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2011年8月14日 (日)

第七章 情緒と権力感情

 吾人が普通に「感情」と言ってるものは、気分色合を異にしているところの、二つの別趣のものを包括している。一つは所謂「情緒」であって、優雅に、涙もろく、女性的な愛情に充ちたものである。これに対して他の一つは、男性的な気概に充ち、どこかに勇気を感じさせ、或る高翔感的な興奮を伴うもので、普通に「意志的感情」もしくは「*権力感情」と呼ぶものである。
 そこで人間のすべての詩は、所詮この二つの感情の中、何れかを発想するものに外ならない。古来歴史上に於けるすべての詩は、これによって情操の分類から、判然として二つの者に別れている。即ち前に他の章で言ったように、古代希臘の詩界に於ける、「叙事詩」と「抒情詩」との対立がこれである。叙事詩はホーマーのイリアッドが代表し、抒情詩はサッホオの恋愛詩が代表している。そして前者が、かの歴山大王やシーザアやの、古代の英雄によって愛誦され、彼等の少年時代に於て、早くそのヒロイックな権力感情を養成した時、後者はより民衆的な青年の間に読まれ、幾多のセンチメンタルな恋愛主義者を養成した。そしてこのホーマーとサッホオとの対立が、後に文芸復興期に移ってから、さらにダンテやミルトンの荘厳な神曲叙事詩と、一方にペトラルカやボッカチオ等の、民衆的な情痴抒情詩の対立になったことは、前に同じ章で述べた通りである。
 実にこの叙事詩と抒情詩の対立は、人間に於ける二つの感情――情緒と権力感情――との二大分野を示すもので、人文の歴史がある限り、たといその形式は変貌しても、実質的には何等かの新しき様式で、不易に対立すべきものである。しかしながら時代と文明の変移によって、或る時には一方の者が「正流」となり、他方のものが「反動」となることが珍らしくない。そしてこの場合に、反動の地位に置かれたものは、その表面の意志を抑圧される結果として、或る変形したる、歪みたる、逆説的なる、寓意的なる、一の「憎々しきもの」として、それの歪像を映すのが普通である。後の章に説く近代の立体派や、表現派の詩が、その同じ精神の系統に属している。だがこの解説は後に譲り、こうした詩的情操の投影さるべき、表現の形式について考えよう。
 感情の南方地帯に属するもの、即ち所謂「情緒」は、それ自ら愛の本有感である故に、博愛や人道やの、すべての柔和なる道徳情操を基調している。この感情の本質は涙ぐましく、甘くスイートな気分に充ちてヴァイオリンのようにメロディアスのものである。故にその発想の形式は、必然に柔軟可動体なる、メロディアスの自由主義を欲求する。これに反して一方のもの、即ち意志的なる「権力感情」は、すべてに於て力のある、骨組みのがっしりとした、拍節の正しいリズミカルの美を求める。そしてこの精神から、古代の芸術に見るクラシズムが発生したのである。此処でクラシズムについて一言しよう。
 クラシズムとロマンチシズムとは、実に芸術における北極と南極で、世界の終る両端である。浪漫主義の本有感は、愛のメロディアスな情緒感で、柔軟可動の自由を愛し、内容を本位とするものであるのに、クラシズムは情緒を排し、感傷的気分を嫌い、そして均斉、対比、平衡、調和等の、数学的法則による形式を重要視する。クラシズムの表現が欲するものは、何よりも骨骼のがっしりした、重量と安定のある、数学的頑固を持った、言わば「物に動ぜぬ直立不動の精神」である。それは一切の弱々しいもの、柔軟のもの、骨組みのぐにゃぐにゃしたもの、女らしく繊弱なものを跳ね飛ばすところの、男性的ストアの美を要求する。故にクラシズムの精神は、正に「独逸軍隊の行進」である。どっしりとして大地を蹈みつけ、歩調に力があり、数学的正確の規律を以て、真にリズミカルに堂々と行軍する。
 こうしたクラシズムの精神は、正に権力感情の表象であり、すべてに於て貴族的な尊大感を誇示している。即ち本質的に形式主義で、勿体ぶった威権を重んじ、そして何よりも「荘重典雅」の美を重視する。故にクラシズムの芸術は、すべて歴史の上古から中世にかけて栄えた。その歴史の時代に於ては、君主が専制的に国家を支配し、或は貴族が政権を独占し、武士が封建の社会を形成していた。そして多くの芸術品は、君主や貴族の栄誉のために、その権力感の悦びを充たすべく製作された。然るに近代の平民的な社会に至って、この種の芸術は根本的に廃ってしまった。近代の新しき趣味性は、かかるクラシズムの美を悦ぶべく、あまりにデモクラチックな自由主義に傾向している。
