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2014年2月21日 (金)

「犬神博士」夢野久作 3~10

     三

 まず或る村で天変地異が引き続いて起る。又は神隠し、駈落ち、泥棒、人殺しなんどの類が頻々として、在来の神様に伺いを立てた位では間に合わなくなって来ると、村中の寄り合いで評議して一つ犬神様を祭ってみようかと言う動議が成立する。そこで村役、世話役、肝煎き役なんどが立ち上って山の中の荒地を地均して、犬神様の御宮を建てる一方に、熱心家が手を分けて一匹の牡犬を探し出して来る。毛色は何でも構わないが牝犬では駄目だそうだ。牝は神様になる前にヒステリーになってしまうからね。
 その牡犬を地均した御宮の前に生き埋めにして、首から上だけを出したまま一週間放ほったらかして置くと、腹が減ってキチガイのようになる。そこでその汐時を見計らって、その犬の眼の前に、肉だの、魚だの、冷水だのとタマラナイものばかりをベタ一面に並べて見せると犬は、モウキチガイ以上になって、眼も舌も釣り上った神々しい姿をあらわす。その最高潮に達した一刹那を狙って、背後から不意討ちにズバリと首をチョン斬って、かねて用意の素焼きの壺に入れて黒焼きにする。その壺を御神体にして大変なお祭り騒ぎを始める。
 ところでその犬神様に何でもいいから、お犬様のお好きになりそうなものを捧げて、お神籤を上げると、ほかの神様にわからなかった事が何でも中あたると言うから妙だ。天気予報から作の収穫みいり、漁獲のあるなしはむろんの事、神隠しが出て来る。駈落ちが捕まる。間男、泥棒、人殺しが皆わかると言うのだが、成る程考えたね。人間だってそんな眼に会わせたら大抵神様になるだろうが。
 尤も吾輩は別だ。そんな手数をかけなくとも現在が既に神様以上だ。お神酒みきを一本上げれば大抵の事は聞く。しかも善悪にかかわらないから便利だ。運気、縁談、待ち人、家相、人相、地相、相性を初めとして、人事、政事、商売、その他百般何でもわかる。但し、即座にわかる事もあれば、二、三日一週間ぐらいかかる事もあるが、これは止むを得ない。吾輩の御託宣はソンナ犬神様みたような非科学的なものじゃないからナ。
 ハハア? 何処どこでそんな神通力を得たと言うのか。それはナカナカ大きな質問だ。第一吾輩の身の上話を聞かないと解らん。ウーム。問われて名乗るも嗚滸おこがましいが、所望とあらば止むを得ない。ハッハットウトウ喋舌しゃべらせられる事になった。大抵煙に巻かれて逃げ出すだろうと思っていたが、逃げ出さない処が新聞記者だな。ナニナカナカ面白い。畜生。あべこべにオダテていやがる。
 俺の身の上話はしてもいいが、どこから始めていいか見当が付かないので困るのだ。とりあえず両親が俺を生んだ処から始めたいのだが、そこいらの記憶が甚だ茫漠としていて取り止めがない。世の中には記憶のいい奴があればあるもので、蜀山人という狂歌師が、文政六年の四月頃、七十五で大病にかかって寝ていると、近所に火事が始まったので、門弟どもが手取り足取り土蔵の中に避難させた。その時に門弟の中のあわてものが、先生ここで一句如何ですと言うと、蜀山人片息になりながら声に応じて詠んだ。
  生まるるも慥たしかここらと思いしが
         死にゆく時も又倉の中
 とね。ヒドイ辞世を詠ませたものだ。尤も七十いくつになって死にかかっていながら、これ位のエロ気があるんだから、大したオヤジだろう。生まれた時のことを記憶しているのも無理はないが、吾輩はソンナ記憶が全くない。ないばかりでなく、俺の記憶に残っている両親はドウヤラ本物の両親ではないらしいから困るんだよ。よくわからないが、どこかで棄子か何かになっている吾輩を拾い上げて育てたものらしい。事によると本当の両親に売られたのかも知れないね。手前てめえの身体には金が掛かっているとか、生みの恩より育ての恩とか何とか言ってはよく吾輩を打ぶったり叩いたりしたものだから……。生まれた時の事なんか尋ねたらブチ殺されたかも知れない。

