« 「犬神博士」夢野久作 31~40 | トップページ | 「犬神博士」夢野久作 51~60 »

2014年2月23日 (日)

「犬神博士」夢野久作 41~50

     四十一

 吾輩が襖の間から顔を指し出すと殆んど同時に眼の前を火のような真赤なものが横切ったので、ビックリした。慌てて首を引っこめながら、よくよく見ると、それは緋縮緬の長襦袢の前褄を高々と取った髯巡査で、これを青い長襦袢を引きずったトンボ姐さんと手に手を取って達磨の道行きみたいなものを踊っている処であった。
 その横手で手拭を姉さん冠りにした署長さんがペコンペコンと三味線を弾いているが、ドウモうまく行かないらしく、水ッ洟ぱなをコスリ上げては天神鬚をシゴイているが、何べんシゴイてもうまく弾けないらしい。
 それと向い合った縁側のまん中には大友親分が、昇り竜降り竜の黒雲と火焔を丸出しにした双肌脱ぎの向う鉢巻で、署長さんの三味線に構わず両手をたたいて大きな声で歌を唄っている。
「達磨さんえい、達磨さんえい。赤いおべべは誰がくれたア。どこのドンショの誰がくれたア」
「ヨイヨイ」
 と芸者が一斉に手をたたきながら共鳴した。署長の三味線も何も何処かへフッ飛んでしまうくらいスバラシイ景気である。そのさなかで髯巡査が胴間声を張り上げながらドタンドタンと踊り上った。
「これは天竺。色町横町の。オイラン菩薩の赤ゆもじ」
「ヨイヨイ」
 吾輩は髯巡査の踊りの要領を得ているのに感心してしまった。赤い長襦袢から、毛ムクジャラの手足を、煙花はなび線香みたいに突き出して跳ねまわるのだから、チョット見には非常に乱暴な、武骨な踊りのようであるが、その中に言い知れぬ風雅な趣きと愛嬌がある。それがその据わりのいい腰付きに原因していることを発見したので子供ながらモウ一度感心しながら見惚とれていた。
「達磨さんエイ、達磨さんエイ。チョットこちらを向かしゃんせ。味な話があるわいな」
「ヨイヨイ」
「味な話と。聞いてうしろを。チョイと見たれば。梅や桜の花ざかり」
「ヨイヨイ」
「達磨さんエイ、達磨さんエイ。チョイとここらで。座禅休みに。お茶を一パイ飲ましゃんせ」
「ヨイヨイ」
「そげに言うなら。一つくれいと。グイと一杯。飲んでみれば酒じゃった」
「ワハハハハハ」
「オホホホホホ」
「イヒヒヒヒヒ」
 と言う笑い声のうちに髯巡査は盃洗に一パイ注いだ酒をグーッと飲み干すと、赤い長襦袢を引きずったまま自分の席に逃げ帰った。
「イヨ――オオ……」
 と大友親分が手を打って喝采した。それに連れてほかの芸者が一斉に手を打って黄色い声をあげた。署長も渋々三味線を置いて手をたたいたが、その時に最前からコクリコクリと居眠りをしていた禿茶瓶が、凭れていた脇息から膝を外してビックリしながら眼をさました。同時に鼻からプーッと丸い提灯を吹き出したので、吾輩は思わずゲラゲラと笑い出した。
 皆は一斉にこちらを見た。その中にもトンボ姐さんは逸いち早く吾輩を見付けて青い襦袢を引きずったまま走り寄って来た。
「まあ……よう来なざったなア。ばってんがどうかいなア。顔中ば御飯粒だらけえして……」
 と言い言い、傍にいた若い芸妓の懐中を借りて吾輩の顔を直してくれた。
 吾輩はトンボ姐さんに抱きついて顔を直して貰いながらヘラヘラと笑った。
「こんどはワテエが踊って見せて遣ろかい。アネサンマチマチでも何でも……」
「ウワア。賛成……」
 と髯巡査が双手をあげて踊り上った。禿茶瓶も酔眼モーローとして手をたたいた。
「この帯解いてや。あんまり食べて苦しいよって……」
「この帯解かんな踊らにゃこて……お行儀のわるか……」
 とトンボ姐さんが白い眼をして見せた。
「構わん構わん。アネサン待ち待ちなら帯のない方がええぞ。ハハ……」
 と大友親分が吾輩に声援をしたお蔭で吾輩は羽子板の帯から解放されたが、同時に酒の酔いが一時に上って来たらしい。何んだか眼がクラクラして来た。
 そこへ最前から階段の処で寝ていたらしい男親が、酒を運んで来た女中に起こされると同時に鵞鳥みたいな声をあげて、
「祝うたア、祝うたア」
 と座敷のまん中に転り込んで来た。
 その風体を見ると女連中は皆引っくり返って笑った。一方に男連中は、
「イヨー。色男色男」
 と鯨ときの声をあげて拍手喝采したので、座敷中が一時にドヨメキ渡った。
 それまではハッキリ記憶しているようであるが、それから先の記憶がハッキリしていない。そうしてホントウに気が付いた時には、どこかわからない広々とした大川のまん中を、白い帆をかけた船に乗って走っていた。

