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2017年5月20日 (土)

《きつねの窓》安房 直子

いつでしたか、山で道に迷った時の話です。ぼくは、自分の山小屋にもどるところでした。歩き慣れた山道を、鉄砲をかついで、ぼんやり歩いていました。そう、あの時は、全 くぼんやりしていたのです。むかし好きだった女の子のことなんか を、とりとめもなく考えながら。
道を一つ曲がった時、ふと、空がとてもまぶしいと思いました。まるで、みがきあげられた青いガラスのように……。すると、地面も、 なんだか、うっすらと青いのでした。
「あれ?。」

いっしゅん、ぼくは立ちすくみました。まばたきを、二つばかりしました。ああ、そこは、いつもの見習れたすぎ林ではなく、広 々とした野原なのでした。それも、一面、青いききょうの花畑なのでした。
ぼくは息をのみました。いったい、自分は、どこをどうまちがえて、いきなりこんな場所にでくわしたのでしょう。だいいち、こ んな花畑が、この山にはあったのでしょうか。
「すぐ引き返すんだ。」
ぼくは、自分に命令しました。その景色は、あんまり美しすぎました。なんだか、そらおそろしいほどに。
けれど、そこには、いい風がふいていて、ききょうの花畑は、 どこまでもどこまでも続いていました。このまま引き返すなんて、なんだかもったいなさすぎます。
「ほんのちょっとやすんでいこう。」
ぼくは、そこにこしを下ろして、あせをふきました。
 と、その時、ぼくの目の前を、ききょうの花がざざーと一列にゆれて、その白い生き物はボールが転げるように走って行きました。
 確かに、白ぎつねでした。まだ、ほんの子どもの。ぼくは、鉄ぽうをかかえると、その後を追いました。
 ところが、その速いことといったら、ぼくが必死で走っても、追いつけそうにありません。ダンと一発やってしまえば、それでいいのですが。できれば、ぼくはきつねのすを見つけたかったのです。そして、そこにいる親ぎつねをしとめたいと思ったのです。けれど、子ぎつねは、ちょっと小高くなった辺りへ来て、いきなり花の中にもぐったと思うと、それっきり姿を消しました。
 ぼくは、ぽかんと立ちすくみました。まるで、昼の月を見失ったような感じです。うまいぐあいに、はぐらかされたと思いました。