     四

 仮りにも親と名の付いた者を悪く言っては相済まぬ訳だが、吾輩の所謂両親なるものは縦から見ても横から見ても親とは思えない。そうかと言って雇主とも思えないと言う、世にも変テコな男女であった。
 その男親と名乗る方は、普通の人間よりも眼立って小さい頭をイガ栗にした黒アバタで、アゴの干物見たいに瘠せこけた小男であった。冬はドテラ、夏は浴衣の上から青い角帯を締めて赤い木綿のパッチを穿いて、コール天の色足袋に朴歯ほうばの下駄、赤い手拭で覆面をして鳥追い笠を冠って、小鼓を一梃提げて、背中に茣蓙二枚と傘を二本背負っていた。
 又女の方は男と正反対に豚みたいに赤肥りしたメッカチで、模範的な獅子鼻を顔のマン中に押しつけて、赤い縮れっ毛を櫛巻にして三味線を一梃抱えていた。そのほかは亭主だか……何だかわからない男と揃いであったが、冬になると黒襟のかかった縞の絆纏みたようなものを着るだけが違っていた。
 こう説明して来たら、その頃の吾輩の扮装いでたちも大抵想像が付くだろう。お合羽さんに振り袖、白足袋に太鼓帯、真白な厚化粧、頬と眉の下と唇と眼尻に紅を引いて、日傘と風呂敷包みを一個と言うのだから、何の事はない最新流行のモガが焼芋を買った恰好だ。おまけに親子三人とも皮膚の色から着物から下駄まで、雨風に晒された七ッ下りで、女親の持っている三味線の三の糸だけが黄色いのと、男親の小鼓の調紐しらべが半分以上細引で代用してあるのが、今でも気になって仕様がないほど見窄みすぼらしいものであった。
 吾輩はこの両親にあらゆる悪い事を仕込まれた。世間並の親だと自分たちは勝手な悪事を働いていながらも、子供にだけは善い事をさせようとする。継母が継ッ子をイジメるのでも、悪い事を取り立てて叱るもんだが、この両親はまるで正反対だった。吾輩が悪い事をすればする程機嫌がよくて、その上にもモットモット悪い事を仕込もうとするのだから敵かなわない。
 この両親が吾輩を引率して一つの村里に来かかると、たいてい村の入口の橋の処あたりから女親が片肌を脱いで、派手な襦袢じゅばんをヒラヒラさして三味線を弾きはじめる。オット忘れていた。その前にモウ一つ仕事があるのだ。ズット道を後おくれている吾輩を女親が振返って三味線を縦に抱え直しながら、編笠の下の暗い処で小さな片眼をギョロリと光らす。同時に梅雨つゆ明けの七面鳥みたいな猛烈な金切声を出すのだ。ソイツが最初の間は何を言っているのかサッパリ判らなかったが、後になってヤット判った。吾輩の歩き方が遅いのを叱っているのだ。
「ニャーゴッしよんかア。コン外道げどうサレエ」
 これが村に入るたんびに繰り返されるのだから、吾輩もいつの間にか慣れっこになってしまって、後には三味線を弾き始めるキッカケ位にしか思われないようになった。
 ところで吾輩が何故道を遅れるかと言うと、身体不相応な風呂敷包を提げているからだ。この風呂敷の中には三人分の着換えと、女親の手鏡が一個入っているのだが、その手鏡の重さがヒシヒシと腕にこたえた。ことに冬はいいが暖かくなると冬着が三枚入る訳だからトテモ大きな重たい包みになる。おまけに今から考えてみると三月から十月一パイは親子三人共派手な浴衣でいるのだから、一年のうちで八ヵ月は重たい包みを担がせられていた訳だ。
 女親が担いだらよさそうなものだが、あんまり肥り過ぎていて冬でも股擦れがする。三味線一梃がヤットコサで、天気になるとすぐに下駄を吾輩の包みに突込んで草履を穿く位だったから、正直の処、荷物なんか持てないらしかった。男親は男親で傘二本と茣蓙二枚でヒイヒイ言う位の意気地なしだから、結局、吾輩以外に包みの持ち手がないと言う訳になる。
 その上に、田舎道の事だから春になると蝶々が飛ぶ。花が咲く。秋になるとトンボが流れる。柿が並ぶ。汽車が行く。シグナルが落ちると言った塩梅あんばいで、荷物を担いで行く子供に取っては、シンカラ地獄めぐりと同様の誘惑を感ずるのであった。ところが親たちは又吾輩と全然正反対の考えで、一刻も早く向うの村に着いて、一銭でも余計に稼ごうと言うのだから、双方の主張が一町二町の相違となって現われるのは当り前だ。吾輩の体力と健脚はその時分から養成されていたんだね。
 吾輩が所謂両親から仕込まれた善い事は、タッタこれ一つだったね。あとはみんな碌でもない事ばかりだった。

