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2013年1月 4日 (金)

柳田国男「遠野物語」7

七〇
 同じ人の話に、オクナイサマはオシラサマのある家には必ず伴ないて在います神なり。されどオシラサマはなくてオクナイサマのみある家もあり。また家によりて神の像も同じからず。山口の大同にあるオクナイサマは木像なり。山口の辷石はねいしたにえという人の家なるは掛軸かけじくなり。田圃たんぼのうちにいませるはまた木像なり。飯豊いいでの大同にもオシラサマはなけれどオクナイサマのみはいませりという。


七一
 この話をしたる老女は熱心なる念仏者なれど、世の常の念仏者とは様さまかわり、一種邪宗らしき信仰あり。信者に道を伝うることはあれども、互いに厳重なる秘密を守り、その作法さほうにつきては親にも子にもいささかたりとも知らしめず。また寺とも僧とも少しも関係はなくて、在家ざいけの者のみの集あつまりなり。その人の数も多からず。辷石はねいしたにえという婦人などは同じ仲間なり。阿弥陀仏あみだぶつの斎日さいにちには、夜中人の静まるを待ちて会合し、隠れたる室にて祈祷きとうす。魔法まじないを善よくする故に、郷党に対して一種の権威あり。


七二
 栃内とちない村の字琴畑ことばたは深山の沢にあり。家の数は五軒ばかり、小烏瀬こがらせ川の支流の水上みなかみなり。これより栃内の民居まで二里を隔へだつ。琴畑の入口に塚あり。塚の上には木の座像ざぞうあり。およそ人の大きさにて、以前は堂の中にありしが、今は雨あまざらしなり。これをカクラサマという。村の子供これを玩物もてあそびものにし、引き出して川へ投げ入れまた路上を引きずりなどする故に、今は鼻も口も見えぬようになれり。或あるいは子供を叱しかり戒めてこれを制止する者あれば、かえりて祟たたりを受け病むことありといえり。


○神体仏像子供と遊ぶを好みこれを制止するを怒りたもうことほかにも例多し。遠江小笠郡大池村東光寺の薬師仏、駿河安倍郡豊田村曲金の軍陣坊社の神、または信濃筑摩郡射手の弥陀堂みだどうの木仏などこれなり。


七三
 カクラサマの木像は遠野郷のうちに数多あまたあり。栃内の字西内にしないにもあり。山口分の大洞おおほらというところにもありしことを記憶する者あり。カクラサマは人のこれを信仰する者なし。粗末なる彫刻にて、衣裳頭いしょうかしらの飾かざりのありさまも不分明なり。


七四
 栃内のカクラサマは右の大小二つなり。土淵一村にては三つか四つあり。いずれのカクラサマも木の半身像にてなたの荒削あらけずりの無恰好ぶかっこうなるものなり。されど人の顔なりということだけは分わかるなり。カクラサマとは以前は神々の旅をして休息したもうべき場所の名なりしが、その地に常つねいます神をかく唱となうることとなれり。


七五
 離森はなれもりの長者屋敷にはこの数年前まで燐寸マッチの軸木じくぎの工場こうばありたり。その小屋の戸口に夜よるになれば女の伺い寄りて人を見てげたげたと笑う者ありて、淋しさに堪えざる故、ついに工場を大字山口に移したり。その後また同じ山中に枕木まくらぎ伐出きりだしのために小屋をかけたる者ありしが、夕方になると人夫の者いずれへか迷い行き、帰りてのち茫然ぼうぜんとしてあることしばしばなり。かかる人夫四五人もありてその後も絶えず何方いずかたへか出でて行くことありき。この者どもが後に言うを聞けば、女がきて何処どこへか連れだすなり。帰りてのちは二日も三日も物を覚えずといえり。


