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2012年4月30日 (月)

井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)

本書は平成8年11月に岩手県一関市で開催された井上ひさし氏の「作文教室」の記録である。
「わたしも書く時間が残り少なくなってきました。あと十年も書ければと考えたり、できたら、十三年、あと十四年は、と考えたりしますが、十五年は持たないと思っています。」
この偉大な作家に触発されて紡がれた珠玉の「作文」が並んでいる。朱筆を介した作家と受講者との交感は、圧巻。至福の交流。作家が素晴らしい教育者でもあったことが熱を伴って伝わってくる。

一時間目・・・作文の基礎基本
二時間目・・・日本語の急所をざっくりと講義
三時間目・・・良い書き手、良い読み手への架け橋
四時間目・・・代表生徒二十六人の四百字作文を発表と添削 

・作文の秘訣は自分にしか書けないことを、分かりやすく書くこと。

・文章を曖昧にするのが「~か」

・題名を付けることで1/3以上終わっている。いい題名とは情報が豊かである。

・なるべく短くする。

・いきなり核心にはいることが大切。

・日本語は主語を削ると良くなる。

・日本語には関係代名詞がないので、文をちょっと複雑にすると短期記憶に入らない。

・外国語では丁寧さを表すのに人称を変える。

・先触れの副詞を使うと効果的(さぞ、かならずしも、けっして、ちっとも)

・長期記憶の中からとんでもない物が、ひゅっと出てくる。

・わたしたちは民族として長期記憶が少ない。

・全体のテーマからそう外れずに脱線する。

・子供には観察文とか報告文を書かせる。感想文では駄目。

・人に伝えるには言葉が必要。

何かと目立つ、リアルな脱線。
学生時代に先生が担当科目とは違う話題を引っ張り出して、それが妙に面白くて記憶に残ってる、そんな経験が何方にもあると思います。「わたしたちは民族としての長期記憶が少ないんです。貧しいんです。」という。
アメリカと比べると、日本では身体の部位についての名詞と成句が曖昧、言語と国民性の相関。

2012年4月29日 (日)

伊勢神宮

Mieise

2012年4月27日 (金)

伊勢神宮の構造はイスラエル神殿の雛型

旧約聖書に書かれているソロモンの大神殿は、日本の天照大神を祀る伊勢大神宮と似ている。伊勢神宮の土地と建物の構成と、イスラエル神殿の聖所と至聖所に相当する拝殿と本殿がある。

日本の神社の手水舎とイスラエル神殿の青銅の海と呼ばれる洗盤とが、禊の場として対応がみられる。神体が八咫鏡で仏教のように偶像を拝まないことも、石に刻んだ十戒が入っている契約の箱を至聖所に安置したイスラエル神殿に似ている。

古代日本にはイスラエル人が来ていたとする説がある。契約の箱を担いだイスラエル人と、今日もお祭りでおみこしを担ぐ日本人との間に類似点がある。だが伊勢神宮に祭られている天照大神は、「神々の中の最高の神」ではなく、聖書の神のような唯一絶対の創造神でもない。天照大神が日本国民の象徴である天皇の祖先神であり総理大臣や政治指導者たちが参拝して国民の信仰を集めていることにも疑問があると歴史研究者たちは思う。

天照大神は高天原リーダーで、名前が示すように太陽神ともされていた。
伊勢神宮の起源は、垂仁天皇の皇女倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求めて諸国を旅して、伊勢国内の五十鈴川の畔に鎮座を行ったとされている。

『古事記』によると、イザナキがイザナミのいる黄泉の国から生還して、黄泉の穢を洗い流した際に左目を洗ったときに化生した。このとき右目から生まれたツクヨミ、鼻から生まれたスサノオと共に三貴子という。

イザナキは天照大御神に高天原を治めるように指示して日本書紀では、
「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、これ、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治せ、行契。宝詐の隆えまさむこと、まさに天壌と窮り無けむ」と記される。

「天壌無窮の神勅」を受け、三種の神器をたずさえて、ニニギ尊は「葦原の千五百秋の瑞穂の国」に天降り、日本の王となった。天孫ニニギ尊に日本の王権を保証している神が、歴代の日本国天皇の祖洗神で日本人の主なる神ともいわれるアマテラス大神。この筋書きは天皇支配に人々を納得させる根拠を与えようとして、意図的に作られたという古代史研究もある。意図的に編纂された古事記や日本書紀にあるアマテラス神の神格。

聖書では神によって創られた人間たちを、遠大な計画と目的を持って、人類の長い歴史を通じて導かれたという。イスラエルの神殿においては、契約の箱の前でなされたダビデやソロモンの祈りで明確に示された政治神学がある。(歴代誌下5-7章)

伝統しきたりにおいてはイスラエルの文化と多くの共通点がある
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=59

2012年4月26日 (木)

イザナギ・イザナミは日本列島をモデルとして世界の大陸の島々を生んだ

北海道=北米大陸
本州=ユーラシア大陸
中国地方=ヨーロッパ
瀬戸内海=地中海
四国=オーストトラリア大陸
九州=アフリカ大陸
房総半島=朝鮮半島
紀伊半島=アラビア半島
能登半島= スカンジナビア半島
佐渡島=ノバヤゼムリャ

インドは移動してユーラシア大陸と合わさり、地殻変動でが聖地エベレストが隆起。
インドに相当するのは伊豆半島。プレートの移動で本州に合わさった島。
地殻変動で隆起した富士山という聖地。

伊勢=イスラエル
ラエルとは「輝かしい」意味の接尾語。
輝かしい伊勢
伊勢神宮をたたえる意味?
伊勢神宮のそばには五十鈴川があります。
イスラエル川にあたるのかな?

2012年4月25日 (水)

約束 The Assignation

エドガー・アラン・ポー
訳:李 三宝 <ICG01127@nifty.com>

© 2002 李 三宝
 本翻訳は、この版権表示を残す限りにおいて、訳者および著者に一切断ることなく、商業利用を含むあらゆる形で自由に利用・複製が認められる。

追悼

  この地にて我を待たなむ!
  空ろなるこの狭間にて、我、必ずや君とあい見む
     (妻の埋葬に立ち会って。 詠人 チチェスターの司教 ヘンリーキング)

 何という謎を秘めた不仕合わせな人よ! 己が魂の輝きに戸惑い、燃え立つ青春の炎で己が身を焼き崩してしまうとは! いま一度、空想の世界で君の姿を捉えよう! 再び私の前に君が立ち現れるのだ! 否、冷たく陰鬱な谷底に眠る今の姿ではない。君のベニス、幻の如きその街で、 壮美な世界に浸り続け、意味もなく日々を過ごしていた日の真実の君の姿だ。ベニスは天に愛でられし海の桃源郷、だが、運河に面して建つパラディオン様式の館の広い窓は、静かな流れに隠された秘め事を、耐え難く計り知れない思いで見下ろしている。そうだ!もう一度言おう。君の真実の姿と。確かに、この世界とは違う別の世界がある。 多くの凡人達の思想とは相容れない思想があり、詭弁家の理論とは異なる理論があるのだ。そうならば、一体誰が君のふるまいに異論を差し挟むことができようか? 空想の世界に参じている君を誰が責め、それに明け暮れる生き方など人生の浪費だ、尽きることを知らない精力が全て溢れ出ているだけなのだ、と誰が君を非難できよう?