     五

 ところで吾輩が今から話すような事を新聞に載せると、うちの子供の教育にならぬと言って抗議を申込む親たちが現われるかも知れないが、その点は御心配御無用だ。吾輩の両親みたいな両親は絶対に外にいないし、吾輩みたいな児こも又滅多にいるものでない。但し五十歩百歩の程度のなら肉親の親子でも、ないとは限らないが、それならそれで又、参考になるだろう。論より証拠、吾輩が或る処でこの意味の演説をして聞かせたら「そりゃあそうかも知れませんね。しかし憚りながらポンポンながら私の子供は私が勝手に育てます。ハタから余計な差出口は止して下さい」と言う無反省な親が出て来た。この親なんかは吾輩の両親とソックリそのままだから面白いね。吾輩が打たれるのを見るに見かねて止めに来た人達に、吾輩の両親はソックリそのままの文句を言っていたから愉快じゃないか。
 尤も吾輩の両親も、村中で吾輩をいじめるような事は滅多にしなかった。
 一番恐ろしいのは山道か何かの人通りの絶えた処であった。そんな処でウッカリ道に後れようものなら、すぐに引っ捕えられて裸体はだかにされて、それこそ息も絶え絶えの眼に会わされるのであった。
 それも初めは母親が吾輩を膝に乗せて、処嫌わずブン殴るのだが、心臓が悪いか何かでジキに息が切れて来る。そうすると今度は男親に命じて打たせるのであるが、この男親と言うのが又阿呆みたいな人間で、吾輩を草の中か何かに押え付けて、いつまでもいつまでも呑気そうに、ピシャリピシャリとタタキ続けるのだからたまらない。イクラ泣くまいと強情を張っても、今に大きくなったら見ろ見ろと思い直しても、トウトウ屁古垂れて悲鳴を揚げずにはいられなくなる。
 そこで土の上に両手を突いて、私が悪う御座いました。これから決して遅れませんと謝罪あやまらせられて誓わせられる。時によると二度も三度も念を押されるから、こっちも仕方なしに観念して、二度でも三度でもあやまり、かつ誓う。ところが心の中では決して悪いとも、遅れまいとも思っていないのだ。当り前だ畜生。ドウするか今に見てろと子供心に思っているのだから大変な親子だ。まるで嘘を吐つく猛練習をやらされているようなもんだ。
 しかし両親はこの嘘を吐かせた処で満足するらしい。むろん親らしい見識欲を満足させられるからでもあろうが、しかし吾輩が男親に打たれているうちに女親が何度も何度も片ッ方の見えない眼を引っくり返して、アクビをする事があるのを見ると、ソレ許りとは思えない。つまり一休みする序ついでに、道傍みちわきの蛙をいじめるような考えで、言わば退屈凌ぎにやっているのだから、一通り疲れが休まると、すぐに先を急ぐ気になるのが当然だ。そんな人情の機敏を四ツや五ツの吾輩が理解したと言うと嘘のように思うかも知れないが、実は絶体絶命の苦し紛れからソンナ頭が働くようになったものらしい。
 とにかくそこで吾輩は襟首を引っ立てられて、大急ぎで着物を着せられる。
「シブテエ児こだ。サッサと帯を結ぼう。アレッ。その手で涙拭くと面つらが汚れるでネエケエ。コッチ来う」
 と女親に引き寄せられて、お合羽さんを撫で付けられて、白粉や紅を直して貰う。そうなると又生まれ付き単純な吾輩は、何となく親らしいなつかし味を感じて、今までの怨み辛味を忘れながら、縋り付いて行きたいような気持ちになっている。そこをモウ一つ、
「サッサと歩こう」
 とがなり付けられて、荷物と一緒に突き離される。又口惜しい、残念だと思い直す。だから村が見えて来るとホットする訳だ。つまり村の近くになりさえすれば両親が吾輩をドウもし得ない事を見越しているから、平気でと言うよりも寧ろ讐討かたきうちの気味合いでブラリブラリと遅れ始めるのだ。この親にしてこの子ありと言う恰好だね。
 コンナ調子で村に着くと又、言語道断な騒ぎが始まるのだ。

