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2013年1月 6日 (日)

遠野物語1

一〇
 この男ある奥山に入り、茸きのこを採るとて小屋を掛かけ宿とまりてありしに、深夜に遠きところにてきゃーという女の叫び声聞え胸を轟とどろかしたることあり。里へ帰りて見れば、その同じ夜、時も同じ刻限に、自分の妹なる女その息子むすこのために殺されてありき。


一一
 この女というは母一人子一人の家なりしに、嫁よめと姑しゅうととの仲悪あしくなり、嫁はしばしば親里へ行きて帰り来ざることあり。その日は嫁は家にありて打ち臥ふしておりしに、昼のころになり突然と倅せがれのいうには、ガガはとても生いかしては置かれぬ、今日きょうはきっと殺すべしとて、大なる草苅鎌くさかりがまを取り出し、ごしごしと磨とぎ始めたり。そのありさまさらに戯言たわむれごととも見えざれば、母はさまざまに事を分わけて詫わびたれども少しも聴かず。嫁も起き出いでて泣きながら諫いさめたれど、露つゆ従したがう色もなく、やがて母が遁のがれ出でんとする様子ようすあるを見て、前後の戸口をことごとく鎖とざしたり。便用に行きたしといえば、おのれみずから外より便器を持ち来たりてこれへせよという。夕方にもなりしかば母もついにあきらめて、大なる囲炉裡いろりの側かたわらにうずくまりただ泣きていたり。倅せがれはよくよく磨とぎたる大鎌を手にして近より来たり、まず左の肩口を目がけて薙なぐようにすれば、鎌の刃先はさき炉ろの上うえの火棚ひだなに引ひっかかりてよく斬きれず。その時に母は深山の奥にて弥之助が聞きつけしようなる叫び声を立てたり。二度目には右の肩より切きり下さげたるが、これにてもなお死絶しにたえずしてあるところへ、里人さとびとら驚きて馳はせつけ倅を取とり抑おさえ直に警察官を呼よびて渡わたしたり。警官がまだ棒を持ちてある時代のことなり。母親は男が捕とらえられ引き立てられて行くを見て、滝のように血の流るる中より、おのれは恨うらみも抱いだかずに死ぬるなれば、孫四郎は宥ゆるしたまわれという。これを聞きて心を動うごかさぬ者はなかりき。孫四郎は途中にてもその鎌を振り上げて巡査を追い廻しなどせしが、狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里にあり。

○ガガは方言にて母ということなり。


一二
 土淵村山口に新田乙蔵にったおとぞうという老人あり。村の人は乙爺おとじいという。今は九十に近く病やみてまさに死しなんとす。年頃としごろ遠野郷の昔の話をよく知りて、誰かに話して聞かせ置きたしと口癖くちぐせのようにいえど、あまり臭くさければ立ち寄りて聞かんとする人なし。処々ところどころの館たての主ぬしの伝記、家々いえいえの盛衰、昔よりこの郷ごうに行おこなわれし歌の数々を始めとして、深山の伝説またはその奥に住める人々の物語など、この老人最もよく知れり。

○惜おしむべし、乙爺は明治四十二年の夏の始めになくなりたり。


一三
 この老人は数十年の間山の中に独ひとりにて住みし人なり。よき家柄いえがらなれど、若きころ財産を傾け失いてより、世の中に思いを絶たち、峠の上に小屋こやを掛け、甘酒あまざけを往来おうらいの人に売りて活計とす。駄賃だちんの徒とはこの翁を父親ちちおやのように思いて、親したしみたり。少しく収入の余あまりあれば、町に下くだりきて酒を飲む。赤毛布あかゲットにて作りたる半纏はんてんを着て、赤き頭巾ずきんを被かぶり、酔えば、町の中を躍おどりて帰るに巡査もとがめず。いよいよ老衰して後、旧里きゅうりに帰りあわれなる暮くらしをなせり。子供はすべて北海道へ行き、翁ただ一人なり。

