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2014年2月25日 (火)

「犬神博士」夢野久作 93

     九十三

 ところが困った事に鉄道のポイントなるものは、誰でも知っている通り、容易ならぬ重たさのものである。その上にハンドルの白く光っている処が、手の膏あぶらでヌルヌルしていて力を入れるたんびにツルリツルリと辷ってしまうので、先天的に怪力を持っている上に体力不相応な荷物持ちで鍛え上げた吾輩の腕力を以てしても容易に歯が立ちそうにない。
 そこで吾輩は一思案をして、両手に泥を一パイに塗り付けて、膏ダラケのハンドルをゴシゴシと擦こすった。それから懐ふところの中の昆布と鯣がバラバラと地面へ落ちるのも構わずに、必死の力で抱え起すと、腕がモウ抜けるかと思う頃やっと上の方へ一寸ばかり上った。そこで最早スッカリ脱け切った力を一所懸命に奮い起してグングン引き上げると間もなく、惰力が付いたと見えて、さしもの大きな鉄の簪がグリグリゴトンと地響を打たして、向う側に引っくり返った。それに連れてはるかはるか向うに見える螢のような青い火がチラリチラリと瞬いたと思うと、クラクラと赤い灯に変ったが……その時嬉しかったこと……。モウ一度やり直して見たくてたまらなかったが、トテもそんな力が在りそうにないので諦めた。懐から落ちた鯣と昆布を月あかりに透かしながら大急ぎで拾い集めていると、又も駅長室の方から大きな笑い声が爆発した。
「アハハハハ」
「ウワッハッハッハッハッハッ」
 吾輩はその笑い声に追い立てられるように、駅の構内を上り線の方へ走り出した。今度は駅の入口の線路に置いてある石と、汽車の止まる処が見たくなったので……。
 ところが駅の入口の踏切の処に来て見ると、案外にも石がまだ置いてない。線路の左右には小さな溝川があって白い切石の橋が架かっているが、それを取り外した模様もない。どうしたのかと思って線路の上から遠くを見まわすと置いてない筈だ。はるか向うの溝川の処から、最前見た三人の書生がヨチヨチと歩いて来るが、その一人一人が、手に手に長さ三尺ばかりの四角の切石を一ツずつ抱えたり担いだりして来るようである。
 吾輩はその腕力のモノスゴイのに感心してしまった。玄洋社の壮士とはコンナにも強いものか。これでは巡査が百人かかっても敵わないだろう……なんかと想像しながら傍の茅草の間にモグリ込んで、なおも様子を見ていると、三人はそのままヨタヨタと線路の側まで来て、往来のまん中へ石を投げ出したが、その地響が吾輩の足下までユラユラと響いた。同時にそこいらの草原の中で鳴いていた秋虫が一斉に啼き止んだ位であった。
「ああ……汗ビッショリになったぞ」
「線路の両方に乗せるか」
「イヤ片方に三つ固めて載せたがええ。その方が引っくり返り易かろう」
「二人ずつで抱えようか」
「ウン。そうしよう……」
「オイオイ。チョット待て……」
 と、うしろの方に突っ立っていた一人が驚いたような声を立てたので、吾輩は見付かったのかと思って首を引っこめたが、耳を澄ましてみると違っていた。
「聞いて見い」
「何かい」
「汽車が来る音が聞こえるぞ」
「……………」
「ウン。聞こえる聞こえる」
「……………」
 三人は無言のまま大急ぎで切り石を抱え上げて、線路の上に置き始めた。
 吾輩は胸が躍った。すぐにも首を出して線路の向うを見渡したかったが、三人が頑張っていては身動きが出来ないので、そのままジリジリと後しざりをして黒い柵の外に出た。そうして柵と並行した往来を一散走りに駅の方へ走り戻って、便所の横の柵から便所の屋根へ……便所の屋根から駅の本屋根へ登ってペタリと瓦に腹這いになりながら、ソーッと首を伸ばして見ると、見えた……見えた……。
 赤い信号の灯ひの向うに今一つ赤茶気た灯がチラチラして、その向うに何やら黒い巨大おおきな物の姿がジットしているのが月あかりでボンヤリと見えていたが、やがてその黒い固まりが白い蒸気を継続して空中に噴出ふきだした……と思う間もなく、慌しい汽笛が、静かな夏の夜の空気を劈つんざいて、直方の町々を震撼すると同時に、山から野原を鳴り渡り鳴り響いて、月の下を遠く遠く消え去った……と見る間もなく、又も前より一層激しい汽笛の音が火の付くように迸ほとばしり始めた。

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