     六

 村の入口に来ると前言った通りに、女親が一度吾輩を鵞鳴がなり付けて、持っている荷物を邪慳じゃけんに引ったくって男親に渡す。男親が不承不承に引き取って左の二の腕に引っかける。そこで女親はモウ一度三味線を抱え直してペコペコと弾き始める。それをキッカケに吾輩が、振袖をヒラヒラさせながら真ッ先に立つと、その後から男親がホイホイと掛け声をしながら鼓を打って踉ついて来る。そのあとから女将軍が三味線を弾き弾き練り出して行くんだが、女の三味線は大した事はないけれども男の鼓が非常に軽妙だから、三味線の調子ばかりでなく、吾輩の足どりまでも浮き浮きして来る。何という囃子はやしだか知らないが、鰌すくいと木遣り音頭を一緒にしたようなものだと言えば、聞いた事のある人は大抵思い出すだろう。近来よく来る虫下し売りなぞも、似たようなものをチャンチキリンや太鼓入りでやっているようだ。
 そのうちに程よい空地か神社の境内、又は道幅の広い処に来ると、男親が荷物を卸して茣蓙を二枚道傍に向って拡げる。一枚が舞台で一枚が楽屋だ。その楽屋の上に両親が坐って、同時にイヤアホウという掛け声をかけると、囃子の調子がかわるのに連れて、吾輩が両袖を担いで三番叟さんばそうの真似を始める。この辺は仲々本格だが、実はこの三番叟の中で男がかける突飛な掛け声を聞いて人が集まる仕かけになっているので、そのうちに五、六人も大人が立ち止まると、又も囃子の調子が一変して、普通の手踊りの地を男が謡い出す。女も時々継ぎ穂を唄うには歌うが、ギンギンした騒々しい声でトテモ男には敵わない。男の声は俗に言う痘痕声ジャンコーごえと言う奴で永年野天で唄っているせいか朗かなうちに寂さびがある。
 唄い出すものはカッポレ、奴さん、雨ショボ、雪はチラチラなんぞのありふれた類で、ソイツに合わせて吾輩が踊る訳だが、吾輩は踊りの天才だったらしいね。今でも天才かも知れないが、その頃から既に大衆を惹き付ける技巧を持っていたと見えて、貰いがナカナカ多かった。今はないが二十銭銀貨を投げるお客が珍しくなかったんだから豪気なもんだろう。お祭りの村なぞにブツカルと夜通し方々で引っぱり凧になったもんだ。
 むろん吾輩の踊りばかりが上手な訳じゃなかった。吾輩に振りをつけてくれた男親の地唄が又トテモよかったもので、吾輩も女親の三味線なんかテンデ問題にしないで、男の鼓と歌に乗せられて踊っていたもんだが、ここに一つ困ったのは男の唄の文句だった。
 他所よそのお座敷でやる時なんかはさほどでもないが、往還傍おうかんばたや空地の野天でやる時は、トテモ思い切った猥雑な文句を、平気の平左でイヤアホーと放送する。その文句に合わせて、そんな身ぶりを習った通りに踊らなくちゃならないのだからトテモ難儀だ。むろん四つか五つの子供だから意味なんかテンデ解らないが、矢鱈にお尻を振ったり色眼を使ったりして、踊りの手を崩して行くのが子供心に辛かった。何だか芸術を侮辱しているようでネ。ハッハッ……。
 しかしそのお尻の振り工合が悪いと、アトで非道ひどい眼にブン殴られるのだから、イヤでも一所懸命にやる。そうなると見物が哄どっと笑う。情ないにも何もお話にならない。しかも見物は女の児の積りで猥雑な身ぶりを喜んでおるのに、踊っている本人の正体は泣きの涙の男の子なんだから、イヨイヨナンセンスこの上なしだ。
 イヤ。まったく冗談じゃないよ。コンナ話を教育上ためにならないなぞと軽蔑する連中は考えてみるがいい。吾輩の両親みたいな方角違いの児を育てている両親がそこいらにウジャウジャいはしないか。
 早い話が支那人チャンチャンは支那人の児を育てている。露助はロスキーの児を育てている。印度人は印度ッ子を育て、エスキモーはエスキモーッ子を教育しているさなかに、日本人ばかりが吾れも吾れもと西洋人みたいな児を育てたがるのはドウした事だ。大切な親様を生まれ立ちからパパ、ママと呼び棄てにさして、頭を鏝こてで縮らして、腕を肩まで出させて、片仮名語を使わせて、裸体はだか人形を机の上に飾らせて、ピアノを小突こづかせて、靴拭いダンスを稽古させて、自由結婚や友愛結婚を奨励する本を読ませて、麦稈むぎわらで水を飲まして、ハンカチで尻を拭かせて平気でいる。吾児が毛唐らしく見えて来れば来るほど高等教育を施した積りで、高くもない鼻をヒク付かせているのは何と言うナンセンスだ。家鴨あひるの雛こを育てる鶏だってモウちっとは心配するもんだ。しかも、それが上流の知識階級になればなる程、盛んなんだからウンザリせざるを得ざるべけんやじゃないか。おまけにソンナ親たちは寄ると触ると、子供のために苦労するような事ばかり言っている。まるで外国のために苦労しているようなもんだ。そうかと思うと心ある連中は、日本を通り越して、ジャバかスマトラみたような子供を育てている。何の事だか訳がわからない。

