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2013年1月 3日 (木)

柳田国男「遠野物語」10

一〇〇
 船越の漁夫何某。ある日仲間の者とともに吉利吉里きりきりより帰るとて、夜深く四十八坂のあたりを通りしに、小川のあるところにて一人の女に逢う。見ればわが妻なり。されどもかかる夜中にひとりこの辺に来くべき道理なければ、必定ひつじょう化物ばけものならんと思い定め、やにわに魚切庖丁うおきりぼうちょうを持ちて後の方より差し通したれば、悲しき声を立てて死したり。しばらくの間は正体を現わさざれば流石さすがに心に懸り、後あとの事を連つれの者に頼み、おのれは馳せて家に帰りしに、妻は事もなく家に待ちてあり。今恐ろしき夢を見たり。あまり帰りの遅ければ夢に途中まで見に出でたるに、山路にて何とも知れぬ者に脅おびやかされて、命を取らるると思いて目覚めたりという。さてはと合点がてんして再び以前の場所へ引き返してみれば、山にて殺したりし女は連の者が見ておる中についに一匹の狐きつねとなりたりといえり。夢の野山を行くにこの獣の身を傭やとうことありと見ゆ。


一〇一
 旅人豊間根とよまね村を過ぎ、夜更ふけ疲れたれば、知音ちいんの者の家に灯火の見ゆるを幸さいわいに、入りて休息せんとせしに、よき時に来合きあわせたり、今夕死人あり、留守るすの者なくていかにせんかと思いしところなり、しばらくの間頼むといいて主人は人を喚よびに行きたり。迷惑千万めいわくせんばんなる話なれど是非もなく、囲炉裡いろりの側にて煙草タバコを吸いてありしに、死人は老女にて奥の方に寝させたるが、ふと見れば床とこの上にむくむくと起き直る。胆潰きもつぶれたれど心を鎮しずめ静かにあたりを見廻みまわすに、流し元もとの水口の穴より狐のごとき物あり、面つらをさし入れて頻しきりに死人の方を見つめていたり。さてこそと身を潜ひそめ窃ひそかに家の外に出で、背戸せとの方に廻りて見れば、正しく狐にて首を流し元の穴に入れ後足あとあしを爪立つまたてていたり。有合ありあわせたる棒をもてこれを打ち殺したり。


○下閉伊郡豊間根村大字豊間根。


一〇二
 正月十五日の晩を小正月こしょうがつという。宵よいのほどは子供ら福の神と称して四五人群を作り、袋を持ちて人の家に行き、明あけの方から福の神が舞い込んだと唱となえて餅を貰もらう習慣あり。宵を過ぐればこの晩に限り人々決して戸の外に出づることなし。小正月の夜半過ぎは山の神出でて遊ぶと言いい伝えてあればなり。山口の字丸古立まるこだちにおまさという今三十五六の女、まだ十二三の年のことなり。いかなるわけにてか唯一人にて福の神に出で、ところどころをあるきて遅くなり、淋さびしき路を帰りしに、向うの方より丈たけの高き男来てすれちがいたり。顔はすてきに赤く眼はかがやけり。袋を捨てて遁げ帰り大いに煩いたりといえり。


一〇三
 小正月の夜、または小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でて遊ぶともいう。童子をあまた引き連れてくるといえり。里の子ども冬は近辺の丘に行き、橇遊そりっこあそびをして面白さのあまり夜になることあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるるは常のことなり。されど雪女を見たりという者は少なし。

一〇四
 小正月の晩には行事甚はなはだ多し。月見つきみというは六つの胡桃くるみの実みを十二に割り一時いっときに炉ろの火にくべて一時にこれを引き上げ、一列にして右より正月二月と数うるに、満月の夜晴なるべき月にはいつまでも赤く、曇るべき月には直すぐに黒くなり、風ある月にはフーフーと音をたてて火が振ふるうなり。何遍繰り返しても同じことなり。村中いずれの家にても同じ結果を得るは妙なり。翌日はこの事を語り合い、例えば八月の十五夜風とあらば、その歳としの稲の苅入かりいれを急ぐなり。


