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2013年1月 4日 (金)

「遠野物語」5


五〇
 死助しすけの山にカッコ花あり。遠野郷にても珍しという花なり。五月閑古鳥かんこどりの啼なくころ、女や子どもこれを採とりに山へ行く。酢すの中に漬つけて置けば紫色むらさきいろになる。酸漿ほおずきの実みのように吹きて遊ぶなり。この花を採ることは若き者の最も大なる遊楽なり。

五一
 山にはさまざまの鳥住すめど、最も寂さびしき声の鳥はオット鳥なり。夏の夜中よなかに啼なく。浜の大槌おおづちより駄賃附だちんづけの者など峠を越え来たれば、遥はるかに谷底にてその声を聞くといえり。昔ある長者の娘あり。またある長者の男の子と親したしみ、山に行きて遊びしに、男見えずなりたり。夕暮になり夜になるまで探さがしあるきしが、これを見つくることをえずして、ついにこの鳥になりたりという。オットーン、オットーンというは夫おっとのことなり。末の方かすれてあわれなる鳴声なきごえなり。


五二
 馬追鳥うまおいどりは時鳥ほととぎすに似て少すこし大きく、羽はねの色は赤に茶を帯おび、肩には馬の綱つなのようなる縞しまあり。胸のあたりにクツゴコのようなるかたあり。これも或ある長者が家の奉公人、山へ馬を放はなしに行き、家に帰らんとするに一匹不足せり。夜通しこれを求めあるきしがついにこの鳥となる。アーホー、アーホーと啼くはこの地方にて野におる馬を追う声なり。年により馬追鳥里さとにきて啼くことあるは飢饉ききんの前兆なり。深山には常に住みて啼く声を聞くなり。


○クツゴコは馬の口に嵌はめる網の袋なり。


五三
 郭公かっこうと時鳥ほととぎすとは昔ありし姉妹あねいもとなり。郭公は姉なるがある時芋いもを掘りて焼き、そのまわりの堅かたきところを自ら食い、中の軟やわらかなるところを妹に与えたりしを、妹は姉の食う分ぶんは一層旨うまかるべしと想いて、庖丁ほうちょうにてその姉を殺せしに、たちまちに鳥となり、ガンコ、ガンコと啼きて飛び去りぬ。ガンコは方言にて堅いところということなり。妹さてはよきところをのみおのれにくれしなりけりと思い、悔恨に堪えず、やがてまたこれも鳥になりて庖丁かけたと啼きたりという。遠野にては時鳥のことを庖丁かけと呼ぶ。盛岡もりおか辺にては時鳥はどちゃへ飛んでたと啼くという。


○この芋は馬鈴薯ばれいしょのことなり。


五四
 閉伊川へいがわの流ながれには淵ふち多く恐ろしき伝説少なからず。小国川との落合に近きところに、川井かわいという村あり。その村の長者の奉公人、ある淵の上なる山にて樹を伐るとて、斧おのを水中に取とり落おとしたり。主人の物なれば淵に入りてこれを探さぐりしに、水の底に入るままに物音聞ゆ。これを求めて行くに岩の陰に家あり。奥の方に美しき娘機はたを織りていたり。そのハタシに彼の斧は立てかけてありたり。これを返したまわらんという時、振り返りたる女の顔を見れば、二三年前に身まかりたる我が主人の娘なり。斧は返すべければ我がこの所ところにあることを人にいうな。その礼としてはその方身上しんしょう良よくなり、奉公をせずともすむようにして遣やらんといいたり。そのためなるか否かは知らず、その後胴引どうびきなどいう博奕ばくちに不思議に勝ち続つづけて金溜かねたまり、ほどなく奉公をやめ家に引き込みて中ちゅうぐらいの農民になりたれど、この男は疾とくに物忘れして、この娘のいいしことも心づかずしてありしに、或る日同じ淵の辺ほとりを過すぎて町へ行くとて、ふと前の事を思い出し、伴ともなえる者に以前かかることありきと語りしかば、やがてその噂うわさは近郷に伝わりぬ。その頃より男は家産再び傾かたむき、また昔の主人に奉公して年を経たり。家の主人は何と思いしにや、その淵に何荷なんがともなく熱湯を注そそぎ入れなどしたりしが、何の効もなかりしとのことなり。