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 この時、後ろで、
 「いらしゃいまし。」
と変な声がしました。おどろいてふり向くと、そこには、小さな店があるのでした。入口に、「染め物 ききょう屋」と、青い字の看板が見えました。そして、その看板の下に、こんの前かけをした子どもの店員が一人、ちょこんと立っていました。ぼくには、すぐわかりました。
 「ははあ、さっきの子きつねが化けたんだ。」
 すると、胸のおくから、おかしさが、くつくつとこみ上げてきました。「ふうん、これはひとつ、だまされたふりをして、きつねをつかまえてやろう」と、ぼくは思いました。そこで、精いっぱい、あいそ笑いをして、
「少し休ませてくれないかね。」
と言いました。すると、店員に化けた子きつねは、にっこり笑って、
「どうぞ、どうぞ。」
と、ぼくを案内しました。
 店の中は、土間になっていて、しらかばでこしらえたいすが、五つもそろっているのです。りっぱなテーブルもありました。
「なかなかいい店じゃないか。」
ぼくは、いすにこしかけて、ぼうしをぬぎました。
「はい、おかげさまで。」
きつねは、お茶をうやうやしく運んできました。
「染め物屋だなんて、いったい、何を染めるんだい。」
ぼくは、半分からかうようにききました。すると、きつねは、いきなりテーブルの上の、ぼくのぼうしを取り上げて、
「はい、なんでもお染いたします。こんなぼうしも、すてきな青に染まります。」 と言うのです。
「とんでもない。」
ぼくは、あわててぼうしを取り返しました。
「ぼくは、青いぼうしなんか、かぶる気はないんだから。」
「そうですか、それでは。」
と、きつねは、ぼくの身なりをしげしげと見つめて、こう言いました。
「そのマフラーは、いかがでしょう。それとも、くつ下はどうでしょう。ズボンでも、上着でも、セーターでも、すてきな青に染まります。」
 ぼくは、いやな顔をしました。「こいつ、なんだって、やたらに人の物を染めたがるんだろう。」と、腹がたちました。
 けれど、それはたぶん、人間もきつねも同じことなのでしょう。きつねは、きっとお礼がほしいのでしょう。要するに、ぼくは、お客としてあつかいたいのでしょう。
 ぼくは、一人でうなづきました。それに、お茶まで入れてもらって、何も注文しないのも悪いと思いました。そこで、ハンカチでも染めさせようかと、ポケットに手をつっこんだ時、きつねは、とっぴょうしもなくかん高い声をあげました。
「そうそう、お指をお染いたしましょう。」
「お指?」
ぼくはむっとしました。
「指なんか染められてたまるかい。」
 ところが、きつねは、にっこり笑って、
「ねえ、お客様、指を染めるのは、とてもすてきなことなんですよ。」
と言うと、自分の両手を、ぼくの目の前に広げました。
 小さい白い両手の、親指と人差し指だけが、青く染まっています。きつねは、その両手を寄せると、青く染められた四本の指で、ひし形の窓を作ってみせました。それから、窓を、ぼくの目の上にかざして、
「ねえ、ちょっと、のぞいてごらんなさい。」
と、楽しそうに言うのです。
「うう?」
ぼくは、気ののらない声を出しました。
「まあ、ちょっとだけ、のぞいてごらんなさい。」
 そこで、ぼくは、しぶしぶ窓の中をのぞきました。そして、ぎょうてんしました。
 指でこしらえた、小さな窓の中には、白いきつねの姿が見えるのでした。それは、みごとな母ぎつねでした。しっぽをゆらりと立ちて、じっとすわっています。それは、ちょうど窓の中に、一枚のきつねの絵が、ぴたりとはめこまれたような感じなのです。
「こ、こりゃあいったい………。」
ぼくは、あんまりびっくりして、もう声が出ませんでした。きつねは、ぽつりと言いました。
「これ、ぼくの母さんです。」
「……」
「ずうっと前に、ダーンとやられたんです。」
「ダーンと?鉄ぽうで?」
「そう。鉄ぽうで。」
 きつねは、ぱらりと両手を下ろして、うつむきました。これで、自分の正体がばれてしまったことも気づかずに、話し続けました。
「それでもぼく、もう一度母さんに会いたいと思ったんです。死んだ母さんの姿を、一回でも見たいと思ったんです。これ、人情っていうものでしょ。」
 なんだか悲しい話になってきたと思いながら、ぼくは、うんうんとうなずきました。
「そしたらね、やっぱりこんな秋の日に、風がザザーッてふいて、ききょうの花が声をそろえて言ったんです。あなたの指をお染なさい。それで窓を作りなさいって。ぼくは、ききょうの花をどっさりつんで、その花のしるで、ぼくの指を染めたんです。そうしたら、ほうら、ねっ。」
きつねは、両手をのばして、また、窓を作ってみせました。
「ぼくはもう、さびしくなくなりました。この窓から、いつでも、母さんの姿を見ることができるんだから。」
ぼくは、すっかり感げきして、何度もうなずきました。実は、ぼくも独りぽっちだったのです。
「ぼくも、そんな窓がほしいなあ。」
ぼくは、子どものような声をあげました。すると、きつねは、もううれしくてたまらないという顔をしました。
「そんなら、すぐにお染いたします。そこに、手を広げてください。」
テーブルの上に、ぼくは両手を置きました。きつねは、花のしるの入ったおさらと筆を持ってきました。そして、筆にたっぷりと青い水をふくませると、ゆっくり、ていねいに、ぼくの指を染め始めました。やがて、ぼくの親指と人差し指は、ききょう色になりました。
「さあ、できあがり。さっそく、窓を作ってごらんください。」
ぼくは、胸をときめかせて、ひし形の窓を作りました。そして、それを、おそるおそる目の上にかざしました。
