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2014年2月23日 (日)

「犬神博士」夢野久作 51~60

     五十一

 それから何時間眠ったかわからないが、フト眼が醒めたままウトウトしていると、枕元で何か言い争っているらしい大きな声が耳に入って来た。そのお蔭でホントウに眼が醒めてしまったので、何事か知らんと思って夜着の中から顔を出してみると、吾輩の両親と瘤おやじが、折角仲よくやっていた賭博ばくちを中止して睨み合いながら、何かしら一所懸命に言い争っている。しかもその一所懸命になっているのは女親の方で、瘤おやじの方は真白な歯を出しながらニタリニタリと、女親を嘲弄するような調子で相手になっている。その向い側に男親が一縮みになって畏まっているようである。それをチラリと見遣りながら瘤おやじは咳払いをした。
「……オホン、オホン……私の言う理屈はモウわかっとりまっしょうがな……。あんた方は今まで負け続けて、借り貫ばっかりで来とんなさる。それが引っくるめて百三十一円と五十五銭になっとります。それをば今更になって払われんと言わっしゃっても……」
「それが最前から言いよるやないか。ワテ等の身上で百円という金持っとるかどうか考えて見なはれ。そんな金持っとりゃあ非人しはせん。借り貫は勝負の目当につけたのんやから、払わんでもええものと思うて……」
「アッハハ……そげな無理な事言うたとて通りまっせんが。第一ドコからドコまでがホンマの借り貫で、どこから先がウソの借り貫と言う事がハッキリせんのに……」
「ハッキリしとるやないか。最初から終しまいまでタダの借り貫やがな」
 吾輩は女親の押しの太いのに驚いた。むろん子供の吾輩には百円の金のねうちがどれ位のものかと言う事はテンデわからなかったが、それにしても金を賭けていればこそ女親は、向う鉢巻で眼の色を変えているものと最初から思っていたのに、今更それが嘘だったと言い張る女親の皮の厚さには、子供ながらアキレ返らざるを得なかった。けれども又、今から考えると、ソンナ無茶な事を高が一介の女乞食に言いかけられながら、憤おこりもドウもしなかった瘤おやじもただの曲者でなかった事がわかるだろう。
「アッハハ。そげな理屈はヨソではどうか知りまっせんけんど、ここいらでは通りまっせんばい」
「通らんチュウたて理屈は理屈やないか」
「アッハハ。まあ聞かっしゃれ。……ここいらは知って御座るか知らんがバクチ打ちの本場でな、私もイクラか人に知られたオヤジで御座いますけんで、アンタのようなお女なごさんを相手に喧嘩しても詰まらんと思うて穏かに言いよりますが……」
「女やかて、男やかて博奕の法は変らへんがな。金賭けるのやったら金賭けると、何で最初から断わらんかいな。ワテエ嘘はヨウ言わんよって……」
「アッハハ。嘘はよう言わんはヨウ出ましたな。アッハッハッハ……」
「ワテエがいつ嘘言うたかいな」
 と女親は血相をかえて詰め寄った。しかし瘤おやじは物ともせずに高笑いした。
「アッハハハハハハ。あんたはタッタ今、百円チュウ金は持たんと言わっしゃったが、あれは私の聞き違いで御座いましつろうか」
「……………」
 女親はチョットひるんだらしい恰好で口籠もった。男親が県知事や警察署長や大友親分の蟇口から掻っ浚って来た大金を持っている事を感付かれたかと思って、些すくなからずギョットしたらしく、片目をまん丸にして瘤おやじの顔を凝視した。しかし間もなく絶対にソンナ事が解る筈はないと考えたかして、思い切って強く言い放った。
「……そんな金持っとらへん。持っとらへん。持っとる筈がないやないか」
「アハハハハ。これは可笑おかしい。アハハハハハ……」
「何がソナイに可笑しいのや」
「持って御座るか御座らんか、チョッと貴女の背後うしろの風呂敷包みをば開けて見なされ」
「エッ……」
「すぐにわかる事じゃがな」
「……………」
「アッハハハハハ。あんた方は人を盲目めくらとばし思うて御座るかな……」

