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2014年5月17日 (土)

『一九三四年冬-乱歩』

〈作家的危機の真ッ只中にあった江戸川乱歩の、ある冬の四日間の克明な記録)
 こんな当たり前の次元で見てみても、この小説はよくできています。乱歩の小説をよく読み、乱歩の日常生活をよく調べ上げて、作者は一人の作家の人間像をじつに立体的に、そしてじつにみごとに描き上げております。乱歩が無類の風呂好きで湯にひたりながら居眠りする癖があったこと、食卓での彼には料理を一品ずつ食べる癖があったこと、温めたミルクが嫌いだったこと、口に三粒、仁丹を含めば頭がすっきりすると信じていたこと、鼻詰まりになる癖があって、ミナト式の鼻通しを愛用していたこと、手帳は講談社のものを用い、万年筆はペリカンを愛用していたこと。……これらはほんの一例ですが、いい小説なら必ず備えていなければならない細部のおもしろさがこの小説には惜しげもなく詰め込まれております。
小説は説教ではない、論説でもない、ましてや論文であるはずがない。小説の原料は豊かな細部、これ一つなんですね。作者はそのことをよく御存じです。なんといってもそこがこの小説の素敵なところなんですな。そんなことはだれでも知っているよとおっしゃる方が大勢おいでになるだろうと思いますが、しかしたいていは原稿用紙を前にするとつい理屈を経たくなってしまうものでありまして、じつはこのわたしも……(咳き払い)。

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 そういうわけで、この小説はごく当たり前の次元でまず立派にできているのです。この頑丈無類な地盤の上に、何十もの柱や梁が入り組んで組み上げられ、それらが全体として一つの宇宙を形作っている。たとえば、柱の一つは乱歩の評伝であり、別の一つは探偵小説論であり、また違う一つはエドガー・アラン・ポー論であるという風に。どこが評伝で、どこまでが探偵小説論かは、ここではとくに指摘をいたしません。それは皆さんで楽しみながら探し当てていただくことにしましょう。
 ただし、次の一点だけははっきりと指摘しておきたい。この小説の中には、もう一つ、『梔子姫』と題した中編小説が入っているのです。加えて、この『梔子姫』は、この小説が扱っている四日間で乱歩が書いた作品ということになっていますから、作者の久世さんは乱歩の贋作を一つ仕上げたわけで、それもじつはこの小説のおもしろさ、あるいは凄味の一つになっているのですが、それはとにかくとして、この小説は、云うならば、小説が、小説を抱くという構造になっています。別に云えば、この作品は、小説という表現形式で、小説とはどのような表現形式であるかを考える小説なんですね。二十世紀芸術が行なった代表的実験は、絵画をもって絵画の意味を、演劇をもって演劇の意味を、そして音楽をもって音楽の意味を考えるということでしたから、小説をもって小説の意味を考えようとしたこの作品は、当然、実験小説としての色合いも持っております。これはよほど時間をかけないとできない仕事でして……。〈井上ひさし〉

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