     四十二

 吾輩はあんまり様子の変りようが甚だしいので、夢ではないかと思いながら、又ジット眼を閉じた。
 しかし眼を閉じて考えてみるとドウモ夢ではないらしい。吾輩は現在たしかに固い板張りの上に、大きな風呂敷包みを枕にして寝ているようである。傍には男親と女親が坐ってヒソヒソ話し合っている声がきこえる。
「アンジョ助かった」
「まだわからヘン。この船、木屋こやの瀬から下り船に乗りかえて若松に出いで、そこから尾の道に渡らんとこっちのもんにならへん」
 とか何とか……。その話の切れ目切れ目に頭の上の高い処からハタリハタリと帆柱の鳴る音がきこえる。枕の下からはパタリパタリ、ピチャリピチャリという水の音が入れ交って伝わって来る。決して夢ではない。
「おかしいな」
 と吾輩はモウ一度子供心に不思議がりながら昨夜ゆうべ?の事を思い出して見た。そうすると、いろいろなアラレもない光景が、夢ともなく、うつつともない絵巻物のように、眼の前に展開されて来た。
 吾輩は、あれから白木綿の襦袢と赤い腰巻一つになって、知事公や、署長や、大友親分や、芸者たちの前でアネサンマチマチ以下の妙技を御披露に及んで大喝采を博したようである。実にアカメン・エンド・アセガンの到りで、吾輩が酒のために失敗したのはこの時を以て嚆矢こうしとする次第であるが、しかしその時にはたしかに大得意だったようである。況んや、それに感激して飛び出して来た髯巡査が、赤い長襦袢の尻をまくって吾輩の横に横坐りをして、吾輩の妙技を真似しながら芸者連中を引っくり返らせて、座敷中を這いまわらせた時の愉快だった事……。
 ところが又そのうちに誰かが「ドンタクドンタク」と怒鳴り立てると聞くより早く皆総立ちになって、茶碗やお皿をたたいて、座敷をグルグルまわり始めた。それを見ると吾輩もメチャクチャに愉快になったので、大いに大人と張り合う気で、お縁側に置きっ放しになっていたお櫃ひつの中から杓字を二本抜き出して、御飯粒をスッカリ嘗なめ剥がして、ビシャリビシャリと叩き合わせながら、その行列に参加した……するとその杓字の音が非常に効果的だったらしく、台所から新しい杓字が十数本徴発されて来たのを、男連中が奪い合うようにして、吾れも吾れもとタタキ始めた……そのまま吾輩を先頭にして男連中が先に立って、そのうしろから芸者が三味線を弾き弾き従ついて来る。その一番うしろから男親が、鼓をタタキタタキ奇妙なかけ声を連発して来ると言ったような訳で、都合二十人近い同勢が中二階を練り出して、広い料理屋中を、ぐるぐるとドンタクリ始めた。
 ……それから暫くの間は、何が何やらメチャクチャになっていたが、そのうちにいつの間にか同勢から取り残された吾輩が、お庭の切石の上に突立って、泉水の底に光っている満月に小便を放ひりかけていると、これも同勢からハグレたらしい男親が見付出して、大急ぎで吾輩を湯殿に引っぱり込んだ。そうして自分の口を押えて見せて、
「物言うたらアカンデ」
 と言い言い二階へ舞い上っているドンタク騒ぎを指してみせた。
 吾輩は、そう言う男親の意味がわからないので少々面喰らった。そうして男親の言うなりになりながら眠くなりかけた眼をコスリまわしていたようであるが、しかし男親の方は何かしら吾輩以上に面喰らっているらしかった。キョロキョロと前後を見まわしながら、泳ぐような恰好で湯殿のクグリ戸をあけて脱け出すと、台所の前の横門を音のしないように開けて、見覚えのある中島の町筋に出て、折よく通りかかった人力車に二人で乗った。……まではどうやら記憶に残っているようであるが、そのあとがパッタリと中絶しているようである。多分そのまま人力車の上で眠ったのであろう。
 その次に眼が醒めた時は汽車の中で、吾輩は女親と差向いになって男親の膝に凭もたれながら寝ていた。その時に二人は誰もいない車室の暗いランプの下で、今まで見た事もない立派な金具の付いた蟇口や、折り畳になった紙入を三つ四つ出して、腰かけの上に並べて、中から一円銀貨や、大黒様や猪の絵の付いた札をザラザラかき出して勘定していた。しかし半分夢心地でいた吾輩は多分御褒美に貰ったものだろうぐらいに考えて格別不思議がりもしないまま薄目で見ていたが、そのうちに又も睡ってしまったらしい。
 それから又、何処かわからない処で揺り起されて大急ぎで汽車を降りた。そうして長い長い石の段々を降りつくすと、そこらでウドンを一杯喰ったようであったが、しかしこの時も半分眠りながら喰ったので美味かったか不味かったか記憶していない。……それから一足飛びに現在になっているようである。
 言う迄もなくこのような記憶は、今からその当時の事を追憶した大人の吾輩の記憶である。だからよく考えて見ると前後の連絡がチャント付いているようで、決して夢ではなかったと思われる。つまり男親は酔っていたために大胆になったものか、今までにない出来心を起したものらしい。ドンタクの騒ぎに紛れてどこかの部屋に置いてあった知事や、警察署長や、大友親分なぞいう飛んでもない連中の持ち物を失敬するとそのまま逃げ出して、木賃宿に寝ている女親を誘い出して、博多駅から夜行列車に乗って折尾に出て、そこから飯塚通いか何かの石炭舟に便乗したらしい事情がアラカタ推測されるのであるが、しかし、その当時七ツか八ツぐらいであった吾輩にはむろん何が何やらわかりようがなかった。況んやどうしてコンナ風に形勢が急転直下したか、何のためにコンナ処まで逃げて来たのか……と言う理由なんぞは、テンデ解らなかったのであった。