     五十二

 この瘤おやじの一言には、さすがの女親もギャフンと参ったらしい。否、女親ばかりでない。よもや人は知るまいと思って隠して来た大金の在り家を図星に指されたので、二人とも仰天の余り中腰になりかけたまま、瘤おやじの指した方向を振り返った。
 するとその眼を丸くして口をポカンと開いた二人の顔を、瘤おやじはサモサモ愉快そうに見比べながら、ドッカリと坐り直した。白い馬見たいな歯を一パイに剥むき出してニヤリニヤリと笑いながら、ツルリと撫でまわした顔を二人の前にさし付けた。
「エヘヘヘ……文句を言いなさんなよ。他人の懐中ふところを見るのは私どもの商売じゃ。宿屋にしても博奕打ちにしてもそれが本職じゃ。アッハッハ。この人が、手の切れるような札を二、三十枚持っとるチュウ位のことは、一眼でわかりまっする。そればっかりか、その金が、こげな木賃宿に入り込む筈のない不思議な金チュウ事も。あんた方が昼寝をして御座る間に、チャント見て取っておりまっするぞ」
「……………」
「けんどなア。わしゃ、そげな金をただ貰おうとは言いまっせんわい。事を分けて穏かに分けて貰われはせんかと思うたけんで、今までお相手しておりました訳じゃ。アッハハ」
「……………」
「どうしたもんで御座っしょうかいな。アッハハ……」
「……………」
「それでもないと言わっしゃるなら言わっしゃるで、ええがな。払わんと言わっしゃるなら言わっしゃるでもええ。そう言われんようにするここいらの風がありますがな」
 こうした瘤親爺の冗談まじりの威嚇は百二十パーセントに効を奏したらしい。吾輩の両親はもう真青になってヘタバリ坐ったまま顔を見合わせるばかりであった。その前に瘤おやじはモウ一膝進めながら、眼を細くして咳払いをした。
「エッヘッヘッヘッヘッ。どげなもんで御座いましょうかいな。……勝負は時の運と言いまっする位じゃけんな。あんた方お二ア人りが負けさっしゃったのは気の毒じゃけんど、よう考えて見さっしゃれ。そうじゃない事がわかりまっしょうが。あんた方二ア人がこの宿に泊まらっしゃったのはホンニイ運がよかったのじゃ。悪い宿に泊って見なさっせえ。その金をば寝て御座る間に盗まれても、あんた方は警察に届ける事が出来まっせんじゃろーが。アッハハ。勝負事で取られたものなら、楽しうだだけでも得だっしょうが。アッハハ」
「……………」
「それともその金が是非とも無のうしてはならぬ大切な金で、私に払う事が出来んとなら、何なんとか外に方法を立てさっしゃるか……」
「ほかに……」
 と女親は妙な顔をして顔を上げた。男親もあとから怪訝けげんな眼付きで瘤おやじの顔を見上げた。
「ほかに方法言うなら……証文でも入れたらええかいな」
 瘤おやじはモウ一度ツルリと顔を撫でた。
「アッハッハッハッ。証文が何になりまっしょうぞ。あんた方のような旅の人から借銭の証文貰うたとていつ払うて貰われるやら分かりまっせんがな」
「……そりゃワテエかて、払う言うたら違わんと……」
「アハハハハハ。あんたのその口は信用しまっしょう。口は信用しまっしょうが、金の方が信用出来まっせんでなあ。人間とおんなじように金が信用出来たら、世の中に間違いはありまっせん」
「……………」
「それじゃから私は長し短しは言いまっせん。何かお金の抵当になるものを置いて行きなされと言うのじゃがナ」
 吾輩の両親は又も顔を見合わせた。
「……お金の抵当言うたら……」
「アハハハ。わかりまっせんかな。ハハハ。何でもない事じゃ。金を払うのがイヤなら、そこに寝て御座る娘御さんを置いて行かっしゃれと言うのじゃ。ハハハ。わかりましたかな……」

     五十三

 吾輩の両親はモウ一度眼を丸くして顔を見合わせた。バクチの抵当に娘を置いて行けと言うのだから面喰らったに違いないが、夜着の中で聞いていた本人の吾輩も眼を丸くせざるを得なかった。どうしてミンナこんな風に吾輩を欲しがるのだろうと思うと、不思議で不思議で仕様がなかったが、しかしその次の瞬間には、たまらない程可笑おかしくなって、どうも我慢が出来なくなったので、我れ知らず蒲団の中にアト退しざりをしつつモグリ込んだのであった。この瘤おやじもやっぱり吾輩を女の児と間違えて、芸者か何かに売る積りらしい事がわかったので……。
 尤も今から考えると瘤おやじのこうした思い付きはナカナカ考えたものであったろうと思う。第一脛に疵持つ両親に取っては、吾輩は目下の処、逃走の足手まといになるばかりでなく、警官たちの捜索上について、何よりの眼じるしになる事は請合いであった。だからこの際両親は、金よりも吾輩の方がズッと諦めよかったに違いないので、そこを瘤おやじは付け込んだものらしい。そうして取り上げて置いて、その次に現金を巻き上げる算段に相違なかったことが後でわかった。
 しかし、まだ子供の吾輩には、そんな処までは見透せなかった。それよりも瘤おやじが又しても吾輩を女の児と間違えているのが、可笑しくて可笑しくてたまらなかったので、早く両親が承知をするといいがなあ。瘤おやじに高価い金で売り付けてくれると面白いなあ。……そうしてそのあとで瘤おやじに、吾輩が男であることを解らせてビックリさせたら、どんなにか愉快だろう。万一まかり間違ったって芸者になる迄のことだ。世の中に芸者になるくらいタヤスイ事はないのだから……なぞと思い思い又も夜着の中からソッと片眼を出してみると、吾輩の両親も、吾輩を借銭かりの抵当にしろという瘤おやじの提議には大賛成らしく、揉み手をしいしい、下に筆墨を取りに行った瘤おやじを待ちかねている体であった。尤も男親の方はイクラか吾輩の事が気になるらしく、セムシ見たいに背中を丸くして俯伏うつむいて考え込んでいるのを女親がいろいろと説き伏せている。それを聞きながら男親もウンウンとうなずいていたが、そのうちにこれで虎口を逃れる事が出来るというような嬉しさで一パイになっている態度がアリアリと見えて来た。
 すると間もなく瘤おやじが階下したから大きな掛硯と半紙を一枚持って上って来た。そうして吾輩の両親は無筆というので、自分で証文の文句を書いて読んで聞かせた。
     証 文