 私がいま話している人物に3度目か4度目に会ったのはベニスの溜息橋と呼ばれている屋根付きの橋の下でした。その時のことを思い出そうとしているのですが、別の記憶と入り交ざって混乱してしまうのです。でも、覚えているのは、ああ!そうですとも、どうして忘れられるでしょう? 暗黒の夜、美しき女人、「溜息橋」、狭い運河を上がったり下がったりゆっくり忍び寄る「恋の守り神たち」のことを。
 その日は、いつになく暗い宵でした。サンマルコ広場の大時計はイタリアの日没を知らせる第5時の鐘をとっくにならし終えていました。 鐘楼のある広場には人の姿は全く見えず、静寂に包まれていました。デュカーレ宮殿では燈火が次々と消されていきます。私はグランドカナルを経由して、サンマルコ広場の横を流れる水路を通って家路を辿っていました。私の乗ったゴンドラがサンマルコ運河の入り口とは反対の方に来たとき、その先の方から不意に女性の悲鳴が夜の闇を切り裂いたのです。狂気じみた長々と続く金切り声。私はびっくりして思わず立ち上がり、ゴンドラの船乗りは一本しかない櫂を手から滑り落としてしまい、行方がわからなくなり、取り戻そうにも黒一色の闇の中では為す術がありませんでした。こうして私達は、広い運河から狭い運河に流れ込んでいく水の流れに身を任せることになったのです。それはさながら、黒い羽をした大きなコンドルのように、ゆっくりと溜息橋の方に漂っていきました。と、おびただしい数の松明の明かりがデュカーレ宮殿の窓という窓、階段のあちこちで瞬き、にわかに暗黒の夜が土気色を帯びた異様な明るさに変わったのです。 幼児が母親の腕をすり抜けて、最上階の窓から深く薄暗い運河に転落してしまったのです。穏やかな水面は、哀れな犠牲者を呑み込むと静かにその口を閉じてしまいました。あたりに見えるものといえば私の乗ったゴンドラだけで、すでに水の中には勇猛果敢な男達が運河の流れに身をたゆたいながら、水面をいたずらに探し回っていました。でも、最愛の愛し子の姿は、ああ、神よ! 水の底以外には見つかるはずもないのです。デュカーレ宮殿の玄関に敷き詰めてある幅広の黒大理石の上、水際から数段上がったところにたたずんでいる人の影がありました。今宵、その姿を見た者は生涯忘れることはできないでしょう。その人こそ、ベニスの市民が熱愛してやまないアフロディテ公爵夫人なのです。豪華絢爛な中にあってもなお一層艶やかであり、ベニスに居並ぶ美しい令嬢、貴婦人達の中であろうと、ことさら人目を引く美しさを備えた人、でも今は、年老いた策士メントーニ公爵の若婦人であり、運河の淵に沈んだ初めてのひとり子、愛くるしい幼子の母親なのです。幼子は今、苦しい息の下、母親のやさしい愛撫を思い、もがき苦しみながらも母の名を呼び、その短い一生を終えようとしているのです。 銀白色を帯びた婦人の小さな素足が、足下の黒大理石に映って鈍い光を放っていました。寝支度のため、夜会用に結い上げた髪は半分ほどいただけで、無数のダイヤをちりばめた束ね髪はヒアシンスのつぼみのように緩やかにねじれて、婦人の古風な顔を取り巻いています。 華奢な体に羽織っているものといえば、雪のように白い紗の掛け布だけのようです。夏も盛りの深夜の大気は熱っぽく、むっとして静まりかえり、婦人自らも彫像になったように身動き一つせず、霞がかかったような紗の掛け布でさえ、ナイオビの纏うずっしりと重い大理石の衣のように、ひらりとも揺れません。 しかし、これはまた何と不可解な! 婦人の大きな輝く眼は、かけがえのない我が子が眠っている水底の墓場ではなく、全く違う場所に注がれているではありませんか! 思うに、ベネティア共和国時代に建てられた牢獄の威風堂々としたたたずまいはベニスでも他に類がないとはいえ、たった一人のわが子が自分の足下で死にかかっている時に、どうして牢獄などを一心不乱にみつめることができるのでしょう? 彼方に見える暗く陰気な壁がんは、婦人の寝室の窓の真っ向で大きな口を開けています。その暗がりの中に、その建物の中に、蔦のはいまわったいかめしい軒蛇腹の中に――メントーニ公爵夫人が今まで何度となく目にして、いぶかしいと思う所など何処にもありはしないのに、一体全体そこに何が見えたというのでしょう? いや、何と馬鹿げた妄想でありましょう!こういうとき、人の眼というものは、割れた鏡のように我が心の悩みを幾重にも映しだし、数え切れないほど遙か先にある場所に我が身の不幸を見いだすということぐらい誰でも覚えがあるはずではありませんか。
 公爵夫人の立っている場所から数段あがった水門のアーチの下に、森の神サティロスさながらのメントーニ公爵が正装姿で立っていました。公爵は、我が子の救出に時折、指示をだしたりするかと思えば、不意にギターをつまびきだしたり、見るからに退屈極まりないといった様子でした。
私はあまりに驚いて茫然自失となり、最初に聞いた悲鳴で棒立ちになったまま、その姿勢を崩すことにまで気がまわらなかったのです。子供の救出に躍起になっている人たちから見れば私の姿は奇怪な死に神に映ったことでしょう。顔面蒼白で四肢を強ばらせ、葬式用のゴンドラに乗って漂いながら彼らの中に入っていったのですから。
 子供を救い出そうという努力は全て無駄におわりました。子供の姿を必死に探し求めていた多くの人たちは捜索の手をゆるめたのですが、表情には深い悲しみの色が現れていました。子供が助かる望みはまず、ありません。(落胆した母親のなんと哀れなこと!) が、このとき、すでに申した通り、共和国時代の牢獄の一部であり、公爵夫人の寝室の格子窓と向かい合っているあの暗い軒蛇腹の背後から、外套を纏った人影が松明の明かりで照らされているところまで歩み出ると、目の眩むような断崖絶壁の淵で一瞬立ち止まったかと思いきや、あっという間に運河めがけて飛び込んだのです。ものの数分もしないうちに、まだ息のある子供を腕に抱きかかえ、公爵夫人のかたわらの大理石の敷石の上に立ったのです。水にぬれてずっしり重くなった外套は、結び目の紐がほどけて足下に折り重なって落ちてしまい、仰天している見物人達にこの若者のしなやかな身体を知らしめることとなりました。この青年の名は、当時、ヨーロッパの隅々にまでとどろいていました。 子供を救って現れた青年は一言も言葉を発しません。それよりも、公爵夫人のほうです!今、我が子を受け取り、胸にしっかりとかき抱いて、そして小さな体を二度と離さないようにしっかり掴んで、息苦しくなるほどの愛撫を与えるはずです。ところが、何ということでしょう! 別の人間の腕が不意に現れた青年から子供を取り上げ、人目につかないように、遙か彼方の館のなかに連れ去ってしまったのです。そして公爵夫人は!その唇、美しい唇が震えています。眼には涙があふれているのです。その両目はプリニウスが形容したハアザミのように「柔らかくうるんで」いるのです。そうです!両目に涙があふれ、そして、ご覧なさい! 身も心も打ち震えているではありませんか。彫像に血が通い始めたのです。大理石のように蒼白な顔色に、大理石のような胸のふくらみに、大理石のような白い足に、せき止めることのできない深紅の潮の流れがそれらを一瞬にして朱に染めていくのをまのあたりにしたのです。そうして、ナポリのそよ風が草原に咲く鮮やかな銀白色の百合を揺らすように、婦人の華奢な身体も微かに揺れているのです。
 何故、婦人の頬が紅くなったのか? と、問うてみても答えなどわかるはずもありません。ただ、恐怖におののき、一刻も早く駆けつけたいという母親の気持ちと、人目をはばかる私室を出たとき、はきもののことなど眼中になく、優雅なひだのよった柔らかなベネシャンの肩掛けを羽織るという女性の嗜みも全く頭から離れてしまっていただけなのかもしれません。それ以外に婦人が顔を赤らめたどんな理由がありましょう? 狂おしい程に情のこもったあのまなざしは? 常とは違う胸の高まりは? メントーニ公爵が館に戻っていったとき、偶然、婦人の手が青年の手に重なり、その途端、あの震える手で思わず握りしめたのは一体全体どういうわけがあるのでしょう? 別れ際に低い声ですかさず青年に言った不思議な言葉、「あなたが征服したのです」 彼女はこう言った、いや、それとも、水のさざめきでそう聞こえただけかもしれません。「あなたが征服したのです。日の出の一時間後にお会いしましょう。きっとですよ」
 やがて騒ぎもすっかり収まり、館の灯も消えてしまうと、この正体不明の青年は、といっても私には誰なのかわかっていますが、敷石の上に一人ぽつんと佇ずんでいました。思いもかけぬ言葉に興奮して震えていたのです。そして時折、ゴンドラを探して、運河の水面に眼を走らせていました。私は自分のゴンドラに同乗させる他ないと思い、声をかけてみたところ、青年は非常に恐縮して私の申し出を受け入れてくれました。水門でなくした櫂を見つけ拾い上げ、私達のゴンドラは青年の館の方へ向かってこぎだしました。すぐに、普段の青年らしくなり、お互いに知らぬ仲ではないことを二人とも親友のような口振りで話し合っっていきました。