     四十三

 ところがそんな事を考えているうち板子の上に寝ている吾輩の襟首の処から冷たい風が吹き込んで来たので、大きなクシャミを一つ二つした。その拍子にムックリ起き上った吾輩は、大きな声で、
「ここは何処けえ」
 と眼の前に坐っている両親に問いかけると、その拍子に又もクシンクシンと二つばかりクシャミが出た。
 ちょうど船の舳へさきの処に坐っていた両親は、吾輩の声を聞くとハッとしたらしく振り返った。そうして大慌てに慌てながら二人がかりで吾輩をモトの板張りの上に押し付けると、頭の上からホコリ臭い茣蓙をガサガサと引っかぶせた。そのあとから女親が、
「寝ておれチタラ。外道され……動くと水の中へ落つるぞ……」
 と威嚇したが、その時に吾輩は女親が冠っていた手拭が、昨日警察署長が冠っていた仁輪加にわか面の付いた手拭と同じものであることに気が付いた。同時に男親が中折帽を眉深く冠って、その下に青眼鏡をかけて、風付きをまるで変えてしまっているのに驚いたが、それでも又、何処かでドンタクでも始まるのか知らんと思うと、別段不思議がりもせずに横向きになってウトウトし始めた。
 吾々の一行三人が、直方の近くの木屋の瀬という大きな村に着いたのはそれから間もなくの事であった。追風おいてに乗って来た船から引き起されて河岸かしに上ると、急に風が強くなったのに驚いたが、女親はまだ足がフラフラすると言うし、吾輩は寝足りなかったし、男親は又昨夜の酔いが残っているらしく、三人共吹き飛ばされそうな恰好で河堤を這い上ると、すぐに村外れの木賃宿に入った。そうして、ほかに相客がないのを幸いに、飯を喰ってしまうと枕を借りて、三人ともグーグー寝てしまったのであった。
 ところでこの木屋の瀬という処は、今はどうだか知らないが、その当時まではかなり大きな村であったように思う。そうして現在もこの界隈は、賭博の本場で、大抵の木賃には花札と骰子さいころぐらい転がっている。直方の町に行くと乾電池仕掛けの本式のインチキ骰子まで売っているという話であるが、吾輩は無論そんな事は知らなかったらしい。夕方になって眼を醒ましてみると、両親はモウ湯に入って、飯を済ましたらしく、二人とも一パイ祝杯をあげたらしい上機嫌で、木賃宿に似合わない赤い、大きなツギハギだらけの座布団を借りて来て、吾輩の枕元に置いてパチリパチリと花を引いていた。ところが、そのうちに男親は最早もう当座のお小遣いを綺麗にハタカせられてしまった上に若干いくらかの借りまで出来たらしく、スッカリ元気をなくしてしまった。そうして如何にも詰まらなそうにモウ二、三回くり返していたが、そのうちに、
「モウアカン」
 と札を投げ出して止めにかかった。今までは負ければ負ける程カンカンになる男親だったのにコンナ事は全く珍しかった。
 しかし女親は、まだ男親が昨夜の稼ぎでタンマリ金を残しているのを睨んでいるらしくナカナカ素直に手を引かなかった。
「モウ止めるのけエ。まだ宵の口でねえけえ。せめて今日の借り貫だけでも返して退のかんけえ」
 とニヤニヤ笑いながらボツボツ札を切り出した。
 ところがこの時の男親は多少いつもと違っていた。それとも昨日の出来事で心気一転させられたものか、女親の言った事がドウヤラ虫に障ったらしく、後手を突いて反り返りながら、イクラか投げ遣り気味で皮肉らしい事を言った。
「イヤ。もうアカン。あんたと花はモウ引かん」
「何でや」
 と女親も多少聞き棄てにならんという気味合いで坐り直した。
「何でやちゅうて訳はあらへんけど、花ではトテモ敵わんよって……」
「どうして適わんチ事わかるけえ」
 といよいよ聞き棄てにならんと言う恰好で威丈高になった。そう言う男の表情が、黒アバタで見当が付かないために、自分のインチキを疑われたのじゃないかと疑ったものらしい。
 起き上るとすぐに横の窓から遠賀川おんががわの流れを眺めていた吾輩も、いつの間にか振り返って耳を澄ましていた。

     四十四

 しかし女親が気色ばんで来るに連れて、男親は正反対に冷静になって行った。うしろ手を支いたまま白い歯を見せてアハアハアハと笑い出した。男親がコンナ風に男らしい笑い声を立てたのは吾輩も初めて聞いたのであった。
「何で笑うのケエ。妾わてから負けるのが何で可笑おかしいケエ」
 と女親はイヨイヨ気色ばんで赤い座布団を引き退のけた。
「アハアハアハ」
 と男親はやはり恐れ気もなく笑い続けた。
「モウ八年も負け続けとるやないか。どないな人間でも大概飽きるがな」
 そういう男親の眼には薄い涙が滲んで見えた。吾輩にはそうした男親の気持ちがよくわかったように思えた。
 しかし芸術家肌でない、我利我利一点張りの女親には、そう言う相手の気持ちがサッパリわからないらしかった。聊いささか面喰らった形で小さな金壺眼をパチパチさせたが、それでも自分のインチキ手段がバレたのではない事がわかったのでいくらか安心したらしく、小さなタメ息を一つした。そうして逆襲的な冷笑をニヤリと浮かべて見せた。
「フーン。そんならもうワテエと花引かん言うのけえ」
 と言い言い又も名残り惜しそうに花札をチョキチョキ切り始めた。
 男親は相手の顔を見ないように眼を閉じて言った。悄然ぼんやりとした口調で……。
「……アイサ、ワテエはこれからワテエ独りで稼ぐがな」
「ナニイ」
 と女親は又も気色ばんだ。切りかけた花札を左手にシッカリと握り込みながら片膝を立てた。
「何を吐かし腐るのケエ。芸ショウモない癖に……」
 いつもならこうした女親の態度を見る迄もなく、男親は一ペンに縮み上るのであったが、きょうは不思議に縮み上らなかった。スッカリ諦め付けているらしく、依然としてうしろ手を支いたまま眼を閉じていた。
「あんたは花の方が上手やから毎日花で稼ぎなはれ。ワテエは毎日自分で稼ぐがな。あの児と一緒に……、そんでえやろが……」
 そう言ううちに男親はチョット眼をあけて吾輩の方を見た。吾輩も飛び上る程うれし喜んで、承諾の意味をうなずいて見せようとしたが間に合わなかった。
 スパーン……
 という大きな音がしてビックリする間もなく、男親が畳の上に引っくり返るのを見た。女親が腕まくりをして、横たおしになったままの男親の目面へ、花札をタタキ付けるのを見た。花札がバラバラになって、そこいら中に散らかるのを見た。こんな活劇を見るのも吾輩初めてであった。
「……コ……コン外道サレエ。恩知らず。義理知らずの、黒ジャンコ……ええッ……」
 と言いさして女親は言い詰なじった。あんまり逆上して口が叶わなくなったらしい。
「……エエッ……ココ……コンけだもの。片輪ヅラ……ダ誰のお蔭でその着物着た。誰のお蔭で飯喰うて来た……ソ……そんでもウチを邪魔んすんのケエ。三味線要らんチュウのけえ。エエッ……ココこの……」
 そのあとの言葉を何と続けていいか考える間もなく女親は、男親の横ッ面へポコーンと一つ拳固を喰らわせた。男親は両手で顔を抱えた。その指の間から涙がポロポロと流れ落ちた。それを見ると女親はイヨイヨ猛たけり立った。
「出て行くなら出て行き腐れ。ゴク潰しの餓鬼サレも連れて退のけ。ケンドその前に今までの借り貫払うて行きクサレ。二百七十二円ときょうの三円十五銭片付けてウセクサレ。……ダ……黙っとるチュウたら付け上り腐る。コン外道、外道、外道、外道、外道」