一、わたくし二人の養女チイ当年とって七歳ことお前様の子供として引きわたし申候上は後日いかなるわけありとも文句申すまじくそのため証文如件しょうもんくだんのごとし

「これでよろしいな。そんならアンタ方の名前を書いて爪印捺して下され」
 両親は無言のままうなずいた。
 吾輩はそうした光景を面白半分に夜着の中から見物していた。そうしてコミ上げて来るおかしさを一所懸命に我慢していたのであったが、そのうちに両親が爪印を捺すべく、半紙に書いた証文を引き寄せて覗き込む処まで来ると、今度は急に心配になって来た。
 と言うのは外でもない。その証文を覗き込んでいる両親の頭を、上から見下ろしている瘤おやじの顔が、見る見る悪魔のような気味の悪い顔に変って来たからであった。それは瘤おやじが誰も見ていないと思って本性をあらわしたものであったろう。何だか知らないが両親に対して非常な悪巧わるだくみを持っているに違いないことが一眼でわかる顔付きになった。今までの柔和な、お人好らしい人相に引き換えて、血も涙もない青鬼みたいな冷たい、意地の悪い表情に変ると、両親を取って喰うかのような眼を光らしてニタニタと笑った。その形相があんまり恐ろしかったので、これはこの証文に爪印を捺すと同時に両親はともかく吾輩が退のっ引きならぬ破目に陥るのじゃないかと言うような気がし始めたので、吾輩は思わず夜着の中から叫び出した。
「ワテエ。嫌や……」
 そう叫ぶと同時に夜着の中から飛び出して、座布団の前に膝小僧を出して坐り込むと、そこに置いて在る爪印の済んだばかりの証文を、両手で引っ掴んで引き破ろうとした。

     五十四

 吾輩のこうした不意打ちには三人も驚いたらしい。瘤おやじの悪魔面づらも、両親の安心顔も一ペンに消え失せてしまった。同時に六本の手が一時に吾輩の両手を引っ掴むと声を揃えシガミ付けた。
「何しなさるのじゃ」
「見とったのけえ」
「起きとったんけえ」
 吾輩も三人の慌て方の大袈裟なのに驚きながら証文を放した。そうしてまだ両腕を掴まれながら瘤おやじの顔を見上げて笑った。
「おかしなオヤジやな。ワテエを芸者に売ろう言うのけえ」
「コレッ」
 と女親が力を籠めて吾輩の腕をゆすぶった。まるで血相が変っている上に、死に物狂いの力を入れているので、吾輩は腕が折れるかと思った。
「痛い痛い痛い痛い痛い」
 吾輩がこう言って金切声をあげると三人が一時に手をゆるめた。とたんにスポリと両腕が抜けた拍子に吾輩は引っくり返りそうになった。
 しかし吾輩はそのおかげでスッカリ調子付いてしまった。畜生、どうするか見ろと子供心に思ったので、その手を撫で擦さすりながら座布団の上に散らばった花札を整理しいしい瘤おやじの方に向き直った。
「オジイ。ワテエが一番行こう。二ア人りでも四人でもええ」
 三人の大人は唖然となって顔を見合わせた。その顔を見まわしながら吾輩は勢込んで札を切りはじめた。
「サア行こう。負けただけミンナ取り返すのや」
 三人は唖然を通り越して茫然となったらしい。申し合わせたように吾輩の顔を穴のあく程凝視していたが、そのうちに瘤おやじが突然に笑い出した。
「アハハハ。これは面白い。アハハハ……」
 しかし吾輩はそんな事にお構いなしで、危なっかしい手付きをしながら札を切って、四人の前に配り始めた。
「アッハッハッハッ……」
 と瘤おやじはイヨイヨ引っくり返らんばかりに笑い出した。一方に女親は眼を丸くして吾輩の腕を掴んだ。
「コレッ……おチイ……汝われホン気ケエ……」
 吾輩は自分の手札を持ったまま事もなげにうなずいた。
「ホン気やがな」
「花引いた事あるのけえ」
 と女親はタタミかけて問うた。
「イイエ。一度もあらへん。そやけどこのオジイに勝つくらい何でもあらへん」
「アッハッハッハッハッハッ……」
 と瘤おやじは片手をうしろに突きながら、片手で証文を懐中に仕舞い込んだ。そうして嘲弄からかうように吾輩を見おろした。
「アハハハ。このオジイに勝つくらい何でもないと言わっしゃるか」
「サイヤ。花札でもサイコロでも何でもええ」
「アハハハ。これは面白い嬢ちゃんばい。そんで何を賭けさっしゃるかな」
「オジイは今の証文賭けなされ。それから父ととさんと母かかさんは銭かけなされ」
「コレ。オチイ。そない事がヨウ出来るか。百円もの金ドウして賭けられるケエ」
「ワテエ違わんと勝つのんやから良ええやないか」
「アハハハハ。それはまあええがな。証文は後で今ま一度書かっしゃれば済むことじゃがな。何も慰みやから気の済むだけ賭けさっしゃれ。私も永年手遊びはしておりまっするが、七ツになる児に負けたとなれば話の種になりまっする。アンタ方さえよければ一つ行きまっしょうかい。アッハハ。どうだすな」
 瘤おやじは無論勝負を問題にしていなかったらしい。それとも両親の金を根こそぎ巻き上げるのに持って来いのキッカケと思ったものかも知れない。こう言って両親の顔を等分に見比べると、何も知らない女親はさすがに躊躇したらしく、青い顔をして男親をかえりみた。するとその男親はやはり何も言わずにジット考えていたが、やがて返事の代りに懐ふところから横腹の破れた蟇口を出して、五円札を一枚座布団のまん中に投げ出した。そうして又ジットうつむいてしまった。

