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2016年2月 1日 (月)

「火山に死す」澁澤 龍彦

 ローマ人の風呂好きときたら名だたるもので、大都市における一般庶民のための公共浴場ばかりでなく、また富裕な市民の邸宅や別荘でも、冷浴室、温浴室、熟浴室、蒸風呂からはじまって、さては温水プールのようなバブティステリウムまで備えている家がめずらしくなかったというが、この物語も、或る男が或る家で、浴槽につかって或る種の感慨をもよおしているところからほじめたい。或る男というのほ、例の『博物誌』 の著者カイウス・プリニウス・セクソドゥスである。時は西暦七十九年八月二十四日である。ちなみにいえば、この日の夕刻、プリニウスがスタビアイの友人の家で風呂にはいっていたというのは決して私の勝手な空想ではなく、彼の坊の小プリニクスによって証言されているところの歴史上の事実なのである。
 温浴室の浴槽のなかで、のんびり手足をのはして、プリニウスはこうつぶやいた。
「よりにもよって、おれの五十五回目の誕生日を明日にひかえているという日に、ウェスウィウス山が時ならぬ大爆発を開始しようとほ、なんという不思議なめぐり合わせだろう。まるでおれの生涯の円環を閉じようという、神の意志がそこに働いているのでもあるかのようではないか。」
 二週間ほど前から、不吉な前兆のようにウェスウィウス山の頂きにかかっていた濃密な雲が、ここ二、三日、きれいに吹きほらわれたかと思っていると、二十四日の正午ごろにいたって、突然、ものすごい大音響とともに、巨大な松の木のような形の水蒸気の柱の山頂に立つのが見えた。いままで堰きとめられていた火山のエネルギーが、ついに爆発したという感じである。それが大噴火の開始だった。その前に、遠雷のような地鳴りを聞いたというひともあるにほあるが、プリニウスは噴火のはじまったとき、山から三十キロ近くも離れたナポリ汚の北のミーセーヌムの岬にいたので、それは残念ながら聞いていない。ミーセーヌムの自宅にほ、彼のほかに妹と、妹の息子のカユキリクス・セクソドゥス、すなわち十八歳になる甥がいた。まず妹がとんできて、書斎で読書をしていたプリニウスに異変を告げた。
「兄さん、たいへんですよ。気味のわるい煙が東のほうにもくもくと……」
 妹が気味がわるいという現象は、彼にとっておもしろい現象にきまっていた。彼は読書を中断すると、さっそく奴隷に命じて靴をもってこさせ、屋根の上にのぼって、異変を観測しようと思いたった。中年をすぎてからとみに肥満した彼の身体ほ、奴隷の支えている梯子をのぼるのにも苦労した。東のほうを見わたすと、なるほど、いくつにも枝分れした松の巨木のような雲の柱がぬっと立ち、それが見で南へ流されて、そのあたり一帯、おびただしい灰が空中に浮道充満して、ために天日も暗くなるかと思われるほどのものすごさである。ウェスウィウスだな。これほ十六年前の噴火よりも、もっと大きいぞ。数日前から頻発していた地震も、この頃火の前ぶれだったのだろう。プリニウスほぞくぞくするような興奮とともに、ただちに判断をめぐらすと、すぐにでも現場に駈けつけたいと思った。港へ奴隷を走らせて、早急に快走船の用意をするように命じた。スタビアイの別荘に住んでいる友人タスキウス・ボンポニアーヌスの妻、レクティナからの
手紙を彼が受けとったのほ、こうして彼がまさに出発しようとしていた矢先のことであった。
 ナポリ湾にのぞむ気候のよいカンパーニア海岸地方は、ローマの貴族たちのとりわけ好んだ別荘地である。ボンポニアーヌスの別荘は、このナポリ湾の南に突き出た半島のつけ板に位置する、スタビアイの町の海岸付近にあった。うしろは山で、避難するには海上へ出るしかない。ボンポニアーヌスの妻のレクティナは、噴火の危険が刻一刻と迫っているので、船で救援にきてほしいと手放でプリニウスに訴えているのであった。というのは、プリニウスはこの当時ミーセーヌムの港に集結しているローマ艦隊の司令長官の地位にあり、ローマの艦船を自由に動かすことのできる権限を有していたからである。
