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2014年1月 9日 (木)

複雑怪奇「ドグラ・マグラ」初期の草稿見つかる

ドグラ・マグラ

 当初の題は「狂人の解放治療」として書き始め、1930年にドグラ・マグラと改題した。二つの殺人を犯したらしい「私」は、博士から記憶を取り戻すように迫られるが「自分探し」の迷宮に引きずり込まれていく。作中に「ドグラ・マグラ」という物語が登場するなど、現実と虚構が幾層にも交錯する幻惑的な小説。発売当時、雑誌では「日本一幻魔怪奇の本格的探偵小説」と宣伝された。
(西日本新聞 2014年1月8日掲載)

Doguramagura

夢野久作「ドグラ・マグラ」 初期の自筆原稿発見 長男遺品から
 福岡市出身の小説家、夢野久作(本名杉山直樹、1889〜1936)が10年の歳月をかけて書き上げた代表作「ドグラ・マグラ」の初期自筆原稿が見つかった。推敲(すいこう)を重ねた同作の草稿は数多く残っているが、初期のものはほとんどない。出版されたものにはない文章もあり、探偵小説三大奇書として知られる名作の変遷がわかる貴重な資料だ。

 久作らの功績を検証しようと昨年発足した「夢野久作と杉山3代研究会」(福岡県筑紫野市)の会員が昨年11月、九州大学記録資料館が保管している久作の長男、杉山龍丸さん(1919〜87)の遺品にあった原稿用紙444枚の中から見つけた。龍丸さんは、久作の原稿の裏紙を随想などのメモ用紙に使い、そのまま保管していたとみられる。

 久作研究者の大鷹涼子さん(35)が筆跡などから久作の自筆原稿と断定。444枚のうち、原稿用紙(400字詰め)261枚がドグラ・マグラの後半からラストまでの草稿だった。

 久作は九州日報(現在の西日本新聞)記者などを経て1926年に作家生活に入り、同年からドグラ・マグラの執筆を始めた。九州大学の精神病棟に記憶喪失者として収容された「私」を主人公とした幻惑に満ちた内容や、原稿用紙1200枚を超える大作ゆえか出版社が決まらず、10年にわたり手を入れ続け、35年にようやく出版された。

 大鷹さんによると、久作はデビュー当時400字詰め原稿用紙を使っていたが後に200字詰めに変更。今回の原稿は大正末期から昭和初期に書かれたものとみられる。福岡県立図書館にはドグラ・マグラの原稿約3千枚が寄託されているが、初期のものは作品冒頭部の約50枚のみという。今回の草稿は、現在流通する完全版と比べると、大筋は同じだが細部に加筆修正が確認できる。草稿では〈クッキリとあらはれる〉としている箇所が完全版では〈浮き出した〉に変わるなどラスト部分では表現を細かく修正。〈ブウウウ……ンン……ンンン…………。〉で終わる有名なラストは、草稿で〈=九州帝国大学精神病科教室標本室備品=〉が加わっている。

 「夢野久作読本」などの著書がある作家多田茂治さん(85)は「改稿を重ねたことは久作の日記で分かっているが、その詳細は不明だった。初期の草稿は大変貴重な資料だ」と話している。

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