     七

 この点になると吾輩の親たちは断然、最新式モダーンの尖端トップを切っていた訳だね。毛唐の真似どころじゃない。男の児を無理やりに女の児にして育て上げて、生活の合理化を遣ると同時に、性教育まで施していたんだから斬新奇抜アラモードだろう。
 ただしこのアラモード教育は吾輩に何等の効果を及ぼさなかった。尤も及ぼしては大変だが、お蔭で吾輩は七、八ツ頃まで男と女の区別を知らなかった。男の風をしている女もあるし、女の風をしている男もいるのだと、自分に引き比べて想像していた。そうして頭が白髪しらがになるまで腕力で頑張った強い奴が爺じじいになって、口先ばかりの弱い奴が婆ばゝあになるんだろう。オレの両親なんかは、おしまいに男と女とアベコベになるのかも知れない。オレも今の中は小ちゃくて弱いから女で我慢していて遣るが、そのうちにモット強くなったら、両親を二人とも女にして、茣蓙の上で踊らせて、自分だけが男になって歌を唄って鼓を叩いて遣ろう……くらいにしか考えていなかった。今でも時々ソンナ夢を見る事があるがね。その頃の吾輩が考えていた世の中は実に奇妙不可思議なものだったね。
 ところがこうした吾輩に対する尖端的アラモード性教育も、巡査の影を見ると一ペンに早変りをしたものだ。全然予告なしのダンマリで、恐ろしく古典的な、真面目腐ったものに変るのだから面喰らったね。
 吾輩の男親は、歌を唄ったり囃したりしながら、時々頭を低くして、ドブ鼠みたような眼をキョロキョロさせて、群集の股倉越しに往来の遠くの方を覗きまわる。そうして巡査の影をチラリと見るか、サアベルの遠音とおねでも聞いたが最後、澄ましかえって歌の文句を換える。「奥の四畳半」が「沖の暗いの」にかわり「いつも御寮ごりょうさん」が「いつも奴さん」に急変する。ところが踊っている吾輩の方では今言う通り性的観念が全くないのだから、文句がドンナに変化しても無感覚だ。ウッカリ真面目腐った文句のうちで色眼を使ったりSの字になったりしていると、男親がエヘンと言う。それでも気が付かないでやっていると、男親が鼓を止めて茣蓙を直す振りをしながらグイと引っぱる。あぶなく足を取られてノメリそうになるので、ヤット気が付いて普通の「活惚かっぽれ」や「奴さん」をやっていると、そのうちにいつの間にか巡査が遠くへ行ってしまって、文句が又猥雑なものに逆戻りしている。知らずにやっていると又茣蓙を引っぱられる。こんな風でアンマリ何度も手数をかけると、あとで恐ろしく小突かれるのだから、踊りながらも緊張していなければならない。
 ところが油断がならないのは単に巡査ばかりではない。こんな小さな一座でも相当な苦手がいて、いろいろな迫害を加える場合がナカナカ多いのだ。中には面白半分に弥次やじるのもあるらしいが、相当の収入があると睨んで恐喝同様の手段に訴える奴が又チョイチョイいるからたまらない。大道芸人や縁日商人は言うに及ばず、寄席芸人や浪花節語り、香具師やしや触れ売り商人など言う、チョット見にノンキ相な商売であればある程、こうした苦手がいろいろいるもので、彼等はそんな連中を一口にケダモノと言っているが、そんな連中の御蔭で人知れぬ苦労が多いことは、表面上立派に見える商売であればある程、裏面に見っともない半面があるのと同様だ。
 吾輩が半畳の舞台で盛んに馬力をかけて、小さなお尻を器用に振りまわす。見物がドット来る。今にも穴のあかないお金が降りそうな空模様になっている処へ、群衆を押し分けて、四十が五十位のオヤジが出て来る。ソイツが区長さんとか村長さんとか言う人間で、大道芸人に言わせると、やはりゲダモノの一種なのだ。
「コラッ。この村でコンゲな踊り踊らする事ならん。去年から盆踊り止めさせられたチュウ事知らんか。サッサとこの村出て行き腐れ。見る奴も見る奴じゃ。阿呆な面さげて、三つや四つの子供が尻打ち捨てるのが何が面白いか。ソンゲな隙に田甫たんぼのシイラでも引け。帰れ帰れ」
 こんなケダモノに出会ったら何もかもワヤだ。営業妨害もヘッタクレもあったものではない。々そうそうに茣蓙を巻いて逃げ出さねばならぬ。念入りなケダモノになると、ワザワザ村外れまで見送って来るのがある。そうかと思うとズッと離れた向うの部落で新規巻直しの興行をやっている処へ、最前とおんなじ風俗改良のケダモノが又吠え付いて来る。よく聞いてみると、今やっている部落は最前とおんなじ部落の別れでおんなじケダモノの支配下だったりする。惨憺たる光景だ。
 しかもそんな打撃のお尻は後でキット、八ツ当り式に吾輩に報むくいて来るんだから遣り切れない。踊りが拙まずいから貰いが些すくないとか何とか言って打たれるのだが、イクラ吾輩が舞踊の天才だって、風俗改良係を感心させる程巧妙にお尻は振れまいじゃないか。まだある。