     五十五

 頭のトンチンカンな男親は、吾輩が昨日福岡の警察署で言い張った言葉を、ちょうどここで思い出したものらしい。そうして一も二もなく吾輩が花札の名手である事を信じ切ってしまったらしい。事によると吾輩の男親はこの時既に吾輩の万能に達した神通力を、その半片輪式なアタマで直覚していたのかも知れないが、いずれにしても、こうして虎の子のようにして隠していた臍繰の中から、驚く勿なかれ五円札の一枚を投げ出したということは、その頃のお金のねうちから言っても、又は男親の性分から言っても実に破天荒の冒険であった。仮りに吾輩のバク才を百二十パーセントに信じていたにしても、たしかに福岡の俗諺ぞくげんで言う「宝満山から後飛び」式の無鉄砲には相違ないのであった。
 果せる哉その手の切れるような五円札を見ると、女親と瘤おやじの眼が異常に光った。中にも瘤おやじの眼は、容易ならぬ驚きと疑いの光を帯びて、吾輩と男親の顔を何度も何度も見比べていたが、やがて何事か一つうなずいたと思うと、吾輩の方に向って居ずまいを正しつつニッコリと笑った。
「フーム。そこでアンタは何を賭けさっしゃるのじゃ」
「アイ」
 と吾輩は返事をした……が、そのままハタと行き詰まった。自分だけが何も賭けていないばかりでなく、何一つ賭ける物を持たない事に気がついたからであった。吾輩はそこで一瞬間、小さなお合羽アタマを傾かしげて考えたが、結局どうにも仕様がない事がわかったので、思い切ってこう言って遣った。
「アイ。ワテエだけ何も賭けんでもええやないか。勝ちさえすればええのやろが」
 三人の大人は又も唖然となってしまった。吾輩の大胆さと図々しさとに呆れ返ったらしかったが、そのうちに吾輩はフト思い出して両手をタタキ合わせた。
「アッ。ソヤソヤ。父さん。その風呂敷包みの中に入れたるワテエの着物出してんか。それワテエの着物や。ワテエ負けやったら、あの着物着て、アネサン待ち待ち踊って見せるがな。父さん歌うとうてや。ソンデええやろが」
 吾輩のこうした提議が、如何にも子供らしいナンセンスを極めたものであった事は言うまでもなかった。しかし三人の大人は不思議にも笑い顔一つ見せなかった。……と言うのは、そんな事を言っているうちに三人が三人とも別々の意味で、吾輩がドンナ風に花を引くかと言う事に対して焦付くような好奇心を感じ始めたものらしい。
 その証拠に吾輩の提議を聞いた瘤おやじは、無言のまま、承諾の意味でうなずいた。すると女親がやはり黙って吾輩の顔を見い見い五円札を一枚座布団の上に置いた。そのあとから瘤おやじも証文を取り出して、二枚の札と一緒に座布団の下に入れると、席もかえないまま吾輩の配った札を取り上げたのであった。
 ところが取り上げると間もなく瘤おやじは、吾輩の配った手札が気に入らなかったらしく、その中の一枚を素早く口の中に啣え込むと、残った手札を表向きにしてバラリと座布団の上に投げ出した。
「アハハハ。一枚足りまっせん。今度は私が配りまっしょうかな」
 吾輩は折角順序を記憶しいしい配った札がゴチャゴチャになって行くので少々残念であった。殊に瘤オヤジのインチキ手段に引っかかって胡麻化されるのが些かならず癪に障ったが、しかしイクラ配り直しても勝ちさえすればいいのだ。いくら胡麻化したって結局同じことだと思い直したから、黙ってする通りにさせて置いた。
 ところが又、そう思って、一所懸命で見ていたせいであったろう。場札が引っくり返るまでに、皆の手札がアラカタ見当が付いてしまったので吾輩はスッカリ愉快になってしまった。何しろ片隅に疵の余計に付いている奴がいい役にきまっている上に、その疵の付き工合を一々見おぼえているのだから訳はない。
 ところが今度は札の配り工合を見るとさすがはインチキの大家が配っただけに、吾輩の手のミジメさと言ったらなかった。札らしい札は雨だけで、あとはバラバラのガラ札だから遣り繰りの付けようがない。今度の勝負は諦めようかな……と吾輩は思い思い手札を束にして手の中に握り込んでしまった。

