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2014年3月 5日 (水)

「笑いの二重構造」と芸能

 漫才の起源は、この社会にあった。だから初期の漫才がエロチシズムにあふれ、とうてい都会人や教養ある日本人には適応しないものであった。だから後に、漫才が都会的に変革きれると、漫才の支持層に構造変革が起こり、漫才はそれを生みだした社会をますます離れて、都会的になっていってしまった。

 都市エリート層は笑わない。それは人間関係の完全な分裂状態を反映している。都市エリート層にも、ユーモアメーカーはいる。しかし、かれらは近代的マナーというエチケットにがんじがらめにきれ、極度の人間不信から、笑うにも不安でならない。まして笑いの創造という大胆で即興的な冒険は、たいてい避けヰっとする。教養と雑多な卸識がかれらを笑いにおけるデクノボーにしてしまっている。笑いの石女は、ほんとうに笑うことがない。心の表皮を、あっさりと通過するそんな笑いしか経験しない。腹が破れるような、あの漁師たちの笑声は、ここではきかれない。あるとすれば、ヒステリックな、自殺的な笑いである。

 笑いをめぐる日本人の三つの層は、現在も、厳然として存在する。この個人別性を無視して、漫才における笑い豊富のは、きき手のいない漫才を語るのとおなじ、解決のないおしゃべりになるであろう。そして、これら三つの層(国民的な規模で現実に存在する階層)は今日とつぜん発生したのではなく、明治維新後から現在にわたる日本近代史の発展過程において形成されてきたものであり、漫才の歴史(いいかえれば日本人の笑いの歴史)の発展過程と対応しているのである。

   鳥渡(ちょっと)聞いたる磨鉢小言-
   猪口や茶碗徳利は、同じ仲間でありながら、座敷へ出るのも台の上、台所あたりをごろついて、
   磨小木野郎に突かれて、奥の座敷を見ないのに、何の因果かヨウホホエー日が潰れた。(名古屋甚句)

 この民謡は磨鉢とめぐまれない女中をたくみにからませた歌である。これは、源氏節の創始者ある「かごや」とよばれた人物の創作であると伝えられている。おそらく竹材工品の行商人であろう。日本の民謡の形成に、行商人や渡り職人たちの果たした役割が大きいのはよく知られている。
 この歌のなかの(磨小木野郎)という言葉に注意してほしい。人権を認められない女たちの抵抗感寛が、エロスの激越さをともなってうたいこめられているのである。新潟柏崎の「ごぜのくどき」にも同様の発想がみられる。

   新潟女街にお手てをひかれ、三国峠のあの山ン中、
   雨やしょぽしょぼ雉子ン鳥や鳴くし、やっと着いたが木崎の宿よ。
   木崎宿にてその名も高き、青木女郎衆というその内で、
   五年五ケ月、五五の二十五両で、長の年期を一枚紙に、
   封とられたは口惜しはないが、知らぬ他国のペイペイ野郎に、二朱や五首で××されて、
   美濃や尾張の芋掘るように、五尺からだのまんなかほどに、鍬ももたずにアナをほる。口惜しいな。

 こういうユーモアメーカー、民謡メーカーたちを支えていたのは、苛酷な現実のなかで、うらみみつらみをすら笑いとばした女たちのユーモアである。わたしたちはとかく貧しい虐げられた者たちのうめき声にしか耳をかさないが、はじめっからどん底の者には、どん底の笑い声というものがあるのである。それはあきらめとすれすれのところで、かれらを立ちなおらせるバネとなる。

Hakata

 だから笑いの大衆芸能をになった者たちの歴史は、千年以上もつづいているのであって、どこからがいったい現在の漫才とつながるのであるかということは、にわかには断定しがたい事情にある。鶴見俊輔氏は、平安中期に定型された神楽に、漫才の起源を求めている。人長と才男の二人による笑劇が後に、三河万才をはじめとする各地の万才にうけつがれたのは事実である。民間の芸能である万才が、そのまま現在の漫才にうけつがれたとするならば、たしかに漫才の起源は神楽にまでさかのぼる。ところが、かならずしも、ストレートな塾では伝承されていないことは、次にかかげる、漫才作家の秋田実の文章をみればわかるだろう。「日露戦争のすんだ後は(一九〇五年-明治三八年)戦勝気分で途絶えていた盆踊りが復活した。河内音頭である。その盆踊りで一番の人気者は音頭とりである。音頭とりしだいで遠くからでも人が集まってきた。それでどこの村でも唄の巧い声のいい音頭とりを探しまわった。そして、村同士おたがいに、音頭とりを競り合った、今でいうのど自慢である。