     八

 その頃は日清戦争前後だったが、今よりも景気がよかったのだろう。いろいろなお節句や、お祭り、宮座、お籠りなぞ言う年中行事も今より盛んだったらしく、酔っ払いがナカナカ多かった。地酒の頭にあがったのや、真夏の炎天に焼酎を飲んで飛び出した奴なんかが、鼓や三味線の音をきき付けて野次りに来る。タチのいいのはフラフラしながら割込んで来て「日清談判」を踊れの「高砂やア」を唄えなぞと無理な注文を出す位のものだが、タチの悪いのになると吾輩と一緒に茣蓙の上に上って踊り散らして、折角の興行をワヤにしてしまう。中には折角投げて貰った茣蓙の上のお宝を、汚ない足の裏へクッ付けて行く奴さえある。こんなのも大道商人に取ってはケダモノに違いない。
 しかし一番恐ろしいケダモノは何と言っても無頼漢ゴロツキと、親分だ。
 無頼漢と言っても、吾々をイジメに来るのは一番下等な連中に違いないが、いずれ賭博の資本もとでか、飲み代しろにする積りだろう。ペコペコ三味線の音を聞き付けるとスゴイ眼を光らせて遣って来て、イキナリ茣蓙を引んめくって、踊っている吾輩を引っくり返す。乱暴な奴になると茣蓙と吾輩を引っ抱えてどこかへ連れて行こうとする。それからペチャクチャと何か言い出す女将軍の横ッ面を一つ千切れる程ブン殴って大見得を切る。
「この村の何兵衛を知らんか」
 とか何とかわめく。もとより知っている筈はないから、女将軍が歪んだ顔を抱えながら、平あやまりに謝罪あやまって、いくらかお金を握らせる。その手を開いて見て足りないと思うと、モウ一度タンカを切るか、拳固に息を吐きかけるかする。そこで又いくらか足して遣ると、大抵満足して大威張りで帰って行く。イヤ。笑ってはいけない。乞食から銭を貰って威張る商売はまだほかにイクラもあるんだぜ。
 ところで吾輩は、その間じゅうどうしているかと言うと、どうもしない。ゴロツキに抱えられた儘か、又は地びたに尻餅を突いたまま、泣きも笑いもしないで眺めている。そうして一体ドッチが悪いのだろうと子供心に考えていたものだが、これは解りようがなかった。近頃になって社会科学とか何とか言うものが流行はやり出して、矢鱈に文明社会の解剖が行なわれるようになってからヤット合点が行った位だ。すなわち吾々見たような大道乞食を高尚にしたものが、資本階級の幇間たいこもちとも言うべきオベッカ芸術団である。又ゴロツキを大きくしたものが所謂暗黒政治家と言う奴で、いずれもブルジョア文明の傍系的寄生虫である……と言うような七八釜しい理屈がヤット解って来た。だから結局ドッチがドウなってもオンナジ事で、正邪曲直の判断なんかは最初から下しようがなかった訳だが、吾輩も小さい時から頭がよかったと見えて、ソンナ感じがしていたんだね。ドッチがドウだか解らないまま「このゴロツキの小父さんが連れて行ってくれないかナア。そうすりゃあ毎日お尻を振らなくて済むかも知れないけどナア」とか何とか考えながら、ボンヤリ指を啣くわえて見ると、イキナリ女親が吾輩の頸を押え付けて、鼻のアタマを地面ぢびたにコスリ付けながら、
「コオレ……お礼申上げろチュウタラ」
 と厳命する。そこで吾輩がお座敷でやる通りの声を張り上げて、
「尾張おわりが遠とう御座います」
 とハッキリ言う。これは男親が極秘密ごくないしょで教えてくれた洒落で、九州から行くと大阪よりも名古屋の方が遠いのだそうだ。ところがこの洒落がナカナカ有効な洒落で、何も知らないお客が聞くと「ウム。感心だ。貴様も一銭遣るぞ」と投げてくれる。ゴロツキだと大抵の処で負けて帰るのだからドウしても尾張が遠い訳だ。横浜の俥屋が毛唐から余分に俥賃を貰うと、頭を一つ下げて「有り難う御座います。タヌキタヌキ」と言って喜ばせるのと同じ格だろう。
 その次が親分だが、これはおのおの土地土地に乞食、芸人、縁日商人の親分がいて、それぞれ縄張りを持っている。お祭の時なんかはこの親分の許可を受けて、指定された場所で興行しないと非道い眼に会わされるのであるが、この事実は知っている人が多いようだし、おんなじような話ばかり続くから、ここいらで切り上げて、今度は木賃宿の話をしよう。その木賃宿で、吾輩が天才的神通力を現わして、両親を初めとして、大勢の荒くれ男を取っちめた一条だ。