七六
 長者屋敷は昔時長者の住みたりし址あとなりとて、そのあたりにも糠森ぬかもりという山あり。長者の家の糠を捨てたるがなれるなりという。この山中には五いつつ葉ばのうつ木ぎありて、その下に黄金を埋めてありとて、今もそのうつぎの有処ありかを求めあるく者稀々まれまれにあり。この長者は昔の金山師なりしならんか、このあたりには鉄を吹きたる滓かすあり。恩徳おんどくの金山きんざんもこれより山続きにて遠からず。


○諸国のヌカ塚スクモ塚には多くはこれと同じき長者伝説を伴なえり。また黄金埋蔵の伝説も諸国に限りなく多くあり。


七七
 山口の田尻たじり長三郎というは土淵村一番の物持ものもちなり。当主なる老人の話に、この人四十あまりのころ、おひで老人の息子むすこ亡なくなりて葬式の夜、人々念仏を終りおのおの帰り行きし跡あとに、自分のみは話好はなしずきなれば少しあとになりて立ち出でしに、軒の雨落あまおちの石を枕にして仰臥ぎょうがしたる男あり。よく見れば見も知らぬ人にて死してあるようなり。月のある夜なればその光にて見るに、膝ひざを立て口を開きてあり。この人大胆者にて足にて揺うごかして見たれど少しも身じろぎせず。道を妨さまたげて外ほかにせん方かたもなければ、ついにこれを跨またぎて家に帰りたり。次の朝行きて見ればもちろんその跡方あとかたもなく、また誰も外ほかにこれを見たりという人はなかりしかど、その枕にしてありし石の形と在ありどころとは昨夜の見覚みおぼえの通りなり。この人の曰く、手をかけて見たらばよかりしに、半なかば恐ろしければただ足にて触ふれたるのみなりし故、さらに何もののわざとも思いつかずと。


七八
 同じ人の話に、家に奉公せし山口の長蔵なる者、今も七十余の老翁にて生存す。かつて夜遊びに出でて遅くかえり来たりしに、主人の家の門は大槌おおづち往還に向いて立てるが、この門の前にて浜の方よりくる人に逢えり。雪合羽ゆきがっぱを着たり。近づきて立ちとまる故、長蔵も怪しみてこれを見たるに、往還を隔てて向側なる畠地の方へすっと反それて行きたり。かしこには垣根かきねありしはずなるにと思いて、よく見れば垣根は正まさしくあり。急に怖ろしくなりて家の内に飛び込み、主人にこの事を語りしが、のちになりて聞けば、これと同じ時刻に新張村にいばりむらの何某という者、浜よりの帰り途みちに馬より落ちて死したりとのことなり。


七九
 この長蔵の父をもまた長蔵という。代々田尻家の奉公人にて、その妻とともに仕えてありき。若きころ夜遊びに出で、まだ宵よいのうちに帰り来たり、門かどの口くちより入りしに、洞前ほらまえに立てる人影あり。懐手ふところでをして筒袖つつそでの袖口を垂れ、顔は茫ぼうとしてよく見えず。妻は名をおつねといえり。おつねのところへ来たるヨバヒトではないかと思い、つかつかと近よりしに、奥の方へは遁にげずして、かえって右手の玄関の方へ寄る故、人を馬鹿にするなと腹立たしくなりて、なお進みたるに、懐手のまま後あとずさりして玄関の戸の三寸ばかり明きたるところより、すっと内に入はいりたり。されど長蔵はなお不思議とも思わず、その戸の隙すきに手を差し入れて中を探らんとせしに、中の障子しょうじは正まさしく閉とざしてあり。ここに始めて恐ろしくなり、少し引き下らんとして上を見れば、今の男玄関の雲壁くもかべにひたとつきて我を見下すごとく、その首は低く垂たれてわが頭に触るるばかりにて、その眼の球は尺余も、抜け出でてあるように思われたりという。この時はただ恐ろしかりしのみにて何事の前兆にてもあらざりき。


○ヨバヒトは呼ばい人なるべし。女に思いを運ぶ人をかくいう。


○雲壁はなげしの外側の壁なり。

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