     四十五

 女親のヒステリー弁が非常な勢いで速力化スピードアップし始めた。同時に男親の頭の左右から雨霰あめあられと握り拳が乱下し始めたのを、男親は両手で防ぎ止めようとしたが、拳固の当った処をあとから押えて行くので何の役にも立たなかった。
 吾輩は見るに見かねて、止めに入りかけた。むろん張り飛ばされる覚悟で、せめて女親の向う脛に喰い付くか何かしたら、驚いて止めるだろう。あとはどうなっても構わないと言うような吾輩一流の無鉄砲な考えで窓から離れて、犬も喰わないマン中へ走り込みかけたが、この時遅くかの時早く、大急ぎで二階段を駈け上って来て、二人の間に割り込んだ者があった。
 それはこの木賃宿の亭主で、恐ろしく背の高い、馬鹿みたいな顔をした大入道であった。
「……ま……ま……待ちなさっせえ。そんな非道い事さっしゃったて話はわからん。ま……まあ待ちなっせちゅうたら……」
 木賃宿の亭主はピカピカ光る坊主頭を振り立て振り立て両親の喧嘩を止めた。その亭主の頭のマン中に一升徳利の栓ぐらいの円い瘤こぶがあるのが吾輩の眼に付いたが、これはやはり何処かで喧嘩を止めた際に出来たものに違いないと、咄嗟の間に吾輩は考えた。
 ヒステリーを起した女親は、止められるとなおの事、猛り立って阿修羅のように男親をタタキ付けようとしたが、忽ちのうちに息が切れて、口が利けなくなって来た。やはり心臓が弱いせいであったろう。腕力も男親よりは確かに強かったに違いないが、しかし六尺豊かの大男には敵う筈がなかった。間もなく両腕を掴まれて、花札の上に尻餅を突かせられると、今度は袂を顔に当て、メソメソと泣き出したので、やっとの事で女らしい恰好になった。
 その女親と、うつ伏せにヘタバッテ伸ばされてしまっている男親との間にかしこまったツンツルテンの浴衣がけの亭主は、ツルツル頭の瘤のまわりを撫で撫で顔を長くした。
「いったい是はどうした訳で御座すかいナ。南風はえになりましたけんであの窓をば閉せこうと思うて上りかけた処へこのような……」
 と言いかけて後は言い得ずにモウ一度瘤のまわりを撫でまわした。
 女親は袖を顔に当てたまま何事か弁じ出した。しかし非常な早口で、いつもとまるで違った、泣くような、訴えるようなヒステリー声を続け遣りにまくし立てるので、女親の言葉癖を聞き慣れていた吾輩も、よく聞き取れなかった。
 けれどもツルツルの頭の亭主は頭のマン中に瘤があるだけに女親のヒステリー語がよく解ったらしく、聞いているうちに長い顔を一層長くしたのは奇観であった。
「……ハハアー……。それはまあ御尤も千万な事で、折角今日まで仲よく暮して御座ったのに、お気の毒な事で御座います。……しかし何で御座います。モトはと申しまっすると、やっぱり貴方がたお二人のお手慰みからで御座いましょう。エヘッ。さようで御座いましょうがな……」
 女親は泣き声をやめてうなずいた。男親も伸びたまま耳を傾けているらしい。吾輩も子供心にこの爺さんがどんなロジックを持ち出して裁判をするだろうかと耳を澄ました。禿頭のまん中で瘤がピカピカと光った。
「それでどうで御座いましょうか。今度はこのおやじも仲間に入れて貰うて、オン仲直りに機嫌よう一年引こうでは御座いませんか。幸いきょうは雨風もようで巡査は廻って来ん事が、チャントわかっておりまするし、ほかに相客も御座いませんけんで、私も所在ないところで……アッハハ……ヘヘヘ……」
 このロジックは子供の吾輩にはわからなかったが、賭博好きの両親にはわかったらしい。殊にこのおやじが一端の利いた兄哥あにいならともかく、どうやら人の良い愛嬌ものらしいので、大した相手ではないとタカを括くくったのであろう。女親がシャクリ上げシャクリ上げ散らばった札を拾い集めて切り直すと、男親も直ぐに起直って頭を撫で撫で座布団の位置を直した。バクチにかけると両親ともコンナ風に実に子供じみた朗らかな現金さを見せるのであった。
 この様子を見た瘤のおやじは、何やら思い出したようにニヤリと笑うと、チャントその積りで上って来たものらしく、懐中から新しい金色の帯封のかかった赤裏の札を二組出して座布団のまん中に置いた。
「ちょうど新しいのが二アツ御座いましたけんで、これでお願いしまっしょう。初めで御座いますけんで……エヘヘ……」