 さて、ここで些細なことではありますが、私の楽しみとして語っておきたいことがあるのですが。この見知らぬ青年、と呼ぶことにしましょう。読者諸君はまだこの青年のことを何もご存じないのですから。私が話したいのは、この青年の外見のことなのです。背丈は平均よりは若干低めというところでしょう。とはいえ、時として、激情にかられる瞬間があり、そういうときは本当に青年の背格好が大きく膨らんだようになって、堂々とした鐘のような体格になるのです。体重は軽いというよりも痩せすぎといった方が当たっているのですが、均整のとれた青年の体つきからは、緊急事態に及んで難なく怪力を発揮したというヘラクレスの腕力は到底想像できません。青年に似合うのは、あの溜息橋で見せた俊敏な身のこなしです。それから、威厳のある顎とくちもと、大きく潤んだ瞳は野生の獣を思わせ、ある時は薄茶色、またある時は漆黒の輝きへと変化するのです。並はずれて広い額は明るい象牙色に輝いて、時折、豊かにカールした黒髪の間から見え隠れしています。これほどまでに均整のとれた古典的な顔立ちはコモーダス皇帝の大理石の彫像以外に見たことがありません。とはいえ、誰もが一生に一度見るだけで、それ以後二度と再び眼にすることはない顔なのです。これは何も不思議な話ではなく、青年の顔立ちには人の心に焼きつけるような表情がないのです。見た途端に忘れ去られてしまう。でも、忘れてしまうといっても、何となくもう一度思い出してみたいという思いがいつまでもつきまとって離れない顔なのです。一瞬わき起こった感情を宿した魂が、その独特な像を顔の鏡に映しそびれたというわけでもないでしょうが、この鏡は、どの鏡もそうであるように、感情が過ぎ去ってしまえば、その名残を留めてはおかないのです。
 この騒動のあった晩、別れ際に、青年が明朝一番に自分の館を訪ねてほしいとそれはもう、半ば強制的とも思えるような調子で私に頼むのです。結局、私は陽が昇るとすぐこの友人の館を訪ねていました。リアルト橋付近のグランドカナルの水面よりもはるかに高くそびえ立っている立派な建物で、陰鬱な雰囲気の中にも幻想的な美しさが漂っています。彼の後についてモザイク模様でできた幅広の廻り階段を登り、ある部屋に案内されたのですが、その部屋の類い希なる豪華さが、開け放された扉の向こうからその贅沢な輝きで眼がくらんでつぶれてしまいそうなくらいの本物の光を伴って外にはじき出ているではありませんか。
 私の友人には莫大な財産があることは知っていました。かって私は、こんなことは馬鹿げた誇張だと思い切って言ったことがあるのですが、世間でも同じ噂が囁かれていたようです。それにしても周りを見渡してみますと、この部屋は辺り一面が燃えるように明るく輝き、眼を刺すような光を放って極上の絢爛さを生み出しているのです。ヨーロッパで価値があるとされる金銀財宝なら何であってもこうなるものだとは私にはどうしても思えませんでした。
 私が申し上げました通り、陽はすでに昇っていましたが、部屋の中にはまだ灯が赤々と灯っていました。この部屋の様子や疲れ切ったような彼の表情から判断して、どうやら昨日の晩、彼は自分の寝室に戻って休まなかったようです。この建造物と装飾品の数々は確かに驚きと幻惑を起こさせます。 専門家の目から見て調和と呼ばれるような飾り付けも、お国柄にふさわしいかどうかもそういったことには関心が払われていません。私の目は物から物へと移っていき、グロテスクなギリシャの絵画にも、イタリアの最盛期の彫刻にも、古代エジプトの巨大な彫り物にも、どこにも目を留めることはしませんでした。部屋のいたるところに掛かっている豪華な厚手の壁掛けが 何処から聞こえてくるともしれぬ重苦しい曲の低音の響きで揺らめいているのです。奇妙な渦巻き型をした香炉からは違和感を覚えるさまざまな香りが立ち上り、それがゆらゆらと燃え輝いているエメラルドと青紫のおびただしい炎の舌と合わさり混ざり合って私の感覚を重く押さえつけてくるのです。つい先ほど昇ったばかりの太陽の光が深紅色の一枚ガラスを左右にはめこんだ窓から部屋中に注ぎ込んでいます。天井から螺旋を描いて垂れ下がっているカーテンは、まるで溶けた銀の大滝のようで、それが何千という光を反射してあちこちに跳ね返し、太陽の自然の光と人口の光がじわじわと混ざり合い、黄金色の布地でできたまるで流れ動いているように見える豪華な絨毯の上で和らいだ光の束になってうねっているのです。
 「わっはっは! あっはっは!」 この館の主は笑いながら、部屋の中に入った私に座るように手招いて自分は背もたれのない長いすに長々と寝そべりました。 「そうだろうね」 私がこの奇をてらったかなり風変わりな歓迎をうけて、すぐには慣れることができないでいるのを察したのか、彼はこう言いました。「君は僕の部屋に、ここの彫刻や絵画、建物や室内装飾の独創的な僕の趣向にびっくりしたようだね。この壮麗さにすっかり陶酔しているのではないかい? それはそうと、君に謝らなければいけない。(このとき彼の声が低くなってとても丁寧な口調になりました) 意地悪に笑ったりして申し訳なかった。君は随分驚いているようじゃないか。だけど物事には、あんまり馬鹿らしくて笑うか死ぬかしか他にしようがないってこともあるじゃないか。笑いながら死ぬというのは最高の死に方だよ。トマス・モア卿は、彼は実にすばらしい人だった。君も知ってると思うけど、笑いながら息を引き取ったんだ。ラヴィシアス・テクストルの笑い話の中に同じような見事な死に方をした人の話がたくさん書いてある。だけど、君は知ってるだろうか?」  彼は考え込んでは話を続けます。「スパルタには(現在のPalaeochori)、そう、そのスパルタの街の砦から西の方へいくと一見して廃墟とわかる雑然とした場所があって、そこに何かの柱の台座だけ残っているんだ。 ΛΑΞΜ という字が読みとれるんだけど、これはΓΕΛΑΞΜΛ (ギリシャ語で笑の意味)という字の一部に間違いないね。そういえばスパルタにはさまざまな神を何体も飾ってある寺院や聖堂がたくさんあったと思ったけど。その中でよりにもよって「笑」の字のついた台座だけ残ってるというのも不思議な話だね。でも今の場合は」
 彼の声と態度が今までとはうってかわって「僕には君をからかって喜ぶ権利はない。君が驚くのも当然のことだ。僕のこの小部屋ぐらいすばらしい部屋はヨーロッパのどこを探してもありはしないんだから。他の部屋はこんな風にはなっていない。何の面白みもない今のはやりの最先端というところだね。この部屋はそれよりはましだと思っているんだけどね。そうは思わないかい? この部屋を見せたら大流行になるよ。ま、親から譲り受けた財産を全部つぎこんでこういう部屋を作りたいという人ならということだけど。でも、この神聖な部屋は人目にさらさないように用心してきたんだ。今君が見ているこういう室内装飾にしてからは、この神聖で神秘的な帝国に足をふみいれたのは、僕と僕の従者と君以外にもう一人いるけど、あとは君だけなんだよ!」 と言われて、私は感謝のつもりで会釈をしました。というのも、この部屋の豪華さや部屋に充満している芳香に圧倒されてしまい、それに彼の話や態度が全く思いがけないものだったのでお世辞ともとれる彼の言葉に対して感謝の気持ちを言葉で言うことができなくなってしまったのです。「ここにはね、」彼は起きあがって私の腕にもたれかかるようにして部屋の中を歩き回りながら次の言葉を続けました。 「ここに飾ってある絵はギリシャの時代からチマブエ、チマブエから現代までの作品でね。みんな僕が選んだんだ。ほら、見てわかるだろう。美術品愛好家の趣味とはかなり違ってるってことが。でも、こういう部屋の壁を飾るには実によくあってるじゃないか。それからここにあるのは世に知られていない埋もれた天才の作品だ。これは当時、随分ともてはやされたんだが、美術院のお気に召さなかったようでそのうちに忘れられてしまい、この作家の名を知ってるのは今では僕ぐらいのもんじゃないかな。ところで、」 急に私の方を振り向いて、「どうだろう、この嘆きの聖母像は?」 「本物のギドーでしょ」 と、すぐに夢中になる私の癖が口調に出てしまいました。私は先ほどから美の極みともいうべきこの絵にすっかりはまりこんでしまっていたのです。「本物のギドーの絵ですよね。一体どうやって手にいれたんです?この聖母像は彫刻の世界で言ったら、ビーナス像に匹敵すると私は断固うけあいますね」
 「え!」 彼は何やら考え深げに「ビーナス像? 美しきビーナス、メディチのビーナス像? 頭が小さくて髪の毛が金色の、あの像のこと? 左腕の一部と(彼の声が聞き取れないほど低くなって) 右腕は全部修復されているんだよ。それにあの右腕の艶っぽさときたら、いかにもわざとらしい感じがして、僕ならカノヴァ像の方にするね。アポロ像だってそうさ。これも模造品だ。絶対そうさ。 アポロ像からご自慢の霊感が見えないのだから僕は目の不自由な馬鹿者ということかな。情けないとは思うが、しょうがない。僕はアンティノスの像の方を選ぶほかないんだ。彫刻家は大理石の固まりの中に自身の姿を見ると言ったのはソクラテスじゃなかったかな?だったら、『最高の芸術家であり、独創的な理想を持っていたとしても、それは大理石自らが描き出したのだ』とかいたミケランジェロの対句も独創的というわけにはいかなくなる」
 本物の紳士と通俗なやからとではその立ち居振る舞いに違いがあると昔から言われており、至極もっともなことですし、私達もそのようなことに気が付いてはいますが、何処にその違いがあるかと問われると即、解答できないのです。この言葉は私の友人の立ちい振る舞いを表しているといってもよさそうなのですが、あの事件が持ち上がった朝、この言葉は私の友人に備わっている道徳観や性格に見事に合致しているように感じたのです。それに他の人間と根本的に違うと思われるあの一種独特な精神を、激しい継続する思考癖と呼ぶよりももっと上手く言い表していると思うのです。この精神は彼の些細な動作にまで浸透し、 女性と戯れている最中にも入り込み、不意に浮かれて騒ぎ出す時も紛れ込み、まるで、ペルセポリスの神殿を取り巻く軒蛇腹でにやにや笑っているお面の目から身もだえしながらはいずり出てきた毒蛇のようです。