すると、ぼくの小さな窓の中には、独りの少女の姿が映りました。花がらのワンピースを着て、リボンのついたぼうしをかぶって。それは、見覚えのある顔でした。目の下に、ほくろがあります。
「やあ、あの子じゃないか!」
ぼくはおどり上がりました。むかし大好きだった、そして、今はもう、けっして会うことのできない少女なのでした。
「ね、指を染めるって、いいことでしょ。」
きつねは、とてもむじゃきに笑いました。
「ああ、すてきなことだね。」
ぼくは、お礼をはらおうと思って、ポッケとをまさぐりました。が、お金は一銭もありません。ぼくは、きつねにこう言いました。
「あいにく、お金が全然ないんだ。だけど、品物なら、なんでもやるよ。ぼうしでも、上着でも、セーターでも、マフラーでも。」
すると、きつねはこう言いました。
「そんなら、鉄ぽうをください。」
「鉄ぽう?そりゃちょっと……」
困るなと、ぼくは思いました。が、たった今手に入れた、すてきな窓のことを思ったとき、鉄ぽうは、すこしもおしくなくなりました。
「ようし、やろう。」
ぼくは、気まえよく、鉄ぽうをきつねにやりました。
「毎度、ありがとうございます。」
きつねは、ぺこっとおじぎをして、鉄ぽうを受け取ると、おみやげになめこなんかくれました。
「今夜のおつゆにしてください。」
なめこは、ちゃんと、ポリぶくろに入れてありました。
ぼくは、きつねに帰りの道をききました。すると、なんのことはない、この店の裏側はすぎ林だというのです。森のなか二百メートルを歩いたら、ぼくの小屋に出るのだと、きつねは言いました。ぼくは、かれにお礼を言うと、言われたとおり、店の裏手へ回りました。すると、そこには、見慣れたすぎ林がありました。秋の日がきらきらとこぼれて、林の中は暖かく静かでした。
「ふうん。」
ぼくは、とても感心しました。すっかり知りつくしているつもりだったこの山にも、こんな秘密な道があったのでした。そして、あんなすばらしい花畑と、親切なきつねの店と……、すっかりいい気分ににって、ぼくは、ふんふんと鼻歌を歌いました。そして、歩きながら、また両手で窓を作りました。
すると、今度は、窓の中に雨が降っています。細かいきりさめが音もなく。
そして、そのおくに、ぼんやりと、なつかしい庭が見えてきました。庭に面して、ふるいえん側があります。その下に、子どもの長ぐつがほうり出されて、雨にぬれています。
「あれは、ぼkのだ。」ぼくは、とっさにそう思いました。すると、胸がどきどきしてきました。ぼくの母が、今にも長ぐつを片づけに出てくるのじゃないかと思ったからです。かっぽう着を着て、白い手ぬぐいをかぶって。
「まあ、だめじゃないの、出しぱなしで。」
そんな声まで聞こえてきそうです。庭には、母の作っている小さな菜園があって、青じそがひとかたまり、やっぱり雨にぬれています。ああ、あの葉をつみに、母は庭に出てこないのでしょうか……。
家の中は、少し明るいのです。電気がついているのです。ラジオの音楽に混じって、二人の子どもの笑い声が、とぎれとぎれに聞こえます。あれはbっぼくの声、もう一つは死んだ妹の声……。
「フーッ。」と、大きなため息をついて、ぼくは両手を下ろしました。なんだか、とてもせつなくなりまして。子どものころの、ぼくの家は焼けたのです。あの庭は、今はもう、ないのです。
それにしても、ぼくは全くすてきな指を持ちました。この指はいつまでもたいせつにしたいと思いながら、ぼくは、林の道を歩いていきました。
ところが、小屋に帰って、ぼくがいちばん先にしたことは、なんだったでしょう。ああ、ぼくは、全く無意識に、自分の手を洗ってしまったのです。それが、長い間の習慣だったのですから。
いけない、と思ったときは、もうおそすぎました。あおい色は、たちまち落ちてしまったのです。洗い落とされたその指で、いくらひし形の窓をこしらえても、その中には、小屋の天じょうが見えるだけでした。
ぼくはその晩、もらったなめこを食べるのも忘れて、がっくりとうなだれていました。
次の日、ぼくは、もう一度きつねの家に行って、指を染め直してもらうことにしました。そこで、お礼にあげるサンドイッチをどっさり作って、すぎ林の中へ入っていきました。
けれど、すぎ林は、行けども行けどもすぐ林。ききょうの花畑など、どこにもありはしないのでした。
それからというもの、ぼくは、いく日も山の中をさまよいました。きつねの鳴き声が、ちょっとでも聞こえるようものなら、そして林の中を、かさりと動く白いかげでもあろうものなら、ぼくは、耳をそばだてて、じっとその方向をさぐりました。が、あれっきり、一度もぼくは、きつねに会うことはありませんでした。
それでも、ときどき、ぼくは、指で窓を作ってみるのです。ひょうっとして、何か見えやしないかと思って。きみは変なくせがあるんだなと、よく人に笑われます。

【終わり】

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安房 直子(あわ なおこ)1943年1月5日 - 1993年2月25日)
東京都生まれ、児童文学者。
1971年『さんしょっ子』で日本児童文学者協会新人賞受賞。1973年『風と木の歌』で小学館文学賞、1982年『遠い野いばらの村』で野間児童文芸賞、1985年『風のローラースケート』で新美南吉児童文学賞、1991年『花豆の煮えるまで』でひろすけ童話賞受賞。
西東京市に暮らし執筆活動を続けていたが、1993年肺炎により逝去。享年50。

 

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