 手紙を読むと、すすんで危地に赴こうとする彼の決意ほいよいよ固くなった。よしんば人命救助の大義名分がなくても、彼は純然たる博物学老の興味をもって、噴火しつつある山に近づきたいという欲求をおさえきれなかったにちがいない。必ずしも人命救助を軽視するものではないが、この場合、彼の関心ほまず第一に火の山にあったと考えるべきだろう。それに、少なくとも最初のうちほ、彼ほ事態をそれほど深刻に考えてほいなかったと見てよい。女子供がさわぐのは、よくあることではないか。
 彼は、言セーヌムの海岸で、船の仕度を待つあいだ、直径二十センチばかりの海胆の殻をひとつ拾った。故に洗われて、琳がすっかり剥落し、扁のオブジェのように美しくなった海胆の殻である。しかも、これだけ大きいのはめずらしい。これはレクティナのためのおみやげにちょうどいい、と彼は考えた。
 彼が事態の思いがけぬ重大さを認識したのは、ミーセーヌムの港から四段境船に乗りこんで、岬の沖合に出てからであった。いつもならば、ほるかに遠望することのできるナポリ湾の海岸線、すなわちナポリ、ヘルクラネウム、ボンベイ、スタビアイ、スレソトクムとつづく弧状をなした海岸線が、火の山から吐き出される噴煙にかすんで、まるで見えないのである。天地晦冥とはこのことであろう。やがて風向きが変ったのか、灰が船の上にまで落ちてくるようになった。灰ばかりか、灼熱した軽石や、黒焦げになった小石もばらばら落ちてくる。地震で海が隆起しているらしく、船が海岸に近づくと、いきなり浅瀬になったりする。舵手は恐れをなして、どうやら引返したほうがよさそうだと進言する。しかしプリニウスほ笑って手をふると、舵手の意見をしりぞけた。自然が情欲の発作でのたうちまわっている時に、大地が発情して苦悶している時に、それを近くから観察しないという手ほなかろうではないか。それに、いいかね、われわれはなにより羅災者を救助に行くのだということを忘れてはならぬ。
 スタビアイの港には、すでに船で避難しょうとして、順風を待っているひとびとが群れていた。ポソポニアーヌス家でほ、夫も妻も、火山の猛威にすっかりおびえているらしい様子であった。プリニウスは夫妻を抱いて接吻すると、努めて上磯嫌をよそおって、
「いや、ひどいものだ。頭も身体も灰だらけになってしまったよ。なにはさておき、まず風呂だ。奥さん、わたしを風呂に入れてくださらんかな。あとのことは、ゆっくり考えましょう。」
 こうして彼はボンポニアーヌス家の浴槽に肥満した身体を沈めたのである。
 プリニウスは西暦二十四年八月二十五日、北イタリアのラリウス湖畔のコームムで生まれているから、明日でちょうど満五十五歳の誕生日を迎えることになる。たまたま誕生日の一旦別に、それまで鳴りをひそめていたウェスウィウスが時ならぬ活動をはじめたのだった。むろん、そのこと自体には、べつになんの意味があるわけでもない。ただの偶然にすぎない。もし彼がこの暗合に特別の意味を認めるならば、それはむしろ彼のほうに、そうしたいという気持があったため
にほかなるまい。彼の意識が、自分の運命と火山とを、ことさら結びつけようとしたためにほかなるまい。まさにその通りで、彼は五十歳をすぎてから、しきりに自分の死を意識するようになっていたのである。エソべドクレスのように火口に飛びこむつもりはないが、火山で死ぬのも悪くなかろうて。浴槽の湯をぴしゃぴしゃ平手でたたきながら、彼ほ陽気にこうロに出しさえしていた。
 どうしてそんなことを考えるようになったのか。すでに二年前、彼ほライフワークともいうべき『博物誌』全三十七巻を完成して、まだ帝位につく前のティトゥス・フラグィウスに献じている。畢生の大作を仕上げて、急に気の衰えを感じ出したのだろうか。それとも年来肥満しすぎて、高血圧の症状に悩まされるようになったためだろうか。彼自身にも、そのへんのところはよく分らない。少なくとも表面的には、彼ほ若い時分とまったく変りなく、日常生活ではますます陽気
