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2014年3月14日 (金)

東京ミキサー計画 序章 赤瀬川原平

 ちょつとハイレッド・センターのことを話しましょう。
 最近よくハイレッド・センターの噂を耳にするのです。ハイレッド・センターらしいものが銀座の並木通りにしゃがんでいたとか、上野の森の間を伸びていたとか、新橋の駅前に散らばっていたとか、山手線の電車の吊り革にぶら下がっていたとか。
 そんな目撃談をよく耳にします。だけどいずれも不確かなもので、証拠写真もあるわけではない。録音テープがあるわけでもない。
 それなのに噂は後をたたないのです。帝国ホテルの中で丸裸になっていた、いや御茶ノ水のビルの上から落下していた、いや私は霞ヶ関の裁判所で動き回つているのを見たぞ。

 これらの噂はよく調べてみると、本人の実見銀ではなくて、かつてそんなことを誰かが見たらしいと小う、人の噂のまた聞きであります。だからじっさいのところ、ひょっとしてこれは誰か一人の頭の中の妄想なのではないか、それが言葉となり噂となって、あたかもこの世の中の出来事みたいに錯覚されているのではないのか、という疑念も世の中にはあります。

 あるいはそうかもしれない。誰か一人二人の頭脳内の、不可触宇宙における出来事かもしれない。そのイメージだけが空中を伝達して、人々の頭脳から頭脳を横断しているのにすぎないのかもしれない。
 それもまた興味あることであります。しかし人々の共同的頭脳の中だけのことにしろ、帝国ホテルの中で丸裸になる、とは何でしょうか。上野の森の間を伸びる、とは何ごとでしょうか。そうやって地球引力を脱した不可触宇宙に暗躍するハイレッド・センターとは何なのでしょうか。

 私の解釈を申しましょう。私、筆者の赤瀬川です。私の考えでは、ハイレッド・センターは一つの人格であるにしろ、その人格の集合による運動体であるにしろ、その取り扱っていた項目は「秘密芸術」であるということ。だから公的に定着された形がなくて、その形が噂的になってくるということ。

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 世の中には芸術というものがあります。
 いや芸術なんてないよ、という説の人もいるけど、芸術はあると思う。見た人がいるんです。町の画廊で見たと言う人がいるし、美術館で見たと言う人もいるし、本屋で売っている画集の中で芸術を見たと言う人もいる。芸術の目撃例はかなりあります。

 しかし芸術とは本来秘密のものであります。たとえば、「何! 芸術を見ただと。どこだそれは」と言って警察が駈け込んで来たとしても、はいこれが……、と数量的に示せるものではないのですよ、芸術は。芸術のスタイルだけは公的に示されているにしても、芸術そのものはそのスタイルの奥の方に隠されているのです。ある種の暗号みたいなもので表を固め
て、その奥深くに隠れ潜んでいるのです。だから芸術を見たと言うのであれば、その秘密こと見たのでなければ本当の目撃例としては扱えません。

 ハイレッド・センターの取り扱っていたのはその秘密芸術でありました。つまり芸術のスタイルを破ってその中に入る、その表面を抜きにして直接秘密に手を触れ妄つとする、ナマの芸術、というかモロの芸術、それはまだ開封されていない作家のアトリエ内の状態、と言えばいいでしょうか。その状態は公開された芸術のスタイルの表面下を奥深く進んだところのものであって、その奥地がじっはこの生活空間一般に地つづきでつながっている。
 つま公開された芸術は、絵画なり彫刻なり、ある一定した固いスタールをもって世の中に小さな窓口をさらしているわけですが、その奥にある秘密芸術というものは、その接触面が不定形な有機的スタイルをもって生活空間一般にひろがっている。だから本当のところは目撃者が大勢いるんです。ハイレッド・センターの取り扱った秘密芸術にしても、通行人が日華しているし、駅員が日学しているし、警官だって目撃している。何も知らずに目撃している。