 彼がさほど重要ではない事柄を意気揚々とまくし立てているときの軽薄さと真剣さの入り交ざった口調から何度となく目にせざるを得なかったものは、何かに怯えているような恐怖感、動作や話の中にわざと精神を高ぶらせているような感じ、私には常に不可解にみえ、何かにつけて私を不安に落とし込めてしまうような人の感情を刺激する落ち着きのない態度なのです。 それに、話すことを忘れてしまったように途中で口をつぐんでしまうことも度々あり、彼の心の中だけにしか存在しない音か誰かを待ち望んでいるような、心の奥深くでじっと聞き耳をたてているような、そんな感じがするのです。
 こうして彼の意識が別の空間に遠のいていったり何かを畏怖しているようなときには、私は長椅子の上の手の届くところに置いてある詩人にして学者であったポリティアンの悲しくも美しい物語『オルフェオ』 の頁をくっていました。その中に鉛筆で下線の引いてある箇所をみつけたのです。それは第三幕の終わり頃、心が揺さぶられるほど感動する場面、不道徳なところがあるとはいえ、男性にはいまだかって経験したことのない新たな感動を、女性は、涙と溜息なしにはおれない場面、その頁には新たな涙のしみが全体に広がっていて、反対側の頁には英語の詩が書かれてありました。その筆跡は、私の友人の特異な性格からはおよそ想像のつかないものだったので、すぐには彼の書いた詩だとはわかりませんでした。

