいは Frederick とつづる。
書かれた文の内容は当然のことながらほめたのが多いが、ブラウンはつづりのまちがいについ
て不快がっていた。きちんとしたことの好きな性格で、自分の名に誇りを抱いているのだ。

 もっとも、親しい友人たちほフレッドと呼びかけた。
 私が彼とはじめて会ったのはシカゴの北のミルウォーキーでだった。彼が四十歳ちょっとの時。彼はい1907年にシンシナティに生まれ、インディアナ州ハノーバー大学を卒業したあと、さまざまな職業を体験した。事務の手伝い、時にはカーニパルの飾り作り。

 知り合ったころの彼は、ミルウォーキー・ジャーナルの校正係をしていて、27番街のささ
やかな家に、最初の妻のヘレンと利口そうな二人の息子とで暮していた。その住居にはほかに、ミン・クーという名のシャム猫、フルートに似たリコーダーという木製の楽器、チェスのセット、それにタイプライターがあった。猫と遊び、リコーダーを吹き、チェスをやる。しかし、タイプライターは趣味や娯楽のためではなかった。彼は短篇を書いていたのだ。生活のための金の必要に迫られ、帰宅してからそれに専念したのだ。

 フレッドは作品をパルプ・マガジンに売っていた。無名の新人でも、面白けれは買ってくれる。探偵小説、怪奇物、ファンタジー、SFなんでも手がけた。ブラウン・マニアたちは現在、彼の名が巻頭に印刷された雑誌を高い値で買い求めたりしているが、当時ほブラウンといえは、パルプ・マガジンの編集者にとって一語2セイントあつかいの、何百という投稿者のひとりにすぎなかったのだ。

彼は小柄だがス了トな体格で、眼鏡のせいで少しとっつきにくい感じだがデリケートな顔つ
きで、うすく口ひげをはやしていた。悠然とした印象を与える。声はソフトで、身だしなみも申しぶんなかった。しかし、彼についてよく知らない人が、彼とポーカーや飲みくらべをしょうとすると、えらい日にあうのだ。
 会話のウィットで彼にまさる者はいない。言葉ほ天から彼に与えられた武器で、語呂あわせなど抜群だった。言いまわしについて、まさに特異体質者だったのだ。
「人はシャンプーを本物のプーより好むか」(shamは偽物)と言ったりするのは一例。
 ひまがあると、ひねりのきいた短篇用の題を考えていた。私は彼が、友人のふともらした言葉を題名にしたいと、10ドルで買うのを見たことがある。それは=Ⅰlove you cruelly(愛しているよ、無慈悲にも)。

 この大金をふんだくったのは、フレッドも入会していたミルウォーキーの新聞関係者の集りのなかの 「作家連盟」の仲間だった。フレッドはポーカーとなるとむやみと強かったが、飲み友だちとしてこの上なく魅力的で気前のいいやつでもあったのだ。
 それでいて、小説づくりの話となると真剣そのものになり、執筆ぶりもまたまじめだった。ニユーヨーク市に代理人をおき、出版界の動きや、稿料や契約などにも神経を使っていた。
 その向上心と才能ははっきりと感じとれた。たえず知的好奇心を持ちつづけ、乱読しながらも小説の読み手として一級だった。音楽、演劇、科学史にも関心を持っていた。潔癖なほど文法を大切にし、言葉あそびはその上でのもので、ただの遊びではなかった。語源や同音異義語など、たえず彼の頭のなかで飛びまわっていた。作品中の会話ばかりでなく、地の文にもそれをちりばめる才能を持っていた。

 当時、私を含めた書き手たちは、パルプ・マガジンしか発表舞台ほなかった。つまりこれな
ら大衆が喜ぶだろうと編集者が判断しそうなタイプの作品に仕上げなければならない。そんななかでフレッドは時たま実験的なことをやり、ついに長篇を書き上げた。

 『シカゴ・ブルース』は1947年に出版され、アメリカ推理作家協会賞を受賞し、エドガー・アラン・ポーの像をもちった。つぎのミステリー『三人のこびと』も好評で、推理作家としての名を確実なものとした。翌48年、新分野への挑戦である『発狂した宇宙』(What Mad Universe) が 「スタートリソグ・ストーリーズ」誌にのった。その翌年、ハードカバーで単行本となり、SF作家としても注目された。

