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2011年9月19日 (月)

丹下段平

ドヤ街に来てからは毎日酒を食らうホームレスとなっていた。また、酒を買うために自分の血も売っていたという。しかし、今まで人生をささげてきたボクシングだけは忘れられず、まわりからは拳吉おやじと言われていた。丹下段平が酒を飲んで酔っ払って公園の階段に寝転んでいたある日、ある少年が彼を踏みつけた。その少年は惚れ惚れするバネと、パンチ力で丹下段平を圧倒した。彼はその少年を大変気に入り、「ボクシングをやらねえか。」と誘った。その少年こそ矢吹丈である。http://www.geocities.jp/takahajime2003/eiga-jyo-tange-danpei.html

110826052

少年院から、再びドヤ街に戻ったジョーに丹下段平は言う。
「この橋はな、人呼んで泪橋という。いわく…、人生に破れ生活に疲れ果てて、このドヤ街に流れてきた人間たちが、涙で渡る悲しい橋だからよ。」
「だが、今度はわしとお前とでこの泪橋を逆に渡り、あしたの栄光を目指 して、第一歩を踏み出したいと思う。分かるかい。ワシの言うとる意味が分かるかいジョー。」

※荒川区と台東区の境にある「泪橋」界隈の簡易宿泊所が密集する地域を『山谷』と呼んでいる。江戸時代の二大処刑場は「小塚原刑場」「鈴ヶ森刑場」があった。小塚原刑場跡の近くの思川(おもいがわ)にかかっていた橋。罪人にとってはこの世との最後の別れの場であり、家族や身内の者には、処刑される者との今生の悲しい別れの場。お互いが橋の上で泪を流した「泪橋」。近くに「遊女三千人ご免の場」吉原と遊女の投込み寺(浄閑寺)とがあった。現在は川は埋められ、交差点やバス停の名称に名残がある。

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