であり、ますます好奇心と向学心が旺盛であり、ますます人生の楽しみを味わおうとする意欲にみちているのだ。死の意識ほ、これら生へのさかんな意欲となんら矛盾することなく、いつのまにか彼の内部にひっそりと棲みつくようになったらしいのである。
 セネカのようには死にたくないからな。これほ彼の実感であったが、そもそも彼がセネカのように死なねばならぬいわれほどこにもないのだった。これほど違った生きかたをした二人の人間はいないだろうからだ。セネカ、この彼より三十歳年長のコルドバ生まれのストア派哲学者は、あまりにも陰謀の渦巻く宮廷に近づきすぎた。あまりにも物質的な富と曹惨の生活に執着しすぎた。そしてそれにもかかわらず、あまりにも哲学者でありすぎた。聞くところによると、セネカ
はネロ帝から自殺を強要されたそうだが、腕の血管を切っただけではまだ死ねず、さらに足首と膝の血管を切りひらき、激痛にもだえ苦しみながら、最後には風呂場に運ばれて、熱湯の浴槽に身を浸してようやく死ぬことができたという。この悲惨きわまりない死にかたと、彼がつねづね説いていた、死こそはすべての苦痛からの解放であるという賢者の哲学とは、いったい、どういう関係にあるのだろうか。
 プリニウスは必ずしも哲学者を蔑視しているわけでほなかったが、おのれの生活と遊離した哲学のむなしさを、肝に銘じていたことだけは事実であった。というよりも、なんらかの現実によって保証されていないような観念を、彼ほ信じていなかったのである。やむをえぬ処置であった
とはいえ、快楽の源泉たるべき風呂を苦痛の源泉たらしめるとは、なんという倒錯だろうか。げんに風呂に身を浸したまま、彼はつくづくそう考えざるをえなかった。
 もしも火山活動が大地の情欲の発作だとすると、これに巻きこまれて死ぬのもわるくないと自分が考えるのは、要するに、自然のエロティックな活動に、せめて万分の一でも自分が参加したいという気持のためでほないだろうか。できることなら淫乱な自然の女神のふところにいだかれて、おのれの生を終焉させたいと思う気持のためではないだろうか。頼婦の下着をぬがせるように、若いころから自然のヴェールをはぎとり、自然の秘密をさぐることを唯二の生き甲斐として
きた博物学者の、それがふさわしい死にかたのように思われるためではないだろうか。プリニクスほそんなことをあれこれと考えて、おぼえず短い笑い声を立てた。
 そのとき、湯気で蒙々とした温浴室の扉があいて、まっぱだかのタスキウス・ボンポニアーヌスがはいってきた。彼はプリニウスよりも十歳ばかり年少だが、すでにローマ官界における高級官僚の地位を約束されているエリート中のエリートである。奴隷に運ばせた青銅製の椅子にどっかり膜をおろすと、
「風呂のなかで笑ったりして、きみはなんだか愉快そうだね。みんなのおびえている大災害が、きみには愉快でたまらないといった様子に見えるよ。」
「どういうものかね。天体や地球が異常な現象を示しほじめると、おれは自分の気持が高ぶってくるのを感じるのだな。ほんのちょつと雪がふっただけでも、夜空に流れ星がとんだだけでも、それは変らないよ。子供のころから、そういう性質なのだ。」
「おかしな性質だな。この町のキリスト教徒たちほ、ここぞとばかり世界の終りということを口にしているがね。きみはそれをどう思う。」
「世界の終りということを口にするのは、必ずしもキリスト教徒ばかりではない。ストアの連中もエピクロス学派の連中も、世界が火で絶滅するということを青から主張している。キケロ-だって、そういっているほずだ。」
「だからさ、きみはそれをどう思シかときいているのだよ。」
「おれには分らない。そういうことを判断するのは、おれの役どころじゃないな。」