 此処に於て吾人は、先に前の章で暗示しておいた一つの宿題、即ち近代に於ける古典韻文の凋落を、真の原因について知ることができるのである。あの上古から中世の終にかけて、巨獣のように横行していた古典の叙事詩や劇詩の類は、何故に近代の初頭に於て、一時に消滅したのであろうか。けだしその真因は、近代に於ける資本主義文明の発達にある。実に十八世紀以来に於て、急激な進歩をした欧洲資本主義の文明は、一躍して平民の社会を造り、過去のあらゆる貴族的なものを葬ってしまったのである。社会はデモクラチックになり、自由主義になり、そして時代思潮の傾向は、常に到る処に平和主義や、人道主義や、博愛主義や、社会主義やの、所謂文化的女性化主義へ潮流している。さればかかる社会に於て、古典韻文の如き形式主義の文学が、流行の外に廃棄されるのは当然である、特に就中、叙事詩の如き貴族趣味に属するものは、時代の来る先鋒に於て死刑にされる。
 近代文学の黎明は、実に浪漫派の情緒主義によって開かれている。それは資本主義の平民文化が精神する、あらゆる反貴族的、反武士道的なものを表象している。換言すれば浪漫派は、クラシズムの形式主義に反感する、一切の自由主義的精神を代表している。すなわち彼等の新しい詩は、何よりも先ず情緒を重んじ、恋愛を讃美し、そして形式上には、古典詩学の窮屈な拍節本位に反対して、より自由でメロディアスな、内容本位のスイートな音律を創見した。何よりも彼等は威権ぶったもの、四角張ったもの、形式ぶった窮屈のものを嫌った。そして浪漫派の精神が流れるところは、遂に象徴派を経て詩の形式を全く破壊し、一切のリズミカルな音律に反感して、純粋にメロディアスな自由律の詩、即ち今日の所謂「自由詩」を生むに至ったのである。自由詩は実に資本主義の産物で、平民文化のデモクラシーを代表している。
 しかしながら前言う通り、人間に於ける叙事詩の精神と抒情詩の精神とは、常に何等かの形に於て、永久に対立すべきものである。この点では、いかに近代の文明が女性化主義に潮流しても、人心の底にひそむ不易の本能を殺し得ない。彼等は何等かの形に於て、人の気附かない意想外の変装をし、手に爆弾をかくして「反動」の窓に覗いている。そして他の多くのものは、より露骨に正面から時代への逆流的形式を取るであろう。
 これによって前言う如く、今日でも尚自由詩と定律詩とは、欧洲に於ける詩界を二分しているのである。即ち平民的な情操を有する詩人は、多く皆自由詩に行き、貴族的な権力感を有する詩人は、概して皆定律詩に拠っている。けだし貴族的な精神は、本質的にクラシズムで、骨骼のがっしりした美を求めるからだ。彼等の趣味に取ってみれば、自由詩は軟体動物のようなもので、どこにもしっかりした骨組みがなく、柔軟でぐにゃぐにゃしているところの、一の醜劣な蠕虫類にすぎないだろう。反対に一方の眼でみれば、定律詩は形式的で生気がなく、時代の流動感を欠いているように思われる。

* 「権力感情」という言語を、始めて強いアクセントで語ったものは、実に独逸の貴族主義者ニイチェである。ついでながら言っておくが、虚無主義の本質は、「権力を否定する権力感情」で、言わば「貴族を殺そうとする貴族主義」である。逆にニヒリズムは近代の逆説された叙事詩思想で、著者の所謂「変装した陰謀者」「歪みたる憎々しきもの」の一つである。

 独逸音楽と南欧音楽の特色は、エピカルとリリカルとの、最も典型的な好対照である。独逸音楽の特色は、すべてに於てリズミカルで、拍節が強くはっきりとし、軍隊の重圧的な歩調のように、重苦しくどっしりしている。反対に仏蘭西や伊太利の音楽は、メロディアスの美しい旋律に充ち、柔軟自由にして変化に富んでいる。前者は正しく定律詩の音律美で、後者は自由詩の音律美である。

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