     四十六

 新しい二組の花札を見ると女親は不承不承に黒い札を引っこめた。そうしてその帯封のまわりをクルリと見まわしながら、指の腹でブツリと切って、バラバラにして掻きまわしながら、瘤おやじと役の打ち合わせを始めた。
 それから始まったスポーツは後で考えるとハチハチと言う奴であったが、女親の札捌さばきが今までにも増して勇壮活発なのに反して、おやじの手付きは世にも無器用を極めたものであった。銭の代りに勘定するコマを間違えたり、最切に打ち合わせた花札の役を途中で忘れて問い直したり、一度一度に取り落しそうな恰好で札を出したりしているうちに、一勝敗毎に大きく負けて行った。
 この様子を見ると、女親はイヨイヨ調子に乗って来たらしい。獅子鼻の頭に汗を掻き掻き、櫛巻の頭に向う鉢巻をして、エンヤッとばかり片肌脱ぎになった。男親は又男親で、心持ち青い顔になって瘠せ枯れた両腕を肩までマクリ上げて、オズオズと札を投げ出してゆくのであったが、これは無理もない話である。男親は今までになく勝ち続けていて、半年くり返すか返さないうちに、ほかの二人のコマの半分以上を取り上げているのであった。
 しかし是はハタから見ている吾輩に取っては、不思議でも何でもなかった。女親が腕に撚よりをかけて、インチキ手段のあらん限りを使いまわしながら男親が勝つよう勝つようにと仕向けているのだから、そうなるのは当り前であった。殊に一枚一枚めくられて行く場札のウラの特徴をチラチラする窓明りに透かしながら、一枚残らず記憶おぼえて遣ろうと思って一所懸命になっている吾輩の眼で見ると、三人が手札を起さない前から、札のウラをチラリと見まわしただけで、三人の手役があらかた解ってしまっていた。今度の場がどうなるかと言う事が、最初から見当が付いていたのだから、詰まらない事夥しかった。間もなく退屈してしまったので、小さな欠伸をしながらポツリポツリと降り込んで来る南側の窓を閉めるべく立ち上って行った。それを見ると、又も負けている瘤おやじが瘤のまわりをツルリと撫でながら、
「コレハどうも……済みません……お悧口りこうさんお悧口さん。あとでお菓子を上げますよ……アッハハ……」
 と愛想笑いをした。バクチを打つ人間はみんな向う鉢巻で血相をかえているものだと思っていた吾輩は、聊いささか変な気がしたので、そう言うおやじの顔を振り返り振り返り小さな雨戸を閉めた。
 そのうちに日がトップリと暮れてしまうとおやじはバクチを中止してランプを点つけに降りて行った、両親も立ち上って二階の雨戸を閉めまわったが、その序ついでに二人が顔を見合わせてペロリと舌を出し合っているのが、外の夕明りで影人形のように見えた。
 瘤の親仁おやじは又瘤親仁で、下の戸締りをゴトゴトやって、吊りランプを点けて上って来ると、吾輩を見て又お愛想を言った。
「サア嬢ちゃん、下に御飯の支度がしてあるけに喰べて来なさい。ぬるいお茶もかかっとる。お菓子もチットばかりお膳の横に置いといたげにな」
 吾輩は案外に親切な親仁の言葉に面喰らいながら両親の顔を見たが、勝ち続けている女親は無論上機嫌で、畳の上に手を突いてペコペコと顔を下げた。
「ホンニなあ。済んまっせん。……コオレ。お礼言わんかチタラ」
 吾輩は依然として面喰らいながら畳の上に両手を突いた。お合羽さんを畳の上に擦り付けながら、
「オワリがトウ、ゴザイマス」
 といつもの伝でやっつけると、瘤おやじが又も瘤のまわりを撫で撫で感心した。
「ウ――ム。感心なあ。まあ、あんた方の平素のお仕込みがええけんで……行儀のええ事なあ……アッハハ……」
 と笑った。それが可笑しかったと見えて男親が、女親のお尻の処に顔を持って行って忍んで笑うのを、女親がお尻でグイと押し除けて「笑ってはいけない」と警告したが、それと一緒に二人とも噴飯ふきだしてしまったので折角の警告が何もならなくなった。
 その笑い声を聞きながら吾輩は大急ぎに階段を駈け降りて行った。