恋人よ
君こそ我が命
我が魂の道連れなり
恋人よ
君は海に浮かびし緑の小島
たわわに実る果実と花にかこまれし泉と社
花はすべて我のものなり

ああ、かくも短き麗しき夢よ
星の如くにまたたく望みは雲でおおわれぬ
時の彼方より叫ぶ声あり
「すすめ!」
その声きけど、我は恐れおののき青ざめて、声もでず、動きもやらで
薄暗き過去の割れ目によこたわる
                            
ああ、なんと! なんと悲しや
我が命の灯はきえぬ                               
「もはやこれまで、もはやこれまで、もはやこれまで」
厳かなる海に、その浜辺の砂にさえ染み渡るその言葉
雷にうたれて枯れた木は実をつけず
傷ついた鷲は飛翔せず

今、陽のある時は夢幻なり
夜ごと見る我が夢は
君が黒き瞳の輝くところ
白く輝く君が足もと
イタリアの水辺にて
君が踊るは彼の世の舞か

ああ、あの悲しき時は呪われよ
よせくる波は君を彼方へつれさりき
我がもとから、我らの罪を包む深い霧の中から
年老いて罪深き偽りの枕べへ
涙にむせぶ銀の柳よ!
 この数行の詩は英語で、それも作者が知らないだろうと思っていた言語で書かれていたのですが、私は別段驚きもしませんでした。彼の知識は広範囲に及んでいること、その知識を知られないように隠すことに異常な喜びを感じる性格であることを知っていたからです。ですが、この詩の日付の横に記されてある場所、これには多少なりとも驚かされたと正直に告白しましょう。始めはロンドンと書いてあった字を後で線を引いて丹念に消してあるのです。
 細かいところにも目がきく私には、文字を隠したところであまり効果はありませんが。多少なりとも驚いたと言いましたのは、以前、彼と二人で話したことをはっきり覚えていたからなのです。と言いますのは、彼にロンドンでいつかメントーニ公爵夫人に会ったことがあるのかと聞いたことがあったのです。(婦人は結婚する前に数年間、ロンドンに住んでいました)
 私の思い違いでなければ、その時の彼の返事は、大英帝国の首都を訪れたことは一度もないと受け取れる答えでした。さて、この辺で私が一度ならず耳にしたことを話しておいたほうがよろしいでしょう。(あまたの胡散臭い話は横に置くとして)私が話しているこの青年は出身ばかりでなく、教育の点に関しても生粋の英国人であるということなのです。

 「もう一枚絵があるんだが」 と、彼は私が今オルフェオの悲劇に関心がいっていることなどまるで気づいていない様子でこう言いました。「君がまだ見てない絵がもう一枚あるんだ」 そういって壁の掛け布をまくり上げた下から現れたのはアフロディテ公爵夫人の等身大の肖像画だったのです。
 婦人のこの世のものとは思えないほどの美しさをこれほど見事に表現したものは人の手による芸術作品のなかでも此より他にはありますまい。昨日の晩、デュカーレ宮殿の階段の上で私の前に立っていたのと同じ天女と見まがうほどの美しい姿。その顔は微かな笑みをたたえて神々しいばかりなのですが、完璧な美に付き物の憂鬱のかげりが潜んでいるのです。(何故かはわからない例外とでもいいましょうか) 婦人は右腕を胸の前で曲げ、左腕は妙な形をした壺の方に向けられています。片方だけ見える小さくて優雅な足は地にかろうじて付いているというふうです。婦人の美しさを大切に取り囲んでいる輝くばかりの背景の中に浮かんで見えるのは、想像で描かれた至極薄い一対の翼です。私は視線をこの絵から友人に移しました。と、不意に閃いて私の唇からもれたのは、チャップマンのビュッシーダンボアの男性的な詩の一節です。

       彼は立つ
       ローマの彫像の如く立ち続けるのだ
       死が彼を大理石に変えるまで

 「さあ!」 やがて彼は豪華なエナメルを施した銀製の立派なテーブルの方に向き直りました。その上には、婦人の肖像画に描かれているのと同じ変わった形をした大きなエトルリアの壺が二つと、不思議な色をした酒杯が2~3個置かれていました。壺のくちもとまで入っているのはおそらくヨハネスブルグ酒でしょう。「さあ!」 藪から棒に彼が言いました。「一杯どうです。飲むには時間が早いけど、でも一杯やろうよ。ほんとに早すぎるんだけど」と、彼はとつとつと話続けるのです。そのとき、重い黄金の槌を持った天使ケルビムが日の出後第一番目の時を知らせる鐘をうち鳴らしました。「まったくもって早すぎるけど、まあ、そんなことはどうでもいい、とにかく一杯飲もうよ。この部屋でぎらついているランプや香炉が太陽の光を必死で征服しようとしてるよ。さあ、あの荘厳な太陽に酒を注いでやろうじゃないか」 そうして彼は私の杯に並々と酒をついで乾杯させるや、葡萄酒を5~6杯、たて続けに飲み干したのです。

 「夢見ることは」 彼は見事な壺をひとつ、明るく輝く香炉のほうへ掲げて、とりとめのない話をまた続けていきます。「夢見ることは、僕の生涯の仕事だったんだ。だから、自分の為にこの夢の個室を作ったんだ。ベニスの真ん中にこの部屋以上のものを作れるかい? 部屋を見回せば、確かに建築用の装飾品を羅列してあるだけにしかみえないけどね。イオニア風の素朴さが大昔の図柄で台無しになってるし、エジプトのスフィンクスが黄金の絨毯の上でのうのうと寝そべっているといったところかな。これが不調和に映るのはその人間が臆病だからだ。場所柄にふさわしいかとか特に時代にかなってるかとか、そんなことが気になって荘厳なものがわからなくなってしまうんだ。そういう僕も昔は端正さを好んだものさ。でも、あんな愚劣極まりないものを、さも高尚なものとして扱うなんて僕はもううんざりなんだ。ここにあるものはみんな、僕の思いにぴったりのものばかりさ。この部屋にあるアラビア風のつり香炉みたいに、僕の魂は火の中でのたうちまわっているのさ。精神錯乱をおこしそうなこの部屋の雰囲気が、僕がこれから旅立とうとしている本当の夢の世界、狂気じみた理想の世界にふさわしい人間にしてくれるはずだ」というと、こうべ頭をたれて、私には聞こえないある音に耳をかたむけているようなのです。やがて姿勢をもどすと、上を見上げて、チチェスターの司教の詩を口ずさみました。