○下閉伊郡川井村大字川井、川井はもちろん川合の義なるべし。


五五
 川には川童かっぱ多く住めり。猿ヶ石川ことに多し。松崎村の川端かわばたの家うちにて、二代まで続けて川童の子を孕はらみたる者あり。生れし子は斬きり刻きざみて一升樽いっしょうだるに入れ、土中に埋うずめたり。その形かたちきわめて醜怪なるものなりき。女の婿むこの里は新張にいばり村の何某とて、これも川端の家なり。その主人人ひとにその始終しじゅうを語れり。かの家の者一同ある日畠はたけに行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀みぎわに踞うずくまりてにこにこと笑いてあり。次の日は昼ひるの休みにまたこの事あり。かくすること日を重ねたりしに、次第にその女のところへ村の何某という者夜々よるよる通かようという噂うわさ立ちたり。始めには婿が浜の方へ駄賃附だちんづけに行きたる留守るすをのみ窺うかがいたりしが、のちには婿むこと寝ねたる夜よるさえくるようになれり。川童なるべしという評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れどもなんの甲斐かいもなく、婿の母も行きて娘の側かたわらに寝ねたりしに、深夜にその娘の笑う声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなわず、人々いかにともすべきようなかりき。その産はきわめて難産なりしが、或る者のいうには、馬槽うまふねに水をたたえその中にて産うまば安く産まるべしとのことにて、これを試みたれば果してその通りなりき。その子は手に水掻みずかきあり。この娘の母もまたかつて川童の子を産みしことありという。二代や三代の因縁にはあらずという者もあり。この家も如法にょほうの豪家にて何の某という士族なり。村会議員をしたることもあり。


五六
 上郷村の何某の家にても川童らしき物の子を産うみたることあり。確たしかなる証とてはなけれど、身内みうち真赤まっかにして口大きく、まことにいやな子なりき。忌いまわしければ棄すてんとてこれを携えて道ちがえに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰りたるに、早取り隠されて見えざりきという。


○道ちがえは道の二つに別かるるところすなわち追分おいわけなり。

五七
 川の岸の砂すなの上には川童の足跡あしあとというものを見ること決して珍しからず。雨の日の翌日などはことにこの事あり。猿の足と同じく親指おやゆびは離れて人間の手の跡あとに似たり。長さは三寸に足らず。指先のあとは人ののように明らかには見えずという。

五八
 小烏瀬川こがらせがわの姥子淵おばこふちの辺に、新屋しんやの家うちという家いえあり。ある日淵ふちへ馬を冷ひやしに行き、馬曳うまひきの子は外ほかへ遊びに行きし間に、川童出でてその馬を引き込まんとし、かえりて馬に引きずられて厩うまやの前に来たり、馬槽うまふねに覆おおわれてありき。家のもの馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば川童の手出でたり。村中のもの集まりて殺さんか宥ゆるさんかと評議せしが、結局今後こんごは村中の馬に悪戯いたずらをせぬという堅き約束をさせてこれを放したり。その川童今は村を去りて相沢あいざわの滝の淵に住めりという。


○この話などは類型全国に充満せり。いやしくも川童のおるという国には必ずこの話あり。何の故にか。


五九
 外ほかの地にては川童の顔は青しというようなれど、遠野の川童は面つらの色いろ赭あかきなり。佐々木氏の曾祖母そうそぼ、穉おさなかりしころ友だちと庭にて遊びてありしに、三本ばかりある胡桃くるみの木の間より、真赤まっかなる顔したる男の子の顔見えたり。これは川童なりしとなり。今もその胡桃大木にてあり。この家の屋敷のめぐりはすべて胡桃の樹なり。

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