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2011年8月18日 (木)

第八章 感情の意味と知性の意味

 自然主義の写実論は、世界をその存在のままに於て、少しも主観に於ける選択をせず、物理的レンズの忠実さで書けと言った。勿論彼等の芸術論は、当時の浪漫派の文学――それは偏狭な道徳観と審美観とで、あまり多くの選択をしすぎた、――に対する反動として言われたもので、その限りに於ての啓蒙的意義を有する。しかしこうした写実論から、その啓蒙的意義を除いて考えたら、世にこれほどセンスの欠けた思想は無かろう。なぜなら主観に於ける選択なくして、いかなる認識も有り得ないから。畢竟、認識するということは、この混沌無秩序な宇宙について、主観の趣味や気質から選択しつつ、意味を創造するということに外ならない。
 故に人間によって見られた世界は、それ自ら「意味としての存在」である。そして「価値」とは、意味の普遍に於ける証価を言う。あらゆる人間文化の意義は、宇宙に於ける意味に於て、真善美の普遍価値を発見することに外ならない。されば道徳と言い、宗教と言い、学術と言い、芸術と言い、一切にわたる人間文化の本質は、結局して意味の最も深いものを、その普遍的証価に於て発見し、人生に一の創造をあたえることにかかっている。
 では意味の最も深いものは何だろうか。主観的に考えれば、意味とは気分、情調である。人が酒に酔ってる時、世界は意味深く感じられる。恋をしている時、世界は色と影とに充ち、到るところに意味深く感じられる。そして道徳や正義感に燃え立ってる時、或は宗教的な高い気分になってる時、すべて人生は意味深く、汲めども尽きないものに感じられる。そこで主観に於けるこれ等の気分を、逆に呼び起してくるもの、即ち感情の高空線に音波を伝え、心の電気を誘導させてくれるものは、すべて、意味としての認識価値があるものである。然るにこれ等の気分感情は、すべて心を高翔させ、浪立たせ、何等か普遍に向ってのひろがりを感じさせるところのもの、即ち美学上の所謂「美感」に属するもので、普通の私有財産的な無価値の感情、即ち美学上の所謂「実感」とちがうのである。実感には意味の感なく、私人的にしか価値がないのに、美感は普遍的のものであって、広く万人の胸に響をあたえ、かつ表現への強い衝動を感じさせる。一般に宗教感、倫理感、及び芸術的音楽感の本質が此処に存することは言うまでもない。

 この「実感」という語は、今日の文壇で「体験」とか「生活感」とかいう意味に転用されている。だがこれを当初に使ったのは自然主義で、美学上の原意に用いられていた。即ち当時に言われた「実感で書け」の意味は、美的陶酔のない感情、プロゼックな現実感で書けの意味だった。
 文壇に於ては、今日この言語が転化してしまったけれども、一般の社会に於て、尚しばしば原意のままで使用されてる。例えば裸体画問題等について、警察官が言う「実感を挑撥する」等がそうである。