     五十六

 ところがこれに反して吾輩の後から悠々と手札を起した瘤おやじは大きな掌の中を一わたり見まわすと如何にも得意らしくニヤリと笑った。尤もこれは笑う筈で、自分の手の中に青丹が三枚と、雨の二十と、坊主と、盃が一つというステキな手を配り込んだ積りが、その通りになっていたのだから喜ぶのが当り前であろう。しかも場札の順が又、親爺のイタズラかどうか知らないが、しまいの方になってバタバタといい札ばかりが出て来て、そいつが又片ッ端から瘤おやじの手に入るように出来ているのだから、今度の場は全然おやじの独り賭博ばくちになる訳であった。
 このことがわかると吾輩はイヨイヨ諦めてしまった。万一負けたら仕方がないから、瘤おやじの手に渡って芸者になって遣ろう。トンボ姐さんは男の子は芸者になれないと言ったけれども、お化粧をつけて三味線を弾くくらいの事は何でもないのだから、吾輩だって芸者になれない事はないだろう。しかし、それにしても、せめて男親の手にだけはいい札が入るようにと思って、男親の手と次の場札を見い見い役札を片っ端から投げ出して行くと、そのうちにだんだんと札順がよくなって来て、男親の手に短冊がゾロゾロ集まりかけて来た。これは瘤おやじが吾々をあんまり甘く見過ぎたせいで、自分の手にいい札をまわすべくマングリし過ぎたために出来た札順の弱点に外ならなかった。
 ところでこの形勢を見ると今度は瘤おやじの方が少々あわて出して来た。何しろ子供子供と侮っていた吾輩が、案外鋭く形勢を看破して、惜し気もなく犠牲打式の高等戦術を発揮し始めたので、それこそホントウに驚いたらしい。お得意の洒落文句も言えないままに思い切って雨の二十から打って来ると同時に、場札をめくるふりをして、下の方の札を二、三枚電光石花の早業で引っこ抜いて上の方へ置き換えたが、その鮮かだった事。札の順を記憶している吾輩でさえも、いつの間に入れ換えたか解らない位であった。そうして二まわりばかりするうちに瘤おやじは自分の青丹を二枚と盃を一枚取り込んでしまった。
 又もオヤジのインチキ手段に文句を入れる機会を失った吾輩はイヨイヨ今度の勝負を諦めなければならなかった。そうして今度オヤジが又何か手品でも使ったら、すぐに抗議を申し込んで、この場を無効にしてくれようと、そればっかりを考えながら一所懸命になってガラ札ばかり集めて行くうちに、やがて半分以上済んだと思うと、最前から真青になってやっていた女親が突然に真赤になって、眼の色をかえながら叫び出した。
「……ちょっと待って……コレ、チイよ。お前の役はソレ何けえ」
「何でもあらへんがな」
「……あらへんけんど……それ素す十六でねえけえ」
「さいや……」
 と返事はしたが、そんなステキな役がある事を忘れていた吾輩はビックリしながら持っている札を取り落した。夢のような気持ちで自分の膝の前を見まわした。
 両親も知らない間に出来たステキな大役に呆れ返ったらしく、眼を白くして吾輩の顔と瘤おやじの顔を見比べた。
 瘤おやじは真青になってしまった。
「ウーム」
 と唸りながら眼を白黒さしたが、いつの間にか札を一枚口の中に入れていたので、そのまま文句も言えずに固くなってしまった。その眼の前で急に調子付いた吾輩は、場札を一枚一枚めくりながら喜び踊った。
「……ワテエ負けたんかと思うたよ。……ホレ……この次がアヤメや。それから猪や。それからやっぱり萩や。それから次の次の……この次がホレ……かかさんに行く桐に鳳凰ほうおうやけんど、これはトトサマの桐で取られるよってにワテエ今度の場は負けたんかと思うとった……おお嬉し嬉し……勝った勝った……」
 瘤おやじはその間に慌てて左手で顔を撫でまわすふりをして、口の中の札を取り出すと、そのまま何も言わずに手札を投げて座布団の上でゴチャゴチャに掻きまわしてしまった。
 これは言うまでもなく、甲かぶとを脱いだ証拠で、同時に自分のインチキが馬脚をあらわしかけた処を、生命いのちからがら切り抜けるために、コンナ見っともない降参の仕方をしたものに相違なかったが、何にしても、嘸さぞかし残念であったろう。それかあらぬか眼の色を変えてしまった瘤おやじは、そのまま物も言わずにズイと立ち上ると、ヤケに蚊帳を撥ね上げて、トントントンと梯子段を降りて行った。
 吾輩の両親は色青褪めたままそのあとを見送った。
 その間に吾輩は瘤おやじが賭けた証文と両親が出した二枚の五円札とを取り上げて、ふところの中へ押し込んだ。