○五穀の占、月の占多少のヴァリエテをもって諸国に行なわる。陰陽道おんようどうに出でしものならん。


一〇五
 また世中見よなかみというは、同じく小正月の晩に、いろいろの米にて餅をこしらえて鏡となし、同種の米を膳ぜんの上に平たいらに敷き、鏡餅かがみもちをその上に伏せ、鍋なべを被かぶせ置きて翌朝これを見るなり。餅につきたる米粒こめつぶの多きものその年は豊作なりとして、早中晩の種類を択び定むるなり。


一〇六
 海岸の山田にては蜃気楼しんきろう年々見ゆ。常に外国の景色なりという。見馴みなれぬ都のさまにして、路上の車馬しげく人の往来眼ざましきばかりなり。年ごとに家の形などいささかも違うことなしといえり。

一〇七
 上郷村に河ぷちのうちという家あり。早瀬川の岸にあり。この家の若き娘、ある日河原に出でて石を拾いてありしに、見馴れぬ男来たり、木の葉とか何とかを娘にくれたり。丈たけ高く面朱しゅのようなる人なり。娘はこの日より占うらないの術を得たり。異人は山の神にて、山の神の子になりたるなりといえり。


一〇八
 山の神の乗り移りたりとて占をなす人は所々にあり。附馬牛つくもうし村にもあり。本業は木挽こびきなり。柏崎の孫太郎もこれなり。以前は発狂して喪心したりしに、ある日山に入りて山の神よりその術を得たりしのちは、不思議に人の心中を読むこと驚くばかりなり。その占いの法は世間の者とは全く異なり。何の書物をも見ず、頼みにきたる人と世間話をなし、その中にふと立ちて常居じょういの中なかをあちこちとあるき出すと思うほどに、その人の顔は少しも見ずして心に浮びたることをいうなり。当らずということなし。例えばお前のウチの板敷いたじきを取り離し、土を掘りて見よ。古き鏡または刀の折れあるべし。それを取り出さねば近き中に死人ありとか家が焼くるとかいうなり。帰りて掘りて見るに必ずあり。かかる例は指を屈するに勝たえず。


一〇九
 盆のころには雨風祭とて藁わらにて人よりも大なる人形にんぎょうを作り、道の岐ちまたに送り行きて立つ。紙にて顔を描えがき瓜うりにて陰陽の形を作り添えなどす。虫祭の藁人形にはかかることはなくその形も小さし。雨風祭の折は一部落の中にて頭屋とうやを択えらび定め、里人さとびと集まりて酒を飲みてのち、一同笛太鼓ふえたいこにてこれを道の辻まで送り行くなり。笛の中には桐きりの木にて作りたるホラなどあり。これを高く吹く。さてその折の歌は「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」という。


○『東国輿地よち勝覧』によれば韓国にても壇れいだんを必ず城の北方に作ること見ゆ。ともに玄武神の信仰より来たれるなるべし。


一一〇
 ゴンゲサマというは、神楽舞かぐらまいの組ごとに一つずつ備われる木彫きぼりの像にして、獅子頭ししがしらとよく似て少しく異ことなれり。甚だ御利生ごりしょうのあるものなり。新張にいばりの八幡社の神楽組のゴンゲサマと、土淵村字五日市いつかいちの神楽組のゴンゲサマと、かつて途中にて争いをなせしことあり。新張のゴンゲサマ負けて片耳かたみみを失いたりとて今もなし。毎年村々を舞いてあるく故、これを見知らぬ者なし。ゴンゲサマの霊験れいげんはことに火伏ひぶせにあり。右の八幡の神楽組かつて附馬牛村に行きて日暮ひぐれ宿を取り兼ねしに、ある貧しき者の家にて快こころよくこれを泊とめて、五升桝ますを伏せてその上にゴンゲサマを座すえ置き、人々は臥ふしたりしに、夜中にがつがつと物を噛かむ音のするに驚きて起きてみれば、軒端のきばたに火の燃えつきてありしを、桝の上なるゴンゲサマ飛び上り飛び上りして火を喰くい消してありしなりと。子どもの頭を病む者など、よくゴンゲサマを頼み、その病を噛みてもらうことあり。


一一一
 山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡ひわたり、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野れんだいのという地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習ならいありき。老人はいたずらに死んで了しまうこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊ぬらしたり。そのために今も山口土淵辺にては朝あしたに野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。