  この地にて我を待たなむ!
  空ろなるこの狭間にて、我、必ずや君とあい見む

それからすぐに彼は酒に酔ったようだと言うと、長椅子の上に長々と身を投げ出してしまいました。

 と、階段を駆け上がってくるあわただしい足音。そして次にはこの部屋の扉をたてつずけにがんがん叩くのです。一瞬、今度は何だと思ったとたん、メントーニ邸の使いの者が部屋に飛び込んできました。足もとはふらふらで、息が切れて、気が動転しているのか、言葉もしどろもどろで、「奥様が、奥様が、毒を、毒を飲まれて、ああ、美しいアフロディテ様が!」
 私はうろたえてしまい、この恐ろしい出来事を知らせなくてはと長椅子にかけより眠っている彼を起こそうとしたのです。でも彼の四肢は硬直し唇は鉛色になっているではありませんか。今しがたまで輝いていた眼は死に捕らえられてしまったのです。私はよろけるようにテーブルの方に後ずさりし、そのとき、割れて黒ずんだ酒杯に手がふれたのです。その途端、私の脳裏に閃いたのは恐ろしい真実の全貌だったのです。

プロジェクト杉田玄白
http://www.genpaku.org/

2012年4月24日 (火)

アナベル・リー(Annabel Lee )

エドガー・アラン・ポー「Annabel Lee」
http://youtu.be/c5d-CMqhTKE

年をたくさんの重ねた昔のこと、
海の傍らの王国に知っているだろう、
アナベル・リーという名の少女が住んでいたことを。
そして この少女は愛すること、
私に愛されることだけを想って生きていた。

私は子供で彼女も子供だった。
海の傍らの王国で。
だけど、お互いに愛という言葉で表せないほど愛し合っていた
私と私のアナベルリーは。
天国の翼のある天使たちも羨んだ、
私と彼女の愛を。

だから、これが理由なんだ。遠い昔、
海の傍らの王国で、
雲の間から吹き下ろしてきた風が
私の美しいアナベル・リーを凍りつかせ、
そう彼女の高貴な生まれの親戚が来て、
私から連れ去ってしまった。
彼女を海の傍らの王国の墓所に閉じ込めるために。

天使たちも天国では、半分ほども幸せでなく、
彼女と私を妬んでいたから
そうなんだ!-それが理由だった
(海の傍らの王国の誰もが知っているように)
雲の間から吹き下ろしてきた夜の風が
私のアナベル・リーを凍らせ、そして殺した。
でも、私たちの愛はどんな愛よりもずっと強かった、
私たちよりも年を重ねた人や私たちよりも賢い人のものよりも
そして天国の天使たちも、海の底の魔物たちも、
決して私の魂を引き離すことは出来ない。
美しいアナベル・リーの魂より。 

何故なら月は僕に美しいアナベル・リーの夢を
運んでくれるために光を放ち、
そして星々は僕に美しいアナベル・リーの輝く瞳を
感じさせることの他には登らない。
だからこそ夜が来るたびに僕はその傍らに横たわる、
私の愛しい愛しい私の命、私の花嫁の
海の傍らの墓所に、
轟く海の傍ら、彼女の墓碑に。

『アナベル・リー』(Annabel Lee )原文 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC
「アナベル・リー」はポーによる最後の詩。死後2日目の1849年10月9日に地元新聞「ニューヨーク・トリビューン紙」に掲載された。

2012年4月23日 (月)

フールズ・ファイア

Fool's Fire   1993年3月6日公開

エドガー・アラン・ポーの短編集『Hopfrog』をもとに、ジャイアントサイズの人形と小人たちによる中世を舞台にした幻想的なファンタジー。35ミリフィルムとハイビジョンを使い分け、特殊効果や合成を多用している。監督・脚本は、舞台、オペラの演出家として知られ、本作では仮面、人形などのキャラクター・デザインも兼ねるジュリー・テイマー。
http://www.youtube.com/watch?v=otPh5QcJTqg

時は中世。跳び蛙と容姿から呼ばれる小人は、病的に肥満した王とその7人の大臣たちの宮廷道化師である。王は彼を非人間的に扱うが、一方では彼の才能に信頼を寄せていた。ある日、王が宮廷仮装舞踏会を催すことになり、変装についての意見をHopfrogに求める。しかし愛する小人の踊り子トリペッタに王が醜い仕打ちをするのを見てしまった彼は、王の要望を満たしつつ完璧な一計を案じて復讐を決意した。そして仮装舞踏会当日、王に対する究極の報復行為に走るホップ・フロッグとトリペッタは、動きにくく燃えやすい服に身を包んだ王たちに火を放ち、王宮は炎に包まれた。そしてホップ・フロッグとトリッペッタは自由の身になったのだった。

2012年4月22日 (日)

エドガー・アラン・ポー 文学の冒険家

講師:巽 孝之(慶應義塾大学教授)
NHKラジオ第2 2012年4月~6月の放送予定

エドガー・アラン・ポーは19世紀半ばにアメリカ文学初の黄金時代を担った天才作家。
詩人・小説家・批評家・編集者を兼ねる多彩な活動。 短い生涯を駆け抜けて行なった多様な文学ジャンルの革新と創造の歩み。

NHK第2  放送日 再放送日
第1回 4/5   4/6    アメリカン・ルネッサンスの光と影
第2回 4/12 4/13  ポーとその時代~ある伝記の試み
第3回 4/19 4/20  文学ジャンルの冒険
第4回 4/26 4/27 「アナベル・リー」と詩的想像力
第5回 5/3   5/4   「黒猫」とホラー小説
第6回 5/10 5/11 「アッシャー家の崩壊」と美女再生譚
第7回 5/17 5/18 「赤き死の仮面」と演劇的想像力
第8回 5/24 5/25 「群衆の人」と不条理小説
第9回 5/31 6/1   「モルグ街の殺人」と探偵小説
第10回 6/7   6/8   「盗まれた手紙」と精神分析的想像力
第11回 6/14 6/15 「ホップフロッグ」とブラックユーモア小説
第12回 6/21 6/22 『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』と空想科学小説
第13回 6/28 6/29 ポーを生きる現代――文学、音楽、映像
ラジオ第2木曜日午後8:30〜9:00
再放送  金曜日午前10:00〜10:30