     五十七

 瘤おやじの後姿が階段の下に見えなくなると、吾輩の両親は、やはり無言のまま申し合わせたように吾輩の顔を振りかえったが、その怯おびえ切った顔と言ったらなかった。瘤おやじが今の賭博の仕返しのために、出刃庖丁でも取りに行ったかのように、外の嵐の音を聞きながら、互いに白い眼を見交していたが、そのうちに瘤おやじの足音が、又も、ミシリミシリと階段を上って来て、蚊帳の中にニュッと顔を突込むと、いつの間にか又、旧もとのニコニコ顔に返っていたのでホッと安心したらしかった。
 実際コブ親爺はチョットの間にスッカリ機嫌を回復していた。顔色も何もかも最初の通りにテカテカとした、ノンキそうな、愛嬌タップリの態度に返って、眼を糸のように細くしながら座布団の上の札を手早く片付けると、そのまん中の凹みの上にコロリと二つの骰子を投げ出した。
「サア。嬢ちゃん。今度は二人切りじゃ。さし向いで運定めをしよう。あんたは今の証文を賭けなされ。わたくしはここに持って来た十円札を賭けますよって……」
 吾輩はそう言う瘤おやじの計略を、すぐに見透かす事が出来た。……このオヤジ奴め、花札では到底敵わんと見て取ったものだから骰子で凹まそうと思っているな……と直ぐに感付いてしまったが、しかもその二人切りの真剣勝負こそこっちの本懐とする処だったので、吾輩は大喜びで首肯うなずいた。
「……アイ……骰子でも何でもエエ。トッサマに勝つくらい何でもあらへん」
「アッハハハ。又その口癖つれを言わっしゃるか。ばってんが骰子は花札と違いまっするでな……」
 ……インチキが出来まっせん……と言う積りで、ハッと気付いたらしく、慌てて口を噤んだので吾輩はイヨイヨ可笑しくなった。
「サイヤ。そやけどドウして勝ち負けを定きめるのんかいな」
「三番勝負にしまっしょう。一度ずつ振り合うて、三度のうち二ン度勝った方が勝ちにしまっしょう」
「そんなら黒いポツンポツンの多い方が勝ちかいな」
「さようさよう。骰子が一番正直な運だめしじゃ。サテ振って見なされ」
「チョット待ってや。わてえ振って見るけに……」
「さあさあ、何ぼでも試して見なされ」
 吾輩は最前畳の上では練習したが、こんな風に柔かいスベスベした、平らな座布団の上では転がり工合が変って来るに違いないと思ったから、よく手の中で振りもうて見い見い、モウ一度二つの骰子の重さの偏かたより工合をたしかめた。それから手加減を見い見い最初に一、二と振ってみた。それから三、四と振ってみた。そうして最後には五、六と振ってみて、イヨイヨ思い通りに振れることがわかると、これなら大丈夫と一まず安心をした。
 こうした吾輩の腕だめしは、子供らしいとは言うものの随分思い切った露骨なものであった。誰でも一二三四五六と順序を逐うて出て来る骰子目を見たら、決して偶然でない事が直ぐに感付かれる筈であったが、幸か不幸か瘤おやじは、骰子ならば天下無敵と自信していたらしく、吾輩の手付きを見向きもしないで、大風のためにメキメキと鳴り出す家の中を見まわしていたので、全く気付かないらしかった。そうして吾輩が、念入りに掌を嘗めまわして、着物の膝で拭い上げるのを見ると、ニッコリとして坐り直した。
「サテ来なされ。その証文出しなされ」
「これケエ」
「さようさよう。それじゃそれじゃ。わたしもここに十円出す。一緒に座布団の下に入れときまっしょう。サア。アンタから振んなされ」
「トッサマ先に振んなされ」
「まあええ。あんた子供じゃから……」
「そんならジャンケンにしよう」
「それならそれでもええ。そらジャンケンポイ……」
「ソラ……ワレエが勝った。トッサマが先や……」
「アッハハ。仕様がないな。それならば行きまっするぞ」
 瘤おやじは座布団の平面を平手で撫でて、一層平らかに広々とした。