     四十七

 階段を降りてみると、鼠の音一つ聞こえないくら暗やみのまん中に、小さなカンテラの光が赤黒くチラチラと揺れて、粗末なお膳と飯櫃めしびつを照し出していた。
 吾輩の記憶に残っている木賃宿の亭主というものは大抵男に限っていた。しかも独身の老人が割り合いに多かったように思うが、ここの主人もそうらしかった。吾輩は、その亭主の手料理らしい茄子なすの味噌汁と、カマボコと、葱の煮付けを、タッタ一人でガツガツ喰い始めたが、そのうちに、だんだん嵐が非道くなって来て、家中がメキメキ鳴り出したのには驚いた。二階の両親が花札に勝っているらしいので、この上もない幸福感に浸りながら唐米飯とうまいめしを顔中にブチマケていた吾輩も、時々箸を止めてそこいらを見はったくらい大きな音響が、家のまわりを取り巻き始めた。棚の空鑵が転がり落ちたり、入口の突かい棒が外れ落ちたりし始めたのであったが、しかし吾輩はそのたんびに、直ぐ眼の前に黒光りしている、巨大な大黒柱を見い見い、安心して尻を据え直したものであった。
 吾輩はこうして、いつもよりも何層倍か時間をかけて飯を仕舞って、大黒柱のつけ根に在る火鉢の上の、生温なまぬるい渋茶をガブガブと飲んだ。それから膳の横に置いてあった小さな菓子の包みを取って立ち上ろうとすると、ちょうどその時に床の下から吹き込んで来た一カタマリの風のためにカンテラの火がフット消えたので、仕方なしに手探りで菓子の包みを取り上げたが、中に包んであった鉄砲玉が、雨風模様のお天気でスッカリ湿気ていたらしく、握り締めて立ち上る拍子に紙が破れて、中味がスッカリ脱け落ちてしまった。
 吾輩は、その鉄砲玉が真暗闇の畳の上を遠くの方へ逃げて行く音を聞きながら、ドウしようかと思った。とりあえず人生の無常を感じさせられた訳であったが、すぐに又気を取り直して、真暗な畳の上を這いまわって、逃げた鉄砲玉を探りはじめた。
 ところで経験のある人間は知っているであろうが、真暗闇の中で鉄砲玉を探していると、かなり情ない心理状態になるものである。闇夜に鉄砲というのはこの事じゃないか知らんと思われる位で、チョイト指が触っただけで折角探り当てた鉄砲玉が何処へ消えたか解らなくなるのだから焦燥いらだたしい事おびただしい。況んやその探す相手の鉄砲玉が、吾輩の大好物の黒砂糖製で、闇の中に漂う甘ったるい匂いだけでも、夢のような陶酔を感ずるに於ておやである。
 だから吾輩は一所懸命になって顔から滴り落つる汗を嘗め嘗めくら暗やみの中を這いずりまわった。そしてヤットの事で五個ほど探し出したが、あとにまだ一つ二つ残っているような気がしたので、モウ一度広い範囲に亙って大捜査をこころみるべく決心しながら、とりあえず五個だけを手探りで膳の上に置いて、その膳のまわりを中心にしてだんだん遠くの方へ這い出して行きかけると、遠いと思った大黒柱が案外近くに在ってゴツンとおでこを打ぶっ付けた。それをジット我慢しながら、その大黒柱と火鉢の間に手を入れて掻きまわしているうちに、大黒柱の付け根の処をチョット押えたように思うとパチリと妙な音がしたのでビックリした。同時に何だろうと思って手を出して探ってみると、柱の付け根の框かまちと境目の処にバネ仕掛の蓋が付いていて、そいつが押えられた拍子に開あいたものらしかった。
 そこまで探り出すと吾輩はモウ二階のバクチも鉄砲玉の事も忘れる位、好奇心に満たされてしまった。とりあえず傍の火鉢のまわりを撫でまわして、タッタ一つ付いていた抽出の中から付け木を一枚探り出して、火鉢に残っていた螢のような火をカンテラに移してみると、そのバネ仕掛の蓋の内側は小さな四角い穴になっていて、中には白い滑らかな、ピカピカ光る骰子さいころが二個入っていた。
 吾輩の好奇心はイヨイヨ高まった。

     四十八

 大黒柱の付け根の隠し蓋の中に骰子が二個入っている……と言えばその家の主人公がドンナ人物であるかは大抵想像が付くであろう。
 ところが子供の悲しさには、そんな事を吾輩はミジンも気付かなかった。ただ言い知れぬ好奇心に囚とらわれながら、その骰子を取り上げて、見様見真似で畳の上をゴロゴロ転がしているうちに、生得敏感な吾輩の指先は次第次第にその二個の象牙の中に隠されている秘密を感じ始めた。指の間をコロコロと転がして振り出す準備をしているうちに、二個の骰子が互い違いに重くなったり軽くなったりするのをハッキリと感じて来た。
 吾輩の好奇心はイヨイヨ高まるばかりであった。鉄砲玉の甘味でベタベタする両手と骰子を、框に掛けてあった濡れ雑巾で念入りに拭い上げて、着物の端で揉み乾かしてから、モウ一度一心籠めて振り直して見ると間もなく真相が判って来た。
 その骰子は二つとも一と五と三の間の突とんがった処に、何かしら重みが仕込んであった。そうして振り出す時の持ち方と、指の曲げ加減一つで、思う通りの目が出て来るのであった。
 これは最も熟練した賭博ばくち打ちの使用するもので、三の目の端の一粒から穴を開けて黄金きんか鉛の小粒を入れる。それから同じ三の目のまん中を利用して骰子の中心を空虚うつろにしたものであるが、表面から見た処では象牙の目がキレイに揃っているのだから、ナカナカ細工がわからないものだと『袁彦えんげん道夜話』に書いてあるのを後に発見して、成る程と感心したが、その時は無論、そんな秘密を知っている筈がなかった。これ以て生まれて初めての事だったものだから、骰子と言うものはみんなコンナ物かと思い込んでしまった。そうして成る程これなら花札よりも骰子の方が勝負が早い。こんな風にサイコロの一つ一つの癖を発見すればドンナ目でも自由自在に出るのだから、丁でも半でも百発百中するにきまっている……としきりに感心しながら、熱心にコロコロやっているうちに二階で……アッハッハ……と禿頭のおやじの笑い声がしたので、吾輩はハッとした。大急ぎで骰子を元の穴に入れた。そうして慌てて蓋を閉めてしまうと、やっと鉄砲玉の事を思い出したので、膳の上の五ツを左手に掴んで、あとから見付けた一個を口の中に入れながら、カンテラを吹き消すと、一層烈しくなった嵐の音を聞き聞き、梯子段を二階に上のぼって来た。
 見ると二階には、そんなにも蚊もいないのに大きな蚊帳が室一パイに釣ってあって、その片隅に吾輩の床が取ってある。その反対側の蚊帳の外に釣るしてある煤すすけたランプの前に三人が座布団を取り囲んで、最前の通りに八八を続けているのであったが、蚊帳をまくって中に入って見るとすぐに、最前とは形勢がスッカリ一変しているのに気が付いた。
 肩肌脱ぎで鼻の頭に汗をかいていた女親はいつの間にかスッポリと肌を入れている上に、眼の球ばかり釣り上げた血の気のない顔一面に髪をバラバラと垂らしかけている。無論唇をキリキリと噛んでいるので口を利く余裕なぞはないらしい。その向いに坐って男親は女みたいに抜き衣紋をして正坐しているがいかにも力なさそうに、痩せ枯れた手で手札をいじりまわしている。バクチを打つ幽霊のうしろ姿を見るようだ。
 その中にタッタ一人異彩を放っているのは瘤頭のおやじであった。ただでさえ大きな身体を威丈高に安座あぐらを掻いて、瘤を中心にした禿頭に古ぼけた茶色の手拭を向う鉢巻にしていたが、ランプを真正面にした赤光りする顔を、いよいよ上機嫌らしく長くして、色々な文句を言い言い場札を浚さらい上げていた。
 その文句は初め何の事だか解らなかったが、あんまり何度も何度も繰返して言うのでツイ記憶おぼえ込ませられてしまった。
「アッハハ……青タンかけが残念か……」
「……坊主……」
 と男親が気抜けしたように札を投げた。
「……アッハハ……松桐坊主が寺持だすと御座るかな…」
「メクッタッ……」
 と女親が突然に一枚タタキ付けながら、カスレたような声を立てたが、勢よく次の札をめくると、又もキリキリと眉を釣り上げて唇を噛んだ。
「アッハハ……坊主取られた六角堂……と……頂戴仕って置いて……と……ソーラ。キリトリ御免の、四揃ぞろパッサリと御座った。雨は待たん方が利口でガンショウ。そなたの方に降りそうじゃから。アッハハ……」
 女親はオヤジがこんな文句を言うたんびに、イヨイヨ眼を釣り上げて唇を噛んだ。
 男親もそのたんびに坐り直しては固くなり、固くなっては坐り直した。