Edgar_allan_poe

エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC

NHKカルチャーラジオ 文学の世界 
エドガー・アラン・ポー 文学の冒険家 (NHKシリーズ)
世界初の推理小説から、SF風冒険小説まで
アメリカ文学初の黄金世代を担った作家エドガー・アラン・ポー。その傑作短編を実際に読み解きながら、特定ジャンルに収まることがない創造の歩みを辿る。
http://www.nhk.or.jp/r2bunka/ch04/

2012年4月21日 (土)

「望郷―TOKIORE(I)MIX」 山口 晃展

会期: ~2012年5月13日(日)まで
月~土曜11:00~20:00 (最終入場19:30) 日曜 11:00~19:00(最終入場18:30)
会期中無休 入場無料
会場: メゾンエルメス8階フォーラム(中央区銀座5-4-1 TEL: 03-3569-3300)
主催: エルメス財団
http://openers.jp/culture/tips_art/yamaguchi_akira_20120214.html

Tkyolimix

現代美術作家の山口晃は1969年に東京広尾生まれた。群馬県桐生市で育ったのち、大学入学にあたり再び東京での生活を始めた。東京というモチーフは、日常的な都市景観のおかしみにおいて際立っており、山口は在学中より幾度となく描いて作品としてきた。諧謔を織り交ぜつつ、甘美な哀愁に流されつつ、古の街歩きに似た風情で、今はなき、慣れ親しんだ風景を、色鮮やかにたどることで故郷への思慕を現してきた。

新作を中心に構成されるフォーラム展覧会は、洛中洛外図に想を得た作家を代表する俯瞰図のみならず、電柱のシリーズやノスタルジックな仕掛け小屋などによって立ち現れる東京の街並み。明治に江戸に遡る東京という街が歴史の中で纏ってきた美意識にどこまでも忠実に、時間軸だけがデフォルメされたような「ずらし」の効いた風景に身を投じる。とどまることなく時をとどめ、軽やかに超越してゆく山口の世界は、日常的でありながらもどこか遠くの出来事のようでもある。

トウキョウリミックス、トキヲリミックス、トキオリミックス。
タイトルに含まれる「言葉あそび」に惑わされるように、見るものの感覚も撹拌され、見慣れた東京の街が、過去、現在、未来、時が幾重にも重なった不思議な姿で浮かびあがる。

http://www.art-it.asia/u/maisonhermes/2aMXQdZlgfwYi1GcBRxn

2012年4月19日 (木)

蠍と蛙

 
これはベトナム戦争中にサイゴンで流行して、南政府から禁止されたジョークである。

川の向こう側に渡りたいと思っているサソリが一匹いました。でもサソリは泳ぐことが出来ません。そこでサソリはたまたまそこにいたカエルに、自分を背中に乗せて運んでほしいと頼みます。
カエル「でもキミはボクの背中を刺すだろう?」
サソリ「そんなことするものか。だってキミが途中で死んだらボクは溺れてしまうもの」
カエルはその言葉を信じて親切にもサソリを乗せて向こう岸へ渡り始めます。しかし途中でサソリはカエルを刺してしまいます。
カエル「キミは刺さないって言ったじゃないか」
サソリ「仕方ないよ。それがサソリの性(さが)なんだから」

石森章太郎『サイボーグ009』にベトナム戦争を象徴する寓話として引用されている。普段は敵対している者同士が、同じ目的を持った時に同盟を結ぼうとする。「裏切れば共倒れになる」という状況を担保にして話を進め、土壇場で裏切られて共倒れになる。理由はなく敵同士だからという切ない話

2012年4月18日 (水)

咲く 咲く

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2012年4月17日 (火)

『炭鉱(ヤマ)に生きる』

元炭鉱夫・山本作兵衛氏の炭坑画をもとに、明治から大正、昭和に至る炭鉱の人々の生活を描いた作品。暗いイメージで語られることが多い炭鉱の歴史だが、炭鉱の人々の真の暮らしを描き、さらに炭鉱で働いていた人々のインタビューを随所に交えることで、筑豊の炭鉱で生きた人々の文化史に新たな1ページを加えるといった試みに挑戦している。
[スタッフ・キャスト]
[製作]住田望[監督]萩原吉弘[ナレーター]窪田等
[語り]小沢昭一
[DATA]2004年/日本/モンタージュ/70分
http://www.youtube.com/watch?v=Gm3uT0V7QnY

炭坑記録画 世界記憶遺産決定
http://www.youtube.com/watch?v=wLfqVHwIzWA

2012年4月16日 (月)

美と風土・絵筆で記録する・筑豊・火床の画家たち

美学校 Bigakko
NHK放送予定の番組『日曜美術館 美と風土 絵筆で​記録する 筑豊 火床の画家たち』に美学校が協力しています。
1970年に菊畑茂久馬教場にて模写制作された山本作兵衛炭坑壁​画が出ているそうです。
番組は4月20日24:45頃から放映予定です。是非ご覧下さい​。
山本作兵衛炭坑壁画制作の経緯はこちらのサイトに詳しく出ていま​す。

http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-cf3d.html

Photo


NHK Eテレアーカイブス【放送日時】2012年4月21日(土)00:45~01:32
▽日曜美術館・美と風土・絵筆で記録する・筑豊・火床の画家たち
出演者: 山本作兵衛 · 上野英信 · 菊畑茂久馬 · 小川正隆 · 和田篤 · 堀尾真紀子 ほか
http://www.nhk.or.jp/nichibi/ 放送記録1984年2月19日NHK教育
NHK放送もいろいあって総合と教育EテレやBSあるのでややこしくなっています。今回の再放送は金曜日深夜Eテレアーカイブスみたいです。

世界記憶遺産 山本作兵衛コレクション展
http://www.sky.icn-tv.ne.jp/~saito/Tenrankai/Sekaikiisan/sakaiisan.html

2012年4月14日 (土)

Edgar Allan Poe イズラフェル(Israfel)アントナン・アルトー訳

天にひとつの心があり、その弦はリュートの魂、
魂の昇らぬところに炎を振り撒いた高い〈精霊〉の魂よ。
〈絶対〉の奥底には選ばれたものたちの突風となった

このリュートの歌より野生の歌はなく
それは天使イズラフェルの心の涙した弦
そしてこの不思議な神託の脈動はさながらシナイ半島
そこで〈無限の愛〉は〈天国〉の縁に炎の手を置いた、

〈大賢人〉の命により無言の歌を歌いながら
天体は陶然となって仰天し
〈高み〉の〈吟遊詩人〉が〈いのち〉で綴る
かつてない慰安の魔法の韻律に耳を澄ます、

Dulac_israfel

至上の真昼によろめきながら
月は法悦の激情に高ぶって
見惚れて燃え上がる、魔法の恍惚が
天に満ちてくる、そして〈天使〉に呆れて
星のきらめく七組の合唱隊は広大な七年周期の空間に憩うが
そこでは〈斥候たち〉の沈黙と
古代の跳躍のさなかで彼らのように七回捕まった
濃いスバルの火が結ばれる。