     五十八

 座布団の平面をツルリと撫でまわした瘤おやじは……これが、お前の一生涯の運命のわかれ目になる真剣勝負だぞ……とモウ一度念を押すかのように、吾輩の顔を見込んでニヤリと笑った。
 だから吾輩も……芸者になってもええ……という風に、ニッコリと笑い返して遣った。
 すると急に真面目な顔になった瘤おやじは、大きな掌を合わせた中に二ツの骰子を入れて、ゴチャゴチャと振りまわすと、両手の腹の間から一粒ずつ、ポロリポロリと揉み落すような振り方をしたが、その掌の感触の鋭敏さには、さすがの吾輩もシンカラ感心させられた。その大きな掌の温ぬくもりを受けた、象牙細工のインチキ骰子は、さながらに親爺の生命いのちの一部分でも貰ったかのように、座布団の平面に触れると同時に軽い回転を起して、二、三度位置を換えたかと思うと左右に走りわかれながらチョコナンと坐った。
「アッ……四と二が出た」
「死人がシロモク六文銭という……ええとこじゃ」
 と親爺は例によって洒落文句を言い言い、鼻高々と腕を組んだ。
「ちょうどマン中が出たがドンナモンじゃえ」
「そんならワテエもええ処振ろう」
 と言うなり吾輩は引っ掴んで投げ出した。その骰子さいの目の一つがすぐに三を上にして居据わった横に、いささか手許の狂った残りの一つがクルクルと回転している上から、両親と瘤おやじの額がブッ付かり合うほどオッ冠さって来た。
「ワテエも六ツや。三と三やから……」
「ウーム。これは豪えらい。サザナミ和歌の浦と御座ったか。それなら今度は……ソレ……三と四じゃ。死産七文土器かわらけとはどうじゃい」
「そんならワテエも……ホーレ……五と二の七つじゃ。これは何と言うのけえ」
「具雑煮ぐぞうに、七草汁……ウーム……」
 瘤おやじは又しても吾輩の腕前に驚かされたらしく、吾輩の顔を凝視しいしい唸り出した。そうして見る見るうちに、最前の兇悪な青ざめた顔に帰って行ったが、それはさながらに吾輩を喰ってしまいそうな恰好に見えた。
 同じように最前から息を凝らして見物していた両親も、ちょうど親爺が振り出した数だけ振り出されて行く骰子の目を見ると、奇蹟のように感じたらしく、薄気味の悪そうな四ツの眼を吾輩に移しながら、殆んど同時に長い、ふるえた溜息をついた。まるで吾輩が見世物の片輪者か怪獣か何かに見えるらしい態度ようすなので、吾輩はクスグラれるような可笑しさを感じながらアトを催促した。
「サア。トッサマ。アトを振ってや」
「ウーム」
 と瘤おやじは額から流れる生汗を拭き拭き唸ったが、そのソボソボした眼を一つ擦こすると、いつの間にか座布団の上で六六の目に変っている賽さいの目を指した。
「今振ったトコじゃがな。畳六、地獄の底という目じゃ。サア。アンタも振って見なされ」
 と白い眼を据えて吾輩を睨んだ。
 吾輩は瘤おやじの狡猾ずるいのに呆れてしまった。この骰子の目の重量おもみの偏り加減では、一と六の目が一番出にくいのを親爺はチャント知っているのだ。だから他ひとが見ていない隙に、指の先でチョット突ッついて、振ったと言って胡麻化しているが、実はオヤジの振り方では殆んど絶対に困難とも言うべき畳六の目を出して、最高点で押し付けようと巧らんでいるのだ。
 これがわかると吾輩は子供ながら、煮えくり返るほど癪にさわって来た。六六だろうが八八だろうが骰子の目に刻んである限り手加減一つで出ない事はあるまい。オキアガリ小法師こぼしの赤い達磨さんだってマカリ間違えば逆立ちするのを見たことがある。だから今度だけは六六にしてアイコで片付けてこの次に本当に振らして負かして遣ろう。そうしてその後で、最初からのインチキ手段を残らずアバキ立ててくれよう……どうするか見ろ……と思うと味噌ッ歯で唇を噛みしめながら鷲掴わしづかみに骰子を取り上げた。

     五十九

「お前、畳六の目をヨウ振るケエ」
 と女親が額から生汗をしたたらしながら片目をショボショボさして吾輩の顔をのぞき込んだ。その言い方は吾輩の手腕を半分ぐらい信じている言葉付きであったが、しかしその態度は半分以上諦めている恰好であった。しかし吾輩は平気の平左で答えた。
「ワテエ知らんがな。運やから……」
「運やからて……運やからて……」
 と女親は唾液つばを呑み呑み今にも泣き出しそうな顔になった。男親も何に感激したのか知らないが眼に涙を一パイ湛たたえて吾輩の顔をのぞき込んだ。その珍妙な顔を見ると吾輩は又、フキ出したいくらい可笑しくなって来た。
「……そやけどなあ。六と六より上はないよって、ワテエ六と六振ろうと思うとるがな」
「六と六……ジョウ六の上なら……」
 と女親は殆んどふるえ出さんばかりにして瘤おやじをかえりみた。
「デコ一じゃ」
 と瘤おやじは両膝を掴んだまま投げ出すようにプッスリと言った。そうして後で失敗しまったと言う恰好で唇を噛んだが、最早追っ付かなかった。
「デコ一て何や」
「一と一や」
「そんなら訳ない……。ソラ一や……こちらも一や……ソーラ……」
 吾輩は座布団のまん中を指さしながらケラケラと笑った。
 ところがその笑った一瞬間であった。
 その吾輩が指さした左の手を、大きな毛ムクジャラの右手でムズと掴んだ瘤おやじは、グット自分の方に引き寄せたので、ハズミを喰った吾輩は、右手に座布団の下の十円札と証文を掴んだまま引っくり返りそうになった。同時にシッカリと掴まれた左手が捻じれ返ったので、証文と十円札を懐に仕舞う間もなく、悲鳴をあげてしまった。
「痛アイッ」
「何するのや……」
 と女親が慌てて立ちかかったまま片膝を立てた。同時に男親も中腰になって、引きずり寄せられて行く吾輩の片足を押えたので、吾輩の腕がイヨイヨねじれかかったお蔭で、喰い付こうにも引っ掻こうにも手の出しようがなくなった。
「何するのや……この児を……どうするのけえ……」
 と今にも掴みかかりそうな恰好をした女親は、そのまま瘤おやじを睨み付けて赤くなり又青くなった。これに反して吾輩の足を掴んだ男親は、やはりそのままガタガタ震え出している事が、吾輩の足にハッキリと感じられた。
 しかしそうなると、イヨイヨ落ち着き払った瘤おやじは吾輩の腕を掴んだ指に一層強く力を入れた。その顔を下から見上げると、依然として血の気のない白茶気た顔をして、額に青すじをモリモリとあらわしていたが、それでも声だけは大きく高らかに笑い出した。
「アッハッハッハッハッ。何をしようとこちらの勝手じゃ。文句言うなら言うて見やれ」
「……エエッ……文句言うなテテ……この児は勝っとるやないか」
「アッハハ。勝ち負けも糞もあったものかい。コラ……よう聞けよ……貴様たち夫婦は、今、警察のお尋ねものじゃろうが。利いた風な事を吐ぬかし腐ると堪こらえんぞ。アッハッハッハッハッハッ」
 この瘤おやじの一撃には、さすがの勝気な女親も参ったらしい。中腰になったままワナワナとふるえ出して来た。それにつれて男親は吾輩の足を放して、ジリジリと風呂敷包みの方に後退りし始めた。
 瘤おやじはそうした恰好の二人を笑殺するかのように、モウ一度高笑いをした。
「アッハッハッハッハッ。どんなもんじゃい。文句は言わん方が良かろうがな。折角コッチが穏やかに一晩泊めて遣って、明日はイクラか小遣いを持たせて、安心の行く親分の処へ送り届けて遣ろうと思うとったに、案外な餓鬼サレどもじゃな貴様わい達は……。カンのええ子供にインチキを仕込んで道中をするイカサマの非人とは知らなんだ。知らなんだ……」