○ダンノハナは壇の塙なるべし。すなわち丘の上にて塚を築きたる場所ならん。境の神を祭るための塚なりと信ず。蓮台野もこの類なるべきこと『石神問答』中にいえり。


一一二
 ダンノハナは昔館たてのありし時代に囚人を斬きりし場所なるべしという。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。仙台にもこの地名あり。山口のダンノハナは大洞おおほらへ越ゆる丘の上にて館址たてあとよりの続きなり。蓮台野はこれと山口の民居を隔てて相対す。蓮台野の四方はすべて沢なり。東はすなわちダンノハナとの間の低地、南の方を星谷という。此所には蝦夷屋敷えぞやしきという四角に凹へこみたるところ多くあり。その跡あときわめて明白なり。あまた石器を出す。石器土器の出るところ山口に二ヶ所あり。他の一は小字こあざをホウリョウという。ここの土器と蓮台野の土器とは様式全然殊ことなり。後者のは技巧いささかもなく、ホウリョウのは模様もようなども巧たくみなり。埴輪はにわもここより出づ。また石斧石刀の類も出づ。蓮台野には蝦夷銭えぞせんとて土にて銭の形をしたる径二寸ほどの物多く出づ。これには単純なる渦紋うずもんなどの模様あり。字ホウリョウには丸玉・管玉くだたまも出づ。ここの石器は精巧にて石の質も一致したるに、蓮台野のは原料いろいろなり。ホウリョウの方は何の跡ということもなく、狭き一町歩いっちょうぶほどの場所なり。星谷は底の方かた今は田となれり。蝦夷屋敷はこの両側に連なりてありしなりという。このあたりに掘れば祟たたりありという場所二ヶ所ほどあり。


○外ほかの村々にても二所の地形および関係これに似たりという。


○星谷という地名も諸国にあり星を祭りしところなり。


○ホウリョウ権現は遠野をはじめ奥羽一円に祀らるる神なり。蛇の神なりという。名義を知らず。

一一三
 和野にジョウヅカ森というところあり。象を埋めし場所なりといえり。此所だけには地震なしとて、近辺にては地震の折はジョウヅカ森へ遁げよと昔より言い伝えたり。これは確かに人を埋めたる墓なり。塚のめぐりには堀あり。塚の上には石あり。これを掘れば祟たたりありという。

○ジョウズカは定塚、庄塚または塩塚などとかきて諸国にあまたあり。これも境の神を祀りしところにて地獄のショウツカの奪衣婆だつえばの話などと関係あること『石神問答』に詳つまびらかにせり。また象坪などの象頭神とも関係あれば象の伝説は由よしなきにあらず、塚を森ということも東国の風なり。


一一四
 山口のダンノハナは今は共同墓地なり。岡の頂上にうつ木を栽うえめぐらしその口は東方に向かいて門口もんぐちめきたるところあり。その中ほどに大なる青石あり。かつて一たびその下を掘りたる者ありしが、何ものをも発見せず。のち再びこれを試みし者は大なる瓶かめあるを見たり。村の老人たち大いに叱しかりければ、またもとのままになし置きたり。館たての主の墓なるべしという。此所に近き館の名はボンシャサの館という。いくつかの山を掘り割りて水を引き、三重四重に堀を取り廻めぐらせり。寺屋敷・砥石森といしもりなどいう地名あり。井の跡とて石垣いしがき残れり。山口孫左衛門の祖先ここに住めりという。『遠野古事記とおのこじき』に詳つまびらかなり。