一方、身辺にもいろいろと変化があった。妻と協議離婚をし、それから一年後に別な女性と再
婚した。彼は本の評判に気をよくして推理小説の執筆のピッチを速めたが、校正の仕事はやめなかった。生活の苦労を味わっていたので、定収入の価値を知っていたのだ。作家専業について、不安を捨てきれなかった。

 この時期、私たちはよく会っていた。彼から小説の着想を聞かされ、意見を言ったこともあったし、個人的な相談に乗ったこともあった。ある日、顔を輝かせながら私のところに釆た。ニューヨークのある大きなパルプ・マガジソの編集者から電話があり、年俸7500ドルで編集室伝わないかという申し出があったというのだ。

現在では大金とはいえない。しかし、タイムマシンで四分の一世紀だけ過去へ戻れは、かなり
のものだ。いまの20000ドル以上である。これはフレッドが新聞社から得ている収入より、また、欲しいと思っている年収より、はるかに大きかった。それだけの収入が保障され、そのかたわら小説を書けるとなれは、彼にとってはこの上ない状態といえた。
 フレッドは私やそのほかの友人と相談し、妻のべスの意見も聞き、新聞社をやめてニューヨークへ行った。しかし電話での話とはちがいがあった。編集長が申し出た給料は年に7500ドルドルでなく、週に75ドルだったのだ。つまり、年に4000ドルたらず。
 途方に暮れかけたが、明るさが彼に訪れはじめた。出版界の事情が変化したのだ。
 彼がその分野で金と名声を得ようと覚悟していた通俗パ~プ・マガジンの全盛期は終りつつあった。かわってペーパーバック(軽装版)を出す出版社が続出し、それまでハードカバーだった推理小説やSFの版権も奪い合った。外国からも高い値で申し込みが来た。テレビ時代のはじめで、いい原作への需要も高かった。それにプレイボーイ誌をさきがけとする新しい男性専門誌が相ついで創刊され、短篇への稿料に金を惜しまないようになった。

 フレドリック・プラウンはこういった幸運に手伝われて、栄光の人となった。金銭的に恵まれ、通俗への制約を気にしなくてすむようになり、創作の上でも飛躍を示した。
一連のすぐれた推理小説が彼のタイプライターから生れていった。この時の住居はニューメキ
シコ州のタオスだった。フレッドは事を買い、運転を習った。旅行を楽しむためでもあるが、呼吸器系が弱かったので、ひまをみて砂漠地帯に出かける必要もあったのだ。
 作家専業となり、多くの注文をこなすのほ、フレッドほどの才能の主でも、容易なことではなかった。ひねったストーリーと意外な結末で、推理小説とSFの二つの分野でもてはやされたが、アイデアはおいそれと浮かんでくるものでほない。壁にぶつかったような気分におちいると、彼は二、三日の旅行に出かけた。

 車を運転してではなく、長距離バスに乗ってである。行先はどこでもいい。そういった単調な時間のなかに、かえって面白い設定を思いつかせるもののあることを彼は知っていた。つまり、彼の名作のいくつかは、グレイハウンド社のバスが運んできたものといえるわけだ。
 といって、彼の作品のほとんどが、奇抜さだけにたよっているのではない。作家として熟練しており、豊富な体験をふまえ、ものの見方がしっかりしていた。0・ヘンリーは適当なところで執筆をやめ、のんびりと晩年をすごしたが、フレッドはつねに新境地の開拓を心がけていた。
 SFの新境地というと、50年代には科学理論の最先端をいじりまわすか、社会現象の拡大と
いったところが流行だった。だから、反重力や反物質を扱った作品がもてはやされ、広告会社や保険会社に支配される未来社会の構想が、これこそスペキュレーティプ(思索的)な目標と思われたりした。
 フレッドはそうした流れにきっぱりと背をむけていた。彼はシニカルな個性の主で、書き上げた作品が『天の光はすべて星』(別題: 星に憑かれた男) (The Lights in the Sky Are Stars, 1953)。
 この作品は、彼の最上の、最もユニークなもののひとつである。
 最近の若手作家たちは、これこそ現実的と妙な描き方をする。怒れる若き反体制派や、ドラッグ愛好者や、モノセックスなどを登場させ、いかなる哲学的な主題も、愛の一字で割り切れそうに書く。どういうつもりなのか、わからないでもないが。
 しかし、連中は自分で思っているほど、勇ましくはないのだ。十年も前の若者たちの現象を、文字に変えているにすぎない。ただの過去の複製であって、自分自身のイマジネーションで築いた未来ではないのだ。
 『天の光はすべて星』は、そういうたぐいとはちがう。ゆがんだ性も扱われず、人物たちは生きた会話をかわしている。それでいてユニークなのだ。
 この本はアイゼソハウア一大統額の最盛期(1953年)に出版された。当時はSF作家も政界の指導者と大差なく、宇宙開発の開始を理想化し、そのパイオニアとなる若者たちを偶像祝したりしていたが、フレッドは浮わついた夢物語に仕上げず、なまの現実を求めた。
 当時、SFの主人公のほとんどが青年だった。何人かは中年の男も例外的に登場したが、三十五歳ぐらいのべテランとしてである。ところがフレッドの作品の主人公は五十歳をとうに越えていて、当時の若いSF読者は大いにとまどわされただろうが、なんと性的な欲求が強かった。その上、その小説のテーマは宇宙進出のバラ色の未来でほなく、政治家たちのおもわくや、軍部と産業の密着で自滅の道をたどってゆく点にあった。痛烈な皮肉である。そして、いやにリアルな印象を与える。