 盆踊りのシーズンが済んでも、そのアルバイトの楽しさが忘れられず、円辰はじめ同好の人達が相集まって天満天神さんの傍の小屋で入場料をとって今でいう『のど自慢大会』の興行をすることになったのであるが、困ったのは興行の看板で、名称のつけようがないのである。その時に円辰の思い出したのが『万才』である。彼は名古屋の出身で、よく万才を知っていたが、その方才の太夫と才蔵の形や、やり方を拝借したのである。そして芸名も円辰は玉子の行商をしていたので『玉子崖円辰』といかにも芸人らしい名前を製造したのである。こうして全部の用意が出来たところで堂々と『名古屋万才』という興行の看板を掲げたのである。

 入場料が安いのと盆踊り以来のなじみのおかげで、この興行はとにかく成り立った。これを見てすぐにもう一つ別の『名古屋万才』が西大阪の盛り場、九条の茨住吉で旗挙げをした。尼ケ崎で扇屋を商売にしていた豊丸という人で、この人も生れは愛知県だったが、この人はもう一つエ夫を加えて『三曲万才』の芝居のくだりを取り入れて、それを特徴にした。扇屋をしていたので、芸名を扇子家豊丸と名乗った。」(CBSレポート所収放送演芸三十年参照)

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 秋田実の説を信じるならば、漫才の起源は円辰にあり、その円辰は便宜上に「名古屋万才」といぅ言葉を拝借しただけなのである。円辰のよく知っていたという万才は、もちろん三河万才である。愛知県知田町にはいまもなお正月に万才をやる者たちがいる。円辰の当時の年齢を三〇歳としよう。すると円辰は明治八年うまれである。明治中期に少年期を送った円辰であってみれば、かれをしてユーモアメーカーたらしめた社会環境というものがほぼわかってくるのである。レコードもラジオもまだ出現してはいない。歌の世界には演歌がやっと萌芽しはじめたものの、民衆のなかには五度音階を基調とする根強い音感が存在して明治政府による西欧七度音階の教育に頑強に抵抗している。しかし新しい文化の波が民話の地盤を足元から崩しはじめている。民鞍をきさえていた時代であった。

  マスメデアィアが存在せず、下からの文化が空白になったとき、日本の大衆芸能をかろうじて支えつづけたのは、各地の万才師・仁輪加師・ごぜ・座頭・野間・軽業師などなどであった。おそらく江戸時代の村落には、かならず音頭とりがいたであろう。明治三八年のように、音頭とりを金と太鼓で探しまわるというような淋しいことはなかったであろう。歌の衰退は、ぎやくに歌の専門家を時代に要求させる。村人全部が大衆芸術家であるときに誰が専門家を必要とするだろう。かくして鶏卵の一行商人であった、音頭とりのたくみな円辰によって、民衆はかれら自身で専門家のうた人を体現したのである。円辰の出現という意味には、漫才の創始者としての意味以上のものがあるのである。
 
 歌の衰退・笑いの衰退-いわば民衆のなかの芸術的なすべての衰退が-専門家を生み育てた。明治維新は、一種のスターリニズムである。絶対的な意味においては、明治維新は、日本人の生活の向上に役立った。しかしスターリン体制下のソ連社会が一種の非芸術的社会を形成したように、日本の明治維新のリーダーたちの政治体制は、明治の社会を非文化的非芸術的社会に歪曲きせた。ここには人間の宰福にたいする物質主義的な思想が潜在しており、この傾向は、今日のわが国のあらゆるリーダー層にまでうけつがれているのである。
 名古屋甚句は、盲目にきれた女のくどきである。そして、ごぜとは、盲目の歌うたい女のことである。日本のジプシーのような、これらの女の、あるいは男たちの、芸術。もはや二度とはきかれない、肉声の、日本の民族のうんだ芸術。この芸術だけが、明治維新のスターリニズムに抗し、日本の文化の荷担者となった。だから円居たちの興行が、民謡の復興という形をとったということは非常に大きな意味をもつのである。しかもそれが日露戦争の戦勝気分の後にやっと可能になったということが。かれらによる、歌の復興は、日本の民族意識に支えられていたと考えられる。民衆から選ばれた大衆芸術家たちによってナショナリズムがになわれていた明治時代なのである。そうして、大正・昭和という時代の展開が、こういう大衆芸術家の可能性をハクダツし、芸術家そのものを根こそぎにしていった苛酷な時代であったことを考えるとき、歴史は、文化は、果たして進展したのであろうかという、ごく初歩的な疑問が、わたしたちの魂にうかびあがるのである。

遊民の思想」(森秀人・虎見書房・1968年)より

森秀人さんの講義は学生時代に伺ったことがあり、昨年他界されたことを先月知り、絶版になっていた書籍をAmazonから数冊取り寄せて読んだ。

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