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2013年1月 3日 (木)

柳田国男「遠野物語」8

八〇
 右の話をよく呑のみこむためには、田尻氏の家のさまを図にする必要あり。遠野一郷の家の建てかたはいずれもこれと大同小異なり。
 門はこの家のは北向きたむきなれど、通例は東向きなり。右の図にて厩舎うまやのあるあたりにあるなり。門のことを城前じょうまえという。屋敷やしきのめぐりは畠にて、囲墻いしょうを設けず。主人の寝室とウチとの間に小さく暗き室あり。これを座頭部屋ざとうべやという。昔は家に宴会あれば必ず座頭を喚よびたり。これを待たせ置く部屋なり。


○この地方を旅行して最も心とまるは家の形の何いずれもかぎの手なることなり。この家などそのよき例なり。


八一
 栃内の字野崎のざきに前川万吉という人あり。二三年前に三十余にて亡くなりたり。この人も死ぬる二三年前に夜遊びに出でて帰りしに、門かどの口くちより廻まわり縁えんに沿いてその角かどまで来たるとき、六月の月夜のことなり、何心なにごころなく雲壁くもかべを見れば、ひたとこれにつきて寝たる男あり。色の蒼あおざめたる顔なりき。大いに驚きて病みたりしがこれも何の前兆にてもあらざりき。田尻氏の息子丸吉この人と懇親にてこれを聞きたり。

八二
 これは田尻丸吉という人が自ら遭あいたることなり。少年の頃ある夜常居じょういより立ちて便所に行かんとして茶の間に入りしに、座敷ざしきとの境に人立てり。幽かすかに茫としてはあれど、衣類の縞しまも眼鼻もよく見え、髪をば垂たれたり。恐ろしけれどそこへ手を延ばして探りしに、板戸にがたと突き当り、戸のさんにも触さわりたり。されどわが手は見えずして、その上に影のように重かさなりて人の形あり。その顔のところへ手を遣やればまた手の上に顔見ゆ。常居じょういに帰りて人々に話し、行灯あんどんを持ち行きて見たれば、すでに何ものもあらざりき。この人は近代的の人にて怜悧れいりなる人なり。また虚言をなす人にもあらず。


八三
 山口の大同、大洞万之丞おおほらまんのじょうの家の建てざまは少しく外ほかの家とはかわれり。その図次のページに出す。玄関は巽たつみの方に向かえり。きわめて古き家なり。この家には出して見れば祟たたりありとて開かざる古文書の葛籠つづら一つあり。

八四
 佐々木氏の祖父は七十ばかりにて三四年前に亡くなりし人なり。この人の青年のころといえば、嘉永かえいの頃なるべきか。海岸の地には西洋人あまた来住してありき。釜石かまいしにも山田にも西洋館あり。船越ふなこしの半島の突端にも西洋人の住みしことあり。耶蘇ヤソ教は密々に行われ、遠野郷にてもこれを奉じて磔はりつけになりたる者あり。浜に行きたる人の話に、異人はよく抱き合いては嘗なめ合う者なりなどいうことを、今でも話にする老人あり。海岸地方には合あいの子こなかなか多かりしということなり。


八五
 土淵村の柏崎かしわざきにては両親とも正まさしく日本人にして白子しらこ二人ある家あり。髪も肌も眼も西洋人の通りなり。今は二十六七ぐらいなるべし。家にて農業を営いとなむ。語音も土地の人とは同じからず、声細くして鋭するどし。


八六
 土淵村の中央にて役場小学校などのあるところを字本宿もとじゅくという。此所に豆腐屋とうふやを業とする政という者、今三十六七なるべし。この人の父大病にて死なんとするころ、この村と小烏瀬こがらせ川を隔てたる字下栃内しもとちないに普請ふしんありて、地固めの堂突どうづきをなすところへ、夕方に政の父ひとり来たりて人々に挨拶あいさつし、おれも堂突をなすべしとて暫時仲間に入りて仕事をなし、やや暗くなりて皆とともに帰りたり。あとにて人々あの人は大病のはずなるにと少し不思議に思いしが、後に聞けばその日亡くなりたりとのことなり。人々悔みに行き今日のことを語りしが、その時刻はあたかも病人が息を引き取らんとするころなりき。


八七
 人の名は忘れたれど、遠野の町の豪家にて、主人大煩おおわずらいして命の境に臨みしころ、ある日ふと菩提寺ぼだいじに訪い来たれり。和尚おしょう鄭重ていちょうにあしらい茶などすすめたり。世間話せけんばなしをしてやがて帰らんとする様子に少々不審あれば、跡より小僧を見せに遣やりしに、門を出でて家の方に向い、町の角かどを廻りて見えずなれり。その道にてこの人に逢いたる人まだほかにもあり。誰にもよく挨拶して常つねの体ていなりしが、この晩に死去してもちろんその時は外出などすべき様態ようだいにてはあらざりしなり。後に寺にては茶は飲みたりや否やと茶椀を置きしところを改めしに、畳たたみの敷合しきあわせへ皆こぼしてありたり。


八八
 これも似たる話なり。土淵村大字土淵の常堅寺じょうけんじは曹洞宗そうとうしゅうにて、遠野郷十二ヶ寺の触頭ふれがしらなり。或る日の夕方に村人何某という者、本宿もとじゅくより来る路にて何某という老人にあえり。この老人はかねて大病をして居る者なれば、いつのまによくなりしやと問うに、二三日気分も宜よろしければ、今日は寺へ話を聞きに行くなりとて、寺の門前にてまた言葉を掛け合いて別れたり。常堅寺にても和尚はこの老人が訪ね来たりし故ゆえ出迎え、茶を進めしばらく話をして帰る。これも小僧に見させたるに門の外そとにて見えずなりしかば、驚きて和尚に語り、よく見ればまた茶は畳の間にこぼしてあり、老人はその日失うせたり。


八九
 山口より柏崎へ行くには愛宕山あたごやまの裾すそを廻まわるなり。田圃たんぼに続ける松林にて、柏崎の人家見ゆる辺より雑木ぞうきの林となる。愛宕山の頂いただきには小さき祠ほこらありて、参詣さんけいの路は林の中にあり。登口のぼりくちに鳥居とりい立ち、二三十本の杉の古木あり。その旁かたわらにはまた一つのがらんとしたる堂あり。堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。昔より山の神出づと言い伝うるところなり。和野わのの何某という若者、柏崎に用事ありて夕方堂のあたりを通りしに、愛宕山の上より降くだり来る丈たけ高き人あり。誰ならんと思い林の樹木越しにその人の顔のところを目がけて歩み寄りしに、道の角かどにてはたと行き逢いぬ。先方は思い掛けざりしにや大いに驚きて此方を見たる顔は非常に赤く、眼は耀かがやきてかついかにも驚きたる顔なり。山の神なりと知りて後あとをも見ずに柏崎の村に走りつきたり。

○遠野郷には山神塔多く立てり、そのところはかつて山神に逢いまたは山神の祟を受けたる場所にて神をなだむるために建てたる石なり。

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