 それなのに、なぜかこの本は多くの人に好感を持たれた。賞を受けたりベストセラーの上位に入ったわけでもないが、現在でもフレッドのある面を示すものとして注目されている。
たしかに、フレッドは新しいものを試みるのが好きだった。そのころ、ちがった作品も手がけていた。すでに有数の人気作家であり、SF界での新しい驚異となりながら、普通の小説を書こうとしたのだ。奇抜な発想、個性的な人物、ずば抜けたユーモアなど使わず、正攻法で小説を書こうとした。まだ一行も書いてないのに、彼ほもう出来あがったもののように、その内容を私に話したものだ。
 The Offce がその本である。彼の二十代の体験をなかは自伝的に扱ったもので、あまりにまともで、日常的すぎ、面白さに欠けた。作品中のフレッドは、平凡な人物で、殺人どころか暴力もなく、ストーリーにも変化がとぼしく、ウィットもない。どこにでもある現実のオフィス。フレドリック・ブラウン的な娯楽性を期待した読者は、ものたりなさを感じた。

 彼はその冒険は二度とやらなかった。フィクショソを手広く展開した。そのバラエティの豊富さといったらない。高級男性誌からの注文も多かった。世の風潮の変化で、お色気をSFにとり入れても、読者の抵抗はなくなっていた。彼のウィットの範囲はひろがり、ショートショートという新しい形式を確立した。

 1960年には、ワーナ一社が新形式のレコードを出した。「自己観察」という題で、ドンラルクのBGM効果で、ジョニー・ガンが朗読し、彼のいくつかの短篇が吹きこまれている。そのうちの「歩哨」「イメージ」「血」「土人の魔術」「意図」は、彼の奇妙な掌篇のなかでも、とくにすばらしい。
 60年代の初期に、フレッドとべスは西海岸に移住し、サン・フエルナンド渓谷に住居を持った。私はすでに西海岸に住んでおり、また親しい交際がはじまった。一時期、フレッドは映画とTVの世界に関係した。40年代のことだが、あるプロデューサーが、パット・オブライエソ主演の『爆発』という映画の結末のため、彼のストーリーを買いとったこともあった。50年代にも、彼の推理小説『通り魔』が映画化された。そのほか、多くの作品がラジオの電波に乗り、テレビのミステリー・シリーズに使われた。そのシナリオを書くことをやったりした。
 しかし、ご存知のようにハリウッドの方針は営業第一。残念ながら、彼の努力ほ評価されなかった。プ三アユーサーたちのいうプロとは、どんな注文の料理をもすぐ作るお抱えライターのこと。フレドリック・ブラウンは信念のある本物のプロだったのだ。

 そこで.ふたたび作家専業に戻る。ハリウッドは損をしたかもしれないが、読者にとってはそれのほうがよかったのだ。彼でなければ書けないものを、つぎつぎと書いた。かりに彼が短篇「人形芝居」だけしか書かなかったとしても、SF界への貢献度は大変なものだ。しかも、その程度のがたくさんある。そのいくつかほ、この本のページをめくれは現われてくる。はじめて読まれるかたは、よく書いてくれたと感謝したくなるだろう。

