「雨季の黙想 」
古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』には、耐えて待つ「雨季の黙想 」が描かれている。癒してくれる恵みの水分が空中を満たす時に、全ての五感を静かに開いて感謝するのだった。
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私たちは雨に閉じ込められている間に、すっかり身を浄めておかなくてはならない。
ラクシマナよ。大空から降るあの銀色の恵みの雨の音に耳を傾けなさい。目を上げてごらん。
空は幾重にも重なった雲で包まれている。雷がその雲の上を鉛の鞭で叩いているのだろう。空は痛さに耐えかねて唸るのだが、青あおと輝く空の真上までは届かないのだ。
向こうの地平線を見るがよい。白鳥がその友を引き連れて、ヒマラヤの湖へと家路をさして飛んで行く。雨がしばし降り止んだ今、野の孔雀は声高く鳴き、滝の音は豪壮な響きを立てている。
鶴は緑の丘の木のうえで、まっ白い帆のように翼を一杯広げている。雨で甦った草に、点てんと光る宝石のような花を見るがよい。
ラクシマナよ、鳥は冷たい雨のしずくに濡れているが、声高く歌をうたっているではないか。
遠い彼方の雷のつぶやきも、今は蝉の響き渡る唸りや、蛙の生き生きした鳴き聲に消されてしまっているではないか。
ああ、また雨が降ってくる。
雲は天の高い砦までも襲うことだろう。
東、西、南、北、四方八方のごとく、雨の絃を掻き鳴らすハープのようだ。
今こそ、まさに雨の季節なのだ。
私の心は重く、悲しみの底に沈んでしまいはしないかと怖ろしい。
二人の悲しみは、恐ろしい運命を背おっているためなのだ。さあ、黙想をつづけ、恐れ慄く思いと、物憂い魂とを、ともどもに清めよう。
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