     九

 コンナ風にミジメな稼ぎをして一円かそこら貰い溜めると、女親がいい加減な処で見切りを付けてあまり立派でもない三味線を、大切そうに木綿縞の袋に入れる。それをキッカケに男親が、着物の包みを吾輩に渡す。そうして村外れの木蔭とか、橋の下とか、お寺の山門とか言う人気のない処で貰い溜めの勘定をする。すべてこう言う連中は十中八、九、人前で銭勘定をしないのが通則で、身体じゅうのどこに銭を隠しているかすら人に知らせないのが普通になっている。これは宿に着いてから寝ている間に盗まれない用心の意味も無論含まれているが、第一金を持っている風に見られないのが主要な目的なのだ。コンな仲間で金をチャラチャラさせて見せるのは大抵、街道流れの小賭博打ちと思っていれば間違いはない。
 ところで吾輩の両親は、一通り貰い高の勘定が済むと、今度は二人で分ぶわけを始める。七分三分だか四分六分だかわからないが、女親が余計に取っていたのは事実だ。そうして最後に鐚銭びたせんが五文か七文残ると、それまでも平等に分けて、最後の一厘は有無を言わさず女親が占領する。一厘半の文久銭だと四捨五入して、やはり女親が取るのだから厳重なものだ。
 それから途中の村々をサッサと飛ばして、木賃宿の在る村へと急ぐ。時にはまだ日が高いこともあるが、女親が歩き疲れて頭痛を起したりすると、まだ正午ひる下りで、イクラも稼ぎがないうちでも、巡業中止を宣告する事がある。しかもソンナ時にはキット吾輩の御難が来るので、大きな包みを抱えて赤い鼻緒の下駄を引きずり引きずり後れて来る吾輩を、女親が休み休み振り返って、胴突きまわすのが吉例になっている。つまり頭痛がするのと稼ぎ高が少ないのとをゴチャゴチャにしたムシャクシャの腹癒はらいせを吾輩にオシ冠せる訳だが、何も吾輩が知った事じゃないと憤慨してみた処が始まらない。憤慨して黙っていればいるほど猛烈に来るので、トドのつまり悪くもないのに地びたに手を突いてあやまらせられる処までタタキ付けられるのが落ちだ。今でも正午下りのピカピカ光る太陽を仰ぐとその時分の恐ろしさを思い出させられると同時に、女親のガミ付ける声がどこからか聞こえるように思って、ビクッと首を縮める事がある位だ。そのうちに下駄が切れる。掌を擦り剥く。足の裏が焼けてヒリヒリする。カンカン照り付ける道を汗ダクダクで先に立って歩くと、木賃宿の遠い事遠い事。
 ところで、よく「社会の裏面を研究するには木賃宿に泊って見るべし」とか何とか物の本に書いてあるようだが、あれは嘘だね。要するに真実ほんとうのドン底生活をやった事のない半可通のブルジョアが言う事だ。人間性の醜い裏面を知りたければ金を儲けて、華族や富豪の裏面生活を探るべしだ。第一ソンナ人間性の裏表なんかを使い分けるような余裕のある人間は木賃宿には絶対に泊らない。みんな人間性の丸出しで、善も悪も裏も表もないトテモ朗かな愉快な連中ばかりだ。
 今はどうだか知らないが、その頃の木賃宿では、足を洗って上っても宿帳なんか付けに来なかった。つけようたって無宿のガン八や、ヤブニラミのおチイでは仕様がない。自分の名前が書けない処か、本名を知らない連中が多いのだ。吾輩なんぞはお蔭で今日まで両親の名前を知らないばかりか、自分の名前でさえも本当の事は知らないで通して来たが、しかし人間は元来名前なんか在ろうが無かろうが問題じゃないね。お互いの商売さえわかれば、泥棒だろうが掏摸すりだろうが心置きなく話が出来るものだ。況んや木賃宿に泊る連中だったらタッタ一眼で商売は勿論、生まれ故郷までわかることが多い。中国生まれの鳥追い、長崎生まれの大道手品、上方訛かみがたなまりのアヤツリ使い、丹後の昆布売り、干鰈ほしかれい売り、上等の処で越後の蚊帳売り、越中の薬売り、サヌキの千金丹売りの類で、あとは巡礼、山伏、坊主、お札売りなぞと、大体客筋がきまっている。何処の者ともわからないのは吾々親子三人位のものであった。
 しかも何処の木賃宿に着いても一番贅沢を極めるのは吾輩の両親だったから奇妙であった。もっとも贅沢と言っても米が一升五、六銭から十銭が最極上の時代だから高が知れている。屋根代が三銭に木賃が二、三銭、飯を誂えれば一人前三銭で、ほかに一銭出せばお汁つゆと煮たものがお椀やお皿に山盛つく。湯銭は二文か三文取る処もあれば取らない処もある。今から考えると熊本の白川だったと思うが、橋銭を一銭ずつ取られると言うので、橋番の婆ばばと吾輩の女親が大喧嘩をした。つまり吾輩の橋銭だけ負けろと言って盛んに悪態を吐つき合った揚句一里ばかり遠まわりをした時代だからね。
 そこで女親が湯に入って来ると急に元気付いて晩酌を始める。そのうちに吾輩と一緒に湯に入った男親も、さし向いに坐って晩酌のお流れを頂戴する。朝鮮土産ではないが吾輩の両親はコンナ処まで天下女将軍、地下男将軍だった。