Poe

【アルトー後期集成 1 宇野邦一,鈴木創士,岡本健 編訳】
 河出書房新社

エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日)

2012年4月13日 (金)

アメリカ名詩選 (岩波文庫) 亀井 俊介, 川本 皓嗣 (編集)

17、18世紀の植民地時代から、「アメリカ詩の時代」といわれる20世紀までアメリカの名詩百編を収めた対訳詩集。ポー、ホイットマン、ディキンソン、バウンドらの名詩100篇が対訳で紹介されている。

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著者から届いた「アメリカ名詩選」に、Allan Poeの「Israfel」が収められていた。
今週はエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日)がたて続いているみたい。学生時代に揃えた「ポー全集」を数年前に読了。何とも知れない映像プロットがあふれて、現代劇として次々ら脚色されてしますのは職業病なのか。でも映画を観るより面白いからトリップしてしまうのであった。

2012年4月12日 (木)

原子力より原始力

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2012年4月10日 (火)

サクラ開花

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2012年4月 9日 (月)

サクラ花見

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2012年4月 8日 (日)

花咲く季節

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2012年4月 7日 (土)

Google が『YouTube』統合を強化へ

『Google Video』がオンライン動画市場で苦戦している。
Googleは昨年買収した動画投稿サイト『YouTube』との統合を強化すると発表した。
YouTube動画を Google Video の検索結果に表示する。検索結果からユーザーが YouTube のサムネイルをクリックするとYouTube.com のページへ。
統合してもYouTubeが独立した子会社として運営を続け、Google検索によるアクセスと売上を増やすプラットフォームを提供してYouTube をサポートしていく。

シェア1位の YouTube が49.07%、2位の MySpace が20.36%、Google は10.24%。
Google が今回の発表で、ゆくゆくは大半のユーザー投稿/有料動画コンテンツを Google Video ではなく YouTube 上でホスティングするとの構想を明らかにした。
アクセス数で抜かれたグーグルがYouTubeを武器にフェイスブック追撃する。
現在フェイスブックの利用者8億人、グーグル+は1億人どこまで戦えるだろうか。

https://www.google.co.jp/
http://www.youtube.com/

2012年4月 6日 (金)

『沈黙の世界』(語る者は智恵がない)

横尾忠則
「語る者は智恵がない」――と言ったのは老子だ。自分の正しいことを証明する必要ない、というのだ。自分で分っていればいいということだろう。自分自身に目を向けろということだろう。

口を開くと批判ばかりする人がいる。よほど自分に自信があるか、その反対に自身がないかのどちらかだ。むしろ後者じゃないのかな。

わが家のタマなどは終日沈黙している。昔「沈黙の世界」という深海探索の映画があった。実に美しい映画だった。沈黙することで五感はますます開示される。
‏@tadanoriyokoo

Le_monde_du_silence

『沈黙の世界』( Le Monde du silence : The Silent World)
1956年フランス・イタリア合作記録映画。
http://www.youtube.com/watch?v=3jH2QkP-Bvg

海洋学者のジャック=イヴ・クストーと『死刑台のエレベーター』のルイ・マル監督が撮った海洋記録映画。海洋調査船・カリプソ号によるサンゴ礁の調査活動の様子を描いたもの。上映時間85分。
撮影: エドモン・セシャン 、フレデリック・デュマ 、アルベルト・ファルコ
音楽: イヴ・ボードゥリエ

作品データー http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=14826

2012年4月 5日 (木)

関心のあったサイト今もあるかいな

□珍奇なイタリアのマジカルユーモアサイト(日本語の入口あり)
かなり面白い不思議系のビジョンが増殖しています。発想が天才的アートです。
http://www.nobodyhere.com/japan/me.here

□大地の気(風水とは大地の鍼灸術)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kokumon/
□ツァラトゥストラ
http://www.ne.jp/asahi/fuse/abraham/west-asia/iran
ササン朝ペルシアには、様々な文化がこの極東の島国にまで辿り着いている。飛鳥にある拝火教の装置としての石物には時空を超えてしまうほどの想いが全身へよぎった。
http://tonoguchi.web.infoseek.co.jp/iran/zoroastr.htm 

□秦氏の謎と十字架
http://plaza.rakuten.co.jp/newzea/8007

□飛鳥アルバム
http://www.lint.ne.jp/~nomoto/
明日香 大和路の祀り、神社、仏像、自然、街角の風景写真などが色鮮やか。
□『板東千年王国』(この国のかたちほど世界を象徴するものはない)http://members3.jcom.home.ne.jp/1446otfh/ban1000/


□世界のお金の歴史
http://www.77bank.co.jp/museum/okane/index.htm

□宇宙天気の最新情報をお知らせするページです。
http://swnews.nict.go.jp/swnews.html
□太陽黒点を毎日観測
http://sohowww.nascom.nasa.gov/data/realtime-images.html
(どんな映画やテレビよりも、凄いことが起き続けている)
□我々の太陽系は変化している
http://www.asyura2.com/0403/jisin11/msg/200.html
□ガイヤアセンション
http://homepage3.nifty.com/gaia-as/

2012年4月 4日 (水)

大阪市環境局舞洲工場

大阪の人口島舞洲(まいしま)
野球場などスポーツ施設と物流センター、文化施設等がある
大阪市の焼却場と下水処理施設は、オーストリア人建築家
フンデルトヴァッサーによる特徴的な建築。
Friedensreich Hundertwasser
http://www.hundertwasser-friedensreich.com/

★大阪市環境局舞洲工場の見学受付について
http://www.city.osaka.lg.jp/kankyo/page/0000019104.html
★ゴミ処理場 巨大クレーン
http://www.youtube.com/watch?v=sRpsbVqqeKs
フリードリヒ・シュトヴァッサー(Friedrich Stowasser 1928年12月15日 - 2000年2月19日)
フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(Friedensreich Hundertwasser.)はオーストリアの芸術家、画家、建築家。
日本では「フンダートヴァッサー」「フンデルトワッサー」という呼び方も多く用いられる。日本語での号は姓を直訳した「百水」。色鮮やかな外見の建築でよく知られる。ウィーンのユダヤ系の家庭に生まれ、ウィーン美術アカデミーで学んだ彼は1981年から母校の教授をつとめた。
自然を愛した彼は、建築でも自然への回帰を唱え、曲線を多用した独自の様式を編み出した。 晩年をすごしたニュージーランドへ向かう客船上で死去した。
日本での作例には、TBSの「21世紀カウントダウン時計」(東京都赤坂、1992年)、キッズプラザ大阪の「こどもの街」(大阪市北区、1997年)や、大阪市環境局舞洲工場(大阪市此花区、ゴミ処理場、2001年)がある。
★日本にあるフンデルトヴァッサーデザインの建築
http://homepage1.nifty.com/spacekids/tbswasser.html

2012年4月 3日 (火)

自転車るんるん

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2012年4月 2日 (月)

天と空と地

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2012年4月 1日 (日)

洋館の窓

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羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
フォト

22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

オンライン状態

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。