 ボンポニアーヌスはじれったそうに口をつぐんだが、ふたたび思い直したように、いくらか皮肉な調子で、
「では、きみの役どころはなんだというのだね。」
「自然の現象を網羅することさ。きみは知るまいが、さきごろおれがティトゥス帝に献上した拙作「博物誌」には、およそ百人の著作家、二千冊の書物から引用したところの、二万項目におよ自然の現象が扱われているよ。」
「それは大した勉強ぶりだが、その二万項目で、きみは全宇宙を網羅しっくしたつもりなのかね。」
「そうほいわない。しかし、おれほ無限という観念を信じない。宇宙はあくまで有限だと思っている。そして宇宙が有限ならば、たとえば五つの原理によって宇宙を説明したとしても、あるいはまた二万項目まで現象を拾い出したとしても、所詮は同じことではないだろうかね。なぜなら、宇宙が有限であるかぎり、観念と物とほ対応していて、その数もひとしいはずだからさ。」
「そうすると、きみはずいぶん無駄なことをしたということになる。五つに分類しておけば簡単なのに、わざわざ二万項目まで拾い出したわけだからね。しかも、その二万項目が宇宙を説明するのに過不足ないかどうかは、だれにも分らない。」
「それはそうさ。そんなことほ百も承知さ。げんに、おれはその二万項目のなかに、ぜひ加えておきたかった一項目をいまごろになって発見して、切歯振腕しているところじゃないか。あのウェスウィウスを見たまえ。おれは今朝から克明にノートをとっているが、あんなに心をそそる現
象があるだろうか。あの山は淫乱なのだよ。ポンペイの男女とそっくりだ。まるでおれを誘惑しているかのようだ。」
「冗談じゃない。おれたち夫婦ほ今夜のうちに船で避難するつもりでいたんだが、きみがあんまりのんびりかまえているものだから、つい一緒になって風呂なんぞに……」
 ボンポ:アーアスが言葉をおえないうちに、今朝から何度目かの地震が地鳴りとともに揺りかえしてきて、浴槽のなかの湯までが大きく括れた。ボンポニアーヌスは青くなって、なにか叫びながら、あたふたと温浴室を出ていった。
 プリニウスも温浴室を出ると、すはだかのまま、隣接するバブティステリウムに歩を移した。
 ここは八角形の柱廊を周囲にめぐらした、小ぢんまりした中庭である。中央に広々とした泉水があって、風呂からあがってすぐ、ここで水浴したり泳いだりすることができるようになっている。いわば野天の泉水であるが、その上に円柱で支えられた屋根があって、はげしすぎる太陽の光をさえぎる役目をはたしている。中庭はモザイクで敷きつめられ、泉水の縁は大理石で飾られている。八角形の柱廊の外には、鉢掛掛や月桂樹や無花果などといった庭樹が繁茂していて、ここはゲィリダリウムと呼ばれている。
 しかしいま、いつもの平和なバブティステリウムやヴィリダリウムの眺めほ一変していた。たえず火の山から吐き出される灰や軽石で、中庭のモザイクはすでに表面も見えないほどに埋もれており、庭樹は無残に押しひしがれて、地上に倒れ伏しているのである。そこらは一面に堆く黄もった灰ばかりで、しかも灰は一瞬の休みもなく降りつづいている。ときどき、軽石や小石が星板にぶちあたる音がする。
 このパブティステリウムからは泳ぎながら海が眺められたが、その海のはうに目をやったとき、プリニウスは一生に一度しか見られぬほどの凄絶な光景を見たと思った。
 ナポリ湾をへだてて、まっすぐ北にウェスウィウスがそびえている。ここから眺めると、その山容はまるで海の上に浮かんでいるように見える。すでに夕闇が垂れこめているので、山頂から流れ落ちる熔岩は、真紅の焔を吹きあげ、奔騰する噴煙ほ、微細な火の粉を金の網目織のように散りばめている。山は内部の衝動に身もだえするように荒れ狂い、ひっきりなしに濃密な噴煙を吐き出しつづける。その噴煙は刻々と膨脹し、分裂し、渦を巻き、かたちを変え、上昇し、或る一定の高さに達すると、夙に流されて横になびく。山の内部で小爆発が繰りかえされているらしく、そのたびに電光に裂かれたように噴煙が寸断され、噴煙の塊りが固体のように、なにか一種の奇怪な彫刻作品のようにあかあかと照らし出される。海の水も同時にきらめく。恥ずかしげもない自然のオルガスムが延々とつづいているのを見る思いであった。