一一五
 御伽話おとぎばなしのことを昔々むかしむかしという。ヤマハハの話最も多くあり。ヤマハハは山姥やまうばのことなるべし。その一つ二つを次に記すべし。


一一六
 昔々あるところにトトとガガとあり。娘を一人持てり。娘を置きて町へ行くとて、誰がきても戸を明けるなと戒しめ、鍵かぎを掛けて出でたり。娘は恐ろしければ一人炉にあたりすくみていたりしに、真昼間まひるまに戸を叩きてここを開けと呼ぶ者あり。開かずば蹴破けやぶるぞと嚇おどす故ゆえに、是非なく戸を明けたれば入りきたるはヤマハハなり。炉の横座よこざに蹈ふみはたかりて火にあたり、飯をたきて食わせよという。その言葉に従い膳ぜんを支度してヤマハハに食わせ、その間に家を遁げ出したるに、ヤマハハは飯を食い終りて娘を追い来たり、おいおいにその間あいだ近く今にも背せなに手の触ふるるばかりになりし時、山の蔭かげにて柴しばを苅る翁に逢う。おれはヤマハハにぼっかけられてあるなり、隠かくしてくれよと頼み、苅り置きたる柴の中に隠れたり。ヤマハハ尋ね来たりて、どこに隠れたかと柴の束たばをのけんとして柴を抱かかえたるまま山より滑すべり落ちたり。その隙ひまにここを遁のがれてまた萱かやを苅る翁に逢う。おれはヤマハハにぼっかけられてあるなり、隠してくれよと頼み、苅り置きたる萱の中に隠れたり。ヤマハハはまた尋ね来たりて、どこに隠れたかと萱の束をのけんとして、萱を抱えたるまま山より滑り落ちたり。その隙にまたここを遁れ出でて大きなる沼の岸に出でたり。これよりは行くべき方かたもなければ、沼の岸の大木の梢に昇のぼりいたり。ヤマハハはどけえ行ったとて遁のがすものかとて、沼の水に娘の影の映うつれるを見てすぐに沼の中に飛び入りたり。この間に再び此所を走り出で、一つの笹小屋ささごやのあるを見つけ、中に入りて見れば若き女いたり。此にも同じことを告げて石の唐櫃からうどのありし中へ隠してもらいたるところへ、ヤマハハまた飛び来たり娘のありかを問えども隠して知らずと答えたれば、いんね来ぬはずはない、人くさい香がするものという。それは今雀すずめを炙あぶって食った故ゆえなるべしと言えば、ヤマハハも納得なっとくしてそんなら少し寝ねん、石のからうどの中にしようか、木のからうどの中がよいか、石はつめたし木のからうどの中にと言いて、木の唐櫃の中に入りて寝たり。家の女はこれに鍵かぎを下おろし、娘を石のからうどより連れ出し、おれもヤマハハに連れて来られたる者なればともどもにこれを殺して里へ帰らんとて、錐きりを紅あかく焼きて木の唐櫃の中に差し通したるに、ヤマハハはかくとも知らず、ただ二十日鼠はつかねずみがきたと言えり。それより湯を煮立にたてて焼錐やききりの穴より注そそぎ込みて、ついにそのヤマハハを殺し二人ともに親々の家に帰りたり。昔々の話の終りはいずれもコレデドンドハレという語をもって結ぶなり。


一一七
 昔々これもあるところにトトとガガと、娘の嫁に行く支度を買いに町へ出で行くとて戸を鎖とざし、誰がきても明けるなよ、はアと答えたれば出でたり。昼のころヤマハハ来たりて娘を取りて食い、娘の皮を被かぶり娘になりておる。夕方二人の親帰りて、おりこひめこ居たかと門の口より呼べば、あ、いたます、早かったなしと答え、二親ふたおやは買い来たりしいろいろの支度の物を見せて娘の悦よろこぶ顔を見たり。次の日夜よの明けたる時、家の鶏羽はばたきして、糠屋ぬかやの隅すみッ子こ見ろじゃ、けけろと啼なく。はて常つねに変りたる鶏の啼きようかなと二親ふたおやは思いたり。それより花嫁を送り出すとてヤマハハのおりこひめこを馬に載せ、今や引き出さんとするときまた鶏啼く。その声は、おりこひめこを載せなえでヤマハハのせた、けけろと聞きこゆ。これを繰り返して歌いしかば、二親も始めて心づき、ヤマハハを馬より引き下おろして殺したり。それより糠屋の隅を見に行きしに娘の骨あまた有ありたり。


○糠屋は物おきなり。


一一八
 紅皿欠皿べにざらかけざらの話も遠野郷に行おこなわる。ただ欠皿の方はその名をヌカボという。ヌカボは空穂うつぼのことなり。継母ままははに悪にくまれたれど神の恵めぐみありて、ついに長者の妻となるという話なり。エピソードにはいろいろの美しき絵様えようあり。折おりあらば詳しく書き記すべし。


一一九
 遠野郷の獅子踊ししおどりに古くより用いたる歌の曲あり。村により人によりて少しずつの相異あれど、自分の聞きたるは次のごとし。百年あまり以前の筆写なり。


○獅子踊はさまでこの地方に古きものにあらず。中代これを輸入せしものなることを人よく知れり。

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