     四十九

 吾輩はコンナ風にして花札に負けかけている両親を横目に見ながら、サッサと寝床の中にモグリ込んで行った。
 言う迄もなく吾輩は、吾輩の女親がヒトカドの瞞着屋インチキヤである事を知り過ぎるくらい知っている。だからその女親と男親を束にしてタタキ付けて行く瘤親爺が生やさしい腕前の持ち主であり得ないであろう事は、子供心にもチャント察していた訳であるが、しかしそれだからと言って、さほど大した腕前とは勿論、最初から思っていなかった。又、やっているバクチも今迄、両親が水入らずでやって来た小さなもので、タカダカ五円か三円ぐらいの取引で済むものと思っていたので、却って腕自慢の女親がタタキ付けられているのが面白いな……ぐらいに考えて、見向きもせずに寝床に潜った訳であった。
 ところが平常いつもの吾輩ならば、既に十二分に満腹している上に、大好物の鉄砲玉にまで有り付いているのだから枕に頭をクッ付けると間もなく、無上の満足と安心の裡うちにグーグーと眠り込む筈であったが、今夜はナカナカそう行かなかった。昨夜博多から遠賀川の川舟の中までズーッと睡り通して来たせいか、それとも吾輩の子供らしい、純な第六感が、この時既に大変な事が起りかけていたのを感じていたものか、何遍も寝返りを打っても眼が冴えて来て仕様がなかった。
 そこで吾輩は今一つ新しい黒砂糖の鉄砲玉を口の中に投ほうり込みながら、クルリと寝返りを打った。そうして腹ばいになったまま両親と瘤おやじの花の打ち方をベースボールでも眺めるような気持ちで見物していると、果せる哉そのうちに大変な事を発見した。瘤親爺のインチキ手段がいかに幻怪グロテスクなスバラシイものであるかを発見して、吾を忘れて見惚れさせられたのであった。
 その時に吾輩が発見した瘤親爺のインチキ手段は、あまり詳しい事を話すと悪い奴に利用される恐れがあるから大略して話そうと思うくらい素敵なものであるが、しかし、その発見の緒いとぐちは極めて些細な事からであった。
 ……と言うのは外でもない。
 最初この木賃宿の亭主の瘤おやじが、吾輩の両親と三人で赤い座布団を囲んで車座になった時に、自分の方から新しい赤裏の札を二組提供して、吾輩の両親が使い古した黒札を引っこめさした事は、前に話した通りである。これは今から考えると、亭主の瘤おやじがいつの間にか両親の花札の打ち方を透き見して、女親が一廉かどのインチキ師である事を看破していたので、その女親のインチキ手段を封ずるために、目印だらけの古札を引っ込めさしたものに相違なかった。そうしてその代り新しい赤札を投げ出した訳であるが、これはホントウに新しい二組で、最初から目印も何も付いていない物と思って吾輩は見物していたのであった。
 ところがチョウド、吾輩の寝ている処は、蚊帳越しのランプを背景にした、女親の真正面に当っていて、その右手に男親が小さくなって坐っているし、左手には瘤親爺が、魏々きき堂々と高座あぐらを掻いている。だから女親の左の肩越しに来るランプの光は、座布団の上に散らばった花札を横すじかいに照らしている訳で、花札の裏の凸凹やザラザラが、一々極端にハッキリと照らし出されている。それを見ているうちに、手札や場札の配合がザラリと判ってしまうのはむろんの事であった。
 ところで、それはまあ宜いいとして、ここに一つ不思議な事には、そんな風にして吾輩が、目印のない札の裏面うらの特徴を発見して、表面おもての絵模様を見物しているうちに、最初から人間の手の痕跡あとがチットモ付いていなかった筈の新しい札の赤裏の一隅に、チョット蟹が挟んだ位の一点の凹みが付いているのが幾つも幾つも出て来るのを吾輩は見のがす事が出来なかった。しかもその小さな凹みは青タンだの、五光だの言う重要な役札に限って二ツも三ツも付いているようで、点のない所謂ガラ札には付いていないのが多い。のみならずその目印を、誰が、いつどうして、何のために付けたものなのかサッパリわからないのであった。
 そこで吾輩はチョット変に思いながら、なおも垢臭い夜着の中から眼を光らして覗いていると、そのうちに勝敗がだんだんと重なって、両親がイヨイヨ負けて来るに連れて、その片隅の小さな疵が、今まで付いていなかった札にもチョイチョイと現われて来る。しかも誰が、どうして付けて行くのかと言う事は、依然として判明しないのだから、サア吾輩は不思議でたまらなくなった。