一四
 部落ぶらくには必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマという神を祀まつる。その家をば大同だいどうという。この神の像ぞうは桑くわの木を削けずりて顔かおを描えがき、四角なる布ぬのの真中まんなかに穴を明あけ、これを上うえより通とおして衣裳いしょうとす。正月の十五日には小字中こあざじゅうの人々この家に集まり来きたりてこれを祭る。またオシラサマという神あり。この神の像もまた同じようにして造り設もうけ、これも正月の十五日に里人さとびと集まりてこれを祭る。その式には白粉おしろいを神像の顔に塗ることあり。大同の家には必ず畳たたみ一帖いちじょうの室しつあり。この部屋へやにて夜よる寝ねる者はいつも不思議に遭あう。枕まくらを反かえすなどは常のことなり。或いは誰かに抱だき起おこされ、または室より突つき出いださるることもあり。およそ静かに眠ることを許さぬなり。


○オシラサマは双神なり。アイヌの中にもこの神あること『蝦夷えぞ風俗彙聞いぶん』に見ゆ。


○羽後苅和野の町にて市の神の神体なる陰陽の神に正月十五日白粉を塗りて祭ることあり。これと似たる例なり。


一五
 オクナイサマを祭れば幸さいわい多し。土淵村大字柏崎かしわざきの長者阿部氏、村にては田圃たんぼの家うちという。この家にて或る年田植たうえの人手ひとで足たらず、明日あすは空そらも怪あやしきに、わずかばかりの田を植え残すことかなどつぶやきてありしに、ふと何方いずちよりともなく丈たけ低ひくき小僧こぞう一人来たりて、おのれも手伝い申さんというに任まかせて働はたらかせて置きしに、午飯時ひるめしどきに飯めしを食わせんとて尋たずねたれど見えず。やがて再び帰りきて終日、代しろを掻かきよく働はたらきてくれしかば、その日に植えはてたり。どこの人かは知らぬが、晩にはきて物を食くいたまえと誘さそいしが、日暮れてまたその影かげ見えず。家に帰りて見れば、縁側えんがわに小さき泥どろの足跡あしあとあまたありて、だんだんに座敷に入り、オクナイサマの神棚かみだなのところに止とどまりてありしかば、さてはと思いてその扉とびらを開き見れば、神像の腰より下は田の泥どろにまみれていませし由よし。


一六
 コンセサマを祭れる家も少なからず。この神の神体はオコマサマとよく似たり。オコマサマの社は里に多くあり。石または木にて男の物を作りて捧ささぐるなり。今はおいおいとその事少なくなれり。


一七
 旧家きゅうかにはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童児なり。おりおり人に姿を見することあり。土淵村大字飯豊いいでの今淵いまぶち勘十郎という人の家にては、近きころ高等女学校にいる娘の休暇にて帰りてありしが、或る日廊下ろうかにてはたとザシキワラシに行き逢あい大いに驚きしことあり。これは正まさしく男の児こなりき。同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物ぬいものしておりしに、次の間にて紙のがさがさという音あり。この室は家の主人の部屋へやにて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思いて板戸を開き見るに何の影もなし。しばらくの間あいだ坐すわりて居ればやがてまた頻しきりに鼻を鳴ならす音あり。さては座敷ざしきワラシなりけりと思えり。この家にも座敷ワラシ住めりということ、久しき以前よりの沙汰さたなりき。この神の宿やどりたもう家は富貴自在なりということなり。


○ザシキワラシは座敷童衆なり。この神のこと『石神いしがみ問答』中にも記事あり。


一八
 ザシキワラシまた女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門という家には、童女の神二人いませりということを久しく言い伝えたりしが、或る年同じ村の何某という男、町より帰るとて留場とめばの橋のほとりにて見馴みなれざる二人のよき娘に逢えり。物思わしき様子にて此方へ来きたる。お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸きのこの毒に中あたりて一日のうちに死に絶たえ、七歳の女の子一人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近きころ病やみて失せたり。


一九
 孫左衛門が家にては、或る日梨なしの木のめぐりに見馴みなれぬ茸きのこのあまた生はえたるを、食わんか食うまじきかと男どもの評議してあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食わぬがよしと制したれども、下男の一人がいうには、いかなる茸にても水桶みずおけの中に入れて苧殻おがらをもってよくかき廻まわしてのち食えば決して中あたることなしとて、一同この言に従い家内ことごとくこれを食いたり。七歳の女の児こはその日外に出いでて遊びに気を取られ、昼飯を食いに帰ることを忘れしために助かりたり。不意の主人の死去にて人々の動転してある間に、遠き近き親類の人々、或いは生前に貸かしありといい、或いは約束ありと称して、家の貨財は味噌みその類たぐいまでも取り去りしかば、この村草分くさわけの長者なりしかども、一朝にして跡方あとかたもなくなりたり。

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