 プリニウスはモザイクの床の上に洗足で立ったまま、しばし、うつけたように火の山を眺めつづけた。
「牡蠣ならばキルケイ産、海胆ならばミーセーヌム産」とホラティウスが歌っているように、カンパーニア海岸地方は古くから海胆の名産地として知られていた。
 
 私のひそかに愛しているガロ・ロマン時代のラテン詩人シドニウス・アポソナリスのごときも、
「カンパーニアの岸辺をいろどる紫色の海胆」
などと、いかにも技巧派らしいしゃれた表現を用いている。
 ラテン語でユキヌスと称する、このシンメトリックな蕨皮動物はローマ人の食膳に供せられる海産の食品として、決してめずらしい種類のものでほなく、その黄色い卵巣をすりつぶして、ゼリー状にしたものを銀の鉢に盛って出したりするといったような、特別の料理法もあったということだ。
 ミーセーヌムの海軍基地に赴任してから、プリ:ウスは毎日、昼寝のあとで海岸へ出かけていっては、岩場で海胆を採取している少年たちから獲物を分けてもらい、その場で殻をたたき割って、とろりとした甘味のある卵巣を指でほじくり出して食べるのを楽しみとするようになっていた。食べはじめるとやめられなくなって、どうかすると十個も二十個も食べてしまうことがある。賛沢な食事や香惨の生活にほ惜淡としていた彼にとって、これは毎日欠かさぬ習慣になっていた風呂とともに、唯一の道楽といえばいえるものかもしれなかった。
 いま、彼はボンポ:アーヌス家の獣那劃でまっばだかでベッドの上に仰向けに写しろんで、奴隷に香油を塗ってもらっているところである。犀の角で製した頸の細い香油瓶から香油をふり出しては、奴隷ほ手なれた動作で、肥満した彼の身体のいたるところに香油を塗りこんでゆく。
その快いマッサージに全身をゆだねつつ、彼は出がけにミーセーヌムの海岸で拾ってきた海胆の殻を、なんということなしに右手でもてあそんでいる。
 そのとき、塗油室の扉が細めにあいて、ボンポニアーヌスの妻のレクティナがちらりと顔を見せたが、
「あ。」
 一糸もまとわぬまっはだかのプリニウスに、さすがに恥じらって、すぐに顔をひっこめた。
「や、これは失礼。なにしろ暑いもので。」
 むくむくと起き直ると、プリニウスは腰にリンネルのタオルを巻きつけて、広間にひっこんだレクティナのあとを追った。そのあとから奴隷が食事服をもって、あわてて追いかけた。広間にくると、
「奥さん、おみやげを持ってきたのを忘れていましたよ。はい、これ。」
 右手に振っていた兢反動物の美しい骨格を、プリニウスほ彼女の前にうやうやしく差し出した。
「まあ、これほ海胆の殻ね。ずいぶん大きいこと。」
「さよう。こいつの卵がわたしのなによりの好物なのでして。それはともかく、この殻もまた見事なものではありませんか。ガリア人はこれをお守りにするといいます。」
「地震がきても、山が火を噴いても、これを持っていれば大丈夫なのね。」
「さよう。よくお分りですな。のみならず、この海胆というやつ、わたしの人生の教師でもあるのでして。」
「あら、海胆には白もないし耳もないのに、それでどうして人生の教師なのですか。」
 この二十歳を越したばかりの無邪気なボンポニアーヌスの若妻を見ていると、プリニウスはつい、彼女を相手に埼もないおのれの夢想を語りたくなってしまうのだった。奴隷の着せかける食事服を肩に羽織りながら、彼は噴火の危険が近づいているのも知らぬげに、すこぶる上磯嫌で語を継いだ。