 小説そのもののなかに、彼の本質がある。私の知る限り、彼は一度もSFフアン大会に出席しなかった。お祭りの賞もほとんどもらったことがない。作品外でのPRはしなかったから、きわめて多いフアンも、新人も、彼に関しては名前しか知らなかった。しかし読者たちはみなブラウンのすぐれた作品群にきわだっている特徴、皮肉なユーモアや、時にはアンプローズ・ピアスを連想させるアイロニ-を賞賛するようになる。それだけでなく、彼ほただの風刺や痛烈な皮肉にも、遊びの要素の味つけを加え、奥行の深いものにした。その上、会話のやりとりのむりのなさ、人物の個性の異色さ、結末のみごとさとなると、面白さとともに感動も伝わってくる。
 彼についてのあらましは、以上である。フレッドの呼吸器系の持病はしだいに進み、60年代のなかばにはタクソンに転地しなければならなくなり、1972年3月11日にこの世を去った。
 私たちの仲間、彼と親しくつき合えた幸運な着たちほ、彼の死を悼み、惜しんだ。しかし、彼の作品を読む幸運な読者は、今日においても書いてくれたことに感謝しつづけるだろう。
 本書は彼の全作品ではない。これをきっかけとし、ほかの作品も読んでいただきたい。彼は全作品に、努力、経験、ウィット、人生観、知識、発想、真実、フィクション、喜び、失望など、自己のすべてをつぎ込んだ。その作家としての人生そのものが『フレドリック・ブラウン傑作集』なのである。

1 闘技場 (Arena)
2 イメージ (Imagine)
3 事件はなかった (It Didn't Happen)
4 忠臣 (Recessional)
5 アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク (Eine Kleine Nachtmusik (with Carl Onspaugh))
6 人形芝居 (Puppet Show)
7 黄色の悪夢 (Nightmare in Yellow)
8 最初の接触 (Earthmen Bearing Gifts)
9 ジェイシー (Jaycee)
10 狂った星座 (Pi in the Sky)
11 回答 (Answer)
12 ギーゼンスタック一族 (The Geezenstacks)
13 鏡の間 (Hall of Mirrors)
14 ノック (Knock)
15 反抗 (Rebound)
16 星ねずみ (Star Mouse)
17 雪女 (Abominable)
18 不死鳥への手紙 (Letter to a Phoenix)
19 任務完了 (Not Yet the Eind)
20 エタオインさわぎ (Etaoin Shrdlu)
21 おそるべき坊や (Armageddon)
22 実験 (Experiment)
23 タイムマシンのはかない幸福 (The Short Happy Lives of Eustace Weaver)
24 和解 (Reconciliation)
25 シリウス・ゼロ (Nothing Sirius)
26 意図 (Pattern)
27 ユーディの原理 (The Yehudi Principle)
28 さあ、気ちがいになりなさい (Come and Go Mad)
29 終 (The End)

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お待たせしました。フレドリック・ブラウンの、フレドリック・ブラウンによる、フレドリック・ブラウンのためのフレドリック・ブラウン・オン・ステージであります。何はともあれ表紙ウラなどにくだくだしく紹介の労をとるバヤイでもありませんので、まずはメロメロにして過激なるオマージュを舌がもつれるまでしつこくやっておきたいわけです。では…百花繚乱面白全部純情可憐舐猫千匹百発百中異常接近抱腹絶倒深慮遠謀真実一路地上最強七転八倒容姿端麗八面六臂満員札止連勝複式順風満帆満身創痍秘写本物見本進呈大胆不敵勇猛果敢繊細巧緻反則攻撃優柔不断極秘情報横田順彌醇風美俗獣肉惨夢豪華絢爛純血教育換骨奪胎星新一(ま、これは書肆からのヨイショでありますが、一息ついてと)家内安全一家心中春風駘蕩極限状況金銭感覚針小棒大気宇壮大反帝反スタ酒池肉林の華麗なる華麗なるカレエなるアイデアの色事師フレドリック・ブラウンの傑作集!!

復刊されることを望む「フレドリック・ブラウン傑作集」星新一:訳である。

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