 一方の画廊や美術館などに公開されている芸術は、観客しか見ることができません。通行人や駅員というのは見ることができない。たとえば美術館に芸術があるというので駅員がそこまで行ってみると、そこで駅員は観客になつてし辛つ。警官だってそうだし通行人だってそうです。会場に一歩踏み込んだとたんに観客になつてし事つ。つまりそれは観客にしか見せることができないのです。駅員や通行人や苦bには見せることができないのです。

 この関係の倒立像が、芸術という言葉の上にはあらわれています。本来的に秘密である芸術というものが→そこに芸術という言葉をかぶせたとたんに、それは芸術ではなくなつてしまう。いや直ちにではないにしても、口に出して芸術と言つたとたんに、芸術ではなくなりはじめる。

 芸術というのは非常に難しい言葉です。雉詰食品みたいな言葉です。雉切りで雉の口を開けたとたんに、そのときから中味の芸術は少しずつ腐りはじめる。
 だからハイレッド・センターはその防腐剤として嘘をつきました。1960年代はじめの東京の町でいろいろなことをしたのですが、芸術じゃない、芸術じゃないと嘘をつきながら芸術をしたのでした。そうしないとすぐに芸術だということが露見して、腐りはじめてしまうからです。
 言い変えると、いまだ芸術という言葉で開封されてない作家のアトリエ内の状態というものを、そのまま町全体に拡大したと言えばいいのでしょうか。ハイレッド・センターは芸術という外交的な言葉を用意することなく、自分のアトリエみたいに町の中を歩いたのです。自分の畑に種を播く農夫みたいにして、町の中を歩いたのです。町の画廊を釘で閉じてしまったり、アメリカの通信衛星を盗んでしまったり、帝国ホテルで人間の体積を計ってみたり、ビルの上から物品を落っことしてみたり、そつやってこつそりと秘密の芸術をしながら、「アトリエ内」の材料を掻き回していったのです。
 この攪拌が物理的に完成すれば、アトリエ内部としての全東京都は高速に回転しながら渦を巻き、風景は次第に無彩色のモノクロームになっていきます。そこに向って町全体がほんのわずか、ゆっくりと回転の初速を得たかと思うとき、ちょうどハイレッド・センターは掃除という秘密をしたわけであって、それを最後みたいにして町から身を隠したのです。
 それが1964年のことでした。それから二十年たちました。東京の町はまだ色彩豊かに輝いています。そこから身を隠したハイレッド・センターと同じ妄つにして、全東京都渦巻き回転の初速エネルギーもまたひっそりと町の雑踏に隠れております。ただ20年の時間だけがぐるぐる巻きの溜息となって、この相変らずの町の中にはまり込んでいるのです。
す。
 けっこう長い時間でした。この20年間にビニールが生まれ、セロテープが生まれ、石炭が死に、美空管が死にました。トランジスタが生まれ、ゼロックスが生まれ、ガリ版が死に、オート三輪が死にました。マンションが生まれ、チリガミ交換が生まれ、ジグザグデモが死に、都電と市電も死にました。どこ本が生まれ、ビデオが生まれ、電蓄が死にました。ICが生まれ、カラオケが生まれ、練炭が死にました。
 この20年間に、いったい何事があったのでしょうか。
 最近になって、ハイレッド・センターの写実頬が大量に発掘されました。場所はというと、地球の北半球のちょうど中ほど、極東地方の日本にある東京都小平市の木造モルタルの私の借家の四畳半の机の引出しの一番下の段から。
 いままでずーつとその引出しの中に埋れていて、人類の誰もそれに気が付かなかったのです。そんなことを忘れて、人類はみんな政治や擢済や病気や娯楽などをしていたのです。でその忘れている間にビニールが生まれ、セロテープが生まれ……、いやそれはもう言いましたが、そんな二十年の時間が黄色くなって、発掘した写真の上に降り積もっております。

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