「なるはど、海胆には日もないし耳もない。それどころか、手足もないし頭脳もないのです。一見したところ、ほの暗い海の底で、彼はまったく受動的な、活気のない、夢のような生を営んでいるようにも見えるでしょう。しかし彼を下等な動物だなどと思ったら、それはとんでもない間違いですね。よく観察してみると、彼は自分の小さな領分のなかを、何カ月もかかって族をしています。ひとが考えるほど、不活港な生きものではないのですよ。ただ、その必要がないから、やたらに動きまわったりしないだけの話です。たえず旋をつづけながら、たえず餌をとらえて食いながら、彼は周囲の世界にはほとんど関心をもたず、いつも自分のことだけに夢中になっています。」
「きっと哲学者なのですね。」
「その通り。少なくともストアの連中なんぞよりほ、ずっとしたたかな哲学者ですよ。この海胆にとって、自分の生きている理想と現実が矛盾するというようなことは絶対にないのですからね。それに、この単純な、この精巧な、海胆の殻を見てごらんなさい。彼の生活態度と同じように、これは一つの自然の傑作といってもいいでしょうな。」
 レクティナの手から大理石のテーブルの上に置かれた直径二十センチばかりの海胆の殻は、あたかも神殿の円屋根のように、その少しも無駄のない美しさをくっきりと空間に際立たせていた。
「海胆の殻はね、奥さん、煉瓦のアーチのように、小さな石灰質の板が隙間もなく整然と賛み重なって出来あがった、一種の円尾板なのですよ。ウィトルウィウスが証明しているように、これは力学的にもいちばん堅牢な構造です。しかも、わたしがなにより感心せざるをえないのは、この海胆という動物の構造が、すべて五の数を基本として成立しているということなのです。ほら、この孔を見てごらん。」
 そういって、プリニウスは海胆の殻を裏がえしにした。つまり、口のある腹面を上に向けたのである。
「この孔は、ロにあたる部分で、もとは歯があったのですが、歯は脱け落ちてしまいました。それでも、ちゃんと五角の孔のかたちをしているでしょう。また上から見ると、孔を中心とした幾条もの放射線のなかで、とくに五木が目立っているでしょう。アリストテレスが提灯に似ているといった歯も、わたしが好んで食べる卵も、それから消化管も、この動物においては、すべて五個から成り立っているのです。いったいどういう理由から海胆は五の数を固執するのか。この点についてはアリストテレスもいろいろと推理していますが、どうもあまり説得的な理由を発見することはできなかったもののようです。わたしにも分らない。まあとにかく、海胆にとっては、おそらく世界は五つの原理によって説明される庇のものだったのでしょうね。」
「五つの原理、簡単でいいわね。」
「まったくその通り。どうしてこう、奥さんとはよく意見が一致するのですかなQじつは、わたしもかねがねそう思っていたのです。さきほど、わたしが海胆ほ人生の教師だといった意味も、これでお分りでしょう。」
 レクティナは笑ってうなずくと、急に話題を現在の問題にむすびつけて、
「それでほ、地震や火山によって世界が絶滅したとしても、海胆は海の庇で、相変らず生きのびることができるのでしょうか。」
「たぶんね。世界は火ではろびるといいますが、火は海の底までは影響をおよぼさないでしょうからね。これまで地上の人間世界では、いくつとなく文明が興ってはほろびましたが、海胆には見るべき文明もなかったから、したがって、はろびるものもなかったのだと思いますよ。」
 ここで、近代の考えかたである進化論というものを知らなかったプリニウス氏にかわって、私がもっとくわしく、愛すべきレクティナの疑問に答えることにしよう。
 人間にくらべれば途方もなく古い時代から、この地球上に海胆は出現していたのである。それはいまから約五億年以上も前の、古生代カンブリア紀の終りごろだというから、せいぜい三百万年ないし四百万年の地上における歴史しかもたぬ人類にくらべたら、まさに気の遠くなるはどの長い時間の集賛だということになる。そして、古生代タイプの動物は多くほろびたが、海胆のみは繁栄と絶滅を繰りかえす地球の歴史とともに、この漠々たる時間の集寮をつらぬいて生きつづけ、げんにいまなお、地中海のなかのカンパーニアの岸辺ばかりでなく、極地から熱帯にわたる世界中の海で、黙々として一類の繁栄を誇っているのだ。しかも、さらに驚くべきことは、すでに五億年前の海底で、海胆が現在とまったく同じような海胆だったということだろう。たとえば最新の自動車や飛行磯のかたちが、これ以上は改良の余地がないほど磯能的に洗練されているよ