     六十

「……しかも、この瘤様の縄張りの中に失せおって、利いた風な手悪戯てちんごうをサラシおったからには、片手片足コキ折ってタタキ放すが規則じゃが、今度ばっかりは堪えて遣る……その代りにこの児とその風呂敷包みをば文句なしに置いて行け……」
「……………」
 こうした瘤おやじの胴間声のタンカは、今でもハッキリ印象に残っている。口真似をすると如何にも手ぬるいようであるが、その間の抜けた文句の切れ目切れ目に聞こえる、物すごい嵐の音と共に、何とも言えない重みを含んだ、場面にふさわしい名啖呵めいたんかとして、子供の吾輩の耳に響いた。
 しかし吾輩は、あお向けに引っくり返されたまま押え付けられながらも……そうして押え付けた奴の名タンカに敬服しながらも、何とかして逃げ出して遣ろうと、一心に隙を狙っていた。片手で半身を支えながら、ジリジリとスタートをするような恰好に姿勢を変えているうちに、女親と男親は意気地なくも畳に手を突いて、交り番こに米搗つきバッタを始めていた。
 もっともこれは無理もない話であった。吾輩の両親が束になって掛かって行ったって、腕力と言い度胸と言い、この瘤おやじに敵う筈がなかった。況んや相手がコンナ方面で相当の場数を踏んで来たらしい剛の者であるに於ておやであった。
「……すまん事致しました」
「……えらい事しまして……堪忍しとくんなされ……」
「文句があるなら言え。……ないならないで今出て行け。渡すもの渡いて……」
「……ヘッ……」
「……エヘッ……」
 と両親はいよいよ平ベッタクひれ伏してしまったが、あんまり瘤おやじが嵩かさにかかって来たので返事が出来ないらしく、ただミジメにブルブルワナワナと震え出すばかりであった。
 この様子を見ると瘤おやじはイヨイヨ徹底的に両親をタタキ付けたと思ったらしい。そうしてイクラか安心したらしく、ホンの心持ち手を緩めて来たので、吾輩は占めたとばかり、とりあえず戦闘準備に取りかかった。まず右手に掴んだままの証文と十円札を、ソーッと懐中ふところにねじ込んでから、次の作戦計画をめぐらしつつ、なおも機会を窺っていると、その機会は意外にも直ぐに来た。察するところ瘤おやじは吾輩をインチキと踊り以外には何の能力もない女の児と侮って、スッカリ油断していたらしい。両親がヘタッタのを見ると、モウ大丈夫と思ったかして、片手で花札とサイコロを掻き集めて内ぶところに無造作に仕舞い込んだ。それから今度は座布団の下に手を突込んで証文とお金を探しまわったが、これは最早トックの昔に吾輩が、電光石火の早業をもって引っこ抜いてしまったアトだから、いくら探したって在りようがない。しかしそんな事とは知らない瘤おやじは、何より大事な証文がなくなっているので少々面喰らったらしく、ウッカリ吾輩の手を離して、両手で座布団を持ち上げて覗いてみた。
 吾輩はこの機会を逃がさなかった。電光のように起き上って、両親の背後うしろに在る風呂敷包みを引っ掴むが早いか、アッと言う間もなくランプと反対側の蚊帳の外に飛出して大きな声で叫んだ。
「ととさん。かかさん。早よう出て来んか」
「……………」
「そないなインチキのお爺じい、怖いことあらへん。何も謝罪ことわり言う事あらへん。お爺の方が、よっぽど悪人わるもんやないか」
「……………」
「ワテエ。福岡の髯巡査さんトコへ行くけんで安心してや。そのインチキお爺の悪い事皆言うたるけんで怖いことチョットもあらへん……」

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