 かく一方から考えると、意味の深さは感情の深さに比例し、より情線に振動をあたえるものほど、より意味の深いものである。然るにまた一方から、客観の立場に於て考える時、意味の深さは認識の深さに比例する。より深く真実にふれ、事物や現象の背後に於て、普遍的に法則するものや、或はその科学的真理の上に於て、さらに法則を法則する一切の根本原理にふれた時、吾人はそれを意味深長と云う。この場合の「意味の感」は、言うまでもなく合理感で、理性の抽象する概念であるけれども、理性が理性自身として、直接に意味の感を伝えるものは、芸術上に於ける直感的理性)であって、それの認識が深いものほど、直感的に意味深く感じられる。そしてこの直感的理性は、その概念性の有無を除いて、本質には科学や哲学の認識と同じことで、常に事物と現象の背後に於て、或る普遍的に実在するもの――即ち自然人生の本有相――を、観照の面に映し出そうと意図している。
 かくの如く「意味の深さ」は、一方では感情によって測量され、一方では理性によって測量される。しかし理性が理性自身として、意味を測量することはできないだろう。意味は一つの「感じ」であって、広い意味の感情に属する故に、所詮言えば一切は、主観上での測量に帰してしまう。けれども「感情的な意味」と「知性的な意味」とは、たしかにその意味に於ける、感じの色合や気分がちがっている。例えば吾人が、音楽に酔って人生を意味深く感ずる時と、アインスタインの相対性原理を始めて学んで、世界の新しい意味を感じた時と、同じく「意味の感」ではあるが、その感の色に相違があり、どこかに特別のちがいがある。そしてこの「意味の感」に於ける解釈の相違から、実にプラトンとアリストテレスが別れたのだ。
 プラトンとアリストテレス、哲学上に於ける浪漫主義者と現実主義者の差別については、既に他の章でも述べたけれども、此処でさらに根本の本質に触れねばならぬ。肝腎なことは、プラトンとアリストテレスが、本質に於て全く一致しているということである。彼等は共に形而上学者であって、現象の背後に実在する、一の本体的なるものを求めた。ただ異なるのは、前者の態度が瞑想的、哲学的であったに反し、後者の態度が経験的、科学的であったことだ。換言すれば、前者が時間の「観念界」に於て、直ちに瞑想から達しようとした実在を、後者は空間の現象界から、物質の実体を通じて見ようとした。しかも究極に於て、二人の見ようとしたものは一であり、ひとしく形而上の実在だった。にもかかわらず、何故にあの悲痛な師弟は、最後に喧嘩をしてしまったのか。けだしこの悲劇は、弟子が師の「詩」を理解し得ず、師が弟子の「散文」を読まなかったという、気質の避けがたい運命にあったのだ。
 プラトンについて思惟されるのは、何よりも彼が詩人であったということである。彼に於ては、冷たい、氷結した、純理的のものを考えることができなかった。彼のイデヤは詩的であり、情味の深い影を帯びた、神韻縹渺たる音楽である。これに反してアリストテレスは、気質的の学者であって、古代に於ける典型的の学究である。彼には詩的な情趣が全く無かった。故に彼の哲学した実在は、純然たる理智的の概念であり、冷たい、没情味の、純学術上の観念だった。即ち換言すれば、アリストテレスの観念は純理的の意味であって、プラトンのそれは宗教的の意味である。プラトンにあっては、イデヤが感情の中に融かされ気分の情趣ある靄でかすんでいる。故にアリストテレスの純理を以て、これを理解することは不可能だった。そこでは感情と智慧が融化しており、分離することができないのだ。
 このプラトンの観念こそ、それ自ら文芸上に於ける主観主義者のイデヤであって、またその観照に於ける法則である。前章に述べたように、主観主義者の観照は、常に感情と共に働き、感情の中に融化しており、主観と分離して考えられないところの、情趣の温かいものである。これに反してレアリズムの客観主義者は、智慧の透明さを感覚しつつ、観照を意識しつつ観照している。故に彼等は、それの透明を暈らすところの、すべての主観的なもの、情感的なものを追い出してしまう。彼等はアリストテレス的没主観の認識で、事物の本相に深く透入しようと考えている。
 だから主観派と客観派とは、結局言ってそのイデヤする「真実」の意味がちがうのである。一方は宗教感的に、情感の線に触れる実在を求めているのに、一方は純粋に知的であり、観照的に明徹した真実を探している。したがって両派の「真実」に関する意見は、いつもこの点で食いちがってくる。かの自然派が浪漫主義を非難したり、写実主義が空想的文学を虚偽視したりするのは、畢竟客観主義の意味によって「真実」を解するからで、プラトンの不幸な弟子、アリストテレスが師を理解し得なかったと同じである。もしプラトンの立場で見れば、どんな観照に徹した写実主義の文学すら、その真理の深さに於て、感傷的なる恋愛詩の一篇にすら及ばないのだ。故に賢人パスカルはこれを言った。曰く、*感情は理智の知らない真理を知ってると。

* パスカルの言葉は、長く人々に神秘視された。なぜなら「知る」ものはすべて知性であるのに、感情が理智の知らないものを知るというのは、眼なくして物を視る不思議であるから。しかしパスカルの言う意味は、そうした無智の感情を指すのでなくして、智慧の認識と共に融け合ってる感情――即ち主観的態度の観照――を指しているのである。

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