うに、海胆は早くも五億年前の青から、進化の極限としての現在のかたちに到達し、その後はほとんどなんの変化もなかったらしいのである。これを高等動物といわずしてなんといおうか。
 もとより、紀元一世紀のP-マ人たるプリニウスにほ地質学や動物進化の観念がなかったから、私が右に述べたような、五億年前の過去から現在までの時間の集積を鳥取的に眺めわたす視点には、立ちうペくもなかったであろう。彼はただ、レクティナを安心させるために、次のようにいうほかなかったであろう。
「大丈夫さ。明日になったら風向きが変るから、その時に船を出せばよい。まさか今夜のうちに、この家が灰で埋もれてしまうということもありますまい。」
 それから思い出したように、初老をすぎた博物学者はこうつけ加えたであろう。
「わたしも年をとったものだ。明日ほわたしの五十五回目の誕生日なのですよ。」
「それは残念だわ。せっかくお越しをいただいたのに、こんな騒ぎで満足にお祝いもできないで。」
「いやなに、あの火の山がなにものにも勝るお祝いだと思っていますよ。」
         *
 その晩、プリニウスはボンポニアーヌス家で晩餐をとると、レクティナのしつらえた来客用の寝所にしりぞいて、ぐっすりと眠った。ボンポニアーヌス夫妻は不安で眠るどころではなく、一晩中起きていたが、プリニウスの寝ている部屋のそばにくると、猛烈な軒が部鼻の外まで聞えるほどだったという。
 夜明け近くになると、いよいよ灰と軽石が地面に堆く降りつもり、これ以上家のなかに踏みとどまっていれば、扉があかなくなって、外へ出るのも困難になるだろうと思われるまでになってきた。プリニウスはたたき起されて、寝ぼけまなこで外へ出た。いや、彼は夜中に起きるのには慣れていたはずだから、すぐにしゃんとしたにちがいない。
 大地は小やみなく揺れ、建物は倒壊しっつあった。灰に混って軽石が降ってくるので、ひとびとは頭に枕をのせて歩かねばならなかった。いつもならば陽が出ている時刻なのに、ここだけは永遠の夜が支配しているように暗かった。しかも盛夏のこととて、おそろしく暑かった。その着苦しい闇のなかを、松明の火がちらちらと行き交い、ひとびとが叫んだり泣いたり怒号したりしながら逃げまどっていた。
「どこへいらっしゃるの。港はこっちですよ。気でも違ったのですか、あなた。」
 レクティナの叫ぷ声を背後に聞いたような気がするが、このときすでにプリニウスほ、一種の醸酎状態にあったとおばしい。膝の深さにまで帯もった灰を靴で掻き分け掻き分け、彼は晦冥の空に遠く閃光を放つウェスウィウスをひたと見つめながら、ふたりの奴隷に左右から支えられて、ただ目的もなく歩きに歩いた。やがて足もとの熱をふくんだ灰から、強烈な硫黄の臭いが立ちのぼりはじめた。
 プリニウスの死因については、古来、じつに多くの学者が多くの仮説を振出している。そのなかで、いちはん妥当なものとして認められているのは、次の二つであろう。すなわち、その一つは、硫黄の蒸気によって窒息死したのであろうというもの、もう一つほ、卒中の発作に見舞われたのであろうというものだ。彼は肥満体質であったし、生まれつき気管がせまくて、よく息切れがしていたらしいからである。屍体は翌日、つまり八月二十六日の朝に見つかったが、小プリニウスの報告によると「どこにも損傷がなく、その外観ほ死者というよりも眠れるひとのごとくであった」という。

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