     十

 ところで晩酌と言うと大層立派に聞こえるが、お燗をして盃でチビリチビリやるような、アンナ小面倒な気まずいものじゃない。本当の酒の味は冷酒にあるので、しかもコップ酒に限ったものだ。むろん吾輩の両親たちの晩酌もこの式の神髄を窮きわめたものであったが、そのコップ一パイが三銭か四銭くらい。木賃の亭主が手造りのドブロクだと二銭位の時もあった。その頃は勝手に酒を造ってよかった時代だからね。
 そんな風に酒は非常に安かったものだが、その代りにコップが高価たかかった。と言ってもコップその物が高価いのではない。コップの底が恐ろしく上っていてギリギリ一パイにしてもイクラも入らないから、結局高価い酒につく訳だ。ちょうど横から見ると小人島の手水鉢ちょうずばちか何ぞのように見える硝子製の奴を膳の横に据えると、その前に小山のようなアグラを掻いた天下女将軍が、まず口からお迎いに出てチューと音を立てる。そうしてフウウーウッと団栗眼どんぐりまなこを引っくり返しながら、コップをヌッと眼の前に差し出す。そいつを座り直して畏かしこまった地下男将軍が恭しく受け取って、恐る恐る一口嘗めると、如何にも酸っぱそうに眼をしかめて、ヒョットコ見たように唇を突んがらす。それからチョット押し戴く真似をして、又も恭しく女将軍のお膳に据える。あとは向い同士で互い違いにドングリ眼を引っくり返したり、口を突んがらしたりするのであるが、その間じゅう腹を減らしたまま見物させられている吾輩に取っては、コレ位御丁寧な、自烈度じれったいものはなかった。
 そのうちにヤットの事で一杯がオシマイになるが、これで御飯になるのかと思うとナカナカどうして、そんな運びに立ち到らない。女将軍がアグラの上に両肱を張ってニタリと笑いながら「モウ一パイいかんチエ」と言う。男将軍が「どうぞ」と言わんばかりに恭しく揉み手をする。そこで女将軍が懐中から毛糸の巾着を出して、モウ二銭か四銭ばかりジャラリと膳の横に置いて、ヘッツイの前あたりをウロウロしている木賃の亭主に空のコップを高々と差し上げて見せる。ザット和製の自由女神の像! とでも評したい勇壮偉大な見得だ。
「ま一ちょくれんけえ」
 とやると、そのコップを見上げながら男将軍がペロペロと舌なめずりをしたり顔を撫でまわしたりする。近頃の新しい夫婦なんかは愧死きしすべきダラシのない情景だ。
 しかしその頃の吾輩は、そのコップを見上げても何等の有難味を感じなかった。それどころか、あべこべに心から涙ぐましくなったものであった。まだ飯にならないのかなナアとタメ息をさせられたものであった。明治元年を待ち焦れた高山彦九郎だってこれ程の思いはしなかったろうと思われるほど極度に純真な気持ちになっていたものだが、時勢の推移と言うものはナカナカ思い通りに行くものでなかった。
 そのうちにランプが点いて、二人の顔がとてもグロテスクなものに見えて来る。女親の顔が真赤に光り出して獅子鼻をヒクヒクさせ始める処は、金東瓜の真ン中に平家蟹がカジリ付いたようだ。同時に男親の黒痘痕くろあばたが、いよいよ黒ずんで来て、欠けた小鼻の一部分が血がニジンだように生々しく充血した下から、黒い長い鼻毛が一束ブラ下っている光景はナカナカ奇観だった。耶馬渓に夕日が照りかかったのを十里先から眺めているような感じであった。
 吾輩は、その両親の顔を見上げたり見比べたりしながら、酒というものをタッタ一度でもいいから飲んでみたいナ……と子供心に咽喉のどをクビクビ鳴らしていたね。元来酒好きに生まれ付いていたのだからね。今日に到ってヤット本望を遂げている訳だが、その頃の身分家柄ではトテも酒どころではなかった。第一飯が最初から二人前しか取ってないのだ。
 吾輩は、その両親の傍で、女親の汁椀が空くのを待って、女親の御飯を山盛り一パイ貰うのがおきまりだった。無論一パイ切りであったが、今言う通り飯は二人前しか取ってないのだから、お茶碗が足りないのだ。もっとも茶碗を一個つ買ってくれた事があるにはあったが、間もなく熱いお茶を飲まされて取り落した拍子に、ブチ壊してしまって以来、二度と買って貰えなくなった。大方懲罰の積りだったのだろう。

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