     五十

 吾輩は半分ぐらいになりかけた黒砂糖の鉄砲玉をグッと丸呑みにして、あとに残った甘い甘い汁を飲み飲み、一心不乱に瘤親爺の札の動きを凝視し始めた。瘤おやじのインチキ手段らしい花札の裏の疵痕の曰く因縁を探偵し始めた。
 するとそのうちに又も新しい事実を一つ発見したのであった。……と言うのは、ほかでもない。
 瘤おやじが投げ出す札の一枚一枚をランプの逆光線に透かして見ていると、そのうちに時々息を吐きかけたように曇っているのが出て来る。しかもその曇りは、横から透かして見ているうちにスーッと消えてしまうので、真正面から見たって到底わかりっこない。まして況んや負け通しでカンカンになっている吾輩の両親の眼には絶対に止まる気づかいがないであろうホンの一時的の現象に過ぎなかった。……のみならず、その曇った札が瘤おやじの手から放出されるたんびによく気を付けてみると、その札の片隅には必ず小さな凹んだ疵痕が一つ殖えているのであった。
 この事実を発見した吾輩は、全身が眼の球になる程緊張させられた。一層深く夜着の中にモグリ込む恰好をしながら、息を凝らして瘤親爺の一挙一動を見上げ見下しているとは知るや知らずや、瘤親爺は最前から引続いて大ニコニコで、いろいろな文句を喋りながら、目星い札を片ッ端から浚っている。その口元を何気なく凝視しているうちにヤット判然わかった。このオヤジの驚くべきインチキ手段が次から次へと電光石火のように吾輩の眼に閃き込んで来て、戦慄的な讃嘆の眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはらせたのであった。こんな手にかかっちゃ誰だって敵かないっこないと、子供ながらに舌を巻かせられたのであった。
 その瘤親爺のインチキ手段というのはこうであった。
 瘤親爺は何しろ六尺豊かの大男で、顔が馬みたいに長いのだから、口の幅もそれに相応して偉大なものがある。握り拳の二ツ位、束にして入りそうに見える。ところでその口元をジット見ていると瘤おやじは、時々指に唾液つばを付けるような真似をしながら、眼にも止まらぬ早業で、札を一枚口の中に投げ込んで糸切歯の処あたりでチョット啣えるのであった。しかも便利な事には、親爺の口の中が又並外れて大きいらしく、チットモ唾液がクッ付かないのみならず、その札を啣え込んだまま、唇をすこし動かすだけで、いろんな憎まれ口を含んだ洒落文句を言ったり、アッハハと咽喉の奥で笑ったりする事が自由自在に出来るのであった。
 吾輩は後になって、西洋に腹話術というものが在る事を聞き及んで、自身に研究して見た事がある。と言うのは口をチットも動かさないまんまに、呼吸と口腔の使い方でいろいろな声色を出すので、かなり六箇むつかしい要領のものである事を知ったが、瘤おやじのインチキ手段は正にこの腹話術を応用したものに相違なかった。つまり札を口に啣えていることを相手に覚さとらせないように、わざと刺激的に憎まれ口を利きいて、相手の神経を見当違いに突とんがらせるのが、このインチキ手段の山であることがこの頃になってヤットうなずかれたのであったが、その時には、そんな細かい処までは気が付かなかったにしても、その遣り方の巧妙さと、手際の鮮やかさには驚目駭心せずにはいられなかったのであった。
 おやじはこうして、別の帯の間に挟んでいるインチキ用の役札を口に啣えてはスリかえて行く。又は自分の手札がどうにも細工の利かない程悪い時には、その中の一枚を素早く口の中に隠して、一枚配り足りないと言って、撒き直しを遣らせたりするのだから堪まらない。吾輩の女親が向う鉢巻をし直して、肌を脱ぎ直して、腕に捩よりをかけ直しても追っ付かないのは当り前の事であった。
 しかし吾輩は、こうして瘤親爺のインチキ手段をドン底まで看破して終しまうと、急に睡くなって来た。それは恐らく何もかも解ったので安心したせいであったろう。そこでモウ一つの鉄砲玉を口に入れて仰向けに引っくり返ると、モゴリモゴリと口を動かしながら眼を閉じた。そうして瘤おやじが饒舌り立てる皮肉まじりの洒落文句をネンネコ歌みたいに聞きながらいつの間にか睡ってしまったらしい。
「梅は咲いたが桜はまだか……とお出でなすったナ……」
「一杯呑んで言う事を菊……と行きますかな……」
「果報寝て待て猪鹿蝶……」
「飛んで逃げたかホトトギス……か……アハハ……」
「雨ッ……メクッタッ……」
「ドッコイ………梅に鶯サカサマ事……とはドウジャイ……アハハハハ……青が腐りましつろう……アハハハハ……」

« 「犬神博士」夢野久作 31~40 | トップページ | 「犬神博士」夢野久作 51~60 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
フォト

22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

オンライン状態

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。